欧州の移民・難民とテロ問題 ―いま世界が真剣に向き合うとき―

欧州の移民・難民とテロ問題 ―いま世界が真剣に向き合うとき―

2016年9月7日

はじめに

 昨年(2015)1年間で欧州に100万人を超える難民が流入して、欧州社会ではさまざまなリアクション、葛藤が生じている。世界全体で見ると難民は現在約6000万人、移民は2億3000万人(2013年)を超えその約半分は女性と言われている。以前の移民はいわゆる3K労働者が多かったが、近年は頭脳労働者、介護関係者などが増えて移民の質の変化が指摘されている。
 最近、安倍政権が深刻化する日本の高齢社会対策の一環として今後年間20万人の移民を入れたいという意向を示したことを考えると、欧州における移民問題は近い将来の日本にとっても全く無縁とは言えない。もし年間20万人の移民を入れるとなると、相当に制度的準備をきちんとしておかないと、むしろ国民の反発が高まってくるのではないかと懸念される。
 そこで本稿では、欧州における深刻な難民・移民をめぐる状況とともに、それに対する反発として近年台頭しつつある極右ナショナリズムやゼノフォビア(外国人嫌悪)などについても考察しようと思う。

欧州における移民・難民の現状

移民と難民の違い
 最初に、移民と難民について説明しておこう。
 移民は、人が仕事を求めて他の地域に流入、あるいは自国から流出する「労働力移動」という経済現象の一つである。2013年現在、世界の移民は約2.3億人おり、その内約半数が女性、しかもサービス業が多いという特徴を持つ。ここには国連の指定する三大犯罪の一つ人身取引(trafficking)の問題も指摘されている。
 一方、(狭義の)難民は、政治的圧迫、人種・宗教的圧迫、戦災などにより故国を離れて命からがら国を出て行く人々で、政治的な概念である。2014年現在、世界の難民数は約6000万人で、中東地域、中央アジア、アジア諸国が多い。移民であれば、境界線でパスポートなどの身分証明書の提示を求め不適切な人を排除することが可能だが、難民については、国連でも「保護する責任」(難民条約)と言われるように基本的にはパスポートを持っていなくても受け入れて保護し、食糧・衣類を与えることが義務付けられている。2015年には欧州だけで100万人を超える難民が流入し、限界状況を呈している現状だ。
 このような違いから、移民と難民は選別が必要なのだが、難民の中には偽装移民やテロリストなどが混在していることも指摘され、従来であれば、全面的に難民を受け入れていたのだが、最近はそれがかなり難しくなってきている。例えば、ドイツは難民をもっとも熱心に受け入れてきた国だが、昨年(2015年)暮に難民の一部による大きな犯罪事件が起きて、国内から難民受け入れに対する反対の声が大きくなった。

難民流入ルート
 欧州への難民の流入ルートには、地中海ルート(海路)とバルカン・ルート(陸路)があるが、地中海ルートが約8割を占めるといわれる。地中海ルートは非常に危険で、溢れんばかりの難民を乗せたボートの転覆事故がよく報道されるように、多くの犠牲者が出ている。また海からの上陸をイタリアが拒否し難民が船の上で餓死するなど、人権を重んじる欧州において、その境界線で人権に関わる大きな問題が再燃している。
 海路に比べより安全なルートとしての陸路=バルカン・ルートは、バルカン半島のブルガリア、セルビアを経てハンガリーに入るルートで、最終的にはドイツを目指して多くの難民が陸続で入ってきた。そこには、映像でもよく見られるように、小さな子どもを連れた家族が何千キロも歩きながら着の身着のままでやってくる姿がある。ところが最近は、EUの境界線に有刺鉄線が張られ、例えばハンガリーの南の国境線に警察が並んで難民の流入を阻止する状況が現れている。そのため難民の中には手榴弾を警察に向けて投げるなど対立する場面もあり、ときには死傷者も出ている。このような混乱する状況の中、2016年3、4月にはバルカン・ルートが封鎖され、地中海ルートのみが残されているというのが現状だ。

