「小さな世界都市~Local & Global City~」をめざす豊岡の挑戦

「小さな世界都市~Local & Global City~」をめざす豊岡の挑戦

2021年12月6日

 本稿では、私が豊岡市長として「小さな世界都市」を目指した地方創生の取り組みについて、体験を踏まえて述べてみたい。

はじめに:豊岡を「小さな世界都市」に

人口が減り続ける豊岡の事情

 豊岡市は、兵庫県の北部に位置する日本海に面した町で、現在は78,000人ほどの人口だ。豊岡市の人口推計によると、2015年に82,000人だった人口は、何も対策をしなければ2040年には30%減の57,700人にまで減少するとみられている。その量の圧倒的な破壊力は無視することができない。地方創生は、厳密にはその人口減少対策のことである。
 しかし、この人口減少は止めることがほぼ不可能だと考えられている。そこでせめて目標値を定め、人口減少を緩和することが地方創生の柱となる。豊岡の場合、目標値は62,000人と定めている。無論、仮にこの目標値62,000人が達成できたとしても今より2万人減ることになり、大変な状況であることに変わりはない。そこで人口減少を緩和すると同時に、人口が減ったとしてもなお元気を保てる町を質的に作っていく作業も必要となる。


 そもそも、なぜ豊岡の人口は減っていくのだろうか。図1は、2010年から2015年の5年間における人口の社会増減の様子を示したグラフである。このグラフを見ると、30歳以上の年齢では社会減は起きていないことが分かる。どの世代で社会減が起きているかというと、グラフで下に落ち込んでいる10代だ。豊岡では高校卒業時を中心に約8割の若者が地元を離れる。20代は逆に入ってくる人の方が多いが、10代で失われた人口の約40%しか取り戻しておらず、差し引き6割の赤字となっている。若い人の数が減り、さらに未婚率が上昇しているので、若い夫婦の数はさらに落ち込む。実は夫婦1組あたりたが持つ子どもの数は少し増えているが、夫婦の絶対数自体が減っているため、少子化が進行する。そして、その減った子どもたちが大きくなり、高校を卒業する時にまた多数いなくなる。この繰り返しの中で豊岡の人口減少は進んでいく。
 この10代の減少には、豊岡に最近まで大学がなかったことも影響している。若いうちは広い世界を見たいと思うのは、ある意味当然なことなので、やむを得ない。しかし、なぜ20代でこんなにも帰ってこないのだろうか。豊岡に暮らす価値が若者に選ばれていない、とりわけ若い女性に選ばれていないからだ。選ばれているのは大都市、特に東京だ。大都市の圧倒的な魅力と闘って、豊岡をはじめとする地方は自由競争で負け続けてきたというのが実態ではないか。

豊岡に暮らす「突き抜けた価値」を生み出す

 それでは、私たちがやるべきことは何か。それは豊岡に暮らす「突き抜けた価値」を創造することだ。そのために掲げた旗印が「小さな世界都市」だ。この言葉には、人口規模は小さくても世界の人々から尊敬され、尊重される町を作るというビジョンを込めている。
 この「小さな」という言葉を私たちは「small」でなく、「local」と訳している。豊岡という地域に深く根ざしながら世界で輝く。そのことを通じて、「小さくてもいいのだ」という堂々たる態度のまちをつくろうという考え方だ。
 グローバル化の進展で世界は急速に同じ顔になりつつある。同じ商品、同じショップ、同じ景観が広がり、世界は文化的に画一になりつつある。ということは、逆に地域固有であること、「local」であることが世界で輝くチャンスにつながる。しかもネットの発達により、豊岡のような小さなまちでもダイレクトに世界と結びつくことが可能な時代だ。これはチャンスという他ない。
 同時に、私たちは世界に通用する「local」を磨いていく必要がある。
 世界に飛び出そうとすれば、そのためのエンジンが必要となる。そこで以下では、「小さな世界都市」の実現に向けた4つのエンジンについて順次話していきたい。

1.環境都市「豊岡エコバレー」の創造

 まず一つ目のエンジンは、環境都市「豊岡エコバレー」の創造だ。今や環境問題は地球規模で議論になっている。環境問題をおろそかに扱うようなまちが世界で輝くはずがない。そこで豊岡の自然環境を代表するシンボルであるコウノトリを野生復帰させる取り組みを行ってきた。

