グローバリゼーションの光と影

グローバリゼーションの光と影

2019年6月22日

 現下の国際情勢を不安定にしているのは、米中間の貿易戦争であるが、すでに貿易分野に留まらず、IT産業分野の優位、さらにはサイバー、宇宙、AI兵器などの次世代の安全保障分野の優位を巡る争いに広がる様相を見せており、今後の世界の覇権を争っていると言える。その直接のきっかけは、トランプ大統領による貿易赤字を問題視する政策であり、アメリカ・ファースト政策である。EUでは経済統合が進み、経済、社会政策のみならず、外交安全保障分野まで統合する勢いであったものが、この流れに反発し、移民の流入に反対するポピュリズム政党が各国で勢力を拡大し、英国が離脱するという大変化が進行している。
 これらの動きを、グローバリゼーションの進行とそれに抵抗する動きと言う歴史的視点から見てみたい。グローバリゼーションとは、「経済的技術的諸力によって世界が急速に同一の社会的空間にまとめられ、地球上の一地域で起こったことが反対側の人々の生活や社会に深刻な影響を与える動きを意味し、このような変化は各国政府が制御、闘争ないし抵抗する能力を上回っている」(D.ヘルド他『グローバル・トランスフォーメーションズ』)とされる。
 モンゴルのユーラシア制覇や欧州による「新世界の発見」がそうであり、近代では産業革命により国力を強化した欧米諸国が、アフリカ、アジアを植民地にし、中国、日本に開国を迫った時代がこれにあたる。しかしこの過程は、第一次世界大戦により絶たれ、その後のブロック経済化、第二次世界大戦により後戻りしてしまった。戦後の東西冷戦下で、米国主導によって国連、IMF、世界銀行、WTOなどによる国際秩序が整えられて(グローバル・ガバナンス)、市場経済により西側は発展したが、ソ連圏は社会主義・計画経済を採用したので、グローバリゼーションが進んだとは言えない状況にあった。
 しかし、情報革命に後れを取り経済が破綻した東側の体制が1990年に崩壊し、冷戦が終結した。そこからデジタル化が急速に進む中、市場経済体制という1つのシステムの下でグローバリゼーションが大きく進んだ。そして多くの人々がその「光」の恩恵を受けることになった:①世界の経済規模が、22.2兆ドル(1990年)から84.6兆ドル(2018年)になり、市場経済下の消費者は、25億人から、中国、インド、ロシア、東欧ほかを加え60億人に拡大し、労働人口も15億人増加した。②貧困率は、全人口の36%(189500万人、1990年)から10%(73600万人、2015年)に減少した。③貿易、海外投資が増大し、サービスと資本の動きが拡大して、デジタル化により途上国も水平的に革新に加わり世界的な製造ネットワークが形成され、相互依存が強まった。④中、印、露、旧東欧などで中間層が数億人出現し、先進国では新興国からの低廉産品の輸入増大により、実質的生活水準が向上した。⑤衛生、健康状況が改善し、教育が普及し、特に女性の教育が促進され、PC、スマホの普及で知識の独占、隔離が困難となり、大衆の力が増大し、人権状況が改善された。⑥音楽、映画、アニメ、料理などの文化が世界中で共有され、民主、自由、平等、博愛などが広まり、人類意識が向上した。
 他方で、その深化による「影」も大きいものとなった:①競争の激化で、生き残れない産業、個別企業が出た。途上国の低賃金労働との競争や移民労働者の増加で、先進国の中間層の賃金が上昇せず、貧富の格差が拡大し、若年層の失業が増大した。②移民流入と都市への人口移動が起こり、住環境の悪化、教育施設の不足、異文化間の摩擦を招き、地球規模の環境問題の深刻化、エネルギー資源、希少金属などの資源不足が迫っている。③ICT(情報通信技術)環境の未整備、政情不安、人種、階層への偏見、女性蔑視などで、人類の半数弱の30億人が「光」の恩恵に浴していない。④米国の一握りのIT企業が国家を超越する影響力を有するに至り、世界が米国的な文化に画一化され、各地の文化が衰退する傾向が出てきた。⑥フェイク・ニュースの拡散、サイバー犯罪、サイバー攻撃により、民主主義への懐疑、国家安全保障や経済活動への脅威が増大した。
 これらの「影」への対応は、グローバル・ガバナンスの課題であって、国際社会は日本が主導した人間の安全保障による対応などで一定の成果を挙げているが、すべての課題には対応しきれていない。五大国が主導する従来のガバナンス・システムが機能不全になっている為であるが、G-20などの新しい仕組みによる国際秩序の整備は間に合っていない。
 トランプ大統領は、取り残されたと感じる人々の支持で当選したわけで、TPPに反対し二国間でのディールを優先し、温暖化対策のパリ協定を脱退するなど、ことごとくグローバリゼーションに逆行する政策をとっている。そして、中国が、グローバリゼーションで利益を得ていながら、国際システムの「良いとこ取り」をしていると非難し、ITを駆使して自由、民主を求める動きを弾圧する異質性を問題視している。EU統合に逆行するような動きも、グローバリゼーションに反発する動きであると言える。上述のようにグローバリゼーションは不可逆な過程ではなく、政策によっては逆行することもあり得るわけで、これまでその進展で利益を得てきた日本としては、不確実性が増しているその動向を注視し、「光」を広げ「影」を狭めるために絶妙な舵取りが求められるのである。

政策オピニオン
上田 秀明 元駐オーストラリア大使
著者プロフィール
1967年東京大学卒、外務省入省。ハーバード大学大学院修了(MA)、モスクワ大学に研究生として留学後、在ソ連大使館参事官、在米大使館公使、経済協力局審議官等を経て、在香港領事、駐ポーランド大使、外務省研修所長、駐オーストラリア大使、三菱重工業グローバル戦略本部顧問、外務省参与・人権人道大使、京都産業大学法学部客員教授等を歴任。現在、公益社団法人・日豪ニュージーランド協会会長。

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