政策オピニオン

2018年10月1日

地球環境における海の役割―海の砂漠化と海洋生態系の未来―

創価大学大学院工学研究科教授、東京大学名誉教授 古谷研
1975年東京大学理学部生物学科卒業、1981年東京大学大学院農学系研究科水産学専門課程博士課程修了。農学博士。東京大学海洋研究所助手、三重大学生物資源学部助教授、東京大学大学院農学生命科学研究科助教授、同教授、同研究科長・農学部学部長、東京大学理事・副学長歴任。現在、創価大学大学院工学研究科環境共生工学専攻教授。専門は水産学、生物海洋学、環境動態解析。

はじめに

 地球上の水の97%が海にある。太陽からの熱でそれが蒸発して、雲になり雨になって、陸を潤しまた海に戻る。そのような壮大なスケールの水循環の過程でおびただしい数の生物が養われ、また、気候が安定する。このように海は地球上の生物と環境に大きな役割を果たしている。ここでは、海洋面積の40%を占める亜熱帯海域における生物生産機構を概観しながら、海洋生態系の将来について太平洋を舞台に考える。

 

2. 海の砂漠化

広がる海の砂漠
 ハワイ・ホノルルの地元紙The Star Bulletinの2008年2月25日付記事は、いわゆる「海の砂漠」が広がり、近い将来ハワイ諸島に到達する可能性を指摘している。海が砂漠化すれば、生物生産性がますます低下し、魚の餌が無くなってしまい、マグロ、サメ、カジキといった魚類は大打撃を受けることになる。
 世界には海の砂漠と呼ばれる海域が5カ所ある(1)。海面のクロロフィルすなわち植物プランクトン量を人工衛星により測定すると、沿岸域や冷たい海で多く、暖かい海で少ない傾向がある。特に亜熱帯海域でクロロフィルが著しく少なく、こうした海域が海の砂漠と呼ばれる。5ヶ所とは南北太平洋、南北大西洋そして南インド洋の亜熱帯域である。この新聞記事によれば、1990年代から人工衛星を使って継続してクロロフィル量が計測されているが、砂漠化した海域の面積は絶えず広がり続け、着々とハワイに近づいている。

海の砂漠化が海の生物へもたらす影響
 海の砂漠化は生物にどのように作用するのだろうか。肥料の三大要素と言われる窒素、リン、カリのうちカリウムは海水中にふんだんにあるので、問題になるのは窒素とリンである。窒素とリンは海水中ではそれぞれ主に硝酸塩、リン酸塩として溶存している。一般に海水中の窒素やリン、ケイ素の無機塩は、植物プランクトンが増殖するのに不可欠なことから栄養塩と呼ばれる。海の砂漠と呼ばれる海域では、栄養塩の濃度が非常に低く、通常の分析法で測定するとほぼゼロの状態である(図1)。海表面の海水は太陽により温められて軽くなり、水柱は安定化する。特に亜熱帯海域では日射が強く、水柱に温かい海水が覆いかぶさっている状態である。植物プランクトンが栄養塩を使って有機物を作れば、その分、栄養塩が消費される。有機物の一部は動物等の従属栄養者に利用されて、その場で栄養塩は再生するが、残りの有機物は糞粒などの粒子となって沈降する。結果的に表層付近の栄養塩は枯渇することになる。海水が上下に混ざれば上層にも下層からの豊富な栄養塩がもたらされるが、砂漠化した海域では台風等のイベントを除けばほとんど海水が混ざることがないので、栄養塩は光の届く海面付近で枯渇してしまう。

砂漠化調査のパラダイムシフト
 それでは海の砂漠において栄養塩は枯渇しているのだろうか。海洋研究開発機構に所属する学術研究船「白鳳丸」の船底からポンプにより航行しながら汲み上げた海水について、新たに開発した高感度分析法によって連続的に栄養塩濃度を測定した。観測を開始した2004年から2008年頃にかけて夏や冬の季節ごとのデータを収集したところ、硝酸塩については、多い海域でも30nM程度で、大半の海域では表層での濃度が10nM以下と著しく低いことが判明した2。従来の検出法による検出限界は最良の方法でも50nMほどであったので、これまで検出限界以下とされていた硝酸塩濃度が、新検出法により濃度が明らかになったのである。高感度分析法によって中央~西部太平洋では硝酸塩濃度が非常に低く有機物生産が窒素の供給不足で極めて低く抑えられていることが確認された。一方、リン酸塩は硝酸塩に比べて海域による濃度変動が大きく、多い海域では300nMと硝酸塩よりも一桁多く存在し、十分な量が存在する状況である。