豊岡の自然環境と共生していたコウノトリ

 豊岡の中心市街地を上から見ると、真ん中を円山川がゆったりと流れている。ちょうど市街地中央部あたりで河口から10km上流になるが、河川勾配は1万分の1しかない。つまり、10km上流に行っても高低差が1mしかなく、ほぼ水平に近い。このことは、水はけの悪さを意味する。雨が降ると水浸しになりやすいいわゆる低湿地帯であり、人間が住む上では厄介な場所だ。
 しかし、この低湿地帯が大好きな生き物が多くいる。その代表例の一つが、円山川の氾濫が作り出す湿地に自生をする杞柳(コリヤナギ)だ。この杞柳を使った産業が柳行李(ヤナギゴウリ)で、江戸時代は豊岡が日本最大の産地となっていた。現在は、生活様式の変化に合わせ、持ち手を付けた鞄の有名な産地となっている。そして、もう一つの湿地が大好きな生き物の代表例がコウノトリだ。豊岡では環境問題の取り組みのシンボルとして、絶滅寸前のコウノトリを復活させる取り組みを長年行ってきた(図2)。

 コウノトリの野生復帰の最大の狙いは、コウノトリも住める豊かな環境をつくることだ。コウノトリは完全肉食の大型の鳥なので、コウノトリが野生で暮らすことができるならば、そこには膨大な量かつ多種類の生き物が存在するはずである。そのような豊かな自然は人間にとっても素晴らしい自然なのではないだろうか。
 もう一つ狙いがある。どんなに自然が豊かになって餌が豊富になったとしても、飛んできた鳥を闇雲に撃ち殺すような文化をもつ場所にコウノトリは暮らすことができない。コウノトリが近くにいることが素敵と思えるような、大らかな文化が人間の側になければならない。そこで「コウノトリを空に返そう」を合言葉に、コウノトリも住めるような豊かな自然環境と豊かな文化環境をもう一度作り上げる取り組みをしてきた。現在、豊岡では飼育下で94羽、全国では263羽のコウノトリが再び野外で自由に空を飛び回っている。

環境と経済の両立が鍵

 いつからか、私は「コウノトリ議員」「コウノトリ市長」と言われるようになった。褒められているかと思いきや、どうもそうではなく、「人間とコウノトリとどっちが大切だ?」「環境で飯が食えるのか?」といった揶揄をこめた言葉でもあった。
 このような批判に対して私たちが出した答えが、2004年度に策定した豊岡市環境経済戦略だ。確かに環境と経済は相容れない場合がある。公害問題はその典型例だ。しかし、環境と経済が共鳴する関係がありうるはずである。環境を良くする行動が経済を活性化する。それが誘因となって環境を良くする行動がさらに広がる。環境と経済が響き合って高めていく関係を私たちは「環境経済」と名付け、この動きを広げる努力を重ねてきた。
 環境と経済を結びつける最大の理由は、環境行動自体の持続可能性のためだ。環境を良くする行動は、長く続けて仲間を広げていかなければ結果を出すことができない。そのためには、経済を敵に回すのでなく味方につけた方が得だという考え方だ。例えば、20数年前に豊岡市は太陽電池を作るカネカソーラーテックという会社を誘致した。世界中の人々がこの会社の太陽電池を使えば使うほどCO₂対策に貢献し、会社は発展する。環境と経済が共鳴するという一例だ。
 それで豊岡市は企業に対する環境経済事業の認定を行っている。認定条件を、利益を追求する事業であること、そして環境に貢献するものであることとしており、現在77事業が認定されている。2019年度の製造品出荷額は26事業58億円で、確実に豊岡の経済を支えている。

「コウノトリ育む農法」

 農業も決定的に重要だ。かつてコウノトリの繁殖に最後の止めを刺したのは農薬だった。そこで農薬に頼らない「コウノトリ育む農法」を豊岡で確立し、広げてきた(図3)。日本の農業は草との闘い、虫との闘いと言われてきた。それはかなりの重労働だったので、農家が農薬を使うことには合理性があった。農薬はあっという間に草と虫を殺し、農家から重い労働を省き、収穫を安定させた。農薬を使うのを止めろと言うのであれば、農薬に頼らない農法を確立する必要がある。

