家庭内暴力に関する今日的課題

家庭内暴力に関する今日的課題

2019年2月6日

 これまで家庭内暴力と言えば、子どもが親に暴力を振るうという極めて信じられないような事件であった。それは団塊世代が思春期になった時に多発した。このように子どもが親に暴力を振るって、引きこもりや不良少年になってしまったケースは親の側からすれば、なんとも不甲斐ないことで、母親はともかく父親が説得に当たるために父子二人でこの問題に向き合い、問題解決を模索した折に、息子に殺された父の前で息子も自決するという悲惨な事件すらあった。
 今日の日本には少数ながら思春期になった子どもが父親を殺害するというケースが見られなくもないが、多くの場合、家庭内暴力と言えば父(または母)が幼児を「しつけ」と称して子どもを虐待死させるケースであり、それが頻発している。そのために、政府は「児童虐待防止法」の法改正を作成し、衆議院青少年問題特別委員会で「児童虐待への対応の強化」が決定した。各委員会のメンバーは児童相談所、児童精神医学者、子ども虐待防止センターなどの児童虐待の問題を憂いている専門家たちで構成された。更に、委員会には文科省、厚労省、法務省、総務省青少年対策本部、警察庁生活安全局に至る児童の虐待防止に関わる専門家とみなすべき人たちが加わり検討した。しかし、現実には各省庁、相談所に児童虐待に関する専門家は存在せず、それぞれが隔年ごとに移動し、折角、児童虐待防止に積極的にかかわろうとしても、他の分野へ移動しなければならないという組織上の問題があって、現場は困窮した。
 社会福祉カウンセラーにしても、臨床心理士にしても児童虐待に携わり、その事例の心理学的事情や社会的環境に良い土壌つくりに参加するとはいえ、具体的に児童虐待の場において積極的に行動をすることもできず、手をこまねいているばかりである。つまり、暴力に対処するには警察庁の生活安全局少年課の警官が職務によって児童が殺害されてしまう前に親の対策を徹底しなければならない。児童虐待防止のために派遣される児童相談所員の力では到底対処しきれない側面が多々あるからである。親たちの恫喝の前では、唯、虐待されている子どもを保護できずに引き渡してしまう。
 米国の児童虐待防止法は、警察官が介助することを前提としている。その意味において、日本における児童虐待に対処する方法は他国と比較すれば脆弱である。しかも親は子どものしつけに他者が関与することをひどく嫌う。暴力による「しつけ」は最も効果の薄い方法であり、彼らはそれがトラウマになって子どもの成長に著しく影響を与えることを知らない。暴力をしつけと称して育てられた子どもは成長して自分が親になった時に「しつけ」とは暴力をふるうことによって、育まれると解釈してしまう。この堂々巡りを繰り返すことによって、子どもは「真実の愛情」とは暴力を受けることであるとマゾヒズム的感受性をも引き起こしかねない。「父さんがぼくを殴るのは愛情があるためだ」、あるいは「僕に関心を持っているためだ」という感情を抱いてしまう。
 これはあえて言えば同性愛の温床をつくる。エイズ治療が医学的に解消された今日、同性愛をよしと認める社会が世界中に溢れており、子どもを養育するには同性の二人が養子にした子どもの世話をするなどのケースが著しい。今後、この子どもたちがどのような生活行動をとるのかはデータの蓄積がないために結果がどう出るかはわからない。
 しかし、暴力でしつけられた子どもは成長すれば自分も子どもを暴力でしつけるという悪循環の事例は多々ある。医学的には胎児は3カ月で殆ど人間らしさの機能を完成させるが、胎児の時に何が起こるのか、暴力的に教育された父母には胎児の頃から暴力を是とする暗黙の了解が遺伝的に形成されてしまう。暴力をしつけとして育った子どもは自分が大人になった時に自分の子どもを暴力によってしつけるのを当然と考えるようになる。
 現在、問題になっている千葉県野田市の少女の死はこれまでに見られる以上に痛ましい。少女は既に担任教師に父の暴力を相談していた。しかし教師は何もできなかった。母親もまた同じように父親である夫からの暴力を黙認するしかすべがなかった。すでに、妻である母親は夫によって暴力を受けていたからである。その暴力が子どもに移行したに過ぎないと言ってしまえば、どんな解決法もない。夫もまた幼少の頃より暴力を受けてしつけられた可能性がある。
 子どもを殺人に至らしめた子の父親は教育委員会を恫喝して、決して渡してはならない子どもの記録を奪ってしまい、暴力がエスカレートして子どもを殺害した。親の権利を盾にして、学校や教育委員会を恫喝する親の処置の仕方にはいくらでも考えられる。学校や相談所にはそれぞれ弁護士がいる。暴力をふるう親が子どもを引き渡さなければ、司法に訴えると脅しても、弁護士が登場して徹底的にその問題を掘り下げることが出来る。一人でも親の虐待によって死を免れなかった子どもを助けることが出来る術を身につけるべきである。教師は今後のことも十分に考えて、たとえ学校内のことであるからと事実を隠蔽するのではなく、堂々と警察の力を借りても良いのではないか。警察官は暴力をふるう父親を「暴力はしつけではない」と言明し、一日でも刑務所で過ごし反省する機会を親に与えることが出来る法律を作成し、この種の問題を立法で裁く時期が来たのではないだろうか。
 日本人は昔から生まれてくる子どもを「子宝」であると言って大切に育てる民族であった。家族を大切にし、隣近所の不幸をわがことのように歎いた。閉鎖集団になった家族の問題は日本が今後世界に繁栄を誇るためのある種の躓きになるかもしれないと懸念している。

政策オピニオン
丸山 久美子 聖学院大学名誉教授
著者プロフィール
青山学院大学大学院修士課程修了、東京大学大学院教育心理学研究科特別研究生。米国イリノイ大学留学後、盛岡大学教授、聖学院大学教授、北陸学院大学教授、ドイツ・ケルン大学客員教授等を歴任。現在、(財)知恵の継承研究所理事、聖学院大学名誉教授。専門は犯罪心理学。主な著書に『心理統計学』『臨床社会心理学特講』『北森嘉蔵伝』他。

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