日韓における文化の違いをどう考えるか?―文化人類学のアプローチ―

日韓における文化の違いをどう考えるか?―文化人類学のアプローチ―

2021年9月24日
1.人類学における文化研究の視座

(1)文化人類学のアプローチ

 私は学問として文化人類学を専攻し、一貫して韓国を中心とした東アジア地域を対象に研究してきた。とくに韓国研究と日本研究は、コインの表と裏の関係にあると言ってもよく、韓国研究の副産物として新たな日本研究も拓けるというのが、私の持論である。私にとって韓国研究・韓国理解は、同時に日本認識(自己認識)にも通じる課題であるからで、韓国を通して日本の本質が見えてくるし、内省的に日本について考え直す機会にもなってきた。
 一般に文化の研究は、異文化理解・比較文化という方法をとるが、他の研究分野では研究対象の状況を限定することで論理体系的に提示するのに対して、文化人類学は複雑な実態を複雑なまま提示することを目指してきた。そのためには、異文化に現場で身をもって取り組むフィールドワークが不可欠である。それは煩わしいことと思われるかもしれないが、考えようによっては簡単なことで、自分の生活経験の一環として内省的に観察し記述するのである。これが文化人類学の研究アプローチの特徴でもある。
 韓国は日本から地理的にも近くに位置しながら、「近くて遠い」と形容されるように、文化的にも社会的にも絶妙な関係にある。つまり、何度も現地に足を運んできめ細かな対話を通して内省的に観察を深めながら知見を積み上げていくことができる。この点は、東南アジア研究やアフリカ・南米研究とはかなり違うところだと思う。また長期的な観点から研究を持続することが求められ、できるところから取り組み、考えながらやる、さらに新しい課題に挑戦していくという柔軟な姿勢で取り組むことができる。
 最近の文化人類学の研究者の中には、異文化をまるで既成の商品を紹介するかのように、あるいは博物館の標本を説明するように淡々と語る人もいるが、そのようなやり方には限界があると思う。多人数の学生を相手に分かりやすく授業をしようとすればやむを得ない面もあろうが、実際には考えながらやり、やりながら考える、そしてお互いに生活者に立ち返って、具体的な観察と洞察を生かして取り組むという姿勢が必要ではないか。

(2)普遍的人間に基礎を置く視点

 昨今「日韓関係は戦後最悪」などとよく言われる。私が1971年に初めて韓国の農村に足を踏み入れて以来、現地での肌体験を通してみてきた日韓関係も、政府間の政治的揺れ動きに一喜一憂してきたものの、大局的に見れば一貫して関係はよくなってきたと思う。
 日韓関係を考えるときに、制度としての国家を枠組みとした国家間のフォーマルな関係に限定して見ているところに問題がある。日本では、明治以来の近代国民国家形成の過程で、そのような視点から国民教育を行ってきた経緯がある。近代化において国家の政策が極めて重要な機能を担ってきたことは誰もが認めるところであるが、近代国家成立以前の普遍的人間像について、日本の国民教育には不十分であったように思う。国家の機能が最優先される中で、国家がもたらした逆機能ともいうべき負の遺産がいまだに残存しているわけで、それをどのような理念のもとで克服すべきかという課題である。その問題解決に向けては、近代学校制度による国民教育は不足だったといわざるをえない。
 中国の王朝国家では、近代国家以前から存続してきた民間社会をより重要な基本単位として初めから位置づけていた。その理念において、民間社会が国家より劣位(下位)に置かれたことは一度もなかった。民間社会、あるいは民や世間(これを「江湖」という)が国家(天下)の為政者をどのように支えるか、その暴走をいかに制御するかというテーマが、儒教思想の基本であった。
 一方、日本はそのように国家と民の関係を定立する経験がないままに、一気に国家主導の近代化を迎えたために、近代国家成立以前の社会(地域など)は国家より劣位に置かれるようになった。
 日韓関係についていえば、朝鮮では日本の植民地化によって国家を否定されるという経験をした。国家を失った朝鮮の人々と日本人は、きわめて不均衡な関係に転じた。その点について日本人は鈍感であった。あるいは、過去のことだとして忌避しようとする人も少なくない。儒教的な東アジアの文人たちが共有してきた人間観、社会観、世界観は、近代国家以前の、より普遍的な人間に基礎をおくものであったが、この点が日本の近代国民教育において基本的に欠けていたのではないかと思う。

