全人教育による地域人材育成の実践と可能 ―学校、家庭、地域コミュニティの連携から考える―

全人教育による地域人材育成の実践と可能 ―学校、家庭、地域コミュニティの連携から考える―

2022年9月27日
相対的貧困と問題行動の関係

 1990年代、イギリスBBCの「いじめに立ち向かう学校」という番組が放映された。この番組を見て、私は大きな衝撃を受けた。
 日本ではいじめが起こっても先生に言わない。先生もいじめを見つけられないとバッシングを受ける。ところが、イギリスではいじめを受けたら、まず他の生徒に言う。生徒がいじめの仲裁に入って、そこで解決できたら先生には言わない。これがピアサポートと呼ばれる教育プログラムである。子どもたちが自分たちのコミュニティの問題として捉え、先生は生徒自身が問題を解決できるようにトレーニングをする。これは私が海外の生徒指導に目覚めるきっかけとなった。
 本題に入る前に、まずデータで日本の子どもたちの現状を確認しておきたい。
 文科省のデータによると不登校児童生徒が2012年頃から一本拍子で増えている。いじめも同じように急増している。小学校のいじめ件数は2009年度に約3万4千人だったのが、19年度は約48万人に急増。暴力行為は中学校では減少しているが、小学校は児童数が減少しているにもかかわらず急増している。2009年度の7115件から19年度は4万3614件だ。
 暴力行為やいじめは、心理学的には自己防衛と捉えることができる。つまり、子どもは出口のないストレス、怒りを暴力で発散している。親や大人から愛され受け入れられて、毎日楽しく過ごしていればこんなことは起こらない。
 中学校になると問題行動が減少する。これについて、小学校は学級担任制で、中学校は教科担任制で色々な先生と関わりがあるからだと言う。それは見当違いである。SOSを出しても助けてもらえなかったら、子どもは諦める。学校の先生に対して諦めた結果が中学校の不登校の数に表れている。子どものSOSという感覚が分からないと子どもの支援はできない。
 OECD(経済協力開発機構)の子どもの相対的貧困率(2017年)のグラフをみると、日本は先進7カ国中、アメリカに次いで2番目に高い。2009年頃の日本は問題行動が非常に少なかったが、その後、相対的貧困が深刻化、12年から問題行動が増えている。
 社会的問題と相対的貧困の関係を示した図をみると、相対的貧困率が高い国は子どもの問題行動が多いことが分かる。
 かつて日本は問題行動が世界で圧倒的に少なかった。それが2000年代に入り、相対的貧困がからみ、問題がうなぎ上りになる。

旧態然の個別指導モデル

 日本の教員は世界の中でも優秀で、情熱的で身を粉にして働く。昔は先生が個別に面倒を見るのが日本の個別指導だった。ところが20〜30年前まで通用していた個別指導モデルでは対応できないほど子どもの問題は深刻化している。しかし、日本は旧態然の個別指導モデルのまま生徒指導をしている。
 現在、文科省の協力者会議で生徒指導提要の改訂作業を進めている。私もこの会議の委員として、「個別指導でやっていたら日本はいずれ教育崩壊になる」と大規模改訂を訴えている。
 一方、世界はどうかと言えば、アメリカとイギリスは包括的生徒指導プログラムでやっている。学習指導には学習指導要領があり、カリキュラムがある。ところが日本の生徒指導には、カリキュラムに当たるプログラムがない。
 日本はスクールカウンセラーの導入率などでは海外に勝てない。しかし、圧倒的に日本の教員は優秀である。情熱があり、身を粉にして働くことができ、協調性がある。全体でやろうとすればみんなでやれる。これは他国が真似できない日本の強みである。

総社市の包括的プログラム実践

 そこで、日本の教員の力を活かした包括的生徒指導プログラムによって、子どもの問題は解決されるのではないかと考えた。
 岡山県総社市の学校でプログラムを導入した結果、総社警察署管内の中学生の検挙・補導数は2009年の205件から、2017年には17件まで、90%も減少した。
 総社市の不登校児童生徒の出現率をみると、ほぼ一貫して減少している。ただ、2017年頃に数値が跳ね返っている。同市に来ると不登校が改善するという噂が広まり、地域中から不登校児童生徒が集まったからである。実際、転入3年以内を除くと、不登校出現率は0・91、全国平均の4分の1まで落ちている。ただし、大きな課題を抱えている1%位の子どもに対しては、集中的にケアできる体制は必要だ。
 全人教育を実践した結果、総社市は生徒の生活満足度が上がり、学校が楽しくなったという生徒が増えた。生徒の成績が数年後に全県トップとなった。
 つまり、いじめ・不登校対策ではなく、人として成長させる全人教育でいじめや不登校が激減した。地域や家庭と連携し、必要な教育プログラムをすれば、学力が向上し、学校が毎日楽しく、不登校もいじめもない学校をつくることができるということである。

 

