はじめに
我が国では児童虐待が深刻な社会問題となっている。全国の児童相談所における虐待対応件数は過去20年で膨れ上がり、1990年度の1101件から2018年度には13万3000件となった。
それにともない、児童虐待対策も拡充されてはきた。児童虐待防止法や児童福祉法が毎年のように改正されるなど、緻密な児童虐待対策が整備されてはきた。しかし、依然として悲惨な死亡事件が後を絶たない。
虐待対策を真に有効なものにするためには、虐待の発生予防、介入後の家族再統合支援、児童相談所の体制強化に取り組む必要がある。この三つの課題に社会全体をあげて取り組み、十分な資金を投入することが悲惨な事件根絶の一助となるであろう。以下では上記の三つの課題について、現状と取り組むべき方向を検討していく。
1.虐待発生予防のために
母子保健制度の役割
有効な児童虐待対策を整備するための第一の課題は、虐待の発生を予防できる制度を整えることである。
虐待は早期の対処が肝要であり、妊娠期からのサポートが効果的である。
そこで本来重要な役目を果たすのが母子保健制度である。市町村の母子保健部局は特に支援が必要な妊婦(特定妊婦)や子供を把握し、支援によって虐待の発生予防や早期対応を行うことを期待されている。
また、我が国では虐待死に占める0歳児の割合が高く、特定妊婦への支援は虐待死の防止に直結する。国の社会保障審議会児童部会が出した第14次報告(注1)によれば、平成28年度に発生・表面化した心中を除く虐待による全死亡児童数は49人であった。そのうち0歳児が65.3%を占め、全体の33%が生後0か月児であった。さらに、生まれてすぐ命を絶たれた0日児は全体の21%にのぼった。妊娠期から子供を肯定的に受け止められない母親が苦しみながら出産に至り、子供の虐待死につながっていると推測される。このような背景から、母子保健部門は妊産婦・子供の支援に大きな役割を負っている。
現行の母子支援の課題
しかし、母子保健部門はすべての特定妊婦や支援を必要とする子供を把握できているわけではない。現行の母子保健制度による支援は、検診のように条件に当てはまる全ての妊産婦・子供を対象にしたポピュレーションアプローチをとっている。検診により広く妊産婦・子供の状況を把握し、ハイリスクなケースが発見されれば市町村の児童家庭相談窓口や児童相談所に情報提供を行っている(ハイリスクアプローチ)。
ポピュレーションアプローチに基づいた手法は、支援が必要な事案を早期に発見できるという強みがあるが、これだけでは、本当に支援を必要とする親子が支援の手から漏れる可能性が高い。母子保健制度や少子化対策として整備された様々な育児支援サービスは申請主義をとっており、支援を受ける本人の能動的行動を必要とするからである。
支援から漏れる最たる例が飛び込み出産と呼ばれるケースである。飛び込み出産のケースでは、多くの場合、母親が妊娠届を出しておらず、母子健康手帳も持っていない。そして、妊産婦検診も受けていない。このような場合は市町村の母子保健部門が関与することが難しい。また、親が子育てに対する自信を喪失していると、心理的に自分からサービスにアクセスすることができない場合が多い。結果として、支援を受けられずに虐待に至ってしまう場合がある。このように自主的な行動を必要とする支援形態だけでは、早期支援が必要な親子に手が届かない場合がある。
アウトリーチ型の支援
それゆえ、今後は訪問などのアウトリーチ型の支援を強化したり、特定妊婦や支援を必要とする子供の情報が母子保健部門に集まる仕組みをつくったりする必要がある。平成28年度の児童福祉法改正でも、要支援児童や特定妊婦に関する情報提供について定めている。この法改正により医療機関や施設、学校等は要支援児童等と思われる者を把握した場合に当該者の情報を現在地の市町村に提供する努力義務が課せられるようになった。
しかし、発生予防の取り組みは緒についたばかりであり、現場での仕組みや実践に反映されるのはこれからである。
以上のように、従来の虐待対策は事後対策が中心であり、発生予防の取り組みは今後の課題である。
2.家族再統合支援
児童虐待対策の第二の課題は家族再統合支援の精緻化である。親子分離された事案への支援の最終的な目標は、パーマネンシー(恒久的な家庭環境で育てられること)保障の理念から、子供が安心して家族のもとに戻れる状況を作り出すことである。しかし、残念ながら我が国では家族再統合支援は立ち遅れており、様々な問題が発生している。