 この「コウノトリ育む農法」という言葉は助詞のない少し変な日本語だが、二つの意味を込めている。一つ目は、生態系の頂点にいるコウノトリをシンボルとして、生き物「を」育むという意味である。二つ目は、育まれた生きもの「が」農薬を使わなくてもお米を育んでくれるという意味だ。
 生き物「を」とはどういうことだろうか。例えば、県の調査によると10aあたりのイトミミズの数は、農薬を使う慣行農法が33万匹、80%農薬を減らした減農薬タイプが238万匹、完全無農薬が589万匹と、圧倒的な差がある。このように、イトミミズをはじめとした生き物、特にその頂点にいるコウノトリ「を」育んでいくという意味を込めている。
 では、生き物「が」お米を育むとはどのような意味だろうか。農業の天敵となる害虫はカエルやツバメが食べてくれる。また、朝早くコウノトリ育む田んぼに行くと、一面蜘蛛の巣だらけになっている。蜘蛛が害虫を食べてくれるのだ。つまり、殺虫剤という農薬を使わなくても、生物界における食べたり食べられたりする関係によってそれを補っていくことができるということだ。
 しかし、農業で最も困難なのは除草である。農薬を使わないと生き物が増えていく。特に、冬に田んぼに水を張っておくと、春先に大量のイトミミズが発生する。イトミミズは田んぼの土の中に頭を入れて有機物を食べながら分解して糞を出し、その糞が溜まってトロトロの層が作られる(図4)。ここに天敵の雑草の種が落ちると、重い種が先に沈んで、その上からトロトロ層が詰まっていく。コナギという天敵の草は、種の上に3センチ以上トロトロ層が積もると光が届かなくなって発芽しない性質がある。そのため除草剤を使わなくても草を抑えることができるのだ。つまり、生きもの「が」、コウノトリ「が」、お米を作ってくれるということだ。コウノトリ育む農法の目的とは、命に満ちた田んぼを作ることだともいえる。

「コウノトリ育む農法」の儲かる仕組みづくり

 また、コウノトリ育む農法でつくった米のブランド化を図り、高く買ってもらえる仕組みをつくることも重要だ。図5は、豊岡市が定めたコウノトリ育む農法の要件を列挙したものだ。必須事項と努力事項があり、栽培期間中は化学肥料をまったく使わない無農薬、あるいは80%の農薬を減らした減農薬の条件を満たしていることが認められた場合に限り、「コウノトリ育む」という商標を使うことができる仕組みを作っている。

 このコウノトリ育む農法を導入する農家は確実に増えており、2021年度は生産者196人で434haまで増えている(図6)。豊岡市内の水稲の全作付面積は2729.4haであり、「コウノトリ育む農法」はそのうち15.9%を占めている。この農法以外の環境創造型農業も含めると、豊岡全体では無農薬に頼らない農法が稲作の38.1%に広がっている。

 この農法を取り入れることで農家が実際に儲けているかどうかを調べるため、経営試算を行ったことがある(図7)。2020年度の実績では、普通のコシヒカリで農家の手元に残るのが52,666円であるのに対し、減農薬のコウノトリ米は74,000円余り、無農薬だと91,000円となっている。さらに、みのる産業と組んで作り上げたみのる式だと、約13万円が農家の懐に残る。つまり、農家が環境に良い農業をすると儲かる仕組みが出来上がってきたのだ。

 コウノトリ米は世界8カ国・地域にも輸出されている。輸出量は年々増加し、2020年度は約22トンに増えた。ハリウッドでは店頭で1キログラム2000円で売られている。高級レストランや高級スーパーでしか扱ってもらえないが、着実に増えている状況だ。

田んぼに戻ってきた子供たち

 豊岡のコウノトリをめぐるこれまでの取り組みにより、田んぼにカエルやナマズ、ドジョウ、フナ、そしてコウノトリといった様々な生き物が帰ってきた。しかし、豊岡の田んぼに帰ってきたものの中で私たちが最も誇りに思うのは、子どもたちだ(図8)。

