昨今、慰安婦問題に加えて、徴用工訴訟問題をきっかけに日韓関係は以前にも増して厳しい状況に置かれているが、ここでは慰安婦問題を、歴史認識の問題として、あるいは価値の問題として考察してみたい。
1.慰安婦問題をめぐる現状
(1)2015年日韓合意後の経緯
2015年12月の慰安婦問題日韓合意(以下、「日韓合意」と記す)の後、韓国政府は合意に基づき「和解・癒やし財団」を設立し(2016年7月)、日本政府も10億円を拠出して(2016年9月)その事業をスタートさせた。しかし翌2016年末に釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されるとともに、合意で取り上げられていたソウルの日本大使館前の慰安婦像も移設されないまま推移した。
この間、韓国の政治情勢は大きな変化があり、2016年に朴槿恵大統領が弾劾され、翌年5月には文在寅政権が誕生した。この変化は、慰安婦問題への扱いの大きな転換点にもなった。すなわち文政権の下、さまざまな見直しの動きが出てきた。その動きの基本は、日韓合意から大きく外れていく方向であった。
まず、韓国政府は2017年7月に日韓合意検証のためのタスクフォースを設置し日韓合意交渉の検証を開始し、同年12月27日にその結果が発表された。その最大のポイントは、日韓合意交渉過程において被害者の声が十分に聴かれておらず、それが日韓合意に反映されていなかったことを指摘したことであった。この結果に基づき文大統領は翌28日に、この合意では慰安婦問題は解決されない、とのコメントを発表した。
そして2018年8月、日本軍慰安婦問題研究所が政府機関として設置され、その所長には日韓合意反対を主張する金昌禄・慶北大学教授が就任した。この動きには日本政府としてもこれが合意の精神に反するものにならないか警戒してみている。
さらに11月21日には「和解・癒やし財団」の解散が発表され、日本政府はそれに対して強い反発を示した。
(2)国際社会における反応
前述のような動きを国際社会はどのように見、どのような動きが展開されたかといえば、大きく見れば事実上の対日批判が継続されそれが拡大していった。この辺の動きをもう少し詳しく見てみたい。
米国では慰安婦像が増え続けているほか、ドイツにおいても像が設置された。それとともに世界各地で慰安婦問題関連行事が、いろいろなグループの人々を巻き込みながら多様な形で開かれている。
例えば、ドイツのフンボルト大学や米国のアメリカン大学では慰安婦映画上映が、ニューヨークでは慰安婦ミュージカルがそれぞれ開催された。とくにドイツのベルリン自由大学には韓国学プログラムというのがあって、そこではインターンシップや集中講義を通じて慰安婦問題に関するプログラムを学生に実施している。これらは韓国挺身隊問題対策協議会(以下、「挺対協」と記す。なお、2017年7月に「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」と改称。略称は「正義連」)のワシントン支部やベルリンの韓国協会(Korea Verband)がおこなっている。その動機としては、慰安婦問題が欧州ではあまり知られていないので、大学の韓国学プログラム(Korean Studies)を通じて啓発活動を進めていこうというものだ。
国連でも相次いで慰安婦問題に関する勧告が出されているが、それらは事実上対日批判的色彩が強い。最近のものとしては、人権理事会や人権(自由権および社会権)規約委員会や人種差別撤廃委員会などで、日本に対して被害者中心の和解アプローチを進めるようにとの勧告がなされた。
そのほかの国連の委員会、例えば、女性差別撤廃委員会、国際労働機関の条約勧告適用専門家委員会、国連拷問禁止委員会などでも、慰安婦問題が議題として取り上げられている。
(3)「和解・癒やし財団」の成果
「和解・癒やし財団」(以下、「財団」と記す)の活動については、日本では現金支給を元慰安婦の方が何人受け取ったかということくらいしか知られていないが、それ以外にもいろいろな成果があった。
現在(2018年12月)の生存被害者48名中、本人34名と58名の遺族がそれぞれ現金を受け取った。すでに財団の解散が正式に発表されたが、現在(解散発表時)申請中の被害者が2名おり、結論を待っている状態であったのに、(理事の定足数が足りないために)理事会が開かれず了承が得られないままだった。加えて、定足数を満たす努力もみられなかった。
また遺族に関しても、現金を受け取った58名のほかに、13名が申請中であったが、こちらも同様に膠着状態であった。
財団の現金支給作業においては、本人の意思を尊重しながら行ってきた。少なくとも女性家族部と外交部で計3回、本人、その家族(ないし遺族)に説明をし、その後財団担当者が説明に行き、本人あるいはその家族と彼らをサポートする人の目の前で、(音声記録も残しながら)意思を確認する作業を進めた。それは財団側が本人(遺族)に押し付けたというような誤解を防ぐためであった。
