生物多様性の保全と持続可能な水産資源利用 ―BBNJ交渉の課題と展望―

生物多様性の保全と持続可能な水産資源利用 ―BBNJ交渉の課題と展望―

2019年2月18日

1. 生物多様性条約(陸とEEZの生物多様性)

生物多様性条約とは

 「生物の多様性に関する条約(略称:生物多様性条約)」(CBD: Convention on Biological Diversity)は比較的新しい条約で、1992年に採択、1993年に発効された。現在196の締約国が加盟するが、アメリカは未加盟である。
 この条約には以下の3つの目的がある。「生物多様性の保全」、「持続可能な利用」、「遺伝資源の利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分」である(条約第1条参照)。先進国は「生物多様性の保全」を重要視しているのに対して、途上国は「利益の公正かつ衡平な配分」を重要視している。生物多様性の保全についても、保全を熱心に進めようとするのが先進国であることが多い反面、実際にコストをかけて保全しなければならないのは途上国であることが多い。この背景には、手つかずの自然や多様な生物が存在するのは熱帯や亜熱帯の途上国であり、一方でヨーロッパの先進国は都市や農地の開発が1000年以上前から進んでいて現在は生物多様性を利用する実態があまりないことがある。このように、先進国と途上国で様々な認識のズレがあることから、生物多様性条約の会合では様々な対立が表面化することがある。
 生物多様性の構成物については国の管轄権の中が条約の適用範囲であるが、プロセスや活動などは国の管轄権の外であっても条約が適用される。

条約の適用範囲とABS(Access and benefit sharing)

 ABSにおいては、まず、公正かつ衡平な配分が問題になる。条約にも大まかな規定はあるものの、それを補完するために詳細な議定書を作るべきという意見が広がり、1998年にスロバキアの首都ブラチスラヴァで開催されたCOP4で、小委員会(panel)を立ち上げることで合意した。なお、COPはConference of Partiesの略である。
 1999年に第1回小委員会が開催され、その後、小委員会ではなく作業部会(Working Group)として2009年まで9回開催された。2000年はナイロビ(COP5)、2002年はハーグ(COP6)、2004年はクアラルンプール(COP7)、2006年はクリチバ(COP8)、2008年はボン(COP9)で開催された。しかし結局、公正かつ衡平な配分に関する議論はまとまらなかった。

生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)

 2010年に名古屋でCOP10が開催された。全体会議とそれに並行して開催されるワーキングループとコンタクトグループの3つから構成される。全体会議では、環境大臣等の各国の代表者が一定の持ち時間を与えられ、スピーチを行う。ワーキンググループは全体会議と並行して開催され、各国代表者が具体的なテーマについて話し合う場として機能した。コンタクトグループは、ワーキンググループで合意されない議題について、更に小グループ(といっても100人以上になる)で膝を突き合わせた議論を行う場として活用された。
 名古屋で行われたCOP10ではそれ以前のCOP9までとは異なり、以下の成果があった。まず、ABSに関する具体的な条約内容について合意され、名古屋議定書(Nagoya Protocol on Access to Genetic Resources and the Fair and Equitable Sharing of Benefits Arising from their Utilization to the Convention on Biological Diversity)として法的拘束力が与えられた。但し、別途各国はその後、署名や批准の手続きをする必要があった。
 さらに、法的拘束力はないが、愛知目標というものが定められた。これは、加盟国が強制的な義務を負うというものではなく、自主的な対応を求めるという趣旨のものである。具体的には、少なくとも陸域17%、海域10%を保護地域などにより保全するとの目標が定められた。
 その他トピックごとの決定「Decision」がある。これにも法的拘束力はない。しかし、各国とも自国が不利にならないように修辞を駆使して決定内容をできるだけ薄めようとする。文章中に、「適切な場合には(as appropriate)」といった単語が使用されるのはその行動の一例である。

