自爆テロはなぜ頻発するのか ―イスラーム原理主義との関連から―

自爆テロはなぜ頻発するのか ―イスラーム原理主義との関連から―

2017年12月5日

はじめに

 私は今年(2017年)3月まで(外務省所管の)独立行政法人国際交流基金に勤務し、国際文化交流事業を担当してきた。国際文化交流とは、日本が世界の国々と平和な信頼関係を築くための外交手段の一つとして行っているもので、その前提として、互いに考え方が違っていても対話すれば必ず理解し合えるという信念に基づいている。
 そのような信念に基づいて30数年国際文化交流の現場を歩いてきたが、そんな私に大きなショックを与えたのが、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件だった。この事件は、「話せば(思想・信条の違いを乗り越えて)分かり合える」というそれまでの自分の経験と確信の全てを否定されるようなショックキングなできごとだった。私の任地がインドやインドネシアという多民族・宗教国家であり、そこでの実践体験から(話し合えば)宗教の違いを超えて相互に理解できる、という確信があっただけに、なおさらショックは大きかった。
 これを契機として、すさまじい憎しみ・憎悪は一体どのようなメカニズムで起きてくるのかという疑問を抱き、探求を始めたのがテロに関する研究の始まりだった。とくに宗教ナショナリズム、宗教原理主義、さらには自爆テロについて、文化交流の実務に身を置きながら考えてきた。
 今回は、自爆テロの発生メカニズムおよびその背景について、そして現在世界的にイスラーム復興現象が起きている中で、テロ・リスクについてどう考えるべきか、話したい。

1.「自爆テロ」とは何か

(1)自爆テロに関する先行研究と既存の議論

 自爆テロに関しては、米国シカゴ大学の政治学者ロバート・ペイプの先行研究がある(注)。ペイプ博士は、1980年から2009年まで世界各地で起きている自爆テロについて調べ、これらの事件に関与した460人のテロリストの履歴、社会的背景、信条などをベータベース化して分析した。それらに加えて、私自身の経験と研究を踏まえて、本稿では自爆テロについて検討する。
 自爆テロについては、さまざまな論点があるので、まずそれを問題提起的に列挙してみる。
・自爆テロは、狂信的なイスラーム原理主義ゆえに起きるのか?
・自爆テロは、異なる価値観に非寛容な一神教の教えのゆえに起きるのか?
・自爆テロは、低開発国の貧困のゆえに起きるのか?
・自爆テロは、自暴自棄に陥った青年の自己破壊願望ゆえに起きるのか?
・社会のイスラーム化は、テロ・リスクを増大させるのか?

(2)テロの類型とその特徴

 ペイプ博士は、その著書Dying to Winの中で、テロの定義と目的を次のように規定している。
<テロとは、国家以外の組織が、彼らが設定したターゲット層を攻撃、威嚇することを目的とした暴力行為である>
 そしてテロの目的については、①支持者を獲得すること、②敵対者の行動を変えさせることなどがあると指摘する。
 さらにテロ組織側の情勢判断に基づいて、テロを次の三つに分類する。

①示威的テロ(demonstrative terrorism)

 これは、テロがもたらす政治的衝撃を計算して行うテロである。テロを行うことによって味方側のより広範な支持を引き付け、より多くの構成メンバーを獲得することを目指したり、敵対する勢力内のハト派の関心を喚起したり、第三者による敵対者への働きかけを狙って仕掛けようとする目的を持つ。敵対者へのダメージに主眼を置いてはいない。
 そもそも人を殺める行為は、彼らの政治的大義を傷つけ、世論の支持を失う可能性が高いので、極力避けるのが基本的スタンスである。

②破壊的テロ(destructive terrorism)

 これは示威的テロよりも攻撃的で、敵対者に損害を与えることを主目的とする。そして損害を与える範囲、攻撃対象となるのは軍・警察や政府高官等、限定したターゲットだ。無差別テロを行って犠牲者が増えると世論の支持を失いかねないので、それについては政治的配慮が働いている。
 私がインドネシアに滞在していた2011~15年の期間は、軍や警察を主たるターゲットとする小規模な破壊的テロが散発的に発生していた。これは「破壊的テロ」に分類できよう。

③自爆テロ(suicide terrorism)