石巻市の学校での実践

 これは総社市だけの事例ではない。東日本大震災で被災地となった石巻市の中学校に派遣されたことがある。この学校は学力も学習意欲も全体的に低かった。「様々な取り組みをしているが、苦しい状況が何十年も続いている。この学校で成功すれば市の全ての学校が取り組むはずだ」と言われ、教育実践に関わった。
 その結果、3年後2019年2月に筑波の独立行政法人が主催する「NITS大賞」のグランプリを受賞した。審査委員からは「他の学校でも導入できる汎用性の高さに加え、目指す生徒像を明確化することで教員のチーム活動による教育実践の質の向上や業務のスリム化につながり、それらがすべて生徒の成長に返ってくる仕組みになっている」と、評価を受けた。
 つまり、包括的生徒指導モデルを導入することで学力を向上させ、子どもが抱える問題を減らし、精神的健康を取り戻せることが分かったということである。
 一方、教員の方は包括的生徒指導モデルという打つ手があるので元気になる。チームワークも改善する。保護者からも感謝されるので、働き甲斐も生まれた。
 海外視察でよく感じることは、日本人は論理的で緻密で粘り強く、目の前の問題に取り組むのは得意だが、ゴールから発想する視点が弱い、体系をつくるのがやや苦手ということである。

全人的教育が目指すもの

 私が目指す全人教育についてお話ししたい。
 教育基本法第一条には「人格の完成を目指す」とある。これは、平和的で民主的な国家及び社会をつくれるようになるということである。そういう子どもでなければ将来、平和で民主的な社会はつくれないと思っている。
 教育が目指すのは「人格の完成」であり、「心身ともに健康な国民の育成」である。学校では、学級や学校、地域の問題を子どもなりに考えて実際に行動していく子どもを育成する。つながりの力で自分たちの問題を解決できる大人になれるよう育てるということになるであろう。
 最終的に学校が目指すのは「他者と社会に貢献できる子どもの育成」である。そのために必要なことは、まず愛された体験、他者と社会に受け入れられた経験がないといけない。同時に他者に貢献できるスキルがないといけない。この二つはセットである。
 他者と社会に貢献し、「ありがとう」と言われた体験はものすごく大きい。一人で解決できる時代ではないので、皆で協同して問題解決することが重要になる。
 さらに言えば、そういう生き方を選択できるキャリア教育が必要だと思う。自分の為だけに生きる人間は他者と社会に貢献できない。
 石巻市の中学校の生徒が、小学校にピアサポートボランティアに行った。運動会で障害を持っている子がかけっこで周回遅れになって、半べそをかいて歩き始めた。すると中学生がその子と一緒に走りだした。その子がクラスの前を走った時はクラス全員が一緒に走り出した。こういうソーシャルエモーショナルな力を育てる。他者に貢献できるスキルである。こういう経験を積んだ子は絶対優しくなる。
 PBIS(=ポジティブ・ビヘイビアー・インターベンション・アンド・サポート、思いやりや正義感などの価値観を身につける)、ソーシャルエモーショナルラーニング(社会性と情動に関する具体的なスキル)、ピアサポート(他者の支援)、キャリア教育(生き方の選択)。これらが全人教育に関わるものであり、これを体系化していくのが私が考える生徒指導である。

イギリスのコミュニティスクール

 他者と社会に貢献できる子どもを育成する全人教育は、学校の先生だけでできることではない。多領域、多職種、地域の保護者と協働しないとできない。
 かつてイギリスのコミュニティスクールを視察したことがあり、大変衝撃を受けた。日本にも地域の人が学校運営に関わる学校運営協議会があるが、地域の人に決定権があるわけではない。イギリスのコミュニティスクールは評議委員会が全権を持っている。そこに生徒会の役員も参加する。受益者である子どもの意見が反映されるシステムだ。学校長は教育委員会ではなく評議委員会が決める。優秀な校長は、力のあるコミュニティに引き抜かれていく。
 地域人材には、人間的にも能力的にも優れていて、コミュニティに対して参加的な態度、多様性に寛容で粘り強く課題解決に努める能力が求められる。地域の人がコミュニティの学校に責任を持つ。教育委員会がハブとして機能する。もっと重要なのは、議員をはじめコミュニティがビジョンを共有していることである。
 ところが日本の教育委員会は、全体的に教育の本質的な分析力が不足しているため、残念ながらプランを作成できているとは言えない。例えば、シンガポールの教育委員会に3回視察に行ったが、各セクションに博士号取得者がいる。香港は外部の研究者とシンクタンクを作って、一緒に政策を立案化している。エビデンス、理論ベースで政策立案している。
 日本は国が方向性は示すが、あとは教育委員会に任せ、地方自治でやろうとしている。しかし、OECD諸国の中でも教育予算の割合が日本は低い。残念ながら、国の方向性を受け止めて消化できる力が地方の教育委員会にはない。
 今、働き方改革で教員の研修がなくなっている。そのため、教員の力量は落ちている。それでも本質的には日本の教員は世界一優秀で心が豊かである。この強みを活かしてやっていけば、総社市や石巻市のように学校が変わることができると思っている。

