人間の安全保障と日本の外交政策

人間の安全保障と日本の外交政策

2017年12月7日

1.はじめに

 人間の安全保障は、一人一人の人間を中心に据えて、脅威にさらされ得る、あるいは現に脅威の下にある個人及び地域社会の保護と能力強化を通じ、各人が尊厳ある生命を全うできるような社会づくりを目指す考え方である。具体的には、紛争、テロ、犯罪、人権侵害、難民の発生、感染症の蔓延、環境破壊、経済危機、災害といった「恐怖」や、貧困、飢餓、教育・保健医療サービスの欠如などの「欠乏」といった脅威から個人を保護し、また、脅威に対処するために人々が自らのために選択・行動する能力を強化することである。
 人間の安全保障は、今や日本外交の柱の1つになっている。筆者は、外務省の国際社会協力部長(1998-2000年)として、人間の安全保障を最初に日本の外交政策の中に位置づけ、実践していく役割を担った。

2.人間の安全保障の考え方が出てきた背景

 このような考え方が出てきた背景としては、90年代の初めころから世界各地で民族問題をはじめとするさまざまな紛争が顕在化し、武力紛争や騒動が発生し、多くの住民が殺傷され、難民となるなど悲惨な事例が多発したことがある。冷戦の終結により、米ソ両大国による各陣営の締め付けが解消したことから、蓋をされていた問題が顕在化したことや資源をめぐる利権争いが原因であろう。特に、東側では、マルクス・レーニン主義の「民族人種の平等、民族対立の解消」という建前の欺瞞が暴露され、虐げられていた少数民族に開放感と民族的アイデンティティの高揚がみられた。ソ連邦の解体により、バルト諸国、ウクライナ、白ロシア、モルドヴァ、コーカサス諸国、中央アジア諸国が独立したが、他方でロシア連邦内の諸民族の独立は認められず、コーカサスの少数民族には不満が残り、チェチェン紛争となっていく。また、チトーの死後も何とか統一を保ってきたユーゴスラヴィア連邦では皮肉なことにソ連の崩壊で「敵」を見失い、連邦はばらばらになり、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボと各地でセルビア系と各民族が互いに入り乱れて悲惨な戦闘を続ける始末となった。
 アフリカではエチオピア、アンゴラなど社会主義政権の崩壊があり、また資源をめぐる利権争いも絡んで、ソマリア、エリトリア、アンゴラ、ルワンダ、コンゴ、シエラレオネなど各地で紛争・民族対立が激化した。アジアでは、東チモールの独立運動が再燃した。中東では、イラクによるクウェート侵攻が起こり、湾岸戦争が戦われた。
 これらの紛争により、一般市民、特に女性や子供が犠牲者となり、大量の難民、避難民が発生し、「民族浄化」というおぞましい事例までが起こった。しかもこのような悲惨な状況がCNNやBBCの報道により世界中の人々の目に連日飛び込んでくる事態となった。
 冷戦の終焉は、また世界単一市場への動きを促し、情報革命を一層進行させ、グローバリゼーションという大きなうねりを加速した。これにより、世界各地で経済発展が加速され、数億人の人々が恩恵を受けることになったが、同時にこのプロセスに乗り切れなかったり、取り残される人々も出現した。ボーダレス経済が進めば、経済危機が瞬時に国境を超える危険性も増大した。97-98年のアジア経済危機に際して、インドネシア、タイなどではソーシヤル・セーフテイ・ネットが未整備であったため、職を失ったり、市場からはじき出された人々が困難に直面することになった。
 さらにヒト・モノ・カネが国境を越えて迅速に移動する裏で、不法な動きも活発化し、麻薬取引、人身売買、武器の密輸、マネー・ロンダリング、コンピューター犯罪など国際組織犯罪が横行した。国際テロ活動も各地で目立つようになり、各国は対策に苦慮する。また、AIDs/HIVの蔓延に加えて、新型インフルエンザなどの新たな感染症の危険が現実のものとなり、人類は、SARS対応に追われた。また、地球規模の環境問題がますます深刻化しており、とりわけ温暖化対応が喫緊の課題となってきた。
 これらの脅威は、いわばグローバリゼーションの影の部分ともいうべき課題で、放置しておけばやがて人間社会を根底から覆しかねない問題であるのだが、従来の国家安全保障の課題とは必ずしも一致せず、また既存の軍事力を中心とする安全保障の対処では対応できない。また、これらの課題は国境を超えて地球規模での対応を必要としており、1国だけでは対処しきれないものが多い。そこで従来の安全保障の方法ではない新たなアプローチが必要ではないかとの疑問が出てきたのである。

