道徳性育成とより良い社会創りのための道徳教育 ―人格教育における実践からの示唆―

道徳性育成とより良い社会創りのための道徳教育 ―人格教育における実践からの示唆―

2024年4月18日
従来の道徳からの変化が見えにくい

 道徳が教科化されて、小学校で6年、中学校では5年が経過した。平成29年度に学習指導要領が実施され、道徳教育は大きく変わるはずであった。しかし、現状はあまり変わっていないというのが私の実感である。
 従来の道徳授業は、「形骸化している」「実効性に乏しい」と言われてきた。そこで、教科化によって道徳授業の実効性を向上させることが期待されていた。しかし、従来の道徳からの変化が見えにくいというのが現状であろう。私は道徳授業の指導法や評価に課題があると考えている。
 教科化の議論の際、私も中央教育審議会や学習指導要領作成の過程に関わる機会があった。この時に大きなトピックになったのが、指導法の改善である。従来の「読み取る道徳」から「考え議論する道徳」への質的転換が図られた。「読み取る道徳」だけでは、良い話を聞いて、登場人物の気持ちを理解するだけで終わりがちで、行為や習慣につながりにくい。そこで道徳を教科化することで子どもたちが授業で学んだことをしっかりと身に付け、実践に結びつくことを期待したわけである。
 例えば、従来の道徳授業では、登場人物の気持ちを理解して、「思いやり」や「正義」が大事であると結論づける。そんなことは、子どもたちも既に分かり切っていることであり、そうしたい気持ちもあるが、実際は行動しないというところに問題がある。子どもの頭と心と体が分離した状態に陥っているのである。
 こうした状況を変えるため、文部科学省の担当者と「考え、議論する道徳」を打ち出して、問題解決的な学習や体験的な学習を取り入れ、改善・充実を目指していった。この「考え、議論する道徳」を日本で実現するために、アメリカをはじめ海外で実践されている人格教育(Character Education)が参考になるだろう。

人格に三つの側面

 そもそも日本の教育は、どのような人格を育てようとしているのか。教育基本法によれば、教育の目的は「人格の完成」である。その「人格」とは何かが問われることになる。日本では人格というと、「人格者」「高潔な人格」といった言葉に象徴されるように、「立派な人」というイメージで語られることが多い。
 アメリカの人格教育の視点では、人格には少なくとも次の三つの側面があると見る。一つは、人格における認知的側面(何が正しいのか、何が良い行動だと思うか、など)である。二つ目は、情意的、心情的側面(何を感じるのか、何を望むのか)である。そして三つ目が、行動的側面(どう行動するのか)である。つまり、何が正しいかを自身で考えて、それを実践しようとする思いを持ち、実際に行動できるようになる。こうした三つの側面を統合したものが、本来の人格であると言えよう。
 人格教育においては、道徳性の発達段階に合わせて道徳教育を行う。この際、道徳性の発達は、認知的発達段階に対応していると考える。そのため、子どもたちの認知的な側面と心情的側面と行動的側面を合わせて育て、考え方や感じ方だけでなく具体的なスキルも身につけられるように育てていく。認知的側面で言えば問題解決学習が有効であるし、行動的側面では道徳的行為に関する体験的な学習を取り入れている。

日本は教科ごとに役割を分ける傾向

 一方、日本の教育では、明治期から「知育」「徳育」「体育」に分けられている。このうち徳育は情意的・心情的側面にあたるが、知育や体育とは分けられてしまうことによって、徳育は心情的側面だけに焦点を当てることになりがちである。そして、日本の教育は教科ごとに役割を分ける傾向がある。各教科とは別に、道徳は道徳の時間、体育は体育の時間に行う。そうなると、認知的側面と情意的側面が分かれてしまい、道徳教育では情意的・心情的側面に焦点を当てるのみで、認知的側面で道徳的問題を考える必要もなく、行動的側面にある道徳的行為や習慣までは取り上げないということになる。こうしたバラバラな指導では、道徳教育に実効性が伴わなくなるのは当然だろう。
 例えば、いじめをテーマにした従来の道徳授業では、「被害者がかわいそう」という気持ちを持たせればよい、もしくは「被害者がどんな気持ちだったか」を考えさせればよいと考え、実際にいじめられている被害者はどうしたらよいか、周りの人達は被害者をどのように助けたらよいかは問わない。
 しかし、誰かがいじめられていたとすると、何が原因になっているのか、それを解決していくためにはどうすればいいのか、その解決策を実行したらどうなるか、というように具体的行動も含めて認知的・情意的・行動的に総合判断して考えなければならない。実際にこうした問題状況において、様々な解決策を考え、具体的に行動や習慣に活かしていって、初めて「このやり方で良かったんだ」「この生き方がよい」と実感できるはずである。

