北朝鮮をいかに認識するか ―北朝鮮の行動論理と変化の可能性―

北朝鮮をいかに認識するか ―北朝鮮の行動論理と変化の可能性―

2022年1月25日

  2022年に入り、ウクライナ危機という、グローバルな情勢を根底から揺るがすような出来事が起きた。グテーレス国連事務総長が「核戦争の危機」について警鐘を鳴らすほどの深刻な事態であり、このウクライナ危機は北朝鮮問題にも影響を与えざるを得ない。以前であれば、北朝鮮は、(旧社会主義陣営である)中国やロシアをさほど意識しなくても独自に振舞う余地があった。ところが、今回のできごとによって中露との関係が変化し、北朝鮮の韓国や日本に対する姿勢にも変化が出て来たし、出て来ざるを得ない。

1.ウクライナと朝鮮半島の地政学的類似性

 ウクライナ危機が顕在化したときから、私は昼夜を問わずSNSをチェックしてさまざまな情報を収集したが、一番最初に感じたのは、すさまじい情報戦が繰り広げられているということだった。
 北京冬季オリンピック開催をめぐって、バイデン大統領とプーチン大統領との間で首脳会談をする、しないの激しい駆け引きがあり、その対立の中からウクライナ問題が顕在化した。つまり、米露関係とウクライナ問題とは連関性があるということだ。
 プーチンがバイデンに要求したことの核心は、ウクライナがNATOに加盟してはならない、それを確約せよという点だった。しかし、バイデンはロシアの要求にのらりくらりと応じなかった。「米中新冷戦」とも言われる米中対立の構図の下、中国の背後にロシアが位置する地政学的力学関係から、米国としては対中戦略を展開する上で、ロシアを揺さぶり、そのわき腹に食い込むウクライナのNATO加盟は重要なポイントであった。バイデンが首脳会談に応じず、(ウクライナのNATO加盟を既成事実化するための)時間稼ぎをしていると判断したプーチンは、北京オリンピックが閉幕したのを見計らってウクライナへの「特別軍事作戦」=軍事侵攻を開始した。
 一方、北京オリンピック開幕式前の2月4日、プーチンは北京で習近平と首脳会談を行い、「NATOのこれ以上の拡大に反対」する旨の共同声明を発表し、結束をアピールした。
 ウクライナ問題とは、ウクライナがNATOに加盟し東方の最前線となるのか、あるいは緩衝地帯として残るのかの選択を迫る問題だった。「緩衝地帯」の重要性がクローズアップされてきたのである。つまり、「米中新冷戦」という新構図の下で、その中間位置を占める国や地域が緩衝地帯としての地政学的重要性が一気に高まってきたのである。
 そう認識した私は、ウクライナと朝鮮半島との地政学的類似性に気づいた。すなわち、ユーラシアの西の緩衝地帯がウクライナであり、東の緩衝地帯が朝鮮半島であるということだ。ウクライナの轍を踏まないためには、新冷戦対立の最先端、「最前線」と構えるのではなく、緩衝地帯という認識を強めて、互いの協力関係を強化していく立場に立つしかない。両超大国の道具や犠牲になる必要はない。緩衝地帯には緩衝地帯としての役割や知恵があるということである。
 日本もこの地政学的な情勢変化において無関係でいることはできない。朝鮮半島と密接な日本が、韓国、ひいては北朝鮮とも協力して(新冷戦の)緩衝地帯となって存在感を高めるのか、あるいは(ウクライナのような熱い戦争の)最前線になってしまうかの、岐路に立たされていると言っても過言ではない。

2.すさまじい「情報戦」をどう見るか?

