プーチンの戦争で高まるロシアの脅威 ―背後に潜む特異な安全保障意識―

プーチンの戦争で高まるロシアの脅威 ―背後に潜む特異な安全保障意識―

2023年5月10日

 本年4月に公表された『2023年版外交青書』は、ロシアによるウクライナ侵攻を「国際社会が長きにわたる懸命な努力と多くの犠牲の上に築き上げてきた国際秩序の根幹を脅かすもの」と強く非難した。また青書はこの戦争勃発で「ポスト冷戦期が終焉」し、いまや世界は「歴史の転換期」に立たされているとして、国際情勢の不安定化に警鐘を鳴らしている。厳に日本周辺でも露軍の行動が活発化しており、その脅威は高まっている。
 ではなぜプーチン大統領は、国際秩序を破壊するような大戦争に踏み切ったのだろうか。
 諸説あるが大きくは二つに分けられる。一つは、NATOの東方拡大に強い恐怖を抱き、それに対処しロシアを守るために開戦したという防衛説である。いまひとつは、ロシア共和国を強大化し、かつての偉大なロシア帝国の復活再来を実現するための戦いに出たと捉える野望説だ。防衛意識に駆られての戦争か、逆に膨張志向のなせる業か、両説は真逆である。
 それぞれの説について見てみよう。

NATOの東方拡大:募るロシアの不安

 2022年2月24日、ウクライナにロシア軍を侵攻させた際、プーチン大統領は「ウクライナの非軍事化と非ナチス化」が目的だと自国民に説明した。ウクライナ政府に8年にわたり威圧され、ジェノサイド(大量虐殺)行為を繰り返されてきた現地ロシア系住民を保護する必要があるという論理だ。それとともにプーチン大統領は、北大西洋条約機構(NATO)がウクライナに足掛かりを得るのを防ぐことも目的に挙げ、さらにウクライナの中立確保も付け加えた。
 1989年に冷戦が終わり、東西ドイツが統合され、旧東独はNATOに加盟する運びとなった。だがこれ以上のNATOの東方拡大にロシアは終始反対してきた。それを受け、米国はNATOの東欧への拡大は自重すると約束したとプーチン大統領は主張している。
 ところがその後、クリントン米大統領が主導し、1997年にNATOは東方拡大を決定、1999年にポーランド、チェコ、ハンガリー、2004年にスロバキア、ルーマニア、ブルガリア、バルト三国、スロベニア、2009年にアルバニアとクロアチア、2017年にモンテネグロが、さらに2020年には北マケドニアがNATOに加盟。こうしてバルト三国を除く旧ソ連各国(ロシア、ウクライナ、モルドバ、ジョージア、ベラルーシなど)を残し、東欧地域はすべてNATOに引き込まれていった。
 しかも、ウクライナやジョージアなど旧ソ連の構成国までがEUやNATO加盟の動きを見せる。プーチン大統領は西側が約束を反故にしたと強く反発すると同時に、NATOの領域がロシア領に迫り東西の緩衝地帯が失われる事態に不安感を抱くようになる。そのためロシアよりも強力なNATOのこれ以上の拡大を阻止し、ロシアの勢力圏とその権威主義体制を守る必要から、ウクライナに攻め込んだという解釈だ。

ロシア帝国の再来を夢見て

 もう一つは、ソ連崩壊後一時国力を衰退させたロシアの再建を成し遂げたプーチン大統領が、ロシア帝国の再来を夢見て西に膨張し始めたという主張だ。2021年7月にプーチン大統領は「ロシアとウクライナとの歴史的一体性」と題する論文を発表したが、その中で「ウクライナの真の主権は、ロシアとの関係においてのみ可能になる」と述べた。また2008年にはブッシュ米大統領(当時)に「ウクライナは国ですらない」と断じている。
 ロシアと切り離してウクライナの存在を認めようとしない彼の意識は、かってのロシア帝国、即ち17世紀末に即位し、ロシアを東欧最強の国としてヨーロッパ国際政治の舞台に登場させたピョートル大帝や、18世紀に「小ロシア」としてウクライナを併合したエカテリーナ2世らが統治したロマノフ王朝(1613〜1917年)下のロシア帝国こそ、再来を目指すロシア理想の姿と捉えていることに由来する。
 スターリンに次いで長くロシアを治め、「最も尊敬する人物は」と問われれば躊躇することなく即ピョートル大帝と答えるプーチン大統領。そしてソ連崩壊後のどん底状態を克服し、再び大国へと建て直したその彼の自負の見つめる先は、ロシア帝国の復興であり当時の版図の回復である。そのような意識の下、ジョージアやウクライナを武力でロシアに取り込み、さらにはモルドバの併合も狙っているという捉え方だ。果たしていずれの考えが正しいのか。この難問を解くためには、古くからロシア及びロシア民族に存在する特異な安全保障の意識を知る必要がある。