 2007年頃、豊岡市のとある小学校で起こった出来事を紹介したい。その小学校の子どもたちは自分たちの地域でコウノトリの野生復帰が進み、コウノトリ育む農法が広がっていること、そしてこの農法が広がれば広がるほど豊岡の環境が良くなることを学んだ。そして、子どもたちはどうしたらこの農法を広げることができるのかと考え、消費を増やせばよいという真っ当な結論にたどり着いた。
 それでは、どうしたら消費を増やすことができるだろうか。子どもたちは学校のそばに出来たばかりのコンビニの店長に会いにいき、コウノトリの野生復帰の取り組みを紙に書いて説明した。そして最後に「店長さん、お店の中で売っているおにぎりを、コウノトリの米で作ってくれませんか?そうすれば消費が増えて生産が増えて環境が良くなります」とお願いしたのだ。残念ながら店長には権限がなかったので実現はしなかった。
 しかし、子どもたちはくじけず、次は学校給食だということで、市長室にやってきて同じ説明をした。私は子どもたちの論理の確かさと行動力に非常に驚いた。そして、学校給食にコウノトリ育てる米を使う量を少しずつ増やしていくことを子どもたちに約束し、2016年からは週5日すべての給食でコウノトリのお米にすることにした。それだけで消費量がご飯茶碗129万杯、水田面積にして23.1haも増えた勘定になる。
 子どもたちの行動が事態を動かした。考えることと行動することの間には、深くて広い溝があるが、この子どもたちはそれを軽々と越えていった。私たちはこの子どもたちをとても誇りに思っている。

 これまで話してきたコウノトリ野生復帰の取り組みをまとめたのが図9である。1965年から2020年までに環境創造型農業、湿地再生、人材育成、環境経済、その他もろもろ運動拡大などを行ってきた。時間と分野にまたがって広がるこのすべての取り組みが野生復帰だ。

2.受け継いできた大切なものを守り、育て、引き継ぐ

日本の伝統文化で世界を惹きつける

 小さな世界都市を実現するための二つ目のエンジンは、受け継いできた大切なものを守り、育て、引き継ぐまちづくりである。
 豊岡には城崎温泉という長い歴史のある温泉地がある。実は、1925年に北但大震災で豊岡は大きな被害を受けており、城崎も火災でほとんどの建物が灰になってしまった。その後、復興が始まり、川幅や道路の幅を広げて広い防火帯を作った。そして、町の要所々々に鉄筋コンクリートの建物を配置し、将来火が出ても必ず食い止める火伏壁の機能を持たせた。当時としては最先端の防災対策を施した上で、復興のコンセプトは「元に戻す」とした。
 実は、当時、兵庫県は洋風建築物で復興することを城崎町に提案したが、町の人は猛反対した。城崎に洋風は合わない、城崎は和風なのだと、提案を撤回させて木造3階建ての旅館街が復活した。夜に浴衣を着て下駄をカランコロンと鳴らして出かけ、食事の後まちの情緒を楽しみながら散策するのが城崎のルールだ(図10)。

 城崎の人口は3,500人程だが、コロナ前の2019年には61万人もの宿泊客が訪問した。この日本的情緒に惹かれてインバウンドが8年間で45倍に急増したのだ(図10)。ほとんどが世界各国からの個人客だ。城崎を含む豊岡全体でも確実に増えてきている。今はコロナで海外からの観光が難しいが、関係者は折に触れて世界中のメディアに豊岡の情報を発信し続けている。コロナが収まったときにこれが必ず効いてくると信じている。日本の伝統的な文化は世界中の人々を惹きつけているのだ。

3.「深さを持った演劇のまち」の創造

豊岡をパフォーミング・アーツの拠点へ

 小さな世界都市を実現するための三つ目のエンジンは、「深さを持った演劇のまち」づくりである。豊岡には城下町の出石町があり、国の重要伝統的建造物群の保存地区にも指定されている。ここに近畿に現存する最古の芝居小屋である永楽館があった。長らく閉館されていたが、豊岡市が譲り受けて2008年に芝居小屋として復活させた。ホールは350席で、座席の観客と舞台との圧倒的な近さ、一体感が永楽館歌舞伎の大きな特色となっている(図11)。片岡愛之助さんを座頭にして、毎年11月に1週間歌舞伎をやってきた。残念ながら昨年と今年はコロナのため中止しているが、その前は大変な賑わいであった。ウィーンなどヨーロッパからも観光客が訪れた。