どのような道徳性を養うのか

 わが国の学校現場はどうしても前例踏襲になりがちである。昔からやってきたスタイル、つまり登場人物の気持ちを読みとる道徳授業に拘束されている。こうした旧態依然とした指導法を改善するためには、次期の学習指導要領を改訂する際に、道徳授業においてもどのような「資質・能力(としての道徳性)」を養うのかを明確にすべきである。また、道徳科の「主体的・対話的で深い学び」となる問題解決的な学習や体験的な学習を具体的に明示すべきであろう。さらに、道徳科において育成すべき「資質・能力としての道徳性」をどのように評価すればよいのか具体的に示す必要がある。そのためには、各教科・領域と同様に、道徳科でも「育成すべき資質・能力」を明示してルーブリックで評価規準を設定し、「指導と評価の一体化」のための実践研究を蓄積することである。
 道徳性は、子ども自身が主体的に道徳的問題を考え、主体的に判断し、さまざまな解決策を考えて、最善策を実際に行動して、日常生活に活かされて初めて真理を自覚し、身につくものであろう。認知したことや感じ取ったものから判断が下され、そこから行動化され、その因果を内省したり習慣化したりして、最終的に人格を形成していくのである。

知行一致を重視

 人格教育では、自分で考えたことや感じたことを実践してみて、因果関係を内省するという流れを大切にしている。人格教育は、アメリカのプラグマティズムの流れも汲み、因果関係をふまえた知行一致を重視し、子どもの人格を総合的に育成しようとするのである。
 人格教育の父とも呼ばれるトーマス・リコーナは、「人格の概念の拡張」という考え方を述べている。具体的には「パフォーマンス的人格」と「道徳的人格」の統合である(トーマス・リコーナ、マシュー・ディビッドソン『優秀で善良な学校』、慶応義塾大学出版会)。
 「パフォーマンス的人格」とは、最高の仕事をするために必要な「勤勉」や「忍耐」のような性向であり、一方の「道徳的人格」は、最善の倫理的自己になるために必要な「正直さ」や「親切」のような性向だという。
 こうしたパフォーマンス的人格と道徳的人格は、誰にとっても日常的に関係することである。例えば、「勉強がよくできる」「スポーツがよくできる」というパフォーマンス的人格が高い人であっても、それだけで人生が成功するわけではない。それに道徳的人格も加わる必要があるのである。よい例が、大谷翔平選手であろう。大谷選手は大リーグで投打にわたりパフォーマンス的人格が高いことは明らかだが、それを補うためにどれだけ道徳的人格を大切にしているか。ファンやチームメートを大事にするとか、グラウンドに落ちている小石を拾うとか、相手に感謝し恩返しをするといったことである。そうした道徳的人格をさりげなく発揮することで、厳しい勝負の世界でもメンタルを強くして、「折れない心」「やり抜く心」を育てることができる。つまり、パフォーマンス的人格と道徳的人格がバランスよく互恵的、相互補完的であることが重要だということである。

