伝統と権利で揺れ動く欧州の夫婦別姓事情

伝統と権利で揺れ動く欧州の夫婦別姓事情

2020年3月24日

伝統夫婦が依然多数派の英国

 選択的夫婦別姓の推進論者の中には、男性支配の伝統的家父長制度に異議を唱えるフェミニストも少なくない。夫婦同姓論者には伝統主義者が多いことから、両者が折り合うことはなく、その意味で感情論に走りやすく、「選択」といいながら主張は互いに偏りがちだ。
 そこで、この問題を制度面からもゼロベースでリセットしているのが英国だ。英国では現在、婚姻に関する法的書類に旧姓を書く欄も既婚を表す「Mrs」を書く欄もない。伝統的に夫の姓に変えることも、自分の旧姓を維持することも、あるいは夫の姓の後に並列することやミドルネームとし旧姓を加えることも、さらには新しい姓を作るのも自由だ。
 ゼロベースと書いたのは伝統破壊をめざすリベラル思想による選択の自由の権利を全面的に支持しているわけではなく、基本的に結婚のコンセプトを独立した個々人の契約に基づくものとし、個人が多様な選択ができるようにした点にある。そうすることで英国内に存在する多様な宗教や文化にも配慮した普遍性を持たせている。
 無論、それでも家庭より個人重視という点では、伝統的家父長制度からは離れているのも事実だ。ただ、制度として英国は、そもそも姓あるいは氏に関する法的規定を婚姻に設けていないのが特徴だ。驚くことに子供はまったく別の姓を名乗ることもできる。
 とはいえ、10年前の調査では70%の女性が夫の名前に変えており、逆は3%に過ぎなかった。今、姓を変えない、あるいは夫の姓と並べる女性は増えているが、マジョリティからは遠い。
 もう一つの新たな現象は、昨年12月から英国では、同性愛カップルにだけ認められていた、婚姻しなくても婚姻者同様の法的利益を得られる市民パートナーシップ制度が、異性カップルにも適応されるようになったことだ。異性カップルとの公平さを保つのが目的だが、フランスの民事連帯契約(PACS)に似た制度だ。
 では、誰が夫婦別姓や婚姻を避けた市民パートナーシップ制度を利用しているかといえば、筆者が取材した市民パートナーシップ制度を選んだ30歳のキャサリンさんのケースでいえば、「結婚は男性優位の女性を所有物とした伝統的な男女の役割に根ざした制度というイメージが強かったから」と述べている。
 一方、婚姻時に夫の姓に変えたロザリンさん(33)は「結婚自体は、法的にどこにも夫が妻を支配すべきとは定められていない。夫婦別姓や市民パートナーシップを支持する女性たちは、悪いイメージが先行しているだけだと思う。私の夫に私を支配しようという考えはどこにもないし、私が夫の所有物と感じたことはない」と語っている。
 また、筆者の友人でロンドン北部の公立高校の教師をしているバーバラさんは、夫の名前に変えているが「既存の婚姻制度にこびりついた男女不平等は制度が問題ではなく、男女の意識の問題。たとえば夫婦別姓のカップルでも夫による妻への暴力(DV)は起きている。夫婦の男女間の役割への意識は制度で変えられるわけではない」と主張している。

結婚形態より少子化対策優先

 英国では市民パートナーシップを異性カップルに拡げる議論が始まった2018年、与党・保守党の下院議員サー・エドワード・リーが「それなら、きょうだいにも適応を!」とツイートし、近親相姦かと批判された。無論、リー氏のツイートにはリベラル派への皮肉も込められている。
 しかし、これは笑い話ではなく、英国では夫が死亡した場合、相続税なしに遺産を相続でき、市民パートナーシップでも相続税が免除されるため、リー議員は、長年同居している姉妹のどちらかが死亡した場合、片方が高額の相続税を払えず、家を売るはめになる例を挙げ、姉妹にも市民パートナーシップ制度を適応すべきと主張した。
 英国では、遺産価値がある一定の金額以上になると、最大40%の相続税を払うことが義務づけられており、選択肢として相続者が不動産を処分するケースは少なくない。つまり、市民パートナーの定義を拡大すれば異性からきょうだいにも適応できるはずという理屈だ。
 ヨーロッパを30年以上取材してきた筆者は、平等社会をめざす欧州各国(特に旧西側諸国)では、マージナルな人々の権利を擁護する法改正や新法成立を次々と繰り返してきたが、それが財政負担になり、逆戻りできない状態に陥っている実情をよく目にする。
 そのため、結婚形態の多様化を認めつつも、福祉機能を持つ家族を強化する政策も同時に推進している。たとえば、経済失速に陥るドイツは少子化問題が深刻だ。今年3月1日からは高技能移民法が施行され、欧州連合(EU)域外からの人材確保に躍起になっている。
 結婚形態の多様化を認めている背景には、どんな形態にせよ、子供を産んで欲しいという国の本音も見え隠れする。確実に進むEUの人口減少は深刻で、少子化対策で成功し礼賛されたフランスも出生率は落ちている。理由は子供を産む世代の女性人口がピークを過ぎ減っているからだ。

多くのEU市民は同姓で一体感高める

 ただ、勘違いされやすいのは、社会的弱者と言われる性的マイノリティ(LGBT)や夫婦別姓支持派、市民パートナーシップ制度の利用者は、社会の主流ではありえず、単に差別されてきた人々に権利を与えたに過ぎないと多くの人々が考えていることだ。
 日本では、欧州のキリスト教を土台にした価値観は知られていないので、伝統保守とリベラルの対立の構図は見えにくい。実際には婚姻時に夫の姓に変えて一体感を高めることを当然と考えるEU市民は多い。
 特に後からEUに加わった旧東欧の人々は、極端な伝統破壊のリベラリズムの共産主義を経験しているからこそ、旧西側の英国、フランス、ドイツ、スペインなどに蔓延する「何でもありのリベラリズム」への警戒感は強く、伝統的家族制度を守ろうと必死になっている。

政策コラム
欧州の夫婦別姓議論には保守とリベラルの対立があるが、英国では多様な宗教や文化にも配慮した普遍性を持たせている。欧州各国では結婚形態の多様化を認めつつも、福祉機能を持つ家族を強化する政策も同時に推進している。また、婚姻時に同姓にして一体感を高めることを当然と考えているEU市民が多い。在仏ジャーナリスト 辰本雅哉

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