 これは敵対者にとって最も損害が大きく、恐怖心を植えつける効果を持つ。しかも巻き添えの犠牲者が出ることで世論の支持を失い、第三者から非難される可能性が高い。にもかかわらず、自爆テロを敢行するのは、敵対者との力関係においてテロ組織が(軍事的、政治的に)より脆弱な立場に置かれているから、というケースが多い。
 自爆テロの動機に関しては、示威的、破壊的なものも含まれるが、近年は無差別攻撃を行うことでより大きな恐怖心をあおることを意図したテロが拡大する傾向が見られる。

(3)自爆テロは一神教ゆえではない

 2001年の米国同時多発テロ事件以降、自爆テロが世界各地で頻発している。ペイプ博士の研究によれば、1980~2003年の間に世界中で350件の自爆テロ事件が発生したが、21世紀に入り自爆テロが急増し、2004~2009年までに1833件の事件が起きている。一時の小康状態を経て、2014年ごろから再び急増する傾向が顕著だ。地域的に見ると、アフガニスタン、イラク、レバノン、パレスチナ、そして欧州で多く発生している。
 主なテロ組織としては、以下のようなものがある。
・「ヒズボラ」(レバノン)
・「ハマース」他(パレスチナ)
・「アルカーイダ」
・「イスラーム国」
・「タミル・イーラム解放の虎」(スリランカ)
・チェチェン武装勢力(チェチェン)
・「ボコ・ハラム」(ナイジェリア)
 ここで注意すべきことがある。実は、先ほどのペイプ博士の研究によると1980~2003年までの自爆テロの件数の中で、最も多くの自爆テロを敢行したのは、イスラーム系ではなく、スリランカの「タミル・イーラム解放の虎」だった(350件中76件)。スリランカでは、多数派が仏教徒シンハラ人、少数派がヒンドゥー教徒タミル人という構成になっており、少数派のタミル人組織が政府軍に対して戦闘状態にあり自爆テロを敢行した。「タミル・イーラム解放の虎」は、世俗主義的民族主義に基づく組織である。宗派的には、彼らはヒンドゥー教徒である。
 実は日本にも、ある種原理主義的な思想があった。島崎藤村の『夜明け前』を読むと、幕末の攘夷思想の中には、「太古の日本にユートピアがあった。その後、中国などから外国文化が流入することによって、日本は不純物を抱え込むようになってしまった。西洋帝国主義に戦うためには、もう一度純粋な日本に戻らなければならない」というような原理主義的思考があった。
 このように<自爆テロ=一神教>という単純な図式から外れる事例がある。「自爆テロは非寛容、狂信的なイスラームの教義ゆえ」という言説への反証でもある。

2.自爆テロの背景

 ペイプ博士の研究の結論のひとつは、宗教が自爆テロの根本原因ではなく、ほとんどの自爆テロに共通するのは、世俗的な政治目的の存在であり、宗教はあくまでも<道具>として使われているに過ぎない、ということである。その上で、自爆テロの発生メカニズムについて、①自爆テロの政治的意図、②自爆テロの社会性、③自爆テロリストの内面分析の三つの段階から分析している。以下、それらについて見てみよう。