新たに発見されたユニークな海域
 ところが、西部北太平洋の北緯15°~25°付近では存在するはずのリン酸塩が季節を問わずほぼ使い尽くされている特異な海域が数千キロメートルにわたり存在することが新たな分析法を用いることによって判明した(2)。その原因として、窒素固定が活発であるためリン酸塩が消費し尽くされていることが明らかになってきた。
 では、なぜこの海域の窒素固定が活発なのだろうか。窒素固定は、生物が窒素ガスを取り込んで窒素化合物を作る現象を言うが、その担い手はバクテリアのなかまの微生物で、微生物は海水に溶存している窒素ガスを取り込んで自分自身のタンパク質を構成する。例えば、レンゲの根には窒素固定能をもつ「根粒菌」が共生し、空中の窒素ガスをアンモニアに変えて固定する。根粒菌はふつうの生物では使えない窒素ガスを生物が使える形に変えてくれるのである。調査の結果、レンゲの根粒菌と同様の化学反応を持つプランクトンが窒素栄養塩の枯渇したこの海域に集中的に生息して海水中の窒素ガスを固定していることが分かってきた。

様々な窒素固定者
 根粒菌はニトロゲナーゼという酵素を持ち、大気中の窒素をアンモニアに変換する。海洋にも、単細胞性シアノバクテリアや大型群体を形成する種などニトロゲナーゼを持つ多様な窒素固定者がいる(図2)。ニトロゲナーゼによって海水に溶存する窒素ガスはアンモニアに変換され、このアンモニアはその後、アミノ酸やタンパクなどに変換されて細胞内で利用される。

 では、なぜ、リン酸枯渇域で窒素固定生物が活動しているのだろうか。ニトロゲナーゼは鉄やモリブデンを補欠金属という形で必要とするため、鉄やモリブデンがなければ働かない。鉄の海水への溶解度は非常に低いことから、海水では鉄が不足しがちとなる。このため、鉄が不足しやすい海洋表層ではニトロゲナーゼの補因子である鉄の供給が鍵となる。大気シミュレーションによる解析やダスト観測、培養実験から、アジア大陸からのダストによりこの海域に鉄が供給されていることが分かってきた。

陸から海への鉄の供給
 東アジアの衛星画像に、中国大陸の砂漠から舞い上がったダストが太平洋に向かっている様子が見て取れる(3)。黄砂である。黄砂には鉄が含まれており、西部太平洋に鉄が供給されることになり、黄砂成分(ケイ素、鉄など)がプランクトンの栄養になってこの海域でリンが使い尽くされる現象が起こっている。しかし、ダストイベントという現象は絶えず起きるわけではなく間欠的に発生する。それなのに、リン枯渇域は年間を通じて安定して形成されることが分かってきた。このことから、黄砂ほど顕著ではないとしても、陸からの鉄供給が比較的頻度高く起こっており、それが原因となってリン枯渇域が形成されていると推測できる。
 このように、リン酸枯渇海域では低濃度の鉄の利用能が高い単細胞性種が卓越して溶存鉄を利用していたのである。ダストによって鉄が供給されると窒素固定が活発になり、それに伴いリン酸塩が枯渇するまで消費されるのである。イベント的に起こるダスト供給に連動して生物活動が展開されているのだ。生物量が低く変化に乏しいとされてきた海の砂漠は、ディズニー映画の古典「砂漠は生きている」さながらに、ダスト降下などのイベントに窒素固定者が応答する動的な生物活動の場だったのである。
 陸からのダストの供給は南半球よりも北半球の方が多く、また、太平洋が大西洋より多いことが分かっている(4)。その理由は、南半球にはダストの供給源、つまり砂漠をもつ陸地面積が小さく、一方の北半球では広い。西部太平洋では、図3で示されているようにダストが東アジアから供給されている。このダスト供給を受けて窒素固定が活発になり、その結果として西部北太平洋ではリン酸塩が枯渇している。しかしながら、南太平洋では、ダストの供給が十分ではないためにリン酸塩が余っており、同じ海の砂漠と言っても南北太平洋ではかなり状況が異なっているのである。