難民流入の経緯
 次に、移民および難民の欧州への流入の経緯を簡単にたどってみたい。
 移民・難民の流入の波には大きく三つの山があった。最初の山は冷戦終焉後から2004年ごろまでの期間で、東欧諸国が次々とEUに加盟していった東方拡大の時期である。東西冷戦の終焉により鉄の壁が開かれて、ロシアや東欧から約60万人の移民とともに、域外からの移民も含めて約100万人が流入した。しかしEUの加盟国が東に向かって25カ国に拡大する中で、徐々に移民数は減っていった。
 第二波は地中海ルートで、2005年以降、アラブ世界からイスラームの人々が大量に流入し始めた。2010年ごろ、まさに「アラブの春」の最盛期には、その地域で民主化革命が進むのと並行して大量の移民・難民が地中海を渡って欧州に入ってきた。この時期の流入は、2007年にEUに加盟したルーマニアやブルガリアから、イタリア、スペイン、ポルトガルへの流入を中心に進行したが、時間の経過と共に収束を見た。
 そして第三波が、2010年以降現在に至る、地中海ルートで、イタリア、ドイツに向かう波である。
 これらを概括すると、最初は労働者移民中心から、次第に難民の割合が増え、最終的には国情の不安定化に伴い、シリアやアフガニスタンから家族を連れて命からがら逃れてくる難民中心に変化していった。この過程で欧州の境界線の地域、一方では東欧(バルト三国、バルカン、東欧諸国)、他方では南欧(ギリシア、イタリア南部、シチリア島、スペイン、ポルトガル)において、異質者との最初の軋轢が起こるとともに、それらの地域でナショナリズムの成長が見られた(後述)。

移民・難民増加の背景
 移民・難民が増加した要因について考えてみたい。

1)冷戦終焉に伴う境界線の開放
 鉄のカーテン、ベルリンの壁の解放により、ヨーロッパの東西の壁が取り払われ、東西に分断されていた欧州の人の行き来が自由化された。

2)シェンゲン協定の拡大
 1985年にルクセンブルグのシェンゲンで署名されたシェンゲン協定は、締結国の域内での自由移動を可能にするものである。
 シェンゲン協定を結んだ国は、同一域内として、モノ、カネ、サービスの自由な移動のみならず、パスポートなしの人の移動も可能になったため、EUの国境線を超えて域内に入れば、どこまでも自由に移動ができるようになる。これはEUの経済発展にとって極めて有益なものだったが、結果的に移民や難民にとっても、同様に有効なしくみとして機能することになった。

3)グローバル化
 国境線の解放は、国境を一つ超えるだけで、例えば東欧の市民がドイツに入り、何倍もの給与を得ることが可能になった。シェンゲン協定のゆえに、一国内での出稼ぎ労働のような形で他国で働き自国で生活することも可能になったのである。

4)リーマンショック以降の先進国の停滞
 リーマンショック、ユーロ危機の長期化の中で、経済格差が拡大し、それに乗じる形で頭脳移民が大量流入するようになった。冷戦終焉頃までの欧州では、いわゆる3K労働者(未熟練労働者)中心の移民だったが、社会主義体制の崩壊と格差拡大とともに、東側諸国から頭脳労働者(銀行家、医師、大学教授、軍事技術者、IT技術者など)が大量に流入することになった。その結果、EUでは中産層との間で労働力をめぐって競争が起き、中産層のナショナリズムとゼノフォビアの引き金となった。

グローバル化とナショナリズムの広がり
 21世紀に入り、欧州におけるナショナリズムの伸張には著しいものが見られる。移民・難民の波と合わせて考えると、第一波のときは、移民に対する反発はほとんどなく、むしろ歓迎する動きが強かった。長期にわたる冷戦による欧州分断の時期を経て、ようやくヨーロッパが統一されたという安心感と、安い労働力が入ることで、不足する労働力が補充されて競争力強化につながるという(メリットとしての)認識が強かった。ところが、21世紀に入るころから、東側諸国からの頭脳労働者が流入し始めた。その結果、EUの国々の大卒の若者の就職難、競争力を持たない中堅層のリストラという現象が顕著になり始め、それがナショナリズムへと繋がっていった。
 この時期に極右ナショナリズムが成長した地域は、ギリシアやブルガリア、ハンガリーなどの境界線地域を除けば、イギリス、フランス、ベルギー、デンマーク、スウェーデンなど、西欧・北欧地域であった。この地域の特徴は、社会保障が充実し、いわゆる人権意識が高いと言われてきた地域であるが、ここでナショナリズムが高まり、極右勢力が伸張するという政治現象が見られたのである。
 それを如実に表したのが、次に示す2014年5月25日の欧州議会選挙における右翼ポピュリスト政党の得票率である。
・デンマーク国民党(DF) 26.7%
・イギリス連合王国独立党(UKIP) 26.8%
・フランス国民戦線(FN) 25.0%
・オーストリア自由党(FPO) 19.7%
・ハンガリーJOBBIK 14.7%
・オランダ自由党(PVV) 13.2%
 これらの国は、旧来欧州の中でも人権意識が高く、社会保障が充実し、移民保護が徹底していた国々だ。もともと欧州議会は、キリスト教民主党など保守派と労働党や社会民主党などの左派とがほぼ半々で分け合っていたが、最近はその構造が崩れて、既成政党ではない極右政党が増えそれが20%台を占めるようになった。
 もちろん欧州にはEU(統合)反対の勢力が以前から存在していたが、それはせいぜい6%程度で推移していた。ところが最近では、そのような勢力が欧州議会の四分の一を占めるようなところまで急成長したのである。
 それでは、なぜグローバル化の中でナショナリズムの成長が起きたのか。
 グローバル化によって物理的な境界線が開放されて人の移動が自由となり、域外からの人の流入はもはや避けられない事態となった。一旦開いた境界線を再び閉じることはできない。米国の大統領候補であるトランプ氏は、メキシコとの間に高い塀を作って移民の流入を阻止すると言っている。それはブッシュ(Jr)の時に作られたものでもある。しかし今やEUの境界線に連なる東欧の国々が、フェンスを使って壁を作り始めている。
 そもそも人の流入や流出を伴う移民という経済現象には、プル要因・プッシュ要因がある。先進国の大企業が競争力強化のために安い労働力を欲している以上、放っておけば自然と人が入り、出て行くのは避けられない。その中で積極的に人を受け入れてきたEUが、にわかに物理的に排除することはできないし、EUの理念「多様性の中の統合」から言っても排除できない。そうした中で、人々の心の中に境界線が引かれつつある。
 90年代末から、極右勢力を分析する視点として、「we vs. they われわれとやつら」ということがいわれ、見えない心理的な壁が形成されるようになった。つまりweはどこまでかということである。かつてEUが拡大するときにも、「ヨーロッパとは何か」「ヨーロッパはどこまでか」という欧州のアイデンティティに関する議論があった。例えば、「トルコ、コソボやボスニアはヨーロッパか、いやちがうのではないか」などだ。「欧州はどこまでか」というのは地理的境界線であるとともに「誰がヨーロッパ人か」というアイデンティティの問題でもある。そのようにして流入した移民に対して「彼ら(they)はわれわれの仲間なのか、それともわれわれ(we)とは違うのか」という線引きが始まっているのだ。
 境界線の開放とグローバル化の拡大の結果、西側の商品や価値、企業が東側に出て行った。一方、ヨーロッパの東部や南部の境界線からは安い労働力が入ってきた。それは必然の結果として出てきたものだが、第二段階として、東側から安い労働力だけではなく、若者や頭脳労働者が入ってきた。彼らはわれわれと違うのではないかという線引き、つまり「開かれた境界線上での異質者間の対立と排除」が始まったのである。