(1)自爆テロの政治的意図

 自爆テロを行う組織は、基本的に敵対する団体・組織と比べると大きな力の差があり弱い立場に立たされている。逆に言えば、政治的、軍事的に優位な立場にある勢力が、自爆テロを企図することはない。つまり、軍事的に圧倒的に不利な立場の側が、通常の戦闘では期待し得ない軍事的、政治的効果を得ようとして行うのが自爆テロ、ということになる。
 1980~2003年の350件の自爆テロ中、その95%が明確な政治的意図を持って実行された。例を挙げると、1983年のレバノンの(イスラーム・シーア派系)ヒズボラによる米・仏軍兵舎に対する自爆テロ攻撃がある。これは、「自爆テロ攻撃は政治目的達成のための有効な手段」と認識されて、自爆テロが拡大するきっかけとなった事件といわれる。この事件では、299人の米軍・仏軍犠牲者が出て、米仏でマスコミがこぞって、海外で多数の若い犠牲者を出したことへの政府批判を強めた結果、米仏両政府はレバノンからの撤退を余儀なくされた。ヒズボラは、通常の戦闘によっては到底得られないような大きな成果(=超大国米国の政策変更という政治的勝利)を得ることができたのである。
 自爆テロは、政治的な駆け引きの手段であるがゆえに、実行するタイミングも重要な要素で、政治情勢によってそのタイミングは変化する。
 例えば、1994~95年にパレスチナでハマースは、ヨルダン川西岸からのイスラエル軍の撤退を要求して自爆テロを連続して仕掛けた。そして95年春から初夏のころに、イスラエルとの交渉を行っていたために、テロは一旦自粛した。しかし交渉が中断すると、自爆テロを再開した。当時、あるハマースの幹部は、「もし暴力抜きで目的が達成されるならばそうするであろう。暴力は手段であり、目的ではない」とテロが政治的判断に基づく行為であることをはっきりと語った。
 また、さまざまな自爆テロ組織の政治認識の底流にある共通感情を掬いあげると、自分の国<自国>、自分の家族など愛する人々が暮らす<故郷>、宗教的な<聖地>などの領土が、外国の勢力や異教徒、もしくはそれらと結託した「売国奴」によって侵略・占領・支配されているという危機感である。そのため、「侵略者、占領者、売国奴を打倒し、駆逐する」という強い攘夷ナショナリズム感情が沸騰する。例えば、「タミル・イーラム解放の虎」は「自分の故郷がシンハラ人によって侵害されている」、ISは「イスラームの地が異教徒や米国によって支配されている」という感情が根底にある。
 2000年代からの特徴として、越境自爆テロ(transnational suicide terrorism)の増加がある。「外国勢力が占領している地域」から離れた地に居住する、非占領民族・宗派の二世、三世がテロを起こすもので、「越境自爆テロ」あるいは「デアスポラ自爆テロ(diaspora suicide terrorism)」と呼んでいる。とくに2013年以降、ISに関わる自爆テロが欧米で連続して発生している。彼らは中東に住んでいるわけではなく、欧州に生まれ育った移民2世、3世であるが、「自分たちのイスラーム同胞が欧米(の軍隊)によって踏みにじられている」という、「想像の共同体」の中で醸成された一種の攘夷ナショナリズム感情が、彼らの不可解な行動の背景にあると考えられる。

(2)自爆テロの社会性

 自爆テロはどう見ても理不尽な行為であり世論の支持を失う、というのが大方の日本人の見方であろうが、宗教感情とナショナリズムの結合の結果、特定の地域では<民衆の支持>を得ていることも事実である。前述の通りテロ組織のエネルギー源は、宗教というよりも攘夷ナショナリズムなのであるが、自爆テロリストは一種の<殉教者>と崇められ、社会的尊敬が払われている。こうした社会的支持があるがゆえに、テロ組織は新しい構成員を補充することができ、また社会の支持により当局の捜査追及から逃れているのである。
 表1は、イスラーム教徒内での自爆テロの支持率を表したものだが、基本的傾向としては支持率の減少が見られる。しかしパレスチナでは、現在でも高い6割ほどの支持率がある。


 ここでヒズボラ・テロリストの思想背景について見ておこう。
 ヒズボラ自爆テロ組織は「ヒズブ・アッラー」(「神の党」の意)といわれ、いかにもイスラーム原理主義的な名称だ。1982年にイスラエルがPLO根拠地を叩くために南レバノンに侵攻、占領したことがきっかけとなって、彼らは自爆攻撃を開始した。「殉教」作戦と自称し、レバノン国民のナショナリズム、宗教意識を刺激した。
 そのヒズボラの41人の自爆テロリストの思想背景を見ると、「イスラーム原理主義」というイメージにはそぐわない構成員になっていた。27人は共産主義・社会主義者で、3人はキリスト教徒であった。彼らの多くに共通するのは、外国によって占領されている地域から外国勢力を追い出したいという感情である。
 ヒズボラのある少女自爆テロリストは、次のような遺言を残した。
「外国の占領下に置かれたわが同胞の苦境を、私は目撃してきました。今、私は澄み切った心で、私が選択した攻撃を実行に移そうとしています。私の願いはできるだけ多くのイスラエル兵を殺害することです。願わくは他の殉教者の魂と合流せんことを。 
 まだ私は死んでいませんが、すぐに私はあなた方の記憶のなかで生き続けることになります。どうか泣いたり悲しんだりしないでください。微笑を忘れずに幸せでいて下さい。
 いま私の血を流し、私の愛によって潤わせることで、愛する祖国の大地に私は根付いていくのです」。
 その文面から読みとれるのは、宗教的な心情とともに、攘夷感情、ナショナリスト感情が流れていることがわかる。
 テロへの同情という社会感情は、かつて日本にも存在した。戦前の日本で「血盟団事件」「五・一五事件」などのテロ事件があった。それを実行したテロリストの青年に対して、当時の日本社会では同情論が強く、彼らの助命を求める嘆願書が裁判所に多く寄せられた。
 自爆テロリストは社会から孤絶した悪意と憎悪に凝り固まった狂信的信者というイメージで語られがちだが、同胞社会の支持を確信し、社会との連帯意識を高揚させた若者という意外な素顔が浮かび上がってくる。

