21世紀型グローバル・リーダーの資質 ―権力政治の向こうに多国間協力と地球市民社会の地平が見える―

21世紀型グローバル・リーダーの資質 ―権力政治の向こうに多国間協力と地球市民社会の地平が見える―

2015年4月27日

歴史的転換点で苦悩する国際社会

 21世紀型のグローバル・リーダーのあり方について論ずる前に、まず、21世紀を迎えた国際社会の現状について概観しておきたい。
 2015年は年初からフランスでのテロ事件が起こり、世界は非常に混沌とした状況にあることを象徴している。4年前、我が国で東日本大震災が起きた際には、実に世界の76カ国から多くの支援を受けた。今、私たちはフランスの方々にソリダリティ(連帯)を示す必要がある。彼らの社会の根底を揺るがすような状況が生まれているからだ。今度の事件は、地球社会が非常に大きな転換点に立っていることの一つの表れにすぎない。これから益々、多様な問題が起こって来るだろう。21世紀の地球社会が着地点を見いだすまでに、まだまだ大変な時期が続いていくに違いない。
 私がOECDで事務総長補佐官を務めていた時代(1979~87年)、世界が抱えていた中心的な課題は、冷戦の対立構造を如何に克服するかということだった。それを乗り越えて行けば、世界の未来は良い方向に向かうと信じて国際参謀の務めを果たしてきた。しかし、いざ冷戦が終わると、世界各地で、途上国を中心として内戦が頻発するようになった。1990年代の半ばころは、どの時点をとっても60ほどの内戦が起こっていたほどである。冷戦終焉後の世界は米国を頂点とした一極構造で、主要国家同士の戦争は、最早あり得ないと考えられていた。ほとんどの問題は途上国を中心とする国家内部の問題であり、国連においても、内戦などで傷ついた国家の平和構築などが主要な課題となった。その頃、私自身はODAのスポークスマン的役割をしていた。日本は90年代を通じてODAのトップドナーだったので、ODAを如何に平和構築に生かし、政策化していくかという作業を世界のシンクタンクを糾合しながら進めていた。
 しかし、2008年のリーマンショックの後、再び、世界が大きく変わってしまった。主要国同士の戦争はあり得ないと考えられた時代から、再び権力政治が復活してきた。特に2011年以降、その傾向がはっきりしてきている。その最も大きな理由は、言うまでもなく中国の急激な勃興にある。巨大化した中国が、それまで20年間にわたり世界の盟主と考えられてきた米国に挑戦してきたところに原因がある。両国とも表面上は紛争にならないよう努力する姿勢を見せているが、現代世界の最大の焦点が米中の覇権争いであることは疑いがない。
 その対立を中心軸として、世界中が権力政治の形を取り始めてきた。ロシアのクリミア併合や、ウクライナ東部の分離主義者への支援などもその動きの一環である。中東で台頭する「イスラム国」などの問題も国際社会の権力政治化を押し進めている。権力政治は国家が中心となるので、これまで以上に国家の重要性が高まる一方、脆い国家が非常に目立ちやすくなってきた。その例がナイジェリアやリビアやイエメンであり、「脆弱国家」や「破綻国家」と呼ばれる国々である。これらの諸国をイスラム過激派などが利用して勢力を拡大している。
 いずれにせよ、世界が再び権力政治によって覆われ始めており、その中心は米中対立であることを認識すべきである。従って、ここ数年における国際社会の最大の課題は、米中を中心とした国家間の闘争を如何に緩和し、戦争の危険性を防ぐかということである。

