政策オピニオン

2018年9月5日

「男女平等社会」のイノベーション―「男女共同参画」政策の何が問題だったのか―

元衆議院議員、元厚生省児童家庭局企画課長 大泉博子
東京生まれ。東京大学教養学部(国際関係論専攻)卒。厚生省に入省。国連児童基金(ユニセフ)中北部インド事務所計画評価官、厚生省児童家庭局企画課長、社会援護局企画課長、山口県副知事などを経て、2009年に衆議院議員初当選。主な著書に『インドから考えるアジア』『ワシントンハイツ横町物語』『私はグッドルーザー』他。

中央と地方で温度差

 男女共同参画基本法(1999年)の立法から20年近く、「男女共同参画」の取り組みが全国に拡大した。しかし最近は以前のような勢いはない。むしろ下火になっていると言っていいであろう。
 私は厚生省(現厚生労働省)で、少子化、医療、福祉、年金といった政策に関わってきた。1990年代に総理府(現内閣府)と労働省が男女共同参画の中心的な政策を担っていたが、私はその隣接の政策を担当していた。
 それからもう一つの立場として、私は山口県の副知事に出向した。ちょうど男女共同参画社会基本法が出来て、それに沿って2000年には各都道府県に条例を作るようにという指示があり、副知事として、埼玉県、東京都に次いで全国で三番目に条例を作成した。ただ、この時に大変な反対運動が起こった。中央と地方の温度差というのだろうか、中央で作った男女共同参画政策が、必ずしも地方でそのまま受け入れられないということを痛感することになった。
 つまり、内閣府なり旧労働省の、真ん中の政策に対して、政府の一員として取り組んだ責任と共に、少し離れた位置から客観的に見た時期もある。そのことをお話ししたい。
 1980年以降、私は医療保険を担当し、それからユニセフのインド事務所に出向した。90年代に入って課長になった時、急に会議の中で「男女共同参画」という言葉が出てきた。“なんだ、これは?”というのが正直な思いであった。1994年のことである。雇用機会均等法が86年に施行され、労働省の最も大きな役割が終わり、区切りがついた時である。
 そこで、政府全体で男女平等を取り組んでいこうと、総理府の中に男女共同参画推進本部が作られた。今まで労働省がやってきた、憲法上の言葉である男女平等を、これからは総理府がこの仕事を担うという意味を込めて、新しく「男女共同参画」という言葉を作ったようである。「ようである」というのは、私も詳しくは承知していないからである。ちょうど1994年は、第一次少子化対策の「エンゼルプラン」策定の仕事が多忙の時期だったこともあり、こうした男女共同参画の動きはあまり気にとめていなかった。ただ、GHQの時代から労働省婦人少年局が引き継いできた男女平等の仕事を、綱引きをやって総理府が引っ張って、男女共同参画室を作ったというわけである。
 では、「男女共同参画」という言葉の意味は何なのだろうか。この言葉はまだ20年ほどしか使われていない。もともと戦後の憲法制定から今日まで70年間、最も使われた言葉は「男女平等」である。私はこれを分けて考えて、未来まで見据えたら「男女平等社会」という言葉を使うべきだと思う。むしろ「男女共同参画」のほうを変えるべきだと思っている。

