世界に広がる中で育まれた母子手帳 ―世界の母子保健への貢献と新たな課題への取り組み―

世界に広がる中で育まれた母子手帳 ―世界の母子保健への貢献と新たな課題への取り組み―

2021年9月15日
母子手帳のありがたさ

 日本発祥の母子手帳は、子どもとお母さんの健康に関する記録として非常に優れている。現地の事情に合わせて工夫しやすいことから、2021年現在では世界50カ国にまで普及している。そして、各地に普及していく過程で、様々に良い取り組みを生み出した。今後、各地の成功例や教訓をフィードバックして、グローバルな取り組みをさらに前進させていくことが望まれる。日本も母子手帳から広がった世界の保健・医療に大いに学ぶことが重要である。
 私が母子手帳に取り組むようになったのは、30年ほど前にJICA(国際協力機構)の仕事でインドネシアに行ったことがきっかけである。私は日本で小児科医として勤務しており、もっと子どもたちが暮らす地域や学校に入っていきたいと思っていた。しかし、日本では「医者の役割」の枠を越えづらく、なかなか実践できなかった。その時、ちょうどJICAがインドネシアで地域保健プロジェクトに携わる小児科医を探していたため、国際協力の世界に身を投じることにしたのである。
 インドネシアでは2年間地方の村々をまわったが、子どもの健康に関する情報が十分に手に入らないことに課題を感じた。最も印象に残っているのは、村の保健ボランティアの人から学校に入る直前の子どもについて相談を受けたときのことである。連れてこられた子どもを見た時、私は一目でダウン症だと分かった。色々聞いても、病院に行ったことはないし、ダウン症という診断も受けたことはない。しかし、やはり他の子どもと比べて発達が遅いという。それで、学校に行っても大丈夫かという相談だった。
 この時、村には妊娠中の様子や出生時の体重、予防接種の有無など、子どもの健康や医療に関する記録が何もなかった。親など周囲の大人に話を聞いても、「妊娠中のことはよくわからない」「生まれた時はちょっと小さかったかな」というあいまいな反応が返ってくる。私はダウン症について知っていたので、その子には大きな合併症はなく、丁寧に教えれば学校に適応できると伝えることができた。だが、もしダウン症の知識がなかったなら、適切な判断はできなかっただろう。
 これが日本であれば、妊娠中や出産時の様子、予防接種の有無など子どもの医療記録は母子手帳にまとまっている。それがどれだけありがたいことか、インドネシアの電気も水道もない村で気づかせてもらったのであった。

インドネシア・ロンボク島の子どもたちと
普及活動のはじまり

 日本に帰ってきて改めて研究してみると、母子手帳には医療記録として二つの特長があることが分かった。一つ目の特長は、一冊の手帳でお母さんの記録と子どもの記録をまとめて記載できるということである。世界では子どもの記録だけ、お母さんの記録だけをそれぞれのカードに記載することが多い。アメリカやイギリスに行けば、それがハンドブックのようなものになるが、やはり母子別々が一般的である。母子の医療記録を一冊にまとめることは、1948年に日本が最初に始めた。
 そして、二つ目の特長は、一冊にまとめた母子の医療記録を、病院だけでなく親も持つことである。親が医療記録を持っていれば、ある医者にかかっていて健康状態が改善しないとき、別の医者のところにそれまでの記録を持っていくことができる。病院や保健所に医療記録があるのは世界共通であるが、親が記録を持つようにしたことは画期的である。これらの特長を持つ母子手帳は、日本の「発明」と言ってよい。
 このような母子手帳の機能性に気づいたため、国際協力として母子手帳の普及に取り組むことになった。その取り組みの先駆となった国が、やはりインドネシアである。インドネシアでは、1993年から中部ジャワにおけるJICAのプロジェクトとして母子手帳の作成が始まった。その後、1997年にインドネシア保健省が全国版を作成し、10年かけて全国に普及させていった。
 インドネシア版の母子手帳は現地の事情に合わせた工夫が盛り込まれている。まず、表紙がピンク色で、中身もカラーで印刷されている。また、妊娠中のアルコールやたばこの害も絵で示し、非識字者にもある程度伝わるようになっている。他に予防接種や体重の記録欄、色で年齢ごとの適正体重がわかるグラフ、離乳食の写真なども載っている。
 このインドネシア版母子手帳の作成にはJICAも関わったが、著作権はフリーにして他のドナー機関も自由に使えるようにした。なぜなら、広く使ってもらえる良いもの、つまりコモングッズを作って、完全にあげてしまうのが良いと考えたからである。そうすれば、たとえばJICAのロゴが入ったものよりも色々な機関が使いやすくなる。代わりに、誰が最初に作ったか、協力の証しだけ残させてもらうようにした。うれしいことに、インドネシア版母子手帳の表紙裏には、今も製作者としてJICAの名前が併記されている。これが年間400万冊も利用されているのである。