バランスオブパワーとMADの限界

 近代の歴史上、権力政治が支配する世界において、国家間の闘争を防ぐ方法としては二つの形があった。一つは古典的に採用されてきた「バランスオブパワー」であり、もう一つが、「相互確証破壊(Mutual Assured Destruction, MAD)」を中心とする東西冷戦時の体制である。しかし、後述する理由で、双方ともに現代の状況では成り立たない。私たちは第三の道を模索すべきであり、それは「多国間主義(Multilateralism)」の採用である。
 まず、バランスオブパワーは、過去300年の歴史において常に破綻してきた。その手法を現在適用するとすれば、対立する米中双方がそれぞれ同盟網を展開して一定のバランスを保つ、というのがバランスオブパワーの考え方である。
 ハーバード大学のアリソン教授の研究によると、過去500年間でNo2がNo1に挑戦したケースが15回あり、そのうち11回が戦争になっている。ただし、彼の研究は、現在の状況に応用する上で不十分な点がある。なせなら、現代の米中間の関係は単なるNo1とNo2の対立ではなく、双方の体制が異なっているところに大きな特徴があるからである。相互に体制が異なるNo2がNo1に挑戦した過去の歴史を見ると、100%戦争になっている。200年前のナポレオン戦争、100年前の第一次、更には第二次世界大戦などがそうである。
 東西冷戦についても、核戦争にこそならなかったが、朝鮮戦争、ベトナム戦争など代理戦争の形をとって、実質的には世界各所で戦争が頻発した。従って、現在の米中関係は、放置すれば、確実に戦争に帰結すると考えられる。現実に、ベトナム、フィリピンなどで代理戦争の兆候が表れている。ことによれば、日本もその舞台となりかねない。
 バランスオブパワーが破綻して戦争になると、その後に必ず現れるのがマルティラテラリズム手法としての集団的安全保障の考えである。第一次大戦後には国際連盟が組織され、第二次大戦後には、国際連合が設立された。しかし、前者は失敗に終わり、後者も法的なフレームワークは残っているが、当初の目的を果たすことはできていない。東西冷戦時に米国とソ連の全面戦争を抑止したのは、事実上、MADであった。MADは、核戦争が起こった場合、お互いがお互いを全滅させることが明確になっているために全面戦争が抑止される、という非常に危険なものである。しかし、米国と中国に核を始めとする軍事力に相当の開きがある現状では、MADは全く当てはまらない。

第三の道となる「多国間主義」

 以上のように、バランスオブパワーはいずれ破綻することが分かっており、それに代わるMADも構築するには時間がかかり、現状の米中対立には適用できない。そこで、第三の道である新たな多国間主義を提唱したい。先ほども少し触れたように、この200年間、体制の異なるNo1、No2の戦いが終結した後には、必ず多国間主義が強化されてきた。200年前のウイーン平和交渉の結果として、ヨーロッパ協調の考え方が出てきた。いわゆる「Concert of Europe」であり、これが多国間主義の原点となる。その後、国際河川、保険、鉄道、通信、その他の技術的側面における国際協調が現れてくる。また、赤十字や奴隷禁止の人道協力活動などもこの文脈の中で実現されていった。
 ただし、この体制は十分に強くなかったため、第一次大戦が起こってしまった。しかし、その終結後には、再び多国間主義がより強化された形で表れてきた。これが国際連盟、ILO、国際司法裁判所などの枠組みである。そして、第二次大戦には国際連合が創設された。安全保障分野では集団的安全保障が構想された。勿論、すぐに東西冷戦が始まってしまうのだが、その間にも多国間主義は粛々と進展してきた。その展開が見られたのは主に二つの分野である。先進国から途上国への支援という「開発援助」と、EU、ASEANなどに発展した「地域内協力」という各分野である。冷戦が終わると、環境問題など、あらゆる分野で多国間主義の国際協力が中心になってくる。
 現実を見ると、東西冷戦時においても多国間主義が強化された時代には、米ソ二大国間の緊張が緩和されていた。1970年代がその教訓を示している。東西冷戦崩壊のベースとなる政治、経済、人権の三つの分野での合意がなされたのがヘルシンキ条約だが、その締結は1975年である。そこに至る1970年代前半こそ、多国間主義が非常な勢いで展開した時代だった。
 契機となったのは1971年のニクソン・ショックである。1960年代のベトナム戦争と、ジョンソン政権の積極的な福祉政策により米国財政が悪化し、金ドル体制が崩壊した。この世界的パニックを収拾するために、まずは西側で新たな国際通貨秩序を形成するための多国間交渉が開始された。また、それに追い打ちをかけるように、中東戦争を背景にしてオイルショックが1973年に起こる。そこでエネルギー分野における国際協力の重要性が高まり、OECDの中に国際エネルギー機関がつくられた。更には、オイルショックを通して、開発途上国であるはずの産油国が自らの影響力に目覚め、南北交渉というものが活発化してくる。そして、新国際経済秩序というものが大きな旗印となって世界的な交渉が進展し、ヘルシンキ条約に至る流れがつくられた。
 逆に、70年代後半に南北交渉が難航し、イラン革命やソ連によるアフガニスタン侵攻などが起こると、多国間主義に対する悲観的な見方が広まるとともに、米ソの緊張が再び高まった。多国間主義が強化されれば米ソの対立すら和らぎ、逆に多国間主義が弱まると緊張が高まっていったという、この教訓から私たちは学ばなければならない。現代において多国間主義が重要な理由が、ここにある。実際に、紛争が起こるプロセスを分析すると、構造的要因「Root Cause」に加えて、悪化させる要因「Aggravating Cause」があり、最後に引き金「Trigger」が引かれることで大規模な紛争が起こる。現代にあてはめれば、権力政治の中での体制の異なる米中二大国の対立構造という「Root Cause」は既に存在している。ここで重要なことは「Aggravating Cause」、つまり、対立構造を悪化させる方向に向かうのを防止することであり、そのためには多国間主義を強化しなければならない。