元慰安婦の方の中には文字が書けない方もいて、現金支給の受け取りに際してサインができない場合もあり、そのときは家族のサポートの下、本人にできる限りサインをしてもらうように、慎重に一つ一つの作業が進められたという。
2015年12月の日韓合意は、日本の外務大臣と、韓国外交部の長官が共同して声明を出して行われたものであった。韓国側は外交部と女性家族部が関与していたが、それぞれの役割分担がどうなっていたのかというと、財団の意思決定は、女性家族部長官の了承によって行われる仕組みであったが、財団の管轄は、(外交案件ということからすれば外交部長官が担うところだろうが)女性家族部長官が担当した。
財団の仕事としては、現金支給のほかに、継続作業として追悼事業の計画も進められていた。これに関しても注意深く考え計画されており、韓国だけではなく日本も受け入れられる内容を考えており、記念碑の案はある程度固まりつつあった。しかし、理事会決定と女性家族部長官の了承が得られる前に、政権交代となってしまった。その他、記憶事業(遺族などの証言を収集など)や遺骨返還事業の案も挙がっていたという。
2.悪化する日韓関係
(1)徴用工訴訟問題と竹島問題
2018年秋以降、元徴用工や元女子勤労挺身隊員に関して韓国大法院が日本企業への賠償確定判決を相次いで出したことで、それまで以上に、日韓関係は悪化の一途をたどっている。この件は、元慰安婦に対する賠償問題以上に深刻な問題である。
2005年の盧武鉉政権当時、韓国政府は元徴用工への賠償は1965年日韓請求権協定に含まれており、それに含まれないものとしては、①元慰安婦問題、②サハリン在留朝鮮人・韓国人問題、③原爆被害の朝鮮人・韓国人問題の三つだとはっきり明示したのだった。つまり元徴用工への賠償は、65年協定によって解決済みということが韓国政府の基本的見解であった。ところが、それを否定するような判断を今回司法が行ったので、それを韓国政府がどう説明し、どうしていくのかが問われることになった。
さらに18年10月には、国際観艦式で自衛艦旗を掲げないように海上自衛隊に要請があり、最終的に海上自衛隊は観艦式への参加を見送る決断をした。そして同じ時期、韓国の与野党議員団が竹島(独島)に上陸をするというできごともあった(10月22日、11月26日)。
こうした日韓関係の悪化に伴い、それ以前と同様に、さまざまな政府会議や市民交流が中止となった(例えば、特許庁会合や商工会首脳会談など)。
(2)問題の背景
次に、こうした日韓関係のこじれの背景について考察する。
人権弁護士出身の文在寅大統領は、大統領選挙期間中から2015年の日韓合意に反対を表明していた。当時は「合意破棄」まで言及していたが、大統領就任後は若干トーンダウンしたものの、合意の見直しは明言していた。文大統領のスタンスは、朴槿恵大統領の弾劾キャンペーンの象徴的攻撃対象が、日韓合意、その実体としての「和解・癒やし財団」であった。2018年夏ごろから、財団のあるビルの前に挺対協とその関係者、ならびに元慰安婦の方などが集まり、財団への反対活動を行っていた。
次に韓国の国内世論であるが、よく言われる「韓国人の情緒を理解してほしい」というものがある。日本から見るとそれは「反日」のように映る。
慰安婦問題を扱う人々の中には、日本の「法的」責任を一部の元慰安婦とともに求めている。彼ら彼女らは、法的責任の主張だけではなく、韓国の被害性や日本の加害性を少しでも弱めるような言動に対する反対活動も展開してきた。その代表的例が、朴裕河教授の著書『帝国の慰安婦』をめぐる名誉毀損裁判である。朴教授の意図は日本の加害性を弱めることではない。
朴裕河教授は、植民地支配権力が元慰安婦を含む朝鮮人たちが日本帝国に協力せざるを得なかった状況を生み出した、その複雑な構造的な問題を描き出したのであった。そのような構造を明確化するだけでも、元慰安婦に対する名誉毀損だとして、民事・刑事の両面で訴えられたのであった。これに対して韓国の一般世論は、黙認、あるいは追認というのが一般的な風潮であった。
挺対協の声がなぜ大きく取り上げられるのかと韓国の方に聞くと、「韓国は民主主義国家であり、市民の声を反映しているのだ」というポジティブな反応が返ってくる。
それから国際社会の「理解」が韓国を後押ししているという面もあるだろう。後で詳しく述べるが、韓国側の主張する日韓合意破棄や財団の解散などに関して、国際社会はどちらかというと日本に味方する流れにはなっていない。せいぜい韓国の主張は「過激な民族主義」の側面があるというところで、日本の主張に同調するというところまではいかない。このような国際的な動きは、韓国の活動家には力強い後押しとなっている。
さらに地政学的、国際情勢的な動きも関係している。2018年に入り、北朝鮮による核・ミサイル危機が若干緩和して、宥和局面に流れたために、それまでの日米韓の軍事連携の緊急性がやや低下することで、歴史認識問題が表面に出てきやすくなったということである。
