コロナが変えた世界 ―中国を警戒し始めた欧州―

コロナが変えた世界 ―中国を警戒し始めた欧州―

2020年8月6日

 欧州にとっての脅威はロシア、アジアにとっての脅威は中国、この図式は東西冷戦後ずっと定着してきたものだ。ロシアと中国の双方を警戒してきたのは地理的に両国に近い日本と、アジアと欧州の双方の安全保障に関与している米国だけであった。ところが、今年初めから全世界を席巻した新型コロナウィルスの蔓延はこの図式を大きく変えようとしている。
 米国が中国を戦略的な競争相手として認識し始めたのは最近のことではない。中国は21世紀に入ってから経済発展とともに海洋に進出し、急激な軍備増強によって周辺国に脅威を与え、しかも、南シナ海では領有権をめぐって対立している国々に対しては軍事力を見せつけることによって強引に実効支配を進めて来た。一方、世界に対しては一帯一路構想という地政戦略を提唱して、ユーラシア大陸とインド洋を横断する陸路と海路の交通路を設定し、その莫大な資金力で地域の開発を推し進めようとしてきている。それはそのままユーラシアをまたぐ中国の勢力圏の拡大構想とみることもできるから、実体は中国の世界覇権の構想ではないのかと米国やアジア諸国はかねてから懸念を抱いていた。
 ところが、欧州は地理的に遠いこともあり、またロシアと向き会うことに忙しく、中国を安全保障上の脅威として受け止める国はほとんどなかった。むしろ、欧州の財政的に貧しい国々は中国の持つ巨大な資金力に惹かれて一帯一路構想に参加した。中国が抱く政治的野心にはほとんどの国が無関心であった。そこが中国の狙い目でもあった。米国との「新冷戦」に打ち勝つためにも、欧州と米国という大西洋を越えてつながる伝統的な関係にくさびを打ち込むことは中国にとって戦略的に重要なことであり、一帯一路構想はそのための有効な手段であった。
 こうして中国の資金力という武器を使った欧州の取り込みは一見成功してきたのかのようにも見えていたが、昨年12月、陰りが見え始めた。ロンドンで開催されたNATO首脳会議が初めて中国の欧州進出に対する警戒宣言を行ったのである。首脳会議で採択されたロンドン宣言は、「中国の影響力増大と国際政策はNATOが同盟として取り組むべき機会と挑戦である」と表明した。これは中国の一帯一路構想への警戒を宣言したものだった。ユーラシアを陸路で横断する陸のシルクロードとヨーロッパと東アジアを海路で結ぶ海のシルクロードを結ぶのは欧州の港湾施設である。中国はすでにその要衝となるギリシャのピレウス港、イタリアのジェノバ港、トリエステ港に莫大な投資をして港湾施設の使用権を獲得し、欧州内の10以上の港に投資をしてきた。これらの港を経由するコンテナの量は欧州全体の10パーセント以上を占めるまでになり、このままだと加盟国の海洋権益が損なわれることをNATOは警戒し始めたのだ。
 また、中国が最近、ロシアと連携しながら軍事力を欧州周辺で誇示するようになったこともNATOは懸念していた。中国は2015年に地中海で、2017年にはバルト海で、ロシアとの海軍合同演習を実施した。加盟国の軍事技術や知的財産が中国に狙われているのではないか、とNATOは懸念を深めるようになったのである。
 そうした中で、中国の武漢が起源とみられる新型コロナウィルスの感染拡大が始まった。欧州諸国は初めの段階では新型コロナウィルスをアジアに限定した感染症と考え、対岸の火事を見守るような姿勢だった。横浜に寄港したクルーズ船は英国船籍の船ではあったが、集団感染が確認されても英国は日本の対応にほとんどすべてを任せていたし、欧米のメディアは日本の感染症対策を他人事のように批判したりしていた。しかし、その感染の拡がりはまもなくヨーロッパ全域や米国を飲み込み、日本よりもはるかに深刻なパンデミックに発展していったのである。
 欧州で最初に爆発的な感染が起きたのはイタリア北部であった。それはこの地域に一帯一路構想によって中国に開放したジェノバ港、トリエステ港があったことと無関係ではない。新型コロナウィルスの感染が始まる前、この地域には40万人の中国人が滞在していたと言われているし、イタリア全土では去年一年間だけで600万人の中国人が訪れていたという。イタリアは中国にとって最も身近な欧州の国であった。イタリアで始まった感染の嵐は隣のフランス、スペイン、ドイツとまたたくまに拡大し、欧州を席巻した。EU域内のほとんどの地域では人は自由に国境を越えて移動することができるため、このことが感染拡大を進めることになった。こうして、6月30日までに英国でおよそ43500人、イタリアで34700人、フランスで29700人、スペインで28300人、ドイツで8900人がそれぞれ死亡し、欧州にとって新型コロナウィルスの蔓延は第2次世界大戦以来最も悲惨な出来事になったのである。
