中国の軍事外交と国連PKO ―存在感を増す中国にどう向き合うか―

中国の軍事外交と国連PKO ―存在感を増す中国にどう向き合うか―

2018年9月3日

1.はじめに

 中国と国際社会の関わりを考えるポジティブな手段の一つとして国連平和維持活動(PKO)があるが、中国では主に3つの文脈で議論される。第1に、中国が国連PKOに積極姿勢をとる基本的な背景である。それは、中国が国連安保理常任理事国であり、国際的な正統性を中国に与える場が国連であるという事実である。しかし、1990年代末に後述するように安保理による授権を回避した軍事行動がとられ、国連の正統性が脅かされる事態が生起した。これに対して、中国は危機感を強め、兵員派遣を含めて国連PKOに積極的に関与する政策に転じた。
 第2に「軍事外交」の一環として、国連PKOへの参加が位置づけられている。中国では、江沢民政権末期や胡錦濤政権初期(2000年代初頭)に軍事外交という観点が強調されるようになった。これは中国が掲げる国際戦略や外交目標に人民解放軍が寄与することを求めることでもあった。換言すれば、軍隊を外交資源として捉える思考が示されたのであり、特に2002年を境にこうした思考が顕在化した(*1)。
 いま一つに、当然ながら軍隊として国防目標にどう寄与するかという視点である。これは習近平時代になって強く意識されるようになったが、胡錦濤時代には「多様化任務」という言葉が強調された。単に国を外敵から守るだけでなく、自然災害の多発や国内にテロの脅威を抱える状況の中で、軍隊はより多様な任務を遂行していかなければならないとされ、国連PKOもこの文脈で議論された。

 

2.外交目標への寄与―胡錦濤政権における国家イメージの向上

(1)新たな位置付けの付与―2000年代前半

新たな外交路線としての「周辺外交」

 まず外交目標への寄与について考えてみたい。胡錦濤時代の中国外交で注目すべき枠組みは、2002~2003年に新たに提起された「周辺外交」である。それまでの中国外交の中心は大国との関係、すなわちアメリカ、ロシア、EU、そして今は外れた感があるが日本という大国との関係を意識した外交であった。その中心はあくまでアメリカであり、中国は常に大国関係が「核心」であると言い続けてきた。江沢民は特にその意識が強い指導者であった。
 2002年の第16回党大会で出てきたのが「周辺」を重視する姿勢であった。周辺との関係について、当時の指導部は「首要」と表現した。「首要」とはもっとも重要という意味である。大国との関係が核心で、周辺がもっとも重要だとすれば、優先順位があまり変わらなくなったということである。
 ただし、周辺諸国との関係を重視し始めたのは結果論だったともいえる。たとえば2001年にはすでに中国主導で上海協力機構(SCO)を立ち上げていたし、ASEANとのFTAにも取り組み始めていた。地域秩序との関わりを回避することができなくなったということでもあり、その結果「周辺」という言葉が出てきたとも理解できる。
 2003年になると「周辺外交」という言葉が徐々に定着していく。当時、中国はFTAを含むASEANとの経済関係の強化に踏み出していく過程だったが、軍隊が周辺諸国との対外交流を一気に加速させたのもこの時期である。2003年に限って言えば、周辺諸国との軍・国防当局間の往来が急増し、全体の43%を占めた。それまでは象徴的な政治活動としてアメリカやヨーロッパなどと軍事交流を行っていたが、2003年には周辺諸国との関係に焦点を絞って軍事外交が展開された。
 この時期、中国指導部は中国脅威論への対応を強化すべきことに言及していた。江沢民時代にもこの点について、国家発展のために有利な戦略態勢を作ることが必要であり、その重点はアジアにあるとされた。そして海のアジアだけでなく、中央アジアなど陸のアジアも含めて重視するようになった。
 陸上国境を中心に「信頼醸成」が進展したこともその背景にある。中国は「上海ファイブ」を発展させてSCOを作ったが、最初の段階から合同軍事演習を行う計画が含まれていた。先ほど結果論と述べたが、こうした軍の対外活動の活発化を説明しようとしたとき、周辺外交という言葉がフィットしたのであろう。