 ウクライナ問題をめぐっては、すさまじい「情報戦」が繰り広げられていることをまず指摘しておきたい。
 その典型が、「インテリジェンス」なる誘導的な情報操作である。例えば、「米高官」がNATOやアジアの同盟国に極秘の外交公電を流し、その中で「中国がロシア側の要請に応じて軍事的支援をする“意向”を示した」と通達したことが報じられた(2022年3月15日ロイター電)。米国は客観的に確認しようもない心の動きである中国の「意向」をあたかも事実のように伝え、同盟国を従えようとしているのである。中国の楊潔篪国務委員や王毅外相は「意向」を明確に否定したが、ロシアとウクライナの軍事力の差から客観的に判断しても、中国が軍事支援をすることはありえない。中国を孤立させるためにバイデン政権が故意に流したイメージ操作と中国は理解しているのである。習近平は盟友とも頼む同世代のプーチンとの会談でウクライナ情勢をつぶさに聞いており、バイデンがプーチンとの会談を渋りながらウクライナ国境地帯に集結したロシア軍の演習の模様をインテリジェンスと称して世界に流したのは、プーチンをけしかける一種の誘導作戦と認識していたと考えられる。慎重居士だけに同じ手には乗せられないというわけである。
 それだけに、ロシアを経済制裁で締め上げようとしているバイデン大統領に同調することもない。それを裏付けるように、3月2日に開かれた国連総会の緊急特別会合においてロシアを非難する決議案を棄権し、中立的立場を墨守している。ロシアとの通常の貿易・通商関係を変更することは毛頭考えておらず、むしろ漁夫の利を取ろうとするだろう。資源が豊かなロシアとの貿易は維持強化し、経済制裁のあおりを食って物価高、インフレに苦しむ米国に対する経済的優位を確保しようとするだろう。米国一辺倒の日本のメディアはそれがほとんど見えていないが、比較的冷静な見立てが「世界がかたずをのむ中露連携」(3月16日付「日刊ゲンダイ」)である。
 もはや習性に近いが、日本では、「プーチン=悪魔、ゼレンスキー=英雄」という二項対立のAIアルゴリズムがマスコミからSNSまで浸透し、「徹底抗戦」が聖戦視されている。悲惨な状況に置かれた女性や泣き叫ぶ子供の姿がリアルに流され、ウクライナのゼレンスキー大統領を英雄かのように誉めそやす言説を見聞していると、私は戦時中の日本を思い浮かべ戦慄を覚える。
 ウクライナでは18歳以上60歳までの男性に総動員令が出されて戦争に駆り出され、避難場所のない女性一般市民が市街戦の人間の盾にされている。東条英機らの「一億総玉砕」の号令一下、火炎瓶や竹槍で構えた人々の姿が目に浮かぶ。私自身は戦争の経験はないが、東京大空襲で雨あられと降ってきた焼夷弾の恐ろしさを、母から聞かされながら育った。小学生のころ、沖縄戦で散った女生徒たちの姿を描いた「ひめゆりの塔」という映画を見て泣いた記憶が蘇る。為政者の外交的失敗の犠牲者である一般国民に善悪二項対立で督戦意識を吹聴し、「死ぬまで戦え!」と追い込む偽善欺瞞はもう止めにしよう。過去から教訓を汲む英知を解いたアーノルド・トインビーの「歴史の教訓」を、今こそ思い起こすべきであろう。
 プーチン大統領のウクライナ侵攻が交際法違反であり、人道に反する暴挙であるのは二言するまでもない。即時に停止し、対話による解決を目指すべきである。そう思うだけに、「ロシアのウクライナ侵攻は第二次世界大戦以降の最大の暴挙である」とバイデン政権が声高く叫ぶことには、ダブル・スタンダードではないかと怒りさえ覚える。
 2003年、ブッシュ米政権は有志連合を形成して(国連の核査察によって大量破壊兵器が発見されなかったにもかかわらず大量破壊兵器開発疑惑を理由に)イラク侵攻を行っている。当時、イラク攻撃開始直後に開かれた国連安保理事会公開協議では、70カ国近くの国が「(有志連合のイラク侵攻は)違法な侵略」として侵略軍の即時撤退を求めている。ロシアのウクライナ侵攻も米国のイラク侵攻も国際法違反という点で何ら変わりのない暴挙であった。そのイラク侵攻の有志連合国であった米、英、オーストラリア、ポーランドがいまロシアのウクライナ侵攻を先頭に立って非難しているが、彼らの正義とは何なのかと根本的な疑義、同じ人間としての悲しみすら覚える。
 現在の世界は、長引くコロナ・パンデミックの影響もあって対話もままならず、寛容や忍耐を失い、不信や誤解のストレスのマグマのような「狂気」の中に居るように思える。トランプ前大統領は貿易赤字問題などで中国に関税戦争を仕掛け、「米中新冷戦」を顕在化させたが、バイデン大統領は「専制主義VS民主主義」というイデオロギー対立を持ち込んで、事態を一層複雑化させてしまった。抽象的観念的なイデオロギー闘争は先の見えない争いとなり、軍事的対立にまで発展する危険性を帯びる。降って湧いたウクライナ問題はその証左と言えよう。外交は内政の延長と言われるが、バイデン外交には経済格差拡大による米社会の分断と対立が反映し、根が深いことも無視できない。
 古来、日本、東洋には「喧嘩両成敗」という知恵深い言葉がある。愚かな政治家の失敗で一般国民がどうして犠牲にならなければならないのか。野心的な政治家によって引き起こされた戦争で、一般国民が多大な犠牲を被ることはあってはならない。地域紛争を無暗に拡大せず、「人間の盾」を防ぐためにも、今こそ、徴兵権を国家に独占させず、戦争に行かない権利、ガンジーの無抵抗主義、非暴力主義を国際人権規約に明記すべきではないかと、朝鮮半島と日本の緩衝地帯化構想と共に提唱したい。

