構造変容に直面し「迷走」する日韓関係  ―何を目指し、どのように克服するか―

構造変容に直面し「迷走」する日韓関係 ―何を目指し、どのように克服するか―

2021年6月23日
はじめに

 昨今の日韓関係は「戦後最悪」などとよく形容されるが、「いまが最悪の日韓関係」という表現は、過去にも何度か経験してきた。ただ現在の日韓関係は、政府と政府の関係だけではなく、(市民)社会同士の関係においても対立・葛藤が刻み込まれているような印象がある。
 そのような中、日本では「文政権から保守政権に変われば日韓関係はよくなる」との識者の発言も聞かれる。一方、韓国では、安倍政権から菅政権に変わった時に、(関係改善に向けた)期待が非常に高まった。しかし菅政権は、「(とくに司法に関わる懸案について)具体的な解決策がなければ話し合いに応じない」というのが基本姿勢であり、日韓に齟齬が見られた。
 今年発足した米バイデン政権は同盟重視の姿勢を示しており、対中政策を考えていく上で日本と韓国という同盟国は重要な位置にある。また米国の北朝鮮政策のポリシー・レビューにおいても、日韓は当事者であり、やはり重要な位置にある。ただ、米国の対北ポリシー・レビューについての解釈において、日本と韓国では若干違いがみられ、それぞれ「我田引水」的に見ているように思われる。このように米国にとって日韓関係がぎすぎすしていることは、対北政策、対中政策においてやりにくい面が生じることにもなりかねず、米国としては日韓の関係改善をある種「仲介」する側面もあるように思われる。
 最近の世論調査(2020年9月、日本の言論NPOと韓国東アジア研究院による日韓共同世論調査)によると、日本に好感をもつ韓国人の割合は、前年の31.7%から12.3%に急落した。その直接の要因としては、2019年の7月日本政府による対韓輸出管理の見直しがあり、当時韓国内では日本製品不売・不買運動が起きて、官民あげての対日批判が盛り上がった。韓国に対する好感を持つ日本人の割合も25.9%と低い。
 その一方で、別の側面も見られる。私の所属する東京大学では、韓国ソウル大学の学生との交流プログラムを実施しているが、両国の学生が短い期間でも行動をともにして交流すると、信じられないくらいに仲が良くなる。市民レベルのこうしたよい関係もあるものの、全体としては日韓関係がなかなか好転していかない。これに関しては、やはり日韓両政府の責任は大きいと言わざるを得ない。
 このような複雑な日韓関係について、戦後の日韓関係史を振り返りながら、日韓関係の構造変容という視点から紐解いてみたい。

1.日韓関係の構造変容

 戦後の日韓関係は、どのように変化してきたのだろうか。一言で言えば、「非対称(全く違う)」から「対称(類似)」への変化である。「対称」という言葉には、「合わせ鏡」のようなイメージから、似ている側面と同時に完全には重ならない側面もあるという意味が込められている。時期的には、おおむね1990年前後を境に変化したとみている。
 非対称の時期の日韓は、違うからこそ、相互に補完しあう、助け合う関係にあった。日本にとっても、韓国にとっても、互いに必要な国であった。ところが90年以降、相互競争的関係へと変化した。
 日韓が競争することは、ある意味ではいいことだと考える。例えば、スポーツの分野で相互に競い合って世界のトップを日韓が争うという種目もある。映画の分野では、是枝裕和監督の『万引き家族』(2018年)とポン・ジュノ(奉俊昊)監督の『パラサイト 半地下の家族』(2019年)が挙げられる。この二人の監督は、非常に仲が良く、互いに影響しあっている。『万引き家族』は第71回カンヌ国際映画祭で最高賞「パルム・ドール」を獲得し、『半地下の家族』は第72回カンヌ国際映画祭の最高賞「パルム・ドール」とともに第92回アカデミー賞では作品賞など4部門を受賞した。このようにお互いが競い合いながら、(位相を)高め合っていく関係こそが、理想的な日韓関係だと考えている。ただ、競争にはそうしたプラス面だけではなく、互いにより上に上がるために相手の足を引っ張るというマイナス面もあることも事実だ。
 以下、その変化の中身について概観してみよう。

