日韓慰安婦問題合意をどう見るか? ―その評価と今後への展望―

日韓慰安婦問題合意をどう見るか? ―その評価と今後への展望―

2016年7月25日

はじめに

 2015年12月28日の慰安婦問題についての日韓政府合意は多くの関係者にとって予期せぬものであった。この問題が問題となってから約25年、日本政府主導の償い事業の立ち上げから20年経っても、日本の誠実な対応への韓国側からの要求は続き和解は成立しなかった。そしてこの問題ゆえに日韓首脳会談が長らく開かれないなど、二国間関係全体が停滞していた。それゆえ今回、政府間で合意が成立したことの意義は大きく、その影響は多岐にわたると期待される。この発表ではその意義を今回の合意の過程や内容を改めて検証することで明らかにし、この合意が被害者と日本との間の和解にもたらす効果、そして日韓関係の今後にもたらす効果を考えてみたい。いわゆる「慰安婦」については様々な呼称があり、鍵かっこ付きで表記されることが多いが、本論文では特に鍵かっこを付けずに表記する。

1.2015年12月の日韓慰安婦問題合意について

(1)内容 「日韓慰安婦問題合意」(以下「合意」と表記)は、2015年12月28日韓国において、岸田文雄外相と尹炳世外相との共同宣言という形式で発表された。まず、その内容についてみてみたい。

①日本政府の責任の明言 岸田外相は、「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」と述べ、日本政府の責任を明言した。この意義は大きい。 日本政府による慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話であるいわゆる河野談話(1993年)は慰安婦問題に対する謝罪と責任を認めたといわれている。しかしその文言を見ると、「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とあるように、そこには「責任」の言葉はなかった。その点、今度の「合意」には「責任」の言葉が入っており、韓国側としてはこの点を受け止めたのだろう。確かにアジア女性基金の償い事業の下で元慰安婦に手渡された総理の手紙には「我が国としては、道義的責任を痛感しつつ」という文言が含まれているが、これは償い金とともに手紙を受け取った元慰安婦にのみ伝わった(償い金の道義的性格のために多くの元慰安婦が受け取りを拒否した)。ゆえに今回日本政府から韓国政府、社会全体への公式声明として日本政府の責任が明言されたことの意義は大きく、河野談話の一歩前進といえる。 一方、日本側の法的責任を追及していた韓国側としても「法的」という形容詞なしに責任という言葉で収めたことは、合意後に責任の性質の不明瞭性について韓国社会で異論が出たものの、合意和解にむけた大きな譲歩であったと考えられる。

②韓国側が日本の取り組みを評価、日韓協力しての新しい財団の立ち上げ 岸田外相が、「安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」と安倍首相の気持ちを伝えた後、その具体的措置として「元慰安婦の方々の支援を目的として財団を設立し(中略)元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷を癒しのための事業を行う」とした。それに対して、尹外相は、「韓国政府は、日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取り組みを評価」したと表明した。合意では名言されていないが、「今回の発表に至るまでの取り組み」には日本政府が主導で行ってきた日本側からのアジア女性基金の償い事業が含まれると考えられる。 1997年にアジア女性基金が韓国における最初の償い事業に取り組んだときに、韓国政府は公に遺憾の意を表明し、その後もアジア女性基金の活動に対して言及することもなかった。そのような韓国政府が今回、日本の取り組みを評価すると表明した点は、和解のプロセスにおいては被害者側からの歩み寄りも必要とされるように、画期的なことである。

③最終的不可逆的な解決への合意 日本政府の表明した措置の着実な実施の前提のもとに、韓国政府は問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明した。日本側からの「誠実な対応」を常に求め続けつつも具体的に何をもって解決とするか提示してこなかった韓国側が、今回の具体的措置の実施をもって問題解決とすることが初めて明確にされ、実際的かつ確実な和解への道筋が開かれた。

④少女像の移転の努力の約束 合意では、ソウルの日本大使館前に2011年に設置されたいわゆる慰安婦像(合意では少女像)について、日本が公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念を認知していることに対して、韓国側が適切に解決されるよう努力するとされた。これは日本側としては「移設」や「撤去」として理解されている。

(2)形式 この「合意」はその方法として完全な評価を得るものではなかった。「日韓両外相共同記者発表」には正式文書はなく、ゆえに公式文書として残されることはなく、いわば両外相から記者団への一方的な発表で、記者発表後の記者からの質問も受け付けなかった。その後、同日に日韓両首脳による会談はあったがそれは電話会談で行われ、安倍首相が「心からのおわびと反省の気持ちを表明する」と改めて述べると、朴槿恵大統領は「首相が直々に表明したことは、被害者の名誉と尊厳の回復、心の傷を癒すことにつながる」と応えた。一部の学者や活動家からは、「安倍首相のおわびと反省の言葉が岸田外相による間接話法になっており、これでは被害者の心にその真意が伝わらないのではないか」「電話で気持ちを伝えるとは心がこもっていない」などの批判もあった。しかし電話会談とはいえ、韓国の大統領が「合意」を受け入れたということであり、この外相合意に重ねて両首脳の合意が得られたことはこの「合意」が揺るぎないものであると両国が認識していることの証である。 このように今回の合意は内容、方法ともに今までの膠着要因をすべて解決したといいきれるものではないが、しかしこの問題を理由にこれほどまでに膠着していた日韓関係を考えれば、両首脳双方が合意を目的とした場合の譲り合える最大の範囲の内容と方法であったといえよう。いかにその調整が微妙で繊細であるものであるかは後にみるように合意内容の各所にもあらわれている。

2.和解への意義

 次に、日韓の和解、被害者と日本との和解にとっての「合意」の意義について考察する。

(1)長すぎた解決の道 「慰安婦」問題は、1991年8月に金学順氏が初めて元慰安婦として公に証言をおこなったことが直接のきっかけとなった。95年にたち上がるアジア女性基金の道義的償いが議論されていたときに、元慰安婦の李容女氏は「待っていて年を越してまた待っていて・・・。『慰安婦』であったことを申告してからもう4年になるのに。」と早い解決、賠償を待ちわびる気持ちを表していた(※1)。それから数えても今回の「合意」に至るまでに、さらに20年が経過した。とくに元慰安婦の方々は高齢であり、人の人生が限られていることを考えたときに、20年という歳月は非常に長い期間であった。 当初、両国の外交当局とも、「慰安婦」問題が外交的懸案にならないようにと注意深く対応していた(※2)。しかし植民地時代からの日韓間での請求権問題は法的に解決済みであるという日本側の理解のもと、道義的責任にもとづく償い事業をアジア女性基金を通じて行うという日本政府の姿勢に対して、日本政府の法的責任を求める韓国運動体の声の高まりのもと、韓国政府は日本の道義的和解政策への協力を拒否した。その後も韓国側からは「被害者が納得できる真の謝罪と反省」(金大中元大統領)や「誠実な謝罪」(朴槿恵大統領)の要求がくるものの、法的責任の解決済みという日本政府の姿勢と折り合いがつかなかった。 韓国政府公式認定の元慰安婦の方は207名であったが、その中で、2016年3月24日現在、44名が存命という現状である。