 そのため欧州各国は当然、なぜ感染拡大を未然に防ぐことができなかったのかという疑問と向き合うことになった。その結果、中国が昨年末の早い段階から新型コロナウィルスの感染拡大に気付きながら、その事実を迅速に世界に通報していなかったのではないかと疑問を抱くようになった。中国の武漢にある研究所からウィルスが漏れたという説や武漢市の海鮮市場で取り引きされた野生動物が原因だとする説などウィルスの起源には諸説あるが、感染源が武漢市であることはほぼ間違いなく、中国に感染拡大の責任があるとする見方が欧州では一般的である。
 こうした欧州の動きに中国は敏感に反応した。大量の医療物資を各国に届け、失点を回復しようとするいわゆる「マスク外交」を始めたのだ。しかし、自らの道義的責任すら認めず、それどころか米国が感染源であるなどと根拠のない情報を発信して他国に責任を押しつけようとする中国の姿勢に欧州各国は一斉に反発した。
 このうち、欧州で最も多くの犠牲者を出している英国ではボリス・ジョンソン首相が新型コロナに感染し、入院して治療を受けるはめになったが、首相の不在中、職務を代行したドミニク・ラーブ外相は「前のようには戻れない。厳しい問いかけをしなくてはならない」と述べ、中国との関係を見直すことを示唆した。また、ジョンソン首相も退院後、中国の通信機器メーカー、ファーウェイが次世代の高速通信インフラである5Gネットワークに参入することを認めた今年1月の決定を撤回し、2023年までにファーウェイを国内市場から排除することを決めたと英国のメデイアは伝えている。
 また、欧州では最も中国寄りとも言われていたドイツのアンゲラ・メルケル首相でさえ「中国が新型ウィルスの発生源に関する情報をもっと開示していれば、よりよい結果になっていただろう」と述べ、中国の対応を批判した。さらに、フランスのエマニュエル・マクロン大統領はメディアのインタビューの中で、「独裁的な国では私たちの知らないことが起きる。中国武漢での中国政府の対応に疑問があることは明らかだ」と述べ、中国政府への不信感を露わにした。
 ところが、こうした欧州諸国の批判に対して、中国はそれを真摯に受け止めるどころか、不当な批判だと反発し、特に中小の国に対しては人道援助であるはずの医療支援の抑制や貿易上の制裁をちらつかせて、中国批判をやめるよう圧力をかけ続けている。メディアの報道によれば、中国の習近平国家主席はポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領など20以上の国の首脳に電話をかけ、中国の支援を受け入れる代わりに中国への感謝の意を表明するよう要請したという。また、オランダが台湾に置いていた事務所の名称を「貿易投資弁事処」から「在台弁事処」に変更したことに反発して、医療物資のオランダへの提供を停止することをほのめかした。さらに、オーストラリアが新型コロナウィルスの感染拡大に関する国際調査を要求していることに対して、オーストラリア産牛肉の輸入を一部停止したり、オーストラリア産大麦に対して80%を越える高い追加関税をかけるなど、中国を批判したり、中国の意に沿わないことをする国に対しては次々と制裁を課している。
 英国の保守系のシンクタンク、ヘンリー・ジャクソン協会が英国市民1000人を対象に実施した世論調査によれば、74%の人が中国に新型コロナウィルス感染拡大の責任があると回答し、83%の人が英国政府は感染拡大の原因を追及する国際調査を要求すべきだと主張している。このような中国の責任を問う意見はすでに欧州全域の声となっているようだ。それを裏付けたのが、EUが今年3月から5月にかけて公表した3冊の特別報告書である。
 この報告書は「SHORT ASSESMENT OF NARRATIVES AND DISINFORMATION AROUND THE COVID-19 PANDEMIC(COVID-19をめぐる風評やニセ情報に関する短期的評価)」と題され、EUが新型コロナウィルスに関して欧州で流布されたニセ情報について調査したものだ。
