政策オピニオン

2019年6月21日

日本版包括的生徒指導プログラムの実践 ―全人教育が子ども、教員、地域を救う―

広島大学大学院教授 栗原慎二
埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了、兵庫教育大学大学院学校教育学研究科博士課程修了。博士(学校教育学)。埼玉県立高校教諭を経て、現職。著書に『いじめ防止6時間プログラム』(編著)、『新しい学校教育相談の在り方と進め方』、『マルチレベルアプローチ だれもが行きたくなる学校づくり』(編著)、『PBIS実践マニュアル&実践集』他多数。

はじめに

 我が国では不登校やいじめ、学級崩壊などが社会問題化し、子どもを心理的・社会的にも育成することが大きな課題となっている。子ども達を全人的に教育するのを手助けするため、私は各地でマルチレベルアプローチ(MLA)という日本版の包括的生徒指導(Comprehensive School Guidance and Counselling)プログラムを実施してきた。本稿ではMLAを実施することで子ども達、教員、地域にどのような成果が表れるかを紹介したい。


1.思いやりと社会性をもった子どもを育てる

 私はいくつかの自治体でMLAの実施に携わってきた。広島県広島市に始まり、岡山県総社市、山形県米沢市、宮城県石巻市、兵庫県加古川市などで実施してきた。どの自治体でも子ども達の状況は劇的に改善されたが、岡山県総社市の取り組みが代表的である。

子どもの養育に悩む学校

 私が関わるようになる前、総社市は、平成6年に発生したいじめ自殺を契機に学校教育の改善に取り組み、小中学校の不登校を減らす施策にも取り組んできた。しかし、20年以上の取り組みにも関わらず、不登校の数が全国平均を下回ることはほとんどなく、対策の効果が上がらないことに悩んでいた。
 総社だけではなく、多くの自治体が不登校数が減らずに苦しんでいる。私はその原因は大きく二つあると考えている。第一の原因は既に不登校になっている子どもに対する施策が中心になっていることである。そのような施策では不登校の発生は防げない。そして第二の原因は学校教育が子どもの変質に対応できていないことであった。現代の子どもは対人スキルが育っておらず、精神的脆弱性が増している。そのため、強くしなやかに育つような教育が展開されなければならないが、学校は従来と変わらない教育を行っていた。結果として、学校に適合できない子どもが不登校になっていた。

MLAの考え方

 総社市は抜本的に教育を見直すべく、MLAを取り入れた生徒指導プログラム「だれもが行きたくなる学校づくり」(「だれ行き」)を開始した。MLAは学習指導に加えて子ども達の心理的・社会的発達を促すことに比重を置く、全人教育プログラムである。
 全人教育を行うために、MLAでは四つのプログラムを柱にしている。
 第一のプログラムは「社会性と情動の学習(SEL)」である。現代には他者はおろか自分の感情を理解するインプットスキルが身についていない子どもが多い。そのため、SELでは自分や他者の感情のとらえ方を学習する。
 第二のプログラムは「ピア・サポート」である。「ピア・サポート」は「自分も人の役に立ててよかった」という自己有用感を育てる。それを通して、思いやりのある子どもを育て、ひいては学校風土を醸成する。
 第三のプログラムは「協同学習」である。協同学習ではグループ活動によって感情や思考の交流を行い、良好な人間関係の構築と学習意欲の向上を目指す。
 第四のプログラムは「ポジティブな行動的介入と支援(PBIS)」である。PBISは学校という社会で、人と人が関わる際のルールを学ぶ。仲間と磨き合うことにより規範意識を向上させるとともに、適切な行動ができるように支援するプログラムである。PBISでは家庭・地域との連携も重視される。「だれ行き」もこれら四つのプログラムにより具体的な実践を行った。