(2)被害者側の協力の獲得 慰安婦問題への日本政府の取り組みや努力に対するこれまでの韓国政府の基本的立場は当初から「遺憾とする」というもので、その努力に対してその後言及さえしてこなかった。ところが、「合意」では、韓国政府が日本の今までの努力を認知し、元慰安婦支援のための措置に対しても協力を表明した。 和解のプロセスにおいては、最初に加害者側の「謝罪」があり、第2段階としてそれを受け入れた被害者側が加害者側からの具体的な和解策へ協力することができると考えたときに(※3)、この「合意」には和解における第2段階の入り口にようやく両国とも立ち、和解への意思が共有された。

(3)「責任」についての「外交的曖昧さ」に基づく合意 前述したように「合意」に「責任」という言葉が入ったことは画期的であったが、これはある意味で「建設的曖昧さ(constructive ambiguity)に基づく合意」であるという点を見落とすことはできない。これは、懸案事項に関してはあえて(争点をはっきり言明せずに)解釈の余地を残して将来に解決を委ね、現時点で合意できるところから進めていくという外交交渉におけるやり方の一つである。 今回新しく提案、計画されている基金は、法的、道義的責任を否定もせず肯定もしていない「責任」に基づくもので、日本側からすればアジア女性基金と同じロジック(⇒日本政府は法的責任は負わないが、道義的配慮から被害者の償いを行う)である。しかし韓国政府としては、基金の資金は日本政府による100%出資なので、実質的に日本政府が法的責任を行動で示していると理解している。このように両者の意に沿った解釈が可能なものとなっている。 この曖昧さが可能とした韓国側の独自の解釈ゆえに、韓国政府としては今回の「合意」においては、「韓国政府は、日本政府の実施する措置に協力する」との姿勢を出せたのである。これは1997年1月11日にアジア女性基金の代表団が訪韓して数名の被害者に会って償い金、総理の手紙などを渡したことに対して韓国政府が「問題の深刻さを認識できず、わが韓国政府と大多数の被害者の要求に背いて一時金の支給などを行ったことは、非常に遺憾に思う」(※4)と3日後の1月14日に批判したことと非常に対照的である。

(4)被害者の赦しの不在 和解への日韓政府の意思が確認された「合意」ではあるが、当の被害者にとっては「疎外」されたという意識が残った。それを象徴的に表した被害者の言葉として、元慰安婦の李玉善さんの「私たちの話なのになぜ私たちの話を聞かないのか。この問題を本当に解決したいのか」というコメントがあった(朝日新聞,2015年12月29日)。そもそも被害者には自分たちの様々な苦難をまず認知してほしいという思いが強い。ある元慰安婦が「戦争中は苦しかった。でも戦後はもっと苦しかった」というコメントしているように(※5)、元慰安婦たちは戦中に慰安所だけではなく戦後にも社会の底辺で無視、蔑視などの形で差別を受けてきて、幾重にもわたる苦しみの経験と葛藤を重ねてきた。今回のような合意で、被害者が新たに疎外感を感じることは、たとえ謝罪があったとしても真の謝罪となかなか受け取られず、そこに被害者の赦しが生まれる土壌もできない。東大名誉教授の和田春樹氏は基金の最大の失敗の原因は日本政府は本当に謝罪する気なのかと疑われたことであったと分析している。今回同じ過ちをくりかえさないためにも、被害者の苦難が認知されたと受け取られる謝罪、和解策でなければならない。 もちろん外交交渉で被害者一人ひとりの苦難、要求に応えることには限界がある。そして今回の「合意」という急展開には、後の分析でみるように水面下の政府間協議の進展の中で日韓双方の様々な政治的モメンタムに基づく政治的決断であったゆえと思われる。その政治的決断こそがこの合意を可能にしたという政治的果実と、一方で被害者が疎外感をあらたにし赦しの不在が続いているという現状にこそ、今回の合意の複雑さが表れ、そして合意にもとづく償い事業の内容と今後の履行の重要性が浮かび上がる。