 このうち、5月20日に公表された最新報告では冒頭で、「中国は批判をかわすために、自分たちの政治システムを宣伝し、外国での自国のイメージを高めるためにパンデミック(感染拡大)を利用している。旧ソビエトの領域に米国の秘密の研究施設があるという情報がロシア筋や中国の当局者、国営メディアによって拡散された」と指摘した。報告書によれば、このニセ情報はウィルスの発生起源に関する国際調査を阻止するため、国際社会の関心を中国起源説からそらすことを目的で流布したものだという。まず複数の親ロシア派が、ロシア語、フランス語、英語を使って、ウクライナに米国の秘密研究施設があり、その周辺で感染が始まったというニセ情報をネット等で拡散し、ロシアの外務省スポークスマンがこれに言及、さらに中国当局と国営メディアがこれを伝えた。ロシアのメディアはご丁寧に中国外務省当局者の発言を引用する形までとって、まことしやかにニセ情報をニュースとして伝え、「地元の人々や周辺国が懸念を持っている」とか「国際的な関心事になっている」などと言う表現で、米国があたかも隠蔽をはかっているかのような陰謀論を作り上げたという。つまり、一連の報告書は中国とロシアが連携してニセ情報を欧州内で拡散させ、欧州各国の政策決定や国民感情に影響を与えようとしていたことを明らかにしたのである。
 このように欧州の中国に対する見方は国によって多少の濃淡はあるものの総じて厳しい。それは中国の体制に対する評価が西側諸国の間で一致しつつあることを示している。こうした状況下におかれたら、普通の国ならほとぼりがさめるまでおとなしくしているものだが、中国はますます強硬になりつつある。それは各国が新型コロナへの対策に注力している隙を突こうとしているようにも、弱気を見せて権力の基盤が弱まることを恐れているようにも見える。
 中国は4月、周辺国と領有権をめぐって対立している南シナ海の島嶼部に行政区を設置した。南シナ海の西沙諸島(英語名:パラセル諸島)に西沙区を、南沙諸島(英語名:スプラトリー諸島)に南沙区を設置し、これらの領域を中国の領土、領海としてさらに実効支配を強める方針だ。また、沖縄県の尖閣諸島周辺では、中国公船による領海侵入が今年6月までに12回起きているほか、中国軍機に対する自衛隊機の緊急発進も相次いでいる。
 一方、中国はインドとの国境でも緊張を激化させている。インド北部のヒマラヤ山脈近くの係争地で、道路建設をめぐって両軍兵士が衝突し、死者が出ている。中国インド国境の係争地で死者が出るのは45年ぶりのことだ。
 そして、中国は香港の民主化運動に対する締め付けも始めた。中国の国会にあたる全人代は、香港の治安を維持するためとして、香港国家安全維持法を施行した。香港は、1997年、英国から返還された際、英国と中国が共同声明を出し、香港の民主主義を保証し、返還から50年間は社会主義政策を実施しないことを約束した。この一国二制度の保証によってこれまで香港は発展してきた。しかし、同時にこの制度は中国政府にとってまさに獅子身中の虫であり、民主化の波が香港から中国全土に波及することへの警戒をよぎなくさせるものでもあった。この法律の施行によって、香港での反体制運動は今後厳しく規制されることになり、そうなれば一国二制度は事実上終わりを告げることになるだろう。
 このように中国は新型コロナウィルスの感染拡大を契機に、国の内外に対して強圧的な政策を推し進めようとしている。英国政府が次世代の通信ネットワークから中国系のファーウェイを排除する一方、香港市民に英国の市民権を与え、中国政府の弾圧から救済することを検討していることについて、中国の駐英国大使は「我々は友人であり、パートナーでありたいが、もし、英国が我々を敵として扱うなら対価を払うことになる」と発言した。国際社会の安定に責任を持つ大国とは思えない発言であるが、中国が狙う世界覇権の野望をあからさまに示しているとも言えよう。
 コロナ後の世界、それは個人の自由と人権を重視する欧米の自由陣営と、全体主義的な統制国家をめざす中国・ロシアのユーラシア権力が鋭く対峙する新しい世界と言って良いだろう。

 

(注・論考は筆者の意見であり、所属組織を代表するものではありません)

(2020/07/01)

政策オピニオン
秋元 千明 英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)日本特別代表、大阪大学大学院招聘教授
著者プロフィール
早稲田大学卒業後、NHK入局。30年以上にわたり軍事・安全保障専門の国際記者、解説委員を務めた。2012年、英国王立防衛安全保障研究所アジア本部所長に就任し、現在に至る。大阪大学大学院招聘教授、拓殖大学大学院非常勤講師を兼任。2013年、日英安全保障協力を促進するためのプロジェクトとして日英安全保障会議を開催し、英アンドルー王子を招聘した。主な著書に『アジア震撼 中台危機・黄書記亡命の真実』『戦略の地政学―ランドパワーVSシーパワー』、論文に「地政学からみた日米同盟」「ユーラシア大陸をまたぐ日英同盟の再構築を」「日英同盟復活で多層的な安全保障協力を」ほか。
東西冷戦後、欧州の脅威はロシア、アジアの脅威は中国という図式が定着していた。ところが、新型コロナウィルスの蔓延により、この図式は大きく変わろうとしている。

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