2.非対称(asymmetrical):1980年代まで

(1)国力の面:経済力、軍事力、国際的な認知度

 まず国力(パワー)の面で見ると、1980年代までの日本と韓国には大きな格差があった。日本は1970年代に先進国の仲間入りをしたが、1980年代までの韓国は開発途上国だった。ただ開発途上国の中でも韓国は、NICs(新興工業国)やアジアNIES(韓国・台湾・シンガポール・香港はアジアの「4昇龍」と呼ばれた)の一員として、経済発展を見せていた。1990年までの一人当たりGDPの変化を見ても、この間、韓国も「漢江の奇跡」と言われる高度経済成長を果たしていたが、日韓の経済力には相当の開きがあった(参考:IMF統計によると、1990年時点の日韓のGDPは、日本25,380ドル、韓国6,508ドル)。
 日韓の経済関係は、垂直的な国際分業関係を構成していた。1960年代の韓国は、日本から機械や原材料を輸入して加工し製造した最終消費財を欧米先進国に輸出し、70年代に入ると韓国の重化学工業化が発展し、日本の資本・技術協力が進められた。80年代には、垂直的な分業体制を基本としながらも、次第に第三国市場をめぐり日韓の競争関係がみられるようになってきた。
 軍事面で言うと、韓国から見ると日本は常に「軍事大国」であった。
 国際社会におけるプレゼンスは、日本の方がはるかに上であった。

(2)体制面(レジーム):異質な体制

 日本は、戦後1955年体制下、与野党間の政権交代はなかったとはいえ、民主主義体制であったが、韓国は1987年までは基本的に権威主義体制、軍部独裁政権(ただし李承晩政権は軍部独裁政権ではなく、単なる独裁政権)であった。経済面では、日本は大まかに言えば市場経済体制で、韓国は政府主導の開発経済体制であった。
 日韓は、反共産主義という点では体制的価値観を共有していたが、日本国内には社会主義を信奉する勢力が少なからず存在した半面、韓国は反共国家として、そうした政治勢力は(表面上)一切存在しなかった。韓国から見ると、日本は(韓国が危険思想とみなす社会主義、共産主義、マルクス主義があふれる社会として)「危険」であり、自由な交流などできないと映っていた。

(3)関係領域

 80年代までの日韓関係は、政府間+財界間が基本であった。それ以外の分野、つまり社会文化交流はほとんどなかった。当時日本では、韓国社会文化に関心が持たれることはほとんどなかった。
 韓国では、日本社会との交流や文化流入を規制していた。その背景には、20世紀前半に日本の植民地支配を受けたことがあった。(資本力を有する)日本の文化産業が無防備な韓国に流入した場合には、市場を荒らされてしまいかねないと考えていた。例えば、年配の世代であれば、日本の歌などに(植民地時代の経験もあって)一種の郷愁を感じることになるから、日本の文化的影響力を遮断する必要があるというのである(文化的脱植民地化)。また日本からの社会主義思想の流入を警戒した。
 日本の歌謡曲や演歌は、当時「倭色歌謡」といわれた。韓国語の「倭(ウェ)」は日本を意味するが、そこには一種の侮蔑の意味が含まれている。かつて私が80年代後半に高麗大学大学院で学んでいたとき、同大学院の韓国人研究者と親しくしており、彼の家に遊びに行ったことがあった。そこで彼は自分の子ども(小学生)に私を紹介してくれたのだが、するとその子どもが私を指して「倭ノム(日本の奴というような、日本人に対する侮蔑的な言葉)」と言い、互いに少し気まずい雰囲気になった経験がある。

