海洋教育が目指すもの

海洋教育が目指すもの

2019年10月2日
グローバルイシュー・平和構築

 東京大学の海洋教育センターでは、前身の海洋教育促進研究センターの時期をふくめて、およそ10年にわたり、海洋教育の重要性を論じてきた。海を学び教えることが、なぜ大切なのか、大きく分ければ、二つの理由がある。そして海を学び教えることがめざすもの、またその実践は、旧来の教育と大きく異なっている。

いのちのマトリクスとしての海

 海を学び教えることが大切である理由の一つは、海がすべてのいのちの起源だからである。「母なる海」という言葉があるように、原始の海から、生命が誕生し、私たち人類も誕生した。地球は、「プラネットブルー」と呼ばれているが、そのブルーすなわち海は、いわば、いのちのマトリクス(いわば、源自然)である。
 この海が、いつ、どのように生まれたのか、そして、そこから生命がどのように誕生したのか、はっきりわかっていない。海の水の生成については、主要な仮説が三つある。元々あった説、周りから取り込んだ説、氷の天体が降ってきた説である。どの仮説も確かめようのないもので、たぶんずっと仮説のまま、かもしれないが、そうした仮説を吟味し洗練していくこと、つまり「探究」が、自然科学的な海の研究(の一つ)である。
 いのちのマトリクスとしての海の探究は、自然科学的研究に限られない。たとえば、宗教や神話を素材にしながら、人文学的な研究も可能である。キリスト教の場合、聖書の最初に、「海」と思われるものが登場している。
 いのちの誕生という、見えないものを見る試みは、研究者だけでなく、子どもたち一人ひとりが行う探究でもある。最先端の科学的研究に教えられつつ、自分なりの仮説を立てそれを吟味すること、想像力をめぐらすことは、心を躍らせ、知性を豊かにする経験である。

ハビタビリティの必須条件としての海

 海を学び教えることが重要である二つめの理由は、海が私たちの生活の基礎だからである。私たちがどこに住んでいても、何を食べていても、すべてのいのちは、生活の基礎、すなわち生きられる環境を必要としている。空気、水、食べものだけでなく、適度な温度を必要としている。こうしたハビタブルな環境を作りだしているものが、海である。
 ずいぶん前から、地球温暖化が問題になっているが、もしも海がなかったから、この40年間に、地球全体の気温は37度上昇している。それは、たとえば、30度の夏の気温が、67度になってしまう、ということである。もしもそうなってしまえば、人間をふくめ、もう多くの生きものは、生きていけなくなる。
 豪雨、猛暑、台風などの気象災害が、近年、世界的規模で増大しているが、これも、地球温暖化に起因している。猛暑は、すでに人びとのいのちを脅かしている。たとえば、2018年の6月から8月に熱中症で死んだ人は、1400人を越えている。また、豪雨や台風で、多くの人が死んだことも、よく知られている。
 海は、人間が作りだした熱を溜めて、大気の温度が大きく上がらないようにしてくれているが、その温度も、じりじりと上がり始めている。私たちは、海に感謝しつつも、温暖化そのものを低減させる努力を続けなければならない。これはすべての人が担うべき生存の課題である。

贈られ/与るという関係

 海を学び教えることがめざすのは、こうした海洋の知見をつうじて、新しい倫理的スタンスを生成することである。先に述べたように、海は、いのちのマトリックスであり、いのちを支える環境、すなわちハビタビリティの必須条件(condicio sine qua non)である。その事実を踏まえるとき、海は、個人、組織、国家の自己本位で恣意的な欲望や計画をはるかに越えた、大いなる存在として、象られていく。すなわち、海に対する畏敬の念が生じる。それは、海洋の自然科学的知見が生みだす、新しい倫理的スタンスである。
 その倫理的スタンスは、いいかえれば、与るというスタンスである。海という贈りもの(donum)に私たちが与ることである。すなわち、海を、人間や国家によって所有されるものではなく、いのちすべてに贈与されたものととらえ、それを大切にすることである。

海洋教育の創造的実践

 海洋教育の実践は、たんに海洋の知見や倫理を教えて、子どもたちに学習させることではない。海洋教育の実践は、そうした情報提示/情報取得という伝達モデルで行われる実践ではなく、創造モデルで行われる実践である。すなわち、学習者一人ひとりが具体的な問いに取り組むなかで、海洋の科学的知見と海洋への倫理的スタンスを、みずから習得することに、教育者が有形無形の支援を行うことが、海洋教育の実践である。
 このような海洋教育の実践は、方法化を生みだす因果の関係に還元されない。いわゆる「学習」は、すでに実在している情報を理解し記憶することだから、「こうすれば、よくわかる、よく憶えられる」と、学習者が自分で勉強の仕方を工夫できるし、教師も、すばやい理解の仕方、確実な記憶の仕方をアドバイスできる。
 しかし、海洋教育の実践は、こうした「学習」を踏まえつつも、新しいガバナンス構想という創造に向かっている。温暖化にどう対処するのか。二酸化炭素の排出量をどう減らすのか、生物の多様性をどう保全するのか、気象災害をどう防ぐのか。新しい海洋政策の構想は、まだ定められていないから、教師は、それを確実な情報として提示できない。教師は、いわば新しさ(未然性)へ子どもたちを向かわせるから、その営みは、つねに困難をともなう。何がどのようにこの子どもの思考を高め、新しさへ向かわせるのか、わからない。したがって、海洋教育の創造的実践は、基本的に触発-喚起の関係である。教師は、触発するだろうことを試み、子ども一人ひとりがそれぞれに喚起されることを待つ。

政策オピニオン
田中 智志 東京大学大学院教授/教育学研究科付属海洋教育センター長
著者プロフィール
1958年山口県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。山梨学院大学教授、同大学付属小学校校長等を経て現職。博士(教育学・東大)。専門は教育思想史、教育臨床学。著書に『人格形成概念の誕生』、『学びを支える活動へ』、『教育学の基礎』、『プロジェクト活動』(共著)、『教育人間論のルーマン』、『教育思想のフーコー』、『教育臨床学』、『共存在の教育学』、『何が教育思想と呼ばれるのか』他多数。