ガーナ高校生日本研修旅行17年目 —TICAD Ⅶに当たり—

ガーナ高校生日本研修旅行17年目 —TICAD Ⅶに当たり—

2019年6月24日

 20033月、ガーナの田舎で診療所の贈呈式に日本政府を代表して参列した私は、浴びるほどの感謝の言葉を聞いたその直後、「今度は何を援助してくれるのか?」という質問を受けた。どうしたらガーナは発展するだろうと、日夜考え、お蔭で「日本生まれのガーナ人」とまで言われていた私は、さすがに、この質問にはムッとした。
 丁度日本は失われた10年と言われていた時期で、その前月一時帰国した時に見た、サラリーマン風の男性が寒い夜空に渋谷の道玄坂をサンドイッチマンになってとぼとぼ歩いていた姿を思い出し、「日本人は満員電車に乗って、一生懸命働いているんだ。貰うことなんて考えてないんだ」と思った。当時のガーナは援助依存が著しく、何か物が足りないと、「誰に貰おうか?」とすぐ発想する。これは政府も国民の大人も子供もそうで、全員がそういう思考回路になっていた。
 そういう時期に、日本に留学経験のあるガーナでも有数の進学校の副校長の神父さんが、自分の高校の生徒を日本に連れて行きたい、と言い出した。
 私は、この国の将来は若い者の双肩にかかっている、と直ぐ、この提案に飛びつき、それからは、日本に居る夫と連日、電話でのやりとりが始まった。

夫「神父さんに連絡して、何人来るか、すぐ知らせろ」。
私「23日かかる」。
夫「なんで23日もかかるんだ。電話しろ!」
私「電話がないもん」。
夫「学校に電話が無いなんて、ないだろう!!」

 事実、その当時のガーナには固定電話が普及しておらず、神父さんの持っていた携帯電話は、高い木に登らないと通じない、一方通行の電話であった。
 この年の8月、何とか20数名のガーナ高校生を日本に送りだして以降、私の帰任後も、途中1年のブランクがあったものの、毎年、男女10名ずつの高校生を受け入れて、今年で17年目になる。
 ガーナ生の日本での滞在費は日本の企業や個人からの寄付金で賄われているが、日本へのフライト代は1名の奨学生を除き、ガーナ生の親が負担することになっている。来日するガーナ生は裕福な家庭の子にならざるを得ない。それでも、年を追うごとに減ってはいるが、最初の頃は申込時点の参加予定者リストの名前は、実際に来日した生徒名と一変していた。日本に行きたい、行かせたいと申し込んでも、実際に支払いが出来ず涙を呑む子が多かったのである。
 8月中旬に来日し、3週間余りの日本滞在のうち、前半は東京に滞在し、後半は地方に移動する。東京では皇居、江戸博物館、ガーナのカカオ豆を使用しているチョコレート工場等を見学するが、日本の高校生との交流を主眼にしており、毎年8月末の週末に明治神宮・表参道エリアで開催される「元気祭りスーパーよさこい」に日本の高校生と踊り子隊を結成して、ガーナ音楽のよさこい踊りを披露する。
 これはガーナ生が日本到着後、日本の高校生と汗まみれになって一緒に特訓を受けるもので、共同作業でよさこい踊りを踊り切った達成感はひとしおで、祭りの後の打ち上げはポップな音楽も加わり、大いに盛り上がる。
 また、踊りの練習の合間には学習プログラムもあり、今年は「水道事業の民営化が世界に与える影響について」をテーマに横浜浄水場等見学後、議論することになっている。後半の地方(猪苗代、高知、飯田)では、東京での喧噪、地下鉄の乗換え等の緊張から解放され、やっと落着いて日本の田園風景や山々を眺めることができ、ホームステイを通じて、日本人の心にも触れる。
 このように過ごした来日ガーナ高校生は、今では300名余りになるが、そのガーナ生に関わった日本の高校生やホームステイ先、地域の人々など日本の関係者は延べ数千人にのぼる。
 私のガーナ赴任当時(2002年~2005年)は、日本の敗戦後の復興が成功物語として未だ通用していた時代で、日本の発展は、製造業を中心としてモーレツ社員が、朝は遠くから満員電車に乗って通勤し、夜遅くまで「会社の為に」と働き、会社という組織によって推進されたと思うが、私は、日本人のその勤勉さをガーナの生徒に見てもらいたいと思った。また、ガーナに在っては、例えば有り余る柑橘類をジュースにするなど農産物の加工業によって雇用を創出し、その国内産業を保護するべきと主張していたが(トランプ大統領と同じ!)、その当時のワシントン・コンセンサスは「全てオープン・マーケット!さもなければ援助しない」との方針で、お蔭で安いジュース等がどんどん輸入され、その結果、何らの国内産業も育たなかった。
 17年前の日本では一般的だった「モーレツ社員」は今や絶滅状態だし、「会社の為に働く」というのも古い。製造業といってもロボット等の活用で現在、どれだけの雇用を生み出すか疑問である。
 日本を経済発展させた経済モデルは今や通用しない。一方、近年やってくるガーナ生の中には、日本の高校生も持ってないような最新のIT機器を持参して、自在に操る者もいる。
 TICAD Ⅶが今年開催されるに当たり、アフリカには貧困対策支援が必要な国はまだまだあるが、一方、ガーナ等のtake off した国では、若者は、日本の若者とITAIの習得では同じスタート・ラインに立っており(或いは、既に、ウサギ飛びで追い越しているかもしれない)、もはや援助するとか、されるの関係ではないと思う。正に、お互いに切磋琢磨し、協力して、より豊かな平和な世界を共に築いていく仲間なのである。

政策オピニオン
浅井 和子 元駐ガーナ大使、弁護士
著者プロフィール
高知県出身。国際基督教大学卒業。1972年第一東京弁護士会登録。マカイバー・カウフマン・クリステンセン法律事務所勤務。1998年直江・浅井法律事務所開設。2000年英国ブラッドフォード大学平和研究大学院修了(修士課程)。2002年6月特命全権大使(ガーナ・シエラレオネ・リベリア)として、ガーナに赴任(05年4月退任)。同年5月弁護士再登録し、浅井法律事務所開設。著書に『民間大使ガーナへ行く』。

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