3.UNDPの人間開発報告書

 新しいアプローチの口火を切ったのはUNDP(国連開発計画)である。例年発出してきた「人間開発報告書」(Human Development Report)の94年版で、「人間の安全保障という新しい考え方」が必要だとして、原爆投下から50年たった今、「私達は、あらためて考え方を根底から変える必要に迫られている。核の安全保障から『人間の安全保障』へと頭をきりかえなくてはならない。冷戦のため、安心して日常生活を送りたいという普通の人々に対する正当な配慮はなおざりにされてきた。多くの人にとって安全とは、病気や飢餓、失業、犯罪、社会の軋轢、政治的弾圧、環境災害などの脅威から守られることを意味している。人間の安全保障は武器へ関心を向けることではなく人間の生活や尊厳にかかわることである。人間の安全保障という考え方は単純ではあるが、21世紀の社会に大変革をもたらすカギとなるのではないか。」と提起した。
 その際、基本概念を考察するにあたっての4つの特徴として、世界共通の問題、相互依存の関係、早期予防の有効性、人間中心・人々の自立重視を挙げた。その構成要素として、国連憲章にいうところの「恐怖からの自由と欠乏からの自由」を指摘し、前者が重視されがちだったが、後者も考慮されるべきであり、「いまこそ国家の安全保障という狭義の概念から、人間の安全保障という包括的な概念に移行すべき時である。」として、領土偏重の安全保障から人間を重視した安全保障へ、すなわち軍備による安全保障から「持続可能な人間開発」による安全保障へ切り替えるように主張した。
 UNDPは、この考え方を95年のデンマークでの社会開発サミットで採択される国際文書の基礎とすることを企図したが、サミットで言及はあったもののこの段階ではまだ大きな支持は得られなかった。これは新しいアプローチの提案であったが、経済開発の専門家集団の理想論として扱われた嫌いがあり、他方で途上国は自らの「発展の権利」を重視し、いかなるアプローチにせよ、世銀グループや国連ファミリーの勧めを「内政干渉」ととる傾向あったためである。

4.小渕総理のリーダーシップ

 UNDP の提案に対して日本は否定的ではなく、村山総理はデンマークでの演説で、「人にやさしい社会」の創造を目指すとし、「人間優先の社会開発を重視すべきである」と述べている。また97年の国連環境開発特別総会で、橋本総理は、地球環境問題に取り組むに当たって、「将来の世代に対する責任」と「人類の安全保障」の2つの観点を強調した。
 しかしながら、人間の安全保障を日本外交の中心にすえていったのは、何と言っても小渕外相(のち総理)である。小渕外相のリーダーシップで97年の対人地雷禁止条約に防衛当局や米軍の懸念を押し切って日本も加わったとされているが、そのころアジアを経済危機がおそい、各国で弱者が困難に直面していた。98年5月、小渕外相はシンガポールで演説し、社会的弱者に対する思いやり、人間中心の対応が重要であると訴えた。総理に就任後の98年12月2日、「アジアの明日を創る知的対話」で人間の安全保障をテーマにスピーチをし、「人間の安全保障の観点に立って社会的弱者に配慮しつつ、アジア経済危機に対処することが必要であり、この地域の長期的発展のためには人間の安全保障を重視した新しい経済発展の戦略を考えていかなければならない。」と述べた。続いて、12月16日、ハノイでの政策スピーチ「アジアの明るい未来の創造に向けて」において、アジアにおける平和と安定、主要国間の協調関係を基盤として努力すべき分野の一つに人間の安全保障を重視するとして、「人間の安全保障基金」を国連に設置するために5億円の拠出を表明した。さらに99年1月、施政方針演説において「人間の安全保障について内外政全般にわたる日本の責務」であると述べた。
 この後、小渕総理は、韓国や米国での政策演説において、またアイスランドでの日北欧首脳会談においても人間の安全保障に言及し、99年12月、国際問題研究所40周年記念シンポジウムでもこの取り組みを推進する旨述べた。