(3)体験に根差した文化比較

 日韓における文化比較を考えるときに、国家を背負った民間人の国家意識ではなく、生身の人間として自らの生活体験として見つめながら異文化認識を練り上げていく、作り上げていくというプロセスが重要である。それは市民社会で各人が自身の意思と責任において求められる民間交流のあるべき基本的な姿であろうと思う。
 近代日本の国民教育は、国家エリート、国家アプローチを優先させてきた。しかし、以前であっても一般民衆にはそれなりに、朝鮮・韓国人の生活を自らの体で体験する機会があったはずだ。今日では、そのような交流の機会が民間ベースで急速に増え、しかもあらゆる分野に広がり、日本人も韓国人も相互理解について認識を深めてきた。その点で言えば、日韓関係は一貫して良くなる一方だったと確信する。1960〜70年代の日韓関係を知る者にとって、相互理解など到底考えられないことのように思われた。その後の発展については、日韓はともに関係成熟の達成を再確認し、もっと誇りに考えてもよいのではなかろうか。
 日韓比較をするときに、まるで博物館のカタログを読むような文化理解ではなく、まだわからないものに対して自分も体験を通してだんだん分かっていく過程であると考えるべきであろう。例えば、韓国の事物に触れたときに「どこか違う」「どこか変だな?」と直感したり、腑に落ちない感覚を持つことがあると思う。その感覚を大切にして、よく観察してみれば、何か新たに見えてくるものがある。さらに考えながら見ていくと、「ひょっとすると、考えていたのとは全く違うかもしれない」と思えてくるかもしれない。さらに「本当にそうだろうか」と疑ってみてみると、また別の面が見えてくる。冷却期間のようにいったん日本に戻り、再び韓国を訪ねて観察してみると、以前とは違った面が見えてきて、自分でも驚くことがある。こうした経験を積むことで認識も成熟していくのではないかと思う。
 このようなアプローチは、自分の感性からスタートして、もう一度整理し、再度観察し反省しながら、また違う角度から見つめなおすという知的な対話だ。その過程から、異質性と近似性が見えてくるのである。こうして文化の比較が行われていくのだが、これは専門家だけのプロセスではなく、誰でもちょっとした心がけ次第で可能なことなのだ。実際、日本の多くの市民は、そのような経験をしてきたはずである。これこそが民間交流の過程であり、それをいかにエンカレッジし、サポートするかが重要なことである。
 現代のように通信技術や交通インフラが高度に発達した社会では、日韓だけが「近くて遠い」関係ではない。世界のどの国も多かれ少なかれそのような関係にあるといえよう。そうだとすれば、「近くて遠い」関係というのは、ある意味で「正常な関係」とみることもできるだろう。ただ日韓の間には、明らかに力に起因する不均衡が存在したことも事実であった。この点は、日本人がよく自覚し反省しておくべきである。