多国間主義を強化する二つの分野と日本の役割

 多国間主義を強化していく可能性をもった分野は、具体的には二つある。一つは開発協力であり、もう一つは地球温暖化対策である。双方ともに、現在、米国と中国が大きなカギを握っている。開発協力について言えば、既存の世界銀行、IMF、DACという米国を中心として築かれてきた枠組みに対抗しようと、BRICs銀行、アジアインフラ投資銀行という形で中国が新たなイニシアチブを取っている。
 この動きを放置すると相互に潰し合う結果になる。双方を協力関係に導いて、21世紀の大きな多国間両力のモデルを築く鍵は、日本が握っていると思う。詳述は避けるが、そこでは、日本の開発協力において育まれてきた「要請主義」が軸になると思われる。
 また地球温暖化については、今年(2015年)12月パリでCOP21という最終交渉が行われる。この問題では先進国と途上国の間での意見の隔たりが大きい。更に、両陣営における最大の二酸化炭素排出国である米国と中国が、最も消極的な姿勢をとってきた。2014年を通じての米中交渉の結果として、両国が前向きな姿勢に転換したが、両国ともに国内情勢が厳しく、その姿勢を維持できるかどうか微妙な情勢にある。
 実は、この問題においても日本が鍵になる。ここ数年、日本は原発問題などがあり、スタンスを明確に出来なかった。逆にいえば、メジャープレーヤーとして、唯一、立場を明確に出来ていない日本が、2015年12月の交渉に向けて米中を巻き込んでいける可能性があるということである。米中の緊張を緩和し、多国間主義を強化する重要な役割を持っているのは、実は日本なのである。
 また、日本という国の特別な役割について、もう一点付け加えておきたい。歴史的に見ると、国際協力が発展していくうえで、人道支援が鍵となってきた。大きな人道支援が必要な状況が生まれると、それが次の世代の国際協力のパターンとなる。その点で、実は2011年の東日本大震災の経験が、歴史的にとても大きな意味を持っている。
 どういうことかというと、冒頭にも述べたように、日本は70カ国以上から支援を受けた。それらの国々に感謝を伝えるためには、一体、どのくらいの支援を受けたのかを把握しなければならない。そこで国と地方、官民挙げて、オールジャパンで調査のための委員会がつくられ、私自身がその委員長に任命された。
 そこでは驚くべきことがいくつか明らかになった。一つは、2011年度における人道支援の最大の受益国が、資金だけをとりあげても日本だったということ。第二位のエチオピアの二倍以上、三倍近くの支援を受けていた。それに加えて、物質的、人的、精神的支援は膨大なものであった。
 もう一つは、国連から最貧国と定義されている48カ国のうち、実に35カ国から日本に支援が来たということである。これには、この委員会の報告書の公表の際、世界のメディアにも衝撃が広がった。人道ということになると国境を越えて、食うか食わずかのぎりぎりの状況にある人々をも動かす。まさに、地球社会というものが垣間見えた出来事だった。
 実際に受益者になると、日本は受け手として非常に未熟だった。支援の受け入れということについては逆に途上国から学ばなければならない。つまり、21世紀の国際協力は、先進国から途上国へという一方的なものではなく双方向のグローバルな協力となる。その先駆的経験をしたのが日本であり、わが国にはこの経験を生かして、21世紀型国際協力のイニシアチブを取る責務があると思う。