(5)リーダーシップの重要性 上述のように外相合意後の両首脳による電話会談には批判もあるが、電話会談とはいえ安倍首相が朴大統領に直接謝罪を述べ、朴大統領が受け止めたことの意義は大きい。さらに両首脳間での要らぬ誤解を招かないためにも、フォローアップは大切である。 合意の尊重の面では、合意後の2016年1月に、自民党議員から「慰安婦は職業としての売春婦」であったという問題発言に対して菅官房長官は、「(慰安婦問題に関して)政府、党の考え方は決まっており、現職の国会議員であれば、そうしたことを踏まえて発言してほしい」と同日にコメントし(読売新聞電子版,2016年1月14日)、翌日には安倍首相が「(合意精神を)踏まえて、今後は発言をしていただきたい」と慎重な対応を求めるコメントをだした(時事通信,2016年1月15日)ことの意義は大きい。 一方、韓国側では、「合意」に関する世論調査で5割以上の国民が反対しているとの報道があったが(※6)、朴槿恵大統領は機会あるごとに国民世論に対して「合意」について説明を行った。1月13日の年頭記者会見で朴槿恵大統領は、合意は元慰安婦の要求(日本軍による関与認定、日本政府の公式謝罪、日本政府予算による補償)を反映している、と説明し(※7)、3月1日の独立記念日の演説でも国民に向かって理解を求めた(※8)。指導者が機会あるごとに国民に向けて説明説得してゆくことには、世論に対する和解に向けた啓蒙的教育的効果があるだろう。 また「合意」では、「不可逆的解決」が謳われたが、他の歴史認識問題からさらに触発されて問題が再燃する可能性が全くないとは言えず、可逆をいかに防ぐかという課題も残るが、そこにおけるリーダーシップの役割も期待される。そもそも「合意」に関する外交的評価の中で、「日本外交の勝利」「韓国の方が宿題が多い」など、外交的ゼロサムゲームの発想が見られるが、リーダーはゼロサムゲームを超越した新しい日韓関係のビジョンを提示すべきときだ。これは平和学者ヨハン・ガルトゥングによる「超越」(transcendence)アプローチに通じるものがある。AとBの争いをC(≠A、≠B)という全く別の次元の概念を定立することで解決を図る手法である(※9)。 例えばこの手法を応用して、慰安婦問題の教訓を生かして他国他地域の戦場における女性への性暴力問題、人権問題に日韓が共同で提言を呼びかけるなどの形で取り組むという考えもある。例えば、アフリカのボコハラムによる少女拉致事件や「イスラム国」による女性の奴隷化問題などである。ただ具体的な責任問題、予防策、被害者のケア、責任者糾弾・処罰、真相究明、歴史教訓教育などの政策論議となると、今回の合意の曖昧さの部分に触れ、慰安婦問題が蒸し返される危うさもある。 実際、今日の女性の人権の問題を慰安婦問題と結びつけることでかえって慰安婦問題を再燃する危険もある。2015年11月23日に結成されたIPCVSS(=International Parliamentary Coalition for Victims of Sexual Slavery)という「性的奴隷」問題を扱う5カ国の国会議員(韓国・米国・カナダ・ニュージーランド・英国)が代表となっている団体は、日本の慰安婦問題を最優先とし、日本政府による公式謝罪を主張している。 それゆえ日韓での「超越的」協力も慎重に進めることが必要で、その開始時期も、今回の元慰安婦のための事業が軌道に乗ってからの方が問題の蒸し返しの可能性は低くなるだろう。 もちろん「超越的」協力は現状の政治状況からすれば現実的であるとも考えられる。朴槿恵大統領の任期があと2年あり、安倍政権は長期政権となりうるとみられており、新ビジョンを発案実行する時間的余裕がある。ただその中で存在する国内抵抗要因も見逃すことはできない。韓国の総選挙(2016年4月)と次期大統領選挙(17年)に向けて、朴元淳・現ソウル市長の動きが注目されているが、彼は、かつて慰安婦問題の責任者を裁判にかけるという目的の民間法廷である女性国際戦犯法廷(東京、2000年)の検事の一人であり、昭和天皇を含む10名の戦争責任者を起訴した。彼の所属する「共に民主党」は「合意」に反対している。一方、日本では強硬保守派の合意への抵抗という懸念材料もある。

(6)被害者・加害者にとってのHumiliation(屈辱)をどう防ぐか 慰安婦問題においては加害者側、被害者側双方にとって何等かの屈辱的な事項が生じてきた。それにどう対処するかは今回の合意の履行とも密接にかかわっている。 <在韓日本大使館前の少女像> 少女像は、日本にとって公館の安寧・威厳の維持に対してhumiliating(屈辱的)であることは言うまでもないが、一方で、その移転は支援団体にとってhumiliatingである。24年余りにわたり日本大使館前での集会を続けてきた元慰安婦と支援団体にとって少女像は、歴史的苦難のストーリ、希望、連帯といった多様な象徴的意義をもっており、それが歳月と共に成長してきた面があると運動体は主張する(※10)。ゆえに今回の合意で間接的にではあるが示され理解されている、少女像の移転自体がそのような運動に対する否定だと受け止められている。元慰安婦の李玉善さんも「少女像を撤去するということは私たちを殺すことと同じ」と反発した(※11)。こうした抵抗は、元慰安婦や元慰安婦支援運動を推進する挺身隊問題対策協議会(挺対協)の主張だけではなく、韓国世論においても、「合意」に対する反対割合よりも少女像の移転に対する反対割合の方が多いところに表れている(※12)。 そのような中で、「合意」の事実上の前提とされている少女像の移転は、被害者および当事者にとっての新たな屈辱感を生み出しかねず、それをいかに防ぐかという課題が残る。 被害者側からすれば、少女像の日本大使館前での設置という行動には加害者に対する「怒りの表明」としての行動の選択であるとも考えられる。強烈な表現方法を使う過程での相手の糾弾を通じて自尊心を回復したいという被害者の思いである。和解学においては、被害者の「怒りの表明」は和解プロセスにおいて重要なものだとされる(※13)。 少女像は「怒りの表明」プロセスであると考えれば、それが日本にとっては屈辱的とはいえ、その推移を見守ることで少女像移転の時期へのヒントとなるだろう。怒りのプロセスが加害・被害の区別、被害の認知を揺るぎないものにしたと被害者が確信するまで辛抱強く見守るのである。ただ、被害者が怒りを表明し相手を糾弾することはそのまま加害者の謝罪に結びつくわけでもないし、それは和解には必ずしも到達しない。最終的には被害者が怒りを通り越して、加害者の謝罪を受け入れて和解策における協力をする段階へと進まなければならない。そうした長期的視点からみた上で、日本としては少女像のもたらす屈辱への対処が必要となる。 <被害者の傷をいかに癒すか> ここでは和解達成への最終的なカギとなる新たに創設される財団について考えてみたい。財団が被害者の傷を癒すことにどのように取り組めるのかについて、特に日本側の観点から考える。 財団の基金は日本政府からの拠出であることから、その拠出行為に対して日本の国会の決議は国民の意思を象徴的に示す役割を果たしうる。国権の最高機関としての国会であり、さらに韓国側の元慰安婦の最大の支援団体である挺対協 (今回の合意にも反対している)が日本の国会決議による謝罪を要求してきた経緯もあるからである。過去の例をみると、ドイツの戦後賠償を行った「記憶・責任・未来」財団の場合は国会決議がなされ、それのみが要因でなかったとしても償い事業に成功している。アジア女性基金の場合は国会決議はされなかった。 資金拠出以外で考えうる事業としては、 ①なんらかの形の改めての公式謝罪(首相、外務大臣、日本大使など) ②手紙(首相の名前によるもの、もしくは国民の総意としてなど) ③記憶と教訓(記念碑の建立、教育、関連団体助成支援など) ④医療福祉支援 などがある。 手紙や医療福祉支援についてはすでにアジア女性基金の下で償い金や首相のお詫びの手紙を受け取っている元慰安婦との兼ね合いについても日本政府の歴代の政策との一貫性という点から調整が必要である。韓国側から真相究明ということが提起される可能性もある。以前民主党政権時代に、戦争犯罪問題としての慰安婦問題の調査も視野に入れた「恒久平和調査局設置法案」が国会に超党派で提出されたことがあったが(注:1999年以降、4回提出)、特に保守の一部の強硬な抵抗によって成立には至らなかった。 いずれにせよ事業の企画、計画、実施は韓国側が受け持つが、すべての段階において日本と協議があったほうが日本からの予想外の反発とそれによる償い事業の頓挫を予防するためにもよいだろう。

