子どもの養育環境改善の提言 ―学力格差は幼児期から始まるか―

子どもの養育環境改善の提言 ―学力格差は幼児期から始まるか―

2018年12月26日

Ⅰ.想像力の発達

(1)五官を使った体験の大切さ

想像力は「生きる力」である

 本日は、まず「想像力の発達」についての話をさせていただく。次に、幼児期からの英語教育は必要かという論点について考察する。そして、創造的想像力を育むための「共用型しつけ」を提案する。
 想像力は生きる力であると私が認識するきっかけになったのが、ユダヤ人医師ヴィクトール・フランクルの著作『夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録―』(みすず書房、1961)である。辛い強制収容所体験を綴った本書は、想像力が豊かな人は過酷な環境にあっても生き延びることが出来ることを体験的に語っている。
 フランクルはこのなかで次のように書いている。
 元来精神的に高い生活をしていた感じやすい人間は、ある場合にはその比較的繊細な感情喪失にも関わらず、収容所の生活のかくも困難な外的状況を苦痛ではあるにせよ、彼らの精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば、彼らにとっては恐ろしい周囲の世界から、精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開けていたからである。
 「人はパンのみにて生きるにあらず、精神力である想像力を働かせることによって生きる力が与えられる」ということを本書は訴えている。

生後10カ月頃に起きる「第一次認知革命」

 想像力は「生きる力」とすれば、いつ頃から働き始めるのか。まず生後10カ月頃、赤ちゃんの頭の中にイメージが誕生する。積み木を車に見立てて遊ぶ「見立て遊び」、ドレッサーの前でママが髪をとかしていたのを思い出してそのフリをする「延滞模倣」が起こる。これは記憶が働き始めるからである。
 大脳の記憶を司る海馬(Hippocampus)は、だいたいの記憶を記憶貯蔵庫に転送する宅配便のような役割をしている。扁桃体(Amygdala)は快・不快感を喚起するところで、海馬と扁桃体がネットワークを作って、それが働き始めるのが10カ月の頃である。この時期に起こる劇的な変化を「第一次認知革命」と私は呼んでいる。
 幼児期が終わる5歳後半頃には、ワーキングメモリーという情報処理を統括する部位が、海馬、扁桃体とネットワークを作って一緒に働くようになり、情報処理の精度が高まる。
 小学校3年生頃から、前頭連合野にシナプスが沢山出来ることによって、意志力や判断力、モラル、情緒、アイデンティティを求める気持ちが強くなる。
 人間として豊かに生きるためには、この前頭連合野のシナプスが沢山ネットワークを作っていくことが大事である。例えば、人と話をしたり、批評的に対象を見たり、それから将来を考えたり、またディスカッションすることによって、前頭連合野のシナプスは増える。嬉しいことに、前頭連合野のシナプスは65歳頃まで再生されるという研究データが2017年に『Cell』という雑誌に発表された。また2015年には海馬の内側にある歯状回と呼ばれる細胞群が90歳頃まで再生することが、科学雑誌『Nature』に発表された。人が生涯学習し続けることが出来るというのは、高齢者にとっては非常に嬉しいデータである。

赤ちゃんの言語習得の過程

 生後10カ月の時期にイメージが誕生したと分かる行動がある。10カ月くらいの赤ちゃんを抱っこしてお散歩していると、向こうから大きな犬がやってくる。この時期の赤ちゃんは0.03の視力しかないので、1メートル半くらいまで近づいた時、びっくりして、抱っこしてくれている人の顔を仰ぎ見る、「社会的参照」という行動が起こる。
 この時期の赤ちゃんとお母さん100組に、大学のプレイルームに遊びにきてもらった。環境に慣れたところで、赤ちゃんが見たこともない犬型ロボットのアイボを見せると、びっくりしてハイハイでお母さんのところに避難する。その時お母さんに問い合わせしたのは62名。問い合わせず、お母さんにしっかり捕まってじっとアイボを凝視していたのが38名いた。
 1歳半になった時、もう一度同じ実験を繰り返した。今度は、10カ月の時に見せたアイボとは違うデザインで、しっぽがくるくる回ったり、キャンキャン泣いたりする、犬型ロボットを使った。アイボを見た一歳半の子ども達のうち62名は慌ててお母さんのところに近寄って、「ワンワン」と言いながらアイボとお母さんの顔を見比べていた。38名は今度も慌ててお母さんのところに避難し、ものも言わずに目はじっとアイボを眺めていた。
 実は言葉の習得は胎内にいる時から始まる。受胎後18週目くらいに聴覚神経系が働き始めると、胎児は音を拾い始める。母親の心臓の拍動音や体の中を流れるザーザーという血流音である。また、母親が喋っている声が骨を通して羊水を伝わり、胎児の耳のアブミ骨を振動させる骨振動として、胎児の耳に届いている。
 胎児は言葉の素材になる音をかなり母親の胎内にいて聞いている。生まれた後、赤ちゃんが泣くと、「よしよし」「いい子ね」と母親が言葉を掛けると、赤ちゃんは泣き止む。これは胎内にいた時の音と非常に似た音が聞こえてくるので、赤ちゃんは安心して泣き止むのである。
 そしてお母さんからいろいろなお世話を受けながら、赤ちゃんは言葉の意味を知るようになる。おっぱいを飲んでいる間、12カ月頃までに平均100語の言葉の意味が分かるようになる。しかし赤ちゃんが話せるのは、パパ、ママ、ワンワン、ウマウマなどの重ね言葉が5つ、6つである。11カ月頃から、つかまり立ちが始まり、1歳頃に、最初の一歩を大地に踏みしめる。歩行が始まることによって、発語器官が出来上がり、それまでストックしておいた音声素材を自分でも発音が出来るようになる。