(4)関心・価値・情報の流れの一方向性

 1980年代まで関心・価値・情報は、日本から韓国に向かって一方向に流れていた。韓国人は日本に対して意識し関心を持っていたが、日本人は韓国をそれほど意識していなかった。当時の韓国にとって日本は、(嫌いな国であるかもしれないが)米国の次に重要な国という位置づけだった。例えば、学校の外国語学習においては、第一が英語だが、その次が日本語だった。
 しかし日本は、韓国に対してほとんど意識せず関心も持たなかった。NHKの語学放送で韓国語が始まったのは1984年からだった。しかもそのタイトルをめぐって、「韓国語」とすべきか、「朝鮮語」とすべきかで議論になり、最終的には「アンニョンハシムニカ、ハングル講座」というちょっとおかしな表現に落ち着いたという経緯がある。
 韓国人が日本に関心を持っていたとはいえ、当時、実際に訪日する人は多くなかった。(新型コロナ禍以前のように)年間800万人もの人が観光旅行で日本を訪れる時代とは違い、パスポートをもつ人すらそれほど多くない時代だった。訪日する人の多くは、ビジネスや在日の親戚訪問、留学生などで、観光旅行で気軽に来るという状況にはなかった。
 そのころの韓国人の日本のイメージは、かつて朝鮮半島を支配した侵略者というものだった。一方、日本から見た韓国は、国際政治的に「反共の防波堤」として非常に重要な役割(機能)をもっていたので、その点を評価して見ていた。1960年代までは韓国よりも北朝鮮の方が軍事力・経済力で優っていたし、その背後にあるソ連や中国の存在も80年代までは日本にとって脅威であった。同じ自由主義陣営の韓国がいつまで持ちこたえられるかという一抹の不安もあった。それゆえ当時、「朝鮮半島の統一」と言った場合、それは「北朝鮮主導の統一」と考えられていたので、日本社会では「朝鮮半島の統一」についての拒否反応があった。現在とはだいぶ違っていた。
 (日韓国交正常化以降)日本は韓国のために多くの協力・援助をしてきたという言説があるが、事実はそうだとしても、80年代までの国際環境条件を考慮すると、(純粋に利他的協力というよりも)日本の(安全保障の)ためにやっていたという側面があったことは否定できない。
 このように、関心・価値・情報の流れは日本から韓国への一方向性で、韓国から日本への流れはほとんどなかった。私が韓国に留学した80年代、韓国に関する情報を収集するのに本当に苦労したのを覚えている。

(5)相互補完の関係(complementary)

 80年代までの日韓は非対称であったがゆえに、相互補完的な関係であった。
 アジアにおいて日韓は同じ反共陣営に属し、米国との同盟関係を共有していた。朝鮮半島をめぐって日米は、基本的に米国が軍事安全保障を、日本が経済協力を、それぞれ分担して韓国の反共体制の政治的安定のために協力する体制にあった。韓国の政治的安定のためには、韓国の経済発展が重要であり、そのために日米は協力した。
 そうすることがひいては日本の安全保障にとっても大きな利益になった。もし韓国が北朝鮮に飲み込まれてしまえば、日本は直接共産主義と対峙しなければならない。当時、「釜山赤旗論」ということが言われた。即ち、朝鮮半島全体が共産化された場合、それは日本にとっても重大な脅威となるから、その橋頭保である韓国にテコ入れをしなければならないという意味であった。
 最近識者の中には、「日本の防衛ラインは、38度線ではなく対馬海峡だ」という人が出てきた。本当にそう認識するならそれだけの覚悟ができているのかと、疑問に思う。
 韓国は「独裁」体制であったために、国内の異論を封じ込めて日米と協力を通して経済発展に邁進することができた。そして非対称であるがゆえに、相互無関心が結果として相互補完関係を担保したといえる。しかし関係はそれだけのことで、相互に手段として利用し合うだけの関係であり、相互関心は希薄であった。もしくは、その方が相互補完関係にとっては好都合であったともいえる。
 日韓の政府間関係が最も近づいた時代は、朴正熙という人物が活躍した1970年代ではなかったかと思う。米ハーバード大学の朝鮮史の大家カーター・エッカート教授(Carter J. Eckert)は、朴正熙は大日本帝国の帝国軍人としてのエートスを内面化していると言ったが、朴正熙こそ「よき日本人であり、よき朝鮮(韓国)人であった(これは在日作家である故つかこうへいの演劇『売春捜査官』における脇役の1人李大全(在日韓国人)を指して、主役である木村伝兵衛・警視庁部長刑事(女性)が警視総監に向けて表現した言葉である。通常は、この二つは両立し難い言葉であるわけだが、果たしてそうなのだろうかという私なりの疑問がある)」かもしれない。もちろん現在の視点からすると、そのような表現は「親日派」と批判されるだろうが。実際に、朴正熙は大統領などとして18年間韓国を統治し、その間、経済発展を達成し、北朝鮮との体制競争に関して北朝鮮との関係を逆転するなどの実績を収めたにもかかわらず、日本の植民地時代、満洲国軍人として活動し、抗日独立運動を弾圧する側に回ったという点で、現在の韓国では「親日派」として批判されることがある。
 それまで日韓を結びつけていた米国は、1970年代に入ると在韓米軍撤退を表明するなど、朝鮮半島における米国のプレゼンスがかなり低下したために、日韓のダイレクトな関係が強くなった時期であった。ただしこれはあくまでも日韓の政府間関係であって、市民同士の関係は希薄であった。