 今後はアジア・アフリカでも砂漠化の問題がさらに深刻になると予想されている。The New York Timesの記事(2016年10月24日付)によれば、アジア・アフリカでも砂漠化は着々と広がっている。40年間でクロアチアの国土と同程度の面積が砂漠化していることを伝えている。このように海の砂漠への鉄供給のあり様、また、それを受けての海洋生物群集の応答には、大気を経由して陸域の人間活動が影響を及ぼしているのである。大気を経由した鉄の供給は窒素固定についてはプラスに働くが、陸からのマイナスの影響も近年指摘されている。それは大気汚染物質の輸送である。カドミウムや鉛、銅などの有害金属類が黄砂により海域にもたらされることによる影響に懸念がもたれている。
 このように海の環境が変わりつつある中でその生態系はこれからどうなるのかが大きな関心事となっている。特に、人類がこれまで生態系から受けて来た海の恵みが今後どうなるのかは、私達の将来に直結する問題である。

 

3.「海の恵み」の評価

物質循環の重要性
 我々が生態系から受けている恵みにはどういうものがあるか。まず、水産物がある。水産物は海の恵みとほぼ同義とされる場合が多い。さらに、海洋の二酸化炭素吸収能や気候調節機能、老廃物を分解したり、有毒物の無毒化、新たな有機物生産につなげる栄養塩再生機能など、海洋生態系は様々な恵みをもたらしてくれる。美しい海を眺めたり、黄金色に輝く夕陽を眺めたりすることにより我々の精神生活は豊かなものになるが、これらも恵みに含まれる。
 さらに、気付きにくいが物質循環が重要である。生物の働きで生産された有機物が食物連鎖や腐食連鎖などの生物間の様々な関係を通じて生態系内を循環して再び無機化されて循環する生態系内のモノの動きを物質循環と言う。もしこの物質循環が止まると、大気中の二酸化炭素は300年、400年で無くなると言われている。いま二酸化炭素が増えて温暖化が生じていることが大問題となっているが、有機物の分解が遅くなって二酸化炭素が不足するようになることも問題なのである。要するに物質循環が滞らないようにすることが大切である。海の恵みは、多種多様な生物活動の総和としてもたらされるものであるため、物質循環によって、すべての生物が生命活動を維持するために物質とエネルギーが有機物のかたちで配分されることが大事なのである。

植物プランクトンの大きさは桁違いに異なる
 物質循環が滞るとはどのようなことだろうか。これを考えるには、生態系の構造を見る必要がある。海の中では、小さな植物プランクトンを動物プランクトンが、動物プランクトンを魚が食べるという、より小さな生物がより大きい生物に食べられる食物連鎖がある。実際は単純な鎖ではなく、多くの種が複雑に絡み合った網のような構造をしている。プランクトンや魚類では齧るということをせず丸飲みする食べ方が一般的で、大きなものが小さなものを食べる特性がある。生物が死ねば微生物により分解されて無機物として循環する(図4)。

 その循環を駆動するのが太陽エネルギーである。太陽エネルギーを利用して有機物を作る植物プランクトンは単細胞性の藻類であるためサイズは小さいが、中には肉眼でも見える種もあり、その大きさには4ケタ以上の幅がある。4桁の違いを我々の感覚に合わせてみると、例えば、極小のものを小さなイワシに例えると、大きなものは伊豆大島に例えられる。したがって、植物プランクトンを餌として食べる動物プランクトンは、これだけの幅を1種類でカバーすることは到底ありえない。つまり、海の食物連鎖は、数多くの餌に対応して、数多くの動物が存在するのである。
 もし、ある生き物が絶滅すればその部分のリンクが切れてしまい連鎖は上位にはつながっていかなくなる。しかし、そのリンクを補填しようと、別の種が連鎖に加わり、生態系は新しいネットワークを作るようになる。このように生態系の構成メンバーが多ければ多いほど、リンクの補填は容易になる。つまり物質循環を円滑にするためには生物多様性は絶対不可欠なのである。生物多様性の意義については、様々な観点から議論されるが、円滑な物質循環の観点からも生物多様性は重要なのである。