名古屋議定書の概要

 名古屋議定書の第1条では、遺伝資源の利用から生じる利益については、公正かつ公平な配分を目的とすることが謳われている。利益の配分はどうすればよいか。例えば、ブラジル国内で伝統的に薬として使っている植物について、ブラジル以外の国がその植物を分析した結果、ある薬剤が製造できることが分かり、その薬剤は大きな市場となり、製薬会社が大きな利益を上げたとする。この場合、この製薬会社は元々ブラジルにあった植物を使用したので、ブラジルに対して利益配分しなければならないことになる。
 第5条には利益配分は双方の合意によると書かれているに留まり、具体的な事項は書かれていない。
 第6条は、accessする前に事前に同意が必要であるとする。国ごとの差別が禁止され、申請方法を明示しなければならないなどの条件もあるが、事前の同意を要するとの条件はaccessを制限する厳しい条項と言える。
 第8条は、非商業的な調査は奨励すべきとする。科学調査が先細りにならないようにとの趣旨である。さらには食品や農産物の重要性を考慮すべきという条項(第8条(c))もある。
 これらの規定が採択された時は会議場内にスタンディングオベーションが起こり、歓喜に包まれた。以上は、陸からEEZまでの範囲における生物多様性保護に関する話である。公海域における生物多様性保護は含んでいない。

 

2. 国家管轄権外区域(公海域)の海洋生物多様性

公海域などの保護区

 CBDでは「生態系または生物学的に重要な海域(EBSA: Ecologically and biologically sensitive areas)」を特定する作業が進行中である。また、国連食糧農業機関(FAO: UN Food and Agriculture Organization)では「脆弱な海洋生態系(VME: vulnerable marine ecosystems)を特定する話が出ている。
 CBDはEBSAでの禁漁を明記していなかったにもかかわらず、FAOはVMEでの禁漁を明記することになり、同一海域での漁を巡ってCBDとFAOで規定が異なり対立する余地もある。
 CBDでは、文書では保護区とされながらも実際には保護されていない区域をペーパー保護区と呼んでいるが、保護区がペーパー保護区になっているという問題も議論になっている。
 最近、「南極の海洋生物資源の保存に関する委員会」(CCAMLR: Commission for the Conservation of Antarctic Marine Living Resources)などの機関が公海の保護区を設定した。国際捕鯨委員会(IWC)も、南大洋サンクチュアリー(保護区)を設定している。その他マグロ漁、底引き網漁等を規制する機関でも、禁漁区域などを設定している。さらには漁業ではないが、地中海での保護区や大西洋のOSPAR条約における保護区等、欧州での先行事例もある。特に地中海は権益が入り組んでいて、200海里が設定できないため、沿岸に近い領海12海里の外側に保護区を作っている状況である。
 OSPAR条約とは、大西洋における生物多様性保全を定める条約であるが、公海における海洋保護区(MPA)を設定している。北東大西洋漁業委員会(NEAFC)が同じ海域に底引き網漁禁止区域を設定している。

公海域の遺伝資源

 最近は、公海域における遺伝資源も利益配分しろという議論が巻き起こっている。その前に、公海は誰のものかという点を明確にしなければならない。
 海洋法に関する国際連合条約(UNCLOS: United Nations Convention on the Law of the Sea)第87条では、公海自由の原則(freedom of fishing, subject to the conditions laid down in section 2)が明記され、かつ漁業の自由が謳われている。しかし、他の条約で漁業が制限されているため、その制限の範囲内で漁業の自由が認められる。
 UNCLOS第136条では、深海底の資源は the common heritage of mankindとある。ここでの資源とは、all solid, liquid or gaseous mineral resourcesとして限定列挙されており、固形物、液体、ガス状の鉱物資源は保護されている(第133条)。しかし、この規定は、魚などの生物資源には当てはまらない。よって魚など生物資源はthe common heritage of mankindではない。このため、現状では、公海で魚を漁獲した国が、そこから得る利益を独り占めしても文句はいわれない。これを利益配分しろといった話になると、公海漁業国からは相当な反発があるだろう。
 公海域に保護区を作ろうという議論も並行して存在する。但し、保護区とは言っても、生物学的に何を守るのかという議論がある。保護する対象はスポンジだという議論もあったが、その際は、そのようなもののために国際会議を招集などしていると世の中全ての者の保全に国際条約を作らなければならなくなるので、コスト感覚などの常識が必要だ、といった議論も出された。また、場所としては海山と海底熱水噴出口が重要という意見もある。
 いずれにせよ、生物学的に差し迫った危険が生じているという議論はないが、漠然とした対象があり将来の開発を見越したら事前交渉が必要ではないかという段階である。
 遺伝資源の利用については、今まで情報はなかったが、最近、3800万のgenetic sequencesの公開情報を調べたところ、このうち12,988 sequencesは海棲種からのもので、この海棲種の数は862種、うち91種が深海と海底熱水噴出口に関連する種であった。