21世紀はどんな世界になるのか

 いずれにせよ、米中対立を軸とする権力政治を止揚できなければ、国家間の紛争は不可避であり、21世紀の見通しは非常に暗いものとなる。従って、国際社会の選択としては多国間主義を強化する道以外にはなく、そのイニシアチブを取るのは、私達、日本である。では、その方向に進んだ場合、21世紀、特に2020年以降の世界は、どんな世界になっていくのだろうか。
 まず、国際社会の政府間の関係においては多国間協力が主流になっていく。同時に、国境をまたがる地球社会というものが、より明確になるだろう。現在、地球社会としての実体があるのは人道支援の分野に限られている。何かの巨大な災害等があれば、人や物が国境を越えて動いていく。これが2020年代以降になると、他の多くの分野にもあてはまるようになるだろう。
 更に、その世界は、現代の欧米型の社会の世界展開とはならないはずだ。実際に、世界を欧米が主導する形というのは、19世紀以降のわずか200年ほどの期間に限られており、18世紀までは、アジアの方が経済的にも遥かに大きな規模を誇っていた。その視点から見ると「アジア新興国」という言葉も不正確であり、実際には、アジア諸国の「復活」というのが正しい。そのアジア復活を主要ドラマとして新たな国際社会が形成されてゆくはずである。つまり「多国間主義」「地球社会」として形作られる21世紀の世界は、アジア的な価値を始めとして、世界のあらゆる地域の持つ様々な価値や文化が、より前面に現れて、共存したり相乗効果をもたらす社会になっていくのである。
 従って、当然、リーダーシップのあり方にも変化が訪れるだろう。これまでは多かれ少なかれ非常に明確なヒエラルキーがあり、そのトップ同士の関係が多くを決定する社会だった。冷戦時を見ても、私達OECDが常に政策の収斂の場所として動かしていたのはG7であり、国家の首脳を動かすにはどうするか、というのが国際参謀としての一番の仕事だった。しかし、これからは、より平面的な、庶民が大きな力を持つ社会になるはずだ。「エリート型国際社会」から「大衆型地球社会」への移行である。このような世界では、リーダーシップの形自体も、単一ではなく、多様な類型が現れるようになる。