3.合意の維持への微妙なバランス:外交的曖昧さ(責任、努力目標)の維持と国際社会での「非難・批判」を控えることの基準

 「合意」が外交的曖昧さを含む不完全なものだとしても、この合意をいかに育ててゆくかという視点が重要である。責任の性質の曖昧性や、少女像の移転についても努力目標というレベルにあることなど難しい面があるが、「合意」をいかに「最終的かつ不可逆的解決」にしていくかが大切だ。 さらに今回の「合意」の中に、「今後、国連等国際社会において、本問題(=慰安婦問題)について互いに非難・批判することは控える」との文言があるが、それは何について言及しないのか、議論をしないのかについても曖昧さが保たれている。 1998年に金大中元大統領と小渕恵三元首相が「日韓パートナーシップ宣言」を謳い、和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させ、安全保障経済文化など多分野での高次元の協力関係への発展に合意をしたが、その後の展開をつぶさに見れば(可逆的で)「失敗」だったといわざるを得ない。それを鑑とすれば、今後「合意」を真に「不可逆的」なものとするには、どうすればよいのかについて、外交的曖昧さに関してのいくつかポイント、特に国際社会における非難批判を避けるという点に関して考えてみたい。

(1)強制性の議論・「性奴隷」用語の使用について 狭義/広義の強制性についての議論があるが、慰安所での生活全体において強制性が見られたという広義の強制性については大体のところ学者・政府の間でも意見は一致するが、強制連行については公式文書は発見されておらず、論争がある。韓国のみならず国際社会で広く流布している慰安婦=性奴隷という過激な言説は、慰安婦の苦難を強調し、日本を糾弾する表現だと考えられるが、特に慰安婦が強制連行されて慰安婦にされたという誤解に根付いている部分がある。 強制連行の言説が韓国社会そして国際社会で流布してゆくにあたって意図せざるとも「裏付け」的役割を果たしたと考えられているいわゆる吉田証言がある。吉田証言(山口県労務報国会下関支部動員部長であった吉田清治が日本人が済州島で慰安婦狩りをしたという証言)はメディアで時折紹介されてきたが、特に紹介頻度が多く、期間が長かった(1982年から1997年まで計16本の関連記事)朝日新聞が2014年8月に証言を虚偽であると認め、関連記事を撤回をしている。この強制連行と性奴隷についての日本からの反論として、2014年10月3日に安倍首相は予算委員会において、「慰安婦問題については、この誤報によって多くの人々が傷つき、苦しみ、悲しみ、そして怒りを覚えたのは事実でありますし、日本のイメージが大きく傷ついたわけであります。日本が、国ぐるみで性奴隷にした(との)いわれなき中傷がいま世界で行われているのが事実であります」と述べている。一国の首相がこのように述べるほどに、「性奴隷」という誤解に基づく言葉が日本社会に与えたインパクトは強かった。 こうした中で強制連行の公式文書がない中で、日本が国家として組織的に女性を連れ去ったことの誤解をいかに解き、「性奴隷」用語の使用をなくしていくかが問題となる。強制連行の公式文書が発見されていないこと、性奴隷という表現が適切でないことを日本が国際社会で発信することが外交的曖昧さの均衡を損なわないかという問題である。どのような場でどの主体が「性奴隷」という言葉を使用し続けるかについてまず注視してゆくことが必要である。例えばワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズなどアメリカの主要メディアは、今でも「性奴隷」という用語を使っているが、2016年3月、国連女子差別撤廃委員会は慰安婦問題を含む日本に関する最終見解で(これまで使用してきたが今回は)「性奴隷」の表現は使用しなかった。2016年2月、国連の女子差別撤廃委員会での対日審査会合で日本の外務審議官が「資料に軍や官憲によるいわゆる強制連行が確認できるものはなかった」と発言したことが、米韓のメディアに取り上げられ批判の対象となった。ただし韓国政府は反論をしなかった。 今後強制連行、性奴隷についての誤解を解いてゆくためには日本側からのいい訳と責任回避ととられないように大変な注意が必要である。「性奴隷」用語ではないが、「人身売買」という概念を巡る最近の論争が強制性を巡る問題がいかに繊細かを表している。慰安婦は人身売買の被害者であるという説明を2015年4月に安倍首相はしたが、韓国側からは民間業者に責任をなすり付けるのかという批判があり、一方国内からは民間業者の活動を政府が取り締まっていなかったという意味を込めて(安倍首相が)言っているのであり、これまでより一歩進んだ発言だとの前向きの評価もあった(朝日新聞2015年3月31日朝刊 3面)。 このように一つのことを発言しても二つの反対の解釈が出る。 さらに少女像と同様に性奴隷言説を上述したような被害者の怒りを通じた自尊心回復そして赦し、和解へのプロセスの早期の段階のものであると考えれば、日本の性奴隷言説否定の議論が被害者を侮辱しないようにし、被害者の被害の認知がゆるぎないものになってゆく推移を日本として注意深く見守る必要がある。

