北朝鮮の新たな動きをどう読み解くか ―朝鮮半島情勢の行方と日本の対応―

北朝鮮の新たな動きをどう読み解くか ―朝鮮半島情勢の行方と日本の対応―

1.金正恩政権の最近の動きをどう理解すべきか?

 最近の北朝鮮の動きを見ていると理解に苦しむようなことが数多く起きている。とくに金正恩が出した新たな政策の中には、これまでの伝統基準からは考えられないようなものがあり、中には「反逆罪」「反動分子」に相当するようなものもある。
 例えば、「わが民族史から『統一』『和解』『同族』という概念自体を完全に除去」するという。また北朝鮮では金日成の誕生日を「太陽節」と呼んでいるが、今年はその言葉を使用していない。金日成偶像化にも大きな変化が見られる。
 2024年1月に入り金正恩は、(最高人民会議での演説で)「韓国は第一の敵、不変の主敵」と規定し、南北統一に関連する全機関の解体を含め、南北関係について新たな立場をとるとした。金日成以来、北朝鮮が追求してきた統一をなぜ止めたのか。北朝鮮の内部では、各地に立っている記念碑や歌の歌詞からも「統一」という言葉を消し去っている。最も象徴的なものとしては、ピョンヤン市の地下鉄に「統一駅」というのがあるが、その名称から「統一」を取り、単に「駅」と改称してしまった。
 これらの動きについて韓国の北朝鮮専門家の多くは、(南北の国力差が開いたことなどから)北朝鮮は韓国に吸収統一されるのを恐れているのではないかと分析している。そのため「民族」「同族」などという概念を人々の脳裏から消し去ろうとしている。そして将来危機がやってきて南と北が一つになるようなことはあり得ないとして、二国家並存論を唱えている。韓国は完全に同じ民族の国家ではなく、普通の国と認識し始めたからという。
 その背景には、北朝鮮が置かれている状況と関係ある。北朝鮮社会では、いま韓国文化がかなり浸透していて、韓国映画、ドラマ、K-POP等を通じて韓国の言葉が北朝鮮の若者を中心に広がりを見せている。そのため韓国に対する憧れ、幻想を抱く人が増えている。金正恩政権としては、政権の安定維持のためには、そのような(危険な)「芽」をいち早く摘み取っておく必要がある。そこで韓国文化を遮断する苦肉の策として、韓国を同族でもない普通の国、不変の主敵と宣言し、宣伝したのではないか。
 また最近、金日成隠しというか、金日成に対する金正恩の態度が変化している。金正恩が政権を担った直後、(正統性を見せるためにも)ことある毎に金日成の遺体安置所(錦繍山太陽宮殿)を訪れ参拝してきたが、今年は一回も行っていない。それが怠慢なのか、意図的なのかは不明であるが、年を追うごとに参拝数が減っていることが確認できる。
 いま金正恩を讃える歌「親しいオボイ」が(ネットを中心に)世界的に広がって話題を呼んでいる。これまで北朝鮮では金日成=太陽であったが、いまや金正恩=太陽にしている。太陽は一つであるから、金正恩という新たな太陽を政策の前面に立たせるという動きが活発化するのではないか。この動きを、金正恩の自信の表れなのか、北朝鮮の厳しい内部情況を抑えきれずに強硬手段に出ていると見るべきか、評価は分かれるところだ。私は、金正恩はいま非常に怯えていてあらゆる方策を講じていると見ている。

2.金正恩政権は盤石か?