実社会と乖離した政策

 なぜそう考えるかと言うと、一つは実社会の男女平等と、政策としての男女共同参画の違い、乖離があるからである。男女共同参画は家庭や地域という視点が極めて薄い。どちらかというと社会で活動するエリート女性向けの内容になっている。本来、実社会の男女平等施策はもっと幅が広く、その一部が男女共同参画と考えられたらよかったと思う。
 二つ目は、男女共同参画は官制フェミニズムだったということである。男女共同参画がなぜエリート女性向けになったかというと、女性のエリート官僚が引っ張ったというのと、当時の社会のバックグラウンドがフェミニズムだったからである。上野千鶴子氏をはじめ、フェミニズムの論客が登場し、リベラルな考え方が社会を賑わせた。エリート官僚と社会のリベラリズムが合体した形で出来上がったものなので、「官制フェミニズム」と名付けてよいと思う。
 また、男女共同参画政策なり、男女平等政策には、もちろん成果もある。逆に否定的な問題もある。そのこともお話ししていきたい。
 ただ、私はフェミニズムを揶揄しているわけではない。フェミニズムの全てが悪いとは決して思わない。たとえばこれと逆の言葉、メイルショービニズム、男性主義という言葉があるが、メイルショービニズムに比べたらフェミニズムの方が意味があるのではないか。
 さて、1941年、昭和16年の1月22日に「人口政策確立要綱」が閣議決定される。この中では「出生の増加は今後十年間に婚姻年齢を現在に比し、概ね早むると共に一夫婦の出生数平均五児に達することを目標として計画す」と書かれている。要するに、3年早く結婚せよ、5人産め、ということである。今だったら大変な問題になるが、これが戦後の人口政策の大きなネックになったのである。別名「産めよ・増やせよ閣議決定」と言われるものである。
 また同年、婦人参政権運動が行われたが、成功したとは言い難い。
 それでも1946年、日本国憲法の14条に性差別の禁止、24条には婚姻についての男女同等の権利が記された。婦人参政権運動が成功しなかった日本で、一気に憲法に男女平等を定めたのである。
 この条文の作成に力を尽くしたのがベアテ・シロタ・ゴードン、当時GHQの職員だった22歳の女性である。彼女は日本育ちで、日本の学校を出ていて、日本語は完璧だったようである。日本で女性の立場があまりに弱いことにショックを受けたという。それで、この国の女性を救いたい、男女平等にしたい、という思いがとても強かったようだ。
 実はGHQの起草委員会がリベラルで、それまでの日本社会を飛び越えるような条文案だったため、当初は反対が多かったという。それでも彼女の情熱で、二つの条文が入ったわけである。
 憲法9条については、削除を主張する声は少なくない。しかし、14条と24条については、削除を求める意見はあまり聞かない。この条文が戦後の日本女性を救ったのは確かだと思う。憲法に合わせて民法や教育基本法、労働基準法が整備された。教育基本法には人種や信条、性別による教育上の差別はしないと書かれている。現在では、大学進学率の男女差もほとんどなくなった。教育が制度的に改められたことによって随分社会は変わったと思う。女性の就業率の改善も進んだ。他方、労働基準法は、女子労働保護との関係で、完全な男女平等は書き込めなかった。
 時代を経て1980年には女子差別撤廃条約の署名が行われ、労働基準法の問題を解決するため、85年に男女雇用機会均等法(以下、均等法という)が整備された。均等法の背景にあったのがフェミニズムで、80年代以降論客として有名なのが上野千鶴子氏である。また、当時の労働省をはじめとするフェミニストの女性官僚の力も大きかったと思う。
 ウーマンリブの皮切りは、性の解放から始まっている。それをきっかけにして、“社会で活躍しよう”“経済的に貢献しよう”というように進んでいく。上野さんもそういう意味で、まずは性の解放から書いたということであろうと思う。

エリート女性だけを対象にしていた

 その後、1994年に男女共同参画推進本部ができて、99年に男女共同参画社会基本法が制定される。この中に男女共同参画についての定義がある。「男女が社会の対等の構成員として自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう」。
 非常にわかりにくい文章だが、一言で言えば男女にかかわらず社会で活躍する機会を与えられるべきといったことを中心に書かれている。エリート層であれば、これでいいかもしれない。ただ、ここには草の根の女性については何も書かれていない。この条文を見て農村を思い浮かべられるだろうか。あるいは家庭の中の女性の役割を思い浮かべられるだろうか。地域社会の役割もない。社会で活躍するエリートだけを対象にしたのが男女共同参画ということである。

