政策オピニオン

2017年12月20日

リスク危機マネジメントの発想 ―想定外事態をどう克服するか―

東京都市大学客員教授 宮林正恭
1967年東京大学工学部卒。同年、通商産業省入省。科学技術庁、外務省在米日本大使館、宇宙開発事業団などを経て、95年科学技術庁原子力安全局長、96年科学技術政策研究所長、97年科学技術振興局長、98年理化学研究所理事を務め、2004年千葉科学大学教授、副学長・危機管理学部長を歴任。現在、東京都市大学客員教授、リスク危機マネジメント研究所長。工学博士。専攻は、リスク危機管理論。主な著書に、『危機管理―リスクマネジメント・クライシスマネジメント』『リスク危機管理―その体系的マネジメントの考え方』『リスク危機マネジメントのす
すめ』他。

1.はじめに

 近年、国内外で想定外の事態が数多く発生している。リーマンショックやユーロ危機をはじめ、国内では東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故などが挙げられる。この1年以内では、東芝の経営危機もその一例だ。
 想定を超えた異常事態を「危機」と呼ぶ。危機状態が長引くほど多くの損失を被るため、早急に脱することができるようにマネジメントが必要である。しかし、日本人は危機について深く突っ込んで議論するのを嫌う傾向がある。一方では、危機という言葉を深刻ではないものに対しても使用し、意味をあいまいにしている。そのためか、日本人は危機に対するマネジメントが得意ではない。

1.リスク危機マネジメントの提唱

(1)リスク危機マネジメントの特長

 危機に対するマネジメントには、リスク・マネジメントや危機管理(クライシス・マネジメント)などいくつかの用語があり、どう違うのかなどわかりにくいところがある。それを整理してリスクと危機を関係づけ、それらの概念を明確にしようとしているのが、私の提唱する「リスク危機マネジメント」である。
 リスク危機マネジメントでは、<危機=非常に深刻な困った状態>、<リスク=危機となる潜在的状況>と定義する。「リスク」と「危機」は、「潜在的なもの」と「顕在的なもの」という関係にあり、リスクが発現すると危機になると考える。
 ただし、リスクの定義そのものは近年拡張され、金融や投資の分野では、リスクを「非常に困った状態となる可能性」と「非常にこの好ましい状態となる可能性」と両極端な変化と考えている。
 なお、リスク・マネジメントと危機管理の対象領域については、人によって考え方が異っており、しかもそれぞれが別々にやっていた。これを、リスクと危機の定義を明確にした上で、リスクの取り扱いや危機への対応を統合化してリスクコントロールや危機対応のマネジメントを効果的に実施しようとするのが、私の提唱する「リスク危機マネジメント」である。
 リスク危機マネジメントを進めるに際しては、次の3段階を想定する。その各々の一般的手順を示す。
 ①リスク段階:危機が起こる前の平常時
 ·リスクのリストアップと優先的対処対象の選定
 ·リスクの内容の粗分析と対処方針の決定
 ·リスク分析並びにリスクの軽減方策の策定と実行
 ·危機(リスクの発現)に備えた準備⇒対応方針や緊急行動計画、行動マニュアルの策定、態勢や機材の整備、訓練や演習、リスクに関する情報収集と監視、リスク・コミュニケーションなど。
 ②危機段階:危機が起こって、緊急の危機対応を行い、その対応が終了する時点まで
 ·危機の認知
 ·異常事態(危機)対応行動⇒状況の把握、状況のコントロール、クライシス・コミュニケーション
 ·危機克服のための行動⇒沈静化、クライシス・コミュニケーション(継続)
 ③危機終了段階:危機段階が終了すると再びリスク段階になる
 ·危機管理対応のフォローアップ⇒危機の原因究明、後始末、修復措置、事件の記録の整理と学ぶべきことの抽出、学ぶべきことの水平展開および将来に備えた学習と学習事項の実行など
 リスク危機マネジメントでは、その主目的をリスクが発現して危機になった際の被害を、許容限度以下に抑えることにおく。厳しくマネジメントするほどコストが膨大になるが、リスク危機マネジメントでは危機を極力避けるという発想をしない。リスクをとらない経済活動はいずれ淘汰されるように、リスクを回避し続けることは現実的な選択ではない。リスクを取りながら、万が一リスクが発現して危機段階になった場合に、被害を最小に抑えるという考え方を取る。リスク危機マネジメントでは「得られる利益」「想定される被害」「コスト」のバランスを考慮して、最適な方法を選択し、リスクをコントロールする。
 危機状況になれば、被害の総体が最小となるように行動することになる。危機の拡大を防ぐためのリスク・マネジメントは危機段階でも必要であるが、これまでの危機管理では軽視されがちである。この点についても、リスク危機マネジメントにおいては防止されている。
 リスク危機マネジメントの考え方では、許容限度の範囲であれば危機になることを覚悟し、リスクを取って目的を達成しようとするのを当然とする。経済活動ではチャレンジして積極的にリスクを取ることも必要であるが、リスク危機マネジメントの考え方によれば、この種のチャレンジを阻害することはない。リスク・マネジメントではリスクの最小化に重点が置かれることが多く、リスクを積極的に取ることを推奨していないことが多い。