2.韓国社会の文化的特徴

 これまでの日韓の比較研究から、日韓の意外な違いについていくつか取り上げてみたい。

(1)属人主義

 まず韓国社会の属人主義(personalism)についてである。属人主義とは、簡単に言えば行為者として個人を中心に考える社会観であり、個人を主体として組織や制度を位置づける姿勢である。主体的な個人関係を優先して、組織の規範に縛られずに個人の判断による自由で積極的な行動を認めることであり、人脈を生かした積極的な社会生活を可能とする。それは直接的な対人関係の重視として現れ、個人の主体性を前提としてお互いに対等にやりあいながら指導性と影響を発揮しようとする。また個人の創造性や意欲を促すことで社会に活力をもたらすが、一方で個人間の調整が不調となれば、安定性や持続性、蓄積などを欠くことにもなる。 
 一方、属人主義と対比されるものに組織主義や属地主義などがある。日本の近代化の過程では、組織化こそ近代化の必須条件のように考えられてきた。組織とは一定の目標を掲げて、内部の規範と調整を重視して個人の恣意的・利己的な行動を抑制することで、一定の目的達成を保障するものである。組織が脆弱であることは、それ自体が後進性とみなされる傾向があり、何事も組織をしっかりさせることが前提とされる。組織に対する過大な信頼と期待のもとに、組織を強化し精緻化することが発展とみなされることにもなる。
 官僚制度や法人的組織における役職には、それぞれの職務規定や役割が定められ、契約的な関与が求められている。人はそれぞれのポストに応じた規定に縛られるため、個人の恣意的な振る舞いが規制されることで、組織の非人格的(インパーソナル)な機能が保障されるのである。これは、主に西欧を中心に発展した制度であった。
 しかし属人主義の考え方は、それとはかなり異なる。制度から派生するポストや役職よりは、生身の主体的な個人、あるいは対人関係が重要であるとされ、パーソナルで柔軟な秩序が優先される。個人の利己的な判断や指導性が優先されれば、組織自体の可塑性とともに成員の流動性も高くなる。
 以前、崔在錫・高麗大学教授の著書を翻訳して『韓国人の社会的性格』(学生社、1977年)として出版したことがあった。その中には、韓国人の社会組織内でのありようについて上述のような姿がありありと描かれている。
 数年前に私は、北朝鮮からの脱北者の聞き取りをもとに『北朝鮮人民の生活—脱北者の手記から読み解く実相』(2017年)という本を出した。脱北者の話から分かることは、北朝鮮は社会主義の官僚組織と党の指導体制が緻密に制度化された社会でありながら、その根幹ともいうべき生活物資の配給制度が機能不全に陥っており、その裏でパーソナルな人間関係が非常に生き生きと動いていることであった。個人の主体的な私的経済活動なくしては生活できない窮状において、人々はそれぞれ人脈を生かしてインフォーマルな経済活動に踏み込まざるを得ない。それは高位幹部層から地方の幹部、一般党員、非党員に至るまで、地位と権限をもとに私的な交渉によって、互いに連携と競争の緊張の下で、生活防衛に追われるというのが実態である。利己的な対人交渉と連携にともなう緊張の下で、規定外のことを人脈を駆使してやってみせることが自分の能力であると考えて、公的機関の幹部も動員して密輸を行なったり、物資運搬のために少ない貨車便を私的目的に配車したり、ある幹部は急行列車を本来止まらない駅に止まらせたという話まである。それは、崔在錫教授が具体的に例を挙げたように、かつて韓国でも実際にみられたことであるが、北朝鮮では今でもそれに近いことが堂々と行われるという。
 制度や組織が個人の恣意性や政治性を排して一定の結果を保障するのに対して、属人主義とは個人の能力発揮によって並外れた成果をもたらす可能性を優先するともいえる。むしろ制度や組織に依存することは己の無能ぶりを認めることにもなるようだ。ただし、国際化の進展、経済合理性の定着、行政の近代化・民主化にともない、このような恣意的でパーソナルなアプローチは表面上少なくなる趨勢にある。かつて日本に来て、その制度社会の実情に触れた韓国の友人の中には、「これでは日本には夢も希望もないではないか」とまで言った。