(2)子どもの個人差・性差の秘密

「物語型」と「図鑑型」

 この実験に協力してくれた100名の赤ちゃん達も、一週間に40語も新しい語彙を自分の語彙のレパートリーに付け加えるという、語彙爆発の段階に入っていた。観察するなかで、社会的参照をしない子と、子どもの発語の種類がかなり違うことが分かってきた。
 まず62名の社会的参照をした赤ちゃん達は挨拶の言葉、「おいち(し)いね」「きれいね」といった感情表現語が非常に多かった。これらは人と一緒にいる場面で発語される言葉であるから、人間に敏感な気質を持っているのではないか。気質の検査をしたら、確かに人間に敏感な気質を持っている。
 一方、社会的参照をしなかった38名はほとんどが名詞を話していた。5%だけ動詞が含まれていた。「怒った」「行っちゃった」「なくなっちゃった」、救急車を見ながら「ピーポーピーポー」と言う、擬音語を話し始めている子もいた。モノの変化に興味がある気質を持っているのではないか。調べてみると、確かにモノの動きや因果的成り立ちに敏感な気質を持っているらしいということが確認できた。
 この気質というのは、親から子に遺伝的に受け継がれていくものであり、同じ夫婦からでも、人に敏感な子、モノに興味が惹かれる子、両方の子どもがいる。この子たちが3歳になるまで追跡したところ、社会的参照をした62名は、ママゴトが好きで、生活絵本や物語本を好むので、「物語型」と名付けた。
 一方、社会的参照をしなかった38名の子ども達は、プラレールとか、積み木を天上まで積み上げたり、ドミノ倒しを楽しんだり、砂場で穴を掘って水を入れてダムを作るような遊びを好んだ。絵本コーナーでは図鑑類を好んだので、「図鑑型」と名付けた。
 「物語型」の一番端っこにいるのが、ダウン症やレオパード症候群のお子さんである。レオパード症候群というのは、ダウン症と一緒で目と目の間が離れている顔つきをしている。生まれた時は色白だが、5年くらい経つと、カフェオレ斑が出てきて、ほくろや顔が黒ずんでくるというような症状を持っている子ども達である。
 レオパード症候群は受胎後16週くらいに、催奇形因子を持った傷つきやすい受精卵で、それだけだと発症しない。母親がDVを受けていたり、アルコール依存症だったり、ニコチン中毒だったりすると、胎内環境の条件が悪くなるため、その遺伝と環境との交互作用によって発症する症状である。定型発達の子とは連続的な違いであるという点に注目していただきたい。
 なお、「図鑑型」の一番端っこにいるのが、自閉症スペクトラム、注意欠陥多動性障害、学習障害のお子さんなどである。受胎後16週から18週位の時に、催奇形因子を負った受精卵でしかも胎内環境の条件が悪い時に、脳の一部の損傷によって起こる症状である。
 あくまでも定型発達のお子さんとは連続的な変化である。従って、ないものではなく有るものに注目する。出来ないことではなく出来ることに注目する。やはり褒めて育てる、加点主義で子どもを捉えることが大事である。
 もう一つ興味深いのは、物語型62名のうち80%が女の子だった。ということは男の子にも20%ぐらいはママゴトが好きな子がいるということを意味している。一方図鑑型の38名のうち、80%が男の子だった。ということは、女の子にも20%くらいはプラレールに関心があり、将来はリケジョになる可能性があるのである。

性差はどのように形成されるのか

 次に性差はどこから出てくるのかというのは興味深い問題である。知能テストでは女性は口が達者で手先が器用という傾向がある。一方、男性は地図を読み取る時に使われる心的回転課題の検査や、ダーツなどで成績が高い。プロゴルファーの得点内容を見ると、男性プロの方がホールインワンで得点を上げることが多いことが知られている。

 この男性と女性の得意分野の違いは、脳の成熟が男性と女性では違うことから発している。図は脳を天井から見たものであり、向かって左側は言語や計算、概念の座があるので、「理性」の脳とも呼ばれる。一方、右側は音楽を聴く時に活躍するので、「感性」の脳と呼ばれる。「ママ怒ってる」というママの感情を感じ取るのは右脳で、「ママ怒ってる」と言葉で表現するのは左脳の働きによる。つまり、一つの行動を実行するためには、右脳と左脳が連携協働し、制御しあって働いているのである。
 道徳が教科になるということで、2020年度からの学習指導要領に「非認知を育てる」という言葉が入った。一言で言えば、右脳の働きが担っている機能が非認知、左脳が担っているのが認知である。認知と非認知は車の両輪であり、一方だけ育てても車はまっすぐ走ってくれない。この認知と非認知を連絡し制御している部位が「脳梁」で、脳梁の容積は女の子の方が大きい。女児の方が脳の発達が速いためである。
 神経活動が始まると、木の枝状の樹状突起が伸びたり、軸策が伸びたり、シナプスが別のニューロンと連絡路を作ったりする。その連絡のことをシナプスと呼ぶ。
 特に、信号が何回か通り抜けると、軸策の周りにミエリンというタンパク質の膜が巻き付くようになって、裸線ではなくなる。裸線ではなくなるので、信号の伝わり方が早く、しかもエネルギー量を減衰させずに信号を伝える仕組みになっている。
 ミエリン化されている細胞がどこにどのくらい多いかを調べれば、神経活動がどこで始まっているかを推定できる。ハーバード医科大学のゲシュヴィント(Geschwind.N)博士とガラヴァルダ(Galavurda.A.M)博士が、死亡した赤ちゃんの脳を解剖したところ、女の子の左脳はミエリン化された細胞が多く、右脳はそれほど多くなかった。一方、男の子は左脳も右脳もミエリン化された細胞が少なく、左右に違いがなかった。全体に脳の発達がゆっくりだったということを1987年の著作『右脳と左脳-天才はなぜ男に多いか』(邦訳版は「東京化学同人」)に発表した。その後、テクノロジーの進化で、この知見の正しさが追認された。
 さらに男の子の脳発達が緩慢な理由も分かってきた。受胎後18週目位の時期に将来男の子になるXY型染色体を持った受精卵には、母体からテストステロンという男性ホルモンが分泌されて、男性として生きていくための体つきに変わっていく。この間、成長ホルモンが停止するため、体は大きくならないが大事な変化が受精卵の中で起こっている。
 この時期、胎内環境の条件が悪く、テストステロンのシャワーを十分に浴びなかった受精卵は、将来LGBT、つまり性的マイノリティの症状をもつことになるという説も言われている。性的マイノリティは必ずしも個人の嗜癖ということではなく胎内環境条件がよくないときに発症するのではないかと考えられるようになった。
 ここから分かることは、発達が停滞している時、あるいは後戻りしているように見える時に、心、体、頭の中で見えない大事な力が成熟しているということである。
 乳幼児期から児童時の発達過程、発達原理を整理してみると、階段を登るように順序よく進む領域がある。運動発達と言語発達の一部、文法の発達は順序が決まっている。しかし殆どは行きつ戻りつつ、螺旋状に進んでいく。行動の上では戻る、あるいは停滞するように見えるが、心、頭、体の中で大事な力が育っている。
 男の子は発達がゆっくりであるため、遺伝病に罹りやすかったり、環境ストレスにとても弱い。生存率からみた被損傷性の数値をみると、女性100とした場合に、男性になる受精卵は120と十分な数が着床する。出生直後に遺伝病に罹り流産してしまったり、母親が転んで流産してしまうため、誕生時に106に減少してしまう。その後も男の子は減り続ける。18歳段階で100対100と男女はほぼ同割合になる。その後も男性は減り続け、100歳段階で、女性5人に男性1人という状況となる。