家族再統合支援とは
有効な家族再統合支援は、親子分離から子供の家庭復帰までを一貫して扱う段階的な親子関係修復過程であり、四つの要素からなっている。
一つ目の要素は虐待の告知とケア受講の勧奨である。虐待によって歪んだ親子関係を修復するためには、まず親に虐待を自覚させる必要がある。親は良かれと思っていても子供が深く傷ついているなら虐待であること、虐待を行っているとの認識がない限り子供の保護は解除できないことを伝える必要がある。同時に、子供を帰宅させる条件として、児童相談所の支援(ケア)を受けて親としてとるべき態度を身につけるよう促す必要がある。
二つ目の要素は親自身の生活課題改善のためのソーシャルワークを実施することである。虐待は親が生きづらさを抱える中で常態化・構造化する。親の生活課題改善は全プロセスを通じて実施する必要がある。
再接触プログラムの整備
三つ目の要素は家族再接触プログラムの実施である。家族再接触プログラムは我が国でも伝統的に取り組まれてきた。段階的に親子を引き合わせ、関係の修復を確認するためのプログラムである。子供が施設に入った当初は親の面会を控えてもらい、双方の様子を見ながら短時間の面会を認める。徐々に面会時間を延ばし、親子で過ごす時間を増やしていく。上手くいけば試験的に家庭に帰してみる。徐々に家庭に帰す時間と頻度を増やしていく。このように段階的に家族が再接触できるような取り組みをしていくことが重要である。
四つ目の要素は家族再統合支援の具体的プログラムである。このようなプログラムは、親の子供への間違った態度や歪んだ親子関係を修正したりするためのもので、具体的にはサインズ・オブ・セーフティ・アプローチやコモンセンス・ペアレンティングといった専門的プログラムが開発されている。さらに、虐待する親の中には、自らの幼少期における被虐待体験や困難な生活課題等に起因した深刻な精神病理を持つ者も少なくない。このため、必要に応じてカウンセリングや薬物療法等の精神・心理的な治療を行っていく必要がある。
このような四つの要素を備えた時、家族再統合支援は効果的な支援となる。
再統合支援が困難な三つの要因
虐待対応においては、上記のような要素を備えた家族再統合支援が望まれる。しかし、我が国における家族再統合支援は低調である。
主な実施主体である児童相談所は三つの制約要因から十分な家族再統合支援を提供できていない。一つ目は体制的要因である。家族再統合支援は児童相談所が関係諸機関と連携しながら担当することになる。しかし、児童相談所の体制は極めて脆弱であり、連日入ってくる虐待通告への初期対応に振り回されている。そのため、とりあえず命の危険を回避するために子供を施設に入れることに追われ、家族再統合まで意識も手も回らないという現実がある。
二つ目は技術的要因である。家族再統合の必要性は強調されていても、どのように実践すれば家族再統合にいたるのか、方法論が確立していない。前述した専門的プログラムが開発されてはいるが、余力がないことから、山本らによれば、導入している児童相談所は13.6%に過ぎない(注2)。
三つ目は制度的要因である。我が国の児童相談所は介入と支援という矛盾する機能を担っており、簡単には親との信頼関係を築くことができない。
例えば、子供の安全確認の際に行われる立ち入り調査や臨検捜索は児童相談所と親の対立を深めることになりかねない。特に臨検捜索では、児童相談所の職員が裁判官の許可のもとに窓ガラスを破ったり、ドアチェーンを切ったりして強行突入し、子供の安全確認・一時保護を行う。臨検捜索を経験した親からすれば、児童相談所に敵対的な感情を持つのはある意味自然なことである。また、一時保護は親権者等の意に反しても可能とされているが、わが子を奪われたと思う親が児童相談所に恨みや反感をもつのも至極当然のことである。そのため、児童相談所がともに問題解決の道筋を探すことを提案しても、介入された親は受け入れない場合が多い。2019年6月には児童福祉法改正により、児童相談所内で介入部門と支援部門が分けられたが、親からすれば憎い児童相談所であることに変わりはなく、実効性に乏しいままである。
このように、多くの児童相談所は三つの制約要因から有効な家族再統合支援を提供できていない。
保護後の適切でない対応
その結果、子供を保護した後に適切ではない対応が行われる場合がある。こうした事例には二つのパターンがある。一つ目のパターンは、子供が先の見通しのないまま長期間の施設生活を余儀なくされているというものである。体制的要因と関連して、子供を施設に入れただけで後の対応に手が回らなくなってしまう場合がある。