(3)自爆テロリストの内面分析

 ペイプ博士は、自爆テロリストの内面分析に、「自暴自棄」という典型的な自殺者の像を適用するのは間違いだと主張する。
 有名な社会学者デュルケムの『自殺論』に示す自殺の類型には次の四つがある。
 ①自己本位的自殺:自分が世界の中で孤立しているなどといった焦燥感にかられ、個人と社会の関係がうまくいかないところから自殺に至るもの。
 ②集団本位的自殺:自己犠牲によって社会、人々を救うという思いから自殺に走るもの。
 ③アノミー的自殺:社会が発展する中で、既存の価値観が崩れていく過程で、社会にしばられていた個人が自由になると同時に、それによって却って欲望が満たされないために起きる自殺。
 ④宿命的自殺:社会の拘束力が強いために、その抑圧の中で耐えられずに自殺に走る場合。
 この4つの類型の中では、自爆テロは「集団本位的自殺」に近いと位置づけられる。つまり、社会の孤絶感、疎外感からくる絶望によって死を選ぶと説明されがちな自爆テロリストの行動について、ペイプは「多くの自爆テロは集団本位的で、利他感情が存在する」という。
 自爆テロリストの多くは、彼/彼女が感情移入する社会との強い連帯感、一体感を抱いており、死と引き換えに家族や同胞が置かれた状況を改善しようと意識している。
 例えば、日本の連続テロ事件であった血盟団事件(1932年)では「一人一殺」という言葉が有名だが、これは頭山満が裁判の中で唱えたもので、同事件の思想的指導者で日蓮宗僧侶の井上日召は「一殺多生」を唱え、「わが身を殺して多くの命を救う」という意味に説明した。これも集団本位的自殺の心情に近い。
 もう一つのテーマに、自爆テロと貧困の問題がある。「貧困、経済的な不平等ゆえにイスラーム原理主義が蔓延する」という言説があるが、実際多くのテロ企画者やを調べてみると、その多くが高学歴、富裕層あるいは中間層出身だ。
 9.11の首謀者の一人、モハマド・アタは、エジプトからドイツに留学し都市計画を勉強した。彼は故郷でも中流家庭の出身で、ドイツに行って留学した後も、それなりの人生コースを歩んでいた。また日本人犠牲者も出した2016年7月のバングラデシュの人質テロ事件のリーダー格の実行犯は、裕福な家庭の出身で、ダッカの名門高校も出ていた。
 こうみてくると貧困とテロとの因果関係はあまりないと思われる。上から目線の経済援助、(米国によるイラク戦争のように)押しつけの民主化などは、むしろテロを根絶させるよりは、テロを悪化させる、予備軍を生み出すことに手を貸しているようにさえ見える。