5.人間の安全保障基金

 日本のODAはかねてよりベーシック・ヒューマン・ニーズと人材育成を重視してきており、人間の安全保障の考え方を導入することにより、さらに方向が定まると考えられた。
 その具体的ツールとして、いわゆるマルチの協力で、国連に「人間の安全保障基金」を設けることとし、98年秋の補正予算で5億円が計上された。これは、国連の諸機関が(場合により、各国やNGOとの共同で)実施するプロジェクトで人間の安全保障の考え方に沿う案件を推進しようというもので、実態上日本の意向に沿って支出されることになっている。小渕総理がこの基金への拠出についてハノイで表明したのである。
 その後日本は累次にわたり追加し続け、2016年度までに累計約453億円を拠出してきており、支援案件は、90カ国・地域において238件(16年12月現在)に上っている。
 99年8月に改訂されたODA中期政策では、基本的考え方の中で「人間中心の考え方に基づき、後発開発途上国(LDC)に特に配慮する。さらに、環境の悪化や飢餓、薬物、組織犯罪、感染症、人権侵害、地域紛争、対人地雷といった種々の脅威から人間を守る「人間の安全保障」の視点に十分留意していく。」とされ、人間の安全保障が重要な柱とされた。
 2000年春に小渕総理が急逝されたが、続く森総理、小泉総理も引き続き人間の安全保障を推進された。
 私は、2000年4月に国社部長からポーランド大使に転出したので、この後は、後任の部長達がフォロウしてくれた。

6.人間の安全保障委員会

 2000年のミレニアム・サミットにおいて、コフィ・アナ事務総長は、「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」の2つの目標達成を呼びかけた。日本はこれに対して報告を行う目的で、ミレニアム総会で森総理より提案し、「人間の安全保障委員会」を2001年1月に設立した。緒方貞子前国連難民高等弁務官とアマルティア・セン教授を共同議長とする委員会は、人間の安全保障の概念構築と国際社会の取り組むべき方策について提言する目的で会合を重ね、03年5月に最終報告書を事務総長に提出し、人間の安全保障は、国家の安全保障の考え方を補い、人権の巾を広げると共に人間開発を促進し、多様な脅威から個人や社会を守るだけでなく、人々が自らのために立ち上がれるようにその能力を強化することを目指すとして、つぎの具体的な提案を行った。
 1.暴力を伴う紛争下にある人々を保護すること
 2.武器の拡散から人々を保護すること
 3.移動する人々の安全確保を進めること
 4.紛争後の状況下で人間の安全保障移行基金を設立すること
 5.極貧下の人々が恩恵を受けられる公正な貿易と市場を支援すること
 6.普遍的な生活最低限度基準を実現するための努力を行うこと
 7.基礎保健サービスの完全普及実現により高い優先度を与えること;特許権に関する効率的かつ衡平な国際システムを構築すること
 8.基礎教育の完全普及により全ての人々の能力を強化すること
 9.個人が多様なアイデンティティを有し多様な集団に属する自由を尊重すると同時に、この地球に生きる人間としてのアイデンティティの必要性を明確にすること
 この報告書は、人間の安全保障についての国際社会の共通認識となり、その提言を後押しし、人間の安全保障基金の運用に助言するために、人間の安全保障諮問員会が設けられている。