包囲恐怖症(シージメンタリティ)

 「ロシアは地上において他とかけ離れて最大の国家であり、850万平方マイル以上を占め、これはユーラシア大陸のたっぷり半分に当たる。ロシアにとって熱望の対象となり得るような“自然的国境”は存在しない。この国は明らかに防御困難であり、その中央政府の強さによって、ロシアの匡境は不安定な変動を続けている。」(フランケル『国際関係論』)
 フランケルが指摘するように,ひとたび大兵力の進攻を受けると、ロシアの大地には防御線を敷く自然の障壁は存在しない。13世紀から15世紀には東から襲来したタタール(モンゴル)に支配され,近世に入っても1812年にはナポレオンに、1914年から18年にかけての第一次世界大戦ではドイツ軍の侵入を許している。
 革命によるソビエト政府の成立後も、ロシアは英米仏等列強の干渉を受けた。第二次世界大戦では独ソ不可侵条約をヒトラーが一方的に破棄し,再びドイツ軍に国土を蹂躙され、2千万人を超える犠牲者を出したことは記憶に新しい。過去幾度にもわたり侵略された屈辱の歴史と、遮るものが一切ない大平原という地理的特徴は、国土の全周を取り囲む強大な敵に常に狙われているといった強い包囲恐怖症(シージタンタリティ)をこの国に生んだ。
 そして周囲の大国強敵に対抗し得るだけの力を持たないロシアは、侵攻された場合に備え、自分達の領土を少しでも広げようと腐心した。敵国領と首都モスクワとの距離を長く確保し、国土の奥深くに敵を引き込んで冬将軍の到来まで時間を稼ごうとしたのだ。広大な領土と過酷な冬の気候だけが、この国の要塞であった。
 かくて自らの生存保障の要請が、領土拡張に対する強い欲求と執着の意識をロシア人に植え付けることになった。しかも大陸国家ロシアの場合、大航海時代を経験した西洋列強とは異なり、海に出ていくことが難しい地政的ハンディを負っており、膨張先はロシアの周辺諸国に集中することになる。1480年にタタールの軛(くびき)から抜け出し、イワン3世の手で独立を果たして以来、500年の間にロシアは1日当たり123平方キロずつ膨れ上がってきた。毎年デンマーク一国分の領土を増やし続けた勘定になる。

ロシアのアンビバレントな安全保障意識

 ロシア研究の泰斗ジョージ・ケナンは「ロシアの伝統的な領土拡大欲求は歴代の体制に馴染んだ性癖だ」と指摘したが、ロシアの歴史はまさに「膨張の歴史」(ロバート・ウェッソン『ソ連とは何か』)である。だが攻撃的な膨張行動の動因が、周囲の大国に脅かされているという不安な感情に起因することを見落としてはいけない。この国では、膨張と防御が表裏一体なのだ。膨張は防衛のためであり、防衛は膨張なくしては成り立たないという意識だ。
 そして大国に囲まれた弱い国という自己認識は、生存を確実ならしめる「大きなもの・強いもの」を欲し、それに憧憬の念を抱く国民性をも生み出した。「力への絶対的な信奉」である。大衆は強い皇帝や独裁者を歓迎し、それにつき従うことで安心感を得るのだ。ピョートル大帝やスターリン、そしてプーチン大統領が国民から圧倒的な支持を受け英雄視される理由がここにある。クレムリンという巨大な建造物も、また極端なほどに重武装化した軍艦等々もみな大きいものや強いものを求めるロシアの国民性に関わっているのだ。
 さらに、弱さを克服するための膨張であったものが、膨張を成し遂げたことによってロシア人の中に大国の意識を芽生えさせた。ロシアは大国であり、また大国であるべきだとの感情だ。それは、西洋や中華帝国など周囲の大国に抱き続けてきたコンプレックスの裏返しであるが、ロシアの侵略を正当化する根拠ともなる。過剰防衛的な膨張が、ロシア帝国の自負や帝国復活待望論を生み出し、侵略を正当化させるのだ。
 ヘルマン・ベルッゲンは「ロシア的なものとソ連的なものを厳密に区分することは困難だ」と述べたが、臆病さと攻撃膨張が併存するロシア民族の精神構造や国民性は、帝政ロシア時代だけでなく、ソビエト革命の後も変化することはなかった。そして共産主義のドクトリンやイデオロギー、更に近代的な軍部、官僚制度の導入でより永続公式化されていった」(『米下院外交委員会報告』)。
 国民性や民族精神は容易に変わるものではない。指導者の意識も同様だ。ピョートル大帝を自身の範とするプーチン大統領がこの国を長く統治したことで、NATO拡大がもたらす対外恐怖とロシア帝国再来の野望という一見相反する意識が彼の一身において併存する形で活性化し、ウクライナ戦争となって具現化したのである。