子どもたち自身が主体的に判断する

 これからのVUCA(ブーカ)の時代は、複雑で曖昧な状況で、答えが見出せないような問題が次々に出てくるであろう。その中で、本来であれば、子どもたちは主体的に目標を設定し、それを達成したり、問題を解決したりしながら、責任ある行動を取れるエイジェンシーになることが重要であり、そうした道徳性にかかわる資質・能力(コンピテンシー)を道徳の時間に養っていくことが大切である。
 そのためには、子どもたち自身が主体的に判断することが大切である。道徳的な問題場面で、「自分がどう考え、判断し、行動するのか」「なぜそれが人間として正しいと言えるか」といったことを、とことんまで考える。これが道徳科における「主体的・対話的で深い学び」や「課題探究的な学び」になるのではないか。
 電車やバスで高齢者や身体の不自由な人に席を譲るという行為は、子どもたちにとって少し恥ずかしくて躊躇してしまうことがあるかもしれない。しかし、実際に行動してみると清々しい気持ちになる。お互いに相手を思いやり善良なことをし合ったら、相手も自分も幸せになり、環境も良くなり、良い文化が築かれる。
 その意味で、道徳的行為は相手のためになるだけでなく、自分のためにもなることが分かってくる。そうした見方や考え方が分かってくると、道徳的行為によって実は相手も自分自身も幸せになれるのだということを実感できる。そして、より良い社会を作りたい、仲間を幸せにしたいといったことを考えると、自己中心的な狭い心から、より広い視野を持てるようになるものである。

道徳性と社会性の繋がり

 もう一つ、人格教育で重要なのは、道徳教育に「社会の視点」を取り入れていることである。アメリカでは自由と民主主義がキーワードになるが、そういう個々人が自由に主体性をもって活躍すると共に、寛容で助け合う民主的な社会を作っていくためにどうしたらいいか、という視点をもつのである。日本では、社会性を育てるのは社会科で、道徳性を育てるのが道徳科というように、縦割りですみ分けをするが、アメリカでは道徳性と社会性の繋がりを大事にするのである。
 近年、人格教育は欧米のみならずアジア圏にも広がっているが、そこには個人の主体性を尊重する民主主義社会をいかに拡張していくかという問題意識がある。最初から答えがあるものを与えられて理解するのではなく、皆で協働しながらより良い民主主義社会を作り上げていこうというものがある。そこに至るために、学校における協働的な学びが大事になってくる。
 より良い民主主義社会を創るために、子どもたちも主体的に取り組み、協働して活動し貢献していく。それによって、子どもたち自身の人格も完成していく。自分の快楽や欲望を求めるのではなく、誰かのために、社会のために何か貢献することで高度な人格形成ができること、それに気づくことができるかということである。こうした社会貢献に向けた道徳的行為によって、個人の本当の幸福にもつながるということである。
 こうしたところから、リコーナは人格教育で重要な役割を果たす概念として「倫理的学習共同体」と「職業倫理的学習共同体」を提唱している(トーマス・リコーナ、マシュー・ディビッドソン、前掲書)。

「倫理的学習共同体」

 「倫理的学習共同体」は、教師と職員、子ども、保護者、そして地域社会の四つの集団から成り立っている。人格教育の領域を教室から学校全体へ拡張し、さらに家庭や地域社会へ拡張していくと考える。
 子どもたちの道徳的な行為を受け入れることができるような倫理的学習共同体を創っていくことが重要である。そのためには、学校も、家庭も、地域社会(コミュニティ)も倫理的学習共同体にしていかなければならない。そこではお互いに尊重し合い、思いやりを持ち、信頼関係を築いていく。そしてお互いに良き社会的実践をしていく。そのような文化があれば、その中で子どもたちが生活し、道徳授業で学んだことを実践できるわけである。または、共同体の日常生活の中でモデルとなる人がいて、その人を見習って行動するということもある。あるいは、どうすれば道徳的行為をすることができるかについてスキル・トレーニングで学ぶこともできる。

学校と家庭と地域で「つなげていく」

 ただ、道徳教育は学校の教育活動全体を通して行えばよいということになっているので、「どこかで誰かがやればいい」ということになって、結局いつになっても誰もやらない無責任体制になってしまうことがある。
 そうならないためにも、道徳授業を学校と家庭と地域で「つなげていく」ことが大切である。道徳の授業でやったことを日常の学校生活にも、家庭生活、地域生活にもつなげていく。そして、そこで得られた貴重な経験をさらに道徳授業にも反映させていく。そのように道徳授業と日常生活を相互連関させていくことができて初めて、道徳の授業も生きたものになっていく。