(2)社会の流動性とパーソナリズム

 かつて日韓の学術シンポジウムで、社会制度の面から日韓両社会の特徴などを捉えるという趣旨で「日韓の社会制度の比較」がテーマとなったことがある。しかし、これは社会研究において制度や組織を重視することを前提とするもので、それ自体が日本的な発想だったと思われる。この点の日韓比較とは、そもそも制度や組織をどのように考えているかという「日韓の社会制度観の比較」から始めなければならなかったのである。その点でも日韓はかなり違っていたのである。当時もそうだが、現在でもこのことを充分に理解する人は少ないと思われる。
 例えば、研究者すらも何かスカラーシップに応募するにあたって、韓国では正当なルートからアプローチするのではなく、誰か有力な人に頼ろうとする人があった。韓国人の発想はあくまでも人間中心主義であり、エリートほどそうであった。制度・組織は人間が作ったものだから、当然変えられるものであり、少なくとも人脈を介してうまく運用することで個人の能力を発揮できると考えたようだ。
 かつて、日本生産性本部の支援を受けて社会学者とともに韓国の機械製造業のある財閥系企業を調査したことがある。そこで確認できたのは、職場という組織においても職員も個人が中心に据えられていることであった。韓国で何か商談や交渉をしようとすれば、関係部署を訪ねるのではなく、まず決定権を持つ人物を見極めて個人的に接近しなければならなかった。我々の調査もそうした人脈を頼らざるを得なかった。財閥のトップにアップローチすることになり、その側近の同級生がソウル大学の教授であることを知り、その人脈をたどった。まさか研究のため財閥の総帥を訪ねることになろうとは思わなかった。
 企業内部においても、トップの判断で大胆な人事異動がなされると、新任者は自身の指導性を発揮する上で、真っ先に組織や制度を作り変えることを考えたりする。人事とはまさに個人を個人が扱うものであって、個人的な信頼関係に拠り、つまり人脈が基礎となる。また、職務よりも個人的な関係を優先して、内部の機構も改編されたりする。同時に、外部との関係も個人的な関係を通しておこなわれる。求心的な人脈から疎んじられた成員は周辺的な存在となり、組織を超えて移動することを躊躇わない。一方、各自が保身のために外部にも人脈を保持している。こうして流動性が高いため、離職も採用も随意に柔軟になされる。人の移動ばかりでなく情報も人脈を通して組織を超えて広がる。
 職場における成功は、いかに個人が組織や制度を超えた能力を発揮するかにかかっていたといってよい。例えば、他社との交渉において、すでに結ばれている契約を反故にしたり、割り込んで注文を横取りしたり、そのような劇的ともいえる成功談を得意になって語る人も少なくなかった。今では遠い過去のこととして忘れられたのか、韓国の名誉のために口に出さないのか、少なくとも1970年代の初めまでは、日韓民間企業の取引において契約をめぐるトラブルがたいへん多かったのである。日本有数の総合商社のソウル支店長から相談を受けたことがある。契約の10中8、9件が契約不履行をめぐって紛糾したのである。前任者が結んだ契約だから無効だと平然と言ったという。これも現在では若い世代にとって信じられないことであろう。
 こうしたことは社会の流動性とも連関しており、韓国社会は総じて可塑的である。その点について韓国では、韓国は戦乱や異民族支配による変動が多くて安定を欠いたためだといった外的要因に帰したり、あるいは過度的な発展段階によるものと説明されがちであった。社会が安定を回復すれば日本と同様に属人的様相は薄れるというのだ。一方、属人主義の社会について疎かった日本人にも課題があったというべきであろうか。
 組織内では、上司との関係が非常に重要だ。上司から声をかけられれば、会社のことだけではなく、上司の私的なことまでなんでも応じなければならない。そのような密なパーソナルな関係が基礎にあって、その上に企業の制度や組織が乗っている。組織が頻繁に改変されるため会社の機構図などもあまり頼りにならない。調査対象の企業でも、機構図がないわけではなかったが、それは調査に協力してくれた職員が個人的な必要のため作ったものだった。驚いたことにその職員はライバル企業の機構図まで持っていた。同窓の友人を通して手に入れたという。交渉相手となる生身の人間を把握しておく必要があるからだという。人について言及する際に、叔父とか妻方の近親にどのような人物がいるかといった個人的な背景が話題となることも多い。直接必要がなくともそうしたバックに触れるのは、韓国ではごく普通のことだった。そのような語りに触れるたびに韓国的だなと感じたものである。
 新規採用にあたっても、人的コネクション、あるいは信頼関係が重要な要素となっている。上司から疎んじられ低い評価を受けていると考えると、身のふりを考え、帰り道に同級生などと会って転職の相談をする。すると同級生が自分の会社の上司に諮って彼に転職を勧めたりする。場合によっては、それを機会に事業拡大をもくろんで、彼の部下までも一緒に引き受けることもありえたのである。韓国経済の成長期には、こうして人間関係をたどって大胆なスカウト作戦もしばしばみられた。このように流動性が高いので中途採用も多い。人員の補充が急がれる時には従業員の人脈を生かそうとする。また、個人関係を通した情報収集や要人へのアクセスが必要となるため、社内でも職員の有力な人脈について知っておく必要に迫られ、あらかじめ社内で情報収集や調査することもあったほどである。