3.非対称から対称(symmetrical)へ

 韓国は高度経済成長時代を迎えて大きく発展するなか、政治的にも1987年の「民主化」を経て90年前後を境に、日韓関係は非対称から対称の関係へと変化していく。その変化について以下、概観してみる。

(1)垂直的から水平化へ

 韓国が持続的経済発展をなし先進国化するに伴い日韓の国力が接近し始め、それまでの垂直的関係から水平的関係へと変化した。GDPでみても、韓国は世界で10位前後にある先進国で、2021年6月の英国でのG7サミットにも、G7以外の参加国としてオーストラリア、インド、南アフリカと共に招聘されたが、今後、こうした枠組みが定例化する可能性もある。
 一人当たりGDPで見ても、日韓はほとんど接近しており、購買力平価(PPP)でみると最近ではむしろ韓国の方が日本を上回っている(参考:2020年の日韓のPPPは、日本42,248ドル、韓国44,620ドル、出典:IMF-World Economic Outlook Database、2021年4月)。経済的豊かさでは、ほとんど同じレベルにあると言っていいだろう。違いを挙げるとすれば、地方の力ではまだ日本の方が上回っていると思う。韓国では、価値や情報の半分以上がソウルを中心とする首都圏に集まっていて、地方の力はまだまだというところだ。
 私は開発途上国であり軍部独裁体制の韓国を研究対象に選んで研究を始めたが、韓国がそのような段階から経済的に先進国の仲間入りをし、民主主義国になっていく中で、それまでの分析手法が通用しなくなったと感じた。
 軍事力に関しても韓国は、相当な力を備えている。韓国ではよく日本の軍事大国化を批判する言説がみられるが、軍事力の規模や中身をみても、韓国自体も相当のレベルにあることは確かである。
 国際社会における韓国のプレゼンス、外交力も高まっている。とくに金大中政権のときに、外交力が飛躍的に増大したとみている。
 このような現実を前提にして、日韓両国は相互にどの程度そうした(水平関係という)認識をしているのだろうか。
 まず日本の対韓認識であるが、依然として「韓国を一段下に見る傾向」はないだろうか?また「追いかけられている」という切迫感、焦燥感に基づき過剰に反応してはいないか。韓国にしても、「大国日本は脅威だ」という認識は残っているが、その一方で、「もう日本は大したことはない」という実態以上の過小評価の声もある。

(2)均質化

 政治経済体制の面で質的に違っていた日韓両国であったが、韓国の持続的経済発展と政治的民主化は、日韓に先進的な市場経済と民主主義という基本的な体制的価値観の共有をもたらした。
 日本は、戦後「アジアで唯一の先進民主主義国」との自己イメージを持っていたが、そこに韓国が加わり、「仲間」ができたといえる。したがって日本は、韓国と相互理解を深めることができるのではないかという一種の「期待」を持つようになった。
 韓国にとっての日本は、自国のすぐ隣にあって、常に一歩先を行っている「先輩」国として、類似の文化をもっているので学習すべき対象、「モデル」国であった。つまりある種の期待が90年代にはあったように思われる。ところがその後、(一部そのような認識も残るも)期待が裏切られるような側面が出てきた。学ぼうとしたが「頼りにならない」「学ぶことがないばかりか、どうもおかしい存在」という認識が芽生えてきた。
 例えば、韓国では、過去の侵略に対する日本の歴史認識はドイツなどと比較してとても先進国として「民主主義」「人権」という価値を重視していると言えるのかとの不信感が生まれてきた。
 また「日本は右傾化」しているとの言説もよく聞かれる。朴槿恵大統領の弾劾においては、自分たちの民主主義に対する自信を深めており、逆に、「モリカケスキャンダル」にもかかわらず安倍長期政権が続いた日本の民主主義は本当に大丈夫なのか、という疑念さえ持つようになった。
 日本では、「中国への依存を深め、中国に傾斜する」韓国は、果たして価値を共有すると言えるのかとの声もよく聞かれる。韓国の民主主義は秩序を不安定にする「左派の民主主義」に過ぎないのではないかという観点から、文在寅政権について「反米、反日、親中、親北政権」ときめつける見解も少なくない。