乳幼児~児童期の発達過程と発達原理

 想像力の話に戻ると、見えない未来を思い描く材料となるものが五官を働かせた「直接体験」と「疑似体験」である。それら併せて「経験」と呼ぶ。経験が豊かであればあるほど、イメージの世界は豊かである。しかし、想像と経験は同じものではない。目の前の刺激から連想される断片的で不完全な経験を複合し、まとめあげる加工作用が起こる。
 想像は創造の泉のようなものである。子どもの前にカードを置いて「お話して」と頼んでみると、この経験の量で語り方がまるで違うことが分かる。
 2歳5カ月、3歳8カ月の女の子の典型的な語りを紹介する。2歳5カ月の女の子は「①うさタンピョンピョン。②イテェー、石、ころんだよ。③エーン、エーン、うさタン、えーん」と鳴き真似しながら語る。
 3歳8カ月になると、言葉も経験の量も急激に増えてくる。また、想像力が豊かになり、心理学でいう「表象作用」が発達するために、経験を取り出してまとまりのあるイメージを創るようになるので、この段階の子どもは長い語り、まとまりのある語りをするようになる。
「①うさこちゃんが、お月さま見ながら楽しくダンスしていました。②上ばかり見て踊っていたので、石ころに躓いて水たまりに尻もちをついてしまいました。③頭からずぶ濡れになった。うさこちゃんは泣いてしまいました」
 下線のところは、絵カードには描かれてはいないが、自分の経験を取り出して補い、3つの場面がうまく繋がるように語っていることが分かる。
 この語り遊びをいろいろな幼稚園や保育園で実験してみると、幼児期の語り方が2段階を経て変わることが分かった。
 第一段階は3歳頃。母語の文法を獲得し、うさこちゃんのお話のように、急にまとまった話が子どもたちの口から語られる。
 第二段階の変化は、5歳後半頃。「第二次認知革命」と呼ぶこの時期に「談話文法」が獲得される。談話文法は、談話や文章の時間的展開を構成する枠組みになるもので、特に絵本の読み聞かせ体験の多い子どもほど談話文法の獲得が早く、しかもしっかりしている。エピソード分析すると、起承転結構造が構成されるようになる。また、絵本の中で使われているような3度の繰り返しで、事件が解決するというような演出の語りを好んでするようになる。

母語の談話構造が言語習得に与える影響

 以前、スタンフォード大学の客員研究員をしていた時、バイリンガルの研究をしていた。母語の談話構造が、第二言語の英語習得に与える影響について、いろいろな母語を持つ子どもたちを観察し調査した。
 まず字のない絵本を理解してもらい、母語で語ってもらう。半年後に、今度は英語で語ってもらった。
 絵本は、最初の頁が男の子と犬がカエルを飼っている絵柄、次の頁はカエルが逃げた場面の絵柄である。ウラルアルタイ語系を母語に持つ、日本や韓国やモンゴルなどから来た子どもたちの語りは、次のような語り方になる。
「男の子と犬がベッドで眠っていた。そしてカエルがこっそり逃げだした」と言うように、「時系列因果律」で語るのが通例であった。
 一方、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、チェコスロバキア語、スウェーデン語、ファルシ語など、インド・ヨーロッパ系の言語を母語にもつ子どもたちは、日本や韓国の子どもとはまるで違う語り方であった。「男の子と犬が眠りこけていて、物音に気づかなかったからだ」といった「結論先行の因果律」で語っている。
 半年後の英語の使い方をみると、ウラルアルタイ語族の母語を持つ子どもたちは半年経っても自分からは英語を話さない。児童は補習クラスで英語の文法や読み書きを習っているものの、冠詞がつかない、時制がつかない、複数形が作れない、代名詞が使えない。まるで言語遅滞児のような単語文で話す。
 それに対してインド・ヨーロッパ語族を母語に持つ子どもたちは、保育室に入ったその日から母語単語混じりの英語で話すことができた。
 つまり、日本人の幼児、児童は出来事の説明において、時系列因果によるものが殆どで、会話のスタイルが受け身で、自分から話そうとしない。
 ところが英語の話者は、幼児も児童も結果先行の因果律を使って、論拠を説明する。会話のスタイルは自己主張が多く、よくお喋りする。
 幼児期からこれだけ違うということは、大人の会話も違ってくるのではないかと推測されたので、アメリカ人と日本人の大学院生を組み合わせて、短編アニメーション『トム&ジェリー』を視聴した後、アニメをめぐって会話をしてもらうという実験をした。
 すると、日本人は相手のうなずきを確認しながら文章を作っていく、「相手配慮関係調整型」の話し方をする。日本語の談話構造は、相手と調和、協調するための対話が起こりやすい構造をもっていることがよく分かった。
 アメリカ人の会話は「自己主張完結型」である。英語の談話構造は、相手と議論を戦わせるのに向いている特長をもっていて、ディベートのための談話構造を持っている。
 この実験から私は改めて日本語のすばらしさを実感した。つまり、日本語や日本文化、日本式の思考スタイルに接することで、人は平和主義になるのではないか、日本語は人を柔らかくする力を持っているのではないか。日本語が世界を席巻すれば、世界からテロや戦争がなくなるのではないかとすら思った。
 幼児期から児童期に掛けて育てたい力は、自己主張する力ではなく、対話力、相手の話を聴く力である。それも耳を門の中に閉じ込める聞き方(hear)ではなく、十四の心を込めて耳を澄ます聴き方(listen)で、相手の心の声を聴く力を育てたいものである。
 つまり相手の言葉が「聞こえる」のではなく、心を込めて耳をすます。そうすると相手の心の声が聴こえてくる。相手との関係に配慮し、相手への思いやりを持って会話を進める。これが幼児期から児童期の育てることが大事なことではないかと思う。そのためには親や保育者、そして小学校の先生方も子どもの声に耳を傾け、子どもの心の声に耳を澄ませて、心のうちを洞察するようにしていただきたいと思う。