 また、城崎温泉の一番奥に県立の城崎大会議館という1000人規模の古いホールがあったが、これを豊岡市が引き受け、2014年に城崎国際アートセンターとしてリニューアルオープンした(図12)。そして、パフォーミング・アーツ(演劇とダンス)に特化した日本最大のアーティスト・イン・レジデンス(滞在制作)の拠点として運営している。最高3カ月まで無料でこの施設に滞在して24時間制作に没頭することができることから、世界中の一流アーティストが続々と利用している。

 例えば、カンヌ国際映画祭で92年「二人のベロニカ」という映画で女優賞最高賞を受賞したイレーヌ・ジャコブさん、カナダのダニエル・レヴェイエさんという非常に優れたダンサーもこの施設を利用するため来日した。日本のアーティストでは俳優の森山未來さんや芥川賞作家の村田沙耶香さんらが利用している。毎年多くの応募があり、今年度は世界24カ国71団体から応募があった。
 城崎国際アートセンターという新しい武器を手に入れたこともあり、専門職大学という新しい制度が出来た際、豊岡の強みである演劇とダンス、そして観光を学ぶことができる4年制の専門職大学の設立を県に提案した(図13)。今年4月に開校し、7.8倍の倍率をくぐり抜けた一年生84人が入学した。学長には平田オリザ氏が就任したが、自身も家族とともに豊岡に移住した。

 さらに、昨年から豊岡演劇祭という国際演劇祭も始めた。コロナのため今年は残念ながら中止となったが、昨年は客席数を半分にして4,730人が参加した。この演劇祭を中心としてアートを目的したツーリズムを作り上げ、閑散期である9月に外部から市内全域に人を呼び込むのが最大の狙いだ。昨年のアンケートによると、半分が県外から来訪し、15%は関東から訪れていた。豊岡以外の来訪者に宿泊の有無を尋ねると73%が宿泊したと答えている。つまり、優れた演劇やダンスを用意すると、日本中あるいは世界中から時間とお金をかけて宿泊付きで訪問する人たちがいることが分かったのだ。
 平田オリザ氏は、この豊岡演劇祭を5年でアジアNo.1、10年で世界有数の演劇祭にすると言っている。このような小さいまちにそれが可能なのだろうか。しかし、世界的に有名なカンヌ国際映画祭が開催されるカンヌは人口7万人、演劇祭で最も成功したと言われているフランスのアビニヨンは人口9万人だ。人口が約8万人の豊岡市でもまったく問題ないと思っている。

小さいまちのローカル&グローバル・コミュニケーション教育

 豊岡では、2017年からローカル&グローバル・コミュニケーション教育を始めている(図14)。グローバル人材を育てたいわけではなく、ローカル&グローバル人材育てようとしている。つまり豊岡を世界に開く人材を育てることが狙いだ。この教育は、ふるさと教育、英語学習、演劇授業を三本柱としている。演劇授業については、豊岡市の公立小学校6年生、中学校1年生全員がコミュニケーション能力を養うことを目的として授業を受けている。

 それでは、なぜ演劇でコミュニケーション能力の向上が図られるのか。コミュニケーションは双方向であり、自分の考えを相手に伝えるだけでは成立しない。むしろ、相手からの球を受け取る能力が不可欠だと言われる。この相手の球を受け止める能力は、共感力(empathy)と呼ばれ、コミュニケーションには不可欠な要素である。ブレイディみかこ氏の本でも有名になったが、イギリスではempathyのことを「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現するそうだ。何を言っているのか分からない相手がいても、その人の靴を履き、その人の立場に立ってみて、その人が世界をどのように見ているかを想像してみる。それがempathyの能力だ。
 なぜでは演劇を学ぶと、このempathyが身につくのだろうか。私たちは次のように説明している。もし、いじめっ子がいじめられっ子の役を本気で演じたら、その子にどんな変化が起きるだろうか。もし障害のない人が障害のある人の役を本気で演じたら、世界はどう見えるか。恐らく壁だらけに見えるだろう。男社会にどっぷり浸かった男性が、女性の服を着て女性の役を本気で演じたら、ひょっとしたら世界は不公平な壁だらけだと怒るかもしれない。つまり、演劇はロールプレイが中心であるため、他者への想像力を育むempathyが身に付くということだ。
 それでは、なぜコミュニケーション能力がそんなにも大切なのか。それは子どもたちが、私たちよりもはるかに多様で異なる人たちと暮らすようになるからだ。その違いを乗り越え、なんとかやり繰りして生きていく能力、そのために不可欠な能力がコミュニケーション能力だ。それを子どもたちに身に付けてもらうのが、この事業に込められた願いである。
 また、すべての差別、いじめ、ハラスメントの背景には、他者への想像力の欠如がある。もし自分や自分の愛する妻、あるいは娘や孫娘や孫が酷いことを言われたら、どう思うだろう。その想像力があれば、そんな酷い言葉を語ることはできないと思うことがしばしばある。もちろん演劇を学んだからといって、差別やハラスメントがなくなると思わない。しかし、何らかの社会的抗体を持つことができるのではないか。差別、いじめ、ハラスメントに対して強い社会的抗体を持つ町を作ることが、もう一つの狙いである。

