援助理念としての「人間の安全保障」の経緯と評価

援助理念としての「人間の安全保障」の経緯と評価

2019年9月25日

<梗概>「人間の安全保障(Human Security)」の概念は、抽象度の高い外来の概念が高位の目標ないし重要な視点として設定された点で、日本の「援助理念」として特異な性格を有する。筆者は、国際協力機構(JICA)研究所で2016年度から進行中の研究プロジェクト「日本の開発協力の歴史」のためのバックグラウンドペーパー(以下では、ペーパー)執筆の委嘱を受け、外務省とJICAの文書を検討することにより、日本の援助理念としての「人間の安全保障」に関わる言説と活動の経緯を跡付け、活動における成果/意義と限界を明らかにすることを試みた。

三つのアクターと活動評価文書

 開発援助に関わるアクターとして、「援助理念」と「実施方針」の大枠の提示に携わる「政策立案者」、「実施方針」を詳細に規定し「実地活動」案件の策定/選定を行う「政策翻訳者」、そして、「実地活動」案件の実施を担当する「政策適用者」、の三つのレベルを明示する。これら三つのレベルを通じて、「言葉による統治」が建前として存在する。他のすべての分野での政策と同様に、開発援助政策は官僚機構という「言葉の世界(言語界)」で策定される。「援助理念」と「実施方針」の大枠では、政策目的/目標と方法/手段が言葉により表現され、相互に関連付けられる。「実施方針」では、実施のための方法/手段の詳細が言葉により表現される。「実地活動」にあたっても、それを律すべき方針とそれが実現すべき目標 (さらには貢献すべき目的) が、活動に先立ち言葉により表現される。
 日本の開発援助体制において、「政策立案者」の立場にあるのは外務省の企画担当部局であり、「政策翻訳者」の立場にあるのは、外務省の個別分野担当部署と、国際協力機構(JICA の経営層および企画担当部局と、である。「政策適用者」の立場にあるのは、JICAの個別分野担当部署と案件実施を担う現場チームとである。
 2003101日、JICA30年近い国際協力事業団としての歴史を閉じ、独立行政法人国際協力機構に改組された。新生JICAのガバナンスの体制は、すべての独立行政法人に共通のルールを定めた「独立行政法人通則法」に準拠する。実際の方式としては、中期目標と中期計画などの文書に基づく中期での目標管理・事後評価が業務運営の基本とされ、それまでの主務大臣による業務全般にわたる監督は原則として廃止された。
 外務省がJICAを統治するガバナンス体制の運用方法として、次のような手続がふまれる。

<中期(35年)>
・外務大臣による中期目標の提示
JICAによる中期計画の作成、外務大臣による認可
・外務省独立行政法人評価委員会による中期目標に関する業績評価
・外務大臣による組織、業務全般に関する検討と措置

<各年度>
JICAによる年度計画の作成、外務大臣へ届出
JICAによる事業運営
・外務省独立行政法人評価委員会による業績評価

 上記のペーパーでは、外務省が作成する「大綱」、「中期政策」、「重点方針」、そしてJICAに関する「中期目標」と、JICAが作成する「中期計画」とそれに対応する「業務報告」、「年度計画」「事業運営」に対応する「業務報告」、を主な検討対象とした。上記文書のうち、「中期目標」は「政策立案」に、「中期計画」と「年度計画」は「政策翻訳」に、「事業運営」は「政策適用」、にそれぞれ対応する。これらのうち、最後のもの(「事業運営」=「政策適用」)のみが直接に現実界に関わり、それに先立つ他のすべては基本において言語界での文書作成作業の産物である。そして、「事業運営」にも「業務報告」などの文書作成作業が伴うので、言語界との関わりは不可避である。

「人間の安全保障」概念の起源

 日本の「人間の安全保障」の概念の起源を、国連開発計画(UNDP)の『人間開発報告書(HDR)』の1994年版に求めるのが妥当である。 HDR 1994年版には、次の記述がある(p.23)。

Human security can be said to have two main aspects. It means first safety from such chronic threats as hunger disease and repression. And second it means protection from sudden and hurtful disruptions in the patterns of daily life.