(2)リスク分析

 リスク段階では、リスクを分析した上で、危機が生じた場合の対応策を考える。リスク分析ではシナリオ・ライティングが中心的手法となる。例えば北朝鮮の暴発という危機を防ぎ、北の核放棄を実現させるという問題は、日本にとって緊急かつ重要である。解決の手段がなくなれば、手遅れになる前に米国は武力攻撃にでるとも言われている。
 北朝鮮問題は私の専門外なので詳細なコメントはできないが、多くの有識者の議論を聞くと懸念を感じざるをえない。この問題についてシナリオ・ライティングした場合に、核放棄後の北朝鮮はどうなるのかについてもよく考察しておくべきだが、この種の議論を殆ど聞かない。これでは十分なリスク危機マネジメントにはなっていない。 
 危機には大きく二種類ある。誰の目から見ても危機であると分かる場合と、誰かが危機だと認識した後に組織としてそれを認める場合とである。前者は災害や事故、外部からの攻撃など、即発的なものを指す。後者は収入の緩やかな減少や競争力の弱体化など、遅行性のものを指す。危機には素早く対応する必要があるが、そのためには危機をいち早く認知する必要がある。リスク監視はそのために必要である。
 東芝の経営危機について、米原子力会社・ウェスティングハウスを買収したことが原因だったという論調をよく耳にする。もちろん、買収の際にリスク分析が不十分だったことも要因としてあげられる。一方で、業界で生き残るためには、データが不十分でも買収を決断すべきタイミングがあるという場合もある。私が問題だったと感じているのは、買収先企業が大きなリスクを抱えていたにもかかわらず、リスク・マネジメントを相手企業に任せてしまったことだ。つまり、東芝がリスク監視を怠ったことが最も問題ではないかと思われる。
 リスクの監視は常に必要であり、英語ではモニターという。日本ではモニターを緩やかな観察程度のニュアンスで捉えやすいが、実際のモニタリングは緊張状態が続くもので、決して楽しいものでもない。問題が見つかれば即必要措置をとることになる。