二つ目のパターンは、家庭復帰に際しての明確な基準の欠如から、子供の帰宅後の安全確保に支障が出ることである。子供の年齢が高くなると、自力で身を守ったり逃げたりできるであろうという安易な判断を下して帰宅させてしまう場合がある。結果として虐待が再発してしまい、最悪の場合は子供が命を落とすという事案も発生している。
また、児童相談所の職員が親に拒まれて子供の状況を確認できなくなる事案も少なくない。乳児院について調べた前述の山本らによる調査によれば、平成21年度中に家庭引き取りとなった子供は303人であった。そのうち、翌22年11月までに虐待が再発した事例が12.5%、新生活順調群が36%であった。問題は子供の状況が「わからない」というグループが51.2%を占めていたことである。子供が帰宅してしまえば児童相談所の言うことを聞かなくなる親もいる。子供を家庭に返す時、安全確認のための訪問を受け入れることを条件とし、もしこれが守られていないときには再度子供の保護も検討することをはっきりと親に伝える必要がある。
このように、我が国では有効な家族再統合支援が十分に実施できていない。保護された子供にとって最善の結果が得られているとは言えない状況である。
3.児童相談所の体制強化
諸外国に比べても脆弱
我が国の児童虐待対策における第三の課題は、脆弱な児童相談所の体制を強化することである。
我が国の児童相談所は特に人材面で脆弱さを抱えており、職員一人ひとりの負担が大きい。2014年時点のカナダやアメリカなど、他国におけるソーシャルワーカー一人当たりの担当件数を見てみると、20件前後が一般的である(注3)。これに対して例えば大阪府では当時1人あたり107件、虐待だけでも37件を担当していた。国によって事情が異なるので単純な比較はできないが、日本の担当件数は格段に多い。
また、カナダやアメリカなどでは司法が子供の一時保護や親のケア受講を命令することで福祉をバックアップするが、日本ではほとんどない。そのため、1件当たりの業務量も日本の方が多いと推測される。
このように、人材が足りず司法との連携も弱いことが有効な対策を実施する妨げとなっている。
国による体制強化案
上記のような児童相談所の深刻な人材不足を受け、国も対策に乗り出している。
まず、平成28年度の児童福祉法改正により児童相談所には二つの強化が施されることになった。一つ目は様々な専門性を備えた人材を確保することである。児童福祉法改正により、児童福祉司の業務をサポートする弁護士・医師・保健師の配置が法定化された。また児童福祉司への指導・教育を担当するスーパーバイザーの配置も規定されており、児童福祉司6人につき1人のスーパーバイザーを配置することになっている。スーパーバイザーは児童福祉司として5年以上の実務経験がある人材を充てることになっており、児童福祉司の能力底上げも図られている。
二つ目は児童福祉司の増員である。まず政令改正により、児童福祉司の配置基準が変更された。従来は人口10万人から13万人に1人の割合だったところを、法改正によって平成31年度4月より人口4万人に1人になるように変更された。平成28年の改正では、この政令を標準として、都道府県が条例で実際の配置基準を定めるとともに、人口に対する割合に加えて相談対応件数も配置基準の要素として考慮されることになった。
その後、平成30年に東京都目黒区と千葉県野田市で悲惨な女児虐待死亡事件などが発生すると、国を挙げてさらなる体制強化に取り組むこととなった。国は児童虐待防止対策に関する関係府省庁連絡会議を立ち上げ、児童福祉司の大幅な増員を発表した。児童福祉司は2019年から2022年にかけて2020人増員されることになっている。スーパーバイザーも2017年度の1360人から2150人に増員することが決められた。さらに児童福祉司の配置基準も4万人に1人から3万人に1人へと変更され、1人当たりの担当件数も平均50件から40件に減らすこととなった。
以上のように、特に人材面から児童相談所の体制強化が進められている。
しかし、国の出した人材育成策には課題もある。
短期間での人材確保が可能か