BBNJ議論のこれまでの経緯

①ワーキンググループの段階
 BBNJとは、国家管轄権外区域における海洋生物多様性(Biological diversity beyond national jurisdiction)を指し、国連では2003年頃から新しい国際条約を策定する議論が行われて来た。2006年からワーキンググループが開始し、9年~10年間開かれた。ワーキンググループでは議論を政府間交渉に進めるべきか否か、政府間交渉で法的拘束力をもつ条約にすることを目標にテキストとして作成する必要があるか否かを議論した。

②準備委員会の段階
 2015年に国連決議があり、準備委員会を2年間開催した後に政府間交渉を開始する決議がなされた。その決議に従い、2016年3月28日~4月8日、同年8月26日~9月9日、2017年3月27日~4月7日、同年7月10~21日の4回にわたり、準備委員会会合が開催された。

③政府間交渉
 2017年国連決議で政府間交渉の開催日程が決議され、それに従い、2018年9月4~17日に政府間交渉が開催された。

BBNJの4つの交渉課題

 BBNJの交渉課題は以下の4つである。
 ①海洋遺伝資源(利益配分を含む。)②区域型管理ツール等の措置(海洋保護区を含む)③環境影響評価④能力構築および海洋技術移転
 ①の海洋遺伝資源には利益配分も含まれる。②の「区域型管理ツール」という訳語は分かりにくいが、原語はArea Based Managementで、区域を区切って海域を管理しようという取組である。海洋保護区も含まれる。③の環境影響評価は、公海域で活動をする前に、環境影響評価が必要ではないかという議論である。④の能力構築および海洋技術移転は原語は、capacity buildingおよびtransfer of marine technologyである。
 以上4つを課題にしている。以上4つのトピックは既に固定的で再び議論することは困難となっている。この合意は2011年に存在し(国連決議A/RES/66/231)、2015年の決議(国連決議A/RES/69/292)、2017年の決議(A/RES/72/249)でも再確認された。

海洋遺伝資源

 上記4つの交渉課題について一つ一つ見ていきたい。まず、海洋遺伝資源については、途上国が熱心に利益配分を主張する。しかし公海で積極的に遺伝資源を利用する国は主として先進国であり、先進国は海洋遺伝資源の利益配分には消極的である。先進国と途上国の間でこのような温度差が生じている
 さらに、途上国はCHM(the common heritage of mankind)という単語を使用して、利益配分の必要性の根拠としている。先進国側は、UNCLOS第133条によればthe common heritage of mankindには鉱物資源のみが含まれると主張するが、途上国側はその点には敢えて触れずに議論している。
 海洋遺伝資源の定義は国連ではいまだ明確にはなっていない。何を対象にした議論なのか不明確な状態である。In situ, ex situ, in silicoを含むのか。In situとは、海洋の中にある遺伝資源であり、ex situは海中の遺伝資源を研究室まで持ち帰って、研究室内で実験しているものを言う。この2つは分かりやすいが、in silicoに関しては、マイクロチップのような記憶媒体に入っている生物のsequence情報が遺伝資源に相当するという議論がある。
 また、条約文言であるaccessの定義は何かについて議論がある。船舶を航行させるだけでaccessになるのか、あるいはaccessではなく、サンプリングになるのか等々、様々な議論がある。
 さらには便益が実際に出るのかという議論もある。また公海は誰の所有物でもないので、誰と便益を共有するのかという議論もある。

