対象が曖昧な「家族の経済学」
最初に、なぜ「家族政策」に興味を持ったかということからお話ししたい。
私が「家族政策」に興味を持ったのは、欧州の政策と比較するためである。日本においても「家族政策」に該当する政策を例示することは難しくはない。例えば、「子ども・子育て支援法」の児童手当の支給などがある。
ただ、日本では「家族政策」そのものの概念が明確に定義されているわけではない。国会議事録のデータベースで調べても、2000年代初頭まではほんの数例しかヒットしない。
また、私は労働経済学が専門で、「家計」についての分析も行っている。
さて経済学では、家族がどのように形成されるかにはそれほど注目せず、家族が同一の経済行動をしているとみなし、誰が誰の生活を保障しているかに注目する。
そして、経済の効率性を中心に分析する。例えば、家族の構成人数が増加することによる規模の経済効果や、消費額の変動に注目する。さらに、所得分配や税制、社会保障制度の効果を計測するのである。
税制で言えば、税の申告が家族ベースなのか、それとも個人ベースなのかの選択がある。また無業の妻や扶養の子供を、税制上どのように扱うかも、経済学上の大きな論点になる。
では、「家族の経済学」は何を対象とするのか。橘木・木村(2008)は、結婚、離婚、出産、子育て、老後の生活と高齢者のケアを対象とした。Browing et al.(2014)では、結婚、離婚、再婚、出産、子育てである。私は、家族内での贈与や相続(遺産)についての視点があってもよいと思うが、上記の両書にはほとんど入っていない。
「家族の経済学」とはいっても、家族と家計の区別は曖昧である。FamilyとHouseholdは厳密には同じ意味ではない。従来の経済学ではHouseholdが中心であった。また、「家計単位での経済行動の分析」と「家族の内部における経済行動への意思決定についての分析」の区別もはっきりしていない。後者のような分析は今までほとんどなされてこなかった。区別がなくても問題にはされなかった。実際、家族や企業の内部における経済行動を分析することは難しい。経済学ではこの50年、家族に関する研究はほとんど進歩していないというのが現実である。
次に、家族の3つの様相について指摘したい。
一つ目は、家族という単位である。これは少子化問題、晩婚化などの問題に関わる。
二つ目は、家族の構成要素についてである。大家族をよしとするか、なぜ核家族が増えたのか、離婚率を引き下げるべきか等。経済学はここに立ち入ってこなかった。家族の構成要素について、政策としてはほとんどないか、後追いでの対応策しかなかったように思われる。
三つ目は、家族の質についてである。これは社会保障、社会福祉、育児支援、介護などが関わる。
ここまでの論点を整理してみると、次のことがあげられよう。
1、結婚は、家族の経済学で扱うとはいえ、これは個人の問題であろうか。分業の理論としても考えることはできるであろう。
2、離婚も家族の意思決定とはいえ、個人の問題であるかということだ。
3、出産は家族(家計)で意思決定しなければならないとされる。また、子供にどのような教育を与えるかは、家族の意思決定による。経済学で言えば、量と質を考える。
4、家計の労働供給行動は、家族での意思決定の結果であろうか。また、贈与や遺産については個人の問題であろうか。
少子化と教育コスト
さて、少子化と経済学について考えてみたい。
「豊かになれば子供は減る」という説がある。日本の合計特殊出生率は、1949年の4.32から2019年に1.36まで低下した。親は子供に量(人数)と質(教育の程度)を求めるが、量を増やすと育児に費やす期間が長くなり、機会費用が高くなる。特に女性の所得が高くなると、量より質を優先し、少子化が進む。ここで重要なのは、教育の重要性である。教育のコストが高くなると少子化傾向が強くなる。
少子化については、子供が親の老後を保障する保険の機能であるといった説明もあるが、逆にいえば、社会保障制度の進展が少子化につながることになるということだ。とはいえ、女性の所得向上を抑制するような政策、社会保障政策を後退させるような提言は、現実的ではない。現実的には、教育支援策が重要になっているのである。
また、Doepke,M.and F.Kindermann(2019)では、出産には夫婦の合意が必要であると分析している。少子化対策には、妻の同意を得られるような政策が必要であるとしている。母親のキャリア形成や仕事と家庭の両立を支援するような政策である。
次に、結婚の経済学という点からお話ししたい。
経済学では、結婚の意思決定についても、いくつかの道具立て(モデル分析)で説明されている。このうち代表的な「家計内生産関数アプローチ」「サーチモデル」「マッチングモデル」について説明する。
家計内分業の理論では、男女が別々に働くより、結婚して男性が外で働き、女性が家事・育児に専念するほうが効率的であるとする(ただし、この分業の理論では、事後に「優位」を覆せるとしている)。日本においても、橘木(2002)など、専業主婦の存在が1960年代の高度成長を背後から支えたという理解がある。
「結婚」へのサーチモデル
次に、「結婚」へのサーチモデルの応用についてお話しする。
サーチモデルは、職探しの過程と失業期間の決定についての分布がよく知られている。失業に対する公的支援は、結果として失業率を上昇させるなどである。結婚についての経済モデルは、独身のままでいることの価値(もっとよい結婚相手がいる)と、その時点で結婚することの価値を比較する。結婚相手を探索するが、後者の価値が前者の価値を上回るまで、相手探しを続けるような過程を考える(お見合いモデルとも言える)。相手との結婚を考える度に、結婚で得られる便益と結婚により得られる経済価値の合計と、独身でいることのその時点における価値(=時間割引率×独身でいることの価値)を比較することになる。