7.2005年国連首脳会合成果文書

 (1)人間の安全保障委員会の報告を受けて、日本としては、05年の国連首脳会合(ミレニアム総会のレビユー)の成果文書に人間の安全保障を盛り込むべく運動した。日本の「人間の安全保障」とカナダの「保護する責任」の概念整理が課題となったが、結果的には、両概念とも成果文書に含められた。
 人間の安全保障については、パラグラフ143で、「我々は、人々が、自由に、かつ尊厳を持って、貧困と絶望から解き放たれて生きる権利を強調する。我々は、全ての個人、特に脆弱な人々が、全ての権利を享受し、人間としての潜在力を十分に発展させるために、平等な機会を持ち、恐怖からの自由と欠乏からの自由を得る権利を有していることを認識する。このため、我々は、総会において人間の安全保障の概念について討議し、定義づけを行うことにコミットする。」として明確に言及された。
 (2)カナダの主張は、「保護する責任」として次のように定義された。
 138. 各々の国家は、大量殺戮、戦争犯罪、民族浄化及び人道に対する犯罪からその国の人々を保護する責任を負う。この責任は、適切かつ必要な手段を通じ、扇動を含むこのような犯罪を予防することを伴う。我々は、この責任を受け入れ、それに則って行動する。国際社会は、適切な場合に、国家がその責任を果たすことを奨励し助けるべきであり、国連が早期警戒能力を確立することを支援すべきである。
 139. 国際社会もまた、国連を通じ、大量殺戮、戦争犯罪、民族浄化及び人道に対する犯罪から人々を保護することを助けるために、憲章第6章及び8章にしたがって、適切な外交的、人道的及びその他の平和的手段を用いる責任を負う。この文脈で、我々は、仮に平和的手段が不十分であり、国家当局が大量殺戮、戦争犯罪、民族浄化及び人道に対する犯罪から自国民を保護することに明らかに失敗している場合は、適切な時期に断固とした方法で、安全保障理事会を通じ、第7章を含む国連憲章に則り、個々の状況に応じ、かつ適切であれば関係する地域機関とも協力しつつ、集団的行動をとる用意がある。我々は、総会が、大量殺戮、戦争犯罪、民族浄化及び人道に対する犯罪から人々を保護する責任及びその影響について、国連憲章及び国際法の諸原則に留意しつつ、検討を継続する必要性を強調する。我々はまた、必要に応じかつ適切に、大量殺戮、戦争犯罪、民族浄化及び人道に対する犯罪から人々を保護する国家の能力を構築することを助け、また、危機や紛争が勃発する緊張に晒されている国家を支援することにコミットする考えである。
 (3)人間の安全保障フレンズ
  2006年日本は、人間の安全保障に関する共通理解の構築及び国連の諸活動におけるこの理念の主流化に向けた協力を模索するために関心国・機関と人間の安全保障について議論する場として、ニューヨークベースの非公式・自由なフォーラムである「人間の安全保障フレンズ」の立ち上げを主導した。
  2008年5月には総会のテーマ別討議で人間の安全保障が初めて議題とされて各国が議論に加わった。これらの動きは、これまでの人間の安全保障の分野での日本の努力が国際社会で認められた証左といえる。

8.日本のODA政策

 (1)日本は,21世紀の国際協調の理念として「人間の安全保障」を掲げ、その推進に努力している。 日本政府は,人間の安全保障の推進のために国内・国際社会における人間の安全保障の概念の普及と支援を通した人間の安全保障の現場での実践の両面から様々な取組を行っている。
 2003年8月に改訂されたODA大綱においては、基本方針の(2)「人間の安全保障」の視点として、「紛争・災害や感染症など、人間に対する直接的な脅威に対処するためには、グローバルな視点や地域・国レベルの視点とともに、個々の人間に着目した『人間の安全保障』の視点で考えることが重要である。このため、我が国は、人づくりを通じた地域社会の能力強化に向けたODAを実施する。また、紛争時より復興・開発に至るあらゆる段階において、尊厳ある人生を可能ならしめるよう、個人の保護と能力強化のための協力を行う」と謳われた。
 (2)ついで、新しいODA中期政策(2005年2月4日)において、「『人間の安全保障』は、一人一人の人間を中心に据えて、脅威にさらされ得る、あるいは現に脅威の下にある個人及び地域社会の保護と能力強化を通じ、各人が尊厳ある生命を全うできるような社会づくりを目指す考え方である。具体的には、紛争、テロ、犯罪、人権侵害、難民の発生、感染症の蔓延、環境破壊、経済危機、災害といった『恐怖』や、貧困、飢餓、教育・保健医療サービスの欠如などの『欠乏』といった脅威から個人を保護し、また、脅威に対処するために人々が自らのために選択・行動する能力を強化することである。」と定義された。
 そして、「我が国としては、人々や地域社会、国が直面する脆弱性を軽減するため、人間の安全保障の視点を踏まえながら、貧困削減、持続的成長、地球的規模の問題への取組、平和の構築という4つの重点課題への取組を行うこととする。」とされた。
 その上で、「人間の安全保障」の実現に向けた援助のアプローチ として、「人間の安全保障」は開発援助全体にわたって踏まえるべき視点であり、(イ)人々を中心に据え、人々に確実に届く援助(ロ)地域社会を強化する援助(ハ)人々の能力強化を重視する援助(ニ)脅威にさらされている人々への裨益を重視する援助(ホ)文化の多様性を尊重する援助(へ)様々な専門的知識を活用した分野横断的な援助、が重要であるとされた。
 (3)これとともに、草の根無償資金協力のスキームが人間の安全保障・草の根無償資金協力のスキームに発展的に拡充された。通常の無償資金協力は、日本政府と相手国政府の間の合意に基づいて実施されるが、このスキームは、日本の在外公館長と現地の地方政府やNGOなどとの間の合意に基づいて実施される。
 規模は1件当たり1000万円以下であるが、現在で年間予算が100億から130億円で、1000件から1250件のプロジェクトが、145の国や地域で実現されている。