3.北朝鮮の対外関係の変化

 ウクライナ問題に関する北朝鮮の立場は明確で、2月26日に北朝鮮外務省が声明を出している。「国際政治研究学会の研究者談話」という形式であるが、金正恩・北朝鮮国務委員会委員長兼労働党総書記の意向であることは間違いない。談話では「世界が現在直面している最大の危険は、国際平和と安定の根幹を崩している米国とその追従勢力の強権と専横だ」とし、「他国の自衛的措置を『不正義』だと決めつけるのは米国の傲慢だ」と断言する。その上で、「ウクライナで起きている事態はロシアの安全保障上の要求を無視し、一方的に制裁や圧迫に固執してきた米国の強権と横暴が根本的な原因だ」と、米国を非難した。
 愛用のスマホで海外情勢をつぶさに把握している金正恩は、ウクライナにはウクライナ内務省管轄の準軍事組織である国家親衛隊に所属する「アゾフ連隊」というネオナチ的な極右部隊が内戦状態の南部のマリオプリ市を拠点に勢いを増しており、それに対してロシアが「自衛的措置」を取ったと認識したのである。旧ソ連圏で共有された「制限的主権論」に通じる。
 世界を二分させつつあるウクライナ情勢下、北朝鮮は対外政策の軸を中ロ側へと大きく移していくと見て間違いない。韓国では大統領選挙で保守系の尹錫悦候補が当選したが、「米国の傀儡政権」と非難することもなく、当選の事実だけを淡々と報道した。ウクライナ事態に対して日本ほど対ロ経済制裁に同調しない韓国の立ち位置を見極めたいということであろう。
 北東部で国境を接するロシアとの関係は飛躍的に変化していくだろう。以前であればロシアは対北朝鮮国連制裁決議に縛られ北朝鮮との交易を制限したが、これからは遠慮がなくなる。対米関係で旧同盟意識を蘇らせ、北朝鮮とロシアの国境貿易は活発化していくだろう。北朝鮮はレアメタルが豊富で、ロシアには石油や天然ガス、小麦など北朝鮮の欲しいものが五万とあり、補完的な関係となる。とりわけ、北朝鮮の高質の労働力はロシア沿海州開発に力を発揮しよう。そこに両国と国境を接する中国が加わってくる。