21世紀型リーダーシップの四つの類型

 では21世紀型リーダーシップとは、どのような姿が考えられるだろうか。私は、以下の四つのタイプのリーダーシップが主流になると考えている。
 まず一番目は「草の根型リーダーシップ」である。これは、21世紀のノーベル平和賞タイプとも言える。その典型がマララ・ユスフザイさんである。ところで、現在、安倍政権では「地球儀を俯瞰する外交」という標語を掲げている。地球規模という次元で物事を見つめるということ自体は素晴らしいことだ。しかし「俯瞰する」だけでは中途半端である。上から見つめるだけではなく、もっと地面に足を据えて行かなくてはならない。安倍首相は就任以来50カ国を訪問しているが、本来、そこですべきことは、それぞれの地域が如何に違い、どのような事情と可能性を持っているのか、それを国民にフィードバックすることである。しかし、それが十分に出来ていない。マララさんが提示するリーダーシップに学ぶ必要がある。
 彼女がノーベル平和賞を取った背景には、「平和」というものに対する概念の変化がある。これまで一般的には「戦争がない状態」を「平和」と考えてきた。それに対して、むしろ、紛争やテロを生み出す日常の構造的要因、人々が貧困や教育を受けられない状況の中に置かれていることに目を向けて、その原因を取り除くことによって平和を実現すべきだという考え方が現れてきた。前者が「消極的平和主義」であり、後者が本来の意味での「積極的平和主義」である。この「積極的平和主義」という考え方が生まれたのがノルウェーであり、その国で授賞されるノーベル平和賞の対象に、自国で女性が教育を受ける権利を世界に向けて訴えたマララさんが選ばれたのは必然と言えるだろう。そういった、世界的視野を持ちつつも、地に足を付けた現実問題に取り組む、草の根型リーダーというものが、今後、ますます必要になってくる。
 二つ目は「調整型リーダーシップ」である。これからの社会の問題解決においては、ますます越境型のコラボレーションが主流になってくる。大きくは三つ。一つは当然のことながら国境を超えるということ。次には、企業(市場)、NGO(市民社会)、政府(官)の三者が共同しないと、地域から国、世界に至るまで何も動かない社会になる。従って、それぞれのプレーヤーが自分の属するところから越境型になってリーダーシップを発揮しなければならない。そして、最後に、分野を越えたコラボレーションが活発になる。例えば、医療、環境、教育、これらも別々の問題ではなく、それぞれの専門家が協働して問題解決にあたるケースが増えてくる。しかし、このコラボレーションというものが非常に難しい。文化や、価値観も多様な人々が集まることが一般化する中で、それらを調整する人が非常に貴重な存在となる。こうした役割を果たすには、豊かな感性、幅広い教養と知性、尊敬される人格を兼ね備えなければならない。こうした資質もまた、21世紀型リーダーシップとして非常に重視されるだろう。
 三番目は「サービス型リーダーシップ」だ。先ほどのコラボレーションとも関連するが、異文化間での協働というのは、私たちが思いもしなかったような小さな問題がたくさん出てくる。それら多様なニーズを拾い上げる気配りをもち、それらのニーズを満たすために駆け回る行動力を備えた人材が絶対に必要だ。皆が、表舞台で目立った活躍をする裏のところで、面倒な問題を引き受けて奔走する。そういった人物の価値が尊重され、輝いて見える時代になる。
 そこには、庶民型社会のパトスも影響するだろう。先ほども述べたように、今後の世界はエリート中心ではなく、より庶民に開かれた社会形態になっていく。そこでは「アンチ・エリート」が一つのパトスとなり、サービス、奉仕する人々が脚光を浴びるようになる。そういう時代には、自分を無にして奉仕する人が、周囲の信頼を得て、リーダーに押し上げられていくだろう。
 最後に「企画型リーダーシップ」がある。今後「多国間協力」「地球社会」となっていくことを前提にすると、これまでの国際社会とは全く異なって来るので、取り組むべき課題が山のように現れてくる。これらの問題を定義して、企画化する、そうした能力を持つ人材が中心にならざるを得ない。更に、その企画を具体化するには、人材、資金、情報などが重要になるので、それらを動員できる能力を持ち、知恵を持って一つのプロジェクトとして作り上げる人物が必要だ。
 モーリス・ストロング、イスマエル・セラゲルディンといった人物が、企画型リーダーの典型である。モーリス・ストロングは、1929年生まれのカナダ人で、1972年、国連人間環境会議を組織し、その事務局長に就任、1973年国連環境計画初代事務局長となった人物である。その後も環境問題、資源問題などでリーダーシップを発揮し、多くの有能な人材を国際機関に配置して、世界的な問題を背後から調整してきた。彼自身はもう80代だが、そうした人物の必要性は、今後、ますます高まっていくだろう。セラゲルディンは若い頃から、世界銀行の副総裁を務め、現在はエジプトのアレキサンドリア図書館の館長である。そのそれぞれの組織に本拠を置き、世界的事業を多く展開するという、ストロングとは異なったタイプの企画型リーダーである。このようなタイプのリーダーも21世紀には大いに活躍するであろう。