生徒指導を三次に分類

 また、MLAでは子ども達のニーズや発達状況に応じて、生徒指導を一次から三次に分類する。一次的生徒指導ではすべての子どもが不登校にならないよう「自分でできる力」を育む。二次的生徒指導では不登校になりかけ、発達障がいなどのハイリスクな子どもが不登校にならないように、「友達同士で支えあう力」、すなわちSOSを出し合える力を育てる。そして、三次的生徒指導では不登校になった子どもへの大人による支援が行われる。
 子どもの視点から見れば、三次から順に心理的・社会的発達の度合いが上がることになる。最終的にすべての子どもが一次的生徒指導の目標を達成することがMLAの目的である。一次的生徒指導に力を入れることで、結果として不登校の発生予防につながる。
 以上のようにMLAでは生徒指導を三段階に分け、四つのプログラムを適用していくことで子ども達の心理的・社会的発達を促していく。「だれ行き」でも同様の手法を用いて学校教育の改善に取り組んだ。

 

「だれ行き」で二つの大きな成果

 総社市の「だれ行き」は特に二つの点で大きな成果をもたらした。1点目は中学校における不登校や非行の減少である。平成21年に3.17%であった市内の中学校の不登校出現率は平成30年に1.55%となった。また、警察による中学生の検挙・補導数は95%以上の減少となった。
 そして2点目は子ども達の中に地域のために何かをしようという心が育ったことである。総社市は平成30年に豪雨災害に襲われている。市内の子ども達も当然被災した。そのように大変な状況で、高校生1000人ほどが自主的にボランティアに集まった。総社市の高校生は全部で2000人ほどであり、実に半数に上る。被災した子どもたちもいたことも考えると、これは驚くべき数字といっていいだろう。多くの子ども達に良好なパーソナリティが育っている証左である。


地域の教育の方向性を揃えることが大切

 総社市でこのような成果を出せた背景には地域の協力も大きい。PBISに関連することだが、子ども達に社会で望ましい行動を教えるためには地域の教育の方向性を揃えることが大切である。総社市の場合、どういう子どもを育てたいか合意をとるために協議会を開いた。すべての保護者にアンケートを取り、子どもに身につけてほしい価値項目をピックアップした。その後、商工会議所や警察などの関連団体、さらには市長の参加のもと子どもたちの育成方針を決定した。
 そして、協議会で決まった価値を月毎のテーマにし、地域ぐるみで子ども達にはたらきかけた。月のテーマが「思いやり」であれば、「思いやり」を打ち出したポスターを作って商店街や地域の掲示板に貼り出す。また、子どもがゴミ拾いなどの「思いやり」のある行動をすれば地域の人々全体で声をかけ、ほめるようにした。
 この取り組みは評判が良く、地域の教育に対する関心も高まった。市教育委員会には「もっと進めるように」という意見が寄せられた。他にも学校の生け垣の整備や、体育館の壁の清掃などを住民自ら申し出てくれるなど、学校への関心も高まった。学校が行っている教育が地域に見えるようになり、地域全体が子どもを育てようという雰囲気になったのである。
 地域の協力もあり、総社市の不登校数は減り、多くの子ども達が思いやりと社会性を備えた人間に育ちつつある。学力は当然重要である。しかし、試験の1点2点にこだわるよりも、全人教育により災害ボランティアに参加した高校生達のようなパーソナリティと社会性を持った子ども達を育てていくことが肝要である。


2.教員を支援する

 前述のようにMLAは子ども達の全人的育成に有効である。同時に、教員にとっても大きな助けとなりうる。というのも、MLAが日本の教育行政において不足している体系的な生徒指導指針と研修機会を提供するからである。