「職業倫理的学習共同体」

 また、「職業倫理的学習共同体」は、学校の管理職や教師、カウンセラーだけでなく、学校に関わる全ての関係者が従事し、協働しながら創ることになる。学校の教師一人ひとりの意識向上はもちろん、支援員、事務職、用務員、バスの運転手、地域ボランティアの方など学校に関わる全ての人たちが同じ意識を持って子どもたちの道徳教育に関わっていく。例えば、道徳授業でお世話になっている人に感謝することの大事さを学んだら、登下校で自分たちを見守る地域ボランティアの人たちやバスの運転手に感謝の念を伝えることもできるだろう。そのように人格教育を実践して子どもたちを育てること自体が、各々の人格を高めることにもつながるわけである。このように人格教育は、現場の教師の力量の向上が重要であることはもちろんだが、民主主義社会を作っていくという意味では、学校だけでは終わらない職業倫理的学習共同体としての取り組みなのである。

道徳的諸価値を絞り地域と共有する

 アメリカでは、地域の住民も人格教育を実践する意義や重要性を理解しているので、積極的に関わってくれる。人格教育では、道徳的諸価値を七つ程度に絞ることが多い。例えば、「正義」「思いやり」「誠実」「勇気」「友情」「貢献」など多くても七つ程度に絞る。そうすると覚えやすいし、意識しやすい。各々の州、学区、学校ごとに「我が州、我が校では、この徳を大事にしましょう」と呼びかけ、そうした徳を核として皆で取り組む形になるので、共有意識を持ちやすい。日本でも笠松市や寄居町のように「道徳のまち」を宣言し、教育委員会をはじめ地域全体で道徳を大切にしようと発信している自治体もあり、倫理的学習共同体のモデルケースとなるだろう。
 ただ、わが国の場合、道徳的諸価値を学校と地域で共有することは難しいところもある。その原因の一つは、道徳科の学習指導要領で謳われている内容項目が22ほどあり、そこで道徳的諸価値で数え上げると50から60個となり多過ぎるのだ。年間35時間ほどしかない道徳授業でそれらすべてを取り上げるのは難しい。アメリカの人格教育のように、もう少し重点項目を絞って、例えば「思いやり」や「正義」をしっかりと取り上げ指導したほうが身につくのではないか。

教員養成課程や研修の改善・充実を

 そして、学校現場を変えていく上で大きな役割を担うのは、教師一人ひとりである。そのためにも、教員養成課程や教員研修を改善・充実していかなければならないと考えている。
 教育職員免許法では、道徳科の理論と指導法について単位取得が義務付けられているが、たった2単位のみである。半期2単位、15回の講義で、実際には道徳教育の理論から、歴史、指導法、評価法、国際比較なども学ぶとなれば、本当に触りの部分しかできない。そういう初任者たちが学校現場に出ていくと、昔からの道徳指導法を初任者研修などで教えられて、昔の指導法を繰り返すことになる。海外で道徳科を教科として教える場合は、各教科と同様に、10単位以上は必修となる。

問題解決のプロセスから評価へつなげる

 もう一つ、道徳科の評価についても触れておこう。人格教育では、道徳的・社会的な問題を考えて、優れた解決策を提案することが多い。「この問題をどうしたらよいか」というパフォーマンス課題を皆で考え話し合い、その問題を解決するプロセスをつぶさに見取り、パフォーマンス評価につなげるのである。
 わが国でも、「考え、議論する道徳」が提唱されてからは、評価の観点として、多様な道徳的諸価値があることを前提に、他者と協働しながら「物事を広い視野から多面的・多角的に考える」ことができることを評価するようになった。今までは自分のことしか考えていなかったけれども、他の人のことや社会全体への影響も考えられるようになったとか、一方的な偏見をもっていたが、多面的に多様な考えを受け入れられるようになったといった点が評価の基準になるのだ。わが国でも、道徳性の発達心理学に基づいて、しっかりこうした点を観点別に評価できるようにすべきであろう。こうした道徳の学びをタブレットで行い、子どもたち一人ひとりの学びをしっかり見取り、それぞれの道徳的問題解決にその都度、適切なフィードバックをすることができるのが「個別最適な学び」である。

