私の三大深海銘景

私の三大深海銘景

2020年7月8日

 三大珍味、三大夜景、御三家というようにトップ3は、なにかとありがたがられるものらしい。私は、30年にわたって有人潜水調査船や無人探査機(ROV)などを使って深海生物研究にたずさわっている。正確に数えたことはないが数百回深海を見てきたことになるだろう。この機会に、私が関わった調査から強く印象に残っている私なりの三大深海銘景をあげてみたい。

1.シロウリガイ類の大集団

 相模湾の水深700〜1500mには、海底一面に莫大な数の生物からなる生物群集が広がる場所がある(図1A)。この生物群集で、ひときわ目立つのがシロウリガイ類(シロウリガイとシマイシロウリガイ)で、大きさ10cmくらいの二枚貝である。この生物群集は、化学合成生物群集や化学合成生態系と呼ばれる特殊な生態系である。深海底にはプレート境界域があり、そこでは新たに海洋プレートが生成されたり、古いプレートが沈み込んだりする。そのような場所には、海底から300℃を超える熱水が噴き出したり、断層に沿って水が湧き出す。その噴出・湧出水にはメタンなどの炭化水素や硫化物が高濃度に含まれ、通常の海洋環境とは大きく異なる。そこには、メタンや硫化物をエネルギー源としたバクテリアやアーキアといった原核生物が生産者となる化学合成生態系が形成される。熱水が噴き出す場所にできるものを熱水噴出孔生物群集、温度は高くないがメタンや硫化物がわき出す場所にできるものを湧水生物群集と呼ぶ。相模湾の化学合成生態系は、断層に沿ってメタンや硫化物を含んだ水がわき出すので湧水生物群集となる。
 化学合成生態系は、他にも原油や天然ガスの湧出域、深海底に沈んだクジラの死骸などにも見つかっている。地球の生態系は太陽光をエネルギー源として植物が生産者となる光合成生態系が大部分を占めるが、深海にはエネルギー源も生産者も異なる生態系があることになる。それまでの常識を覆した化学合成生態系は、1970年代に東太平洋の深海底で見つかり、それは深海生物学の歴史上最大の発見と言えるだろう。1984年に有人潜水調査船「しんかい2000」の潜航調査によって、ここ相模湾で生きたシロウリガイの大集団が日本周辺の最初の化学合成生態系の発見になる。

図1. A: 相模湾の水深850mにある湧水生物群集。シロウリガイとシマイシロウリガイが混生している。B: シロウリガイを解剖すると赤い血液が出てくる。

 私が初めて相模湾の湧水生物群集を訪れたのは、1989年の「しんかい2000」とROV「ドルフィン-3K」による潜航調査であった。海底一面に広がるシロウリガイ類。生きた個体は海底の堆積物に突き刺さるように密集し、膨大な数の死んだ貝殻、それは驚愕の景観であった(図1A)。通常の深海底は水深1000mあたりの生物量は1 g/m2程度であるのに対し、化学合成生物群集では30 kg/m2を超える莫大な量になりサンゴ礁生物群集を凌駕する。それは、よく深海のオアシスと例えられる。
 シロウリガイをラボで処理すると、真っ黒な堆積物とともに温泉の臭いというかドブのような強烈な臭いが立ちこめ、硫化物が豊富に含まれていることは計測するまでもなく明らかである。シロウリガイを解剖すると大きく厚いエラと真っ赤な血液が目に入る(図1B)。普通の二枚貝は赤い血液は持たない。シロウリガイを含め化学合成生物群集のほとんどの動物がバクテリアと共生している。シロウリガイの場合は、エラの細胞内にバクテリアを共生させ、それから栄養を得ている。自らはエサを食べない。シロウリガイは、堆積物中の硫化物を取り込み、ヘモグロビン系の赤い血液で硫化物を共生バクテリアに運び、共生バクテリアはそれをエネルギー源にして生育する。ここを訪れるたびに、多くの生物にとっては有毒な環境を逆手に取った生きざまにたくましさを実感する。

2.世界最深部にある化学合成生物群集
図2. A: 日本海溝の水深7434mにある世界最深部の化学合成生物群集。海底表面にナラクハナシガイの死骸が見える。B: 新種として記載されたナラクハナシガイ。大きさ約3cm。