区域型管理ツール

 区域型管理ツールについては、既存の漁業協定などとどう整合性をとるのかが議論対象となっている。環境保護を推進したい国々は、国連が主導してBBNJの中で新たな規定を作成すればよいという議論をする。漁業国等はそれには反対の立場で、既存の漁業機関等が定めたものが優先されるべきだとする。つまり、国連は既存の規定や慣習を尊重すべきで、それらを脅かすべきではないという議論である。
 また、国ごとの議論にも特徴がある。EUでは環境NGOの力が強いため、環境NGOが核となりEUが熱心に議論を主導する状況がある。米国も環境NGOの力は強いが、EUのように米国が議論を主導する状況はない。米国は頻繁に発言はするものの、国連海洋法条約に加盟していないため、この問題に直接関与するか否かは疑問である。
 議論全体はNGOが主導している状況にある。例えば保護区をどこに設定するべきかという議論について、各国政府以外でも提案可能にしようという意見があるため、NGOが積極的に提案をするからである。FAOのような国連機関や国際機関が提案するのは問題ないが、市民団体まで提案できるとなると間口を広げ過ぎであろう。しかしEUは各国政府以外(つまりNGOも含む主体)でも提案可能にしようという意見に賛同的である。
 区域型管理ツールと言いつつも海洋保護区の議論になってしまうことがあり、手段が目的化している面があることは否めない。海洋保護区を設置する場合、ある生物の産卵域の保護なのか、稚魚の保護なのかなど、その目的を明確にする必要がある。そうしないと、管理が散漫になるためだ。そして、目標が達成されたか、定期的にモニターを行うことが重要だ。すると、例えば10年経過後に目的が達成されていれば、保護区はもう作る必要はないという議論も成り立ちうる。しかし、EUその他の国々はその議論を否定する。BBNJでは海洋保護区(MPA)の目的を何に置くべきか、また、如何に取り締るか等の議論はあまりなされていない。
 「環境影響評価」と「技術移転」の議論は「海洋遺伝資源」や「区域型管理ツール」に比べて、議論時間が比較的少ない状況がある。最終的に4つの整合性をどう保つかは今後の課題である。

漁業や公海での科学調査はBBNJ新協定で制限されるのか?

 2015年2月に本件を扱う国連非公式ワーキンググループの議長が発出した報告書(A/69/780)には、漁業が含まれるとする国の主張と、含まれないとする国の主張の両論が併記されている。詳しく言えば、BBNJ新協定に漁業が含まれるか否かの議論において漁業が含まれると主張する国がある一方で、公海域の漁業はUnited Nations Fish Stocks Agreementで管理されているので、特に新しいものを作る必要はないと主張する国もあり、現在まで決着がつかずに曖昧なままである。
 しかし、2016年4月以降の準備委員会では、漁業も規制対象にすべきだと主張する途上国などの声の方が多かった。なぜなら、公海で漁業をするのは一部の先進国で、多数派を占める途上国はあまり公海漁業をしていない。漁業を規制しても実害はないという状況があるからである。いずれにせよ、海洋保護区を設定すれば実質的には漁業制限につながる。漁業は対象になると見越しておく方が良いであろう。
 公海での科学調査に制限を加えるべきかについては、今までの所あまり議論にはなっていない。2015年の議長報告(A/69/780)では、科学調査について過度の手続きによって阻害されないことが重要との主張がなされたが、多数派を占める途上国はあまり調査活動をしていないため、規制強化されても実害はないので、今後どうなるかは不透明である。