教員養成力が足りない

 日本の教員の専門性を高める制度には不備がある。日本の教員養成の特徴は、教員になる前の養成(pre-service)が充実している反面、教員になった後の養成(in-service)が貧困で、全体の底上げとリーダー養成の両面で十分な養成がなされていない。
 教員全体について見ると、義務となっている研修時間が他国と比べて極端に短い。韓国の教員は年間60時間、香港は3年間で150時間、シンガポールは年間100時間、オーストラリアのヴィクトリア州は5年で200時間の研修が義務付けられている。シンガポールは突出して多いが、おしなべて年間50時間ほどが標準である。対して日本は10年間で30時間、年間にして3時間である。世界の標準を考えると、日本の教員に充てられた研修時間は全く足りていない。
 元々教育関連予算は人件費を除けば極端に少ない。予算がない部分を教員の身を削る努力で埋めているというのが現状である。そのうえ働き方改革が導入され、今後さらに研修時間が削減される可能性がある。今以上に予算が削減されれば、教育センターなどで実施されていた数少ない研修さえ行えなくなる。また、研修を学校内でのOJT(On the Job Training)に置き換える動きもある。確かに先任教員の経験を伝えていく必要はあるが、経験と直感に基づいた指導が現代の問題に通用しなくなっている状況の中で、研修をOJT中心に切り替えることは理論とエビデンスに基づいた教育から遠のく結果となってしまう。

リーダー教員の養成も進んでいない

 現場でリーダーとなる教員の養成も残念ながらあまり進んでいない。平成20年頃から日本でも教職大学院が設立されるようになったが、十分に利用されているとは言えない。例えば、広島大学に設置された教職大学院の定員は20名で、しかもコースがマネジメント系、教科系、生徒指導系に分かれるため、生徒指導を学ぶ教員は年間数人程度である。一方、広島県内の小中高等学校数は1000弱である。
 また、校外研修を行う教育センターでも、リーダー養成の講座をもっているセンター自体が減少している。つまり計画養成が弱い。多くの指導主事は現場での実践力をかわれて配属されるが、自己研鑽の結果として力を持った人材に育ったケースが多く、そのため、指導主事が必ずしも理論的な知見や体系的な知見を持っているわけではない。そうした指導主事が体系的な研修を提供することは難しい。
 つまり、一般的な教員が生徒指導の力量を形成するのが困難な状況であるといえよう。

現場任せになる生徒指導

 力量形成が困難であっても、教員は困難な目前の生徒指導の課題から逃げることはできない。
 日本の生徒指導では、子どもの「生きる力」や「自己指導能力」を育成することなどが目的とされており、そうした力を育成するために共感的人間関係の形成、自己存在感や自己決定の場を与えることなどが40年ほど前から提唱されてきた。現場でもこうしたゴールは定着している。
 しかし、ゴールを達成するために本来あって然るべき指導の方針、具体的対応、対応を可能にするシステムが十分ではない。国からは『生徒指導提要』という理論書が発行されているが、諸外国で提示されている指針等に比べると具体性に乏しく、抑えるべきポイントや注意点がわかりにくい。そのこともあってか、地方の教育委員会の生徒指導の方向性もばらつきが見られる。
 以上のように、教員は十分な研修を提供されておらず、体系的な生徒指導方針や具体の方策も示されていない。そのような中で複雑化する生徒指導に立ち向かわねばならない状況にある。