インドネシアの母子手帳
支援の際に気をつけること

 このように、インドネシアを皮切りに母子手帳の導入支援が始まったが、支援するときには三点ほど気をつけていることがある。
 一点目は、日本の母子手帳をそのまま翻訳して押し付けないということである。日本の母子手帳が素晴らしいことは間違いない。しかし、日本の母子手帳は日本の文化の中で形成されたものであり、必ずしも現地の事情にあっていない。例えば、日本の母子手帳は、全てのお母さんたちが字を読めることを前提に作られている。そのため、字を読めることが当たり前でない国では、そのまま使うことはできない。また、日本のものをそのまま持ち込むより、従来現地で使われてきたツールを入れ込めるようにしたほうが混乱も少ない。だから、日本の素晴らしいアイデアは発信するけれども、翻訳して押し付けることはしないのが大切である。
 二点目は、普及活動の中心は現地の関係者に担ってもらうことである。どこの国に行っても医師や看護師がおり、彼らはその国にとってかけがえのない存在である。彼らが中心になってこそ、母子手帳の導入は上手くいく。実際、ケニアの取り組みでは、日本で母子手帳の良さを知ったケニア人医師が中心となって活動し、HIV/エイズの母子感染防止という独自の事情に即したプロジェクト版を導入した。また、これを全国版にするとき、偏見が生まれることを懸念してHIV陽性のチェック項目を残すかが議論になったが、「チェックがあっても偏見のない社会を目指す」と決意を固めての導入となった。このように、現地の人こそ現地の事情に主体性を持って取り組める。だから、私たちは黒子となって後ろから支えることを心掛けている。
 そして三点目は、母子手帳の普及には、国境を越えた学びが必要だということである。それも、アメリカやドイツなどの先進国からの一方通行ではなく、低中所得国からの知見も含めた学びである。例えば、タイでは日本では行われていない母子手帳のデジタル化が進んでいる。母子手帳に載っているQRコードを読み取れば、スマートフォンで電子版を読めたり、HIV陽性者のパートナーにも検査を勧めるユーチューブの動画に繋がったりする。タイの人は母子手帳もQRコードも日本から学んだと言ってくれる。そして私も、こうした取り組みは本当に先進的で、日本に取り入れたいと思う。そういう双方向の学びが大切である。
 そのような双方向の学びをグローバルに行うため、私たちは2年に1回、母子手帳国際会議を開催している。そこでは3日間かけて、各地の取り組みで上手くいったもの、いかなかったものを共有し、議論する。そうしてさらに良い取り組みを生み出そうとしている。
 このようにして、母子手帳は世界中の取り組みの中で磨かれ、育まれてきた。結果として、世界で50カ国以上に広がっている。世界に母子手帳が普及する中、今後は今までの取り組みで手が届かなかった人々へのアプローチが期待される。