「民主化」の功罪

民主化による戦争防止
 民主化(democratization)は、冷戦の終焉をもたらした最大の要因ともいわれ、冷戦後世界に急速に拡大していく価値の一つとなった。欧州においては、民主主義の拡大は自由化・市場化とともにEU拡大のスローガンとして使われ、実際にもEUの東方拡大と並行して進められた。 
 ところで、米大統領補佐官のアンソニー・レイク(Anthony Lake)は、冷戦終焉後は「民主主義の拡大こそが米国の世界戦略だ」と述べた。つまり、冷戦期のソ連に対しては封じ込め政策(containment policy)でやってきたが、冷戦終焉後の世界戦略は、「民主化(democratization)」だというものだ。民主化はソ連や東欧諸国の社会主義体制を戦争も介入もすることなく一気に崩壊させたのであるから、それだけ重要な、使える世界戦略ということがわかったといえる。ブッシュ米大統領は、アフガニスタンやイラクに介入するとき民主化、民主主義の拡大を掲げ、「民主主義のための戦争」として介入したのである。
 1990年代に、政治統計学者でイェール大学のブルース・ラセット教授(Bruce Russett)が、『パクス・デモクラティア-冷戦後世界への原理』(邦訳、1996年、原著:Grasping the Democratic Peace: Principles for a Post-Cold War、1993)という著書を出した。彼は、過去500年以上の期間について、紛争をやっている地域の当事者はどのような体制の国なのかをコンピュータを使ってマクロ分析した結果、民主主義国同士は戦争をしない、戦争をするのは全体主義国家同士あるいは全体主義国家と民主主義国家であるということを、統計分析によって明らかにした。アメリカ政治においては、それを敷衍して非民主主義国を民主化すれば、戦争は激減すると結論付けたのである。この理論が民主化、民主主義の拡大を後押しし、「戦争しても」非民主主義国家を民主化することがアメリカの使命、として利用されることになる。