BBNJのその他の問題点

 新しい条約が出来たとしても、ルールを遵守するのは日本だけで、他国が遵守していない状況は好ましくない。
 資源は使用した分だけ減少するという旧来の発想は、遺伝資源については当てはまらない。なぜなら、遺伝資源は情報なので、これを得るために捕獲する生物の量は少ない。よって使用しても資源が減少するものではないからである。また、遺伝資源が生み出す経済的価値は即時的に生じず将来に向けて生じるので、資源採掘時点では正確な価値換算ができないため、この点をどう克服すべきかの課題は残る。
 各国の交渉担当(外交官)には自らが描いたシナリオがあり、たとえ科学が何らかの識見を提供したとしても、シナリオにプラスとなると判断すれば採用するが、そうでなければ耳を閉ざす傾向がある。

BBNJの今後の方向性

 2018年9月に開かれた第1回政府間会合で条約案となるテキストが提案されなかったことから分かるように、議論はあまり進んでいない。条約案が提案されてから本格交渉になる。議論がなかなか進まない理由の一つとして、NGOが主導権を握っている状況が挙げられる。NGO団体は会議への参加および発言も許されている。最初に国家代表、次にFAOのような国連団体が発言し、その後NGO団体に発言が許されるので、NGO団体はワーキンググループの時から参加している。国連が定める条約案のテキストを巡る政府間交渉をNGO団体が参加する会議中に行なうことへの疑問は残る。
 条約案は各国政府のコンセンサスによって成立する。ロシアが反対する中でどのようにコンセンサスへ導くかという議論がある。条約成立後に海洋保護区(MPA:Marine Protected Area)を設置するなどの場合も締約国会合でコンセンサスを得ることを条件にするのか等、形式的な課題も残る。
 しかし、各国政府は10年以上このような議論を行っているので、各国政府代表団の中にはそろそろ議論をまとめようという機運も見え隠れする。
 但し、2018年から始まった政府間交渉は2年では終わらないだろう。なぜなら、政府間交渉は1年にわずか2週間の交渉を2回しか行なわないからである。既に今年9月に第1回目の政府間交渉が終了したので、次回、仮にテキスト案が提案されたとしても、2週間の交渉をあと3回を残して議論がまとまるとは到底思えない。いつまで議論が続くのか予測は困難であるが、条約案のテキストが出てきた段階で各国の反応を見れば、大体の見当はつく。

 

3. 日本の貢献可能性:管理の先行事例提案

 それでは日本の貢献可能性はどうか。日本の貢献可能性は相当あると考えている。日本の沿岸域を網羅的に調べたところ、全国に1161カ所の保護区が存在することを確認した。その30%は漁業者による自主的な管理の枠組みであることが判明している。
 保護区の定義は、生物多様性条約の会合で公表されたものが使用されている。この保護区の定義は「国際自然保護連合(IUCN)」の定める定義と整合的である。IUCNは日本政府の機関もメンバーになっているが、その定めるところは各国から尊重されている。

 図3のNo Entry MPAは、保護基準が一番厳しい立ち入り禁止の海洋保護区をいう。次に厳しいのがNo-take MPAである。ここには人は入っても良いが生物を採集することは禁止されている。つまり漁業は禁止されている。次にMultiple use MPAsというものがあり、ここでは例えばrecreational fishing, ecotourism, aquacultureは良いとされている。ここで念頭にあるのはおそらく貝、海藻等の餌を与えなくても済む養殖であろう。要するに、MPAのカテゴリー内であっても、養殖を行うことまでが許容されているのである。
 その隣にIndigenous Settlementsとある。Indigenousは先住民を意味する。先住民がその場所に住んでいて昔ながらの活動をしている程度ならば良い。さらに図3の左を見ると、MPA for managed extractive usesというのがある。漁業をして環境から魚を取り出してしまっても管理さえしていれば良いということである。一番左側は、MPA for cultural, ecological, and social protection である。これは例えば、鳥居が海の中にある広島県の宮島のような場所をイメージすると分かりやすい。以上のように、Large Marine Ecosystemにおいては保護基準の厳しいMPAから緩和されたMPAまで様々な定義が存在する。
 環境省が日本の8.3%の海域と言っているのは、図3の右側から左側までの海域を総動員した数字である。