サーチモデルによれば、女性の賃金が高いと、夫に望む留保水準が上がり、結婚確率が下がると考えられる。ただ、Fukuda(2013)の研究によれば、1960年代生まれの女性は賃金が平均より高くなるほど結婚の確率は下がるが、1970年代生まれの女性では反対に賃金が平均より高くなると、結婚の確率は上がる(または無関係)としている。
ただし、この点は結婚相手が見つかる主観的な確率を比較していると考えると、1960年代生まれと、1970年代生まれの結婚観の相違などで説明できる可能性もある。
次に、「結婚」へのマッチングモデルの応用についてお話ししたい。
マッチングモデルは、組み合わせの安定性を論じているが、結婚については北村・坂本(2007)の研究がある。この研究では、生まれ育った経済的生活水準が高ければ高いほど、結婚選択における留保水準は高いことを意味し、親との同居生活(または親に扶養されている生活)と比べて、配偶候補者との生活水準が相対的に低いと考えられる場合には、結婚行動に負の影響を与えるとしている。この分析により、雇用環境の変化によって、よい就職先を見つけられなかった者や、長時間労働を強いられる職場環境にある若者は、なかなか結婚できないことを実証している。
清家・風神(2020)は、以上のモデルを比較しながら、日本人の結婚行動について次のように分析している。
地域別のデータを用いると、20代前半ではマッチングモデルが当てはまり、20代後半では家計内生産関数モデルとマッチングモデルが混合しており、30代前半はいずれもあてはまらない。
マッチングモデルでは、親の年収が500万円以上の場合には、夫候補者と親の所得の差が大きいほど結婚確率が下がり、親の年収が500万円未満の場合には、逆に結婚確率が上がるとする研究がある。一方で、父の年収が高いほど結婚確率が上がるという逆の研究もあるとしている。
家族政策の視点が欠如
以上のことから日本の「家族政策」について述べてみたい。
家族政策は日本にはなかったとの指摘がある。増田(2007)によると、日本における少子化対策の多くは、西欧諸国では家族政策と呼ばれている。
日本で家族政策と呼ばれない理由について、増田は次の3点をあげている。
一つは、家族政策に関連する法制度が、実際には家族を対象としたものではないということである。福祉関係の法制度の対象者は、家庭一般ではなく、支援が必要な低所得者、母子家庭などに特定されている。
二つ目は、第2次大戦後の政策は、戦前の家族制度を全否定することから出発している。「望ましい家族像」の押し付けを警戒したからではないかと思われる。
三つ目として、日本では育児は親の責任であるという考え方が強かったということがある。
さらに言えば、日本では家族政策を担う当局ないし公的機関がどこになるのか明確ではなく、その曖昧性のために責任の所在がはっきりとしないという課題がある。
では、政府は「家族政策」について、どのような視座を持っているのだろうか。
1965年、佐藤内閣の「中期経済計画」には、社会保障について次のような記述されている。
「従来わが国においては、終身雇用制度や年功序列型賃金体系、大家族主義などが、ある程度このような保障の機能を果たしていたが、その反面公的制度による社会保障制度の発達、年金制度が遅れていた。しかし近年、労働力需給のひっ迫に伴って賃金、雇用形態の合理化が促進される一方、世帯細分化によって親族扶養の減退傾向がみられる。これらの動きは、当然に社会保障の充実を要請している。」
ここにみられるのは、政府は家族への政策というより、社会保障政策の充実を意識するようになったと考えられるということである。1965年の「中期経済計画」は一つの転換点であった。
また、雇用政策においても、家族政策という視点がみられないことも指摘できよう。
高度成長期以後、あるいはオイルショック以後、雇用政策は大きな変化を迫られた。ただしそこには、家族という視点は見られないと言ってよい。「雇用保険法」(1974年)、「雇用安定賃金制度」(1977年)など、家族によるリスク分散というより、保険機能を充実させる政策と言える。
「男女雇用機会均等法」(1986年)についても、家族の視点というより、男女雇用平等がベースになっている。国連が1975年から85年までの10年間を「国際婦人の10年」と定めたことによるもので、少子化、または家族を前提とした法律ではない。
ちなみに少子化は、1989年の「1.57ショック」から国家的な課題となった。
その後、政策として「エンゼルプラン」(1995年から5年間)、「新エンゼルプラン」(2000年から5年間)が打ち出されたが、これらは保育所サービスの充実を中心とした子育て支援サービスの充実を目指すものであった。
また、「少子化社会対策基本法」(2003年)、「少子化社会対策大綱」(2004年)、「新しい少子化社会対策」(2006年)に、家族という視点があったかとどうかは、疑問を呈せざるを得ないところである。
ワーク・ライフ・バランスの概念
さらに、ワーク・ライフ・バランスと働き方改革について指摘しておきたい。
ワーク・ライフ・バランスは、現在では仕事と生活の調和を考えるということで、家族の問題と密接している。
一方、日本では米国の概念を経営コンサルタントのパク・ジョアン・スックチャ(2002)が、企業の内部改革のために提唱した概念によるものである。つまり経済の視点からのものであって、家族の視点から出発した概念ではない。
働き方改革も、「少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少」、「働く方々のニーズの多様化」などの課題に対応するための政策であり、家族を対象とした政策という視点からではないと思われる。大森(2010)も、ワーク・ライフ・バランスを経済学的に解釈するポイントは個人と多様なニーズであるとして、家族の視点には注目していなかった。
家族ついて、戦後は政策的に触れてこなかった。これを転換する必要があろう。
IPP政策研究会(主催=平和政策研究所、2021年3月10日)発表より。一部加筆修正した。
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