政策オピニオン

2019年2月27日

生態学からみる結婚と子育てと家族―共同繁殖で育まれる「共感する心」と「子育ての幸せ感」―

総合研究大学院大学学長 長谷川眞理子
東京都生まれ。人類学者。東京大学理学部卒。同大学院理学系研究科博士課程修了。イェール大学人類学部客員准教授、早稲田大学教授等を経て、現職。専門は自然人類学、行動生態学。著書に『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)、『ヒトはなぜ病気になるのか』(ウェッジ選書)、『動物の生存戦略』(左右社)、『世界は美しくて不思議に満ちている』(青土社)他。

人類が繁栄した理由

 幼少期に和歌山県紀伊田辺で育ち、美しい海や山川に囲まれた自然のなかで、貝やイソギンチャク、草花を集めて図鑑で調べることが好きな子どもだった。そういう自然の美しさに惹かれ、それが科学によって解明され、説明できるエレガントなところが、幼い私にとって面白く生物に興味を持つようになった。
 大学は理学部生物学科に進み、そこで理科二類の先生の講義に触発され、これを専門に研究しようと決めた。博士論文は、チンパンジーの行動と生態が研究テーマである。
 40代以降になると人間に関する経験が増えてきたからか、ヒト以外の動物の生態研究からヒトを研究するようになった。今は人間の事に一番興味を持っている。
 およそ600万年前にチンパンジーと人間の系統が分かれ、その後人類は何十億人にも増え、今日の科学文明を発展させてきた。ところが一方で、チンパンジーは絶滅危惧種になっている。その根本的理由を解明したいという気持ちが強くなり、ヒトの特徴を研究しようと思った。
 結局のところ、人類が繁栄した理由は、知識を解明し、それを皆で共有し、世代を越えるごとに知識を蓄積し、改訂していったからである。いろいろな知識を共有し、お互いに了解する。了解するから、どこかで誰かが新しい方法を発見すると、みんなに伝わる。次の世代はそこから出発すればいいので、いつでもゼロからやり直す必要はない。
 ところが、チンパンジーはそうなっていない。誰かが何か新しい方法を発見しても、その個体で止まってしまう。他者の行動を見て、自分もやってみる社会学習はするが、教えたり、聞いたりはしない。したがって知識の蓄積が非常に緩やかである。

 

人間の最大の特徴は心の共有にある

 人間が知識を共有し、蓄積することを可能にしているのが言語である。文化と言語がなぜできるのか。それは心を共有することができるところにあると考えられる。
 分かりやすく言えば、例えば赤ちゃんが「ワンワン」と言って、お母さんが「ワンワンね、うん」と言うためには、赤ちゃんがワンワンを見ていることをお母さんが知っていることを、赤ちゃんも知っていないといけない。
 そこには非常に高度な心の共有がある。おそらくチンパンジーは「私はあなたが何を考えているか知っている」で止まっていて、「私が知っていることを知っているよね」にはならない。
 人間の脳が大きくなって、自意識とか因果関係の理解が進んでいくと、どこかの時点で心を共有することができるようになる。それが言語に発展していった。
 言葉は単なるシグナルではない。私が何を知っていて、何を考えて、何を感じているかをあなたにも知ってほしい、と思わないと、言語は生まれない。チンパンジーなどの動物にはそういう言語はない。
 人間の最大の特徴は心の共有にある。それがどんな脳の働きなのかを研究していくと、その一つの大事な能力が「共感」という能力である。
 共感できるからこそ、人間は自分自身の経験や置かれている状態以外に、他者がどういう状態かが想像できる。自分もそういう状態に置かれた時にどう感じるかを想像できるわけである。

 

人間の脳が大きく進化

 人間の「共同繁殖」と「共感」というのは、両方がサイクルにならないとできない。人間の脳が大きく進化していくと、出産し赤ちゃんを育てることが非常に大変になる。毛がないので赤ちゃんがお母さんにつかまっていることが出来ない。そうなるとお母さんは赤ちゃんを抱っこするか、置いておくしかない。赤ちゃんが傍に置かれていると、他の人も赤ちゃんの状態をみることができる。そこからヒトの共同養育が広がっていったと考えられる。
 頭が大きいと成長は非常に緩慢になる。だから長い時間をかけて子どもを育てていかなければならない。手間のかかる子どもを皆でモニターしていないと死んでしまうという状況が生まれた。脳が大きくなった事、共同繁殖する事、皆の心が分かりあう事、この三点セットがきわめて重要だったと思う。

 

