「特別の教科 道徳」設置の意義と課題

「特別の教科 道徳」設置の意義と課題

2018年6月27日

 2018(平成30)年4月から全国の小学校では「特別の教科 道徳」(以下、道徳科と略)の授業が開始された。2019(平成31)年度からは中学校での授業が開始される。道徳科の設置において特筆すべきことは、検定教科書が使用されることである。今後は全国の約645万人の小学生と約333万人の中学生が教科書を主たる教材として授業を受けることになる。道徳科の設置は、制度的にも大きな変革をもたらしたことは事実である。
 では、道徳の教科化の歴史的意義とは何だったのか。端的に言えることは、従来の道徳授業の「形骸化」を克服すると同時に、道徳教育を政治的なイデオロギー対立から解き放ち、いわゆる「道徳教育アレルギー」を払拭しようとしたことである。
 周知のように、戦後教育においては、戦前・戦中の教育に対する拒否感のみが強調され、道徳教育は政治的なイデオロギー対立の争点とされることが常態化されてきた。しかし、そもそも道徳教育は人間教育の普遍的で中核的な構成要素であり、その充実は今後の時代を生き抜く力を一人ひとりに育成する上での根本的な課題である。
 したがって、政治的イデオロギー対立から派生した「道徳教育アレルギー」に支配された現状は、学校が、子供たちに対する道徳教育の責任と役割を十分に果たしていないばかりでなく、「人格の完成」をめざした教育基本法の目的や学習指導要領の趣旨と目標からも逸脱していたことを意味していた。
 一般に誤解されていることが多いが、道徳科の設置は第二次安倍内閣において初めて政策課題となったわけではない。1945(昭和20)年の敗戦を契機に戦前までの修身科が廃止されて以降、道徳教育を担う教科設置の必要性を求める議論は常に存在し、道徳科の設置は、いわば「戦後70年」の課題であり続けてきた。それでも道徳科が今日まで実現しなかった要因は、戦後教育において、いわゆる「文部省対日教組」というロジックに集約される政治対立の枠組みが固定化する中で、道徳教育がもっぱら「政治問題」の中に押し込められ、教育論として議論することを妨げられてきたからである。
 ここでは、道徳教育の理念や方法に関する議論は基本的に成立せず、「賛成か、反対か」の二項対立図式の中に解消されることを余儀なくされてきた。「修身科の復活」「価値の押し付け」「いつか来た道」といった類の学問的根拠の乏しい感情的な言説が繰り返される状況は、道徳教育の本質的な議論からは乖離したものである。同時にそれは諸外国の状況と比較しても異質であった。
 その意味で道徳科の設置は、道徳教育を「政治問題」から解放し、教育論として論じるための土俵を形成するための必要な制度的な措置であったといえる。道徳科の設置によって、学校・教師をはじめ、大人や社会は子供たちの道徳性に正面から向き合う必要が生じ、それは必然的に政治的イデオロギーが入り込む余地を格段に減少させるからである。
 実際に、道徳科の設置によって、「賛成か、反対か」といった不毛な議論は明らかに後退し、教科書、指導法、評価といった各論に関心が注がれ始めたことは否定できない。
 ただし、その一方で「戦後70年」の「空白」を埋めるのはけっして容易なことではない。なかでも道徳教育の理論研究の衰弱は著しく、教科としての学問的基盤を整備するためには膨大なエネルギーと時間が必要である。
 また、今回の道徳科では大学での教員養成に対する対応は明らかに不十分であり、このことは道徳教育のさらなる「形骸化」を助長しかねない危険を内包している。特に中学校段階での「専門免許」の創設も含めて、教員養成を視野に入れた具体的な制度設計とともに、道徳教育を「学」とするための理論研究の構築は不可欠の課題である。
 道徳科の設置は、それ自体が決して目標ではなく、また終わりでもない。それは、戦後の道徳教育の「形骸化」を克服するための出発点に過ぎず、道徳科を真に意義あるものとするのは、これからがまさに「正念場」である。

政策オピニオン
貝塚 茂樹 武蔵野大学教授
著者プロフィール
1963年茨城県生まれ。筑波大学大学院博士課程教育学研究科単位取得退学。博士(教育学)。国立教育政策研究所主任研究官などを経て、現在、武蔵野大学教授。文部科学省「道徳教育の充実に関する懇談会」委員、中央教育審議会専門委員などを歴任。専門は日本教育史、道徳教育論。主な著書に『戦後教育改革と道徳教育問題』『天野貞祐』『教えることのすすめ-教師・道徳・愛国心』『戦後道徳教育の再考』『道徳の教科化』など。

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