海の恵みの劣化
 今のところ科学的に記載された海洋生物は20万種程度だと言われているが、実際には約200万種いるとした論文も存在する。その論文の主張によれば、全体の90%の生物の存在はまだ知られていないことになる。かかる状況の中、海の恵みの劣化が現実の問題になっている。2001年から2005年にかけて実施された国連ミレニアム生態系評価:MAによれば、20世紀後半の生物多様性の不可逆的な喪失により、恵みの劣化、生態系リスクの増大、不平等格差の拡大を招いた。これまで市場性価値をもつ恵みである食糧生産(漁業)はもとより、素材の提供(医薬品)、遺伝子資源(有用微生物)について利益配分を中心に国際的な議論が進んでいる。しかし、市場性価値をもたない恵みについては、大気成分の調整(CO2/O2収支:一次生産)を除いてほとんど議論されていない。ここで二酸化炭素を大気から人為的に積極的に取り除こうとする活動に触れておく。その代表例として、海に窒素や鉄を撒いて光合成を活発にし、海洋肥沃化をして、二酸化炭素を大気中から海に移行させる試み(Geo-engineering 気候工学)がある。海洋現場において大規模な肥沃化実験がいくつも行われたが、人為的な肥沃化に対する海洋生態系の応答が予想よりも小さく、むしろ、海洋生態系に及ぼす影響の不確実性が高いことから、現場散布実験は現在モラトリアムとされている。黄砂の降下などの自然の鉄供給現象に対する海洋生態系の長期的な応答の観測など、今後、大気中の二酸化炭素の変動に係る研究に真剣に取り組みながら、議論を進める必要がある。

海洋利用のための新たなガバナンスの必要性と緊急性
 恵みを持続的に利用するためには、市場性価値の有無によらずそれぞれの恵みを評価することと、それに基づいた社会的枠組みの構築が必要となってくる。恵みの劣化を受けて海洋ガバナンスをしっかり行おうという考え方が広く受け入れられつつある。海洋ガバナンスとは、ひとことで言えば海域利用の利害調整である。国連では、海洋ガバナンスに関する決議が毎年のように行われている。また、恵みの持続的な利用のためには生物多様性の保全が必須であることから、生物多様性条約(正式名称「生物の多様性に関する条約(Convention on Biological Diversity, CBD)」)も重要である。
 しかし、こうした議論のための自然科学的・社会科学的理解は極めて限られている。海洋学において議論のベースになる知見が十分ではないのである。2005年に発表された国連ミレニアム生態系評価マップにおいても、海には3区分しかなく、岸から離れた海域はひとくくりにまとめられている(6)。これは、海洋生態系とその物質循環に関する知見が特に外洋域で乏しいことによる。
 近年、外洋域、特に公海の利用に大きな国際的関心が高まってきており、海洋利用のための新たなガバナンスの必要性と緊急性が国際的に広く認識されている。これに取り組むために第一のステップとして、海洋を、その生態系と物質循環のまとまりから整合性のあるサブシステムに分けることが必要であり、第二のステップとして、それぞれのサブシステムにおける生態系の構造と物質循環に関する知見を得ることが求められる。

 