 北朝鮮が独裁国といえども、首領は人民からの忠誠を得るためには、彼らの生活を保障しなければならない。金正恩が2012年4月に労働党第一書記就任後、「二度と人民が(おなかを空かせて)ベルトを締めつけるようなことはないようにする(飢えさせない)」と宣言して、人民の生活向上のために努力をしたかもしれないが、その後、実際には、1990年代のいわゆる「苦難の行軍」時代以上に、北朝鮮社会は疲弊している。
 北朝鮮の経済成長を見ると、過去4年間マイナス成長が続いている。昨年(2023年)の経済成長は、マイナス6.2%と言われている。今年は、ロシアとの関係が良好で武器輸出などにより、経済は少し改善しているかもしれない。
 北朝鮮の政策をどう見るべきか。北朝鮮がこれまで進めてきた「経済建設」「強盛大国」路線は、すべて失敗に終わったとみている。
 金正恩は執権直後、意欲的に外資を導入しようとして経済改革を進め特区をつくるなどの政策を行った。当時は、張成沢が実権を握っており中朝関係の基盤があったが、彼が処刑された後は、中国関連のプロジェクトがすべて頓挫してしまった。
 元山葛麻に70億ドル規模のリゾート開発(元山葛麻海岸観光地区)を行い外国人向けのホテルなども整備するとして、海外にも宣伝した。金正恩は、2019年ごろまでに完成するよう指示したが、延期に延期を重ねていまだにこのプロジェクトは完成していない。衛星写真などをもとにした分析によると、建設は40%くらいしかして進んでおらず、それ以上は諦めていると見られる。
 金正恩肝いりの馬息嶺スキー場は、アジア最大級と言われ、一日5千人の観光客を誘致しようとしたが、現実には、今年ロシア人観光客が100人ほど訪れた程度で放置状態だ。今後も見込み薄だ。スキー場は高速道路(ボロボロの状態の)でつながってはいるが、このスキー場を利用できる北朝鮮の人といえば、せいぜい平壌市民の一部で、しかも自家用車がないと行けないから、さらに国内利用者は少ない。このプロジェクトも結局は失敗と言わざるを得ない。
 また温泉リゾート(平安南道陽徳郡)も作ったが、これもいつの間にかその話は立ち消えになってしまった。そのほか、乗馬クラブ、ウォーターパークなどもつくったが、完全な状態で機能している施設はほとんどない。
 コロナ禍発生直後(2020年3月)、ピョンヤンに平壌総合病院を作ると宣言し同年10月に完成予定だったが、その後、その病院建設がどうなったのか、メディアでは確認できない状況だ。
 このように金正恩が力を入れて進めてきた経済建設プロジェクトは、すべて失敗したと言える。その原因として、彼が北朝鮮の経済実態をきちっと把握していないためなのか、経済運営の基本がわからないためなのか、はっきりはしない。
 北朝鮮の発電量は、1990年代初期と同程度と言われており、この程度の電力量では工場を十分に稼働させられない。例えば、最近、ピョンヤン郊外にAIで管理する温室農場(水耕栽培)を作り全国展開を図ろうとしているが、その施設は電力をかなり消費するので、果たして本当に稼働できるのか疑問だ。
 新たな地方振興策として打ち出した「地方発展20×10」政策は、毎年20の郡に近代的な工場を建設し、10年内に全国200の市・郡の全人民の初歩的な物質的・文化的生活水準を飛躍させるという。普通、工場はその地域の特性に合わせて作る必要があるが、一律に工場を作るというのでは経済論理から外れている。
 北朝鮮でかろうじて稼働している発電所は、日本の統治時代に作られた水豊ダムの水力発電所や火力発電所である。老朽化して使い物にならないものも少なくないという。それを修理補修するにしても、タービンなどの部品を入れ替える必要があるが、それすらままならない状況にある。また送電線も効率が悪く電力損失率が高い。
 北朝鮮の現在の状況は、自力では修復困難な状況にある。
 金正恩は、最近、ロシアに230万発の砲弾やミサイル60発を提供したと言われている。その代価を計算しても、せいぜい十数億ドルに過ぎず、北朝鮮経済をどれだけ潤えるか疑問だ。
 北朝鮮が唯一成功したとされるのが核開発だと思う。しかしこれも怪しい。昨年、3回目にしてようやく偵察衛星の打ち上げに成功したが、1回目の失敗で海に落とした衛星の残骸の一部を韓国軍が海中から引き揚げて調査した。その調査によると、北朝鮮の衛星は「偵察衛星として軍事的に利用できる性能は全くない」という。つまり3−5メートルのものを識別できる程度で、商業衛星よりも性能が劣るものだ。3回目は、ロシアの技術支援を得てようやく成功したものの、ロシアが衛星まで提供したとは考えられない。金正恩が推進している核兵器など武器の高度化も、実は中身は伴っていない。

3.金正恩政権はなぜ崩壊しないのか?