2012年に開催した第8回母子手帳国際会議。中央はケニアの保健大臣、右は黒川清氏(日本学術会議元会長)、左が筆者
世界の母子保健に果たす役割

 2000年にMDGs(ミレニアム開発目標)が採択されて以降、世界の母子保健分野の状況は劇的に改善している。世界における年間の子ども死亡数は、1990年に1260万人だったところから、2015年には590万人へと減少した。また、2015年にはアフリカのエイズも治療でおさえることのできる病気になってきた。そして、今や世界中で85%の子どもが、母子保健で必要とされる予防接種を受けるようになっている。
 一方で、これだけ状況が改善してきたがゆえに、なお取り残されている人々の存在が浮き彫りになっている。例えば、15%の子どもは未だに予防接種を受けられていない。そうした子どもは山岳地帯や都市のスラムなど、普通ではアプローチしにくいところにいる。それゆえ、2015年以降、新たに世界の開発目標となったSDGs(持続可能な開発目標)では、「誰一人取り残さない」という標語を掲げざるを得なくなった。
 母子手帳は「誰一人取り残さない」ことに三つの点から貢献できる手段である。第一に、子どもとお母さんの病気の予防である。母子手帳は、それを配ったからといって急に死亡率が下がるというものではない。ただ、母子手帳によって妊娠中の女性の知識が増えれば、行動が変わる。もちろん、病院での治療が必要な部分もあるが、栄養をとり、適切なケアをし、必要な予防接種を受けるなどすれば、かなりの部分が予防可能となる。
 第二に、カバーする範囲を広げやすいことである。病院などの箱物は、近隣の人や交通アクセスがある人以外は利用できない。より多くの人が利用できるようにするにはいくつも建てる必要がある。これに対して、母子手帳を全てのお母さんに配ろうと思えば、比較的容易に実行できる。さらに、貧困層や少数民族もカバーする範囲に含めやすい。ベトナムでは、ベトナム語を母語としない民族にも母子手帳を配っており、読める人が周りの人達に読んであげている。また、お母さんが読めない家庭では、お父さんが読んであげることもあり、父親の育児参加にもつながっている。
 そして第三に、母子手帳を配ることが格差の縮小につながる。母子手帳の内容はそれほど難しいものではないため、大学を出たような人には目新しいことは少ない。一方、母子手帳が唯一家にある本という家庭もある。そのような場合には、母子手帳がもたらす知識のインパクトは非常に大きい。そのような人々を支援することは、SDGsの「誰一人取り残さない」という目標とも大いに合致している。

世界の取り組みから学ぶ

 日本は母子手帳を世界に送り出して多大な貢献をしたが、今後は世界の普及活動から学べることが多くある。まず、専門の保健医療者だけで保健・医療をやろうと考えないことである。世界の村々に行くと、そこに医者がいるということはめったにない。そういうところで母子手帳の普及に取り組んでくれるのは、保健ボランティアである。
 今回のコロナ禍にあって、この保健ボランティアが世界中で注目されている。ロックダウンが発出されるなどすれば、医師や看護師も移動できない。しかし、コロナ対策のためには地域で手洗いや三密回避の指導、検査の手配などが必要となる。そのようなとき、地域コミュニティの一員である保健ボランティアが大きな役割を果たした。
 例えば、タイではコロナ禍によって大量の失業者が都会から田舎に移動した。このとき、保健ボランティアは誰が都会から帰ってきたかを素早く察知し、発熱した人を検査拠点に送りだす役目を担った。さらに、スマートフォンで感染情報を保健省に送り、情報の集約にも一役買った。これは、地域コミュニティの中の人材が保健・医療に貢献した好例である。
 そして、ほかにも保健・医療分野を支える人材はいる。教育関係者は母子保健教育を担当できるし、保育者も少しの研修を受けることによりお母さんたちに適切な情報を伝えられるようになる。イギリスなどでは、コロナ禍で医学生が病院の受付などを担当し、看護師などが病棟に入れるように手伝いをした。日本は全部を保健・医療の関係者だけでまかなおうとしすぎである。多様な人材の活用を、世界から学ぶべきではないか。
 多様な人材を活用することは、専門分化による縦割りという日本の弱点を克服することにもつながる。日本では医学や心理学、経済学など各自の専門領域内では高度な発展を遂げているが、横のつながりはほとんどない。こうした縦割りによる断裂はサイロ・エフェクトと呼ばれており、世界では「サイロを壊せ」が合言葉となるほど、重篤な問題と認識されている。コロナ対策でも、世界では医学だけでなく、遺伝子工学、社会学、経済学、そして人類学なども含めて議論している。日本はサイロ同士で競っており、物事が進まない。感染症の専門家と経済の専門家でコロナ対策チームが組織されたが、もっと多様な人材を活用する必要がある。
 そうした観点から言うと、災害対応の専門家や復興に取り組むNGOの人材を取り入れることも考えたらよいだろう。私もUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の職員を経験したことがある。その経験からすると、紛争や災害の時はベストシナリオとワーストシナリオを考えて行動する必要がある。紛争のようなコントロールできない状況でも、両極端のシナリオを考えておけば、想定外がほとんどなくなる。この考え方はコロナ対応にも応用できる。今回のコロナ対応では、ワーストシナリオを考えたくないために、効果的な施策を打てないでいるように見える。しかし、コロナのような何が正解かわからない問題に直面した時こそ、全ての知を結集してあらゆる状況に対応できるようにする必要がある。