120%の安全を求める臆病さ

 ロシアの安全保障意識の特徴は、その臆病さにある。大国による包囲の恐怖に怯え続けてきたロシア人は、安全保障には臆病なほどに細心であり、100%の安全が保障されたとしても決して満足することなく、120%、更には200%の絶対的な安全を求めて止まない国民性が育まれていった。
 安全保障とは、自国と他国との相関関係の中で形成されるもので本来相対的な概念であるが、ロシア人の場合は、被支配の歴史体験と地理的脆弱性から“絶対的な安全”を追い求めるようになり、それが過剰防衛の攻撃的・膨張的な国防政策を生み出したのだが、ロシア人は攻撃的・膨張的な行動に出る際も、非常に慎重で臆病な意識は変わらず、作戦が絶対成功するという強い確信が伴わなければ容易に攻撃を決断しない。また敵の2〜3倍の戦力を有しなければ攻撃に出ず、同時二正面作戦も極力回避するなど軍事戦略や戦術においてもこの臆病さが影響を及ぼしてきた。
 昭和20年8月9日、日ソ中立条約に反しソ連軍がソ満国境を越え対日参戦に踏み切った。同年5月ドイツが降伏、6月には沖縄も陥落し、さらに日本本土は連日米軍の空襲を受け、もはや我が国の戦闘能力は完全に失われていた。日本の敗北が既に明らかであったにも拘わらず、ソ連が日本降伏の間際まで対日戦に加わらなかったのは、日本軍の激しい反撃を最後まで警戒し恐れていたからにほかならない。攻撃的膨張的でありながら、実際の行動に出るか否かの決断に際しても、極めて臆病で慎重な態度をとる国なのだ。
 そうした史例と比べると、今次のウクライナ侵攻はロシアが過去に見せた慎重さを著しく欠くもので、事前の攻撃準備も粗雑だった。長期独裁支配がもたらしたプーチン大統領の思い上がりや異論を許さぬ傲慢さ、それにゼレンスキー大統領の指導力や国民の抵抗意志を軽んじ、ウクライナを短期間に制圧できるとの安易な状況判断に陥ってしまった。クリミア併合の体験に囚われ、今回も米欧の関与はないとの思い込みもあった。だが不利な戦いを強いられているにも拘わらず、決して攻撃の手を緩めないのは、この国の攻撃的膨張的な安保意識の強さを示すものといえる。

総括:ロシアの脅威に備えて

 ともすれば我々はロシアを大国と捉え、その膨張も大国ゆえの行動と考えがちだが、ロシアの膨張の背後には、周辺諸国に対するロシア人の強い恐怖心が作用してきた歴史がある。 ロシアや国際安全保障の在り方を考えるにあたっては、ロシア人の特異な安全保障意識を知るとともに、安全保障に対する周辺諸国とロシア人自身の認識ギャップや意識の断裂を理解しておく必要がある。
 但し、たとえロシアにとっては自らの不安を克服するための防御行動であっても、周囲の国にとってそれは膨張的な侵略行為にほかならず、そのような意識の存在を以てロシアによる侵略の正当化を許しては断じてならない。また膨張によって生まれるロシアの大国意識がさらなる膨張を正当化させる危険にも備える必要がある。
 ロシアと周辺諸国の安全保障認識のギャップが冷戦を引き起こし、いままた新たな世界的対立を招くことになった。しかも米ソ二極の比較的シンプルな冷戦構造と異なり、現下の危機の構図は、米中露三国の思惑が交錯し、そのうえ米国が影響力を低下させるなど複雑さを増している。ウクライナ戦争の解決や対露政策にあたって、慎重な対応が求められよう。
 さらに重要なポイントは、膨張的攻撃的な国であっても、非常に臆病で慎重なロシアの国民性に鑑みれば、周辺諸国が対露防衛力の整備強化を怠らず、強固な抑止力を維持しておくことで、ロシアの膨張行動を躊躇させ、その侵略を未然に防ぐことが出来るということだ。
 臆病なロシア人に侵略を躊躇させるに足る防衛力は、ロシアが保持する巨大な軍事力と同等規模である必要は必ずしもなく、彼らに抵抗の強さを思い起こさせる規模のもので十分効果が期待できる。但し、ハードウェアとしての防衛力だけでなく、侵略に対し国を守るという国民の強い意志や団結の高さが重要になってくる。
 ロシアの周辺国というと専ら国境を共有する地続きの隣国が想起されるが、海で隔てられているとはいえ、日本もロシアの隣国である。日本は中国や北朝鮮の脅威に加え、北方ロシアに対する警戒を怠ってはならず、防衛力整備と防衛の態勢作りを急がねばならない。

(2023年5月1日、平和政策研究所上席研究員 西川佳秀)

国際情勢マンスリーレポート
2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻は、ロシアの脅威について再考を促した。プーチン大統領が国際秩序を破壊するような戦争に踏み切った理由には諸説あるが、それらを歴史民族的背景を検証した上で、今後の対応を考える。

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