(3)危機段階におけるリーダーシップの重要性

 危機とは異常事態である。この異常事態と正常な状態の切り替えが危機段階のマネジメントでは非常に重要となる。危機段階になると平常時の考え方、ルール、やり方などは適用できないことが多く、通常とは違う非常時であることを十分踏まえて対応することが必要となる。平常時のあるべき姿を基準にして、非常時の行動を批判することは的外れである。
 リスクや危機への対応は気軽にできることではない。特に危機段階では想定外のことがいくつもあり、決断・実行に一刻を争うことが多い。平常時のように、関係者全員が納得するまで議論するという時間的余裕はない。どこかで踏み切らざるをえないことが多く、方針の決断は組織のトップが行うしかない。危機段階では、トップのリーダーシップが命運を大きく左右する。
 一方で、対応策を実行し問題を解決へと導くことは、トップ一人でできるわけではない。トップのリーダーシップを中心に、組織がチームワークを築いて危機に対処する必要がある。一人のリーダーシップと全体のチームワークは両立が難しく感じるかもしれないが、最終的には両者のバランスを取りながら組織全体が一体感をもって行動することがカギとなる。それはまさにトップの仕事である。
 危機段階では、人的能力、資源、資金、そして時間にも限界がある。リスク段階で十分なリスク分析に基づいた精巧な対応策をつくっていても、危機に直面すれば役に立たないこともある。良いと思われることをすべて行うことはできず、力を集中して危機に対処していくために、優先度を付ける必要がある。状況に応じては、何かを切り捨てるなど犠牲を許容せざるをえない。これもトップの決断となる。その際、決断者は犠牲にしたものに対する謝罪の気持ちを忘れてはならない。また、まず決断者が自己を犠牲にしなければならない。自己犠牲の精神がないリーダーは危機管理には適さない。
 優先度の中で、最もカギになるのはタイミングだと私は考えている。対応策が不完全であっても、行動すべき時にアクションを起こすことが非常に重要となる。タイミングの良い対応をするためには主に以下のような点が重要となる。
 1 的確なモニタリング
 2 判断者の勘の良さ
 3 トップのリーダーシップと運
 4 トップの覚悟や潔さ
 5 明確な優先順位
 6 コミュニケーション
 7 指示待ち症候群の排除
 8 危機との共存の認識
 二点だけ補足する。
 3について:現実的なことをいえば、人でも組織でも運の良し悪しがある。2017年読売ジャイアンツは球団史上初となる13連敗を喫したが、ツイてないというシーンがいくつもあった。ツキや運も考慮した上で、リスク危機マネジメントをやるべきだ。
 7について:「指示待ち症候群」はリスク危機マネジメントでは害になる。例えば、軍隊は指示命令によって動くように訓練されている場合が多いが、テロ対応に向いているとはいい難い。指示する側と指示される側に分ける場合、指示する人は全体を見渡せる必要がある。テロが起こった場合、だれも全体を把握できないので、指示できる人はいない。テロのような危機については、各人および小集団が的確に対応できる能力を持つような変化が求められている。
 危機段階でのマネジメントの目的は、危機をできるだけ短期間に終了させ、損害をできるだけ少なくすることにある。しかし、以下のように危機の克服が困難なこともある。①短期間に危機を終了させる方法が見つからない、②危機克服策の実施には犠牲が大きいかコストがかかりすぎる、③克服策を実施した場合のリスクが大きすぎる。
 このような場合には危機からの脱却を諦めて、ある程度のコストが継続的にかかることを覚悟し、「危機との共存」の状態に入る。危機の拡大・暴発を防ぎ、いかにうまく危機と共存していくかに注力する。米ソ冷戦は典型的な例であり、福島第一原発事故後の現状もこれに当てはまる。

2.人間が行う行為としてのリスク危機マネジメントの課題

(1)適切な人事の重要性

 リスク危機マネジメントは人間が行う。非の打ち所がない対応策だとしても、それが当事者たちに適したものでなければ意味をなさない。人間は体力、精神力、知力において限界があり、ミスをすることもある。マニュアルがあっても危機に遭遇すれば、本能や直感で行動しようとする。これらを考慮した上で、当事者が納得できる、理解できる、また、実行できる対応策でなければならない。
 想定外の危機に直面すれば、手元には不十分で曖昧な情報しかないことも多い。その中でタイミングを踏まえて決断することは至難の業であり、勘の良い、適任者が担当すべきである。リスク危機マネジメントの中核は、判断し決断することにあるともいえる。その意味で、人事の責任が極めて大きい。不適切な人事が危機を引き起こし、被害を拡大させた例は、数え切れない。人事関係者がこれを理解してないことが多いのは大きな問題である。