共同繁殖するのは哺乳類の5%のみ

 哺乳類はメスが妊娠して出産し、ミルクを与える。哺乳類は胎内で育つので、メスだけの負担で物事が解決するようにうまくできている。この仕組みがあれば、哺乳類はオスがいなくても子どもを育てることができる。実際、哺乳類でオスとメスが一緒に暮らすのは数パーセントしかいない。メスの繁殖効率が非常に良いため、オスである父親が何かをする必要がない。
 ところが、一部の哺乳類では母親だけでは足りなくて父親も関与しないと子どもがうまく育たないという種が5%位存在する。人の場合は父と母だけでは足りず、兄姉とか叔父叔母など他の個体も一緒に子育てする、本当の共同繁殖を行ってきた。
 人間がその5パーセントの中に入っているのは、頭が大きい赤ん坊が育つまでに非常に長い年月が掛かるからである。
 人間の生活は大変複雑であるため、一人前に育てるのは簡単ではない。病気になったらどうするか、どうやって食物を集めたらいいか。いろいろなことを親だけで教えるのは難しい。そのため人間は単独で暮らすということはなく、カップルが一緒に集まって共同体をつくって暮らす。
 単に外敵から守るとか獲物を捕らえるのが大変だといった外的な理由だけでなく、大人の脳が大きいゆえに複雑な生活をしている。皆で知識をシェアすることで脳の効力が高まっているのは人間しかいないのではないか。

 

関係性に名前をつけて系図として認識できる

 人類の進化でみると、必ずしも実の両親が生きていてくれるという保証はない。どんな人と信頼関係を結べるか、どんな友達を持てるか。家庭以外にいろいろなつながりを持つことが非常に重要だったと思われる。
 人間は親密の度合いを感覚できるだけでなく、実際に会ったことがなくても誰かに聞くことで、母方の実家のおじさんとか、いとことか、自分との関係を想像でき、愛着を持つことができる。これは他の動物にはない人間のすごいところで、関係性に名前を付けて、系図として認識できるのは人間だけである。
 私が共同繁殖を強調する理由は、ひとつには民主主義、個人主義、貨幣経済が急激に拡大した影響を感じるからである。自由市場社会になって、お金さえあれば独りで生きていけると思う人がいるが、生物学的にみると理屈に合わない。個人主義が保障されるということは、絆が断たれることとイコールではない。

 

共同繁殖だから、保育所をつくる

 共同繁殖ということは、子どもを育てるためには家族のなかに閉じないという意味でもある。子どもが一人前に育つには、別の家族、地域の人、社会全体が関わることが重要である。
 「だから保育所を作らなければならない」というのは、共同繁殖の一つの帰結と言える。孤立子育てを解決する一つの方法が保育所だからである。ただ、働くお母さんのためという以上に、ヒトはそもそも共同繁殖する種ということから保育所をつくる必要があると考えている。
 共同繁殖は誰かが何かをしてくれることで成り立っている。そこから考えると、子育て支援は保育所をつくるという現物支給のほうがいい。現物支給にしないと助けてもらえるという実感がわかない。現物支給は昔から共同繁殖のための知恵ではないかと思う。
 少し前までは三世代家族が当たり前のように存在した。ただ人間が信頼関係を結ぶのは家族という血縁だけとは限らない。いろいろな人と信頼関係を結ぶことができるのが人間である。一人が持つ信頼の絆は何本もあって、困った時に助け合ったりすることで社会が成り立ってきた。それが近代の職住分離によって物理的に弱まったことは確かである。

 

児童虐待、子殺しは、なぜ起きるのか

 今日の児童虐待、親による子殺しはなぜ起きてしまうのか。哺乳類のメスは赤ん坊を授乳している時は排卵が起きないので、オスにとっては目の前の赤ちゃんが自分の子でなければ、殺してしまうこともある。そしてメスを発情させて自分の子どもをつくるというのは、あり得る戦略である。
 では人間の場合はどうか。母親が再婚したり、別のパートナーを持ったりした場合、特に若いカップルが別れて、母親が新しい若い男とカップルになると、その若い男にとって自分の子として育てた経験がないので、愛情スイッチが入りにくいということはある。若い時はお金も潤沢ではないので、自分の子でない他の子にお金を使って育てるのは負担感が強い。自分の子ではない他の子よりも、若い女性との間に自分の子をつくって育てたいと思うのは、生物としてはあり得る話である。
 そのときなぜ母親が同調するのかというと、人間の子育ては本当に労力のいる大変な仕事だからである。周囲の誰もが子育てをサポートしてくれる環境があって、かつ多少でもお金がないと、育てるのは困難である。
 かつて、日本が法治国家でなかった時代には、不倫の子を捨てたり殺したりした歴史がある。不倫が共同体のなかで認められていない社会では、皆が心から子育てを手伝ってくれない。未婚の子とか社会が容認しない子は共同繁殖の観点から、逆に誰もサポートしないことを母親は分かっている。
 そう考えると、結婚というのは単に個人としての男と女の結びつきの問題ではなく、社会的な取り決めだと考えることができる。つまりヒトの社会では、単に個人的にある男と女が好きになって配偶してよいということではなく、社会的に認められた関係であることが必須ということになる。
 私は、結婚とは「共同繁殖の動物であるヒトが、共同体に生まれた子どもたちを共同で養う責任を引き受けることを認める配偶関係である」と定義したいと思う。