(2)少女20万人拉致説の修正議論 学問的にも全体像が正確に把握しきれていない慰安婦問題の場合、歴史的事実の正確性を問う場合に論争になることがある。米国のマクグロウヒル社の公立高校向けなどの世界史の教科書『伝統と遭遇』がその第5版853ページで慰安婦問題に関連して「少女20万人拉致説」を紹介していたことに対して、2014年11月と12月に日本政府が他の誤認事実とともにその訂正の申し入れを行った。様々な算出方法によっても20万人というのは過大評価だと多くの歴史家が認めている。 ところが、政府がそのようなことを行うことは検閲だとして、米国の歴史学者たちが2015年3月に抗議声明を発した(※14)。すると今度は日本の保守系学者が当該教科書における8つの事実誤認を指摘しマクグロウヒルへ是正勧告を行った。この事実誤認の指摘に対して教科書の執筆者も日本政府への抗議声明を出したアメリカの学者たちも応えていない。彼ら彼女らにとっては問題は「学問の自由」と「日本政府による性奴隷制度という歴史的に確立された事実を認める」ことが問題であるからという(※15)。強制性の問題などどこまでのレベルをもって詳細に確立された事実としてみるか互いにすれ違いがある。 この問題は歴史的事実の正確性の問題と共に、歴史事実誤認の訂正を誰がどのような形で指摘できるのか、どのような指摘方法が適切なのか、さらには学問の自由のもとでの歴史問題への取り組み方などについての論点を浮かび上がらせた。ただ、学問の自由として特に学者同士の論争は徹底して詳細にまで及ぶべきであり、それは今回の合意とは別の次元の問題として続けられるべきである。

4.日韓慰安婦合意の背景と今後の展望

 最後にこの時期(2015年暮)に、「合意」がいかにして可能となったのかについて考えてみたい。とくに慰安婦問題と国際関係・外交関係としての日米韓中関係の力学の視点から、合意に至る日韓の諸要因・背景を考察する。広い視野から合意の背景を把握することによって今後の合意の履行のために考慮に入れうる諸要素を広い観点から捉えることもできる。

(1)日韓経済関係停滞、日韓安全保障協力必要性の日本側の認識の影響 慰安婦問題によって滞った日韓外交関係によって日韓の安保経済協議協力が滞ってはならないという危機感を日本は感じていた。2014年4月の慰安婦問題に関する第1回、第2回日韓局長協議では日本は慰安婦以外の竹島、徴用工裁判、韓国による日本の水産物輸入規制問題(結局日本は2015年5月にWTOに提訴している)も争点にしようとしたが、韓国は慰安婦のみと主張。すれ違いが報道された。日本は2015年2月の日韓通貨スワップ協定打ち切りの悪影響、特に中国の景気後退による韓国景気悪化の連鎖、を防ぐために通貨スワップ協定は有効と日本政府は判断しており、日本側は韓国側からの公式要請があれば受け入れるということが報道されていた(※17)。 さらに合意後のコメントではあるが、安倍首相は今回の日韓合意が、厳しさを増すアジア太平洋地域の安全保障環境、特に北朝鮮の動向に対応してゆくには、日韓の協力が必要で、そのためにも意義があったと述べている(※18)。

(2)日米韓安全保障協力強化の必要性についての日米共通認識 近年の国際情勢変化、特に北朝鮮の核・ミサイル危機の高まりと中国の台頭による北東アジアにおける力の均衡の変化に対して日米韓での安全保障協力を高める必要性は日本のみならずアメリカも認識してきた。2012年6月の協定締結一時間前に韓国側が突然キャンセルした軍事情報包括保護協定(GSOMIA)協議などでの日韓協力関係推進への期待が少なくとも日米にあった。2012年8月に出された第三次ナイ=アーミテージ報告は、日韓が軍事情報包括保護協定を締結して日米間三カ国による軍事協力を進めるように推薦していた(※19)。さらに日米には中国の経済的軍事的台頭のなかでの韓国の対中傾斜への懸念もあった。南シナ海における係争中の領域で中国による人工島造設、滑走路建設が一方的に進むなか、オバマ大統領は2015年10月のワシントンでの米韓サミットで「中国が国際的な規範とルールに従うことだ。もし中国がそうしない時には、韓国が我々と同様にしっかりと声を上げて批判することを望む。」とコメントしている(※20)。 アメリカの日韓関係の安保経済協力の欠如への懸念の底流には歴史問題、特に慰安婦問題ゆえに日韓関係が悪化しているとの認識があった。第三次ナイ=アーミテージ報告書では日本に日韓関係を複雑にする歴史問題に直面することを求めており、そして2014年の核サミットでの首脳三者会談のときからアメリカ政府は慰安婦問題解決を促す趣旨の発言を行い日米韓の安保協力強化を目指していた。2014年4月27日の米韓首脳会談後にオバマ大統領は旧日本軍の従軍慰安婦問題を「甚だしい人権侵害」と述べ(※21)、問題の重要性の認識を示した。さらに今回の合意後、ベン・ローズ国家安全保障副補佐官が慰安婦問題をアジア太平洋におけるアメリカの主要な軍事同盟国二カ国の長年にわたる緊張の要素であり続けてきたといっている(※22)。

(3)韓国へのアメリカからの影響 一方、韓国側にとっては日本の安全保障経済上の相対的重要性は低下しており、今回の合意において日本との安全保障・経済要因が韓国側の直接の動機となったとは考えられない。ただそのような中にあっても、韓国が自国にとって安全保障上重要なアメリカからの日本との慰安婦問題での和解要請に対しては、当問題の相対的重要性の低さもあっても妥協しやすかったゆえの合意になったという説明もある(※23)。そうして上述したようなアメリカの機会あるごとの慰安婦問題への言及が韓国へも作用したと考えられる。ただ、韓国にとってアメリカの安保上の重要性は一番喫緊の北朝鮮問題においてであり、そこでは日米韓というよりは米韓協力が重要となる。日米韓協力が必要とされる南シナ問題においては、対中傾斜してきた韓国にとっては、日米ほどに危機意識や協力の必要性を感じていないという(※24)。 また経済関係において、韓国が日本との経済関係修復をやはり必要としていたという説明もある。2014年12月1日には韓国の経済団体である全国経済人連合会が経団連と7年ぶりの定期会合を開き、日韓首脳会談の早期実現に向けた環境作りに取り組むことを盛り込んだ共同声明を採択した(※25)。そして実際に達成された日韓合意に対して韓国の経済界は好意的な見方をする。ただ一方で経済的に日韓が大切であるのであれば、なぜ2年間も首脳会談が開かれず次々と生じる経済関係のこじれが放置されたのか。 このように考えてくると、やはり経済的要因や安保要因におけるアメリカの影響のみが今回の合意の主たる動機となったとも考えられない。これらの要因を見てくると、合意形成の背景としては韓国の慰安婦問題における歴史意識を理解する必要がある。