(3)多様化・多層化

 1990年代以降、政府・財界を担い手とする政治・経済だけの関係から、地方自治体や市民社会を含む社会文化にも交流が広がり、多様・多層な関係に変化していった。とくに韓国では、1995年から地方自治が本格的に実施されるようになり、日韓の地方自治体間の交流が活発化したのである。
 もう一つは、文化の相互交流である。韓国では、日本の大衆文化の開放に対してかなりの抵抗感、拒否感が強く存在した。日本の優位な資本力を前にして、韓国の文化産業資本はひとたまりもないのではないかという恐れに近い感情があった。しかし、実際は(日本文化の韓国流入もさることながらそれ以上に)韓国文化が日本社会に波のように入ってきた。「韓流」を中心とする韓国文化への関心が日本でも大きく高まった。BTSなどの韓国のアイドルの日本での人気はそれを象徴している。
 観光客の動きを見ると、(コロナ禍前で)日本にやってきた韓国人旅行客は800万人に及んだ半面、日本人の韓国旅行客は250万人程度で(2018年統計)、この点では完全に非対称となっている。
 このように日韓関係が多様化・多層化したのは事実にしても、その内実は果たしてどうだろうか。
 地方自治体(地方政府)間関係にしても、日韓ともに中央政府の影響力が強い政治体制にあるために、独自の関係が築かれているかどうか。例えば、日韓関係が悪化すると地方自治体間交流にも影響が及ぶことがみられる。
 文化交流や人的移動が相当増えたと言っても、それが日韓の相互理解や関係改善につながっているかどうか。「韓流」ドラマにはまったからと言って、それが日韓関係に関する韓国の主張に耳を傾けることにつながるかどうか。韓国から日本に多くの観光客が来ているが、それによって相互理解を深め日韓関係をもっと相対化された視点から見ることが出来るようになったのか、などなどである。

(4)双方向化

 それまで<日本⇒韓国>の一方向に流れていた関心・情報・価値の流れが、双方向の流れに変化した。その背景には、日韓それぞれの社会で起こっている情報が、ほとんどリアルタイムでお互いの社会に入ってくるようになったこと、とくに相手国の言語がわからなくてもそうした情報に接することができるようになったことなどがある。日韓間の関心・情報・価値の流通の面では、少なくとも量的な側面で自由で闊達な相互流通が行われるようになったと言える。その結果、韓国では日米中心の関心から、中国を含めた多様な関心へと変化し、それに伴って対日関係が相対化した。日本では、韓国の社会変化や日韓関係の変化に伴う韓国自体への関心が高まった。
 こうした変化は、また相互の「感受性(敏感さ)」「脆弱性」を高めたという側面も否定できない。
 日本人が韓国に親近感を持って韓国情報に接した途端、韓国の強烈な「反日」に驚き、却って反感を感じたこともあった。せっかく韓国に「期待」して接したのに、結局韓国という国は「反日」であることは不変であり「がっかり」し、もう「韓国を諦める」しかないという具合である。
 韓国人からすると、「日本に関心をもったがそれほど学ぶべきこともなかった。むしろ韓国の方が進んでいるところが多々ある」「日本は韓国がどんなに働きかけても、『過去の侵略・支配を反省する』どころか、『それは仕方がなかった、やむを得なかった』、さらには『むしろいいことをしてやった』というようなとんでもない歴史観しか持とうとしない」「とくにそうした思考をもつ政治勢力が支配勢力になっている」「これでは『日本を諦める』しかない」「ただ放置はできないので、ことあるごとに日本批判をし、また国際社会に向けて日本の問題点は提起し続けるべきだ」などなどである。

4.相互補完から相互競争へ

(1)日韓は相互競争の関係

 非対称から対称へと変化した結果、日韓は相互補完的関係から相互競争的関係へと変わった。
 まず冷戦の終焉など90年代以降の国際情勢の変化によって、南北体制競争における韓国優位が明らかになった。その結果、反共国家韓国の北朝鮮への優位性を確保するために日韓が協力し、それが相互利益になるという共通目標が実現され喪失してしまったのである。
 韓国の体制優位が確立されたとは言っても、直ちに韓国主導の統一の可能性が高まったわけではなく、それに抗うために北朝鮮が核ミサイル開発に邁進し、北朝鮮の軍事的脅威が恒常化した。その軍事的脅威は、主として日韓に向けたられたものであったから、日(米)韓の協力の必要性は継続した。
 そして日韓が隣国として対称関係になることで、米国との同盟関係の共有、中国の大国化という新たな環境の中でどちらがより一層の利益(国益)を獲得するかなど、相互に類似した環境に置かれたために、競争関係が浮上してきた。さらに元来存在した歴史をめぐる競争・対立関係に加えて、経済に関しても、安全保障に関しても、協力関係だけではなく競争関係が高まってきたのである。