 

個人主義が生む各家庭の孤立

 今日、児童虐待は大きな社会問題になっている。親が厳しい子育て環境に置かれていることは確かである。ただ児童虐待の通報件数は増えているが、深刻な児童虐待は増えていない。
 現代社会は、個人主義とプライバシーの尊重という考えから、各家庭がかなり孤立する状況を生んでいる。親が孤立していて、周囲からのサポートが見込めない状況は増えている。この子がいなければ新しい人生を歩めると思うと、子どもを邪険にする行動が積み重なってしまうことになりかねない。
 ただ、現代は共同体で承認された婚姻関係の子でないとサポートされないという社会ではない。結婚も子育ても個人の選択の問題となると、個人として年収600万円位ないと育てられないのではないか、などと不安に思ってしまう。
 今の社会は、子どもを持ちにくくする方向に全てのベクトルが向かっている。昔は家の職業を引き継ぐために子どもがいないといけないとか、子どもを産むことへの圧力が非常に強かったが、今はそれがない。
 家族、家庭、職業、地域が一体となっていた昔の社会体制は、全て崩れてきている。

 

子育ての負担感から幸せ感へ

 若い人が結婚しない、子どももいらないという状況が進むと、社会の維持が難しくなる。私の弟子が人類学の博士論文で少子化問題を取り上げた。子育て中の親にアンケート調査をすると、子どもが増えるほど子育ての負担感はうなぎ上りになる。ところが幸せ感は子どもの数に比例せず、頭打ち曲線になる。
 つまり一番幸せ感が高くて負担感が少ないのが「子ども2人」である。もっと大変かもしれないと悪く見積もると「子ども1人」にとどまる。
 まず、子育てする親の負担感を減らす必要がある。これは実際の負担ではなく、負担の期待なので、子育てはそれほど大変ではないと思えるようになればば、幸せ感は増え、子どもも増えるはずである。
 子育てが大変だと思う理由を聞くと、お母さんは「体力的に大変で時間がない」、お父さんは「教育費」を挙げる。子育て負担感を解消して、子どもが3人、4人いてもそんなに負担ではないと思える社会にしないと、少子化は絶対に変わらない。
 専業主婦モデルが可能だったのは、男性の給与が高かったからである。あの高度成長期の専業主婦モデルではなく、共同養育を実感できるように、共同養育の仕組みを当たり前のように作る必要がある。それは単に働くお母さんのための保育園という発想ではない。

 

子育て世代が積極的に政策提言を

 今の政策決定に関わっているのは、大半は年齢層が高い男性である。病院長が「女医さんが増えると困るんですね」と言ったりする。古い世代が人口政策を考えても効果が薄いのではないかと思う。これから子どもを育てようとする30代、あるいはもっと若い世代が、自分の問題として積極的に政策提言すべきである。
 人類全体としては、豊かになり、個人的な満足度は上がっている。しかし収入が増えたからと言って、比例して子どもが増えるわけではない。先進国の大半で出生率は低下している。
 自分への投資の選択肢が増えれば、個人に投資するようになる。生物学的には自分に対する投資と将来への投資はトレードオフの関係にある。
 社会を持続可能にするには、出生率が2を切らないようにすることが必要である。それにはヒトが共同繁殖の動物であるという視点に立って、社会福祉や教育政策を構築しなければならない。
 近年の個人主義と貨幣経済の産業社会と都市生活では、一人ひとりが自分の力で生きているような錯覚に陥りやすい。生物としての私たちの成功には、どんな形であれ、共同繁殖のための社会インフラが必須なのだということを、より多くの人に再認識していただきたい。

(2018年12月12日)