 金正恩政権のやっていることはつじつまの合わないことが多い。現在も、餓死者が出ているとの報道もあり、それは1990年代の厳しさ以上だとも言われていのに当時、そのような惨状が本当にあったのか、わからなかった。コロナ禍以降の現在の北朝鮮の経済状況がどのようなのか、これもはっきりとは分からない。そのような北朝鮮が、カネを手に入れる唯一の手段が暗号貨幣を盗みハッキングすることと武器輸出である。このような状況のなかで金一族だけは贅沢三昧の生活を送っている。
 金正恩一家が、昨年(2023年)贅沢品に使った金額は、韓国ウォンで8000億ウォンだという(韓国・国防研究院調査)。その周辺にはエリート集団(2000人とも言われる)とその取り巻きがおり、その家族などを含めると全体で6万5千人ほどになる。北朝鮮で人間らしい生活が可能な集団は、ピョンヤンを中心にロイヤルファミリーに忠誠を誓う6万5千人だといえる。
 そのような矛盾のある社会であるにもかかわらず、なぜ金正恩政権は崩壊しないのか。
 私は、現在「崩壊に向かって進行している」と見ている。金正恩が政権を引き継いだ時に、北朝鮮専門家の中にはすぐにでも崩壊すると予見した人も少なくなかった。米CIAも金正恩政権は長持ちしないと予想していた。しかしすでに今日まで12年間も持ちこたえている。金正恩も元気な姿を見せている。そのため最近では、崩壊論を唱える人はほとんどいなくなった。
 しかし私は、時間の問題だけで、いま確実に崩壊に向かって進んでいると見ている。もちろん、中国や韓国が経済的に支えたりすれば、それはさらに延びるだろう。かつて、金大中政権時に、北朝鮮が90年代後半経済が疲弊して「死に体」になったときに、民間(現代グループ)も含めてさまざまな援助をして延命させたことがあった。しかし今は、だれも支えられない方向に向かって進んでいるように思う。
 ちなみに、社会主義経済は、破綻状態になっても経済的問題で体制が崩壊することはなかなかない。北朝鮮でかつて大量餓死者が出ても政権は維持された。国民が少々飢えた状態にあっても、生きるための最低の条件を満たせば、むしろ政治的統制がしやすい面もある。
 北朝鮮の場合は、住民が他の国との比較ができないために、自分たちの生活を普通だと思っていることがある。また住民たちは朝から晩まで食べ物の事だけしか頭にない状況もあり、国を転覆するなどと言った考えにまで及ばない。むしろそれを政権が狙っている可能性もある。それが北朝鮮の現状だ。もっともかわいそうなのは住民だ。彼らをどう救済するか。経済制裁を科しても効果が薄い。体制の崩壊を待つしかない。
 ところが今は、北朝鮮社会を支える「配給制度」、「洗脳教育」、「恐怖政治」と言った三つの柱がみなあやふやな状況にある。

(1)配給制度

 社会主義国家である北朝鮮を建国以来支えてきた、首領に対する忠誠心を人々が失っていない背景には、人民に対する配給制度があったからだ。しかしいまやそれがほぼ崩壊状態にある。
 金正恩政権以降、韓国に亡命した脱北者6351人を調査したところ、72%の人々が配給をもらったことがないという。金日成や金正日の時代には、彼らの誕生日や名節などお祝いの日には配給がなされたが、金正恩時代に入り、それすらもままならない状況にある。配給を受けている人にしても、十分な量の配給を得ているわけではない。
 朝鮮人民軍の将校たちに配給する食糧にしても、家族分を何カ月分もカットされたり、人民軍兵士一人分の配給(600グラム)が減らされ、兵士の半数以上が栄養失調状態だとの国連報告もある。このように配給制度は完全に崩壊状態だ。
 配給制度がしっかりしているときには、人々は国(労働党、首領)に頼って生きてきたが、配給が得られなくなると、人々首領や党とは関係なく自力で生きていかざるを得ない。1990年代後半に生まれた、現在20代〜30代の若者は配給制度を知らずに厳しい状況に生きてきたので、労働党や金正恩は自分とは関係がないと感じている。

