子供の福祉を保障する「婚姻制度」と家族支援の課題  ―札幌「同性婚」判決と現代社会―

子供の福祉を保障する「婚姻制度」と家族支援の課題 ―札幌「同性婚」判決と現代社会―

2021年10月21日
子供の福祉に言及がない

 今回の札幌地裁判決における最大の問題は、婚姻制度の理解が不十分な点にあると私は考えている。婚姻制度の意義である子供の福祉、健全育成にはほとんど言及されていないのである。
 裁判は、同性婚を認めない民法と戸籍法の規定が、婚姻を定めた憲法24条、幸福追求権の13条、法の下の平等を定めた14条に違反するかどうかが争点となっていた。
 判決では、24条は男女の婚姻を想定しており、13条の幸福追求権は包括的な人権規定であって同性婚など特定の制度を求める権利を保障していると解釈するのは難しいと指摘し、同性婚を認めない現行規定はいずれにも違反していないと判断した。一方で14条には違反していると述べた。
 具体的には、同性カップルが婚姻によって生じる法的効果を享受できないことを問題としている。婚姻による法的効果は全てのカップルが等しく享受されるべきであるが、同性カップルはそれを享受できない。憲法上、こうした区別的取扱いは合理的根拠がなければできないが、性的指向は本人の意思によって選択・変更できないため、合理的根拠はないと判断した。そのため、現行の規定は14条1項に違反するという結論を導き出している。
 しかし、何人かの専門家が指摘しているように、判決では24条が異性婚を規定していると認めながら、14条で同性カップルにも婚姻の法的効果を認めるべきとしており、24条と14条で憲法解釈の矛盾を生じさせる。果たして、異性カップルも同性カップルも制度としての「婚姻」の法的な効果を同じように享受することが妥当であろうか。

婚姻制度は子供を保護し社会の秩序を確保する

 また、判決は当事者にとっての法的効果には言及しているが、子供の福祉にはほとんど触れていない。婚姻による法的効果は、当事者のカップルのみに与えられるのだろうか。
 婚姻制度は本来、男女間のカップルに子供が生まれることを想定し、家族の存在によって子供の福祉を守ることを前提としている。夫婦が社会から承認された制度の中でのみ性的行為をし、責任を持って子供を生み育てることで、子供は誰が自分の両親かという出自を知ることができ、血の繋がった両親に育ててもらうことができる。それゆえ、基本的には一夫一婦制や貞操義務が夫婦として当然の前提とされ、そのことが子供たちの健全な発育を助け、そこに婚姻制度の意義があると考えられてきた。もちろん、子供が生まれないカップルもいるが、婚姻の定義は一律でなければ成り立たないので、制度としての婚姻は子供が誕生することを想定して、民法などで様々な権利を付与しているのである。
 その意味で、婚姻制度は婚姻当事者のみの権利を守る制度というよりは、子供を保護し、社会の秩序を確保する最適な方法ともなっている。
 子供は家庭を選べないし、大人に成熟するには時間がかかる。その間はできる限り、仲の良い両親と愛情あふれる継続した家庭が必要である。そのために婚姻を「社会的な制度」とみなして、子供の福祉、安定した親子関係を保障することを第一義的目的とする。婚姻と生殖・養育は不可分の関係にあり、生まれた子供を社会でサポートする制度と解釈することができよう。
 それゆえ、自然に子供が生まれない同性カップルに制度としての婚姻が認められないこと自体は、やむを得ないことと思われる。このことから、憲法上は区別の合理的根拠が成立するであろうし、その意味で14条には違反しないと私は考える。もちろん、同性カップルの基本的な人権、利益は保障されなければならないが、それは婚姻制度とは別の形で考えるべきであろう。

婚姻の定義に子供の福祉の視点

 また、判決は「婚姻の本質」を「両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにある」と述べている。婚姻はカップル自身の幸福のためにのみなされる私的な行為といった意味合いに読み取れる。
 私はアメリカの同性婚の問題について研究してきたが、同性婚を支持する人々は、婚姻は本質的には性別に関係なく、2人の人間によって自らの幸福のためになされる私的で親密で情緒的な関係であると解釈している。
 一方、同性婚に反対する人々は、婚姻は子供や社会の利益のために、カップルによる性行為、出産、子育てを社会的に承認するものであり、子供と実の両親とのつながりを強くする社会的な制度であると考えている。
 このように、婚姻の定義に子供の福祉、子供の健全育成の視点を組み込んでいるかどうかで、家族のあり方も変わってくるのである。