 ここに述べられているように、“human security” という語句は、「安全(safety)」と理解さるべきときもあれば、「保護(protection)」と理解さるべきときもあり、この語句を常に「人間の安全保障」と訳すのは適切ではない。換言すれば、“human security” という語句は、「人間の安全」という状態を指す場合もあれば、「人間の安全を保障すること」という行動を指す場合もある。この点については、後に立ち返り論ずることがある。
 日本の援助理念としての「人間の安全保障」の歴史の上で、1998年は画期をなす。同年5月シンガポールでの外相としての演説に続き、12月に小渕首相は東京とハノイでの演説で“survival livelihood and dignity”(「生存・生活・尊厳」)の3点セットからなる「人間の安全保障」を中心概念として打ち出した。この背景にはこの概念を唱導する武見敬三政務次官の影響があった。「人間の安全保障」の概念の政策への導入と定着にあたっては、小渕と武見という外務省最上層からのトップダウンの「理念」が、行政官としてこの概念の有用さに関心を抱いていた上田秀明国際社会協力部長という外務省内統括部門の長により受けとめられ、そして「日本の考え方」に立った「日本の政策」が官僚機構により策定された、という経緯があった。この3人のうちのどの1人が欠けても、日本の開発援助の理念として「人間の安全保障」がこれだけの重要さを持つことはなかったであろう、と推察される。
 20009月の国連総会での演説で森 喜朗首相は、「我が国は、『人間の安全保障』を外交の柱に据え、21世紀を人間中心の世紀とするために全力を挙げていく考えです」と述べ、「世界的に著名な有識者の参加を得て、人間の安全保障のための国際委員会を発足させ、こうした取組に対する考え方を更に深めていきたい」、との考えを示す。これを踏まえ、20011月に人間の安全保障委員会の設置が発表され、同年6月に活動を開始し、20035月に報告書 Human Security Now(邦訳『安全保障の今日的課題―人間の安全保障委員会報告書』朝日新聞社 2003年)が出された。この後、「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」を唱えるこの報告書は、日本政府およびJICAにとって、「人間の安全保障」についての基本参照文書とされる。
 報告書では、「人間の安全保障」という用語を次のように定義している(p.4、日本語版である人間の安全保障委員会(2003)にある訳文も併記する)。

to protect the vital core of all human lives in ways that enhance human freedoms and human fulfilment
(人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現すること)

 本報告書の独自の貢献として、Protection and Empowerment(「保護と能力強化」と訳されている)を政策パッケージとして提示したことがある。「保護と能力強化」とパッケージにされている「能力強化」は、脅威に対処するという状況に限定してのものであり、ありとあらゆる「能力強化」を指すものではない。外務省およびJICAの「能力強化」という言葉の使い方は往々にして無限定であり、広範な開発プロジェクトを「人間の安全保障」と関連付ける途をひらき、結果として「人間の安全保障」の概念を曖昧なものとしている。