(2)対立、それとも「善意の競争」

 競争には、互いに高め合うという「善意の競争」の側面だけではなく、どんな手段を使っても相手より優位に立つことを目指す、「無限競争・対立」の側面もある。ゆえに日韓が、どのような競争を目指すのかということが問題になる。過去において一方(日本)が他方(韓国)を侵略し支配したという歴史的経験を踏まえると、「無限競争・対立」に傾斜する可能性、リスクも高い。
 その一方で、日韓は共有する環境や課題も少なくない。
 例えば、少子高齢化、環境問題、公衆衛生、地球温暖化などのイシューについては、日韓双方が競争的に取り組み、それを横目で見ながら相互に学ぶべきことを学ぶことが、非常に困難な課題に取り組むためには必要であろう。日韓が「悩みを共有し、知恵を出し合う」ことによって、こうした困難な課題を解決するためのよりよい解法を模索することにつながるのではないだろうか。
 例えば、コロナ感染対策について言うと、正直韓国の方がパフォーマンスが良かったと思う。もちろん、「K防疫」と称して賞賛されすぎたきらいはあるが、PCR検査などの取り組みについては日本として学ぶべき点も少なくない。

(3)国際環境の共有:「もう一つの日本外交」「もう一つの韓国外交」

 日韓には国際情勢に関する認識差があるとはいえ、対米同盟関係、対立・競争へと向かう米中関係への対応など共有する点も多い。また核ミサイル開発を進め不透明さを高めている北朝鮮問題への対応も、両国とも国の安全保障に直結する課題として共有している。
 以下、対北朝鮮政策と米中対立について日韓の外交について考えてみたい。

①対北朝鮮政策

 日本では、(北朝鮮の非核化よりも南北関係改善に重点をおく)文在寅政権の北朝鮮政策を批判的に見る論調が主流だ。しかし韓国は、日本が韓国の北朝鮮政策を邪魔しているように見ている。このように対北朝鮮政策に関する日韓の外交は、違いが顕著になっている面もある。
 しかし日韓の対北朝鮮政策に関する目的・方法は、本当に乖離しているのだろうか。北朝鮮の非核化に伴う軍事的脅威の減少は共通利益である。しかも軍事的な方法を可能な限り使用しないでその目的を達成することも共通利益となる。米国による朝鮮半島での局地紛争は、日韓にとっては局地紛争ではなく、かなりの確率で全体戦争にエスカレートする可能性が高い。
 そこで平和的な方法で北朝鮮の非核化をいかに実現するかという共通利益に基づき、もう少し知恵を出し合い協力するという選択肢もありうるのではないか。しかも日韓はそれぞれ異なるものの、補完的な手段を対北朝鮮政策に関して持っている。

<日本>国交正常化、経済協力は北朝鮮にとって依然として少なくとも潜在的には魅力あるカードであることは間違いない。それを今まであまり活かしてこなかった。いや活かそうとすることを自ら封じ込めてきたきらいがある。

<韓国>単独だけでの南北協力は北朝鮮の警戒感を呼び起こす(⇒韓国による吸収統一)。それを緩和するためにも日朝協力との組み合わせも一つの選択肢となる。実際に金大中政権はそれを構想した。なぜ、そうした可能性を追求しないのか。そのために日本に配慮しつつ説得しようとはしないのか。