4.主体思想から見た北朝鮮

(1)社会主義国における指導者の世襲

 北朝鮮の基本的思想は「チュチェ(主体)思想」だが、それについて考える前に自分の体験を紹介したい。
 私が『朝鮮新報』社の記者をやっていた時、ショッキングな出来事があった。1974年2月、朝鮮労働党第5期第8回中央委員会総会において金日成の後継者として金正日が指名されるとともに党の唯一思想体系確立のための「十大原則」が内部決定され、数日後、我々にも伝達されたのだった。この決定前から『労働新聞』では金日成の長男・金正日が「親愛な指導者同志」と紹介され、我々の間では喧々諤々の論争があった。金日成の弟であり、歴史的な南北共同声明(1972年7月4日)を仕切った金英柱労働党組織指導部長が後継者とする見方が支配的であったため、まさか無名の長男への世襲はないだろうと考えていたが、背後で骨肉の凄まじい権力闘争が行われていたのだ。その結果を正当化するのが「十大原則」であったが、目を疑うものであった。その核心は、第一「神格化」、第二「絶対化」、第三「無条件化」であった。要するに、決定をつべこべ言わずに受け入れろという上位下達文であった。正直言って、マルクス・レーニン主義を掲げる社会主義の国で、どうして指導者の神格化がなされるのかという疑問が突きあがり、私は動揺した。
 しかし、記者の水に慣れた頃であり、なぜそうしたことが起きたのかと好奇心が疼いた。もう一つ、かねてから私にはぜひ知りたい疑問が芽生えていた。「個人軍事独裁」「収奪、搾取される植民地」と労働新聞や朝鮮新報が烙印を押していた朴正熙政権下の韓国が目覚ましい経済発展を遂げ、1970年代初めころから日本の新聞の一面に「漢江の奇跡」と報じられるようになっていたのだ。他方で、「社会主義の優等生」「自立的民族経済」と誇っていた北朝鮮の経済が長期停滞に陥り、次第に統計数字も出てこなくなっていた。何が起きたのか?後継者問題とともに、どうしても知りたい、知らねばならない課題となった。
 奇しくもその5年後の79年9月に私は朝鮮大学校に異動となったが、1か月後の10月27日の北朝鮮憲法の講義中に教室外が騒がしくなり、「朴正熙が暗殺されたようだ」という第一報が飛び込んできた。
 その2年後、積年の疑問を直に自分の目で確かめる機会が訪れた。1981年4月から6月までの3カ月間、私は北朝鮮を訪問する機会を得たのである。前年の10月10日の第6回朝鮮労働党大会、その直後の党第6期中央委員会第1回総会で金正日が党中央委員会政治局常務委員、中央委員会書記、中央軍事委員会委員に就任し、後継者として正式にデビューしていた。在日の識者から選抜された訪朝団の目的は、後継者問題の理論化について北朝鮮側と意見交換することにあった。3カ月間、ピョンヤン旅館に滞在した我々のカウンターパートナーは金正日と金日成総合大学同期の最側近のキム・ヨンシク党中央組織指導部指導員で、後継者問題について自身で著した『哲学概論』を送られた。彼以外にも金日成高級党学校の教授らと討論を重ねたが、信頼されていたためか「世襲と認めるしかないのでは?」と我々の中からきわどい意見が提起されるほどフランクで率直な場であった。驚いたのは、「ドイツの哲学者のニーチェを研究する必要がある」と年配の教授から言われたことである。「超人思想」を拝借して父子後継を合理化するということらしく、積年の疑問であった「神格化」とはそういう意味であったのかと妙に納得した。