「人間の安全保障」理念の限界とその課題

 「人間の安全保障」委員会の共同議長の1人であり、200310月から8年半にわたりJICAの理事長を務めた、緒方貞子の「人間の安全保障」についての関心と見解を見ておこう。 国連難民高等弁務官(UNHCR)であった緒方にとって、難民、とくに国内避難民、をどのように保護するか、が最大の課題であり、その「人間の安全保障」の考え方は、現場での課題に応えるところから始まった。 緒方の当初の関心は、難民保護の活動において人道支援と開発援助を統合するための概念枠組を設けることであり、両者の相互乗り入れの根拠を与えうる政策概念の模索であり、理念というよりは実際上の必要に応えるものであった。そして、人道支援の現場から発するこのような緒方の強調点は、HDR1994そして開発援助全般での発想とは明らかに異質のものであった。
 「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」を唱え、最上位の価値として「人間の安全」を掲げ、生命・生活・尊厳の確保を究極の目的として置くことには、「保全」を「開発」に先立つものとして位置付け、脅威に対する事前および事後の対応を重視し優先する、という独自の意義がある。さらに、その目的を実現するための方法/手段の策定ないし選択に当たり保護とエンパワーメントを強調するという「視点」としても、「人間の安全保障」には新たな独自の意義がある。
 しかし、日本においては、理念としての「人間の安全保障」は、「目的」と「視点」との違いが意識・自覚されることなく、混然一体として語られてきた。そして、「目的」に重点が置かれるときには、「人間の安全の確保」(マイナスの防止ないし緩和)が最上位の価値として設定されることはなく、常に「開発」(プラス方向への変化)志向に従属させられてきた。「視点」としての用法においては、「人間の安全保障」に固有でない特徴がそうであるかのように提示され、「人間」が重視される一方、「安全」とその「保障」はほとんど無視された。これらはいずれも、理念としての「人間の安全保障」の(「開発」とは異なる)独自の意義を弱め損なうものであった。このような偏向および不全は、故意になされたのかもしれず、あるいは無意識・無自覚になされたのかもしれない。いずれにせよ、「人間の安全保障」の理念は宙に浮き、枕詞としてのみ用いられることとなり、組織としてのJICAの実地活動に影響を及ぼすことはなかった。
 開発援助の理念としての「人間の安全保障」の過去20年の歴史は、トップダウンでの導入と組織としての適応の試み、そして結果としては棚上げ、という推移を示した。外務省の主関心は「外交」であり「開発援助」ではない。「人間の安全保障」は外交上のシンボルとして位置付けられ用いられた。その一方、開発援助の理念としての適用が持続して追求されることはなかった。「重点課題」の設定は一貫せず、実施上の「視点」あるいは「ポイント」とその運用方法は不適切であり、改革の柱としての「人間の安全保障」という理念が、個別事例を別として、組織としてのJICAの実地活動の変化を導き律することはなかった。JICAでは、平和支援への関与を重視する緒方の関心や構想と、開発プロジェクト指向の組織文化との間での折り合いがつけられず、「人間の安全保障」の理念は宙に浮き、結局は棚上げされた。このような推移を辿った理由としては、プロジェクト志向の壁、開発志向の壁、組織風土の壁、組織風土改革への不適切な戦略/指導姿勢、といった要因があったものの推測される。
 「理念」としての「人間の安全保障」は、現実界での援助の実地活動には有意な影響を及ぼさなかった。これは、理念 (「言語界」)が実地活動 (「現実界」)を律することはない、という日本の援助の特色をあらためて示すものであった。

 

(注)本稿での見解の背景にある検討の詳細については、柳原 透「『人間の安全保障』に見る日本の援助の特色―外務省・JICA文書のレビューより」(近刊『日本の開発協力の歴史バックグラウンドペーパー』シリーズ、JICA研究所)を参照されたい。

政策オピニオン
柳原 透 拓殖大学名誉教授
著者プロフィール
1948年生まれ。1971年東京大学教養学部卒業、1976年イェール大学大学院博士課程修了。アジア経済研究所研究員、法政大学経済学部教授、アジア開発銀行研究所特別顧問、拓殖大学国際学部教授を経て、2018年より現職。この間、政府・国際機関の国際協力に関わる調査研究に数多く携わる。専門は、開発経済学、開発援助論、中南米経済。主な著書に“Challenges to Japan’s ODA under the Changing Climate of International Cooperation: A Case Study on Bolivia”『国際開発学研究』(2009年)、「「開発援助レジーム」の形成とその意義」『海外事情』(2008年)、『ボリビア国別援助研究報告書』(編著)国際協力機構(2004年)、訳書に『貧困の経済学』(上・下)(2018年)など。

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