日本人は時系列型、欧米人は結論先行型

 小学生に作文を書かせると、やはり同じ4コマ漫画でも、まるで違った書き方をする。「ケンタくんの一日」という4コマ漫画の作文を日本人が書くとこのような展開になる。「ケンタくんは遅くまでビデオ・ゲームで遊んでいて、朝寝坊しちゃって、慌ててバス亭にいった。おまけにバスを乗り間違えちゃったので球場に着いた時にはもう野球が始まっていて、ケンタくんは試合に出られませんでした。だからしょんぼりしています」。その後、日本の子どもは教訓を付けて、「だから、行事の前に夜更かしをしてはいけません」と時系列型で作文を書いた。
 それに対してアメリカの子どもはまず最後のコマに視線を走らせ、結論をまず最初にトピック文として書く。「ジョンにとってはとてもアンラッキーな1日でした。何故アンラッキーだったかというと・・・」という風に理由を説明し、最後のコマを結論として、「故に、ジョニーにとってはアンラッキーな1日だったのです」と、結論には、トピックセンテンスをそのままくり返すのである。
 結論先行の因果律を特徴とする、欧米型の談話スタイルを作り出す手段には、可逆的な操作が使われていると考えられる。
 スイスの発達心理学者ピアジェは、ファンタジーを再話させたところ、小学校の3年生くらいから、カットバック表現をちゃんと使って再話をするところから、可逆的な操作は、小学校の3年生くらい、7、8歳くらいから獲得されるのではないか、という論文を書いていた。
 この論文を読んで私は不思議に思った。日本の5歳児はファンタジーが大好きで、例えばセンダックの『かいじゅうたちのいるところ』とか、絵本作家かこさとしさんの科学絵本『むしばのミュータンスのぼうけん』などを好んで読む。これらの作品にはカットバックがたくさん使われている。つまり日本の子どもでも5歳の後半からカットバックの面白さが分かっていて、それを使えるのではないか。そこでピアジェよりも単純な課題を作って実験してみた。
「①まさおちゃん大きな石につまずいて転んでしまった。そして②血が出て泣いています」
というような時系列因果の課題、もう一つは「②まさおちゃんは怪我して泣いています。①だってさっき大きな石につまずいて転んでしまったからです」というように後から理由を説明してもらう結論先行型の課題である。
 ところが日本の子どもは結論先行型がどうしてもうまく作れない。日本の子どもは幼児期には可逆的操作は使えないかもしれないとあきらめかけたが、2歳の終わり頃から、子どもたちは「だって、だって」という言葉を使い始めることを思い出した。「だって」という表現をこの実験場面で思い出して、使ってもらおうと考え、もう一つ実験を行った。
 「だってさっき〇〇したから」とつなぎの言葉を入れると、後の出来事からお話しできるよ」と教示を与えたのち、3度だけ真似してもらう模倣訓練をすると、5歳後半過ぎの子は、全員が可逆的操作を使って繋げることが出来た。仮説を検証できたのである。
 欧米では年長組と小学校3年生まで、「朝の発表会< Show and Tell >」で、「言語技術(Language Arts)」の教育を行っている。言語技術の教育では、パラグラフの作り方、弁論術、ディベートの方法、結論先行型作文教育をやっている。
 ところが、通常の会話の殆どが時系列談話の日本や韓国では、このような教育はやっていない。これは問題だろうと、文科省から単元開発費を助成してもらい、小学校の先生方と一緒に、日本語版言語技術の教育単元、「論理科」という新しい単元を開発した。2020年の光村図書の小学校の国語教科書に1年生から6年生まで論理科を入れて頂いた。
 光村図書以外の教科書を使っている学校でも、普段の生活での会話、親との会話、保育者との会話、あるいは小学校の低学年での先生との会話で、少し気をつけることで、言語技術「論理科」を学ぶのと同じような効果をあげることができると思われる。
 それは大人は子どもの質問にすぐに回答を与えず、いっしょに考えることが肝心である。5歳すぎになった子どもは「なぜ?」とか「どうして?」と質問する「WHY質問期」に入る。親や保育者や教師は、このように子どもが質問したとき、すぐに答えを与えずに「どうしてなんだろうね」「なぜだと思う?」と返すと、子どもが対案を出してくる。その対案に対して「ああ、そうかもしれないね」「よく考えたね」と共感的に受け止めてあげれば、論拠や根拠をあげて説明する力が育つ。子どもの問いかけに対して、親や小学校の教師、それから幼稚園や保育園の先生は回答を与える人ではなく、子どもと一緒に考える人であってほしいというのが私の思いである。