民主化拡大に対する疑念
 90年代の民主主義の拡大によってその後の世界はどうなったか。「民主化」によるソ連邦の崩壊によってロシアは10年間の不安定期に入った。同様に、バルカン半島ではユーゴ紛争がはじまり、「民族浄化」を含む深刻な内戦が10年間続いた、などの深刻な問題も起きた。そして21世紀に入ると、「アラブの春」、「ウクライナ革命」などさらに複雑な情勢が展開している。
 アメリカの政治学者マイケル・マン(Michael Mann)は、こうした状況を「民主主義の暗部The Dark Side of Democracy」(2004)とし、著書を著して新たなアンチ・テーゼを提起した。彼の分析によれば、民主主義は、均質的な社会(homogeneous society)においてはうまく機能するが、多元的社会(heterogeneous society)においてはうまく機能しない。 例えば、均質的な近代国家を実現した日本のような国では民主主義がうまく機能するが、ソ連邦、ウクライナ、中東のような多元的社会においては、混乱が生じる。なぜならマイノリティの要求をどう保障していくかが民主主義という多数決の原理ではうまく実行できないからだ。マイノリティがどうやって自己実現をしていくかと考えると、民主主義とはマジョリティの原則、すなわちマイノリティが負け続けるシステムであり、彼らが自らの要求を実現できるシステムを作らない限り、暴力やテロを起こすしかないというのだ。
 マイケル・マンによる民主主義の負の部分に関する学説が提起されるようになって、また最近のトランプ現象やルペン現象、英国のEU離脱の国民投票の問題を通して、民主主義に対する疑念(skepticism)がいわれるようになった。
 このような状況が出てきた背景には、冷戦終焉後の「民主化」の国境を超えた広がりが欧州国境線を超えて域外のウクライナ、アラブ世界、中東地域にまで及び、そこでは民主主義が必ずしもうまく機能しない現実に直面しているという問題がある。政治学者たちはそれをどう分析するかに精力を注ぎ、多元的社会における民主主義導入後の不安定化、多元的価値を民主主義においてどう実現するのかが議論されるようになった。

中国はなぜ民主化しなかったか?
 その皮肉な反証として、中国が挙げられる。1989年のベルリンの壁崩壊に先立ち、東欧諸国で次々と「民主化」のドミノ現象が展開していたその最中の6月、中国は天安門事件を徹底的に弾圧し、現在に至るまで民主化を抑圧し続けている。しかし中国はそのような形で民主化しないことによって政治的には独裁体制(autocracy)を維持し続けながら経済発展を推し進め、日本を追い越し、米国に迫る経済大国になった。
 もし中国が同じ時期にソ連のように民主化を受け入れていたら、現在のような経済発展を遂げていただろうか。ソ連同様、混乱の中、周辺諸民族が分離独立し、国家が崩壊、あるいは少なくとも大幅停滞していた可能性がある。日本やアメリカを追いこすこともなかったであろう。中国のやり方は透徹したマキャベリズム的発想であって、民主主義を受け入れず他方経済発展に特化することで政治を安定させアメリカに迫るという発想である。現在の欧州や米国においても、民主主義的手段によってかえって現在の民主主義体制が脅かされるような状況が起きている。例えばイギリスのEU離脱の国民投票、総選挙や欧州議会選挙での右派の台頭が国を覆っている。それらを考えると、民主主義がどこまで普遍性があるのかに関する議論が米欧でも活性化しているのは、当然であるともいえよう。
 民主化による国家解体の端緒はユーゴスラビアだった。ユーゴは、チトー体制の下、多民族社会がある意味では安定的に共存していた。ソ連体制とも異なり、当時はインドや中国と共に「第三世界」の一翼を担っていた。チトーの死後、ユーゴに民主化が導入された結果、10年近い分裂と民族浄化という混乱があり、民主化に伴うそれぞれの民族独立が行われた。そして99年のコソボ空爆によって最終的にそうした運動が鎮圧された。
 このような歴史を見ると状況は非常に複雑で、民主主義社会あるいは市民社会という近代欧米や日本などでうまく機能した国民国家は、マイケル・マンが言うように、知識レベル、政治レベル、宗教レベルなどあらゆる分野でまとまっている均質社会であって、そこでは民主主義は非常にうまく機能し成功する。しかしそうではない地域では、かえって民主化すると社会は不安定化する可能性がある。(アメリカは多民族社会だがなぜうまく機能したかという問題がある。これに対してマンは、アメリカ大陸上陸後の初期段階で原住民を抹殺し、移民による「アメリカンドリーム」という同一価値を導入したがゆえに、見かけは多様な諸人種から共通の価値を持った均質国家を形成したととらえている。しかしそれが現在の移民によって新たに脅かされつつあるということである。)
 最近の政治学の分野では、グローバル化の中の多様化(diversity)ということがいわれている。多様化とは、価値の多様化、宗教の多様化、民族の多様化などであるが、均質社会(西欧型の民主主義国家)においても移民や難民の流入とその広がりによって、民主主義を遂行することにおいてギクシャクする現象が現れ始めている。こうした流れが現実問題として現れたのが中国、カラー革命、アラブの春などであった。
 中国に対しては西側諸国が民主化を要求するとともに、国内および周辺地域において自由化・民主化の要求運動が出ているが、それに対して中国政府は、(逆説的ではあるが)弾圧することで多様な中での均質的ピラミッド国家を保つことができ、経済力や軍事力の驚異的発展を遂げて先進国に迫っているのである。またカラー革命やアラブの春においては、欧米から民主化を輸出された国々において、21世紀初頭で民主化の進展と共にマイノリティとの間に政治の不安定化が起きている。