(2)PDCAサイクルによる改善

 リスク段階で、危機に備えたリスク対応行動マニュアルを策定する。これを実効性のあるものとし、より効果的なリスク危機マネジメントを実行できるように、PDCAサイクルを実施することを推奨する。PDCAサイクルとは、Plan(計画)、Do(実行)、Check(点検)、Act(修正)を一つのサイクルとして順次行うことをいう。PDCAサイクルを何度も繰り返すことで、マニュアルを改善していくだけでなく、当事者の意識を向上させていくことができる。ただし、危機段階では危機克服の行動を何度も繰り返して行うことなどできないので、PDCAサイクルの手法は使えない。

(3)先入観とバイアス

 人間は感情と理性の両面を持ち、危機に直面すると理性を失うこともある。人間の思考は先入観に拘束されやすく、無意識の心理状態が自身の認識にバイアス(歪み)をかけることも少なくない。
 2003年韓国大邱市で発生し192人の死者を出した地下鉄放火事件は、顕著な事例として挙げられる。地下鉄での火災は煙も充満するため、通常は一刻も早く避難しなければならない。ところが、乗客たちの多くが車内に座ったままだった。正常性バイアスや同調バイアスが働いて、深刻な危機だと認識した行動がとれなかった(図参照)。
 さらに、人間は時と場合によって考え方・評価・判断が変わることもある。また、不完全な生き物であるため、正しく理解していても正しく行動できないこともある。これらは概ね、リスクや危機をどう認識し、対応するかという問題に集約される。組織にあっては、トップの統率の下に動くから、トップの能力・感覚が危機における命運を左右する。

3.リスク危機マネジメントにおける論点

 リスク危機マネジメントを特徴づける論点がある。その中の数点を紹介する。

(1)誰にとってのリスク危機マネジメントなのか
 同じ事象を扱っても、リスクの中身や程度は人や組織によって異なる。例えば2017年に話題となった加計学園獣医学部新設問題は、盤石かと思われた安倍政権に大きなダメージを与えた。学部新設地である愛媛県今治市の立場では、「とにかく無事に学部を新設させて、多くの学生に入学してもらうことで町を復興させたい」、加計学園グループとしては、「学部を新設することでたくさんの学生に入学してもらいたい」ということだろう。両者はともに学部の新設が却下されることによる危機を避けたいという立場だ。
 一方の首相官邸では、菅義偉・官房長官が当初「怪文書ではないか」と発言していたように、問題を軽く処理しようとしていた気配である。しかし、前川喜平・前文科事務次官の告発的発言や野党やマスコミに糾弾され続ける中で支持率も下がり、明らかに危機となった。首相官邸の立場では今治市に獣医学部が新設されるかどうか以上に、いかに支持率を下げないかが最大のテーマになったはずである(ここではこの問題の真偽については問わない)。誰のためにリスク危機マネジメントを行うかによって、マネジメントそのものが全く変わってしまう。

(2)不公正な保証や援助

 危機に遭遇し損害を被った個人や組織に対して、様々な保証や援助が行われる。自然災害後の支援はもちろん、怪我や病気に対する医療費や介護費などもこれに当てはまる。リスク危機マネジメントの観点で注目すると、保証や援助の実態には明らかな不公正がある。リスク段階で、リスク管理にコストを割いてきた人や組織とリスク管理を怠ってきた人や組織を比較すれば、危機による損失は前者のほうが相対的に少ない。多くの場合、より大きな損失を被った後者に多くの援助が行われる。「アリとキリギリス」の寓話に当てはめれば、努力を怠ってきたキリギリスに税金を使った多額の援助が行われる。このような不公正に対して、もう少し異論が上がってもいいのではないだろうか。