子供に重大な影響

 同性婚賛成派の自由や自己決定の主張は、近代法の原則である「自己決定」、「個人主義」、「自由主義」、「平等主義」の理念に合致しているように見える。ただ、こうした解釈は家族の崩壊を引き起こす可能性が強くなる。なぜなら、この論理でいくと、当事者同士が合意していれば、複婚でも良く、貞操義務も必要ない。お互いの了承があれば不倫をしても構わない。親密な感情がなくなれば離婚すれば良いということになる。また、同性カップルが子供を欲しい場合は生殖補助医療によって第三者の精子や卵子を購入して子供をつくることも、自己決定と解釈されることになる。実際、そのようにして子供を希望するカップルもいる。
 しかし、子供の立場から言えば、そのようになると自分のルーツが分からないという事態も生じる。また、親の離婚が精神的に重大な影響を及ぼすことは多くの研究で指摘されている。親が不倫をしている場合も、子供に影響がないという人はおそらくいないであろう。
 当事者同士が良いと思っていれば、仮に道徳的に問題のある関係であっても婚姻と定義されることになる。そうなると家族は壊れやすくなり、子供たちに大きな影響を与えてしまう。
 札幌の判決は、当事者同士の意思が合えば「家族」になることができると捉えている面がある。それは逆に、意思が合わなければ容易に家族を解消できるという意味でもある。近代法はもちろん、社会の秩序の維持に重要な役割を果たしている。ただ、自己決定や個人主義、自由、平等を重視する近代法の行き過ぎが、今回のような自己決定を偏重する判決に容易につながったと言っていいのではないか。

弱者の利益が二の次になる危険

 しかし、家族関係を全て自己決定に委ねることは危険である。夫婦関係、家族関係が当事者の自己決定によって容易に解消できるものになれば、弱い立場にある子供、高齢者、障害者などの利益が二の次になる危険性が容易に想像されるからだ。近代法によって、個人主義、自由、平等が絶対的価値となったことで、結果として、助け合いの場である家族、あるいは宗教、地域社会といったグループの力がこれまでも衰退してきている。
 個人主義では、立場の強い親も弱い子供も、同じ権利や自由を持っているという考え方になる。立場の強い親が好きなようにやっても止めることはできないし、立場の弱い子供たちの利益を守ってあげることはできない。
 子供の利益とは、単に自己決定をさせることを意味しているわけではない。自己決定には、判断基準となる基礎的な価値観を親から学ぶ必要があり、子供の健全育成、家庭保護の重要性もそこにある。そもそも乳児は、その子にとって何が最善かを大人が考え判断しなければならない。ゆえに、立場の強い大人には、自身の自由を多少犠牲にしても、子供の健全な養育環境を整える責任があるという制度にしているわけである。成長過程を無視して抽象的に考えてしまうと、自己決定と自由、個人主義を表面的に尊重してしまうことになりやすい。好きなように権利を行使してよいと言っても、年齢的にそれができない子もいるわけである。

「子供の福祉」の視点が薄れる現代日本

 「子供を中心とした婚姻制度」という議論は、アメリカでは専門家の論文など活発になされている。日本ではあまり議論したことはないのではないか。私もあまり見たことがない。
 婚姻によって子供が生まれ、その子供が健全な家庭で成長し、さらにその子が結婚して孫が生まれるという形で世代が続いてきた。しかし現代の日本では、人間社会のそうした大きな流れが見えにくくなり、「子供の福祉」の視点が薄れているのではないか。
 子供たちも様々な人と触れ合う中で成長していく。しかし、個人主義や自由という思想が浸透する中、独りの生き方も強調され、地域のつながりも薄れている。そういう社会で、日常的に子供に接していない人も多くなっている。子供について直接知ることができないので、子育ては大変と言っても捉え方が観念的になり、子育てに悩む親に対しても寛容ではなくなってしまう。その結果、周囲からの援助を得られないままに、ストレスを溜めた親たちが立場の弱い子供へとはけ口を求め、虐待へと繋がるケースもあるのだ。

家族における価値観の継承がなくなる

 もう一つ、家族の関わりが少なくなってくると、親から子に受け継がれてきた家族における価値観の継承もなくなる。それは大変な問題である。現在は多様化社会の為、様々な価値観があることは学校で教わる。しかし、「自分がどのように考えるべきか」は学校では教えてくれない。最近、18歳で投票が可能な制度になったが、子供たちが困ったのは「自分がどの投票者を選ぶべきか」という価値観(判断基準)が分からない、という事だった。それは本来、親から子へと受け継いできたものである。また、それだけではなく、自分が親になった時、どのような子育てをすればよいかが分からなくなる。