「深さ」に込められた意味

 「深さを持った演劇のまち」というのは結局のところ、ただ単に人が演劇を楽しんでいるまちではなく、演劇が観光や教育、発達障害児の支援など様々な分野で何らかの役割を果たし、地域に根付いているまちのことである。私にとって演劇がどういう意味を持つかではなく、私たちのまちにとって演劇がどういう意味を持つか、その社会的インパクトに着目したのが、深さを持った演劇のまちづくりである。世界のどこにもない演劇のまちを創り、世界で輝くという戦略だ。
 ここまで取り組んできたが、残念ながら2021年4月に市長を退任することとなった。しかし、この深さを持った演劇のまちづくりや、ジェンダー・ギャップの解消は、豊岡にとってとても大切なことだ。そこで今後は民間の立場で取り組みを続けるため、6月8日に一般社団法人豊岡アートアクションを設立し、理事長に就任した。理事11人中、7人が女性である。深さを持った演劇のまちづくりを、女性や若い人たちが中心になって進める実験の場にしたいと考えている。

4.「ジェンダー・ギャップ」の解消

若い女性が戻ってこない

 小さな世界都市になるための四つ目の大きな課題は、ジェンダー・ギャップの解消である。まず、合計特殊出生率の数字を確認すると、東京都は1.13で日本最低、沖縄県は1.86で最高、豊岡市は1.74と健闘している。これだけみると、東京はさぞかし子どもの数が減っているだろうと思うが、実のところ東京は2000年で底を打った後、子どもの数を増やしている。
 日本最低の出生率でありながら、なぜ東京は子どもの数が増えるのか。しかも都道府県単位でみると、子どもの数を増やしているのは東京都だけだ。この奇妙な現象の理由は、東京が若い人たちを惹きつけているからだ。
 図15を見ると、東京の社会増減はかつてマイナスだったが、1996年から97年を境にプラスに転じている。特に、女性を圧倒的に惹きつけている。出生率が日本最低でも、若い人を惹きつけて夫婦の絶対数が増えるので、子どもの数も増えているのだ。逆に言えば、東京は日本中から人を惹きつけることによって子どもの数を増やし、同時に日本全体の子どもの数を減らしているといえる。

 豊岡はどうだろうか。図16は豊岡の若者回復率の推移を示したグラフで、10代で失った人口を20代でいくら取り戻しているかを示している。2015年の国勢調査では男女平均して約40%増えた。特に、男性は5年前に比べて17ポイント上がったのでとても嬉しかった。しかし、問題は女性だ。女性は逆に6ポイント下がって27%となっている。ちょうどワニが口をパカッと開けたように、若者回復率が男女で分かれてしまった。つまり、女性は男性の半分しか帰ってこないということだ。

若い女性のUターンを阻むジェンダー・ギャップ

 なぜこのような男女差が生まれるのか。若者が帰ってくる際、男女とも経済的魅力と文化的魅力の乏しさという壁があるのは同じだが、女性にはさらに三つ目の壁がある。それがジェンダー・ギャップの問題だ。豊岡に帰っても、結婚したらキャリアを諦めなければならない、あるいは出産したらキャリアを諦めなければならない。それが三つ目の壁として女性の前に立ちはだかっている。
 豊岡市の男女別の平均収入を調べてみると、50代で男性480万円、女性211万円と、圧倒的な差がある(図17)。理由はおそらく二つある。一つは、女性が出世をしていないこと。そしてもう一つは、女性は圧倒的に非正規雇用が多いことだ。この数字を大学卒業間際に見た女性が、果たして豊岡を選ぶだろうか。