(3)西欧の周辺社会に見る属人主義

 人類学の観点から言うと、西欧(とくに英国)からみた周辺社会、すなわち南欧や地中海地域、極北地域では属人主義が根強い。それは「地中海人類学」とか「極北人類学」などと呼ばれて研究者の間で大きな関心事となってきた。具体的には、南イタリア(マルタ、シシリーなどの島嶼も含む)、バルカン、スペインなどでは、法人組織や契約・規範などの論理よりも、個人の人間関係が優越する現象がみられる。それは中南米社会でも同様であって、とりわけ地方社会における政治にみられるこうした慣習はcaciquismo、personalismoなどと呼ばれ関心を集めてきた。
 西欧の社会人類学者は、発展途上国や未開社会に対する先入観があったためか、共同体(corporate group)は組織規範によって人間個人の自由な意思や行動が拘束されていたとして否定的にみてきたが、その一方で、個人の利己的な人脈重視と流動的な社会についても新鮮な関心を払ってきた。
 そうした人類学的知見を念頭に韓国社会について観察すると、日韓両社会の特質もあらためて浮上してくる。ある中国人研究者は、韓国社会の属人主義を認めながら、中国社会における様相は韓国をはるかに上回るものだと言う。これに比べて、日本社会において重視されてきた組織とは、実は共同体組織であって、日本では近代化の過程においても共同体の規範を最優先させてきたのである。植民地政策においても共同体組織こそ社会の目標達成にもっとも相応しい優れたものと考えてきた。いや、日本では組織といえばほとんど自動的に共同体を指しており、それを誰もが志向してきたことを自覚することもあまりなかったといえる。韓国人の中には、制度や組織主義は植民地時代に日本人が持ち込んだものだと理解する人もいる。 
 日本が植民地政策に持ち込んだのは単なる組織重視に留まらず共同体の導入であった。しかし、欧米のみならず東アジアの文人社会においても、共同体の規範による拘束から個人が脱して、普遍的価値を踏まえて自由な精神と行動を実現することが目標とされてきたといってもよい。近代化においても共同体からの脱皮が課題となってきたのである。世界的にみても先進社会とされる社会の中で日本が特異といえるのは、その組織面において自覚されないまま共同体志向が根強い点であろう。日本では、共同体の規範を意識することはなくても、組織における和を尊重しながらも、いかに個人の意思を表現するかが問われている。日本的な意思疎通や合意のあり方、あるいは文芸における内面の表現にそれを見てとることができる。