「責任大国」論としての国連PKO

 では、このような流れの中でPKOはどう位置づけられてきたのか。中国の文献によれば、80年代から徐々に国連PKOに関与し始め、慎重に参加の在り方を検討していく。そして選択的参加の時期を踏まえて、90年代末から2000年代初めにかけて本格的に要員派遣に踏み切った。このような流れは、中国では「連続性」として説明されることが多い。しかし、中国のPKOに関する文献以外に、国連という場で国連大使や当時の指導者がどのような発言をしてきたかを調べてみると、かなり頻繁に1999年のNATOによるユーゴスラビア攻撃に言及していたことがわかる。この攻撃は国連安保理による授権を回避した形で行われたため、中国では国連の地位と役割が相対化される事態と受け止められ、そうした動向に歯止めをかけなければならないということになった。その結果、90年代末にはそれまでの消極姿勢あるいは選択的に関与するという政策を転換して、積極姿勢に転じた。
 自ら国連PKOミッションに兵員を含めて要員を積極的に派遣し、発言力を高めながら国連の地位と役割を維持していくという判断をしたのが2000年代の初めだと考えられる。中国国防部にPKOセンターを設置する決定をしたのも2002年であり、国連PKOに関連する国内制度の設計について意思決定したのもほぼこの時期に重なる。そうした中で「責任大国」という言葉が浮上するようになり、「アメリカとは異なる」大国としての責任を積極的に果たす場として国連PKOを位置付けたのである(*2)。

(2)国際秩序変動期―2000年代末以降

国際秩序の「深層変化」

 軍事外交については2000年代末以降、特にアメリカのオバマ政権のリバランス政策によってかなり文脈が変わってきた。2000年代末というのは我が国を含む多くの国にとってパワーシフトの時代であり、中国の研究者はこれを「国際秩序変動期」と表現した(*3)。
 この国際秩序変動期の内容について、彼らは「深層変化」と表現し、4つの特徴があるとしている。①多極化、②グローバル化、③文化の多様性、④情報化である。どれも否定し難い特徴ではあるが、このような複雑な変化が起こる中で彼らは国際秩序をめぐる競争が始まったことを強く意識するようになる。その競争には当然ながら軍事も含まれ、彼らにとって全方位の競争から軍事を除外するという選択肢はあり得ない。2008年のリーマンショックを契機とするグローバルな金融危機によって、経済におけるアメリカの覇権が低下すると予測した中国だが、当時は軍事も含めて将来的にアメリカの覇権は凋落し、政治的な覇権についてはすでにイラク戦争以降弱まっているという見方を示していた。
 その意味において、中国はより積極的に国際秩序システムに関わることでアメリカの覇権の相対的低下をさらに促したいと考えていたであろうし、そのような意図をもっていたはずである。同時に、秩序変動期の国際情勢は極めて不透明である。ナショナリズムの高まりや保護主義的な傾向がグローバルに広がっている。中国は秩序変革を促したい一方で、それをどう安定的にシフトさせるかということを追求することになる。

オバマ政権のアジア太平洋リバランス

 そのような観点から言えば、オバマ政権のリバランス政策は必ずしも安定的なシフトをもたらすものではないと認識された。オバマ政権のリバランスに対する中国の反応や政策対応について議論するとき、中国に対する封じ込めの意図をアメリカがどの程度有しているのか及び地域秩序をめぐる米中間の競争について議論することが多い。
 これに加えて、人民解放軍の中ではそれ以外の側面についての議論も始まっていた。アジア太平洋へのリバランスの結果として、中東や北アフリカの不安定化の可能性についての議論である。2012年1月、オバマ政権はアジア太平洋に軍事的にもリバランスすると宣言した。中国にとって、アジア太平洋で直接的にアメリカの軍事圧力を感じるのは好ましくない。その一方で、中東や北アフリカでアメリカのプレゼンスが相対的に低下すれば、それはそれで憂慮すべき状況が生起する。リバランスの結果、中東や北アフリカ情勢あるいはシーレーンが不安定化するという可能性を見出す議論が人民解放軍所属の研究者の間でもなされるようになった。
 このように、これらの地域の安定をどう維持していくかということが、人民解放軍を含む中国の専門家や研究者の間で議論され始め、その答えが安全保障面での積極的な関与であった。人民解放軍指導部は、より実務的な軍事協力の必要性を強調し、その手段の一つとしてPKOが位置付けられた。あるいは当該地域の安定を維持するために地域諸国が必ずしも必要な能力を持っていないのであれば、そこに積極的に支援をしていくという議論が出てくる。実際、中国はこうした地域の国々に対して警察能力の強化などの支援も行なっている。2000年代末以降、中国はそうした広い意味での安全保障協力に注目し、より実務的な軍事協力や軍事外交に取り組むようになった。