Ⅱ.幼児期からの英語教育は必要か

楽しい会話で母語の土台をしっかり築く

論理力・記述力の欠如が指摘されている

 次に、いま日本で議論となっている英語教育と学力低下の問題について考えてみたい。OECD(経済協力開発機構)の国際学力比較調査「PISA」(15歳対象)、理数系の国際学力比較調査「TIMMS」(中2、小5対象)では、論理力・記述力の欠如が指摘されている。また日本人は数学に苦手意識を持っている子が多く、理科離れが進行している。
 文科省が毎年実施している全国学力・学習状況調査においても、暗記で応えられるA問題は8割方の得点率で問題がない。課題はB問題で必要とする活用力が不足している。覚えた知識や技能を使って思考し、表現する文章題を解く力が弱い。
 今年7月に発表された2018年度の全国学力・学習状況調査結果でも知識を身近な問題に活用したり、複数の情報を結びつけたりするのが苦手という傾向が小学校中学校を通じてみられる。国語は目的に応じて説明するのに慣れていないし、数学や算数はグラフの読み取りができない。多様な視点で考える力が不足している。表現する力をもっとつけなければならないが、理科でも解釈や記述が苦手である。
 上位は相変わらず石川県、秋田県、福井県。特に秋田県大館市は活用力日本一をずっと保っている。大館市に調査に行くと、ここには塾などはない。ただ、44年前から家庭での自主勉強に取り組んでいる。小学校1年生の入学式から白いノートを一冊与えられる。1年生はまだ文字が書けない。タンポポなんかを写生して持って行くと、担任がそれを見て、赤字でコメントを書く。「春を見つけたね、これからだんだん暖かくなるね」と、褒めて励まし、広げるような言葉をコメントに書く。
 担任が書く月間もあれば、お父さんお母さん、お爺ちゃんお婆ちゃんが書く月間もある。多様な視点で、褒めて励まし評価するという、3Hのコメントがノートに書かれている。
 これを中学3年まで続けるので、最後は「虫博士」のような立派なレポート(論文と言ってもよいような大作もある)に仕上がっていく。大館市では子どもが自分の好きな領域で好きなだけ学ぶという、自主学習の取り組みを確認できた。

保育園より幼稚園の方が学力が高いのか?

 2010年7月28日、この学力テストに関して文科省の幼稚園課が、保育園卒者と幼稚園卒者の成績を比較してみると、幼稚園卒者が保育所卒者よりも成績は高かった、幼児教育の大切さを検証した初の調査であると発表し、新聞各紙がこれを報じた。
 幼児教育の専門家として、私はこの報道に疑念を抱いた。特に当時東大教育学部で教育社会学を教えていた苅谷剛彦教授のコメント、「学力格差は経済格差を反映している。保育所に通う家庭の所得が低いためではないか」という文章を見て、「貧しければ学力が低い」という因果関係があるかのようなコメントに疑問を持った。私の疑問は、貧困と低学力の間には真の媒介要因が隠れているのに、それを検出しそこなっているのではないか、ということである。
 そんなことを考えていたとき、国から大きな研究費を頂き、私が拠点リーダーとなって10年に亘る調査研究を行った。日本、韓国、中国、ベトナム、モンゴルの大都市の幼児3、4、5歳児3000名に個別の臨床面接を行い、読み書き能力や語彙の力、知力の調査などを小学校になるまで追跡調査した。小学校の段階でPISA型学力テストを受けてもらった。この研究結果は『世界の子育て格差~貧困は超えられる~』(金子書房、2012)にまとめて発表した。
 2009年度、東京の3000名調査であるが、子育て世代の平均所得は691万円であった。それを境に、高所得層と低所得層に分類し、成績を比較してみた。71の平仮名文字を読む力、書く力、いずれも所得との間連が認められなかった。ただ、知能テストの代わりに会話語彙検査を実施したところ、語彙得点に所得差が出て来た。高所得の家庭の子どもの方が語彙の成績が高かった。
 語彙力と習いごとや塾との関係も調べてみた。確かに習いごとをしている子どもは、していない子どもと比べて成績が高い。ところが受験塾や英語塾など学習系の塾に通っている子どもと通っていない子どもの間には差がまったくなかった。つまり学習塾で習っている内容が問題ではなくて、習いごとをすることによって、いつも会っている大人とは違う大人と出会ったり、またいつもの遊び仲間とは違う仲間たちに出会ったりする。コミュニケーションが多様になるために語彙得点が高くなるのだろうと推測した。

自発的な自由遊びが子どもを伸ばす

 さらに、塾に行くことで落ちてしまう能力があることも分かった。それは運動能力である。2012年、杉原隆東京学芸大学教授らと学生たちが3、4、5歳児、全国9000名調査を行なった。体操教室、バレー教室、ダンス教室に通っている子や、体操の時間を設けている「ヨコミネ(横峰)式体操教室」の幼稚園や保育園に通園している子の運動能力は優位に低く、運動嫌いも多かった。全国の教室に行って調べて分かったのは、まず特定の部位を動かす同じ運動をトレーニングしている。やりたくなくてもやらされている。強制的にやらされている時の子どもは目が死んでいる。また、説明を聞き流している時間が多く、動きまわる時間が少なくなっている。
 5歳前半までは競争心を持つ段階ではないが、5歳後半過ぎから自分ができないと嫌になってしまう。そうすると運動嫌いになる。杉浦教授は自発的な自由遊びを大事にする、子ども中心の保育を提案している。
 私たちの国際比較追跡調査でも同じ結果が出ている。語彙得点を比べると幼稚園と保育園ではまったく差がない。一斉保育の幼稚園や保育園と比べて、子ども中心の保育、自由保育で、自由遊びの長い幼稚園、保育所に通っている子どもの語彙得点は高く、3歳よりも4歳、4歳よりも5歳と、その差はどんどん開いていく。ソウルも、ハノイも、ウランバートルも同じ結果であった。(ただし、上海の幼児教育施設は全てが保育所なので、幼稚園と保育所の比較はできない。)

児童期の英語学習と学力との関係

 さらに、英会話教室に通塾した効果と英語学力との関係を調査した。お茶の水女子大学附属中学の協力を得て、親の学力や家庭の年収、子どもへの教育期待など全部釣り合わせた上で、幼児期や小学校段階で、第一に英会話塾に通ったかどうか、第二に、英語圏の国に駐在した帰国子女かどうかという2点で英語既習組か英語未習組かに分けて、英語学力に違いがあるかを調べた。
 英語学力を測定するためのテストの構成は大学入試のセンター試験と同じ、ヒアリング2割、読解問題8割の構成である。その結果、1年生の1学期試験から、既習者と未習者では成績に差はなかったのである。既習、未習に関わらず家庭での学習習慣がない生徒は、英語だけではなく、数学も理科も国語も社会もどんどん成績が下がることが分かった。結論的に、英会話塾は成績には効果はなかった。
 次に海外留学や海外で暮らしたらどうか。海外に語学留学させた事例として、母親と3年間ニュージーランドに居住した兄と妹の事例がある。長男は小学校3年を終えて9~11歳をニュージーランドで過ごし、6年生で神戸の公立小学校に戻った。すぐに日本語の授業についていけた。英語も中学で発音が良いと褒められるほどだった。英語・数学は得意で、カリフォルニア大学バークレー校でコンピューターサイエンスを学び、現在米国系のIT企業で活躍している。
 一方、妹は2歳~4歳をニュージーランドのナーサリー(保育所)で過ごした。帰国後は、お友だちと公立の幼稚園に入園したが、全て日本人という環境の中では会話ができなくなっていた。小学校では、幼児期に、多少覚えた片言の英語(幼児語)もすっかり抜けてしまった。現在はアルゼンチンの芸術系の高校に留学中である。父親は「娘には本当にかわいそうなことをした。英語も日本語もスペイン語もすべて中途半端。スイッチにとても苦労しています」と話している。

