夫婦アイデンティティと結婚後の姓の選択

夫婦アイデンティティと結婚後の姓の選択

夫婦関係とアイデンティティ

 人は結婚すると、社会から夫婦という連帯として見られるだけでなく、自分たち自身も夫婦関係を一つの社会的実体と捉え、各々その在り方のイメージを形成するようになる。夫婦が持つ夫婦としての在り方のイメージは、夫婦アイデンティティと呼ばれ、夫と妻で一致することが夫婦関係へのコミットメントと深く関係すると言われている。
 この夫婦アイデンティティに関して、社会に提示するアイデンティティと夫婦が自認するアイデンティティ、及び夫と妻それぞれの個人アイデンティティに関する不一致が夫婦関係を危機にさらす可能性がある。ステファン・F・オースティン州立大学(アメリカ)のキャリー・ケネディ−ライツィ(Carrie D. Kennedy-Lightsey)氏らは、夫婦のアイデンティティに関するギャップが夫婦関係への満足度とコミットメントに影響を及ぼすことを示した。

アイデンティティ・ギャップ

 夫婦におけるアイデンティティのギャップは二つの次元で発生しうる。一つ目は、社会との交流の中で形成される自分たちの夫婦像と、自分達が抱く自分達夫婦のイメージのギャップである(規定されたアイデンティティとのギャップ)。二つ目は、夫と妻それぞれが抱く自分達夫婦のイメージの齟齬である。ケネディ−ライツィ氏らによれば、「個人が個人のアイデンティティと規定されたアイデンティティの間にギャップを経験すると」、「コミュニケーションの満足度」や「理解されているという感覚」が低下する。同様に、夫婦関係においても社会や配偶者とのアイデンティティの不一致は、ストレスや緊張を引き起こす可能性があるという。
 こうした理論的な考察を元に、ケネディ−ライツィ氏らは統計的な分析を行った。アメリカの北東部、中西部から153組の夫婦を募集し、アイデンティティ・ギャップと夫婦関係への満足度に関するアンケート調査を行った。回答は点数化して集計し、構造方程式モデリングという手法で分析された。すると、アイデンティティのギャップは、夫と妻両方について、①コミュニケーションに対する満足度、②理解されているという気持ちと負の関連があった(①夫:p<.001、妻:p<.001、②夫p<.001、妻:p<.001)。また、夫については③関係そのものへの満足度と④コミットメントについても負の関連があった(③、④ともにp<.001)。

夫婦の姓と婚姻期間

 上記のように、夫婦のアイデンティティは夫婦関係に大きな影響を与える可能性がある。夫婦のアイデンティティに関して影響が大きい要素はいくつかあると思われるが、近年我が国で注目が集まっているものに、夫婦が結婚後に名乗る姓の在り方が挙げられる。
 ウェスタン・オンタリオ大学(カナダ)のメラニー・マッキーチェラン(Melanie MacEacheron)氏は、結婚後に女性が選択する姓の在り方と婚姻期間の長さに関係があることを示した。現状ではほとんどの場合、女性が姓を変更することから、女性の姓の違いによる影響を調べた。
 マッキーチェラン氏は、カナダのエルジン郡で2013年10月から2014年6月の間に離婚が確定した夫婦の姓と婚姻期間の関連を調べた。郡の上級裁判所が保管する離婚ファイルのうち、利用可能な107件を用いた。ファイルが保管されていた夫婦のうち、結婚後に妻が夫の姓に変更した夫婦は75組、妻が結婚前の姓を保持、または結婚前の妻の姓と夫の姓をハイフンでつないだ夫婦が32組だった。
 婚姻の持続期間を見ていくと、妻が夫の姓に変更した夫婦の平均婚姻期間は11.57年で、妻が姓を保持、または夫の姓と結合した夫婦では6.78年であった。
 平均婚姻期間の差の有意性を調べるために、負の二項分布モデルによる回帰分析が行われた。その結果、妻の姓の選択は婚姻の持続期間を有意に予測した(Waldのカイ二乗値は4.31、df=1、p=0.038<0.05)。そして、妻が夫の姓に変更した夫婦の婚姻期間が約60%長いことが分かった。他にありうる予測因子として、結婚時の妻の年齢がモデルに組み込まれたが、婚姻の持続期間にはわずかな負の影響があるにとどまった。

姓とアイデンティティへの影響

 このような分析結果が出たことに関して、マッキーチェラン氏は、結婚した夫婦による婚姻へのコミットメントの捉え方に言及している。マッキーチェラン氏によれば、「(結婚という)結合の公の宣言として女性が姓を変更することは、花嫁による花婿へのコミットメントの合図と解釈される可能性がある」という。つまり、妻が姓を夫のものに変更することが、「自分が将来夫のもとを離れる」可能性を低減し、「女性の夫婦間の約束を示している」と解釈されるというのである。男性が姓を変更する場合に関しても同様の研究が待たれる。
 マッキーチェラン氏の研究からは、結婚後に夫と妻が別々の姓を名乗ることが、夫と妻の間にアイデンティティ・ギャップを生み出す可能性が読み取れる。この研究では、妻は夫の姓を選択することにより、自分と夫の夫婦アイデンティティを調整している可能性がある。夫が妻に一方的に調整を任せてしまっているとすれば問題だが、夫婦で別々の姓を名乗ることが夫婦関係に与える影響については精査が必要である。夫の結婚・家庭との関わり方の見直しも含めて、総合的な検討が必要といえるだろう。

(月刊『EN-ICHI FORUM』2021年11月号より、一部改変)

 

【参考文献】

Kennedy-Lightsey, C. D., Martin, M. M., LaBelle, S. and Weber, K. (2015) Attachment, identity gaps, and communication and relational outcomes in marital couples’ public performance. Journal of family communication, 15, pp.232-248.

MacEacheron, M. (2021) Marital surname change and marital duration among divorcées in a Canadian county. Frontiers in Psychology, 12: 647942.

政策コラム
夫婦には個人のものとは別にアイデンティティが形成される。夫婦であることを社会に示す姓もアイデンティティに深い関係をもつ可能性がある。 編集部

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