「官制フェミニズム」

 もう一つ、先ほど申し上げたように、男女共同参画は「官制フェミニズム」である。男女共同参画がなぜエリート層の女性向けになったかというと、女性のエリート官僚が政策を引っ張ったということと、当時の社会でフェミニズムが大きな影響力を持っていたということがある。上野千鶴子さんをはじめ、フェミニズムの論客を中心にリベラルな考え方が広がり、エリート官僚と社会のリベラリズムが揃った形で出来上がったのが男女共同参画である。
 また、90年代は女性登用が進む。つまり「初の女性○○」といったものが数多く作られた。それが総理府の仕事、男女共同参画の義務だったのである。政治家はまだ十分に育っていなかったので、民間から女性大臣が登用されたりした。地方でも女性知事は一人もいない時代である。せめて副知事を女性にしようということで、地元にいなければ副知事を中央から派遣することもあった。私も山口県の副知事として派遣された。
 この流れは2000年に変わる。男女共同参画社会基本法ができた後、2000年に今度は地方に条例を作るよう国の方針が打ち出されたのである。私も山口県で条例作成に携わったが、地元では大変な反対を受けた。山口県のような土壌には男女共同参画はいらない、というわけである。時代の流れもあって県レベルでは条例は制定されたが、次の市町村条例では大きな反発を受けた。それで宇部市の条例は、男らしさ、女らしさを活かす条例であると180度方向転換したものができたのである。

「国の方針ではない」という政府答弁

 それと共に、政府レベルでも大きな変化があった。当時の国会質疑で、地方では男女共同参画社会基本法とは違う方向で条例を作っているが、これでいいのかという質問が出た。それに対して内閣府の答弁は、地方は地方で決めればいいというものであった。それで流れが大きく変わったのである。2002年から03年の頃である。
 つまり、男女共同参画は国の方針ではないということになったのである。地方は地方で決めればいいというなら好きなようにやらせてもらう、ということである。私が住んでいる茨城県でも、温度差というのであろうか、地方は考え方が違うという風潮があった。もともと温度差があったところに、この一言で男女共同参画の取り組みは完全に冷え込む。そういう意味では、男女共同参画は決して社会の要請を反映したものではなかったというわけである。それ以降、完全に下火になっていった。
 結局、男女共同参画を主導したウーマンリブ時代のエリート官僚がいなくなり、論壇でも上野千鶴子さんは高齢者の問題に移るなど論客が減って議論が下火になった。政治家は、私に言わせると女性票を獲るために「私は女性の代表です」と言うが、形式論であることが多い。本格的なフェミニストと言える人は少ない。つまり、男女共同参画はリーダー不在の状況になったわけである。
 ということは、残るのはサイレント・マジョリティである。今までのエリートやリベラル学者とは明らかに考え方が違う。それは、若い女性の保守化を見ればわかる。専業主婦になりたいという人も増えている。だからこそ、次の世代のために何をやるかをもっと考えなければならない。