 豊岡の2018年の相対的貧困率も調べてみた。一人親世帯1,911世帯のうち、シングルマザーは1,689世帯で88.4%である。そして、その一人親世帯の相対的貧困率は、男性世帯主が27%に対して、女性世帯主は62.6%となっている。圧倒的にシングルマザーの相対的貧困率が高い。これは豊岡の人材ギャップが典型的に現れている例である。
 他の地方も同様の傾向があると思われるが、豊岡市役所の職員における男女比率は、男性が75.8%、女性が24.2%だ。おそらく昔、採用時に男性を選り好みした、あるいは採用された女性が結婚や出産を機に辞めたり、辞めさせられたりしたことが響いているのではないか。ただ、40代以下の年代は男女がほぼ半々の割合に近づいており、2021年4月に採用した職員は綺麗に半々となっている。
 図18は、豊岡市役所の在職年数がほぼ同じ女性職員と男性職員の職歴を比較したものだ。女性は住民サービス・窓口庶務しか任されていなかった。もちろん住民サービスも庶務も大切な仕事だが、男性はそれ以外にも様々な仕事を経験して腕を磨き、残業もこなし、その結果、出世している。このジェンダー・ギャップが問題なのだ。

 都道府県別にみた女性の活躍と経済移動についての相関関係を示すグラフをみると、ジェンダー指数が高い県、すなわち人材ギャップが小さい県は、一人当たりの県民所得だけでなく、女性の転入超過数も高いことが分かる(図19)。逆に言うと、まさにジェンダー・ギャップが女性の転入を妨げる壁になっている可能性が高いのだ。

 例えば、若い女性が自分の暮らす場所を自由に選べるマーケットがあるとしよう。豊岡は、若い女性にすでに売れなくなっている「男社会」という商品を店頭に並べたまま、商店主が「なんだか最近売れないな」とぼやいているようなものだ。政治家は、しばしばこの事態自体がおかしいという。故郷に帰って親の面倒みるべきだ、道徳観がおかしい、社会を変えるべきだという言い方をする。しかし、おそらく経営者ならそう考えないはずだ。売れないのは買わない人が悪いのではなくて、商品が悪いのだ。「20代女性(20〜24歳)に完全に見放されている地方の現実」を指摘するまちづくりの専門家もいる。この現実に目を向けない限り、地方創生は不可能である。
 私は、「若い女性が住みたいと思うまちを作らない限り、まちは衰退する」と主張している。ジェンダー・ギャップの解消は自治体の地方創生戦略の標準装備にすべきだ。もちろん子育て支援も大切かもしれない。しかし、子育て支援がどんなに充実しても大学卒業間近の女性がそれに反応して、「結婚して子どもが出来たら帰ろう」と思うだろうか。その手前の人材ギャップが彼女たちの足を止めていると私は思っている。

ジェンダー・ギャップの問題点

 そもそもジェンダー・ギャップの何が問題なのか。一つは、これまで述べた通り、ジェンダー・ギャップが人口減少を加速させる要因となるためだ。それに加えて、経済的にもマイナスとなる。民間は圧倒的な人手不足であり、男性か女性で選り好みしている余裕はない。しかも、採用した人が女性だからといって補助的な仕事ばかりさせていると、会社のパフォーマンスが良くなるはずもない。これは経済的な損失だ。
 社会的にも損失である。かつてまちづくりというと、男たちばかりが担う仕事だった。その分母から排除した女性たちの中に良いアイデアや行動力、あるいはユーモアで場を和ませる能力を持った人たちがいたはずだ。そのような女性たちを最初から排除していた。これは社会的損失と言うほかない。
 そして、最も重要な点は公正さの欠如だ。フェアプレイをやってこなかったということだ。豊岡市役所で初めて女性の部長になった職員が、その退職間際に私に次のように語った。「自分は幸いにして部長になることができた。しかし、多くの女性職員は様々なものを断念してきた。」
 この言葉に、私は経営者として深く反省した。採用時に男女で区別した覚えはまったくない。ただ、採用後の状況に目を向けることを怠っていた。女性たちは女性であるということだけで、補助的な役割に甘んじさせられていた。結婚すると家事育児の多くは女性の役割になっていて、男たちは思う存分残業し、接待もし、出世してきた。それを放置してきたということが、私は悔やまれてならない。