 世界で最も深い化学合成生物群集は、東北沖の日本海溝、水深7434mにある(図2A)。この発見には乗船研究者に大変お世話になったため強く印象に残っている。それまでも、ナギナタシロウリガイというシロウリガイ類を主な構成種とした化学合成生物群集が日本海溝の水深6437mに見つかっていた。1998年に生物学や地質学などの研究者からなる研究チームが、ROV「かいこう」で日本海溝の深海潜航調査を行った。潜航調査は、今日は生物研究で、翌日は地質研究というように日によって目的を変えていた。それは、目的に応じてROVに搭載する機器も変える必要があったからである。生物調査の場合はサンプリングや計測に、地質調査は観察に重点を置く場合が多い。
 この航海では、私も含む生物研究チームは、水深6500mより浅い場所の化学合成生物群集を対象に潜航調査を繰り返していた。一方、地質研究チームはさまざまな水深にある断層の調査を行っていた。その日の潜航調査は、地質研究チームが水深7300mより深い場所の断層調査を行うことになった。ROVの観察視野を広く確保するために、ペイロードには、柱状採泥器3本とサンプルボックスのみを搭載した。この潜航中、生物研究チームは、ラボで前日までのサンプル処理や実験を行っていた。私は首席研究員だったので地質研究チームとともに海底観察につきあっていた。予想通り、水深7300m以深の海底は堆積物に覆われ、ときどき岩石露頭が観察できたが、生物研究者にとってはめぼしい観察対象は出現しなかった。数時間海底観察をしていたところ、堆積物上に多数の白い貝殻のようなものがカメラに映し出された。接近して観察したところ、明らかに二枚貝の貝殻(図2A)と黒い堆積物があった。相模湾の湧水生物群集域の堆積物は、ドブの泥のような黒色を呈する。大量の二枚貝の貝殻と黒い堆積物、それらが断層付近にあるということは化学合成生物群集の存在を示唆する。当時、水深6437mより深い場所に化学合成生物群集は分布しないだろうという先入観を持っていたが、これを見た瞬間に、これは世界最深部の化学合成生物群集かもしれないと思った。
 同じ日本海溝の水深6437mまではナギナタシロウリガイが分布していたので、この貝殻もナギナタシロウリガイだと思ったわけだが、カメラでズームアップしても生きた個体は見当たらず、死んだ貝殻の破片を見てもナギナタシロウリガイとは思えなかった。化学合成生物群集の二枚貝には、ハナシガイ類やツキガイ類のように生きた個体は堆積物中に埋没して生息するタイプもいる。この潜航の搭載機器で、それをサンプリングするには、ROVのマニピュレータで掘り起こしてつまみ上げるか、柱状採泥器で堆積物ごとサンプリングするしかない。マニピュレータの握力は強いのでつまんだ瞬間破損して完全個体を得るのは難しい。残りは柱状採泥器で採取するしかないが、それは地質研究用のサンプルを採取するために最低限の3本しか搭載していない。しかし、地質研究チームは重要な発見につながることをすぐに理解してくれて、柱状採泥器でのサンプリングを快諾してくれた。
 調査船のラボでサンプルを広げたところ、真っ黒な堆積物とともにドブのような強烈な臭いが立ちこめた。中からは、大きさ2-3cmの生きた二枚貝が多数出てきた(図2B)。その後の研究で、この二枚貝はハナシガイ類の新種、ナラクハナシガイとして記載され、エラの細胞内には硫化物をエネルギー源とするバクテリアと還元環境に適応したバクテリアの2種が共生していることがわかった。これらのことから、この場所に世界最深部の化学合成生態系が形成されていることが明らかになった。この潜航調査では、浅はかな先入観で研究にのぞんではいけないこと、そして研究者チームの協力がいかに重要であるかを思い知らされた。

3.東北地方太平洋沖地震後の海底
図3. 東北地方太平洋沖地震後の三陸沖の海底。A:水深5350mで見つかった地震で生じた亀裂。複数の写真を合成。B: 水深 3585mで見つかった白色変色。大量の生物死骸が腐敗しバクテリアマットが出現。C: 漁場(水深440m)に沈んだ瓦礫(車のバンパーや漁具など)。