4. 新学術領域研究「新海洋像:その機能と持続的利用」

新たな海洋区系(サブシステム)の確立
 海の砂漠の研究を行っていく中で、海の恵みを生み出す仕組みの理解の必要性を痛感し、海をサブシステムに分ける研究をスタートさせた。海では、古典的には熱帯・亜熱帯という大雑把な区分が準用されてきたが、近年の海洋研究が大きく進むに従い、区分の仕方も変化した。Alan Longhurst氏が作成したマップがいま最も広く使われているものである(7)。このマップも基本的には気候帯に準拠しているが、海色から求めた海面クロロフィル分布をもとに、これまでの知見を海域ごとに集約した経験的なマップである。当然ながら、最近新たにわかってきた先述のリン酸の枯渇域は記載されていない。
 こうした状況を踏まえて、科学研究費補助金 新学術領域研究 「新海洋像:その機能と持続的利用」プロジェクトを平成24年度から28年度に行った。平成29年度には白鳳丸による太平洋東西横断航海を行うとともに、取りまとめも行ったので実質6年間に及ぶ研究プロジェクトとなった。太平洋における恵みを評価するための学術基盤を構築するとのゴールに向けて、海を環境と生態系のまとまりに応じて整合的なサブセットに分け、南極海を除いて太平洋をほぼ網羅する海域で、最新の方法を一貫して適用して物理、化学、生物緒過程を調査して「海の基本台帳」を作成した。その過程で多くの新たな海洋学的発見があった。また、最新の分子生物地理研究に供するサンプルも多数採取したので、研究期間は終了したが、今後、新たな発見が大いに期待できる。
 この研究プロジェクトによって、物理環境、窒素やリンなどの生元素物質、各生物群、生物各種について多数の海洋区系マップが得られ、それらを統合して全体を俯瞰する海洋区系マップも確立することができた(図5)。現在、試料・データ解析が進んでおり、さらに新たなマップの提出が期待される。ここでポイントとなるのは、一枚の汎用マップで区系を定義していないことである。恵みの種類によって、それを生み出す生物過程は異なっており、本領域で提案される多くのマップは、それぞれが多様な恵みのいずれかに対応しており、そのマップセットの中から、当該の恵みに関わるマップを取り出して議論することが可能になった。

 この研究プロジェクトは、海洋学における文理連携の初めての大型研究であった。理系の研究ではテーマを深堀りする方が的が絞りやすく論文を書きやすい傾向がある。このため、学生には深堀りの研究をさせる場合が多いが、この研究プロジェクトのように対象が広範囲なものはどこから着手したらよいかわかりにくく若い研究者からは敬遠されがちである。しかし、このような研究に取り組む若い研究者が本プロジェクトから育ってきており、心強い限りである。

価値評価
 将来にわたって海の恵みを持続的に利用するためには、誰がどのような価値を海の恵みに感じているかを理解することが必要であり、海洋ガバナンスの基礎となる合意形成のためには必須である。恵みの価値評価には、大きく分けて恵みの供給側からと受ける側からの2つアプローチがある。前者は市場で取引されている価格に基づく評価で、実際に市場で取引されていない物やサービスについては、その機能を、何かで代替することによって計算して貨幣で価値を表現する。後者は人々の支払い意志額によって価値を評価する方法であり、人々が恵みから受けると感じている効用の表現でもある。
 まず、私たちは海域毎にそこで生み出される価値を評価することを試みた。恵みの中でも市場価値が明らかな水産資源を対象にした。太平洋各海域の一次生産量から漁業生産を求め、その価値を経年魚価換算係数を用いて貨幣価値に換算すると、各海域の貨幣価値が計算される。このような計算をした結果、沿岸域の価値は桁違いに高く、外洋の価値は極端に低くなった。沿岸と外洋の極端な違いは、この計算では、広域回遊魚が外洋域で餌を利用することを考慮することは技術的にできないことが一因になっていた。マグロを例に取ると広域回遊魚は稚仔魚の段階では沿岸の生産力を利用するが、成長すると広域を回遊しながら成長する。外洋はマグロの成長にとって不可欠な場所であるが、それをどのように評価したら良いのか、科学的な記述は現段階では難しい。さらに、そうした時空間的な海洋利用が魚種によって多様であるため、海域そのものの貨幣価値を求めるためには、魚種毎に海域利用を切り分けて、それらを海区ごとに合算しなければならないが、そのために必要な多種多様な魚種をカバーした生態的知見が現時点では圧倒的に不足している。このため、このように求めた各海域の貨幣価値は実態を反映しないことになる。
 しかしながら、本研究から、生態に関する知見が集積している魚種では海域毎に価値を評価する手法を確立し、今後の研究の類例を示すことができた。具体的には日本系サケについて、海洋環境と回遊路の関係、摂餌生態および個体群動態と海洋環境変動の関係から、日本系サケの生産を支える一次生産利用量、動物プランクトン量を割り出し、動物プランクトン量を市販オキアミで代替するとして、放流サケの成長を支える各海域の貨幣価値を見積もり、日本系サケの成長にとって重要な海域を特定することができた(投稿準備中)。こうした研究の類例はこれまでないが、今後の海域評価の研究の先導になるものと考えている。
 次に、人々の支払い意志額によって価値を評価した研究例を紹介したい(8)。この研究では、海の恵みに対する人の価値を探るキー・ワードとして、「不可欠性」を設定し、「海の恵み(例えば魚や海藻などの食料供給)の不可欠性が高ければ高いほど、その恵みに対する人の価値評価も高く、海洋環境を保全したいという意欲も高まる」という仮説を立て、日本在住者のアンケート回答を分析した。その結果、回答者は「不可欠性」を軸にすると、海の恵みを「生活に必要な海の恵み」、「間接的な海の恵み」、「文化的な海の恵み」の3つに分けて認識しており、このうち、最も不可欠性の低い「文化的な海の恵み」に対する人の価値が、最も大きく海洋環境の保全意欲を高めている、つまり不可欠性は必ずしも効用を決めないとの結果を得た。また、同じくアンケート調査によって、食料の供給機能や物質循環などの基盤的な海の恵みに対する人々の価値評価を、現在と100年後の恵みの向上に対する支払い意思額から調べたところ、現時点での恵みの向上よりも、100年後の恵みに対する支払い意思額が高く、自分が享受しない将来の便益に対してより多く支払うという傾向を認めた(9)。さらに、海の恵みの維持に対して貢献意欲の高い人々は他者との関係性の維持欲求が高く、公共心も高い傾向があること、海洋生態系の機能やそこから受ける恵みに関する教育や啓発が重要であることも認められた(投稿中)。海の恵みに対する価値評価は、人によって、またその人がおかれている社会・経済・環境によって異なると考えられ、今回の結果を一般化するためには研究を積み重ねていく必要がある。