9.日本の一貫した政策

 (1)日本の政権は、森内閣、小泉内閣、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣と自民党政権は続いたが、いずれも人間の安全保障を外交政策の重要な柱とした。
 筆者は、2000年から2003年まで駐ポーランド大使を務め、2003年から04年は外務省研修所長であったが、2003年の人間の安全保障委員会の報告書発表に際しては、緒方貞子氏他が出席したシンポジウムに参加した。
 その後、2005年から2007年まで駐オーストラリア大使を務め、2007年末に退官したが、請われて、2008年から13年まで、外務省参与・人権人道担当大使を務めたので、再び人間の安全保障にもかかわることとなった。
 2009年に麻生内閣に替わり、民主党の鳩山政権が成立した。民主党政権は安定せず、鳩山内閣に続き、1年ごとに菅内閣、野田内閣に替わった。
 民主党政権の外交政策は経験不足のところがあったが、人間の安全保障は、主要な柱とされ続けた。筆者は、人権人道担当大使を続け、玄葉外相に人間の安全保障についてブリーフする機会もあった。
 2012年、自民党が政権に復帰し、安倍内閣が成立し、人間の安全保障は、外交政策の主要な柱として岸田外相の下で推進された。
 筆者は、翌2013年秋に外務省参与・人権人道担当大使を退任した。

 (2)開発協力大綱
 2015年2月、ODA大綱が「開発協力大綱」として改訂され、人間の安全保障が、次のように重要視されている。
基本方針
 イ 人間の安全保障の推進
 個人の保護と能力強化により,恐怖と欠乏からの自由,そして,一人ひとりが幸福と尊厳を持って生存する権利を追求する人間の安全保障の考え方は,我が国の開発協力の根本にある指導理念である。この観点から,我が国の開発協力においては,人間一人ひとり,特に脆弱な立場に置かれやすい子ども,女性,障害者,高齢者,難民・国内避難民,少数民族・先住民族等に焦点を当て,その保護と能力強化を通じて,人間の安全保障の実現に向けた協力を行うとともに,相手国においてもこうした我が国の理念が理解され,浸透するように努め,国際社会における主流化を一層促進する。また,同じく人間中心のアプローチの観点から,女性の権利を含む基本的人権の促進に積極的に貢献する。

10.共通認識

 2010年5月20日、21日、国連総会において人間の安全保障の公式討議が初めて行われ、7月には事務総長に報告を求める総会決議が採択された(A/64/291)。
 事務総長は、12年4月にそれまでの国連における議論を踏まえ、特に途上国側の意向を考慮しつつ、保護する責任とは一線を画し、定義づけを試みた報告書を発表した(A/66/763)。これに基づき、6月には総会で公式討議も行われた。
 そして、12年9月6日に、日本ほかが、総会に人間の安全保障の共通理解について決議案を提出し、9月10日コンセンサスで採択された。これにより、人間の安全保障についての定義が定まったもので、かねて日本が主張してきたように、人間の安全保障とは、人々が自由と尊厳の内に生存し,貧困と絶望から免れて生きる権利であり、すべての人々、特に脆弱な人々は、すべての権利を享受し人間としての可能性を開花させる機会を平等に有し、恐怖からの自由と欠乏からの自由を享受する権利を有するとした上で、さらに具体的に定義づけを行ったもので、人間の安全保障の共通理解として次の諸点があげられた。
 (a)人々が自由と尊厳の内に生存し,貧困と絶望から免れて生きる権利。すべての人々,特に脆弱な人々は,すべての権利を享受し彼らの持つ人間としての可能性を開花させる機会を平等に有し,恐怖からの自由と欠乏からの自由を享受する権利を有すること。
 (b)人間の安全保障は,すべての人々及びコミュニティの保護と能力強化に資する,人間中心の,包括的で,文脈に応じた,予防的な対応を求めるものであること。
 (c)人間の安全保障は,平和,開発及び人権の相互連関性を認識し,市民的,政治的,経済的,社会的及び文化的権利を等しく考慮に入れるものであること。
 (d)人間の安全保障の概念は保護する責任及びその履行とは異なること。
 (e)人間の安全保障は武力による威嚇若しくは武力行使又は強制措置を求めるものではないこと。人間の安全保障は国家の安全保障を代替するものではないこと。
 (f)人間の安全保障は国家のオーナーシップに基づくものであること。人間の安全保障に関する政治的,経済的,社会的及び文化的な状況は,国家間及び国内並びに時代によって大きく異なることから,人間の安全保障は地域の実情に即した国家による対応を強化するものであること。
 (g)政府は市民の生存,生計及び尊厳を確保する一義的な役割及び責任を有すること。国際社会は政府の求めに応じ,現在及び将来の危機に対処する政府の能力の強化に必要な 支援を提供し補完する役割を担うこと。人間の安全保障は,政府,国際機関及び地域機関並びに市民社会の更なる協調とパートナーシップを求めるものであること。
 (h)人間の安全保障は,国家主権の尊重,領土保全及び本質上国家の国内管轄権内にある事項への不干渉といった国連憲章の目的と理念を尊重して実践されなければならないこと。人間の安全保障は国家に追加的な法的義務を課すものではないこと。