最後に、韓国側の率直な声をも紹介しておきたい。一つには、日韓合意の後、韓国の人たちは、追加措置に日本が否定的だという認識を持ったことがある。その象徴的なことが「安倍首相の妄動発言」といわれるものである。つまり、日韓合意のあと衆院予算委員会の質疑応答で(2016年10月)、日韓合意の追加措置として、例えば元慰安婦に対してお詫びの手紙などを出す考えはあるかと聞かれて安倍首相は、「われわれは毛頭考えていない」と答えたことが、韓国で大きく取り上げられ報道された。
より広い背景として、韓国の一部の大学教授など知識人によるいわゆる「日本の右傾化」への憂慮がある。何をもって右傾化なのか尋ねると、防衛費の増強、憲法改正の動き、集団的自衛権の行使を条件つきながらも認めたことなどを挙げる。勿論そうした認識は誤解なのであるが、そう捉えられていることは現実である。そして在日朝鮮人・韓国人に対するヘイトスピーチ問題も小さくない問題のようである。これに関して日本では、罰則規定はないが「ヘイトスピーチ対策法」として法制化(2016年)されてはいるものの、YouTubeなどネット上ではヘイトスピーチがいまだに横行しているとの認識である。こうした動きには敏感に反応してくる。
3.被害者の置き去りと引き続く場外戦
生存被害者(元慰安婦)が少なくなったとはいえ、いまでも生存しているということに対して、日韓両政府ともに無神経であると感じている。とくに外交上の立場からは、国と国の関係ということにはなるが、被害者がそのような動きをどう見て、どう感じているのかについて、心の及んだコメントがあまり出てこないという印象がある。
受け取りの申請をして結論を待っている被害者も少なからずいるにもかかわらず、財団を(機能していないという理由で)解散してしまった。機能していないのなら、機能するように努力することこそ、韓国政府の役割であるのではないか。
韓国側は「被害者中心主義」ということをよく言うが、それが被害者一人ひとりの意思を尊重することであるとすれば、(未受給の)申請者がたとえわずかであったとしても活動を継続すべきではないか。
また財団の解散にあたっても、日韓両政府からは被害者への言及はとくになかった。
挺対協とナヌムの家などの被害者支援団体は、被害者を「代弁」すると言う。本当に代弁しているのかということである。先述したように日韓合意検証のためのタスクフォースは、2017年12月の日韓合意に至る経緯についての報告の中で、「被害者の声を聞いていなかった」と述べた。詳細な事実確認が必要ではあるが、しかし実際、合意のため事前に被害者に会おうとした関係者にその事情について聞いてみると、挺対協などに行っても元慰安婦に会うことができず、直接意思確認ができなかったという。そのような状況をもってタスクフォースの報告書に「被害者の声を聞いていない」と書くのは、事実を反映していないのではないか。
4.海外での慰安婦問題の解釈
(1)日本の加害性を重視する海外の認識の観点
日本の法的責任追及派(挺対協など)について欧米の歴史家や国際関係論の研究者は、その過激な民族主義の存在は認めても、日本の主張に対する理解にはつながっていないのが現状である。例えば、日本の主張には、慰安婦の犠牲者数20万人、慰安婦の25%しか生き延びなかったなどの十分な裏付けのない事実に対して、訂正要求も多いが、それらは欧米の研究者の間では認められていない。公文書が残されていないこともあり、いわゆる「強制連行」の存在も認められていないが、被害者証言を重視し、広い意味での強制として問題を解釈する欧米の研究者は、日本からの説明を受け入れない。
また慰安婦像について海外はどう捉えているのか。まず像それ自体が問題視されていないことがある。彼らは「像の何が問題なのか?」と聞いてくる。それに対して日本側は「ウィーン条約違反だ」と答えるが、それについてはうなずく程度でそれ以上の共感には繋がらない。
また釜山の日本総領事館前に慰安婦像が建てられたとき、長嶺駐韓日本大使他が一時帰国したことがあった(2017年1月)。それについて欧米のメディアは、韓国側の合意への不満を紹介し、設置の同時期の稲田防衛大臣による靖国訪問などを紹介しながら、むしろ日本の反応が日韓関係全体を停止させてしまうかのような論調で報道していた。このような海外の理解の現実を日本はもっと直視すべきだと思う。
(2)日本は「記憶の抹殺者」
米国での像設置をめぐるさまざまな論争が、「日本は記憶の抹殺者」であるという言説となって、誤解が拡大していることがある。これまでの経緯を見れば分かるように、日本は何度も加害性を認めながらも、(発表の仕方の問題もあるかもしれないが)数字など細かい部分について反論しているのだが、それが逆に日本は加害性までも否定し、その記憶も消そうとしていると受け取られている。
例えば、グレンデール慰安婦像撤去訴訟や、サンフランシスコ慰安婦像(「強靭さの柱」と言われる)について大阪市長が姉妹都市関係の解消を通告したことがある。それについてアメリカの主要メディアの報道は、そうした日本の動きについて、歴史や記憶を否定する動きだという指摘を紹介している。
慰安婦問題に関連したミュージカルや映画祭の上映など、その教育普及の問題も指摘しておきたい。