有機物生産についての比較―植物プランクトンと海藻・海草、海洋と陸―
 ここで、恵みに関する海洋管理の難しさにも触れておきたい。その難しさは海洋生態系がフローの系であることに起因している。海における有機物生産者として植物プランクトンと海藻・海草があるが、海洋における有機物生産全量の実に96%を担っている。後者の海藻・海草には、ワカメや昆布が含まれるが、これらが賄う有機物生産量は全体のわずか4%である(図6)。次に、海洋と陸で有機物生産を比較すると、両者とも年間560億トンと540億トンということでほぼ同じ値であるが、そもそも植物の生物量が全く異なる。陸は8,260億トン、海洋は17.7億トンである。つまり植物の生物量は海の中は極めて少ない。要するに、陸の生産力が年間わずか7%増であるのに対して、海は3,050%増と桁外れの生産力を有するのである(図7)。海の中では根も幹も枝も要らず、浮かんでいればよい。だから木の葉の一つ一つの細胞が海の中に拡散していて、フルに光合成を行っているような状態である。それに対して陸上の植物は根から水分を吸収して幹を通して水分を運ぶ、養分を集めて貯める等、分業で成り立っており、そのための器官を構成する有機物の占める割合が大きい、つまり直接生産にかかわらない支持器官の占める生物量が多い、いわば陸はストックの系といえる。

 一方のフローの系では生物量よりは回転速度が重要である。しかし、回転速度は目に見えないため、ガバナンスを考えたときに管理しにくいという問題がある。例えば、漁業管理では、漁業の道具(漁船)なり、漁獲などストックを管理の対象とする。しかし、フローを管理することは極めて難しい。図4に示した生物間の物質循環の速度をどのように管理したら良いのか、と言いかえることができる。これが、海の恵みの持続的利用を図るためのガバナンスをどのように効かすか、における大きな問題となる。

国際的な合意形成の必要性
 海洋ガバナンスの議論では、問題が生じて初めてその解決に向けて条約を作るという構図が常である。一方、生態系に関わる問題では、陸上でも海でも問題が認識された段階というのは、状況がすでにかなり危機的な段階にあるというのが実態である。その中で、前述したように我々は海にいると思われる生物種の10%も知らない。こうした状態では予防原則をどう働かすかがポイントになる。しかし、予防原則は、いざ実行するとなると何らかの逃げ道が用意されているといっても過言ではない。まだ大丈夫という可能性が残されているので厄介なのである。とはいえ、まずは生態系のモニタリングを継続して事態を早めに把握することに努めなければならない。
 海に関する法制度を見たときに、海を静的なものとして捉えがちで、動的な海洋プロセスを管理するようにできていない。条約等のしくみは、静的なものには当てはめられるものの、動的なものには当てはめることができない。
 また、これまで海洋ガバナンスの従前の対象は沿岸域に限られていたが、外洋域、特に公海の利用に大きな国際的関心が高まっている。しかし、そもそも公海は誰がステークホルダー(利害関係者)なのかすら把握しにくい、つまり取り締まれないことも大きな問題である。