ゼノフォビア(外国人嫌悪)発生のメカニズム

民主化の三段階
 このようにみると、民主化は多民族社会、多元的社会に不安定化をもたらすというマンの分析が当っているように見える。このような中で、先進諸国においてゼノフォビアが広がりつつある。
 ここで民主化の三つの段階を紹介すると、第一段階が鉄のカーテンの解体とベルリンの壁の崩壊(1989年)である。まず1989年、ハンガリー、オーストリアの国境線が開かれ、鉄のカーテンが開かれた後、チェコのビロード革命が起こり、ドイツではベルリンの壁が崩壊した。このときドイツの若者たちはベルリンの壁に上って「一つのドイツ、一つのマルク、一つのヨーロッパ」という歓喜の叫び声を上げた。しかしその後、旧東ドイツ地域では、東西のマルクを1対1としたコールの政策を受け入れた後、企業の半数が崩壊し、50%にものぼる高い失業率を経験するなど、統合について大きな苦しみを味わった。
 次がアラブの春。チュニジアに始まったアラブの春は、大量の若者を動員し、民主化革命を起こした。しかし革命後、いくつかの国では選挙によって独裁体制が再選されるという矛盾も起きた。またシリアではISが生まれて、アサド政権と反政府グループとの対立が深まり混迷して、米ロ仏が軍事介入し、欧州への難民問題の発端ともなった。
 最も近いところでは、2014年のソチ・オリンピックの最中に、ウクライナの二度目の革命が起こり、キエフの広場に大量の若者が集まって民主化革命を祝った。しかしその後は、ロシアのクリミア侵攻があり、EU、NATOとロシアの間でウクライナは東と西に分かれて内戦状態に陥り、1万人にもの若者が犠牲となった。
 このように考えたときに、民主化やグローバル化の拡大、ナショナリズムの成長、そして開かれた境界線からの移民の流入ということが表裏一体、渾然となって進行していることがわかる。
 今なぜ、高い人権意識をもち社会保障制度の進んだ欧州において、ナショナリズムが拡大し、ゼノフォビアが高まっているのか。こうした現象は、冷戦終焉後の過去20年間の状況と無関係ではない。
 ところで、ゼノフォビア(xenophobia)という言葉は、ギリシア語を起源として、xenos(外国人)とphobos(嫌悪)が合わさってできたもので、異質な存在を嫌悪するという意味だ。それがギリシア起源の言葉であるということにも象徴されるように、ギリシアはバルカン半島の突端に位置し、欧州とアジア、アフリカの三つの大陸の要所にあって、さまざまな民族がギリシアを通って欧州に入ってくる。そのような中で異質者に対する強い警戒感がギリシアで生まれ、それが言葉となったわけだ。人間として当然の本能的な心理であるともいえる。外国人に対する恐怖感が、歴史的な国境線の地域で生まれたということである。そう考えるとゼノフォビアがなぜ、まず境界線地域において、続いてグローバル化によって開かれた境界線の地域で生じ始めたのが理解できる。一度開かれた境界線はもはや閉じることができないが、心理的な境界線が心の中で引かれ、それが欧州の中心部でも始まっているのである。
 冷戦終焉後の他者排斥のナショナリズムが、当初はユーゴスラヴィア、オーストリア、ドイツで始まり、それが今フランスやベルギー、イギリス、スウェーデン、フィンランドに広がっている。しかも欧州の中でも最も「民主的」、社会保障が充実している「人権大国」で他者排斥があるという矛盾である。まさに「Dark Side of Democracy」である。

中産層の二極化と「心の境界線」
 それでは、ゼノフォビアが東から西へ、そして欧州の中心に移動している理由は何か。
 まず、東から西へ、南から北へと移民の移動があり、移民が境界線を越えて入ってきた(水平的移動)。それに伴って境界線地域の人々の心に境界線(ゼノフォビア)が築かれていった。
 第二段階は、こうしたゼノフォビアが国内で広がっていくとき、どのような人たちに影響を与えていくのか。まず3K労働者が底辺層として入ってくるときには、その社会の底辺労働を支えてくれるということもあり、たとえ大量に入ってきてもそんなに問題にはならない。日常生活において、その中間層との接点があまりないからである。
 ところが、頭脳労働者が入り中産層の職域に広がっていくと、その社会の中産層と外から入ってきた頭脳労働者(移民労働者)の間に対立が始まる。そうすると社会構造のピラミッドが非常に不安定な形で分裂し始める。とりわけ中産層がグローバル化の影響を受けて二極化していくと、限られた一部は上流層へと上昇していくが、圧倒的多数の中産層はむしろ賃金が下降していき、いわゆる「中産層の下層化」現象が始まる。欧州に限らず、日本においてもこの10年間で中間層の平均年収が50-60万円ほど低下している。
 このように中産層全体が二極化している中、問題は中間層の中で多くの人が下層化していることだ。その流れの中に移民が入ってきて、上昇志向をするとどうなるか。下層化、没落する中産層と入ってきた移民との間で大きな摩擦が生じる。一つにはリストラされて職を失った中堅50代の人たち、今一つは就職にあぶれた大学生、高校生たちである。このとき下層中間層は、欧州の移民を攻撃する右派勢力に影響を受け、右派が彼らの声を代弁してくれるのではないかと錯覚し、彼らに選挙で投票した結果、右派の票が10~20%を占めるようになったのである。
 米国も同様で、ティー・パーティ運動やトランプ候補を支持する層は、かつては豊かな中産層だったのだが、グローバル化と移民の流入によって自分たちの生活が悪化していると感じている人たちだ。これまでであれば彼らは、政府や地方政府に自分たちの社会保障ケアを要求してきたのだが、そういう余裕がなくなり、より弱い層(移民)に不満をぶつけていく。これが右派伸張およびゼノフォビア現象のメカニズムである。
 その要因をいくつか挙げてみよう。
 ・経済、環境、エネルギーのグローバル化
 ・国境線の開放
 ・マーストリヒト条約によってEUの深化と拡大がはじまったこと
 ・格差の拡大、移民の流入によって市民および移民双方に不満が拡大したこと、である。