グローバル・リーダーに必要な資質

 次に、すべての型のリーダーシップに共通して必要な資質をまとめておきたい。第一に、異質なものや多様性に対する感性が鋭敏であること。これからの世界では、価値観、文化、歴史など多様な背景をもった人たちが協働する場面が増えてくる。更に、異なった分野の協働という意味で、専門分野の多様性があり、また対応すべき対象としての自然環境や社会構造の多様性もある。これまでは先進国、新興国、途上国が、お互いに交渉はしても共に働くということは少なかった。しかし、今後は、経済レベルが違う国々が一緒に作業する場面が多く生まれてくる。これからのリーダーは、そういった経済レベルの多様性も扱うことができなければならない。
 また以前は、西洋近代の社会構造が到達点とされ、それ以外の社会は中間地点にすぎないと見なされてきたが、ここ数十年の国際社会の展開の中で、必ずしもそうではない、と考えられるようになった。中国は中国型の、また中東は中東型の、アフリカであればアフリカ型のもっと部族を重視した社会になる可能性が大きい。100年後はわからないが、少なくとも、2000年代の前半は、そういった社会構造の多様性が顕著になるだろう。そうしたあらゆる多様性を扱うリーダーシップの在り方としては、なるべく独善性を抑えて、多様性を尊重する姿勢が非常に重要だ。また、違いがある場合、どうしてもお互いの悪い面が意識されやすいが、そうではなく、それぞれの良い点を見出し、活用していけるようなリーダーシップが必要となるだろう。
 また、そうしたリーダーシップを補完する要素として、音楽やスポーツも、これまで以上に重要な役割を果たすようになるはずだ。例えば、スポーツなどでは、フィジカルな面でも共に活動し、一定のルールに基づいた共同作業の体験ができる。多様な背景を持つ人々の協働を成立させるうえで、音楽、スポーツの貢献はますます大きくなってくるに違いない。
 第二に、幅広い教養と確固たる哲学、更にはそれを身に着けるためのたゆまぬ努力が必要だ。つまりリベラルアーツ教育である。これだけ多様な世界をまとめる役割は、何か特定の専門性に秀でているというだけでは務まらない。
 何かの問題に直面したとき、社会科学、自然科学、人文科学など幅広い教養の視点を動員して、特定の課題として設定し、解決法を見出していかなければならない。更に、その解を現実の戦略戦術に落とし込み、多くの人材や資源を動員して統率する人間力も必要となる。これらを総合的に訓練するリベラルアーツ教育が、21世紀型のリーダー育成において圧倒的に重要になってくる。
 日本の大学でも26ほどがリベラルアーツ教育の看板を掲げるようになってきたが、こうした総合的な人間力は大学教育の四年間、あるいは大学院までかけたとしても簡単に身につくようなものではない。一生をかけて、深め、磨いていく努力が必要だ。
 第三に、多様な文化、価値観と共存する世界だからこそ、自らの文化に深く根差した行動が必要となる。既に、他者の文化を理解する必要性について指摘したが、その理解の深さは、自分自身の文化に対する理解の深さと比例する。自分の社会、文化をどれだけ深く理解し、その文化に沿った行動を取っているのか、それがリーダーの信頼性を測る尺度にもなるはずだ。日本であれば日本、他の国であれば他の国、その文化に深く根差した人間性や行動様式を磨いていかなければならない。
 最後に、コミュニケーション能力が決定的に重要である。ここでは各論と一般論、論理性と情感というキーワードを挙げておく。
 リーダーとして、どのくらいの規模の集団を対象とするのか。経験上、おおよそ10名以内とそれ以上とでは全く違う力学が働く。少人数の場合のコミュニケーションとしては各論重視、個別の事柄に対する注意が不可欠である。これが多人数を相手にする場合には、まず一般論を明確にして共通の基盤をつくった上で各論に進まなければならない。この両方を使い分ける能力が必要となるだろう。
 そして、人数の多寡にかかわらず、人間は論理性だけでは動かない。最後は如何に情感にアピールできるか。これは多様性に満ちた地球社会を相手にする場合、より重要な資質になると考える。