少子化対策、女性優遇策の問題

 男女共同参画政策には女性の就業率向上などの成果があった。一方でマイナス面、社会的問題についても言及しなければならない。
 最も大きかったのは少子化対策である。90年代、男女共同参画が上り坂の時期に少子化対策が打ち出されたが、逆に男女共同参画が少子化対策には大きなネックになった。戦前の産めよ増やせよと同じことをやるのかという警戒感があった。だから人口政策ではなく、少子化対策にせざるを得なかったのである。
 1989年の1.57ショックから続いているこの少子化をどうするかという問題。そして介護の問題。介護離職が増えている。ただし、当時の官僚の世界では、これらは女、子供仕事だ、女の官僚が担当すればいいと考えている人が多かった。それが官僚政治の考え方であった。
 少子化の予算について言うと、保育予算はもともと別にある。要するに、それまで各省が持っていた予算を取り上げて、これが少子化予算だと言葉を換えて言っていたに過ぎない。1994年のエンゼルプランで新たに得た予算は、厚生年金保険特別会計のわずかなお金しかなかった。介護はどうかというと、それまでは措置制度で税金でやっていたものを、新たに介護保険を作って社会保険に代えてお金を集めたわけである。
 90年代当時の政策目標は、この頃は細川政権、社会党の村山政権、さらに橋本政権になったが、基本的には橋本行政改革で6つの改革をやろうとしていた。構造改革である。その時のスローガンが、国際化、民営化、市場原理化だった。構造改革は小泉政権が始めたと思っている国民も多いが、実際には橋本政権、あるいはもっと以前から、デフレ不況と戦うために必要なスローガンとして、国際化、民営化、市場原理化が必要だと言われていた。
 それともう一つ、予算なしでやる政策が歓迎された。つまり、国際化する、民営化する、市場原理化する、そしてただで出来る政策。これが男女共同参画だったのである。
 男女共同参画の予算額を見ると、今は少なくない額の予算があると言われているが、実際は女性の多い、介護や教育で各省が持っている予算を積み上げて、言っているに過ぎない。新たな予算は必要ないわけである。こういう背景のもとに男女共同参画社会基本法ができたということである。実際にやっていることは、初の女性大臣作りとか、初の何作りである。 “これをやりなさい”と口だけ出す。予算はかからない。90年代政策のカオスの中で、こういう男女共同参画ができていったわけである。
 次に、官の主流と政策、というお話をしたい。
 政策で非常に大きな成果をあげたのは旧労働省である。労働分野では、女性の就業率が上昇する。平成28年では66%。30年間に12.9ポイントも伸びている。女性が労働市場で活躍できるようになった。しかし、M字型カーブが存在する。つまり子育ての時期に仕事を休み、子育てが一段落したら仕事に復帰するのでM字型になるわけだが、欧米社会にはない。日本や韓国の特徴である。
 欧米社会にも昔はM字型カーブが存在した。近年になって無くなったということである。新しい世代で、日本でも急速になだらかになっている。育休の普及も大きいのではないかと思う。辞めずに済むようになったことが、大きいだろう。
 このように、政策の評価という意味では、労働省による女性の就業率の改善とM字型カーブの改善は、高い得点になる。
 次に、男女の進学率である。現在の大学の進学率は女性が48.2%、男性が55.6%で、女性は短大進学率が8.9%であるから、これを含めると男子を超える。遜色なくなって来たということで、これは文科省の担当だが、○ということが出来るのではないか。
 また、研究分野における女性の割合。これも文科省の分野だが、全体の15.3%となっている。アメリカは34.3%である。日本では研究分野への女性の進出はあまり高いとは言えない。ゆえにあまり高い得点にはならない。○か×かで言えば、×ということになろう。
 次は、国際社会での地位である。これはいろいろな資料があるが、世界経済フォーラムの報告書を見ると、日本はジェンダーギャップが114位で、順位を下げたということである。内訳を見ると、たとえば教育部門のうち識字率や在学率の格差は世界で最も小さい。つまり、男女平等を達成しているということである。高等教育の格差でも、大学進学率に若干の違いはあるが、平等に近い。
 それに対して、経済や政治の参画は非常に低い数字になっている。健康寿命の男女比は1.06で、女性の方が上である。健康と教育は出来ている、経済参画と政治参画ができていない、ということで、国際的な地位は総合で114位というわけである。これは開発途上国の後塵を拝しているわけで、国際地位を上げるという内閣府の仕事は×となるだろう。
 それと均等法には、性差別の禁止に加えて、ポジティブ・アクション可、とある。女性を優先して採用する、優遇するという政策である。しかしこれは、男女平等の条文を入れながら、女性の優遇措置は良いという意味である。アメリカでも同じような主張があったのだが、優先的に女性あるいは黒人の枠を作るのはおかしいというので、訴訟で敗訴した。日本でこれをやるのが本当にいいのか。数年前の小保方さんの事件は、女性のポジティブ・アクションの失敗例だと私は思う。科学は性差がある。ナチュラルサイエンス、特に数学や物理学というのは、性差があると言うと非難されてしまうが、しかし歴然と存在する。女性の研究者の割合を3割にしよう、4割にしようと掲げることが、本当に良いことなのだろうか。小保方事件はそれを物語っていると思う。ポジティブ・アクションの失敗例であろう。
 これは科学の世界だけではなく、他のプロフェッション、例えば医師などでも、女性医師の選択が皮膚科、眼科、耳鼻科に偏りがち等ひずみが来ている。プロフェショナリズムも、女性、女性でやりすぎたので、ひずみが来ていると言える。
 ちなみに、アメリカの憲法に男女平等の文言が盛り込まれていない。70年代、ウーマンリブがピークの時に1度入れようとしたこともある。50州の内の過半数の州議会が議決すれば修正できる。しかし過半数には至らなかった。
 ゆえに、当のアメリカは男女平等すら憲法に規定されていない。それでも女性が活躍している。そして、少子化についても家庭政策などもやっていないが、子供が生まれている。これは何かというと、移民政策が大きいが、次には、民間の力である。そして、自立して、国から言われる必要はないという人達の集まりだということで、ここは別の意味で学ばなければならないところがあると思う。