児童期までは母語の土台をつくる

 他のデータを探してみると、トロント大学のジム・カミンズ(Jim Cummins)教授が、日本からトロントに移住した家族の子ども(幼児・児童・生徒)80名を10年間、追跡調査した結果を報告している。家庭では日本語を使っていたが、家庭での日常会話レベルでは、滞在年数が長くなると日本語力は低下する。一方、英会話力は何歳で移住しようが、1年半で現地並みになる。大人、子ども関係なく、早い人は3カ月ほどで適応できる人もいる。
 問題は学習言語力である。つまり、英語で考える力、英語読解力をみると、年齢によっても違うが、適応に平均8年半掛かる。最も早く適応するのは、小学校3年間を日本で学び、日本語の読み書きをしっかり身につけた上でトロントに移住した場合で、英語読解力偏差値は1年半で現地並みになる。次にキャッチアップが早いのは、1年8カ月で現地並みになるのは、6年間日本の小学校で学び、976字の教育漢字も習得し、論説文や理科や社会科などのレポートも作成できるようになった段階で中学から現地に行った子ども達である。幼児期に移住した子ども、あるいは現地で生まれた子どもは立ち上がりが結構早いが、現地並みになるには平均11年半もかかる。ということはこの子たちは授業に付いていけない。3年生になると、幼児期から現地に行った子ども達は算数を除いた他の教科は、学習困難児・遅滞児になってしまったのである。学業成績が一番高かったのは、中学から行った子ども達であった。
 言語心理学者のカミンズ博士は、かつては、インド・ヨーロッパ語族同士の二言語バランス説を提唱していた。2言語(例えば英語とスペイン語)は別々の袋に入る。文法や語順がまったく同じなので、スイッチの切り替え装置としては文法を使うので、スイッチの切り替えがスムーズにいくため、両方の言語はバランスよく習得でき、同じくらい上手に使えるようになるというモデルである。
 ところが、日本や韓国の子どもは、二言語バランス説モデルでは上手く説明がつかないということで、「二言語共有説(氷山説)」を考えた。表層面は、発音も文法も表記面も違うが、表面の下は共通である。つまり共有面では論理的に分析し、類推・比較し、まとめるといった抽象的思考力に加えて、文章構造や文章の流れをつかむメタ言語能力は深層で共通している。従って、まず日本語でしっかり母語の土台を耕した上で第二言語を習得すれば、中学からで十分間に合うという考え方である。
 2020年度から、小学3年生から英語教育が始まる。教科書も指導書も非常にお粗末なもので、教員が配置できない小学校もたくさんあるという状況である。
 言語習得過程を考えると、小学校では国語、算数、科学教育や食育などに力を入れることが大事である。このような学習を通して母語の土台をしっかり耕すことである。ですから英語の読み書きをさせることで英語嫌いを作らないようにして欲しい。小学校の先生が下手な発音で英語を話さないで頂きたい。むしろ小学校3年生から導入される英語活動では、グローバル意識(地球市民意識)を育てる時間、国際理解教育の時間にしていただきたい。肌の色、言葉が違っても人間に優劣はないという、地球市民意識を育て、将来は世界の人々と連携協働できる意識を育てるために、英語を初めとする他のいろいろな外国語(中国語や韓国語なども)にふれる時間にしていただきたいと願っている。
 現在中学や高校で行われている会話中心の授業(communicative approach)も問題がある。一部の英会話ができる生徒だけを相手にした英会話ごっこは、英語嫌いをつくり出している。また中学や高校の教室で行われている英会話ごっこは現地に行ったら全然役に立たない。もっと読解、文法、語彙、作文、それに加えて言語の文化的な背景もしっかりと学ぶ必要がある。中学、高校、大学という長期的な視点に立って、中学校や高等学校の英語教育全体を見直す必要があるのではないかと私は考える。


Ⅲ.創造的想像力を育む

(1)共有型しつけのススメ

早期教育教材の弊害

 米国ペンシルベニアで1800名の満期出産で生まれた健康な赤ちゃんを6年間追跡調査した結果が小児医学雑誌に紹介された。1800名のうち、500名ほどの赤ちゃんがどんどん言語発達が遅れ、知能発達も遅れていった。
 一体、この子たちに何が起こったのか。その原因を明らかにするために、0歳から1歳ごろの生活時間をメタ分析したところ、言語、知能発達が遅れてしまった子ども達は、生後6カ月から18カ月まで毎日、1日に1時間以上も「ベイビーバッハ」や「ベイビーアインシュタイン」という早期教育のビデオ教材を視聴させられていたことが分かった。
 この論文を書いた小児神経医のChristakisは、ニルスという脳活動を可視化する装置を使って子どもたちの脳活動を調べてみたら、言語や知能が遅れてしまった子ども達の「言語野<ウェルニッケ野>」(耳の後ろのあたりにある左側頭部にある言語理解を司る言語野)が萎縮してしまっていることが分かった。大人が子どものために導入した早期教育の教材が、脳萎縮まで引き起こしてしまったわけである。
 この論文を読んだ、「ベイビーバッハ」や「ベイビーアインシュタイン」を販売しているウォルト・ディズニー社の社長は、全て商品を回収して返金したということである。日本でも販売されていて、生後6カ月から10カ月間もこの語学教材のDVDを見せられていた。3年前から日本でも販売中止となった。
 もう一つ、フラッシュカードを使った教育、ドット・パターンの早期教育も非常に危険である。特に問題なのはスマホ育児である。1998年にポケモンの痙攣発作事件をきっかけに、厚労省とNHKが、乳幼児に見せてもいいアニメーションの演出の仕方についてのガイドラインを策定した。スマホで使われているアプリ「鬼がきた」など、厚労省のガイドラインに抵触する悪い演出・フラッシュ刺激の頻発などが複数使われている。特に音刺激が問題で、赤ちゃんの耳には届かない低周波の音が合成音で仕組まれている。ゲーム音にあるピコピコという音は非常に耳障りな音で、赤ちゃんの耳には届かない。なぜかと言うと、赤ちゃんは1万ヘルツ以上でないとキャッチできないので、耳には届かないが、赤ちゃんの体には不快感と不安感が湧き上がる。赤ちゃんは一時黙るけれど、脳梗塞のような状態に陥ってしまっているのである。0歳代からこのような刺激に長時間暴露され続けると脳萎縮(特に言語野の萎縮)につながる可能性がある。脳への深刻な悪影響を防止するために、小児神経医学会では4年前から「スマホに子守りをさせないで」というキャッチコピーでキャンペーンを始めている。