 図4は、日本の海洋保護区の枠組みとその箇所数について2010年に筆者が独自に調査をして、マリンポリシーという国際誌に発表したものである。上から3行(黄色)が環境省の枠組みで100件ほどある。その下の2行(赤色)は農水省関連の法令で700件近くある。一番下の行(緑色)は漁業協同組合が独自に定めている禁漁区で387件ある。しかし、それらの禁漁区の場所の特定とどの程度の面積かは、情報入手に手間取っている状況である。

日本の海洋保護区の具体例

 北海道東端にある野付半島は、日本最大級の砂嘴である。ラムサール条約の登録湿地でもある。ここは、エビ管理区域と禁漁区に区切られている。図4最下行の387件の1件にカウントされているものである。

 野付半島では北海シマエビを獲っている。海中のアマモが北海シマエビの棲家になっているので、漁業者はアマモ自体を保護したい。漁業者は北海シマエビを獲るのにエビ打瀬船という特別な船を使用する。船の後部に装着された船外機はエビ管理区域までの移動に使用し、エビ管理区域内は網をゆっくり引くため、帆を使用して風力で移動する。網をゆっくり引けば、北海シマエビと一緒にアマモを網の中に取り込んでしまうことを防げるので、生態系の保護につながる。
 また、野付漁協女性部は、昭和63年より「お魚を殖やす植樹運動」を実施してきた。植樹事業を通じ資源循環型漁業の発展と都市と漁村の交流を深めることを目指し、首都圏のコープと「海を守るふーどの森づくり基本協定」に調印した。具体的には、川の上流に植樹して魚を殖やして海を守ろうという運動である。原生林の時は川の環境は良かったが、畜産や農業が盛んになると、農畜産業排水が川に流れ込むようになって水質が悪化した。農畜産業排水が直接川に流れ込むのを防ぐ目的で、川上の土地を購入して植樹運動を行っている。このような植樹運動は魚つき林といって日本全国で行われている。
 日本の禁漁区と米国の marine national monumentとを比較すると、規模に関しては、日本は小規模(1辺は数百メートル程度など)であるのに対して、米国は極めて大規模(長辺は2000km程度)である。成立過程に関しては、日本が現地関係者によるボトムアップが多いのに対して、米国は大統領府からのトップダウンである。目的に関しては、日本が漁業資源や漁業環境としての生態系保全であるのに対して、米国は珊瑚礁生態系の保護、海山の保護である。人の関与に関しては、日本は入域や住居が可能で、漁業者が監視や効果のモニタリングなど当事者の関与が頻繁であるのに対して、米国は入域は許可制(原住民は例外)、漁業禁止などにより関与は薄い可能性がある。

人間が入域することについての英米と日本の認識の違い

 Giddings, Hopwood, O’Brien (2002) “Environment, economy and society: fitting them together into sustainable development” Sustainable Development 10:187-196.は持続可能な開発について述べた論文であるが、持続可能な開発には、環境、経済、社会の3つの要素があることを述べている。さらに、多くの米国人・英国人は、郊外における環境保護を優先し、つまり、郊外の野生の動物などを人間から保護することは熱心であるが、都会の環境に対しては関心を払っていないと述べている。この根源は、環境が人間と切り離された存在であると認識することなどにあるとする。これは陸上を念頭に置いた議論で、歴史的に欧州の都市は城壁に囲まれていたことと関係する。
 以上のことから、英米人は保護区には人間の関与をあまり想定しておらず、人間と切り離された自然に任せておきたいという考え方である。一方の日本人は、里山・里海という言葉があるように、人間が当然に関与するものだという考え方である。
 日本が生物多様性条約の会合でSatoyamaイニシアティブを推進した時、準備会合でオーストラリアをはじめとする国々が反対した。里山に人間が入って人間が自然を管理するというのは保護とは言えないという理由からであった。ちょうどその頃、日本政府は、農業があるから環境が守られるという主張をWTOで行っていた。WTOはコメの貿易自由化を推進しようとするが、日本の主張は、コメを物品だけの価値と認識するのではなく、その生産過程が生態系に対して良い影響を及ぼすのだというものである。里山に反対する国々は、WTOでの日本の主張の焼き直しがSatoyamaイニシアティブでも成されると思って反対した側面もあると考えられる。日本側がWTOとは違うのだということを丁寧に説明した結果、名古屋の生物多様性条約COP10でSatoyamaイニシアティブが採択されるという経緯があった。
 従来は、持続可能な開発における3つの要素、経済、環境、社会のうち、いずれかを重視する議論が多かったが、Satoyamaイニシアティブ以降は、3つの要素をバランスよく議論するようになり、生態系サービスがより保護されるようになった。生態系サービスには、①供給サービス ②調整サービス ③文化的サービス ④基盤サービスがある(出典:国連環境計画が主導した国際共同研究「ミレニアム生態系評価計画」)。