「日本死ね」は女性の社会依存

 もう一つ、「保育園落ちた、日本死ね」という話があった。これを聞いた時、私は驚いた。まるで「子どもを育てるのは私の責任ではない、社会だ。何でやってくれないのだ、私は女性として活躍しているのに」と言っているように聞こえた。これは社会依存ではないか。社会が悪いから男女共同参画政策をやってきた。だから社会がなんとかしろ、というようなものの言い方である。熊本の市議会議員が子どもを連れて議会に出席した話でも、「社会こそが活躍している私を認めるべき」と言っているようで、同じような感想を抱いた。
 私は、男女共同参画という言葉を止めた方が良いかなと思っている。もう少し地域、それこそ農家なども含めて、女性のあり方も含めた男女平等社会に変えていく必要があるのではないか。エリート女性のための、社会で活躍する人だけの法律ではいけないのではないかと思う。
 そこで男女平等社会実現のイノベーションとして、三つのことを提案したい。

三つの提案―底上げ政策、産む性の教育、職業モラル

 一番にやらなければならないのは底上げ政策である。最も象徴的なのは保育士と介護福祉士である。女性が圧倒的に多い仕事の賃金が低い。だから、「初の女性○○」を出すよりも、そういう女性たちの給与を引き上げること。そうしながら誇りを持って働ける職業にしなければならない。そのための男女平等政策をやるべきだと思う。
 それから2番目。産む性の教育が必要ではないかと思う。この場合の産む性というのは性の解放に使われてきた「第二の性」の意味を超えて、子どもを産むということは尊重される、敬われるものであることを教育するということである。現実には、子どもを産むことが敬われなくなっている。しかしそれは社会の発展、将来にとってはまずい。戦前の「産めよ、増やせよ、閣議決定」とは違う書き方で、尊重される産む性という教育をしていく必要があるのではないか。自分の子孫が社会を形成していくのだということを教育する必要があると思う。
 それから、三番目が職業モラルである。客観的に見ても能力のある女性は多い。ただ、女性はどの職業においても職業モラルをきちんと教えられていないことが多いと感じる。母親はロールモデルにならない、母親の世代とは社会が異なるからである。大学でも別の段階でも構わないので、職業モラルを学んで社会に出る必要があるのではないか。社会というのはこういうものである、こういうモラルを持って生きる。ここまで行っても上まで行けないということもあるのだということを、ガラスの天井のせいではなく本当に天井があるということを知って、自分がベストを尽くすという人生を、多くの草の根の女性たちに送っていただきたい。
 少なくともこの三つを入れた新たな男女平等法を作りたいと私は考えている。

(本稿は、2017年12月8日に開催した政策研究会の発題内容を整理してまとめたものである。)