移民2世3世と、テロの温床
 次に移民および移民2世3世の若者たちの側から問題を見てみよう。
 移民が域外から入り新しい社会において以前よりも何倍かの給与を得て、それを祖国に仕送りできている間はよかった。EUでは移民2世3世は多くの場合生まれ落ちた国の国籍とEU市民権を得ることができる。EU市民権は、EU域内のどこの国でも教育・医療・社会保障・選挙権を受けられるシステムだ。しかし、「EU市民」になったにもかかわらず、親や自分たちに対する差別・軽蔑は旧来どおりで変わらないと感じる。ユーロ危機、9.11以降、イスラーム関連の紛争や事件など何か事が起きると、移民(カラード)が疑われ、ときには官憲からの尋問を受ける。その結果彼らは、「EU市民とは何か?建前に過ぎない!市民権を得ることで、教育、社会保障、医療、など欧州の一員としての権利を得られるはずではなかったのか?なぜ貧しいままでしかも差別・軽蔑を受け続けるのか」という強い不満を抱くようになる。
 こうして没落する中産層市民と移民の双方に不満が蓄積していく。このコンフリクトが一方ではゼノフォビアとなり、他方ではテロの温床につながっていくのである。

ゼノフォビア・ナショナリズムが起きる心理的要因

不満の鬱屈とアイデンティティ問題
 開かれた国境線から移民が入ってくる中でまず賃金格差が広がり、そして市民と移民との間に目に見えない敵対関係が心理的に広がっていく。現在の問題は、制度の問題や紛争・政治的問題のレベルを超えて、心理的な問題、すなわち不満の鬱屈、より豊かな社会で実現されないアイデンティティの問題等が深く関わっている。そのような中からゼノフォビアと社会の不安定化が拡大している。
 社会保障が充実し人権意識の高い地域で、なぜゼノフォビアが広がるのかについて、スイスの事例を紹介しながら考えてみたい。スイスで選挙のときに図のようなポスターが貼られた。白黒に二分された手のポスターで、黒い手はカラードの手を表し、スイスのパスポートを入手することは許さないという意味を込めている。もうひとつは、スイスの国旗の上に白い羊がいて、黒い羊が蹴り出されている。これはカラードの人たちは、スイスから出て行けという意味だ。よりひどいポスターでは、白い羊の一匹が国旗の上でナイフで刺されて倒れており、(ゆえに)黒い羊が蹴り出されるという図式である。因果関係のない、明白な人種差別のポスターである。
 スイス、スウェーデンやイギリスでゼノフォビアが広がっているのは、まさに自分たちの高い社会保障、生活水準を移民が盗んでいるのではないかと、その国民が感じるところからくる嫌悪感に由来する。自分たちは高い税金を払って「ゆりかごから墓場まで」の生活保障を享受し得ているのに、移民は非合法に入ってきてEU内で子供を生み、その2世、3世は欧州市民権を獲得して同じ恵沢を簡単に受けるのは許せないというわけだ。
 米国で「オバマケア」による皆保険制度の導入が議論されたとき、米国の中産層が強く反対した。彼らの意見に耳を傾けてみると、「ヒスパニックは非合法に米国に入り、米国内で産み落とした子どもが米国市民権を得てそれによって社会保障(の恩恵)を得ようと考えている。自分たちの払った税金による社会保障は自分たちのために積み立てられているのであって、非合法移民の子どものケアをするためではない」「米国の社会保障を移民が盗み取るのではないか」という不満が高まっている。非常にエゴイスティックで人種差別的な考え方であるが、それが没落しつつある中産層の共感を得ているのだ。
 この論理には一部誤りもある。移民がたくさんの子どもを生むということは、その国の将来の労働力にもなるわけで、長期的に見れば、高齢化社会を救ってくれる側面もある。また移民流入は企業が呼ぶから来ているのでもあり、国と企業にとっては国民経済の活性化要因なのだ。このように移民問題は、何重にもどんでん返しされるようなプラス・マイナスの要因が錯綜していて、非常に難しい問題といえる。いま必要なことは何よりも疑心暗鬼になっている、格差社会において下層化しつつある中産層、市民権を得ても差別と排除は変わらないと考えている移民の子弟たちへの心理的ケア、および経済的ケアであろう。