日本人とグローバル・リーダー

 最後に、日本人が21世紀型のグローバル・リーダーとして活躍する可能性について考えてみたい。この2020年代以降の世界が持つ特質を考えると、日本人の持つ資質が生かされやすい時代だと思われる。それを、先に整理した四つの型のリーダーシップに当てはめ、便宜的に順序を入れ替えて解説したい。
 はじめに「調整型リーダーシップ」について。まず、この調整型の前提として注意しなければならないのは、これが同質社会での調整ではなく、非常に異質性に富んだ社会での調整である、という点だ。関係当事者たちも多様な背景を持ち、扱う問題も多様性に富んでいる。
 そこで重要な資質は、まず、圧倒的に「人の話を聴く」ということである。主張を控える能力が重要である。そして、多様性に満ちた社会では事柄が複雑に絡み合うので、当事者たちは大きなフラストレーションにさらされる。そこで大切なことは、話を聴いたうえで、それぞれの立場に寄り添うスタンスを明確にすることである。その点においては、日本人の資質が非常に有利に働くはずだ。
 ただし、最後に解決策を見出す段階においては、新しい資質を身に着ける必要がある。同質型の調整においては、両者の意見を足して二で割ることが可能であり、そうした手法には日本人は慣れている。しかし、異質なものが向き合う場合には足して二で割ることができない。全く違う次元の第三の解を見出していく創造性が必要になる。
 例えばインドネシアにおいてキリスト教徒とムスリムの対立が激しくなったことがあった。様々な融和策が試みられ、その大半は失敗に終わったが、最終的には「共同で植林を行う」というアイデアによって、両者の対立が嘘のように沈静化した。こういった第三の解を見出すうえでは、それまでに身に着けた幅広い教養が生きてくるだろうし、多くの経験の中で引き出しを蓄積する必要もある。そうした付加価値をつけることが出来さえすれば、日本人はこの分野で大きな適性がある。同じ第三の解を提示するとしても、それは、当事者たちの意見を傾聴し、理解し、寄り添った立場から出てくるものでなければ納得感を得ることが出来ないからだ。
 次に「サービス型リーダーシップ」についてはどうだろうか。この型にも日本人の資質は非常に適合性がある。多様な人材が協働する中で生まれてくる細々とした課題を扱う際に、日本人の繊細な感性は非常に役に立つ。そういう個別の問題を一つ一つ整理し解決する人物というのは、リーダーや周囲の人々から見ても非常に貴重視される。そこでは多くの日本人が、21世紀の庶民型社会のパトスとも相俟って、気が付くとリーダーに押し上げられていたという状況が生まれてくるに違いない。
 三番目の「草の根型リーダーシップ」はどうか。これは日本人の適性という以上に日本社会の特性から見て、この型のリーダーが多く輩出される可能性がある。「課題先進国」と言われる通り、少子高齢化や人口減少の問題、家庭崩壊や、地方の衰退など、現在、世界に先駆けて日本が直面している問題が、今後、先進国のみならずアジア各国にも波及していく。まず、日本人として、日本人のやり方で、日本が抱える課題に徹底的に取り組んでいく。そこで見出される解決法が、今後の世界のスタンダードになる可能性は非常に大きい。従って、高齢化など、特定の分野で脚光を浴びる草の根リーダーが日本人であっても全く不思議ではない。
 最後に「企画型リーダーシップ」。先にあげた二名が典型的だが、こうした人物は一朝一夕には育たない。一つは人脈、もう一つは個別の状況への対応力、これらは実際に活躍しているグローバル・リーダーと一緒に働いて身に着けるしかない。従って、既存のグローバル・リーダーと共に働きながら学ぶアプレンティスシップ(apprenticeship:徒弟期間)が必要だ。日本人の優秀な若者を選んで、彼らのもとで経験を積ませながら育てていく。そうした戦略的な動きも資金面のサポートも含めて検討すべきだろう。
 このように見ていくと、「調整型」「サービス型」については日本人の適性から、「草の根型」は課題先進国としての日本社会の特質から、そして「企画型」は今後の取り組み次第で、それぞれ日本から輩出できる可能性が十分あることになる。
 それら全てに共通する先に述べた資質を徹底的に鍛えていく仕組みを整えていけば、人材輩出という面で日本が世界に大きく貢献する道が開かれるだろう。「多国間協力」と「地球市民社会」というあり方が主流となる21世紀に、多くの日本人がその適性を生かし、グローバル・リーダーとして飛躍する機会が訪れている。

(2015年1月12日に開催された「IPP-Youthフォーラム」での発題を整理してまとめた)

政策オピニオン
高橋 一生 元国際基督教大学教授
著者プロフィール
国際基督教大学卒(国際関係学科),同大学院行政学研究科修了,米国・コロンビア大学大学院博士課程修了(Ph.D. 取得)。その後,経済協力開発機構(OECD),笹川平和財団,国際開発研究センター長を経て,2001年国際基督教大学教授。東京大学,国連大学および政策研究大学院大学客員教授を歴任。国際開発研究者協会前会長。共生科学会副会長,国際連合学会理事なども務める。専攻は,国際開発,平和構築論。主な著書に,『国際開発の課題』『激動の世界:紛争と開発』,訳書に『地球公共財の政治経済学』他。

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