(3)リスク危機マネジメントは固定的に考えるべきではない

 人間は「ポイントを押さえておけば大丈夫。この対策をしておけば問題ない」という発想を好む傾向がある。リスク危機マネジメントではこの考え方は通用しない。私たちが直面している環境・状況は常に変化しているので、万能なリスク危機マネジメントを期待するべきではない。リスクの監視・分析を通して現実をありのままに把握すること、PDCAサイクルによる対策改善に努めることなど、リスク危機マネジメントは非常に地道なものとなる。「過去はこうだったから、現在もこうだろう」という過去からの推定に従っていたことで、深刻な危機を招いたという事例は少なくない。リスクやそれをめぐる環境条件は常に動いており、流動的であるのでリスク危機マネジメントもそれに合わせて動いている必要があり、動的でなければならない。

4.日本における問題点

 2001年米国エンロン社の不正発覚事件後、通産省が危機管理の研究会を設けた。参加した専門家や民間有識者は総じて、危機という言葉を嫌った。議論の焦点も、通産省が意図した危機管理からリスク・マネジメントへと変化した。
 危機管理の議論を嫌うのは、日本の民族性からきているのかもしれない。原発関連では、その性格が如実に現れている。米国の原子力艦船に乗っている原子力技術者達は緊急事態に対応できるように訓練されている。リーダーの頭の中には設計図も十分に入っている。原子炉の危機に遭遇した際には、自分で考えて決断対処することができる。そのような能力は、米国の他の原子炉の中核的技術者に備わるようされている。
 一方の日本の運転技術者は、平常時に安全に原子炉を動かすことは得手であるが、想定外のトラブルに対応できるように十分訓練されているとは言えない。トラブルに直面した場合は原子炉を止め、その後メーカーの技術者の支援を得て対応する。
 あらゆる物事にリスクは必ずつきもので、リスクをゼロにすることはできない。限りなくゼロに近づけようとすれば、相当なコストがかかる。多額のコストをかけて十分な対策を打ったつもりでも、想定外のことが起こることもある。
 しかし、日本では極端な話が多い。例えば、本来家を建てるべきではない、極めてリスクが高いところに多くの家が建っている。それらを守るために、絶対壊れない堤防を造ってほしいという主張が当たり前のように出てくる。そもそも堤防は決壊するように造られている事実を、日本社会は受け入れられるのだろうか。いよいよ水流が増してきた場合、より深刻な被害を防ぐために決壊した方がいいという時があるからだ。これはリスク危機マネジメントの視点では理に適っているが、今の日本社会でコンセンサスを得るのは容易ではない。
 私の所感ではあるが、海外と比べると日本の組織体制、特に幹部のあり方に違和感を覚える。幹部のような上の立場になるほど実質的責任追及が軽くなるという組織をよく目にするからだ。ビジネスの最前線にいる経営者でこれに当てはまらない場合もあるが、大企業、官公庁、政治の世界等ではそういう場合が少なくないように見える。
 ここまで述べてきたように、本来、リスク危機マネジメントにおけるトップや幹部の責任は重く、誰もがやれるものではない。リーダーに求められる能力には、教育で身につく部分と教育では身につかない資質の面がある。ここについて米国のビジネススクールは考え方がはっきりしており、教育で一流の経営者が育つとは思っていない。偉大な経営者だった松下幸之助が小学校しか出ていないことを、彼らもよく知っている。教育以上に大事なことは、適任者を選抜することだと認識している。
 今の日本では、そこまで割り切った考え方を受け入れにくいかもしれない。だが、ある程度適性を見極めた上で、日本もリーダー教育に取り組むべき時期にきている。今やリーダー教育は学校の教師にも必要とされている。モンスターペアレンツへの対応について相談を受けたことがあるが、教師にとっては非常に厄介な危機だ。一方で現在の教師陣がその危機を乗り越えるのは簡単ではない。リスク危機マネジメントをはじめとするリーダー教育を全く受けていないからだ。

(本稿は、2017年7月1日に開催した「IPP-Youthフォーラム」における発題内容を整理してまとめたものである。)