政策ビジョンと施策立案の課題 —法科大学院制度導入の教訓とポスドク問題—

政策ビジョンと施策立案の課題 —法科大学院制度導入の教訓とポスドク問題—

2019年9月30日
司法試験改革への反省

 私は、早稲田大学政治経済学部の教授であった間の、20044月から20073月まで、法務省の司法試験委員会の委員を務めたことがある。法科大学院という制度ができたのが2004年。新しい法曹養成のための司法試験について考える委員会だった。
 私は政治経済学部に属してはいたものの、専門は自然科学なので、法学部や司法試験についてはまったくのシロウトであった。委員会で説明される内容を信じ、その他の知識は少ないまま、これからの司法試験の在り方はどんなものがよいのか、私のそれまでの職業生活から得られた感覚や常識をもとに議論した。
 当時、二つのことが言われていた。一つは、今の日本社会では、すべての国民が法律的なサポートを、必要なときに十分に受けるという状態になっていない、もっと法律相談や弁護士活動を身近なものにするべきだ、というビジョンである。そうなるためにはもっと多くの法律家が必要で、司法試験の合格者数を毎年3000人くらいにしなくてはいけない、ということ。もう一つは、現状の司法試験は解法のテクニックに頼る小難しいものになっており、専門の司法試験予備校でそのようなテクニックを授けられた人しか合格できない。そうではなくて、法学部出身者以外からの人材も、法務を勉強して法曹界に入れるような、そんな制度に変えるべきである、ということだ。
 司法試験委員会では、それなりにいろいろな議論をした。ところが、蓋を開けてみれば、文科省が認可した法科大学院の数が70以上にも上り、議論していた側としては予想外の乱立であった。さらに、弁護士会から、そんなにたくさん法曹人口を増やしてもらっては困るという苦情が出た。私の任期は終了したが、結局、初めのビジョンに描かれていたような、日本もリーガル・マインドの国民を育て、法律相談や弁護士活動をもっと身近に利用できる社会にする、ということにはならなかったということである。
 それ以後、法科大学院の多くが認証評価機関によって不適合と指摘されたり、募集を停止したりすることが起こった。司法試験の内容を、テクニックの暗記から論述能力の判定に変えるという試みも、どの程度成功したのか、私にはわからない。

根本議論を欠いた大学院重点化政策

 当時、この経験から感じたのは、この国では、目指したいビジョンと、それを実現するための施策の立案と、それを支えるデータの収集が、うまくかみ合っていないのではないか、ということだ。現状のどこに問題があるのか、ある施策を導入すると社会がどう変わるのか、などを示す、または予測する、もとになるデータは、どこがどのようにして収集するのか?そのためには、いくつもの異なる省庁や機関が連携せねばならないだろうが、それはできているのだろうか?
 私自身の科学系に関する問題で言えば、大学院修了者の処遇である。1990年代から「大学院重点化政策」というのが始まり、多くの大学で、大学院の定員を増やしたり、教員を大学院担当に変えたりした。そして、大学院進学率が上がった。しかし、大学院教育とは何であり、大学院を修了して博士の学位を取得したら、どのような人材が生まれるのか、という根本の議論は、あまりされなかったように思う。
 そして、大学院生は増えたものの、博士号を取得したあとどうなるかと言えば、任期なしの学術的ポジションは少なく、有給ではあるが雇用条件があまりよくない状態で研究を続ける、ポストドクター(通称ポスドク)という身分の人たちが増えていった。さらに、政府は、1996年度から2000年度にかけて、「ポストドクター等1万人支援計画」を策定し、ポスドクとして雇用される博士号取得者の数を1万人創出するための雇用資金を研究機関などにばらまいた。この計画は、第一期科学技術基本計画の一部にも取り入れられた。そのビジョンはなんだったのか?日本も科学技術立国として、研究者の数を増やさねばならないということだったのだろう。
 しかし、この雇用経費は期限付きであった。かつ、博士号取得者としてどのような人材を育成するのかについて、大学のみならず、企業などとの議論も合意もなかった。「ポストドクター等1万人支援計画」があっても、企業も省庁も自治体も、博士号取得者の雇用を増やしたわけではない。同時に、1990年代から徐々に、大学の助教などの若手ポジションは削減されてきた。今では、1万人をはるかに上回る数のポスドクが、次の就職先を求めて大変な苦労をしている。
 2001年ごろから、このようなポスドクの悲惨な状況が社会的にも問題視されるようになった。そして、それを見て育った若い学生たちが、博士課程に進学しなくなってきているのが現状である。日本は、もともと、人口当たりの博士号取得者が少ない。欧米では、2012年時点で、だいたい、100万人当たり200人から250人の博士号取得者がいるのだが、日本は125人である。それが、上記のような状況を受けて、さらに博士課程進学者の数が減少の一途をたどっている。
 これは、本当に由々しきことだ。それにしても、政策のビジョン、入り口から出口まで、多くのセクターが連携して協働する過程を経なければ、国民は振り回されるだけで、何もよいことは生まれないであろう。

政策オピニオン
長谷川 眞理子 総合研究大学院大学学長
著者プロフィール
東京都生まれ。人類学者。東京大学理学部卒。同大学院理学系研究科博士課程修了。イェール大学人類学部客員准教授、早稲田大学教授等を経て、総合研究大学院大学長。専門は自然人類学、行動生態学。著書に『生き物をめぐる4つの「なぜ」』、『ヒトはなぜ病気になるのか』、『動物の生存戦略』、『世界は美しくて不思議に満ちている』他。

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