MLAによる教員の力量形成

 一方で、MLAは教員が置かれた厳しい状況を打開するための処方箋ともなりうる。先にみたようにMLAは体系的な生徒指導理論を提供できるし、比較的短期間の研修で十分な現場対応が可能となるからである。
 分岐点となるのは70~80時間前後の研修参加である。研修時間がこの水準に達した教員は、業務を円滑に進められるように認知構造が変化してくることがデータからわかっている。一般的に、研修に参加していない教員は学級経営がうまくいっているか否かによって業務全体のマネジメントに影響を受ける。学級経営がうまくいくと物事を柔軟に考えられるようになり、新しい計画を考えて同僚とも協力できるようになる。逆に言えば、学級経営でつまずくと計画が立てられずに杓子定規な取り組みになり、孤立化し、同僚とも協力しにくくなる。
 対して、私達の研修に出ている教員は、学んだ理論や知識をもとに、実行可能な計画を検討するところから始める。立てた計画が一人で実行できない場合は同僚との協力も柔軟に検討する。そのようにして、取り組みの中心が一人ひとりの子どもの支援に向くのである。子ども理解が深まり、支援方針が立ち、具体的支援策を学ぶことで、子どもとの関係性が改善し、さらに授業実践や学級経営が改善し、教師としての自信につながる。結果として業務全体が円滑に行えるようになるのである。
 また、研修時間がこの水準に達した教員は意欲も向上する。難しいことに挑戦してみたい気持ちが高まるのである。生徒指導への自信を深め、不登校などの問題行動を抱えた生徒とも向き合いたいと思えるようになる。ある市で研修を引っ張るリーダーに立候補してくれた教員の弁を借りれば、「研修に参加することで、なりたい自分と現実が一致してきて、楽になった」とのことである。参加者に生徒指導への自信が芽生えている良い例である。
 また、こうした教員には、生徒指導のための力量と自信が備わっている。総社市の「だれ行き」では、新任・転任教員は約30時間、2年目以降はすべての教員が年間最低20時間くらいの生徒指導関連の研修を受ける。そのため、総社市で3年間勤務すると、皆一定水準の生徒指導をできるようになる。また、リーダー研修を追加受講した参加者は、1年くらいで他の教員にアドバイスできるようになる。70時間というと多く感じるかもしれないが、実際には12日間程度である。夏期休業等を使えば、そこまで難しくはない。MLAの採用と自立した継続は、教育委員会等の意識次第といってよい。


3.地域の将来を考える

 最後に、MLAを導入するときには地域の文化と学校教育を調和させることが大切である。

地域の文化と学校教育を調和させる

 そのために、地域の文化や事情を聞いてプログラムの比重を調整することはよくやる。例えば、沖縄でMLAを実施しようとしたときは、エイサーという太鼓と踊りが一体化した伝統芸能が既にピア・サポートの役割を担っていた。エイサーは地域の自治活動であると同時に青年会の活動でもあり、中学生くらいから皆参加する。そうすると、ピア・サポートを過度に強調しなくとも、根強く残った地域の共同体が相互扶助の役割を果たす。このような地域の文化は生かした方が良い。
 なぜなら、地域の文化を取り入れることが、地域を支える子どもを育てることにつながるからである。地域の活動に参加することで、子ども達は地域の文脈の中で育つようになる。子どもたちが、地域の人と協働で問題を解決できる能力を持ち、地域のために一肌脱ぐことができる人間になることが大切である。
 地域を愛せる子ども達が育たなければ、日本は衰退してしまう。東京と大阪にだけ人が集まって、他にはいないとなれば立ち行かない。だから郷土愛などが大切だと思うし、土地に帰って頑張れる教育を作らないといけない。そうした思いを教員や教育委員会と共有することが重要である。地域にとって将来のコミュニティを支える子ども達を育てるという視点に立った教育プログラムを実践することが一番大切である。


おわりに

 思いやりは形にすることが重要である。現代の子ども達はその方法を知らず、多くの教員もどのように教えればよいかわからず苦しんでいる。MLAはそうした苦悩に対する一つの処方箋となり得る。
 MLAはPBISを含む点で「特別の教科 道徳」と通ずるものがあるが、あえてPBISと言葉を変えているのは、行動することが大切だと思っているからである。
 同様の動機から私もMLAに準じた教員研修を提供する公益社団法人学校教育開発研究所を立ち上げた。この法人ではMLAを誰もが学ぶことができるように、e-ラーニングや教員免許更新講習を提供している。こうした活動を通して教員を支援したいと思っている。日本の教育現場でもまだまだやれることがある。子どもたちを思いやりと社会性を備えた幅広い人間に育て、幸せな人生に送り出すことは可能である。教員たちが思い通りの教育をできるように、MLAを活用してほしい。

 

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