(4)徐々に収束し始めた歴史認識 慰安婦問題をめぐる責任問題の道義的法的性質についての議論は1990年代から日韓で存在したが、徐々に共通理解は生じてきていた。慰安婦問題協議を進めていた野田内閣の内閣官房副長官であった斎藤勁氏によれば、2012年12月の時点で人道的措置への100%政府資金による支出、公式謝罪のラインでかなり政府間で合意は固まりつつあったという(※26)。つまり道義的責任を韓国政府は受け入れる用意があったということである。 さらにソウルの日本大使館に設置された「平和の少女像」については、日本政府は、像はウィーン条約が定める「公館の威厳の侵害」などに抵触し、問題があるとして撤去を求め続けてきた一方で、韓国運動体側は「平和の少女像」の持つ意味が反日ではないことについて説明を始めた。少女像の製作者であるキム夫妻は2014年に日本で説明会を行い、その像の持つ意味は反日ではなく慰安婦の苦難と平和への願いを示すものと説明した(※27)。さらに挺対協とその連帯してきた団体も2015年に、像は日本に公式謝罪と国家賠償を求める女性たちの歴史、平和希望、連帯、待ちわびる思いを込めて設置されたもので、日本を侮辱するためのものではないと説明している(※28)。 さらに慰安婦の強制性についても、前述したように「慰安婦が人身売買の犠牲者である」という安倍首相の2015年の理解も強制性についてのより広い理解を示すものである。これは戦前戦中の娘売りの慣行などを背景にしてさまざまなアクターがかかわっていた慰安婦制度の複雑性に視点を向け、人身売買の慣行を当時の国家も十分取り締まり処罰できていなかったことを暗に認める余地を残したものである。その意味で強制連行に日本政府は組織的にかかわったということを示す公式文書はないという説明よりは日本の責任の一面を認めたものである。 公式文書が発見されていないにもかかわらず強制連行があったという誤解が韓国社会、そして国際社会に広まった背景の一部として考えられるものには、慰安婦と挺身隊の混同と前述の吉田証言があったが、挺身隊は日本が公式に動員した挺身隊と慰安婦が違うものであること(※29)、慰安婦が組織的に挺身隊の名のもとに応募されたということも実証的に示されえないことは学問的にも明らかになった(※30)。1990年代初頭には元慰安婦を元女子勤労挺身隊と主なメディアは紹介していたが、2014年8月に朝日新聞は訂正をしており(※31)、その際、吉田証言関連記事の撤回もなされている。 このように少女像、責任の性質、強制性の理解において日韓で対立する解釈は次第に歩み寄りをみせ、共通解釈の幅が広まった。さらには慰安婦問題から視野を拡大して女性の人権問題として戦場における女性への性暴力問題への共通関心を日韓はそれぞれに示し始めていた。挺対協は日本のみを対象とした批判を超えた広い視点を持ち始め、今日の戦場での女性への性暴力の問題をも扱い始め、さらにはヴェトナムやコンゴ民主共和国の戦時性暴力被害者への救済、そしていわゆる米軍相手の韓国人慰安婦の問題にも挺対協は取り組み始めた(※32)。そして日本側としては2015年8月14日に終戦70周年内閣総理大臣談話として出された安倍談話が、日本が戦争下に、女性が深く名誉と尊厳を傷つけられたことを心に刻み、そうした女性の心に寄り添い、女性の人権が二度と傷つけられないような世界にする抱負を示した。このように慰安婦問題や今日の戦場における性暴力の議論は、日韓双方において論者を問わず共通して女性の人権問題としての枠組みのもとに語られるようになったといえる。

(5)両国の国内事情と政治的決断 今回の合意がいわば日韓両首脳の「意地の張り合い」(※33)とまで思えるほどの対立の末にスムーズに達成されたことを考えれば、国際関係の変容、アメリカの圧力とともに、日韓双方に徐々に生じた歴史認識の歩み寄りが解決に踏み出せるほどにまで相互理解の基盤が整ったといえる。あとは両首脳がどのタイミングで動くかということであった。日本としては、安倍外交の地球俯瞰外交の一方で、東アジアにおける肝心の近隣諸国との関係構築強化の必要性が指摘されていた(※34)。しかも戦後70周年で日韓国交回復50周年という節目において合意ができれば、同じ合意でもインパクトは大きくなり、近隣外交が滞っていた安倍外交においてプラスになる。そしてもっと短期的時間枠では、記事が朴大統領への名誉毀損としてソウルで訴えられていた産経新聞元ソウル支局長への12月中旬の無罪判決も安倍首相の判断を促したかもしれない。 韓国としても日韓国交樹立50周年という時期的重要性もあったであろう。韓国国内事情的には朴大統領の支持率低下防止と翌年4月の韓国議会総選挙への下地作りなどもあったと考えられる。それらのいくつかの短期的モメンタムが合意への後押しになるほどに慰安婦問題の理解の歩み寄りがあったと考えられる。 このように日韓合意には国内・国際レベルでさまざまな要因が影響し合ってこそ実現したものといえる。上記に述べたような日韓合意の尊重履行におけるさまざまなチャレンジも、まずは被害者の声を聴き、被害者の傷を癒すことを念頭にしつつ、日韓双方の政治社会動向、アメリカの動きも含めた北東アジア、東アジアでの国際関係の要因をスムーズな合意履行に十分活かしうると捉え、柔軟かつ機敏な外交的対応が図られるべきである。

5.日韓合意と日韓関係の今後

 既に上記においていくつかの箇所でも触れてきたように、今回の微妙かつ繊細な合意を今後いかに和解にもってゆくか、そして日韓関係の発展に資するようにするかは大きな課題である。そこにおいて以下、さらに大局的に歴史問題、国家間関係としての日韓を改めて考えてみたい。