(4)「誇りの不平等」「尊厳変質社会」

 永年、国際文化交流の実務に身を置き感じてきたことは、世界には「経済の不平等」と並んで「誇りの不平等」が存在するということだ。
 欧米諸国は、知的伝統でも、経済・文化・科学技術など物質的な面でも魅力があり学ぶべき点が多い。とくに超大国米国は、軍事力・経済力によって世界を支配していると言われるが、それと並んで知的創造や思想文化での支配力が大きいと思われる。「ソフト・パワー」(ジョセフ・ナイ)によって途上国を魅了しているということだろう。しかし途上国は単純に魅了されているだけではなく、その中で米国が途上国に対する「優越感」のような傲慢を感じとっているとすると、それに対する屈辱感や反発を生む原因となるのではないか。「誇りの不平等」の問題を放置して、経済的な側面や民主化のみに気を取られていると、相手の「自尊心」を傷つけ、却って事態の悪化を招くことに繋がるのではないか。このような「誇りの不平等」が世界に潜んでいるのではないかと考える。
 元駐パキスタン米国大使のアクバル・アーメッド(Akbar S. Ahmed)アメリカン大学教授は、9.11以降のイスラーム世界が抱いている閉塞感について、その著書の中で次のように述べている。
「クルアーンは暴力を説いているのだろうか。イスラーム教徒はユダヤ教徒、キリスト教徒を憎悪しているのだろうか。・・・世界宗教が抱いてきた平和と愛のメッセージは、なぜ怒りと憎悪の喧騒に失われてしまったのだろうか。グローバルな開発の攻撃に直面して、地域文化はいかにしてアイデンティティと誇りを保ち得るのだろうか。誇りの喪失は、集団に対する忠誠や社会の拘束力が失われた結果ゆえなのだろうか」(Islam Under Siege: Living Dangerously in a Post-Honor World、 2003)
 ここから見えてくるのは、アイデンティティの喪失とテロとの相関関係である。同教授は、さらに次のように説明する。
 従来の社会を支えてきた地縁、血縁、共同体に対する忠誠心、連帯感、一体感が、近代化、国民国家建設、グローバリゼーションに伴う社会の構造変化の中で解体されつつある。そうした状況の中にあって浮遊するアイデンティティが糾合され、過剰で誇張された共同体意識、連帯意識が他者に対する暴力を通じて形成される。実体の伴わないあいまいな「誇り」が、人々のアイデンティティ喪失感を埋める形で形成され、これが暴力へ向わせる危険な状態を生んでいる。
 同教授は、そうした社会を「尊厳変質社会」と呼んだ。現在グローバルに起きている自爆テロの問題を考えるときに、こうした社会構造の変化と個人の意識、アイデンティティの関係は重要なポイントだと思う。

3.イスラーム復興現象とテロ・リスク

(1)脱過激化プログラム

 2016年1月14日、インドネシアの首都ジャカルタの、日本大使館・日本人会の近くで「ジャカルタ連続爆弾テロ事件」が発生した。民間人4人の死亡と20人以上の負傷者が出た。これについては、現在収監中の過激思想家が指導する国内過激グループによるテロと見られている。
 この事件の背景には、シリアに渡ったインドネシア人IS参加者が、三つのグループに分かれて反目しており、それぞれが「実績」を挙げるために、東南アジアのISシンパにテロ実行を呼びかけていることがあった。2016年初頭時点でインドネシアからは500人強が中東に渡り、IS戦闘員になっているといわれた。イスラーム国家樹立を目指す、ごく少数の過激集団は独立以来、当局の取り締まりにかかわらず間欠泉的にテロを繰り返してきた。
 現在インドネシア政府はさまざまなテロ対策を実施している。
 まずハード面を見てみる。バリにおける大規模爆弾テロ事件を契機に、2002年10月19日に「テロ犯罪撲滅に関する法律に代わる政令」が制定施行され、2003年3月に法律化された。またインドネシア国家警察は、対テロ特殊部隊(デンスス88)を創設した(2003年6月)。
 ユドヨノ大統領は、こうした実行部隊を使って本格的なテロの取り締まりを実行した。特殊部隊によるテロ組織拠点の急襲作戦は、司令塔を潰すことのよって組織の弱体化に成果を挙げた。その結果、2009年7月のジャカルタ爆弾事件以降、2016年1月のジャカルタ連続爆弾テロ事件まで大規模なテロ事件は発生していなかった。
 次にソフト面の対策を見てみる。
 その重要な一つが、「脱過激化プログラム(De-radicalization)」だ。刑務所収容中に、過激なイスラーム主義思想を除去して、元テロ実行犯受刑者を悔悛させ、寛容なイスラーム理解を彼らの精神の中に移植するというものだ。過激なイスラーム主義組織幹部の検挙により、多数のテロリストが刑務所で服役することになったために、「脱過激化プログラム」の必要性が高まった。
 インドネシア司法省管轄の400ある刑務所のうち、過激イスラーム主義者を収容する特別な態勢が組まれているのは20刑務所である。「脱過激化プログラム」の手法は次のとおりである。
 1 看守が受刑者個人との信頼関係を築き、彼らの人間性を回復させる働きかけをする。
 2 受刑者に対して宗教的、心理的カウンセリングを施すプログラムを実施。
 3 社会復帰に向けて有益な技術を受刑者が学ぶ職業訓練を行う。
 ただし、看守など専門人材の不足、施設設備の劣悪さゆえに「脱過激化プログラム」は必ずしも所期の成果を挙げているとはいえない。しかしその試行錯誤から学ぶことは多い。
 イスラームの信仰をやめて改宗ように説得したり、一方的に説教するようなやり方は、却って受刑者をかたくなにさせることが多い。そこでイスラームの中でも攻撃的ではない別の穏健な解釈を教えるという方法が、有効である。よい効果を上げている例もある。この観点からは、宗教者の役割が重要だ。元テロリストの先輩体験談も効果がある。
 さらに付け加えれば、日本におけるオウム真理教テロ事件の実行犯に対する更正プログラムの実施結果を国際的に共有する試みはに関する研究は、国際的なテロ対策に対する日本としての学術、国際貢献になり得るのではないかと考えている。
 次に、ある暴力的なイスラーム国家樹立運動に奔った青年のかいま見てみよう(市民組織「脱過激化と知識のためのインドネシア・センター」HPには、元テロリストが、なぜ自分がテロに奔ったのか、率直な感情発露をしている)。
・ギャンブル、アルコール、ドラッグなどにおぼれ自堕落な生活を送っていた自分に、「良きイスラーム教徒であれ」という青年イスラーム運動の勧誘を受けたのが、自分を変えようとするきっかけとなった。
・当時、軍部独裁体制であった世俗主義的スハルト政権が「良きイスラーム教徒」たちを弾圧しているという政治認識を抱いた。
・インドネシアの国是「パンチャシラ」に、イスラームが固く禁じている偶像崇拝の匂いを感じ取った。
・多くの「良きイスラーム教徒」たちが貧困に苦しんでいるのに、貧富格差、権力者の汚職がまかり通っていることに憤りを感じた。
・非合法活動の中で同志たちは、固い友情によって結ばれているという連帯感を感じた。