サンフランシスコ市は2015年に、またカリフォルニア州は2016年にそれぞれ公立高校教科書課程に慰安婦問題を含めるように措置を取った。このこと自体が問題というより、何をどのように記述するかの問題と考える。日本側が指摘し訂正を求めた間違った事実が訂正されずに掲載され、一方日本側の和解のためのこれまでの努力が掲載されないまま、教科書課程が作られている。そしてWeb上に、慰安婦問題教育用の授業教材がアップされている(例:Education for Social Justice Foundationが運営するサイト等)。そこでは日本側の一部の発言を選択的に取り出して、日本は反省もせず、事実さえも消し去ろうとしているというトーンで紹介するなど、偏った内容になっている。
(3)国連での反応
もう一つ海外で問題になったのが、ユネスコの世界の記憶への登録申請である。挺対協を含む各国のグループが、慰安婦関連資料の登録を申請したが、2017年10月に結論を出すことが延期された。これは日本からも、(強硬保守派のグループが)慰安婦問題に関連して資料の登録をユネスコに申請したために、ユネスコの「世界の記憶」の登録審査を行う国際諮問委員会が両者に対して対話をして話し合うことを求めて延期を決めたのだった。
2015年に中国が申請した「南京大虐殺文書」の一部に指摘された信憑性と事実認識についての疑義が晴らされることもなく登録されたため、日本としては同じ問題が生じることを非常に懸念している。
さらに国連からは、先述したような人権に関連の諸委員会から引き続き対日非難勧告が出された。日本は反省をしていない、法的責任をとっていない、責任者の不処罰などの問題を指摘され勧告が出された。2015年の日韓合意についても、国連拷問禁止委員会が韓国の外交部長官直属の日韓合意検討作業部会の意見を反映して「2015年合意は不十分だ。被害者の声をきちんと反映していないので、日本は追加措置が必要だ」と勧告した。
このような国際社会の認識は、日本にとって非常に厳しい状況といわざるを得ない。
5.政治化された和解
(1)糾弾としての追悼事業
「和解」について、普遍的に合意された定義はないが、一般には「加害者が加害事実を認めて謝罪し、被害者が加害者の謝罪を受け入れ、ともに和解事業を行っていくプロセス」と解されている。日韓慰安婦問題の経緯を追ってみると、「和解」自体が非常に政治化されている。
共に行う和解事業の一つに「追悼事業」がある。ところが、その追悼事業が、(加害者=日本に対する)糾弾の場と化しているのである。もちろん和解のためのプロセスは、一進一退を繰り返すものだが、 和解の段階に至れば、謝罪とともに「赦し」もしくは少なくとも「憤りの克服」があるということでもある。その段階では、既に「糾弾」という姿勢は克服されている。しかし韓国での追悼事業には、事実上の糾弾が伴っている。
例えば、韓国政府は今年から8月14日を(1991年のこの日、金学順さんが初めて自分が元慰安婦であることを公に公表し名乗ったことをもって)「慰安婦被害者をたたえる日(慰安婦の日)」として制定したが、その式典開催と同時に、日本大使館前では抗議デモが行われた。
(2)被害者の声の軽視
もうひとつは、ソウルの南山公園にある「(慰安婦)記憶の場」は、2016年8月に被害者の被害内容や戦後の苦しみを記憶するために設置された。そこには被害者の名前を刻んだ碑が立っている。ところが名前を刻まれた被害者あるいはその遺族の合意を得ずに碑は建てられた。そのために、自分が元慰安婦であることが周囲に知られてしまい苦痛を味わったことから、自分の名前を消しに行ったおばあさんがいたという。それについて外交部関係者に聞いても、「いろいろな声がありますから」という曖昧な答えしか返ってこなかった。被害者中心主義であるならば、一人ひとりの意思が非常に尊重されるべきで、名前を刻むか否かについて非常に慎重な判断をしなければならない。
(3)運動体の存在意義証明のための和解
像は何のためにあるのかということである。「被害を記憶するための像」という考え方は、通常の和解策の一つであるが、慰安婦像が象徴する内容や像の設置場所が、本当に被害の記憶や追悼に資するかは疑問である。むしろ日本への糾弾、要求、そしてそれらを推進してきた運動(体)を記念するという場になっている。
2015年に挺対協の尹美香代表や彫刻家のキム・ウンソン氏が来日して、慰安婦問題に関しての講演をしたことがあった。そのとき慰安婦像の意味については、像は日本に公式謝罪と国家賠償を求める女性たちの歴史、平和希望、連帯、待ちわびる思いを込めて設置されたもので、日本を侮辱するためのものではない、との旨を説明していた。
しかし現実を見れば、日本を侮辱するためのではないかもしれないが、日本に要求するための(象徴的な)像であって、純粋に記憶のための像にはなっていない。要求のための像なので、固定化した一部の慰安婦のイメージを表現した像が、しかも日本大使館の前に立てられているのである。