 

3.国防目標への寄与―バランスを強調する習近平政権

(1)多様化する軍隊の役割―「新世紀段階における歴史使命」

 次に国防目標への寄与について考えてみたい。2004年12月、胡錦濤主席は中央軍事委員会拡大会議において「三個提供、一個発揮」というガイドラインを打ち出した。これは「新世紀新段階の軍隊の歴史使命」という枠組みの中で提起された内容である。
 「三個提供」の第1は、軍隊は中国共産党の執政地位をより強固なものにするための重要な力の保障を提供することである。第2に、軍隊は国の発展のために強い安全保障を提供すること。第3に、国益擁護のために戦略的な支柱を提供する、という内容である。端的に言えば、この3つの中で第1の提供がもっとも重要であり、軍隊は党の地位を守る力であり続けよ、ということが強調された。
 その一方で「一個発揮」は、軍隊は「世界の平和の擁護と共同発展の促進」のために重要な役割を果たせ、という指示であった。さらに、2007年には胡錦濤が軍隊に対して、「忠実履行使命、維持世界和平」(使命を忠実に履行し、世界平和を擁護せよ)という言葉を発し、揮毫している。この揮毫が北京市郊外にある国防部PKOセンターに設置されているが、これを重要指示として、人民解放軍はPKOにかかる制度設計や能力強化を進めた。

(2)二つの戦略目標―習近平の「中国夢」と「強軍夢」

 習近平時代になると、「中国の夢」と不可分な「強軍の夢」が語られ始める。軍事外交に関していえば、注目すべきは2015年1月の全軍外事工作会議である。これは軍の外事関係者を集めた会議で、習近平も参加して講話を発表した。ここで習近平は、友好協力と「重大な関心事項」をめぐる闘争のバランスを保てと述べた。「重大な関心事項」は、いわゆる核心的利益とほぼ等しい意味で使われている。習近平が強調しているのは、軍事外交の中でも守るべきものはきちんと守らなければならず、単に友好協力や外交だけを重視するのではないということである。

(3)多様化任務でも突破―実戦条件下の国連PKO

 PKOについて具体的にみてみよう。国連の地位と役割が低下する可能性を見出した中国は、2000年代初めに部隊・要員派遣を急増させて発言力の確保に努めた。当初、彼らが派遣したのは施設・医療・輸送、すなわち非戦闘部隊に限定していた。ところが、2014年末にコンゴに作戦部隊を派遣することになった。それまで外交的には常に作戦部隊の派遣はあり得ないと言ってきたため、中国研究者にとっては驚きであった。
 では、作戦部隊の派遣は何を意味するのか。具体的には、中国のPKO部隊の指揮・調整能力、作戦能力、管理・保障能力に改善がみられた結果だとされている。2015年4月8日の新華社の評論記事は、中国のPKO部隊に「四つの転換」があったと指摘している。まず、それまで派遣されていた非作戦部隊はあくまでも防御のための作戦が中心だったが、作戦能力が高まった。2つ目が、それまでは中隊を中心に派遣をしてきたが、規模を拡大して大隊レベルでの派遣が可能になった。つまり指揮・調整能力が改善され、より大きな規模で部隊派遣が可能になったということである。3つ目は、前述した多様化任務である。そして4つ目が特殊装備である。PKO部隊の装備はあくまでも国連が定める基準を満たしていなければならない。たとえば、中国は昨年から輸送ヘリを派遣しているが、これは国連の基準を満たす輸送ヘリを作れるようになったということである。国際標準の装備を有するようになった結果、作戦部隊の派遣に踏み切ったわけである。
 ただし、能力が構築されたから部隊を派遣するというだけで国内の理解を得るのは容易ではない。そこで徐々に世論形成を行った様子が窺える。たとえば2010年頃、中国共産党の幹部養成機関である中央党校の研究者たちがPKOに関する極めて大規模なアンケート調査を実施した。北京大学をはじめとする主要大学の国際関係部門と共同で実施したもので、質問には中国が作戦部隊を派遣する必要があるか否かという項目もあった。調査対象は大学教授等であり、その分野の専門家であればPKOをめぐる環境が極めて複雑化して各国が部隊を派遣し難くなっていることは承知している。必要だという回答を求めていたのは明らかであった。結果は8割の専門家が部隊派遣は必要だと考えているということを示した。さらに、中央党校がアンケートを実施するということは、そこにある程度党の意思が示されていることを意味し、回答する立場の者は当然、そこに党の意思なり方針を読み取ったであろう。その後、論文や報告書の中で同じような議論が急増した。