カメルーンの保健センターで母子手帳を持つ妊婦たち。英語版とフランス語版があり、妊婦自身が読める方を選ぶ
まなざしの温かな社会へ

 今、日本の保健・医療分野は、人の心に寄り添うという原点に帰るべき段階にきている。コロナが流行し始めた当初、不安を感じている感染者に専門家は自宅待機を要請した。これはやや冷たい対応ではないか。また、ちょっとしたことかもしれないが、インドネシアやタイではカラー印刷される母子手帳が、日本では総じて「コストが高くてできない」ということになる。インドネシアやタイでできるのはなぜだろうか。実は、タイでも少子化が進んでおり、子どもを産もうと決意してくれた女性に行政がはじめて手渡すものとして力を入れているのだという。「ここにお金をかけないでどうするんですか!」というのが現地の人の弁である。
 今の日本に最も欠けているのは、こういう心意気ではないか。経済的なコスト計算や、効率の追求は上手くなったかもしれない。しかし、最も大切なのは生まれてくる子どもと親を大切にしようという、温かいまなざしである。保健や医療、教育に関わる人々がもう一度手を組んで、経済効率よりも大切な価値を皆で確かめていく必要がある。
 そうした温かい社会を創っていくためにも、若い人たちに活躍してほしい。変わったことをしようとすると、同調圧力があってやりにくいかもしれない。しかし、多数派は現在をつくるが、未来をつくるのは少数派である。国際協力における医療や災害対応の現場では、若い世代がトップランナーとして指揮を執っている。若さゆえに失敗して、少し足を踏み外すかもしれないが、その時は周りのシニア層が支えている。
 日本でもシニア層には若者に活躍の場を提供してほしいし、若い人にも挑戦の気持ちを持ってほしい。それを支援するために、日本WHO協会では「関西グローバルヘルスの集い」という会を持っているし、国際ボランティア学会では若者による東日本大震災を経験した人へのインタビュー活動を行っている。様々な機会を活用し、日本の若い世代が羽ばたいてくれればうれしく思う。

政策オピニオン
中村 安秀 公益社団法人日本WHO協会理事長、大阪大学名誉教授
著者プロフィール
東京大学医学部卒。小児科医。国際協力機構(JICA、インドネシア)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR、アフガニスタン難民医療担当官)など途上国の保健医療活動に取り組む。東京大学小児科講師、ハーバード大学公衆衛生大学院研究員、大阪大学教授、甲南女子大学教授等を経て現職。国立看護大学校特任教授、NPO法人HANDS代表理事、世界小児科学会常任委員、国際ボランティア学会会長、国際母子手帳委員会代表、国立国際医療研究センター理事などを務める。著書に『国際保健医療のお仕事 第2版』『医療通訳士という仕事』他。
日本発祥の母子手帳は世界に広がり、母子保健の向上に貢献してきた。現在、世界では様々に工夫を凝らした取り組みが展開されている。コロナ禍にあって、日本も子どもと親を大切にする各国の心意気に学ぶところは大きい。

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