11.日本外交にとっての意味合い

 この画期的な決議の採択は、「人間の安全保障」を外交の柱の1本としてきた日本外交の勝利と言えるものであった。
 国家安全保障は、近代国際政治の歴史を踏まえた上で理論化されており、各国はそれぞれの置かれた安全保障上の現状認識を行い、ハード面、ソフト面の政策を決め、実施してきた。しかし、冷戦中は、各国の国家安全保障はなんといっても米ソ両大国、せいぜい他のP-5を加えた国々の意向、動向によって左右されてきていた。
 日本は、敗戦後米国との同盟の下で「軽武装・経済立国」の路線を採り、国内では非常にいびつな「安全保障論議」が行われてきた経緯から、この分野では国際的に「一人前」とは扱われてこなかった。この路線により、アジア諸国の日本再軍備への「疑心」を薄めてきたメリットは指摘すべきだが、日本は国際場裡では「経済大国」ではあっても伝統的な意味での大国ではない。日本外交は、核廃絶を達成するとの政策を一貫して追求してきている。米国の核の傘のもとで国家安全保障を確保しつつ、この方針を追及するのは一見論理矛盾ともとれるが、経過措置的な現実の下にあると説明できるであろう。
 さらに一貫しているのはODAの実施であるが、これは「相手国の関心」に応えつつ、「情けは他人の為ならず」ともいうべき長期的視野に立った日本の国益追求の路線といえる。
 ここに、人間の安全保障が外交の柱として加わった。これまでの経緯で明らかなように、人間の安全保障論は、国家安全保障論とは異なりすぐれて意図的に打ち出された「政策論」である。誰も正面切って否定できない肯定的な要素からなっており、欧米の言う「人権外交」よりもやや広範で、先進国、途上国のいずれからも「文句を付けにくい」考え方であり、いまや国連ではJapan Brandになっているといえる。
 軍事力による国際貢献の面では限界のある日本としては、ここまで発展してきた「人間の安全保障」を引き続き外交の柱の1本とし、各般の施策を展開することは、厳しい国際環境の下で存在感を示しつつ、日本への信頼感の醸成に資するものであり、長い目で国益を確保していくために有益であると考える。

(本稿は、2017年11月24日に共催した「平和外交フォーラム」における講演(英語)をもとに整理してまとめたものである。)

政策オピニオン
上田 秀明 元駐オーストラリア大使
著者プロフィール
1967年東京大学卒、外務省入省。ハーバード大学大学院修了(MA)、モスクワ大学に研究生として留学後、在ソ連大使館参事官、在米大使館公使、経済協力局審議官、在香港総領事、国際社会協力部長等を経て、2000年駐ポーランド大使、03年外務省研修所長、05年駐オーストラリア大使、08年外務省参与・人権人道担当大使等を歴任。京都産業大学法学部客員教授等も務めた。現在、公益社団法人・日豪ニュージーランド協会会長。

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