 表は、中国がPKOに派遣している要員の一覧である(2018年5月31日現在)。各ミッションに派遣されている中国の現地部隊は、作戦行動を含む訓練をかなり頻繁に行っている。作戦訓練に加えて、宿営地が攻撃を受けた場合の対応、また単独訓練だけではなく他国部隊との合同訓練も活発に実施している。
 中国政府はPKO参加に関する宣伝資料も多く出している。そこには、たとえばイタリア軍と共同で作戦訓練を実施している写真も含まれている。最近ではソマリア、コンゴ、ダルフールでの現地訓練の様子がかなり詳しく報道されるようになっている。人民解放軍には、このような訓練を通じて実際の戦闘にかかる経験値を積んでいきたいという意図があると思われる。
 2017年9月には、習近平が2015年に国連PKOサミットで表明した8000人規模の待機部隊の登録が完了した。現状では10種類28部隊が登録されており、代表的なものとしては歩兵大隊6個、施設中隊3個、輸送中隊2個、そして医療部隊4個などがある。これとは別にヘリ部隊も登録されている。
 中国でもっとも強調されたのは、2017年12月にダルフールにヘリコプター部隊を派遣したことであった。中国南部に所在する陸軍第81集団軍から編成された140名の部隊で、Mi-171という中型の多目的ヘリ4機が登録されている。国連との合意では、空中でのパトロール、戦場偵察、人員輸送、負傷者輸送、物資輸送などを行なうことになっている。2018年1月から実際のミッションに入り、3月にはかなり規模の大きなパトロールや物資輸送を実施した。
 一方、中国はPKOの予算分担も急増させている。2015年は6.34%だった分担率は2016年に10.2879%と一気に増加し、アメリカに次いで第2位になった。第3位は日本である。国連PKOに、中国は要員とヘリコプター等の装備を出し、さらに予算も提供している。今後国連PKOを手段とする軍事外交はさらに活発化すると考えられる。

 

4.今後の展望―中国の軍事外交は何処に向かうのか

(1)国内社会への喧伝

 では、今後どうなってゆくのか。中国国内では、国連PKOミッションに作戦部隊を派遣したことを受けて活発な宣伝が行なわれている。典型的な例としては、2017年に全35話のテレビドラマ『維和歩兵営』が放映された。このドラマは中央軍事委員会政治工作部宣伝局、国防部維和弁公室、陸軍政治工作部の協力を得て製作された。PKOへの作戦部隊の派遣を国内に喧伝する目的があることは製作者自らが述べている。中国はすでにPKOでかなり犠牲者を出していることもあり、そのような危険なミッションの中で主人公がどう成長していくのかが描かれたドラマである。世界における「責任ある大国」として人民解放軍が大きな貢献をしているということを強く喧伝している。

(2)国際戦略の一環としての国連PKO

グローバル・ガバナンスの変革

 最近、中国はグローバル・ガバナンスの変革という文脈の中で、頻繁に「平和」と「発展」という言葉を使っている。「平和」と「発展」を有機的に連関させ、新しいグローバル・ガバナンスのモデルを作ろうとしている。「平和」というときは安全保障や軍事的な側面を強調し、PKOへの積極的な関与が肯定される。中国の研究者によれば、PKOを通じて単に停戦をもたらすことが本当の「平和」ではないという。本当の「平和」はその地域に「発展」をもたらすものでなくてはならない。そして「発展」のための取り組みには、投資やインフラ建設によってコネクティビティの強化を目指す「一帯一路」構想が含まれる。つまり中国は、「一帯一路」とPKOを両輪としたグローバル・ガバナンスのモデル構築を目指しているのである。
 ダルフールに派遣されている中国のPKO部隊を国連スタッフが視察に訪れた際、中国は彼らに「一帯一路」に関するビデオを見せたという。中国のPKO部隊は規律もしっかりしており、国連の評価もそれなりに高い。しかしそれにとどまらず、中国がいかにこの地域の発展に寄与しているのかを国連に知らしめようとしている。国連開発計画と共同で「一帯一路」を推進する取り組みなども進めており、今後も二つの道筋で中国の国際的な役割を強調したい考えだ。