授業の後に日常生活で何をやったか

 さらに人格教育では、道徳授業の後に日常生活で実際に何をやったか、何につなげたかというところまで把握して評価の対象とする。例えば、「困っている人にこうした親切をしました」「廊下に落ちていたゴミ拾いをしました」「地域ボランティア活動に参加して高齢者施設を回った」といったことを発表し合うのである。それをポートフォリオとしてファイルで記録しておき、学期や学年末で評価し合う。ポートフォリオ評価では、積極的にお互いで発表し合い、認め合い、称え合うようにする。こうした良い意味での道徳科の評価活動を日本でも改善・充実させなければならないだろう。
 こうしたポートフォリオ評価を子どもだけでなく教師や保護者などが一緒に作る作業が大切である。個々の道徳的行為や習慣をファイルに書きとめ、ポートフォリオ化したものを学習記録(ステディログ)として記録する。それをデータとして記録し、学年や校種を超えて活用するのが、GIGAスクール構想の道徳教育である。
 以上のようなパフォーマンス評価やポートフォリオ評価がアメリカの人格教育では当然のように取り入れられている。道徳的価値を教え込むコンテンツ・ベースの授業ではなく、道徳性を育むコンピテンシー・ベースの授業をしようとしている。

個人の成長や幸福と社会の繁栄や共生が両立

 また、人格教育は、子どもたちの道徳性を育てるだけでなく、より良い民主主義社会を創ることも目的としている。その意味で、人格教育では個人の成長や幸福と社会の繁栄や共生とが両立しており、相互補完的な関係なのである。わが国の道徳教育は、どうしても子どもの道徳性を育てることのみ重視しがちだが、人格教育では子どもの幸福はそれを成り立たせる社会的・倫理的な学習環境が必要であると考える。それゆえ、人格教育では自分のために何ができるかだけでなく、誰かのために何ができるか、社会のために何ができるかを常に問いかけ、道徳性だけでなく社会性や人間性を総合的に育てようとする。

終わりに

 今後は、わが国でもウェルビーイングが学校教育で重要なキーワードになるだろう。道徳教育も「子どもの幸せのために」あることを再認識して、学校教育の中に位置付けなければならない。子どもの精神的・身体的・社会的なウェルビーイングを実現するために、道徳教育はどのように貢献できるか。人格教育も参考にして、どう生きるべきか、どう人間関係を築くべきか、どう社会を創るか、そうした根本問題を解決するために、道徳教育は大切になる。日常生活の中で「生きて働く道徳性」を身につけることによって、子どもたちがパフォーマンス的人格を高めると共に、家庭や学校や地域の人たちと豊かに交流することで道徳的人格も育むことができる。こうした好循環を生み出す道徳的・倫理的な学習共同体となる学校システムを開発・実践・検証し続けることが極めて大切である。

(『EN-ICHIFORUM』2024年2月号より)

政策オピニオン
柳沼 良太 岐阜大学大学院教育学研究科教授、兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科教授
著者プロフィール
早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。早稲田大学文学部助手、山形短期大学専任講師を経て、岐阜大学大学院教育学研究科教授。中央教育審議会道徳教育専門部会委員、学習指導要領解説「特別の教科 道徳」作成協力者。国内外の学校を訪ね歩く研究者。著書に『子どもが考え、議論する問題解決型の道徳授業事例集』『プラグマティズムと教育』『「問題解決的な学習」をつくるキー発問50』『学びと生き方を統合するSociety5.0の教育』他。
日本の道徳授業は、道徳的な価値を学んで、それを行動に結びつける実効性のあるものに変えていく必要があるのではないか。海外での人格教育の成果を踏まえ、今後の道徳教育の方向性について提案する。

関連記事

  • 2021年2月26日 家庭基盤充実

    地域の課題と全人教育

  • 2018年6月27日 家庭基盤充実

    「特別の教科 道徳」設置の意義と課題

  • 2020年9月21日 家庭基盤充実

    道徳教育に求められる人間像・社会像の構築 ―コロナ後を見据えた新しい道徳の創造―

  • 2022年9月27日 家庭基盤充実

    全人教育による地域人材育成の実践と可能 ―学校、家庭、地域コミュニティの連携から考える―

  • 2022年4月20日 家庭基盤充実

    我が国における観光倫理の啓蒙について ―日本の道徳教育で倫理的観光者の育成を―

  • 2020年10月27日 家庭基盤充実

    日本と欧米、アジアの人格教育と人材育成への提言 ―道徳教育と人材育成の課題―