官民あげてジェンダー・ギャップの解消

 そこで、豊岡ではジェンダー・ギャップの解消を掲げ、施策の実行を開始した。市役所の男女格差をなくしていく努力をし、さらに民間企業と一緒に体制もつくってきた。56の事業所が賛同し、職場の男女格差是正、あるいは男女問わずスキルを身につけて職場で発揮できる組織づくりを進めている。経営者や人事担当者向けのセミナーも行い、女性のリーダーシップ・プログラムも実施してきた(図20)。

 豊岡市役所の男性職員は、原則として育児休業を取ることとした。昨年度は取得率が54%、平均取得日数が27.4日だった。2022年度は100%の目標を掲げている。企業の中にも、例えば、ペアレント休暇を充実させ、2021年9月から子ども1人当たり30日間の育児休暇を付与する企業も現れてきた。誕生から6年前に遡って取得することも、1時間単位で取得することも可能だ。海外戦略室を新たに作り、5名中3名を女性にして、女性が海外出張に出かけることもできるようにした。市役所の管理職に占める女性の割合も少しずつ増えてきた。
 豊岡市は、「安心カンパニー」という制度を作り、女性にとって働きやすく、働きがいのある企業を認定する取り組みを行っている。認定の基準には非常に難しい項目もある。例えば、従業員が仕事を通じて成長を実感しているかをアンケートで尋ね、男女ともにそれぞれ3分の2以上丸をつけないと合格しない(図21)。これまで合格したのは1社だが、このような企業が増えて優秀な社員が集まってくると、それが他の企業の手本になると思っている。

 さらに、ジェンダー・ギャップの解消に向けた大切な視点が、「自立」である。人生100年時代と言われているが、結婚しない・出来ない男性が増えてきた。あるいは結婚しても妻と別居、離婚、死別する人もいる。妻が入院することもあるだろう。つまり、家事・育児・介護のスキルは、男性にとっても生活の自立に不可欠なスキルとなっている。しかし、これらのスキルを身に付けていない男性が多いのだ。ジェンダー・ギャップの存在は、女性の自立のみならず、男性の自立をも阻害している。これまで女性に甘やかされ、生活を自立させなくても暮らすことができたからだ。
 ところが、家庭科の共修化が中学校で93年に、高等学校で94年に始まっており、男女が一緒に授業を受けている。このことが、自立を通じたジェンダー・ギャップの解消につながる大きな推進力になるのではないかと期待している。家庭科の高校の教科書に書いてある通り、「自立と共生は表裏一体」なのだ。
 夫の家事負担のアンケート調査によると、家庭科を必修化した以降に教育を受けた20代・30代の世代が、より多く家事を行っているという結果が出ている。ジェンダー・ギャップ解消は人口減少対策としても必須だが、学校現場で家庭科が着実に子どもたちに伝わっていくことで、実は足元からジェンダー・ギャップ解消が進んでいくのではないか。その意味で、家庭科の教員たちにエールを送りたい。

おわりに

 以上でみてきた様々な取り組みは、総じて「突き抜けた」豊岡に暮らす価値を作る地方創生戦略であった。世界に通用するローカルを磨くため、今も努力を重ねているところだ。市長としてはこの仕事をすることができなくなったが、今後は市民の立場から頑張っていきたい。

(本稿は、2021年9月24日に開催したIPP政策研究会における発表を整理してまとめたものである。)

政策オピニオン
中貝 宗治 前・豊岡市長、一般社団法人 豊岡アートアクション理事長
著者プロフィール
1954年生まれ。兵庫県立豊岡高校卒。京都大学法学部卒。大阪大学大学院経済学研究科経営学専攻前期課程修了。1978年兵庫県庁入庁。1991年兵庫県議会議員当選(3期)。2001年旧豊岡市長就任。2005年新豊岡市長就任(4期)。コウノトリ野生復帰事業を30年にわたり推進。「深さを持った演劇のまちづくり」とジェンダー・ギャップの解消にも尽力。2021年豊岡アートアクション理事長就任。
豊岡市は「小さな世界都市」を目指し、コウノトリ野生復帰事業、演劇のまちづくり、ジェンダー・ギャップの解消を推進してきた。これらは総じて、豊岡に暮らす「突き抜けた」価値を作る地方創生戦略であった。

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