 そこには北朝鮮の特殊性がある。一般にスターリン主義的な社会主義体制はプロレタリア独裁とされ、長期政権化と個人崇拝に陥りやすい。それに加えて北朝鮮では血統主義の伝統が強いため、父子世襲となったのである。
 また、残るもう一つの疑問である北朝鮮経済長期停滞の原因も、北朝鮮各地の企業所、工場などを視察する中で理解できた。最高人民会議に傍聴員として招かれ、数時間、最前列から5番目の席から金日成主席が指導をする様子を間近に見たが、こっくりこっくり舟を漕ぐ代議員が少なくなく、惰性と倦怠感が満ちていた。思わず場内を見渡した想定外の光景は、今も眼に焼き付いている。無競争、非効率性が技術革新を妨げ、何年たっても同じものを作り続ける。すなわち、ソ連社会主義を真似た北朝鮮経済は分業化を基本としており、それが競争や独創性を阻害する本質的弱点となってしまったのである。そうした問題点をまとめて私は1990年に処女作「朝鮮が統一する日」を著し、同年9月にソ連極東の軍港都市ウラジオストクでのシンポジウムに招待され、以後、ソ連各地を回って北朝鮮と全く同じ長期停滞問題を抱えていることを確認できた。
 それと対照的なのが朴正熙政権下の韓国であった。政治は軍事独裁であったが、経済は資本主義的な自由競争を採用し、サムスン、現代などの世界的な企業を育て、「漢江の奇跡」を生みだした。独裁体制下で外資を導入し、経済を飛躍的に発展させた朴正熙のユニークな経済発展戦略は文化大革命で荒廃した社会主義経済を再建する手立てを探していた隣国中国の鄧小平の目に留まり、やがて改革開放路線となって「深圳の奇跡」を生みだしていく。『鄧小平は改革開放政策のヒントを朴正熙による「漢江の奇跡」から得た。実は、朴正熙と鄧小平は生前交流があり、密使が往来していた。後に私が某大学教授の紹介で東京で会った密使(元新聞記者)の話によれば、鄧小平は日本の新幹線や先進技術に強い関心を持っていたが、政治システムが異なることに不安を感じていた。それを解消したのが朴正煕の開発独裁であった。
 金日成も鄧小平の改革開放政策が効果を上げていることを知っていた。だが、「修正主義者」「資本主義の手先」と批判してきた手前、素直に耳を傾けることが出来ず、ソ連崩壊のあおりで揺らぐ自国経済になす術がなかった。
 私は1995年に父母と共に初めて韓国を訪れ、翌年に「韓国を強国に変えた男 朴正熙 その知られざる思想と生涯」を著した。1997年に韓国語版も発行され、朴槿恵大統領から「父のことを良く書いてくれた」と評された同書で、朴正熙の独裁を「個人独裁」ではなく、外資導入を効率的に活用した「開発独裁」と定立し、「金日成は抗日闘争の英雄ではあったが、経済で朴正煕に負けた」と書き添えた。