(2)洗脳教育

 北朝鮮を支えているもう一つの大きな柱だ。戦後、東西冷戦時代には鉄の壁を作って情報を遮断しようとしたこともあったが、北朝鮮のように国全体を完全に外部から遮断している国は人類史上なかった。
 1980年代のことだが、私が中国にいたとき直接朝鮮族の方に聞いた話だが、北朝鮮にいる親戚にあげようと品物を新聞紙に包んで持って行った。そうしたらその新聞紙すらも没収された。そこまで(情報の流入を)徹底していた。また最近では、北朝鮮でも携帯電話が普及し半数近くの人々が所有していると言われるが、国外の電波とはつながっていない。
 最近の話として、北朝鮮の16歳の少年が韓国の映像を視聴し友達にも見せ、そのことが公安当局に発覚して捕まり、数百人の人々の前で丸坊主にされ手錠を掛けられた上、12年の重労働が科された(労働教化刑)。公衆の面前で(みせしめを)行うことで、かれらに警告と恐怖を与えようとしている。当局がいくら韓国の文化、映像に接しないように警告しても若者は聞かないので、青少年教養保障法(2021年)をつくり、青年たちの間に表れている反社会主義、非社会主義思想を除去し、党と首領の指示通りだけに考えて行動するように教育しようとしている。
 さらに反動思想文化排撃法をつくり、反動思想文化(=海外の映像、写真など)に接した場合には10年以上の労働教化刑に処し、それを広めた場合は処刑するなどといった厳しく取り締まりを行っている。しかしそれすらも統制が聞かなくなりつつある。
 脱北者の調査では、83.2%もの人々が反動文化思想に接している。彼らは命を懸けてでも海外の文化に接しようとしている。ただし、その映像の75%くらいは中国由来のものであり、それほど心配することもないとも言われるが、外部に対する関心が深まりつつあることがわかる。
 また若者たちは韓国の文化に影響を受けて、女性がボーイフレンドを「オッパ」と呼んだり、男性がガールフレンドを「ヨチン」などと呼ぶ風潮まで現れている。そのため若者たちが韓国語の表現を真似しないようにするために、平壌文化語保護法をつくった。しかし法律で禁止し取り締まろうとしても、効果を挙げることはないだろう。つまり洗脳教育がうまく行っていないことの証左でもある。金正恩政権は、これら三大悪法を作った。
 北朝鮮は主体思想をつくり国民を教化し洗脳してきた。保育園幼稚園の頃からご飯を食べる前には「首領様ありがとうございます」と言わせてきたが、いまではそれが実質崩壊状態だと言える。洗脳教育がうまくいかなければ、人々の中から金正恩政権に対する否定的な考えも生まれてくるに違いない。

(3)恐怖政治

 金正恩政権を唯一支えているのが、恐怖政治だ。しかし、労働新聞などをよく読んでみると、これもうまく行っていないのではないかと思われる。
 以前であれば、金正恩が幹部をののしったりすれば、その人は粛清の対象となった。例えば、金正恩がスッポン工場を訪問した時、スッポンがかなり死んでいたため担当者に問いただしたところ、電気が来ないこともあるからだと言い訳をしたら、その場で処刑したという。
 しかし、最近の事例を見ると、金正恩が担当者を叱る場面が労働新聞に掲載されている。例えば、2023年夏、水害対策を怠り、穀倉地帯である平安南道の安石干拓地で水田の冠水を招き、食糧生産に大きな支障を来したとして金徳訓・総理を金正恩が叱責した場面が労働新聞に掲載された。これまでのやり方ではそうされた幹部は粛清されるか辞めさせられたが、その後も金総理はその地位に残っていた。こうみると金正恩といえども、簡単に幹部を処刑することができないようにも見える。
 このように統治システムを支えている三つの柱がガタガタになっている。ゆえに北朝鮮経済が少し潤ったりしたとしても、前政権まで機能していたものが機能しなくなれば金正恩体制は崩れていかざるを得ないだろう。