例えば、4年間で十分な専門性を備えた児童福祉司を2000人以上も育成・確保できるかという点である。児相が苛烈な職場であることは多くの関係者の知るところであり、児相を希望する人は少なくなっている。このため自治体間で職員の奪い合いになることは必至である。また、大量に配属されてくる新人の育成をどうするのか。ベテランの職員が新人の教育に追われる結果、虐待対応が後回しになるようであれば本末転倒である。
求められる専門性
そして最も懸念されるのは、専門性をもった職員の確保である。現行の緩やかな児童福祉司の任用資格要件の下では、一般行政職が任用され、2~3年で別の部署に異動していく例も少なくないが、論外である。また、虐待対応には、強制的介入と厳格なリスクアセスメント、介入と支援の統合機能が専門性を構成する根幹であり、従来の寄り添い型のソーシャルワークとは異なる専門性が必要となる。児童福祉司に社会福祉士を任用する自治体が増え、児童福祉司全体の約4割が社会福祉士資格を有するに至っているが、虐待死事案は減少していない。専門性の本質が異なるのである。ちなみに、国家試験における試験科目は19科目に及ぶが、児童家庭福祉に関する科目は1科目のみであり、しかも、虐待対応に関する技術的な内容は含まれていない。これでは、社会福祉士を任用しても即戦力にはならない。虐待対応に係る専門家を育成するには膨大な科目群と演習、実習が必要であり、独自のカリキュラム体系を構築する必要があるが、タイトになっている今の社会福祉士養成カリキュラムに、虐待対応に特化した膨大な科目群を追加する余地は到底ない。任用後、研修を受講させればよいとの意見もあるが、短期間の研修で済ませられるほど虐待対応に求められる専門性は軽いものではない。令和元年の改正児童福祉法の附則において、児童福祉司等の資格の在り方を含めた資質向上方策の検討規定が設けられたが、児童福祉司の国家資格化を図るとともに、人材育成・確保に向けたロードマップを早急に国は描出すべきである。
おわりに
我が国では児童虐待が深刻な社会問題と認知され、対策の強化が叫ばれるようになった。対策の主な課題は、虐待の発生予防、親子分離後の家族再統合支援、児童相談所の実施体制強化ということができよう。
上記三つの課題に加えて最後に強調したいのは、児童虐待対策における抜本的資金投入の必要性である。我が国の社会支出総額114兆円に占める子供・家族関係の支出は6兆円、5.3%にすぎない。支出の半分を占める高齢化対策と比べるとあまりにも低い水準である。
虐待によって子供自身が失う利益や医療費、生活保護の増大などの社会的コストについて推計した研究(注4)では、児童養護施設の運営費、虐待により死亡したため得られなくなった将来の収入(逸失利益)、トラウマ(心的外傷)の治療に必要な医療費、教育機会を奪われたことによる生産性の低下、離婚や犯罪、生活保護費の増加など、児童虐待に係る社会的コスト(損失)は年額約1.6兆円にのぼることがわかった。これは東日本大震災における福島県湾岸部の被害額約1.9兆円に迫る額である。しかし、虐待対策に係る国の年間予算は912億円に過ぎない。欧米各国では、子供虐待について将来に及ぶ社会的コストとして分析し、がんや生活習慣病と同様の規模で対策が講じられているという。
虐待対策の必要性は子供の権利を守るという倫理的な側面から強調されてきた。もちろんそれは正しい。加えて、こういった社会的コストの観点から、今必要な資金を虐待対策に大胆に投入しておかないと将来納税者の負担となって返ってくることを認識すべきである。虐待対策は一部のかわいそうな子供たちに温情で施すために行うことではなく、誰もが当事者として本気で取り組むべき社会的な懸案なのである。そうした観点から国民的な議論を行う時期にきているのではないだろうか。
注1:社会保障審議会児童部会児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会第14次報告書(2018)
注2:山本恒雄他「保護者援助手法の効果、妥当性、評価、適応に関する実証的研究2」日本子ども家庭総合研究所紀要第47集(平成22年度)
注3:才村純他(2014)「児童相談所の海外の動向を含めた実施体制のあり方」(厚生労働科学分担研究)
注4:Ichiro Wada, Ataru Igarashi(2014) The social costs of child abuse in Japan, Children and Youth Service Review,46,72-77.
(本稿は、2019年7月4日に開催された政策研究会における発題内容を整理してまとめたものである)