今後の展望と課題
 最後に、今後の展望と課題について述べたい。結論から言うと、文理の研究者間の対話による共通理解を辛抱強く図り、そのような研究者コミュニティの発言力を増すことが極めて重要である。理系の研究者と社会科学の研究者ではそれぞれの専門用語が異なるのも一因となって、議論が始まってもたちまちのうちに相手方を理解することを諦めてしまう。お互いに情報共有するなどして相互理解のために協力し合うことが肝要となる。国際科学会議(ICSU)と国際社会科学評議会(ISSC)が統合することが去年決定され、新たに国際学術会議International Science Council(ISC)が設立され今年台湾で締結式が行われる。先の学術会議でInternational Science Councilの日本語名が「国際学術会議」と決定した。このように、グローバルな課題に取り組むためには、文理の連携が必須であり、従来の科学者連合では成り立たないという考え方が社会の潮流となっている。
 2番目に、生態系の価値をどう評価するかが重要である。これは、上述したように合意形成のプロセスに入る前提として不可欠である。
 3番目として生態系機能間のトレードオフを価値の文脈でどう評価するかである。例えば鉄や窒素の散布と二酸化炭素吸収のトレードオフの問題があるが、自然科学の研究を進めて生態系のもつ応答の不確実性をなるべく減らしたうえでの議論が必要である。
 4番目としては、海洋の持続的な利用のためのガバナンスに必要な国際的合意形成にどう道筋をつけるかである。現在、国連でBBNJという国家管轄権を超えた公海での海洋生物多様性(Marine biological diversity of areas beyond national jurisdiction; BBNJ)という条約締結に向けた活動が動いているのだが、そこに科学がどのように貢献できるかがポイントである。「新海洋像」の活動からBBNJの条約締結に向けた道筋を提示することができ、「新海洋像」の社会科学系のメンバーはBBNJ準備会合の日本政府団員として参画していることから、学術成果を社会実装につなげるうえで貢献してくれるものと期待している。
 5番目として、新たな社会の駆動原理が必要である。国際的な利害調整を行うのは常に国が単位となっているが、グローバル化という風潮の中ですでに経済や情報は国境を越えている。インターネットテクノロジーがそれを加速している。インターネットは社会のあらゆる要素を個と個で結んでいる。一人が放送局のように情報発信することが可能であり、いまIoTでモノも含めて要素間の関係が国境を越えている。こうした状況で海の恵みのためのガバナンスを考える時となっている。2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の中に14番目の目標として海とその資源が盛り込まれた。17の目標間には相反しうるものが少なくなく、トレードオフ等、たくさんの課題に取り組んでいかなければならない。SDGsは海洋研究の今後の方向性として重要なものと考える。

(本稿は、2018年4月19日に開催した「ICUS懇談会」における発題内容を整理してまとめたものである。)

 

1 McClain et al., Deep Sea Research II, 51, 281-301 (2004)
2 Hashihama et al., Geophysical Research Letter, 36, L03610 (2009)
3 NASA/Goddard Space Flight Center, “SEAWIFS: CHINA DUST LINGERS,” NASA/Goddard Space Flight Center, and ORBIMAGE (2001)
4 Jickells et al., Science, 308, 67-71 (2005)
5 古谷研, 海の研究、24, 63-76 (2015)
6 Reid, et al., “Ecosystems and Human Well-being,” Millenium Ecosystem Assessment (2005)
7 Longhurst, “Ecological Geography of the Sea.” Academic Press (1995)
8 Wakita, K. et al., Mar. Policy, 46, 53-60 (2014)
9 Shen et al., Ocean Coast. Manag., 103, 1-8, (2015)