(4)はっきりした自己主張

 多くの日本人が気づくように、韓国社会では個人の自己表現が明確で、個人の好み、意思、判断などをはっきり主張する。口ごもっていると主体性の欠けた無能な人と見なされかねない。意見をはっきり言うことで存在感が認められ、対話を通して社会は実体化するといえる。対人関係においても言葉による自己主張を躊躇わず、堂々と言い合う場面は、韓国ドラマなどでもよく見られる。言語表現が優越しているのは確かだ。言葉に拠らない自己表現や以心伝心なども通じないと考えてよい。日本の若者が、自己紹介のミニホームページなどで「今自分がはまっているもの」などといって映像を披露するのは解せないという。韓国では、自分の理念や抱負を堂々と言語で表現しなければ相手にされないのである。
 学校教育の現場にもそれは現れており、小学校の時から個人の自己表現や意思を明確に、しかも堂々と言語化することが求められる。抽象的な概念を駆使する言語能力が劣れば、指導力・影響力が乏しいとみなされる。属人主義による評価が韓国社会における競争の基礎となり、教育を通して競争が再生産されている。
 韓国にはウリ(辦葬)とナム()という概念がある。ウリとは、自分が依存し共有できる身内の関係を言い、その基本は家族関係といえる。共感を求めてウリ概念が拡張されることもあるが、基本的にナムとはウリ以外の、自身にとって潜在的な競争関係にある人々を指すといってもよい。
 ナムに対しては忖度する必要もない。はっきりと自分の意見を言うことで、多少の波風は起きようとも、新たな関係が拓かれるのであろう。本音を吐き合うことを周囲の人たちも望ましいと考える。同僚の中で、はっきりと物を言い合う機会もないまま、互いに何か馬が合わない気まずい関係にある時、それを解消させるため「サルを解く」ため「一発やりあったら良い」といって周囲でけしかけたりするのである。酒を飲み腹を割って語ることもサルプリとなる。サル(煞)とは対人関係を妨げる“魔”のような概念で、そういうことも今は少なくなっているかもしれない。

3.日本社会の文化的特徴

(1)相互主体性の意味

 日本から一歩世界に出れば、個人関係を基礎とする属人主義の方がむしろ普遍的なものであって、人類学にとっても基本的な研究対象とされる。日本に最も近い韓国社会でも、属人主義の様相は顕著であり、日本人にとって新鮮なものでもあったので、私もそれを楽しみながら研究してきたように思う。
 それでは、日本社会のあり方はどうか。組織や制度ばかりでなく、個人の人格という概念に立ち返って検討する必要がある。そもそも個人とは何かということである。個人と個人の関係において、そもそも個人というものを独立した存在という前提に立つのではなく、相手の立場を考慮に入れ、自分に期待されている行動をも含めて考えるという、相互主体性(intersubjectivity)という概念を踏まえる必要がある。
 日本人は生活を共にする場(職場、家庭そして地域も)において、周囲の人間関係だけではなく物的なものも含めて相互性を考える。つまり生身の人間だけを人格の単位と考えてはいない。人が身に着けた服や装飾品、道具、職場の物的な装置など、さまざまな物が、その人にとってはかけがえのない存在となりうる。そうした「物」には個人の思いもこめられ、その人の人格をかたちづくるといえる。
 愛用品、秘蔵品など物へのこだわりは、東アジア世界のどこでも見られると考えるかもしれないが、実は必ずしもそうではない。韓国では、この点でも最初からかなり違っている。韓国では人の内面を重視し、外面にあたる物から冷徹に峻別して、物を通して自分を表現するとか、物にこだわるということは、人格の貧しさを示すことに外ならないと考える。優先すべきは、自己の内面化された精神性、理念、普遍的な価値であって、それらは抽象的言語で直接表現すべきであり、それが誠意にかなった人間関係であると考える。それが文人層をはじめとして、人々が描いてきた人間像であったといってよい。
 では抽象的な概念による言語表現が直接的表現といえるのか、考える余地があろう。抽象概念の多くは、漢語で表現された儒教や仏教などの概念から出ているが、それがはたして直接的といえるのかどうか。韓国では、たとえばお土産などの物に込めて自分の気持ちを伝えようとすることは、間接的で不誠実だという。しかし考えようによっては物による即物的な関係の方が、感覚に訴えて直接的だともいえる。日本人なら、言葉だけいくら概念を駆使しても誠意が伝わるとはされない。むしろ何か物を添えることに依って初めて気持ちが伝わるという。このように日本と韓国では、人間、言葉、物との関係など、かなり基本的なところで相当異なるともいえる。
 人類学の視点からはこうした日本人の物に対する感性、物を通して養われる人格、物を介した社会生活が注目される。ものづくりは人づくりでもあるので、ある人類学者が用いたcrafting Japaneseなどという表現もまさにふさわしい。日本人は、手作業を通して仕事を通して自分を表現し自分らしさを身につけるのである。日本における自己観(Japanese perception of self)を掘り下げようとすれば、対人関係ばかりでなく物に対する関心や感性、道具や作品への思い入れ、手先の技と仕事などは、すべて人格と切り離すことができないのである。