水産業の多面的機能

 農業を行えば水田による保水機能や人間に愛される生物が生息できる等の多面的機能が存在するのと同様に、水産業にも次のような多面的機能が存在する。
 ①食料・資源を供給する役割(本来の機能)②自然環境を保全する役割③地域社会を形成し維持する役割④国民の生命財産を保全する役割⑤生活と交流の「場」を提供する役割。(出典:2003年農林水産大臣から日本学術会議会長に対する「地球環境・人間生活にかかわる水産業及び漁村の多面的な機能の内容及び評価について」諮問に対する2004年の答申)
 多面的機能は人間が生み出すもので、生態系サービスは自然が生み出すものであるという違いがあり、里山は多面的機能と生態系サービスの両方を保護するもので、自然が生み出す生態系サービスを補完するという認識である。この点で、人は保護区域に立ち入らない、つまり自然は人から隔離すべきという欧米人の考え方と異なる。
 図9の縦軸の上の方は、人間が生態系の内側に位置すると考える傾向にある。縦軸の下の方は、人間が生態系の外側に位置すると考える傾向にある。
 海と人との関わり方は、縦軸とは異なる要素なので、横軸に表わした。一番左側は、関わり方が少なく、海をただ眺めるだけの人である。観光客、都市の住民、海運業の人々が含まれる。横軸の真ん中は、中程度に関わりがある、つまり資源を利用する人である。横軸の右側は最も関わりがあるケースで、埋め立て計画地や施設設置の場所等と捉える人が含まれる。
 以上のことから、図の右下には建設業者、電力事業者等、右上には漁業者、沿岸の住民、左上には観光客、都市の住民、左下には海運業者がそれぞれ当てはまる。右に行くほど保護区の設置には抵抗する。上に行くほど、保護区が設置されれば管理に協力する可能性がある。漁業者や観光客は環境が良くなれば自分のメリットになる可能性があるからである。

日本の国際貢献可能性

 日本は、沿岸での経験において歴史と伝統を有しており、生態系の中に人間が存在すると考える特性を生かして、保全を行ってきた。今後は、その経験を世界に伝えることに注力してはどうだろう。例えば、どのような条件下で人間の管理が上手くいくのか、いかないのかについて伝えることができる。
 さらに、自然環境が人間生活にどのように影響するのかを追究してきたのが農学や水産学である。観測の技術が進むにつれて更に正確なデータを得ることにより、これらの分野で単なる技術移転に留まらず、学術の発展も見越せる。
 この分野でも、日本の国際貢献の可能性は十分存在している。

(本稿は、2018年10月3日に開催したICUS懇談会における発題を整理してまとめたものである。)

政策オピニオン
八木 信行 東京大学大学院農学生命科学研究科教授
著者プロフィール
東京大学農学部卒、米国ペンシルバニア大学ウォートンスクール経営学修士(MBA)課程修了。東京大学博士(農学)取得。1987年に農水省入省後、水産庁勤務や外務省出向(在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官)などを経て退職。2008年東京大学大学院特任准教授、2011年東京大学大学院准教授、2017年より現職。研究分野は漁業経済学、海洋政策論、農林水産業のイノベーションなど。現在、国際漁業学会副会長、日本学術会議連携会員、農林水産省の世界農業遺産等専門家会議委員なども務める。

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