(2)主体(チュチェ)思想とは

 北朝鮮の指導理念が金日成が創始したチュチェ(主体)思想であることは広く知られているが、誤解も少なくない。私は学生時代から「人間の生命は自主性である」と明快に説くチュチェ思想に魅せられていたが、本格的な研究を始めたのは朝鮮大学に移ってからである。実は、「意識とは客観的な物質的諸条件の反映」と説かれるマルクス・レーニン主義の世界で、意識の自主性とか創発性をことさら強調する「主体」は、観念的な異端思想の一種とみられていた。社会主義陣営で初めて「主体性」の問題を提起したのは1950年代のポーランドの哲学者のコーディングであったが、十分な展開もなく終わってしまった。
 その後、「主体」の問題を前面に押し出したのが金日成であった。1956年のスターリン批判とそれに続く中ソ論争の中、金日成は社会主義陣営の統一団結のために仲介者的な役割を担う独自路線を堅持し、「チュチェ(主体)とは朝鮮である」と声を上げた。中国、ソ連いずれにも与せず、自主性を固守する実践的な要求に応えるイデオロギーとして、「チュチェ」が登場したのである。若干の誤解があるが、チュチェ思想の体系化、理論化に貢献したのが、イデオロギー担当党書記であった黄長燁(1923〜2010年)である。私は訪朝中に最高人民会議議長の黄長燁と会って話を交わしたが、その16年後、彼は金正日と不仲になって韓国に亡命し、「自分がチュチェ思想を創始した」と述べたが、その役割は金日成の実践的要求を体系化、理論化したことに尽きる。
 結論を言えば、チュチェ思想は、哲学というよりも、北朝鮮の国家理念・目標を追及する実践的イデオロギーなのである。すなわち、「思想におけるチュチェ(主体)、政治における自主、経済における自立、国防における自衛」と金日成が定式化した標語の出発点に位置付けられた実践的イデオロギーがチュチェ思想にほかならない。
 それは後継者を選ぶ基準としても機能してきた。金正日は「十大原則」で「神格化」「絶対化」「無条件化」を求めたが、そこでは後継者としての自己を正当化する政治的イデオロギーとしてチュチェ思想が機能している。内外情勢が厳しい中、政治的な統一団結が不可欠であり、そのためには金日成に忠実な「白頭の血統」を受け継ぐ指導者=自身を核とするのが北朝鮮の実情に合っているという三段論法となる。しかし、金正日は後継体制を強化することには成功したが、「経済における自立」にこだわり、経済改革に失敗した。病身となった晩年、目覚ましい経済発展を遂げている中国を繰り返し訪れ、何とか鄧小平の改革開放政策から学ぼうとしたが、二の足を踏み、最後まで先代以来の鄧小平批判の呪縛から解放されなかった。

(3)金正恩にとってチュチェ思想とは何か?

 金正恩は父親と同じ「白頭の血統」論理で三代目後継者に収まった。その意味でチュチェ思想の継承者であるが、ウクライナ情勢の影響もあって北朝鮮が置かれた内外状況は大きく変化しており、新たな実践的要求に金正恩が応えられるかどうか、北朝鮮と彼自身の運命が掛かっている。
 注目すべきは、母が大阪生まれの元在日で、正妻の子でない非嫡出子であるため北朝鮮の正規の学校に通わなかったという独特の生い立ちである。北朝鮮には各種青少年団体に子どもたちが参加して集団訓練を受ける習いであるが、金正恩はそのような経験がない。10歳でスイス・ベルンのインタナショナル・スクールなどに留学して青春を謳歌し、外国語に通じ、資本主義下の生活も体験している。極論すれば、金正恩はスイスの学友たちとさして変わらない価値観の所有者と言える。先々代、先代とは自ずと異なる国際性、政治的感性や志向性を帯びざるをえない。鄧小平の改革開放政策へのアレルギーもない。直近の『労働新聞』は「世代が変わり、革命が前進するほど、より透徹した反帝階級意識を持とう」とのスローガンを掲げているが、金正恩の好む「透徹」が彼の内面を理解するキーワードと見て間違いない。そうした金正恩のユニークな個性がそのリーダーシップにいかに影響し、北朝鮮の最大の課題である経済再建に活かされるか注目される。
 金正恩は当初、父親の急逝で担がれた存在であった。「日陰者」のように疎外されて育ち、学友や友人など国内に固有の人脈や権力基盤を持てず、「白頭の血統」の看板だけが頼りであった。転機は、金正日亡き後の最大の実力者であった張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長・党行政部長の粛清(2013年12月)であった。その真相はいまだに厚いベールに包まれているが、私は張に次ぐ実力者の朝鮮人民軍総政治局長であった崔竜海(チェ・リョンヘ)現最高人民会議常任委員長が金正恩を担いだミニ・クーデターであったとみている。金正恩がどうなるか心配したが、持ち前のバランス感覚で乗り切った。愛用のスマホで海外情報を入手して外交に活かし、トランプ大統領との首脳会談を実現した手腕は一目置かれるようになっている。また、趙甬元(チョ・ヨンウォン)政治局常務委員・組織担当書記ら母親の故高英姫(コ・ヨンヒ)の系列と思われる固有の人脈を要所に配置し、権力基盤を固めている。それだけ独自の内外政策ののりしろが広がるということになる。