和解における被害者側から加害者側への要求は、加害被害事実認識、謝罪要求、補償記念碑などの要求となるが、和解が進むにつれ、被害者は赦しの段階に至る。現在の慰安婦像は記憶という最終段階の像というよりは、赦しの段階には達しておらず、政治的要求の象徴になっている。また、水曜集会を25年以上継続してきたことを記念する(運動体のための)像となっている。
(4)ユネスコ「世界の記憶」へ慰安婦問題資料登録申請
「日本軍『慰安婦』関連記録ユネスコ世界記憶遺産共同登録するための国際連帯委員会」(7カ国1地域からなる14団体)が、日本軍慰安婦制度に関する公文書及び私文書、日本軍慰安婦被害者に関する記録、慰安婦問題解決のための活動記録など計2744件を、ユネスコ世界の記憶として登録すべく申請をしたが、その名称を「日本軍『慰安婦』の声」としている。
そもそもユネスコは、「国際平和と人類の福祉の促進」を目的として設立されている国際組織であって、ある特定のグループや組織・団体を糾弾するためのものではない。しかし上記「国際連帯委員会」が署名活動などを行う際に発している言葉や表現を見ると、「日本は謝罪していないから登録する」「人権や正義に沿った解決のために登録される必要がある」などとしている。つまり、日本を糾弾するためにユネスコを利用している。
この状況に対し、以下、ユネスコの「世界の記憶」への国際連帯委員会による資料申請の意味を、以下詳細に考察してみたい。
1)声(voice)ではなく要求、主張(claim)
まず、「国際連帯委員会」が行っていることは、(「日本軍『慰安婦』の声」というタイトルにあるような)voiceというよりはclaimになっている。とくに慰安婦問題解決のための活動記録が申請資料に含まれているということであるが、平和は和解から来るわけだが、そのようなクレームを「世界の記憶」にして真の平和に資するものになり得るのかと思う。
ある欧州の学者が指摘したことであるが、先述した2744件の資料は、被害者本人ないしはその家族(遺族)が本当にユネスコの世界記憶遺産として登録することの合意を取っているのかと聞いていた。実際支援団体の関係者が被害者を訪ねてきたがユネスコの記憶遺産として登録されるとは認識していなかったケースもあったようだ。自分の証言が公の歴史の記録として残っていいのか、公にはしてほしくないと思っている方もいるかもしれない。その辺の問題も指摘されている。
また、「世界の記憶」が平和のためであるとすれば、兵士や加害者の声、戦争における性暴力における他の事例も含めるべきではないか。タイトルは「日本軍『慰安婦』の声」となっているが、「国際連帯委員会」の人たちは、現在進行形のイスラム国やコンゴ民主共和国における女性の性暴力をも取り上げて、ユネスコ登録の意義を訴える。本当に戦争における性暴力を考えるのであれば、一つの国を超えて人類的な問題となるはずだ。日本以外の事例も取り出して訴えるのであれば、「戦争における性暴力」などというタイトルで登録申請した方が適当ではないかと尋ねてみたが、「戦争における性暴力がきちんと国際的問題として認識されたのは、日本軍がきっかけだから、それをタイトルにした」という回答であった。
そこで私は彼らに「兵士の声は入れないのか?」と聞いてみたが、「入れるのは止めた。大事なことは勇気を持って声を上げた女性たちの思いなのであって、その声が重要視されるべきだから取り上げた」という回答であった。日本でも、「従軍慰安婦110番」という組織が1990年代にできて元兵士たちの声を集めたことがあり、それが『従軍慰安婦110番―電話の向こうから歴史の声が』(1992年)という本にまとめられている。戦時中の女性の性暴力を防ごうとするのであれば、そうした兵士の声も入れておくべきではないかと考える。
2)慰安婦問題の背景にある構造的要素
さらに元慰安婦を戦後沈黙させてきた社会やその規範についての資料や証言も入れるべきである。戦後長らく沈黙を強いられてきた元慰安婦が勇気を持って発言したことが重要であるならば、そうさせていた家父長的価値観や社会構造の問題を指摘する資料も同時に必要となる。
こうした問題を浮かび上がらせる資料があってこそ、沈黙を強いられてきた構造的側面が明らかになってくるのだろう。例えば、慰安婦であったことがわかって、家族から絶縁されたり離婚された、いっしょにテーブルで食事をするのも嫌だと言われたり、同じ墓に入れてもらえないといわれた等、元慰安婦たちは戦後さまざまな社会的な苦痛を強いられた。本人がそのような事実を残して欲しいかどうかという点への配慮をしながらも、そうした背景にも言及しないと、慰安婦問題の全体像を描き出すことは難しい。
3)登録基準と公平性
ユネスコの「世界の記憶」にはいくつかの登録基準がある。その代表的なものは、①真正性、②世界的重要性、③代替不可避性である。
①の真正性については、以下の点がある。この資料群にはクマワスラミ報告書も含まれている。この報告書は確かに国連への報告書であるが、同報告書には間違った事実もある。そこは問題視されないのか。②と③については、 ルワンダや旧ユーゴスラビアでの虐殺のときにも女性への性暴力が行われたが、それと比較したときに、日本軍の慰安婦問題に世界的重要性と代替不可避性があるのかと指摘した研究者もいた。