②米中関係

 米中関係に関しても同様だ。日本は、文在寅政権は米中どちらか一方を選ぶことをせずあいまいな態度だと批判的に見ている。一方、韓国外交の基本は、安全保障は米国、経済は中国、統一・北朝鮮問題は米中なので、米中対立の激化によって米中の二者択一を迫られるような立場に立ちたくないと考えている。日本外交はそのような構造を作ろうとしており、米中対立の中で日本だけが利益を得ようとしていると否定的に見ている。
 このような違いがあるとは言っても、他の国の政策と比べた場合、日韓の政策の違いはそれほど大きなものでもないのではないか。外交の方向について言えば、日韓が望ましい、必要だと考える米中関係はそれほど乖離しているとも思えない。外交能力についても、そうした米中関係を日韓が独自の影響力を行使して形成するように働きかけることが果たしてできるのだろうか。
 米中関係に関しても、日韓のスタンスの差はあるが、米中対立のエスカレートを日本や韓国がコントロールできるはずもないし、米中対立によって経済的利益や安全保障上の自国の利益が保障されるとは決して言えない。また米中蜜月が必ずしも好ましいわけでもなく、どちらか一方を選択させられるような「踏み絵」を踏まされる状況は避けたい。こう考えると、米中対立が極限的にひどくならない範囲内で留めることに関しては、日韓ができる限りの協力をすることは少なくないと思う。

最後に

 以上のように考えると、いろいろな課題について日韓は、互いに違いを強調するのではなく、共通項をもっと考えていくべきではないか。ところが現実には、日韓両国とも相互不信、疑心をもっていて相手国の協力なしでもなんとかやっていけると考えているように見える。相互不信、疑心は動かしがたい与件だとしても、それによって日本外交、韓国外交の幅が狭められているともいえる。だが日韓が置かれた現状は、はたしてそれほど楽観的なのだろうか。「自国のために相手国とのある程度の良好な関係は必要」と考えるべきではないか。
 現在の日韓関係は、外交上の違いを意識しすぎているために、何のために協力するかという目標が見失われている。歴史認識問題にしても、国内的なリスクを負ってまで管理しようとはしなくなっている。歴史認識問題の根本解決は簡単にいかないことは明らかだから、いかに「リスク」として管理するという発想が必要であろう。ここに問題があるように感じる。
 例えば、最近イシュー化している福島原発処理水放水問題で韓国は日本政府にいろいろと注文を付けている。この問題は、日本で考える以上、彼らは非常に敏感に感じているところがあり、日本としても真摯に対応する必要があると思う。
 日韓はいまや「対称的関係」になったので、国際社会において対等に競争していくことは必要であるが、その一方で日韓が主張をぶつけ合いながらも競争の中で妥協し合うという作業も進めていくべきだろう。
 日韓間では、難しい環境条件のもと、日韓国交正常化(1965年)や日韓慰安婦合意(2015年)など、互いに努力して積み上げてきた実績がある。互いの言い分を一部認め合いながら、妥協を積み上げてきた。もちろんそれに対して否定的な見解を示す人もいるが、私はそうは思わない。日韓関係には、過去に不幸な時期があったことは事実であるから感情的しこりはあるにしても、やはり互いに妥協を積み上げることによって管理をしていくという発想が必要だと思う。
 例えば、「日韓基本条約によってすべて解決したのだからこれ以上あれこれ言うな」という日本の主張も正しいとは言えないし、韓国のように、過去の合意を覆すことを言い出すことにも問題がある。しかし互いに積み上げてきた蓄積の上に、さらに付け加えていきながら、互いの関係をより深める努力を今後もやり続けることが大切ではないか。歴史認識に関わるような問題は、1回の決め事ですぱっと割り切れるものではない。積み上げてやっていくことをやり続ける以外に日韓関係を管理することはできないと思う。

(2021年5月14日、メディア有識者懇談会における発題内容を整理した)

政策オピニオン
木宮 正史 東京大学大学院教授
著者プロフィール
1983年東京大学法学部卒、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学、および韓国・高麗大学大学院政治外交学科博士課程修了(政治学博士)。その後、法政大学助教授、東京大学大学院総合文化研究科助教授・准教授などを経て、同大学院教授。この間ハーバード大学訪問研究員を務めた。専門は朝鮮半島の政治・国際関係。主な著書に『韓国―民主化と経済発展のダイナミズム』『ナショナリズムから見た韓国・北朝鮮近現代史』『国際政治の中の韓国現代史』、編著に『歴史としての日韓国交正常化』『戦後日韓関係史』他。21年7月に『日韓関係史』(岩波新書)を刊行予定。
戦後の日韓関係史を振り返ると、1990年前後を境に政治・経済・社会面での大きな構造変化、すなわち、「非対称」から「対称」への変化があり、いまや日本と韓国は相互補完的関係から相互競争的な関係へと変わった。

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