冷戦終焉後のナショナリズム
 冷戦後の欧州のナショナリズムには、リベラル・ナショナリズムとラディカル・ナショナリズムがある。1989年のベルリンの壁崩壊後、東欧でリベラリズム(自由主義)と民主主義が導入されたが、国によってその明暗がはっきりと分かれた。ドイツに近い中東欧ではリベラリズムと市場経済を導入することで、ほとんどの国は苦しい10年を過ごしつつEUやNATOに加盟していった。
 それに対してバルカン半島諸国では、ユーゴは10年にわたる民族対立と内戦によってばらばらとなり民族浄化や集団レイプなどの悲劇があり、ソ連邦は崩壊した。これをどう説明するか。ポーランドやハンガリー、チェコのような国は、均質社会(homogeneous society)をつくることにある程度成功し、民主化導入によって内外に一部マイノリティを抱えつつも、社会の転換に成功した。
 一方、ユーゴのように、社会主義体制によって多様な社会を実現していた地域においては民主主義を導入することでむしろ不安定化と分裂が広がったのである。

ポピュリズム
 西欧の二つの比較として、一つはEUの境界線地域(オーストリア、ドイツ、イタリアなど)でネオナチや右派が成長していったのは、境界線から移民が入ってきたことが主たる原因だった。次の段階として、フランス、スイス、スウェーデンなど西欧・北欧においてゼノフォビアが広がっていくのはまさに、移民に対する強い政策を取ることで国民の支持を得ようとするポピュリズム現象の広がりだと考えられる。右派的な主張をすることで国民の支持を集め、選挙でより高い得票を得ることを狙っているのである。
 サルコジ前仏大統領が、(少数民族)ロマの強制送還をしたり、ブルカ(女性のベール)の禁止をしたのは、それを主張することが国民の支持率アップに繋がったからだ。またスウェーデンやスイスでは、ユーロ危機によって国民の不満が鬱屈する中で、(経済困難や社会不安は)移民の大量流入が原因だと説明することで右派が国民の支持を集めている。社会の鬱屈した状況、不満をうまく取り込むことで国民の支持を拡大して行く。
 それは先進国全体が頭打ち状況になり、他方で中国やインド、中東の産油国などがますます豊かになってきていることからくるパワーシフト、将来に対する漠たる不安感を背景とするものでもある。

分離独立運動の諸形態
 近年、EU内において、分離独立や離脱の動きが見られるが、注意すべきこととして、スコットランドやカタロニアの分離独立運動と英国のEU離脱運動(Brexit)とは、似て非なるものであることを指摘しておきたい。
 スコットランドやカタロニアの分離独立運動には、アイルランドの奇跡の成長に触発されて、EUの枠組みの中で(国の規模は)小さくても独立してEUの恵沢を受けられるという期待、イギリスやスペインの中で、2級の国民でいたくないという独立の動きである。アイルランドは一つの成功のモデルだった。スコットランドやカタロニアは、EUという枠組みの中で守られながら独立することで独自の発展を目指すというEUへの強い期待感への動きである。
 一方、英国の場合は、欧州大陸から分かれて「大英帝国」を復興させたいというBritain First幻想があった。シェンゲン協定などの国権を縛る義務から解き放たれ、通貨の不安定や移民難民の問題に対しても独自路線を保ちたい、できたばかりの通貨ユーロと、大英帝国のスターリング・ポンドは違うなど、独自の政策を持つことのメリットを主張するものである。「規範の帝国」EUの主権制限の枠組みに対する不信が半数の英国民の間に広がったといえよう。英国民は51.9%の国民の離脱選択の結果、48.1%という半数の国民が5億人市場EUに残りたいという要求を却下したことになる。この国民投票も、民主主義の一つの限界を露呈したといえよう。

最後に――エピローグ:移民、難民、テロ問題の解決とは?