しつけのスタイルと語彙力との関連

 しつけのスタイルと語彙の間にも関連があることが分かってきた。共有型しつけを受けている子は語彙得点が高い。一方、強制型しつけを受けている子は語彙得点が低い。語彙力に影響を与える強い要因を調べてみたところ、親子の触れ合いを大切に、子どもと楽しい経験を共有したいと思っているご家庭で、リテラシー得点・語彙得点ともに高くなるという関連性が検出できた。
 強制型しつけというのは、できるだけ親の言う通りに育てようとする。すべきことをするまで何度でも事細かに説明する。言いつけた通りに従わせる。悪いことをしたら罰を与え、殴ることもしつけの一環としてやってもかまわない。このような強制型しつけは子どもを萎縮させてしまう。特に高所得層の子どもに悪影響が出やすい。
 小学校になってからPISA型学力テストを受けてもらうと、幼児期の絵本体験が豊かで語彙が豊富な子ども、造形遊び・ブロック遊びが多く指先が器用な子どものPISA型学力は高くなる。
 また、幼児期に共有型しつけを受けた子ども、遊びを大事にする子ども中心の保育の幼稚園や保育所で育った子どもはPISA型学力が高くなる。これはソウルでもハノイでも同じような結果が出ている。ソウルと東京のデータは非常に似通っている。同じ子どもを追跡して得られた結果であるから、相関関係ではなく、因果関係が検出されたのである。
 改めて「保育園卒児より幼稚園卒児の方が学力が高い」とした2010年7月28日の文科省から出されたマスコミ発表は本当に正しいのであろうか。国立教育政策研究所から学力テストの成績を取り寄せてみたところ幼稚園卒者か保育園卒者かで学力の違いはなかった。この発表は、移動官職からなされたもので多分に戦略的な発言だったのではないかと思われる。2010年という年は、幼保連携型認定こども園の構想が発表された年である。厚労省か文科省か、管轄を巡って両者の綱引きがあった。多分に戦略的な発言であったと言わざるを得ない。

「共有型」と「強制型」の子どもの育ち方

 幼児期に保育者も親も子どもの主体性を大事にした関わり方をしているかが問題であると考えられる。では、共有型しつけと強制型しつけでは何が違うのか。東京都内で、年収900万円以上の高所得層で、母親が四大卒あるいは大学院を修了した高学歴の専業主婦の家庭200世帯を抽出し、しつけ調査を行った。
 家庭の雰囲気はそっくりであるが、しつけスタイルの違う母子を抽出した。強制型しつけ30組と共有型のしつけ30組を抽出して合計、60軒を抽出。一軒一軒家庭訪問して、親子の会話を観察録画した。
 ブロックパズルの解決場面での母子のやりとりや絵本の読み聞かせ場面での母子のやりとりを観察録画した。まず共有型しつけでは、洗練コードで話していることが分かった。洗練コードとは提案型で論拠を伴う話し方である。「靴下はいたら?。その方が足が冷たくなくていいんじゃない」というような話し方である。
 強制型しつけは禁止や命令で子どもを動かそうとする。「靴下、はきなさい」「靴下、はかない子はダメ」というような言い方である。
 共有型しつけは 考える余地を与え、援助的サポートが多い。子どもに敏感で、子どもにあわせて柔軟に調整する。3Hの言葉、「ほめる・はげます・(子どもの視野を)ひろげる」の言葉かけがとても多い。子どもは楽しそうに母親を独占して遊んでいる。
 一方、強制型しつけは、考える余地を与えない。指示的・トップダウン的な介入が多い。例えば、数学の大学院を修了したお母さんが4歳の息子に向かって、「ほら、線対称に並べなさい。線対称に」と命令し、過度に介入する。
 絵本を読み終わると、母親は「今のお話を思い出して話してごらん」と子どもをテストする。子どもが間違えると、「ここ読んでごらん」と子どもに読み上げさせ、「ホラ!違うでしょう。ママのいうことを本当に聞いてないんだもん。〔お話の記憶〕、小学校の受験のテストに出るわよ」などと子どもを威嚇するのである。
 強制型しつけの母親たちからは3Hの言葉は一回も出なかった。そこで、子どもは指示待ち族のように、母親の顔色を窺いながら遊んでいるという感じで、ちっとも楽しそうではなかった。