未成年者保護法の趣旨

 では、日本社会の現状と子供の福祉をどう考えるべきだろうか。また、婚姻と子供の保護のために今求められる政策、取り組みは何か。
 私は憲法と未成年者保護法を専門としている。未成年者保護法は私の恩師が専門として取り組んでいた分野で、一番の趣旨は、子供の健全育成、子供の福祉をいかに保障するかというところにある。
 例えば、少年非行、家出、自殺、虐待など、様々な問題が起きているが、こうした問題の重要な要因として、やはり家庭環境の影響は否定できない。子供に関する問題を予防するためには、まずは家庭を安定させる政策、取り組みが重要になってくる。
 法律は区分が厳しく、“縦割り”の傾向があり、この問題は憲法、こちらは民法等々、また公法と私法でも分かれている。私も憲法を専門にしているが、家族の話をすると、それは民法の分野ではないかと言われてしまう。
 子供の問題はいろいろな分野の法律に渡っている。私の恩師は憲法や民法などを全て含めて子供の問題だと位置付けて、未成年者保護法という研究を始めたと思う。
 それは、近代法の誕生から何百年か経過して、細分化が進んだことも関係している。例えば、民法ではこのような問題があるのではないかと聞いても、民法の専門家は民法のことしか分からないからという答えが返ってくる。あるいは、自分は少年法の専門家だから、他の法律のことは分からないと言われてしまう。“縦割り”になっているからだ。
 本来は、子供の育成について、全ての法律で統一的な基準を設けるべきであろう。しかし、縦割りで他の法律の趣旨が分からなくなると、総合的な対応ができない。そうした点で、子供の福祉を保障するため法的に一貫した視点で対応するというのが、未成年者保護法の趣旨だと私は考えている。

親から子につながれるもの

 今までは親から子に自然につないできたものが、途切れてしまっていることが多い。私も子供の貧困調査を行ったが、親自身が自分の親から食事を作ってもらった記憶がないという事例があった。だから自分も子供のために作ることができない。ご飯を炊くこともできない。だから、子供たちにはとりあえず、自分の親がしてくれていた菓子を買ってあげることしかできない。外側から見ると家庭はあるのだが、親が親としての責任を果たすことができない。そのような場合は、親に食事の作り方から教えなければならない。
 あるいは、非正規雇用、ひとり親に対する経済的支援も大切である。
 縦割りを廃止するという話では、現在議論されている「こども庁」の設置も行政の縦割りを廃止することをうたっている。それはいいとしても、より本質的には子供の問題というだけでなく、家族全体の問題として捉えるべきだと思う。
 例えば、子供の貧困についての調査のため自治体に話を聞きに行くと、行政が縦割りで、子供が障害を抱えている場合は障害・福祉の問題になるというように、扱いが分かれてしまい、対応の仕方が分かりにくくなってしまう。法律の規定や全体の運用に関しては、家族の問題を一体として考えなければ解決は難しいのではないか。
 ゆえに、こども庁の構想も、子供の課題に一元的に取り組むという趣旨はいいが、もう少し、家族という視点で包括的に取り組むべきだと考える。そうした観点がなければ、新しい省庁を作ったとしても成果が得にくいのではないか。解決すべき課題があるのは子供の政策だけではない。障害者、高齢者の政策にも各々課題がある。それらを個別の問題としてではなく、もう少し大きな視点で捉えると、全体的に理解しやすくなり、政策が進みやすいのではないか。

社会全体への影響を予測すべき

 最後に繰り返しておきたい。近代法がスタートした時の大原則が、「個人主義」「自由主義」「平等主義」であるが、現代もそれが重要な理念であると考えられている。確かに重要な大原則なのだが、問題は実生活の何もかもを個人に分解して考えると、論理的思考がしやすいところにある。しかも法律の思考は論理的思考が重要視される。そうなると、どうしても個人が重視される。しかも、個人の力ではどうにもならない問題であれば、できる限り自由、平等を実現したい、本人の意思が尊重されるようにしたいというのが、現在の法律の組み立てである。その中で、家族を単なる個人の集団と捉え、家族も本人の自由を束縛しているのではないか、という声が上がる。
 近代法は、もちろん社会の秩序に重要な役割を果たしている。ただ、全て自己決定という思考となると、家族はどうなってしまうのかという問題がある。もっと現実を見て考えるべきであるが、論理的思考が先行してしまうと、今回の札幌のような判決が出てしまうという気がする。
 法律の条文や仕組みを、実際の社会に展開したら社会全般はどうなるのかということを考察すべきであろう。同性婚を望む当事者の希望をかなえる仕組みを作れば、社会全体にどんな影響があるかを予測すべきである。実際、今回の判決は近代法の論理が先行して出されたという感じがしている。そうなると、子供の福祉の保障が揺らいでしまう可能性は高い。この点には、近代法の弱点を感じる。
 現実的にも、子供のことを国が全てやれるわけではない。根本は家庭が支えている。家庭が基礎になり、社会を形成して、国がある。ゆえに家庭が弱体化しまうと、国も揺らいでしまう。子供に関する政策を改善して進めていくべきではあるが、真の意味で子供の福祉を保障するためには、家庭を支える視点を忘れるべきではない。

政策オピニオン
池谷 和子 長崎大学准教授
著者プロフィール
横浜市生まれ。東洋大学大学院法学研究科博士課程修了。東洋大学非常勤講師等を経て、現職。専門は憲法、未成年者保護法。著書に『アメリカ児童虐待防止法制度の研究』。日本の児童虐待、アメリカの同性婚等に関する論文多数。
2021年3月17日、札幌地方裁判所で同性婚訴訟の判決が出たが、この判決には様々な問題が指摘されている。判決内容を踏まえて「婚姻制度」の意味を改めて考えるとともに、現代社会の課題について考察する。

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