4.金正恩は一人立ちできるか

 金正恩が危機感を募らせていると述べたが、かれは自分が人民を愛する偉大な指導者だと人民に思わせるために、最近「親しいオボイ」という彼を讃える歌を作って大々的に普及させている。
 また金正恩を偶像化するために彼の写真をふんだんに掲載して宣伝している。しかも彼が何でもできる万能人というイメージを植え付けようとしている。
 例えば、彼が射撃場に行ってライフルを10発撃ったところ10発全部真ん中に的中したと新聞報道をする。しかしそれだけでは限界があるように思う。金日成・金正日時代は、人々を束ねる理念として主体思想があった。金正恩はそうしたこと(思想の重要性)をあまり理解していないのかもしれない。
 2024年5月21日、朝鮮労働党中央幹部学校の(リニューアル)竣工式が行われたが、その報道写真を見ると、その正面に金日成、金正日と並んで金正恩の肖像画が掲げられていた。もちろんこれまでも彼の肖像画を掲げる施設もあるにはあったが、このように3人を同列に並べて公開したのは、今回が初めてである。
 ここには、金正恩が祖父(金日成)の陰から離脱し、独り立ちするという意味があるように思う。ただし、この写真には脈絡がある。この写真の反対側には建物があり、そこにはマルクスとレーニンの写真が掛けられている。これは社会主義国家で育った者でないとわからないかもしれない。われわれが小中学校の頃、マルクス、レーニン、スターリンに続いて(北朝鮮では)金日成、金正日の肖像画(写真)が並べられている写真は普通にあった。それはマルクスから現在の首領までつながっていることを表している。
 また最近の労働新聞などを見ると、金正恩同志の革命思想を前面に出している。金正恩は、主体思想や先軍思想をあまり言及しなくなり、自分の思想を前面に立てようとしている。しかしその金正恩の革命思想がどのような中身なのかははっきりしない。北朝鮮の住民たちも、その思想が何であり、何をすべきなのか、わからないようだ。
 社会主義国家で国家を支える理念がしっかりしない場合、統制が難しくなる。その部分を金正恩の妹・金与正がやっているが、果たしてそれが機能するかどうか、懐疑的に思っている。
 結論を述べると、北朝鮮は構造的に劣化しており、修正・修復不可能な状態に至っており、自滅に向かって進んでいると考えている。

5.2024年韓国総選挙後の尹政権の展望

 本来、北朝鮮と韓国は切っても切れない関係にある。北朝鮮が韓国を切り離し、「戦争中にある両交戦国関係」「同族ではない敵対的な」関係と言っているが、それは北朝鮮が、韓国をあまりにも強く意識し過ぎているためだ。北朝鮮が現在進めている多くの政策は、韓国が行っているさまざまな対北政策に対してどうにかしたいというところが原点となっている。
 ただ、残念なことは、韓国がこのような厳しい時期にしっかりと対北朝鮮戦略を練って計画的にアプローチし、あるいは北朝鮮有事に備えていろいろと準備をしておかなければならないのに、現在の韓国はまったくそうなっていない。
 尹政権は、2024総選挙で野党が地滑り的勝利を収めたために、いつ野党から弾劾されるかわからないような状況にある。韓国の国会議員300議席中、与党は108議席で、残り192議席は野党側だ(李俊錫率いる中道「改革新党」3議席もあるが、李俊錫代表は尹大統領と対立状態にある)。全議席の三分の二の賛成を得られれば、大統領弾劾が可能になる。李在明(共に民主党)、曺国(祖国革新党)などはどんな方法を使っても尹大統領を弾劾に追い込みたいと考えている。
 彼らは、今国会会期中に、尹大統領を訴追するためのさまざまな法案を準備している。一つには、昨年の集中豪雨による行方不明者捜索中に海兵隊の上等兵が殉職した事件の捜査をめぐるものだ。その背景を追求するべく海兵隊捜査団を作って調べようとの動きがあり、それを尹大統領がやり過ぎだと批判するなどの介入があったのではないかと言われた。そこで特別検察法をつくって追及しようとしたが、大統領が拒否権を発動して対抗した。
 そのほかにも無理強いするような法案を次々上程して、それに大統領が拒否権を発動して対抗している状態だ。さらに大統領夫人に対する捜査を特別検察を任命してやろうとしている。こんな状態が続いていては、大統領が国政をやるつもりがないように国民には映る。
 そして野党側が、与党から少なくとも8名の議員を買収でもできれば、弾劾決議が可能になる。与党側の中には、金建希大統領夫人に対する特別検察設置については拒否権を発動すべきではないという議員もいて、微妙な情勢だ。野党側が弾劾決議案を可決した場合、大統領職務は停止状態となり、憲法裁判所の判断が示されるまで何もできなくなる。
 共に民主党の李在明は、多くの裁判で訴えられており、政治生命を失う可能性もある。曺国・元法相(祖国革新党代表)にしても、実刑判決を受けて最高裁で争っている最中で、夏までに結論が出されれば、拘束されてしまう。そうした情況にあるので、野党側は今国会会期の終わる夏までに何でもやろうとしている。
 現状では、次期大統領は野党側から出る可能性が高く、そうなれば二人の党首も恩赦を受けられることになる。