(2)インドネシアのイスラームについて

 インドネシアのイスラームは、穏健で寛容なイスラームだといわれる。その理由の一つは、武力ではなく平和裏に伝播し、他の宗教とも長く共存してきた、というインドネシアの歴史的な経緯がある。ところが、近年、多数派イスラームによる「少数派」への宗教的非寛容さが増大している。
 例えば、女性や性同一性障害・同性愛者に対する差別やハラスメント、キリスト教や仏教等少数派宗派に対する圧力・ハラスメント、同じイスラーム内でも異端視されるシーア派、アハマディア派などに対する嫌がらせ・攻撃などである。
 ユトレヒト大学のマルティン・ファン・ブリュネッセン教授は、退潮に転じたインドネシア・イスラームの寛容性について次のように説明する。
 スハルト時代(1965-1998年)は、政府が世俗近代化を推進し、イスラームの主流をなしたのはリベラル・寛容・開放的な言説だった。その後、改革時代(1998-2005年)になると、民主化が進行し、寛容派、厳格派入り乱れた議論が展開した。そして2005年ごろから有力イスラーム組織指導者で寛容派勢力が弱まり、代わって厳格な解釈をする勢力が優勢になってきた。
 最近の例としては、2016年11月に、ジャカルタ特別州アホック知事(当時)がイスラームを冒涜する発言をした、とイスラーム強硬派が主張し、彼らによって5万人に上るデモが行われた。その後、当初は再選間違いなしと言われていたアホック氏が知事選挙で落選し、その後宗教侮辱罪に問われて収監されてしまった。
 また人権組織「スタラ・インスティテュート」によると、2012年にインドネシア全土で371件の宗教・信仰の自由に対する侵害行為が発生し、近年その増加傾向が見られるという。
 なぜ、寛容の危機が起きているのか。その理由については、次のような指摘がある。
・イスラームをコントロールできない軟弱な民主政治ゆえ
・世俗権力=政治がイスラームを悪用するから
・グローバリゼーションに伴う海外イスラーム潮流の影響
(イスラーム過激思想の流入、イスラームの厳格な解釈をするサウジアラビアなどからの資金の流入によるモスクの建設など)
・スハルト・ノスタルジー(?)
(民主主義社会になると政治的意思決定がなかなか遅々として進まないことへのいらだち、スハルト時代の強権政治による「果断」な意思決定への郷愁)