 EU内部の人々の中から、外部(カラード)の人たち、移民を追い出そうという動きが広がる中、欧州社会の影の部分に強い不満を抱いた移民2世、3世の間から、欧州に住む移民の子弟からのテロ、「ホームグロウンテロリズム」の動きが出てきている(inner terrorism)。フランスでは2015年1月のシャルリー・エブド事件、同年11月のパリ同時テロ事件があり、2016年3月にはベルギー空港同時テロ事件、同年7月にはフランス・ニースでの大量テロ事件が起きた。深い悲しみと恐怖が欧州を覆っている。今年3月国際会議でパリに行ったが、ホームレスがたくさん雪の中にうずくまっていた。地下鉄構内では「貧しい。食べ物がない」と書かれたカラードがあちこちに子連れで座っている。以前であれば、彼らに対する優しい手を差し伸べる姿も見られたが、今はそれすらも控えるような雰囲気を感じた。
 このような状況の中で、どう移民・難民問題を考えていけばよいのか。移民・難民の流入をどう受け止めればよいのか。底辺層と没落しつつある中産層との対立をどう緩和するのか。
 移民への市民権の拡大は、現状では残念ながら解決策にはなっていないといわざるを得ない。市民権を獲得した底辺層の人々に対する貧困と差別、排除が存在し、その互いの敵意がテロの温床になっている。
 今後の取り組みとしては、移民層に対する賃金上昇や社会への包摂、職業訓練など、経済的支援が急務である。またできるだけ早くシリア空爆を停止することが望まれる。難民の多くは外国軍の空爆によって生み出されており、その意味で、アメリカ、ロシア、フランスには難民を保護する責任がある。
 さらに現在EUが取り組んでいることであるが、トルコ政府との難民収容交渉である。年間100万人を越える難民が毎年これ以上欧州に入ってくれば、安全保障も社会保障も限界を超える。EU加盟を条件の一つとしながら、トルコ領内に難民収容施設を設けていく交渉は、一つの突破口といえる。今回のトルコのクーデタ未遂は、権力を集中しようとするトルコ政府に対する軍部の不満であったが、欧米は民主化とは異なる中東地域の安定化も視野に入れるべきであろう。
 最後に、この困難な移民・難民問題をどう解決すべきかは、日本もアジアも例外ではない。現在、安倍政権が毎年年間20万人移民を受け入れようという政策を進めようとしている中、それだけの移民(および難民)を受け入れる場合に、どのような制度を整え、どのような心の準備をしていけばよいのか、本気で考えていくべきときである。日本は世界でも希な均質的な社会であるがゆえに、社会からの無意識の排除も他国に比べ人一倍強い(空気読めない、村八分などは「均質社会の中の排除」の息苦しさであろう)。その中に多様性をどう取り込んでいくのか、
 それは高齢化が急速に進行し、あと30年余りの2050年には労働力人口が半減する、65歳以上が4割を占める、という状況の中、日本でも移民受け入れは喫緊の課題でもある。今後、経済・社会格差が益々拡大していく趨勢の中で、社会の底辺層、下層中産層の人たちに対して、セーフティーネットも含めて、どのようなケア、対策を講じていくか。本格的な制度的対応が必要であろう。
 もうひとつは、難民発生の原因であるシリア問題の解決として、シリア空爆停止である。欧州諸国はかつての植民地支配の責任の一旦として難民問題を意識しているところがあり、難民を可能な限り受け入れようとしている。その受け入れと並行して空爆の停止も必要だ。現在6000万人を越える難民の保護に関して、欧州だけではなく米国やアジアでの分散的収容とそれへの補償も考慮すべきである。
 ハンチントンは「文明の衝突」を唱えたが、むしろ文化的価値の多様性こそが新しい時代の特徴である。しかし多様性は確かに、価値の衝突をも生み出す。その葛藤ゆえに、アメリカではトランプが、イギリスではUKIP指導者ファラージやフランスのルペンなどが出現し、方や共和党の大統領指名候補者となり、方や欧州国内で四分の一もの人々がナショナリスト、右派に投票していくという現象となって現れている。
 そのような市民感情を分析し、理解したうえで、それでもやってくるであろう移民社会、多元的社会をどう構築していくかを、今後人口と経済力が激減していく日本も、本気で考え取り組んでいかなければならない時期に来ているのではないだろうか。

(2016年6月17日に開催した政策研究会における発題を整理してまとめた)

政策オピニオン
羽場 久美子 青山学院大学教授
著者プロフィール
津田塾大学大学院国際関係学研究科博士課程修了。学術博士(国際関係学)。現在、青山学院大学大学院教授、世界国際関係学会副会長(米国)。またハーバード大学、欧州大学研究所、ソルボンヌ大学、ロンドン大学各客員研究員、ジャン・モネ・チェア(EU)等を歴任。専門は、国際政治学、EU 論、グローバル化とナショナリズム。主な著書に、『ヨーロッパの分断と統合』『拡大ヨーロッパの挑戦―グローバル・パワーとしてのEU』『グローバリゼーションと欧州拡大』『統合ヨーロッパの民族問題』『グローバル時代のアジア地域統合』、編著に『EU(欧州連合)を知るための63章』など他多数。

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