(1)韓国人にとっての歴史認識問題の重み 日韓の間には慰安婦問題のほかに、徴用工・強制労働問題、竹島問題、教科書問題などの歴史認識問題があるが、今回の「合意」はそれらの問題解決に向けて促進剤となるかもしれない。それでも、諸問題の根底にある植民地支配の責任問題への視点はなんらかの形で問われるだろう。 植民地支配の責任について考えるために、ここで南基正・ソウル大学日本研究所副教授の「合意」に対するコメントを紹介したい。 「韓国人にとって、歴史認識問題とは植民地支配の苦痛をどう克服するかの問題であり、苦痛の奈落に転げ落ちた歴史の再現をどうやって防ぐかという問題だ。韓国の近代化は日本の韓国併合による植民地支配下で本格的に始まった。だからこそ、韓国のナショナリズムは日本を常に意識し、「反日か親日か」というとらえ方をする。日本が過去を美化したり、韓国人の心情に無関心だったりすると、韓国人はその都度、傷を負う。日本が「栄光の歴史」を振りかざすたびに、韓国人は「苦痛の歴史」に直面することになる。慰安婦問題とは、こうした韓国の苦痛の歴史が集約されて表現されたものだ。韓国人にとっての併合は民族の歴史を根こそぎ否定された事件であり、そこには物理的な暴力や籠絡(ろうらく)も含まれていた。だから韓国人は、慰安婦の問題を個人的な被害だとみることができない。」(朝日新聞、2015年12月29日)。 南教授のコメントは日本人が見過ごしがちな韓国(朝鮮半島)にとっての植民地支配の苦痛の記憶の繊細なありようを指摘している。日韓で植民地責任問題は法的に解決しているとはいえ、どのような外交問題を韓国と協議するにおいても、韓国人のこの心情を日本人は理解しておく必要があるだろう。というのも、韓国ではこれは心情として存在するだけではなく、政策上の問題との認識もあるからである。 趙世暎・東西大学特任教授(元外交部北東アジア局長)は以下のように述べる。「パートナーシップ共同宣言(注:1998年金大中大統領・小渕恵三首相による共同宣言)の発表で、韓国政府は今後は反省と謝罪を要求しないが、・・・過去の歴史問題を不問に付すことにしたのではなく、未解決の問題については今後も問題提起ができるということだ」(※35) これら二人の韓国人識者の考えは、(朝鮮半島の)植民地支配問題は、常に日韓関係の根底に存在し続け、なんらかの機会に具体的イシューとリンクして生じてくる可能性があり、その都度対処して解決していかなければいけない問題であると示唆している。

(2)歴史認識言説と安全保障言説のリンク 韓国の研究者の間には、昨年来の安保法制と安倍首相の唱える積極的平和主義の推進を日本の軍国主義化と解釈している人がいる。歴史問題が安全保障協力を妨げないためにも、日韓の共通の安全保障上の脅威の明確な認識とその共有、それに対するアメリカも含めた共同対処のあり方について冷静に議論する機会と場が今まで以上に必要になる。

(3)主権国家としての対等な関係の成熟 日本と韓国の二国間関係は、主権国家同士の関係としてみた場合に、未だ未熟であり、それを成熟させていくための枠組みさえも不十分である。対等な国の成熟した関係とは、力、国益、道義などの複合的要素に基づいた協調、協力、競争のメカニズムによって大体の共通の価値を持った国家間関係が安定的に保たれ、危機に面しても関係悪化をエスカレートさせない調整ができることである。欧州では欧州協調といわれる協調・協力関係が諸価値の各国共有の中で19世紀にはできあがっていたが、日韓は未だにそうした関係を完全には樹立してはいない。日韓が経済面でほぼ対等といえるほどになるまでの関係になったのは、2000年代に入ってからであって、それまでは大国と小国の関係であり、さらに両国間では戦後(独立後)の文化・社会交流の時間実績が少ない上、その時々の歴史問題で世論が大きく振れ(パートナーシップ宣言直後の改善、教科書問題、首相の靖国参拝での関係悪化など)、外交関係の悪化を招いた。文化交流にしても、韓流ブームが起きても何か問題が起こると一気に冷めてしまうということが見られた。 また独仏関係との違いでもあるが、地域的協力枠組みが(日韓を含めて)北東アジア地域にないことも成熟した日韓関係の成長が難しかった要因でもある。その中で中国の急激な台頭により力学関係が大きくダイナミックに変化しており、そこで慰安婦問題等を扱おうとすれば、荒波に揉まれざるを得ない面が当然出てくる。そのような未だ脆弱な関係を今後どう管理し、育ててゆくかが課題である。 韓国では、歴史問題、国家、民族の価値が強く主張されるが、それに対して日本は過激な民族主義の問題として一蹴するのではなく、北朝鮮との分断、軍国支配から脱した民主主義社会の歴史がまだ浅いゆえに意図的な国民意識形成が韓国には重要であるということも理解しておくべきである。

(4)継続した相互努力の必要性 今後の具体的取り組みとして二つを挙げたい。外交の分野としては、日韓が共通問題(北朝鮮の核・ミサイル問題、南シナ海問題など)への対処において、制度化した枠組みを使って安定して対処していくことが大切である。例えば、どのようなギクシャクした関係が生じたとしても、以前行われていた「日韓シャトル外交」(2004-05年、08-09年に実施)や「日中韓サミット」などは、止めずに継続することである。 もう一つは、多様なコミュニケーションの窓口(政府、ビジネス、知識人、文化人、市民社会など)を確保しておくことである。近年の情報技術に発展によって、日韓間の特に市民社会レベルでSNSなどITを利用した多層な交流が活発になったが、ネット上の一部の過激な発言をメディアが一般化された声であるかのように取り上げることによって問題化することが多々見られる。やはり対話をするには一定の作法があるわけで、官民のあらゆるレベルでそれを学んでいく必要がある。

おわりに

 多くの達成とともに課題もある今回の日韓合意ではあるが、課題は問題というよりは積極的に取り組んでいく肯定的なものとして理解されるべきである。合意は、様々な曖昧さを含んだものであるからこそ成功し、これらの曖昧さは「腫れ物に触れない」というような消極的姿勢によって保たれるのではない。日韓の積極的な今後の和解努力のうちに育つと期待される相互信頼の高まりによって、曖昧にされている内容自体が問題とされなくなる、そのような発展的解消に向かうことが期待される。今回の合意は、被害者との和解の問題、植民地責任を含む歴史問題、女性の人権問題、日韓関係、果ては東アジアにおける日米韓中関係などの様々な要素のバランスの上に立つ。ゆえに、この合意を育てて履行してゆくには、そうした側面すべてを勘案した大局的かつ長期的視点を持って日韓政府社会双方が協力してゆくことが必要である。

(2016年3月26日に開催された政策研究会における発題を整理してまとめた)