(2)抽象的思考の欠如

 かつての韓国農村における書堂では、子弟たちが『千字文』から学び始め、四書五経などの古典を学んだ。漢語の概念を駆使して、抽象的概念を表現することが、インテリとしての基本とされていた。今日そうした儒学の教養は衰退したように見えるが、抽象的概念を言語でもって教育する、あるいは論理体系の中に自分の個人的体験を位置づけて理解表現するという知的な枠組みは、現在でも変わっていない。儒教思想そのものは過去のものとなってはいるが、思考の論理体系性は生きている。日本人からすると、それは「観念的」で、手先の仕事をおろそかにし実践を軽視していると見えるかもしれない。この点は、日本人の理解は十分とはいえない。
 普遍的言語によって共有できる人間像・世界像を想定するのが、儒教をはじめとする東アジアの文明・思想の伝統であった。個別の状況、物的な環境には拘束されない、自由な精神を共有し、それを言語で共有することが、東アジアの文人社会の理念であった。これはユダヤ・キリスト教世界も同様であろう。現代の自然科学や社会科学も同じで、論理体系的、抽象的思考の中に自らを位置づけるという、文明的な潮流である。これが日本には欠落しているのではないかと考えている。
 普通日本では、仏教や朱子学などを取り入れたといわれるが、それらは(韓国と比べれば)断片的であって、教養教育程度であり、普遍的人間教育の総合的人間論として行われたとはいえない。江戸時代の朱子学者の中にはそのような観念論的思想を身につけた人もいたかもしれないが、日本人の多くは物を扱い、実践して経験を積み、ものごとを解決していくという、連続的思考と実践の過程を優先してきた。観念的思考によって確信に至るという発想もなかったのではなかろうか。

(3)人間と物の連続性

 韓国社会では、人間の精神に比して物を軽視、さらには蔑視してきた。儒教には「玩物喪志」という言葉があって、少なくとも私と同じ世代の韓国人まではこの観念が生活に根づいていた。ソウル大学教授を務めた私の友人は、自分の子どもの教育に当たって「玩物喪志」を一つの教育方針として実践し、子どもの周囲には「物」を置かないように心掛けたと言っていた。周囲に置いてもよい「物」は、(「文」を代表する)筆と本だけだった。文人の道を踏み外す、誘惑を誘うような物をいかに遠ざけるかが、韓国の伝統的な文人志向教育の第一歩であった。
 韓国人の物に対する淡白さ、関心の薄さ、知識の少なさは、ちょっと気をつけて観察すればすぐ気づく。たとえば、彼らは動物や植物の名前をあまり知らない。そのような名前を知ろうとすると、大人からたしなめられたのだろう。セミの声を聴き分けることは、人格の形成にとって意味がないばかりでなく妨げとされたのである。
 物を介した表現、物をもって自分の生活をかたどりアイデンティティを表現する、物に気持ちを込めるということは、人の精神性を養う上で、物との関連を尊重することになり、感性の面で物との連続性(spiritual continuity)を認めることである。このような日本人の発想は、儒教的社会にもユダヤ・キリスト教的社会にもありえない。儒教では、人間こそが「万物の霊長」であって、人と万物とは一線を画していると考える。文人の生活伝統において、内面の徳を重視し、外面の才、器用、実践を軽視してきた。日本はそうではない。
 東アジアの文人社会が想定した生活理念では、論理体系的に世界を見つめ整理し、抽象的な概念によって分析的に説明すること、そのための言語能力が高く評価されてきた。それに対して、日本のように、物に気持ちを込めて表現したり、物を通して自分の精神の安らぎを得たり、物にこだわるような生き方は、野蛮な世界、未開な世界の思考とみられてきた。
 漢語の抽象概念によって論じられてきた東アジアの文明世界において、日本社会はその周縁に位置していたといえる。日本では、万葉集をはじめ和歌を見ればわかるように、物や自然に託して自分の精神性を表し共感を得てきた。それとは対照的に、韓国では儒教による教育はすでに過去のものとなったと思われがちであるが、基本的な人間観・世界観は今なお東アジア文人社会の知的伝統が根強いといえる。この点、私がひどく昔の話ばかりしているように聞こえるかもしれないが、現代の韓国社会においても生きている世界なのである。
 韓国のある大学生は、日本のアニメや漫画に惹かれる理由について、物を通して表現する感性の世界にあると言った。韓国の教育は、現代でも基本的に論理的、抽象的、規範的、教訓的なものが基本だともいう。それに対して、日本のアニメや漫画の世界は、自分の思いを物に込めて、短いセリフと絵でもって情感や思い、官能の世界を、しかもたいへん前向きに表現しているという。これは、自分たちになかった世界で、新しい感性の世界が開かれるような思いを持ったというのだ。伝統的な韓国社会は、儒教の影響もあって男性性の強い社会であったのに対して、日本のアニメや漫画はまさに女性性の発露であったともいう。そうした感性の世界は、今日まで主流社会が軽視しがちなものであり、その新鮮さを感じ惹かれるのだろう。