(4)北朝鮮が国連など国際社会から長年経済制裁を受けているのに国がつぶれないのはなぜか?

 その第一の理由は、強靭な思想性である。強権的な統治組織とあいまって、それが社会統制機能を果たしている。と言うのも、正統性や道徳性に敏感な伝統的な国民性があり、15年の抗日闘争を指導した「絶世の愛国者」金日成への代をついだ忠誠心は強く、主体思想によって国民の政治的な統一団結が保たれ、反政府勢力が付け入る隙がない。いくら戦況が不利で日々の生活にあえいでいても、選択肢がないのである。皇国思想を信じ、一億総玉砕を叫んで米国に立ち向かった戦前の日本や現在のウクライナと似ている。
 また北朝鮮の人々は、困窮にも強い。貧困や困窮の観念は国、地域によって異なり、そもそも現在の日本で暮らしている我々と、豊かな生活をしたことがない北朝鮮の人間の貧困や貧乏への認識や心構えが異なる。日本から見ればひどい生活だが、北朝鮮の人から見れば日常なのである。あえて北朝鮮の人々の生活レベルを日本や米国社会に探せば、上野公園などの食糧配給に並ぶ人々やニューヨークのホームレスであろうか。経済格差が日常的に見えれば不満や怒りが爆発するであろうが、北朝鮮ではみんなが平等に貧しいため、「最後の勝利」まで一緒に頑張ろうと共助・互助の連帯精神がシナジー効果を発揮する。
 しかし、北朝鮮国民の忍耐にも自ずと限度があることは言うまでもない。

5.北朝鮮の経済改革展望
(1)米中対立と北朝鮮の立場

 2021年1月の労働党大会で金正恩は「経済5カ年計画」策定の音頭を取ったが、その達成如何に北朝鮮と金正恩政権の命運が掛かっている。核・ミサイル開発による国際社会の経済制裁と新型コロナウイルス対策での国境封鎖の中で当面して「自力更生」を基本にするしかないが、それでは良くて現状維持、新たな発展は到底望めない。
 客観的に見て、北朝鮮経済再建はソ連式社会主義経済の共通の弱点を克服した鄧小平の改革開放路線しかない。鄧小平の改革開放路線で中国経済が飛躍的に発展している現実は、今や誰もが認める。中国のGDPは日本の3〜4倍となり、数年内に米国を抜いて世界一となるとの観測も出ている。私は「二人のプリンスと中国共産党」(2015年12月刊)で米中間には世界の覇権をめぐる「新冷戦」が始まるだろうと予測し、その勝敗を決めるキーポイントは「格差解消問題」にあると指摘した。
 トランプ大統領が仕掛けた対中貿易・関税戦争は想定内であったが、バイデン大統領が「専制主義か民主主義か」とイデオロギー的対立へとヒートアップしたのは予想外であった。しかし、外交は内政の延長であるとの格言が、バイデン大統領の意図を教えてくれる。トランプ以上の対中強硬姿勢は弱腰批判をかわし、中間選挙を控えて支持率回復を狙う狙いがある。ウクライナ問題での対ロ強硬姿勢もその脈絡であるが、米国内の反応は芳しくない。民主党大統領候補予備選でバイデン候補と激しく争ったサンダース上院議員が連日、ツイッターで「大学生が奨学金返済に苦しんでいる」「ホームレスが街にあふれている」「インフレが人々の生活を苦しめている」と「1%vs99%」の格差解消問題から目を逸らすなと訴えているように、アフガン問題などで紛争疲れした大多数の米国人の関心は国内の経済・福祉問題である。対ロ経済制裁がガソリン代高騰に跳ね返ってバイデン支持率は40%前半に低迷し、「バイデンは不法投票で当選した」と非難するトランプ前大統領は中間前挙、さらに2024年の大統領選挙出馬を明言して攻勢を強めている。要するに、バイデン大統領の強腰外交は不安定な国内政治基盤の反映でもある。
 他方、バイデンの対ロシア制裁要求を撥ねつける国際政治上の最大のライバルの習近平は、格差解消を国家目標とする「共同富裕」実現へと歩一歩駒を進め、中華人民共和国建国100周年に当たる2049年に「社会主義現代化強国」を実現する「中国の夢」実現に自信を深めている。「中国の夢」とは何か、と日本ではざわついているが、それほど難しい話ではない。生産力が発展するにともない社会は資本主義から社会主義へ、さらに共産主義へと必然的に移行していくと説くマルクスの史的唯物論を実践しようとしているのである。
 それは金日成の果たせぬ夢でもあったが、ドライな孫の金正恩は様々な糸が絡み合い複雑化する国際情報をどう読み解くか。スマホでの情報収集を怠らず、米中どちらに分があるか、「冷徹に」見極めようとしていることであろう。