4)相互理解の不在
国際連帯委員会に対抗する団体として「歴史の真実を求める世界連合会」が、同時に「『慰安婦』と日本軍の訓練に関する記録申請」というタイトルでユネスコに申請を行った。ここには、日本軍の意図的な強制連行の不在や慰安婦の自発性を示す資料等が入っている。
ユネスコの世界記憶遺産としては、国際連帯と世界連合会の対話を促し、結論を保留した。しかし国際連帯委員会の関係者の中には、対話すること自体恥ずべきことだ、と考えている者もいる。
また、ユネスコの「世界の記憶」を申請した「国際連帯委員会」は、日本側の理解なり合意なりを得てから、登録を申請すべきであった。参考例として、京都の舞鶴市が「シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」という記憶遺産を登録申請したことがあった。これはシベリア抑留された日本人が家族に宛てた手紙や手記などで、当時のソ連の扱いの厳しさ・残酷さを物語るものとなっていた。この登録に当たって舞鶴市は、ロシアのナホトカ市に理解を得た上で申請を行ったのである。日本海沿岸の日本とロシアの市長会議において、この申請の趣旨説明を行い、理解を得る機会を設けた上で進めた。このような手続きを踏み、双方の理解を得た上でやってこそ、真の平和に資する記憶遺産となるだろう。
6.日本の慰安婦問題への取り組み方
(1)韓国との継続的協議
今回の財団の解散発表(2018年11月)に関連しては、大使の帰国もなく、河野外相も継続的に対話を続けるとした。それでは何を協議するのか。
財団の解散が日韓合意に与える意味は何か。日本は「合意破棄」と理解している。さらに現金支給活動が進行中である中で、日本の拠出金の残額(57億8000万ウォン)の使途の問題がある。案としては、日本に返却、韓国の追悼事業に使用、国連の団体に寄付などが上がっている。
ここで日本の、財団への関わりについて考えてみたい。このあたりはなかなか見えない部分であったので、日韓合意が癒し事業をどう捉えていたのかの原点に戻って考えてみたい。
2015年の日韓合意の共同記者会見での岸田外相の声明には、以下のような部分がある。
「日本政府は、これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ、その経験に立って、今般、日本政府の予算により、全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には、韓国政府が、元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し、日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。」
この文言からは、財団は韓国で設立されるが、癒しの事業に関しては、日本も協力して進めていくとも解釈できる。実際日韓の役割分担は、日本が資金を出しそれに基づいて韓国が財団を立ち上げ、その財団運営はまったく韓国の管轄(女性家族部)の下で進められた。そこに日本政府は、どう関わったのか、あるいはどう関わろうとしてきたのか。財団側の話によれば、日本政府の関係者とは直接かかわっていなかったという。
安倍首相が「(お詫びの手紙等の追加措置は)毛頭考えていない」と発言したとき、韓国側は反発と失望を示したが、その根拠として合意時における岸田外相の声明に言及することはなかった。つまり日韓両政府が協力して進めるとしていながらも、実際にはお金は日本が出し、運営は韓国がやるというような役割分担を事前に当事者間で合意していたのではないかと考えられる。おそらく韓国側としては、事業運営に日本には関わってほしくないと考えていたようにも思われる。
1993年に日本が、16名の元慰安婦に聞き取りを進めようとしたことがあった。そこで挺対協にその旨を伝えて進めようとしたのだが、「加害者の、しかも男性が被害者に直接会って話を聞くとは何事だ」という返事が返ってきた。しかし証言が聞けないのであれば、日本として何があったのか、どう理解していたのかを確認してこそきちんとした補償ができるわけで、それができなくなってしまった。
韓国側は、追加措置を求めているが、それは日韓が共同事業を進めるということなのか、日本側は何を日韓合意の中でできるのか、など日韓合意の中で共通の理解を得る努力が必要である。
(2)外交と和解のバランス
慰安婦問題について国際社会の理解と日本の理解との間にはかなりの「ずれ」があることを認識しつつ、その中で日本として国際社会にどう関わっていくのかという課題がある。その一方で韓国とは、慰安婦問題があっても、建設的・生産的な関係を継続していく必要があることはいうまでもないことだから、問題を全体の中でどうバランスをどうとるのかが重要になる。
日本側は、外交問題、政府間問題としては、日韓合意によって慰安婦問題は終了したと考えている。しかし被害者は生存しており、そして和解は両国の戦後世代も含めた長期的な課題である。和解は、加害者の加害認識、謝罪、被害者の許しという両者の共同作業によってなされていくもので、その共同作業は長期的に続いていくものだ。
