防災から減災へ
地球のダイナミックな地殻運動が原因で環太平洋造山帯ならびにアルプス・ヒマラヤ造山帯近傍では大規模地震災害が頻発するが、その発生場所と時刻を科学的にある確度を有して言い当てるのは未だ困難なようである。また、豪雨による洪水被害や土砂被害も地球温暖化との関係については、不明瞭な点もあるが次第に発生回数が増加しており、その度に多くの人命が失われている。さらに台風、高潮、火山噴火や一部は自然災害とは言えない大規模火災等々、地域社会のみならず国家そのものの安定を阻害する災害は多い。
このような自然災害は突然頻度が増して大規模化したわけではなく、以前から、その時々で不完全ながらも対応して復旧・復興を果たしてきた。例えば、本邦の各種耐震設計基準は度々大震災を受けるので世界トップクラスであり、被災する毎により安全な構造物を造るために改定を繰り返してきた。しかし、主に経済性との狭間でどのように強烈な地震外力に対しても、無被害で完全無欠の構造物を構築することは困難であり、人命を第一に考えて、大被害を受けようとも全体的な崩壊は阻止することを基調としている。
他方、途上国においては耐震設計基準レベルの云々の以前に、伝統的な構造材料や工法により各種構造物が構築され続けている。被災リスクから考えれば、煉瓦による積層構造物等は真っ先に否定されることとなるが、その地域の建築文化や経済性も考慮しなければならない。するとハード対策としては現状の構築物に廉価で効果的な耐震補強工法を導入することに知恵を絞る必要があり、ソフト対策としては過去の被災経験を生かした防災教育と避難誘導教育が両輪として必要であることは、すでに指摘されているとおりである。
ただし、各種の国際協力資金を用いてそのような活動はすでに始まっているが、地球上で生活する限り頻度の地域差はあるものの各種自然災害はこれからも発生し、完全に克服することは今後も不可能であろう。したがって、「防災」というよりも「減災」を念頭に活動することとなる。ハード対策にしてもソフト対策にしても、減災を目的とすれば少しでも以前より被害を減じる活動ということであり、少しハードルが下がったような気分で取り組めるのではと思う。
一方、途上国であれ先進国であれ、大多数の人々が地震や豪雨その他の自然現象による壊滅的被害、ならびにその時に自分自身が被害を受けるであろうことを日常的に意識しないのはなぜであろうか。難しい言葉では「正常性のバイアス」とかで説明されているが、要は生活時間軸における発生頻度の問題であろう。つまり、明日、交通事故に遭う確率と自然災害で負傷する確率を問えば、圧倒的多数が前者を心配する。しかし、直前あるいは最近、身近で災害が発生したりそれらのニュース報道があったりすると傾向はまったく違ってくる。事実、小職の自然災害関係の講義において、毎年このような質問をしているが、「平成30年7月豪雨」災害の前後では、予想どおりであった。
前置きが長くなってしまったが、被災経験を基にした減災教育と啓発活動の継続的な重要性を言いたいのである。しかも、何度も何度も繰り返し、いつも意識して生活できるレベルまで達すると完璧であろう。被災経験者は別にして、知識として得たものが実際の行動に移せるかどうか、異なる状況下ではその時点になってみなければ分からないという意見もあるが、被災経験を基にした擬似的経験と災害知識は必ず役立つ。
擬似的経験と減災への知識・行動の涵養と普及を
さて、国際防災協力の課題である。経済的な余裕があればハード対策を重視して営々と行っていけばよいが、今日・明日の問題が先になり、ほとんど進まないのが現状であろう。すると事前(地域の災害特徴と可能性の周知)・事中(タイミングと正しい避難誘導行動)・事後(避難所運営と復興計画等)の時系列を意識したソフト対策でカバーすることとなるが、それらをリードする人材の確保と訓練が課題である。当然、専門職業人と公助のための組織を大量に確保することは常時において無駄との誹りをうけることとなるので共助と自助を担う自主防災組織とリーダーを養成する必要がある。
本邦ではすでに各地でかなりの自主防災組織が活動しているが、単に組織を作っているだけのものから消防団も顔負けするような高度の活動を行っているものもある。この際、活動のレベルはさておき、自主防災組織に類似の草の根的な組織体の結成誘導推進を今後の国際防災協力の課題としたい。
もう一度強調しておくが、単なる防災知識の普及ではなく被災経験を基にした擬似的経験と減災への知恵と行動を涵養普及するための継続的組織体として育てていく必要がある。小職自身もそうであるが、日常、自然災害とかいったネガティブな事柄はあまり意識したくなく、時間と共に忘れ去っていき、そして例え身近で災害が発生する状況が緊迫したとしても自分は大丈夫と考えてしまうのがまずい。