公海の生物多様性と海洋遺伝資源をめぐる国連での議論

公海の生物多様性と海洋遺伝資源をめぐる国連での議論

2019年9月24日

 国家の管轄権が及ぶ陸上と排他的経済水域においては、1993年に発効した生物多様性条約(CBD)が生物多様性の保存と持続可能な有効利用、そしてその利用から得られる利益の公平な配分を目的とした国際的な法制度を提供している。しかし、国家管轄権外の生物多様性については法的な空白が存在することが認識されてきており、約15年にわたり国連の場を中心に「国家管轄権外の生物多様性(BBNJBiodiversity beyond National Jurisdiction)」の保全管理についての議論が行われてきた。
 BBNJに関する新たな国際法制度を作る方向で議論が動き出したのは2012年にリオデジャネイロで開催された国連持続可能な開発会議(リオ+20)である。それまでも公海域での漁業の規制、生物多様性の保護、海洋遺伝資源の開発可能性などについて懸念や関心が表明されてきていたが、法的枠組みの設定に向けて議論が動いたのがリオ+20の成果文書である「我々の望む未来(The Future We Want)」の採択であった。
 BBNJの法的枠組みに関する関心は多様であり、時に矛盾をはらんでいる。G77+中国と呼ばれる発展途上国に中国を加えたグループの最大の関心は公海の生物多様性や海洋遺伝資源から得られる利益の配分と、能力開発・海洋技術移転である。環境保護団体とその働きかけを受けた欧州共同体(EU)の関心は、公海に海洋保護区を設立するための法的枠組みを作ることであり、また、公海における活動に対する環境影響評価の導入を強く求めている。他方、日本、米国、ロシア、カナダなどは公海における生物資源の開発や利用、その調査研究活動に規制や制限が加えられることを懸念しており、第3のグループを形成している。
 リオ+20以来、国連を舞台として4回の準備会合と3回の政府間会合がすでに開催されている。本年(2019年)8月に開催された第3回政府間会合では、それまでの議論を受けて整理されたBBNJ協定の具体的な規定案に基づいた議論が二週間にわたって行われたが、協定の重要な要素を左右する基本的な概念を含めて意見の隔たりが大きく、交渉の今後の見通しは混とんとしている。
 BBNJ交渉は、(1)利益配分の問題を含む海洋遺伝資源、(2)海洋保護区(MPA)を含む空間ベースの管理手法、(3)環境影響評価(EIA)、(4)キャパシティービルディングと海洋技術移転、そして(5)横断的問題の5分野について議論が行われているが、それぞれの分野に多数の論点があり、極めて広範で多様な論議が交わされている。それぞれの分野における主要論点を紹介してみたい。
 まず、「利益配分の問題を含む海洋遺伝資源」の論点であるが、そもそも「海洋遺伝資源」の定義について合意がない。これは漁業資源としての魚を含むのか、海洋遺伝資源から作られる派生物を含むのか、さらにDNA塩基配列などの遺伝情報(データ)は含まれるのか。また、極めて根本的な問題として、海洋遺伝資源を人類共通の財産として位置付けるのか、あるいは、無主物とみて開発した者がそこから生ずる利益を享受できるとみるのか。もし前者とすれば、国際ルールの下で公海の海洋遺伝資源へのアクセス規制や制限が導入されることが予想されるが、これは国連海洋法条約にうたわれている公海自由の原則と矛盾しないのか。仮に利益配分が合意されるとすれば、それは金銭ベースであるのか、資源へのアクセス提供を意味するのか、といった問題がある。
 「MPAを含む空間ベースの管理手法(ABMT)」の論点においても、その定義に合意がない。推進派はABMTを公海で設置するためのグローバルな枠組みを支持しているが、日本などはすでにそのような機能を持つ既存の国際機関があることなどを指摘し、重複やBBNJと既存機関の矛盾の可能性に懸念を持っている。前者となる場合には、運営(提案、管理措置の実施、監視取締、科学情報の収集、評価など)のための新たなメカニズムや組織などの必要性、そこでの意思決定の必要性と方式などが問題となりうる。また、政策決定のためには科学情報の提供と検討が不可欠であろうが、それをどのように確保するのかという課題も重要である。
 「環境影響評価(EIA)」の論点としては、まず、EIAの対象活動をどのように定めるのかという問題がある。限定列挙か、原則実施か、EIA免除リストを作成するか。何らかの選択を行うとすれば、EIAを必要とする活動の判断のための指標、クライテリア、閾値なども必要である。EIA実施のためのステップ(範囲決定、情報収集、評価、参加者、透明性など)も明確になっていない。さらに、MPAと同様に、既存の機関、仕組みが行う同様の評価との関係も整理することが求められよう。
 途上国の最大関心事である「キャパシティービルディングと海洋技術移転」の論点にも枚挙にいとまがない。その対象は広範なものとするか、BBNJにかかわる限定的なものとするか。ニーズをいかに特定するか。知的財産権に抵触しないか。海洋技術の定義と範囲も必要である。財源をいかに確保するのか。支援組織は必要か。既存の支援プログラムとの調整、重複回避をいかに確保するか。
 次回の政府間会合は20203月から4月にかけて開催される。予断は許されないが、上記の広範な論点すべての収束は控えめに見ても極めて多難である。今後の展開に注目していきたい。

政策オピニオン
森下 丈二 東京海洋大学教授
著者プロフィール
1957年大阪府生まれ。京都大学農学部卒。米ハーバード大学大学院修了(行政学修士)。農学博士。1982年に水産庁に入庁し、国連環境開発会議、ワシントン条約会議など環境問題を担当した他、在米日本大使館において捕鯨問題・大西洋マグロ保存国際委員会等日米漁業交渉を担当。その後、国際捕鯨委員会(IWC)日本代表団として活躍、水産庁参事官、水産総合研究センター国際水産資源研究所長等を歴任。現在、東京海洋大学教授。専門は水産政策、国際海洋政策。

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