6.尹大統領をどう評価するか。

 尹大統領は、就任以来2年余の間に、かなりいい仕事をしてきた。一つは、労働組合運動を押さえ込んだことだ。韓国の労働組合の過激な政治闘争は有名で、120万人の基盤をもっているために歴代政府は全く手を付けられなかった。しかし尹大統領は、労組の中の北朝鮮スパイの摘発など強硬な対応をするなどして手を付けたために、静かになってきた。労組の16支部中には言論労組があり、大手メディアの多くの記者が加入しているために、政府は彼らを敵に回せず改革ができなかった。それに尹大統領は手を付けたのだ。
 教育改革にも取り組んだ。韓国の大学入試制度には、一般入試(大学修学能力試験)の「定時募集」と「随時募集」がある。近年、随時募集の割合が増加。自己紹介書や高校教師が記入する「学生生活記録簿」でクラブ活動やボランティア、表彰歴といった成績以外を主にみる「総合評価選考」を拡大する大学が増えた(ちなみに、ソウル大は2020年度、定員の八割を総合評価で選んだ)。そのために地方の優秀な学生がいい大学に入りにくくなってしまった。そして塾が難しい入試問題作成に関与するような状況がうまれたために、尹大統領は(試験の範囲を教科書から逸脱しないような)大学試験制度を改革し修能重視に改革した。そのほか、医療改革も進めようとしている。
 尹大統領の国政運営の方向性は間違っていない。ただ検察出身で、周囲とうまく協調することが下手で、疎通が不十分という面があった。さらに奥さんへの評判がすこぶる悪い。
 尹大統領が外交面でやった仕事の中で、最も評価すべきは日韓関係の修復だ。日韓関係において「トゲ」のように刺さっていた徴用工問題への解決の道を開いた。
 日韓関係を大局的に見た場合、かつてと違う点がある。まず日韓問題で尹大統領が窮地に追い込まれることはなかったこと。以前であれば、日本に友好的な態度を示すと、大統領の支持率が大きく低下するのに、今回はそうならなかった。
 野党「共に民主党」代表の李在明は、福島原発の処理水放流問題で大きく騒いで政府を批判したが、韓国民はそれに乗らなかった。LINE問題が出たときも、日本が韓国企業を奪おうとしているとの報道も流れ、また野党党首が独島上陸したりして、「尹大統領は日本の内閣のソウル出張所のようだ。韓国人の生命と安全より日本人の生命と安全を最優先している」と批判した。しかしそれに国民が乗ることはなかった。
 現在、日韓問題を国内問題に持ち込んで政権を攻撃しようとしても、うまくいかないことが証明された。この点は、安心している。
 問題は、政権が代わり左派政権になると、「ちゃぶだい返し」をする可能性があることだ。尹大統領の任期はあと3年ほど残っているが、難しい政権運営を迫られている。最近、検察人事があった。それは、曺国勢力を抑え込むために採った人事ではないかと考えている。尹大統領が左派に反撃を仕掛けており、これが成功すれば危機を乗り越えられる可能性がある。李在明や曺国裁判でどのような判断が出されるのかにかかっている。

(2024年5月22日、IPP政策研究会における発題内容を整理して掲載)

政策オピニオン
李 相哲 龍谷大学教授
著者プロフィール
中国生まれ。中国北京中央民族大学卒業後、新聞記者を経て1987年に来日。上智大学大学院にて博士(Ph.D.新聞学 )学位取得。1998年より現職。専門は東アジアの近代史・メディア史。主な著書に、『漢字文化の回路―東アジアとは何か)』『金正日と金正恩の正体)』『東アジアのアイデンティティ―日中韓はここが違う』『金正日秘録 金正恩政権はなぜ崩壊しないのか』『北朝鮮がつくった韓国大統領-文在寅政権実録』、編共著に『日中韓メディアの衝突』『反日種族のタブー従軍慰安婦マネーの汚れた真実』など多数。
北朝鮮は最近、対韓国政策の根本までも大きく変化させているが、その背景には、北朝鮮が抱える国内の深刻な事情がある。今後の南北関係を展望する。

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