(3)インドネシアの「イスラーム化」

 インドネシアは世界最大のイスラーム人口大国で、国民の約9割がイスラーム教徒だ(キリスト教徒9.3%、ヒンドゥー教徒1.8%、仏教徒0.6%)。このようなイスラームが大多数を占める国において「イスラーム化」とは何を指すのか。
 そもそもイスラーム教徒といってもさほど教えを自覚してこなかった人々が、イスラームの価値観を善きものとして再認識し、日常生活の中で戒律守り敬虔なイスラーム教徒として生きていこうという意識変化とそれに伴う社会変動を、「イスラーム化」と呼んでいる。とくに都市部の中間層、知識人の中でそれが顕著になっている。
 1980年代のインドネシアでは、女性でベールをかぶっている人は余り見られなかったが、その後、近年ではベールをかぶる女性がかなり増え、公共の場でアルコールを飲む市民の数も減ってきた。かつて近代化すると合理的、科学的思考をするようになるので宗教は個人的領域にとどまり、公共領域での存在は見えにくくなり、政教分離の社会になると考えられたが、「イスラーム化」現象は、この近代化理論に合わない。
 ところで、多宗教国家インドネシアの建国五原則である「パンチャシラ」は、
 1 唯一神の信仰
 2 公正で文化的な人道主義
 3 インドネシアの統一
 4 合議制と代議制における英知に導かれた民主主義
 5 全インドネシア国民に対する社会的公正
で、その第一番目に「唯一神の信仰」が置かれているが、「イスラーム」とは書かれていない。これは建国当時、イスラームを国教にしようという勢力と世俗主義勢力との間の妥協の産物として生まれたものだ。
 また憲法29条には、
 第1項 国家の基礎となるのは「唯一神への信仰」
 第2項 国家は、すべての国民の信仰の自由を保障し、その宗教および信仰にしたがって宗教活動を行う自由を保障する。
 いかなる宗教を信仰するのも自由であり、イスラームを国教とする規定はない。
 これらに不満を抱き、インドネシアにイスラーム国家を樹立しようと考える人たちは、当時から現代に至るまで少数派異議申し立て勢力として存在している。
 いかなる宗教を信仰するのも自由であり、イスラームを国教とする規定はない。
 なおインドネシアでは、無宗教を認めていない。というのは日本とは「宗教」に関する理解の仕方が違っていて、宗教を持たない人間は道徳性に欠ける、と考えているふしがある。この点は日本の一般的な「宗教」理解とはだいぶ違う。

(4)政治権力とイスラームの関係およびテロ・リスク

 1960年代のスハルト台頭期、イスラームは国軍の共産党弾圧に協力したが、1970-80年代の政権基盤確立期に入ると、スハルトと軍はイスラームを政権への対抗勢力として警戒し管理しようとした。政権末期(90年代)になると、軍とのバランスをとるためにイスラームを取り込む姿勢も見られた。その後の民主化、改革の時代となると、イスラーム政党が一時躍進したが、やがてイスラーム政党は伸び悩み、現在、イスラーム政党が多数派をとって政権与党になるという状況にはない。社会の「イスラーム化」が進行した民主化直後の時代において過激派テロが頻発したが、「イスラーム化」は、政治、経済、社会・文化などさまざまな領域に影響を及ぼしている複雑、かつダイナミックな変化であり、それが即「テロ・リスクの増大」ということにはつながらない。
 イスラーム化の多様な側面を挙げる。

<経済>

①資本主義とイスラームの共鳴(ハラール市場、イスラーム金融の拡大)
 インドネシアのハラール市場は約516億ドルで世界では第二位の規模を誇る。ハラール概念は、食品だけではなく化粧品にもその認証がなさるなど、適用範囲が拡大している。

②イスラーム諸国との貿易・投資の拡大

<社会・文化>

①イスラームをテーマとする音楽・映画・TVドラマ・文学・アート・ファッションなど文化芸術の創造が盛んになっている

②イスラーム系教育機関の重要性が拡大している
 インドネシアの教育制度には日本でいう文部科学省の管轄下の機関と、宗教省の管轄下の機関(約2割)とがある。後者には、プサントレンという寄宿制による中高生ぐらいの年齢の青少年を対象とする学校教育も含まれており、ここ数十年の間に数倍に拡大している。そこではイスラーム伝統教育のみならず近代教育も取り入れつつある。またイスラームは男尊女卑と見られがちだが、プサントレンでは女子教育にも力を入れており、男女比は半々になっている。

③人権・福祉・農村開発・防災などの分野でイスラーム系市民組織が活躍
 ワヒド大統領の長女が人権シンクタンクWahid Instituteを立ち上げたほか、イスラーム防災学生ボランティア組織(例:KORSA)もある。また、テロに走った人々を過激思想から復帰させるべく、穏健な解釈のイスラームを教義を教える青年たちの試みも行われている。

<政治>

 近年のインドネシアの政治において、イスラームに関連して以下のような傾向が見られる。
①政治言説におけるイスラーム価値観の争奪戦
②イスラーム主義過激組織の浸透、テロリズム
③イスラーム外交の推進