ゴールを決めて地域で取り組む

 総社市に派遣された当初、市には20くらいの不登校に関連する教育施策が掲げられていた。国の基準以上に、市の予算で教育相談担当の補充教員や試採用のスクールカウンセラーを投入しているのに不登校は減らなかった。なぜかと言えば、不登校になった子どもを支援しても、子どもを不登校にしない政策をしなければ不登校は減らない。それで教育委員会と一緒に、プランの段階から関わり、教員研修まで全部関わった。間違ったプランで頑張っても、成功しない。これだったら成功するという設計図を一緒に作りあげ、地域を巻き込んだ全人的成長を目指すモデルでやった。
 具体的には、まず子どもから大人まで縦の情緒交流を活性化する。結果的に町への愛着を高め、未来の町の担い手を作ることに繋がる。
 次に学校の方針をコミュニティにちゃんと伝える。具体的には地域や商店街の掲示や看板、回覧板を使って発信する。
 そして一番重要なのは、どんな子どもを育てたいか、ゴールを皆で決めることである。保護者アンケートをもとに、保護者PTA,商工会議所、主任児童委員、警察など有識者や専門家が集まって、市がゴールを決める。
 実践のための三つの方針として、一つはエビデンスベースでやる。二つ目は教員の資質向上のために100時間研修をやる。三つめは教育委員会を改善することである。
 市ではまず年間の月別テーマを決めた。4月「あいさつ」、5月「思いやり」など九つのテーマを市共通で、三つのテーマを学校独自で決める。ポスターを作って学校やコミュニティに貼り出す。これを毎月徹底していく。家庭にも月別目標を伝えて、家庭と連携してやる。
 包括的プログラムの考え方のベースとして、成長支援と適応支援のバランスがある。順調に成長している人は、適応のための支援はほぼ必要ない。ただ、今の子どもたちは発達やパーソナリティや社会性に課題を抱え、成長に課題を持った子どもが少なくない。いい先生は子どもたちのために頑張っているが、頑張りすぎて倒れてしまうような状況がある。
 適応支援は個別的だが、成長支援は一回でどうにかなるものではない。包括的プログラムの考え方は、十分な発達支援を土台として適応支援を行うというものである。成長支援と適応支援をしっかり組み合わせた支援の仕方を考えていくことが大事である。
 そして理論的に正しいことを実践すれば必ずいい結果が生まれる。設計図がなにより重要で、それを共通理解する。そして子どもたちの実態把握に基づいて丁寧に実践をしていけば、より高い効果が生まれる。

市内の高校生の半数が災害ボランティアに

 総社市で包括的生徒指導プログラムを実践して9年目、2018年7月に西日本豪雨災害が起きた。この時、休校で自宅待機となった生徒が市長に「何かできる事ありませんか」とツイートした。それを知った市長が「ボランティアできる人は集まってくれ」とツイートしたら、市役所に市内の高校生の約半数、一千人が集まった。
 社会性と情動が大事である。総社市で包括的生徒指導に9年間取り組んだ結果、人の気持ちがキャッチ出来て、自分でできることはやっていきたいという献身的に動く子どもたちが育っていった。
 地域と子どもの実態を分析し、将来その地域を支える人材像を明確にし、その育成を可能にする教育を設計し、その目指す教育を地域と共有し、その営みを地域のリソースを繋ぎながら実践していく。そうした実践の先に、地域に支えられ、地域を支える学校が生まれるのではないかと、私は思う。
 全人教育とは地域の為に貢献する、他者と社会に貢献する子どもを育てることである。クラスの誰かが不登校になったら、「あいつ来なくなっちゃった」ではなく、自分たちで何とかしようとする人間になる。そういう子どもたちを育てる教育をしていかないと本当に豊かな日本にはならない。

2022年6月17日、IPP政策研究会より

 

参考

『ブリーフセラピーを活かした学校カウンセリングの実際』栗原慎二 2001 ほんの森出版

『アセス(学級全体と児童生徒個人のアセスメントソフト)の使い方・活かし方』栗原慎二・井上弥 編著 2010  ほんの森出版

『マルチレベルアプローチ だれもが行きたくなる学校づくり〜 日本版包括的生徒指導の理論と実践』栗原慎二 2017 ほんの森出版

『PBIS実践マニュアル&実践集』栗原慎二 2018 ほんの森出版

『教育相談コーディネーター—これからの教育を創造するキーパーソン』栗原慎二 2020 ほんの森出版

公益社団法人 学校教育開発研究所
https://aises.info

政策オピニオン
栗原 慎二 広島大学大学院人間社会科学研究科教授、公益社団法人学校教育開発研究所 代表理事
著者プロフィール
埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了、兵庫教育大学大学院学校教育学研究科博士課程修了。博士(学校教育学)。埼玉県立高校教諭を経て、現職。著書に『いじめ防止6時間プログラム』(編著)、『マルチレベルアプローチ だれもが行きたくなる学校づくり』(編著)、『PBIS実践マニュアル&実践集』、『教育相談コーディネーター−これからの教育を創造するキーパーソン』他多数。
これからの人材育成においては、子どもたちが抱える課題に向き合い、学校と家庭、地域が、目指す教育の方向性を共有することが重要である。そうしたアプローチによる全人教育のプログラムと実践が求められている。

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