PKO改革での主導権確保

 中国がPKO改革で主導権を確保するうえで一つの基準となるのは、前述した2015年9月のPKOサミットにおける習近平演説である。ここで習近平は6つのことを約束した。①8000人規模の待機部隊は先ほど述べたとおり実際に登録も完了している。②現地が安定していない状況での作戦部隊の派遣は確かに不可避な流れではあるが、基本的には施設・輸送・医療の3つの分野を中心に国連PKOミッションに要員派遣していく。③中国は以前からPKOにかかる訓練提供を実施してきたが、PKOの要員派遣国の多くが途上国であることを踏まえ、中国は引き続きその能力構築を支援する。二国間ベースだけでなく、アフリカ連合(AU)の部隊に対する訓練プログラムの提供もすでに始まっている。そして④AUへの軍事面での無償援助、⑤ヘリコプター部隊の展開、⑥中国・国連平和発展基金1億ドルの活用である。国連平和発展基金は様々な用途に使うことができるが、たとえば関連するセミナーを開催して各国のPKO関係者や関連機関を中国に呼び、コンセンサス形成に努めているようである。
 2017年、中国の国連大使や外交部長からPKO部隊建設に関する「五つの提案」が出された。①国連憲章の原則・趣旨とPKO三原則の遵守。②要員派遣国の役割重視。中国は、今後PKOの意思決定やマンデートを決めるにあたって安保理あるいはPKO事務局だけではなく、要員派遣国の役割を重視するメカニズムを作るよう強く訴えている。先ほどの内容と重なるが、③能力構築支援である。途上国とアフリカの地域機構のPKO部隊に対する能力構築支援をパッケージとして実施する。④マンデートの明確化である。最後に、⑤人員の安全確保、特に医療の提供についての事務局機能の強化である。事務局機能については調査研究、早期警戒、情報共有の機能を高めることも提案している。中国はPKO事務局にすでに多くの人材を派遣しているが、中国外交部あるいは政府は、さらに多くの要員を事務局に送りたい意向を表明している。

(3)中国の課題

 これまで述べてきたように、中国のPKO派遣国としての能力は大きく向上した。しかし課題も残されている。たとえば中国自身が気にしている点は、今後国連PKOで必要とされる要員数は増え続けていくと思われるが、それに供給能力が追いつかないために一つのミッションの期間が長期化することである。中国のPKO部隊はおよそ8カ月周期で交替しているが、それが少なくとも1年周期に変わるのではないかという議論が中国国内にある。
 さらに別の課題として、現在は派遣先がアフリカに集中しているが、今後は様々な地域への派遣を求められる可能性がある。遠隔地への要員派遣では、ロジスティクス能力の強化が不可欠である。たとえばヘリコプターは中国で国産化に成功しているが、現地で活動するには修理も必要となる。維持補修にかかる様々な国際標準との不一致という課題があり、持続可能なものにするにはまだ能力が限られているという指摘が中国当局の文献でも見られる。
 要員や物資の派遣状況に関して、中国の情報管理ネットワークが十分に整備されていないという課題もある。どこに物資を送る必要があるか、あるいはどこに負傷者が出ているのかといった情報が、陸は陸、海は海、空は空といった具合に兵種によって分散管理されている。一元化した管理体制やシステムをどう作るかという課題に中国は直面している。すでに表に出てきている活動は確かに立派であり、それは中国が徐々に国連の基準を満たしてきたということである。しかし、それを持続可能なものとするための課題は依然として大きい。

(本稿は、2018年6月28日に開催した「IPP政策研究会」における発題内容を整理してまとめたものである。)

 

(*1)増田雅之「中国の安全保障政策の論理と展開」『国際問題』第581号(2009年4月)。
(*2)
増田雅之「中国の国連 PKO 政策と兵員・部隊派遣をめぐる文脈変遷」『防衛研究所紀要』第13巻第2号(2011 年)。
(*3)張芳『跨越修昔底徳陥穽——中美新型軍事関係研究』(上海:復旦大学出版社、2016年)。

政策レポート
増田 雅之 防衛省防衛研究所 地域研究部 中国研究室 主任研究官
著者プロフィール
広島県出身。2003年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得後、防衛研究所入所。これまで、上海大学客員研究員、東京女子大学非常勤講師、敬愛大学講師、米国イースト・ウェスト・センター客員研究員、アジア太平洋安全保障研究センター(米国防省)客員教授等を歴任。現在、神奈川大学アジア研究センター客員研究員等を兼任。最近の著書(共著)に、『現代日本の地政学』や『「大国」としての中国』等がある。

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