<注> ※1 土井敏邦『“記憶”と生きる 元「慰安婦」姜徳景の生涯』大月書店. 2015年. 168頁 ※2 河野談話作成過程等に関する検討チーム「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯~河野談話作成からアジア女性基金まで?」平成26年6月20日. ※3 和田春樹「アジア女性基金問題と知識人の責任」古森陽一ほか編著『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー』青弓社. 2008年. 135頁. ※4 趙世暎『日韓外交史:対立と協力の50年』(姜喜代 訳)平凡社新書. 2015年. 102頁. ※5 朴頭理さんの発言「関釜裁判ニュース第61号」2013年7月8日発行. 2頁. ※6 韓国ギャラップが2016年1月8日に発表したところによると、韓国での世論調査では日韓合意を「評価しない」が54%で「評価する」が26%であった。日本経済新聞. 2016年1月8日. http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE08H07_Y6A100C1PP8000/ ※7 毎日新聞. 2016年1月13日. http://mainichi.jp/articles/20160114/k00/00m/030/102000c ※8 毎日新聞. 2016年3月1日. http://mainichi.jp/articles/20160302/k00/00m/030/116000c ※9 Johan Galtung, “Introduction: Peace by Peaceful Conflict Transformation?the TRANSCEND approach,” Charles Webel and Johan Galtung, eds., Handbook of Peace and Conflict Studies, London: Routledge, 2007. ※10 尹美香講演「挺対協は何をしていたのか 挺対協の25年を語る」2015年11月22日. 在日本韓国YMCAホール. ※11 時事通信. 1月26日. ※12 2016年1月8日の韓国ギャラップの発表「合意内容を日本が履行するかどうかに関係なく移転すべきでない」が72%に達した。日本経済新聞. 2016年1月8日. http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE08H07_Y6A100C1PP8000/ ※13 Jeffrie Murphy, Getting Even: Forgiveness and Its Limits. Oxford: Oxford University Press, 2004. ※14 Alexis Dudden and 18 historians, “Standing with Historians in Japan,” Perspectives on History, March 2015. ※15 Jesse Johnson and Magdalena Osumi, “50 Japanese scholars fire back in McGraw-Hill sex slave row,” Japan Times, December 12, 2015. ※16 産経新聞. 2014年5月16日. http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140516/plc14051600520002-n1.htm ※17 「政府 日韓通過スワップ再開に前向き 関係筋」 ロイター. 2016年1月14日. http://jp.reuters.com/article/swap-idJPKCN0US06120160114 ※18 参議院予算委員会での安倍首相の発言. 2016年1月18日. ※19 Richard Armitage and Joseph S. Nye, A Report of the CSIS Japan Chair, The U.S.-Japan Alliance: Anchoring Stability in Asia, August 2012. p. 8, p.16. Available at http://csis.org/files/publication/120810_Armitage_USJapanAlliance_Web.pdf. ※20 Remarks by President Obama and President Park of the Republic of Korea in Joint Press Conference. East Room. October 16, 2015. Available at  https://www.whitehouse.gov/the-press-office/2015/10/16/remarks-president-obama-and-president-park-republic-korea-joint-press. ※21 “Japan issues warning to Obama over ‘comfort women’ debate.” South China Morning Post, April 26, 2014. http://www.scmp.com/news/asia/article/1497596/japan-issues-warning-obama-over-comfort-women-debate. ※22 Julliet Eilperin, ‘Agreement on “comfort women” offers strategic benefit to U.S. in Asia-Pacific.’ The Washington Post, January 9, 2016. Available at https://www.washingtonpost.com/politics/agreement-on-comfort-women-offers-ancillary-benefit-to-us-in-asia-pacific/2016/01/09/41a03d84-b54c-11e5-a842-0feb51d1d124_story.html ※23 木村幹「韓国の政治外交という視座」2016年3月18日. SYNODOS Academic Journalism. http://synodos.jp/international/16465/ ※24 木村, 前掲. ※25 「第24回経団連:全経連首脳懇談会をソウルで開催」『経団連タイムス』2014年12月11日. No. 3204. http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2014/1211_02.html ※26 コラム「慰安婦問題、『佐々江モデル』が答えだ」(1),(2).中央日報.2014年8月1日.http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=188421&servcode=100&sectcode=140 ※27 「なぜ少女はそこに座りつづけるのか?」『平和の碑(少女像)』 制作者キム・ウンソン, キム・ゾギョン. 夫妻来日記念トーク. 2015年1月19日. 豊島区民センター. ※28 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動 「要請書 日本政府は被害者が受け入れられる解決策を」2015年11月20日. ※29 女子挺身隊令は1944年8月に施行され、14歳から40歳までの女性が軍需工場での労働などに動員された。 ※30 高崎宗司「『半島女子勤労挺身隊』について」財団法人 女性のためのアジア平和国民基金「慰安婦」関係資料委員会編『「慰安婦」問題調査報告・1999』41-60頁. ※31 朝日新聞. 2014年8月5日朝刊. ※32 尹美香講演「挺対協は何をしていたのか 挺対協の25年を語る」2015年11月22日. 在日本韓国YMCAホール. ※33 趙, 268頁. ※34 田名均、宮本雄二、添谷芳秀の鼎談(工藤康司会)における田中のコメント.「言論スタジオ地球全体を俯瞰した外交戦略を構築するめどはついたのか」言論NPO. 2014年12月15日. http://www.genron-npo.net/studio/2014/12/141205.html ※35 趙, 173頁.

<資料> 日韓両外相共同記者発表(平成27年12月28日、韓国・ソウル)

1.岸田外務大臣 日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。 (1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。 (2)日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。 (3)日本政府は上記を表明するとともに,上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で,今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。 あわせて,日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。 2.尹外交部長官 韓日間の日本軍慰安婦被害者問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,韓国政府として,以下を申し述べる。 (1)韓国政府は,日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を評価し,日本政府が上記1.(2)で表明した措置が着実に実施されるとの前提で,今回の発表により,日本政府と共に,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は,日本政府の実施する措置に協力する。 (2)韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。 (3)韓国政府は,今般日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で,日本政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。 (出典http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html

政策オピニオン
熊谷 奈緒子 国際大学准教授
著者プロフィール
1997年国際基督教大学大学院修士課程修了(行政学)。2009年米国・ニューヨーク市立大学大学院博士課程修了。現在、国際大学大学院国際関係学研究科准教授。政治学博士。専門は国際機構論、国際政治学、国際紛争処理論、戦後日本外交。著書に『慰安婦問題』。

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