最後に

 日本と韓国は、すぐ隣に位置していたために、お互いの考え方にはそれほど違いがないと錯覚してきた。しかし中華文明社会の周辺に位置する海島社会の日本では、一部エリートはその論理体系を受容すべく努力してきたものの、多くの日本人の生活はそうではなかった。むしろ論理を口にすればたしなめられ、嫌われる社会であった。自分の周囲にはさまざまな物をおいてやすらぎ、場の空気を読んで生きる、非論理的、非体系的、即物的、具体的、多元的、実践的、経験主義的、帰納的な思考と生活をあたり前と考えて、持続性と蓄積主義的世界に生きてきた。このことを日本人の多くは、薄々気づいていても、その特質はありのまま前向き肯定的に、そして文明の主流社会に向かって発信する上で充分な方法に欠けていたといえよう。ある韓国の友人(金容沃)は、「日本の最大の問題は、自らを論理体系的に言語化できないことだ」といったのを思い起こす。
 東アジアの地域において日本が周縁的位置にあったことは確かである。それを自覚もできず、気づいていない。論理体系ではとらえどころがないために、米国の人類学者も日本の位置づけがわかりにくいのだろうと思う。しかし日本社会が身に帯びた特質、そして課題とは、中華漢文明社会の周縁だけにみられたことではなく、イスラーム世界やユダヤ・キリスト教世界の周縁部でも、いやあらゆる体系主義の世界において、周縁化された人々が共有するものであろう。世界を取り仕切る、文明的な論理体系性の中において、日本は周縁にありながらそのことを自覚しないまま、充分に言語化できずに、さりとて否定・排除されることもなく存続してきたことこそが、日本社会の特殊といえよう。

(2020年12月16日、政策研究会における発題内容を整理して掲載)

政策オピニオン
伊藤 亜人 東京大学名誉教授
著者プロフィール
東京大学教養学部教養学科卒。東京大学教授、琉球大学教授、早稲田大学教授等を歴任、現在、東京大学名誉教授。この間、ハーバード大学客員研究員、ロンドン大学SOAS上級研究員、韓国ソウル大学招聘教授を務めた。専門は文化人類学、民俗学。第11回渋沢賞(1977)、大韓民国文化勲章(2003)、第8回樫山純三賞(2015)を受賞。主な著書に『文化人類学で読む 日本の民俗社会』(2007)、『珍島―韓国農村社会の民族誌―』(2014)、『北朝鮮人民の生活―脱北者の手記から読み解く実相―』(2017)、『日本社会の周縁性』(2019)ほか。
文化人類学の知見からみると、隣国韓国との文化比較は日本社会を客観視し、その特質を自覚する上で特別な位置にあると痛感する。

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