 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震は、三陸沖が震源域だった。震源域の水深数千mの深海底には、多数の亀裂、大量の生物の死骸と白色の変色域が見つかった(図3A, B)。また、底引き網漁業が盛んに行われている水深数百mの海底には、おびただしい瓦礫とそれを生息地とした新たな生物群集が形成されていた(図3C)。
 私たちは、この巨大地震が深海にどのような変化をもたらしたのか、どのようなメカニズムで地震や津波が起きたのかを知るために、「しんかい6500」などを用いて潜航調査を行った。通常とは大きく異なり潜航調査は困難を極めた。地震直後は、深海までも海水が濁り十分な視野が確保できない恐れがあり、また大きな余震も頻発していた。有人潜水調査船では、潜航中のアクシデントは人命に関わるため調査の実施には慎重に安全性の検討が行われた。そして、地震から約5ヶ月後の2011年8月に「しんかい6500」の潜航調査を行うことになった。潜航ルートは、直前に深海曳航式カメラで海底を確認し、異常や濁りが大きい場合は潜航しないこと、通常は海底から高度2-3mで航走するが余震などにより雪崩のような海底堆積物重力流(タービダイト)が起きた場合、それを回避できるように高度を高くすること、大きな余震があったら直ちに離底して潜航を中止することなどの対策を施した。
 この航海の最初の潜航研究者は私であった。つまり、巨大地震後の生々しい爪痕が残っている震源域を世界で初めて有人潜水調査船で調査することになったのである。これまで何十回と潜水調査船で潜航してきたが、そのときばかりはいつもにもまして緊張感が高まった。海底に降り立つとその様相は明らかに以前の日本海溝とは異なっていた。がけ崩れを起こしたように海底には大きな礫があり、通常ならその表面や周りには生物が散見されるのだがほとんど見られなかった。それは、長期間その場にあった礫ではないことを示唆する。予想はしていたが海水の濁りも酷く、地震前なら10m位先までは視認できるのだが、その半分程度であった。しばらく走るとわずかではあるが小型の甲殻類やナマコ類、そして20個体くらいのナギナタシロウリガイの集団も見つかった。これ以降も、何人かの研究者が潜航し、明らかに地震でできた亀裂(長さ数十m以上、最大幅約2m、深さは不明)が多数見つかった(図3A)。海底一面が白色に変色している場所も複数あった(図3 B)。変色域の堆積物をラボで広げると、腐敗臭が立ち込め大量の底生生物の死骸が出てきた。死骸の種類は場所によって異なり、ある場所はクモヒトデ類、別の場所ではウニ類であった。これは地震によってタービダイトが発生し、それに巻き込まれた生物が死んで一箇所に集積し、腐敗によって硫化物が発生し、それをエネルギー源としたバクテリアがマット状に広がり白色に見えたものと推測された。この変色域は、翌年には消失していたので長期間の化学合成生態系の形成には至らなかったようである。
 三陸沖では底引き網漁が盛んである。漁場は数百mの水深帯で、スケトウダラ、スルメイカ、カレイ類などを漁獲している。環境省の推計によると岩手県、宮城県、福島県から流出した廃棄物の総量は約480万トンで、そのうち約330万トンが海底瓦礫になった。漁場に沈んだ瓦礫は、底引き網を破損し、混獲した瓦礫が漁獲物を傷つけて商品価値を下げるといった被害をもたらす。したがって瓦礫の分布状況を把握して漁業者に提供することで、漁業復興の一助とするべくROVによる潜航調査を岩手県沖の水深400-600mあたりを中心に実施した。そこで目の当たりにしたのが、海底に沈んだ大量の震災瓦礫である(図3C)。車のバンパー、漁具、生活用品、衣類などなどありとあらゆるものが海底に沈んでいた。陸から20km以上離れた沖合にまでこれだけの瓦礫を運んだ津波の威力に驚きは隠せなかった。また、これらの瓦礫は生物の新たな生息場所となっており、周辺の海底に比べ明らかに瓦礫上のほうが目に見える生物の種類や生物量は多くなっていた。生物が増えることになったので、瓦礫も負の影響ばかりではないとも思われるかもしれないが、自然には存在しないものなので良いこととは思えない。
 以上、私なりの三大深海銘景を上げてみた。いずれも、ヒトから見たら特殊な環境に適応して生きる深海生物の姿が感じ取れる。多くの人にとって、深海は遠い存在かもしれないが、そこには、温度上昇、酸性化、資源開発、漁業、プラスチック汚染といったさまざまな影響が迫っている。原油、天然ガス、金属鉱床、メタンハイドレートといった深海資源がある場所には化学合成生態系がある。津波で約330万トンの瓦礫が海に流出したと述べたが、このような大災害抜きでも、私たちは年間800万トンものプラスチックを海に流出させている。その行方はまだはっきりしないが、最終的には深海に沈む可能性が高い。現在の世界の漁船漁業の平均水深は500mを超える。私たちは深海からの恩恵を受けつつ、同時に影響を及ぼしていることに気づかなければならない。

(本稿で取り上げた成果の一部は文部科学省東北マリンサイエンス拠点形成事業JPMXD1111105260の成果である。)

政策オピニオン
藤倉 克則 国立研究開発法人 海洋研究開発機構(JAMSTEC) 海洋生物環境影響研究センター長/上席研究員
著者プロフィール
栃木県生まれ。東京水産大学(現 東京海洋大学)大学院 水産学研究科 資源育成学専攻 修士課程 修了。博士(水産学)。専門は深海生物生態学。深海化学合成生態系の生態に関する研究や海洋生物の多様性研究を行っている。2013年7月から開催された国立科学博物館の特別展「深海 -挑戦の歩みと驚異の生きものたち-」の共同監修を行った。おもな編著・監修書等に『潜水調査船が観た深海生物 深海生物研究の現在』藤倉克則, 奥谷喬司, 丸山正 編著(東海大学出版会)、『深海のフシギな生きもの 水深11000メートルまでの美しき魔物たち』藤倉克則, ドゥーグル リンズィー 監修/ネイチャー・プロ編集室 構成・文(幻冬舎)、『深海の生物』藤倉克則 監修(ポプラ社)などがある。

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