例えば、戦時中に在米日系人の迫害に関しても、ブッシュ(父)大統領からの謝罪の手紙や償い金の支払い等なされたが、強制収容所跡、博物館の建設や教育プログラムを通じて日系人の収容の話は語り継がれている。
記憶の作業や記念館の建設において、どのような像をどこに立てるかという課題はあるにしても、「像を立てる」という和解事業もあり得る。それまで日本が拒否することはできないと思う。このような和解の作業と外交としての扱いのバランス、そしてそれぞれの役割分担や和解の内容を考慮しつつ、どのように進めていくかは難しい問題だ。
そのとき問題になるのは、日本は日韓合意の履行に関して10億円の拠出金を出したと必ず主張するが、それが「手切れ金」の意味合いのように韓国側に受け取れられている。韓国側からは、「日本は誠実な反省、謝罪をしていない」と言われる。日本からの10億円拠出が和解の一歩であるということ、反省に基づいたものだということを様々な場における言動で示してゆくことが必要となる。それは謝罪を繰り返すことでは必ずしもない。謝罪を繰り返していても、それが相手に伝わらないことも多い。「誠実な」という意味は、謝罪を繰り返すことではない。日本が把握している事実をきちんと発信していくこと、そしてその被害者への気遣いを忘れていないことを出してゆくことである。これは既存の外交的枠組みで可能である。
(3)和解に向けた取り組み
まず日本は、日本が何をもって和解と考えているかことを実施継続する必要があるだろう。例えば、記憶の作業などは今までの和解努力、例えば河野談話など、の中に含まれているので、そうした努力を継続することが10億円の拠出とともに日本の和解への理解と信頼となってゆくだろう。
被害を記憶にとどめることは和解の重要なポイントである。被害者が加害者を赦せないのは、赦すことで被害が忘却されることを恐れているからだといわれる。これは日韓の慰安婦問題に限らず、世界的に見ても、ホロコーストや暴力の被害などで同様のことがいわれる。そこで日本としては、忘却していないことを示していくことが重要である。
日本が記憶し続ける意思は、既に以下に表れている。
①河野談話
②アジア女性基金の女性尊厳事業
③安倍談話
④2015年日韓合意
⑤国連安保決議1325:戦争における女性の性暴力防止に関する決議の履行、国別行動計画の策定と実施
⑥アジア女性基金のフォローアップ事業
これらはアピールする価値のあるものだと思う。これら既存の枠組みの中での事業を充実、活用させてゆくことができるだろう。
例えば、河野談話には、「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と書いてある。それでは「歴史教育はどこで何をどのように教えているのか?」と聞かれた場合に、答えることができる必要がある。
そして普遍性の観点からは、慰安婦問題は女性の性暴力の問題の一部だと考えられている。グアテマラ軍事政権による大量虐殺(60~80年代)の記録を見ると、慰安婦よりもはるかにすさまじいものがある。世界のさまざまな女性の性暴力・人権問題について、日本としては、国連安保理決議1325の実施などを通じてさらに普遍的に積極的に対応してゆくことができるだろう。
現代世代の和解も必要だ。世代が若くなるにしたがって和解が難しくなっている面がある。過去によって現代の世代がいがみあうのであれば、逆効果といえる。日本の若い世代も和解に向きあわないといけないが、若い世代には罪がないということもはっきりさせておかないといけない。自虐的になることで生じる反発を招くことにも繋がる。
政治的糾弾と記憶の切り離しも必要である。慰安婦関連の展示会を行おうとすると、公民館が部屋を貸してくれないとか、いきなり展示が中止になるという例がある。ある韓国の写真家が中国の元慰安婦の写真を撮り、東京のある施設を借りて展示会を開こうとした。ところがいきなり直前になって写真展が中止された。写真展は仮処分の元、結局開催されたが、事前に中止についての明確な説明がなかったことが問題だった。後に裁判を通じてなった明らかになったのは、施設側がその写真展を政治活動と判断したということであった。彼は「自分が韓国人として元慰安婦を撮影したので反日だと思われたのかもしれない。しかしシャッターを押す瞬間は、日本とか韓国とか考えずに、目の前の人間としてのおばあさんを撮りたかっただけだ」と言っていた。慰安婦問題をめぐる日本への不当な糾弾への対処と、被害の記憶は完全に切り離すことは難しいが、後者が脅かされることは、和解を妨げることを気に留めておくことは必要であろう。
(4)国連の活用
以前南京大虐殺資料がユネスコに登録されたときに(2015年)、日本はそれに対する抗議の意味を込めてユネスコ分担金をすぐに払わない措置を取った。日本はユネスコ予算の約10%を占めているので、それなりの影響力があるわけだが、米国(22%)はすでに2011年から拠出を停止している状態だから、日本の停止が加わればユネスコには打撃になる。もちろんそのような措置も一つの意思表示ではあるが、視点を変えてより積極的な働きかけも必要になってくるのではないか。