さいごに

 イスラーム内部には、ISに代表される過激思想の集団だけではなく、インドネシア・イスラーム主流に見られるような穏健なイスラーム勢力もあり、その二つの間でせめぎあいが繰り広げられているのが現在の世界ではないか。日本とつながりの深い東南アジアのイスラーム世界が、非寛容なイスラームに傾いていくと、日本にとって「危機」として迫ってくる可能性はある。イスラームの多様性を認めつつ、穏健なイスラームを支援していくことが重要であろう。
 これまで見てきたように、経済発展や民主化によりインドネシアのイスラーム教徒は、自信を深めるとともに、他のイスラーム諸国への発信や援助に積極的になってきた。そこで日本としては、インドネシアと協力して、中央アジアや中東地域、アフリカなどのその他のイスラーム諸国に対する開発支援を行うという多国間の開発プログラムを推進するのも一案である。穏健なイスラームの対外発信を日本として支援していくことは一つの国際貢献といえる。
 もうひとつは、イスラームについて日本人自身がもっと理解する努力をする必要があると思う。親日的なインドネシアであるが、世界的にイスラームに対する嫌悪感情が高まる中、「日本は多神教だから寛容、イスラームは一神教だから非寛容」といった不用意なイスラーム批判をすると、彼らの自尊心を傷つけることになる。そうなれば反日感情へとつながっていきかねない。日本人ももっとイスラームの多様性に対する理解を深めるとともに、イスラームとの交流を活発化させることが重要、と認識している。
 外務省は、インドネシアのプサントレンの校長先生を日本に招き交流を進めている。この事業は、プラントレンの校長先生に日本理解を深めてもらうと同時に、日本の普通の人々にもイスラームを肌で理解してもらうきっかけになっている。こういうプログラムを飛躍的に拡大させていくことも大切だ。
 インドネシアのイスラーム教徒は非常に親日的だ。日本はイスラームと関係ない社会のようだが、実は彼らの目から見ると、イスラーム的価値観が実現している国とも見えるようだ。例えば、清潔な国、大震災のときに他人を助けて秩序だって並ぶ姿勢などは、イスラームの価値観とも共通するものとして認識されている。中には「日本の社会生活は、これまで訪問した中東の国と比べても、最もイスラーム的な価値観を映し出していた」と共感する人もいる。そうした経験をきっかけに日本との交流を深めたいという人々が少なくない。
 日本が、世界最大のイスラーム大国インドネシアとの友好関係を深めるのは、穏健イスラームを支援する上でも意味がある。より一層の文化交流や国際協力がなされていくことを願うものである。

(本稿は、2017年9月30日に開催した「平和研究シンポジウム」における講演内容を整理してまとめたものである。)

<注>関連する文献を挙げる。

1)Robert Pape、 Dying to Win、 The University of Chicago Press、 2005
2)Robert Pape & James Feldman、 Cutting the Fuse、 The University of Chicago Press、 2010
3)小川忠『テロと救済の原理主義』新潮社、2008年
4)小川忠『インドネシア イスラーム大国の変貌』新潮社、2016年

1)2)は米国シカゴ大学政治学者ロバート・ペイプ博士が、自爆テロに関するデータベース分析から問題提起したもので、1)は1980-2003年までに世界各地で発生した自爆テロ路を調べ、これらの事件に関与した460人のテロリストの履歴、社会的背景、信条等をデータベース化したもの。2)はその続編で、2003-2009年までのデータを含めて分析した。

政策オピニオン
小川 忠 跡見学園女子大学教授
著者プロフィール
1959年神戸市生まれ。早稲田大学教育学部卒。2012年同大学大学院アジア太平洋研究科博士号(学術)取得。82年国際交流基金に入社。ニューデリー事務所長、日米センター事務局長、東南アジア総局長兼ジャカルタ日本文化センター所長、同企画部長などを経て、2017年3月に退職。同年4月から跡見学園女子大学教授。主な著書に『ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭 軋むインド』(2000年第12回アジア・太平洋賞特別賞受賞)『インドネシア 多民族国家の模索』『インド 多様性大国の最新事情』『原理主義とは何か アメリカ、中東から日本まで』『テロと救済の原理主義』『戦後米国の沖縄文化戦略』『インドネシア イスラーム大国の変貌:躍進がもたらす新たな危機』ほか。

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