(2)子どもの主体的な遊びを大切に

子どもは遊びを通して楽習する

 この子たちが大人になったらどんな違いが表れてくるのか知りたくなり、Web調査をした。23歳から28歳までの息子や娘を2人ないし3人育てた家庭を首都圏で2000世帯抽出し、Web調査に回答して頂いた。受験偏差値68以上の難関大学、難関学部の出身者を息子や娘に持つ家庭であり、さらに、息子や娘の職業欄をチェックし、弁護士、検事、外交官、医者など国家試験の中では最難関試験を合格しないと就けない仕事に息子や娘が就いている家庭を「難関突破組」とした。
 その結果、「難関突破組」の親は幼児期に思いっきり子どもを遊ばせたことがわかった。一緒に絵本の読み聞かせをたっぷりするなど遊びの時間を子どもと一緒に過ごす。だから今も息子や娘は活字の本が好きである。そして子どもの趣味や好きなことに集中して取り組ませた。これら三つのことを意識して取り組んでいたことが分かった。
 もう一つは、子育てスタイルとして共有型しつけがとても多いことも分かった。ただ。強制型しつけでも結構成功組がいる。これは気質との関連がある。やはり図鑑型気質の子は人の評価とは関係ないから、お母さんから褒められようが、とにかくその課題が面白くてやるので成功することもあるのであろう。
 結論として、子どもは遊びを通して楽習する。遊びとは、仕事に対立する概念ではない。また、「怠けること」を意味するものでもない。幼児にとっての「遊び」とは「自発的な活動」であり、頭(海馬や扁桃体)が活き活きと働いている状態を指している。漢字学者の白川静さんは「遊」の語源は、「絶対の自由と創造の世界のこと」と定義している。
 今度の新学習指導要領の目玉は学びの質の改善を目指すところにある。何を学ぶかではなく、どのように学ぶかという視点が取り入れられた。子どもが主体的・能動的に授業に参加するアクティブ・ラーニングが目玉に掲げられた。自発的な遊びを大切に、プレイフル・アクティブ・ラーニングを通して子どもは伸びるということである。
 「50の文字を覚えるよりも100のなんだろ?育てたい」。私が29年前にベネッセの「こどもチャレンジ」を監修するようになって、しまじろうパペットを作った時に作ったコピーである。自分から本当にやろうとしないと自分の力にはならない。自分で関心を持てば、あっという間に習得してしまう。肝心なのは文字が書けるかどうかではなく、文字で表現したくなるような内面の育ちである。
 自律的思考力やPISA型学力の基盤力になる創造的想像力を育てることが乳幼児期、あるいは児童期の発達課題ではないかと考える。

子どもの創造的想像力を育むために

 子どもの創造的想像力を育む共有型しつけとは一言で言えば、「頭はいつも先回り・援助は後からついていけ」ということである。
 子どもに寄り添う。安全基地になる。その子自身の進歩を認め褒める。他の子とは比べない。3Hの言葉、「ほめる・はげます・(視野を)ひろげる」言葉をかける。生き字引のように余すところなく定義や解説、回答を与えない。裁判官のように判決を下さない。禁止や命令ではなく提案の形の話し方をする。「~したら」と言ったら、「僕、したくない」と否定や反論することができるのがいい。一番大事なのは、子ども自身が考え、判断する余地を残すことである。このようなしつけを通して、自律的思考力や創造的想像力が育まれていくと考える。
 まず子どもの心の声を聞いてあげて頂きたい。そうすると子どもの躓きを見抜く洞察力が湧いてくる。子どもの考えが先に進むための足場、躾ホールディングと呼ぶ、足場をかけてあげることができる。上手い足場をかけてあげれば、4歳、5歳の幼い子どもであっても科学者が辿ると同じような仮説検証のプロセスを自力で進むことが出来るという、エピソードを紹介したい。

祖父と孫との応答

 秋田大学の学長で、理科教育の教授の渡辺万次郎さんが、5歳と4歳のお孫さんと郊外に散歩に出かけたときのことを、『理科の教育』という雑誌に発表されている。
 「私はかつて幼稚園の二児を近郊に伴った。彼らは『みやこぐさ』」の花に注意を引かれたが、その名を問うほかに能がなかった。当時、私どもの菜園には、同じ豆科の『えんどう』の花が咲いていたので、私は名を教えるかわりに、その花を持って帰り、おうちでそれによく似た花を見出すようにと指導した。
 彼らが帰宅後、両者の類似を見出した時には、小さいながらも自力に基づく新発見の喜びに燃えた。やがて一人は『みやこぐさ』について、『これにもお豆がなるの?』と尋ねた。それは誰にも教えられない、独創的な質問であった。」
 花の類似から類推を働かせて、花の形がよく似ている、エンドウは花が咲いたあと豆がなる。じゃ、これにもお豆がなるのかな。凄い質問だからこそすぐに応えず、代わりに足場をかけた。
 「私はそれにも答えず、次の日曜に彼らに現場で確かめることを提案した。
 次の日曜に彼らがそこに小さな『お豆』を見出したとき、そこには自分の推理が当たった喜びがあった。
 秋がきた。庭には萩の花が咲いた。彼らは萩にも豆のなることを予測した。彼らは過去の経験から、いかなる花に豆がなるかを自主的に知り、その推論を独創的に、まだ見ぬ世界に及ぼしたのである」。

子育てのアドバイスとして

 子育てのアドバイスとして、絵本、文学作品の読み聞かせ、親子で図書館通い、家族での団欒、親子の会話をしてほしい。子どもは大人と対等な人格を持つ存在だというつもりで子どもと付き合うことが大切である。
 子どもと一緒にいられる時間はとても短い。子どもと楽しい時間や経験を共有する、共有型しつけを薦めたい。このような生活課題の中で、子どもの葛藤や躓きを見抜く洞察力が湧いてくる。さらに子どもの考えが先に進むための足場をかけてあげることができる。
 星の王子様が地球に着いた時、小さなキツネが言った言葉がある。「この世で一番大切なものは目に見えないんだよ」。この目に見えないものを見る力、創造的想像力を育むことが発達課題である。私たち大人にとっても、豊かな創造的想像力を持つことが大事である。

(本稿は、2018年9月6日に開催した「21世紀ビジョンの会」における発題内容をまとめたものである。)

政策オピニオン
内田 伸子 お茶の水女子大学名誉教授、十文字学園女子大学特任教授
著者プロフィール
群馬県生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒、同大学院人文科学研究科修士課程修了。一橋大学社会学部助手、お茶の水女子大学文教育学部助教授、教授、副学長などを務める。現在、お茶の水女子大学名誉教授、十文字学園女子大学特任教授、筑波大学常勤監事。学術博士。専攻は発達心理学、認知心理学。著書に『言語発達心理学』(編著)、『子どもの文章:書くこと考えること』『幼児心理学への招待–子どもの世界づくり』『子育てに「もう遅い」はありません』他。

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