国連の人権理事会をはじめさまざまな人権に関する委員会で、日本(の慰安婦問題への取り組み)に対する批判や勧告が出ているが、そこにはいろいろなNGOの偏った、そして時には不正確な情報を含む報告が受け入れられやすいことが背景にある。そこでそのような制度の改善に向けた取り組みも考えられる。
例えば、世界遺産は「世界遺産条約」に基づいて運営され、政府間協議があるが、「世界の記憶」は条約に基づくシステムにはなっていない。その(政府間協議がない)ためNGOの声が反映されやすく、今回の慰安婦関係資料もその流れから出てきた。そこでバランスの取れた議論ができる場をつくっていくことを提案することも、日本としてできる取り組みの一つである。
(5)パブリック・ディプロマシーの推進
外交交渉や議論のやり方として、単に相手の間違えを指摘し、論破するための議論(間違った事実の訂正など)をするのではなく、カウンター・プロポーザル(代案の提示)をするという方法が必要である。例えば、和解事業、記憶のための措置などの具体的な内容を提示していく方法である。
パブリック・ディプロマシーは、官民共同で推進していくことになるが、とくにジャーナリストにとっては、「プロパガンダに参加(加担)しているのではないか」との懸念が生じやすいので、注意深い協力体制つくりが求められよう。また人権や平和など他国とより広く共有する価値観を枠組みとした言説を展開することで、あらぬ誤解を防ぐことに繋がると思う。
(6)日韓の信頼醸成
日韓間の主張の隔たりについては、特に歴史問題については100%是正すると考えるのではなく、日韓で悪化を予防し管理していくことを考え、それによって信頼醸成を築いていくことが賢明であろう。これは比較的ハードルが高くないし、期待が外れたという失望感も少なくなる。
これまで日韓が協力して積み上げてきた内容について、それぞれが共通の理解を持ち、そして互いの理解を深めることも必要である。とくに多国間外交の場を活用して、日中韓の協力を推進しながら、日韓の外交のチャンネルやコンタクトを絶やさないことが大切だ。
今回、徴用工訴訟問題をめぐって日韓が非常にこじれてしまったが、日中韓3国の間では、例えば、保健に関しては3カ国協議が引き続き継続しているので、そうした多国間協議の場を生かすことである。
和解の視点からいうと、一人の人間の問題として被害者の悲しみについて考えることは大切だ。以前、カナダ人の研究者に日本の取り組みが韓国人になかなか理解されない状況について聞いたことがあったが、その答えは「まず日韓で共有できるところから広めていけばいい」だった。「共有できること」とは、人間として悲しみ、被害者の思いへの共感から、共通理解を広げていくことだと思う。そのためには市民社会レベルの対話の土壌作りも大切だろうと思う。
しかし怒りや反発も当然出てくるので、それを政治レベル、あるいはグループレベルでどう扱っていくのかとなる。現代の世代の怒りや反発をどう処理していくかが大切だ。昔の世代の反目のために今の世代の関係を害してはいけない。未来志向というのであれば、過去をいかに共に学び、対話を絶やさず教訓としてゆくという姿勢が、怒りや反発を乗り越えていく上で重要である。これは、世代ごとに負う責任をきちんと理解することとも関連する。原理主義的になってしまうと、取り返しのつかない憎しみあいになってしまいかねない。それだけは避けなければならない。
7.日本の価値外交における慰安婦問題
慰安婦問題は、日本外交が掲げる価値外交に位置づけて展開するのがよいのではないか。つまり、普遍的な価値(法の支配、民主主義、自由、人権の重要性)に沿って慰安婦問題の議論をする。間違った事実の指摘と修正要請に偏重した議論はしないということでもある。
大局的に述べると、これまでのリベラルな国際秩序が、近年様々な形で危機に直面している中で、日本が普遍的価値からぶれずに、それを支え強化してゆく役割を果たしてゆく中での歴史問題への対処ということである。
そのとき重要なことは、戦略的な観点も忘れないことである。中国は、韓国と違って、歴史問題を戦略的に使用する傾向がある。現在、米中対立の中で、日中関係は比較的良好であるので、それを活用して歴史問題をめぐる様々な対立が日本外交を妨げることを防ぎ、可能であれば対立を解消させてゆく方法を考えることができる。その中で韓国との協議も維持させてゆくこともできるだろう。
それと並行して、国境を超えた研究者の交流や議論を活発化させていく超国家レベルでの交流の継続と強化も必要である。政府は簡潔な言葉で分かりやすく発信する立場なので、込み入った議論は別で行う必要がある。その点学者は、事実に基づき学問的な方法論に則って議論をすることが可能であるから、もう少し冷静な議論ができるのではないか。相手国の不正確な事実認識に関しては、研究者同士による話し合いに任せるのがいいと思う。
(本稿は、2018年12月1日に開催した政策研究会における発題内容を整理してまとめたものである。)