(2)金正恩は改革開放政策に舵を切るか?

 金正恩総書記に中国へのわだかまりが全くないわけではない。異母兄の金正男を後継者レースのライバルとみなし、中国が金正男寄りであることを快く思っていなかった。叔父の張成沢粛清に踏み切った背景にも、張が金正男を溺愛し、朝中国境の茂山鉄鉱山開発や東部の清津港開発などで中国資本と提携したことへの警戒心があった。中国の改革開放政策を評価し、市場経済を部分的に導入したが、中国の影響力が増すことには警戒感があった。そうしたジレンマから、トランプ大統領との会談を3回こなし、その間にも習近平主席とも都合4回会談し、両者の間で巧みにバランスをとってきた。バイデン大統領誕生後は新たなステージに入った米中関係の帰趨に目を凝らしていた。そういう読みから、私は金正恩は韓国の新政権に大胆にアプローチし、南北の経済協力を梃にした改革開放へと舵を切るだろうと考えていた。
 だが、ウクライナ事態で状況は一変した。金正恩は「新冷戦」の潮流を見逃さず、旧同盟国である中国、ロシアとの関係再強化を図り、米国に対しては遠慮がなくなり、揺さぶりをかけるであろう。それとともに国連制裁で停滞していた中国、ロシアとの国境貿易が活発化し、北朝鮮経済に大きなインパクトを与えることは間違いない。金正恩はもともと鄧小平に対する偏見やアレルギーがなく、北朝鮮はある方向を見出すと総力を挙げる特性があり、動き出すと早いだろう。金日成時代の北朝鮮は教育普及率が世界でトップクラスを誇り、人的資源は豊かで天然資源も豊富であり、20〜30年のスパンで考えれば「大同江の奇跡」が起きる可能性は十二分にある。
 それは朝鮮半島の統一問題にも大きな影響を与えざるをえない。ウクライナ事態以前であれば、南北の緩やかな連邦制、国家連合などの案を議論することができたが、「新冷戦」下ではパラダイムシフトが避けられない。朝鮮南北、日本が「新冷戦」の最前線ではなく緩衝地帯となるのが理想であるが、一定の時間が必要だ。そうした条件下で南北関係を安定化させるには、東西冷戦下で東西ドイツが相互承認し、二つの国家の国境線として38度線を安定化させるのがベターであろう。そうして一定時間をかけて北朝鮮経済を底上げし、南北の経済格差を縮め、相互交流で理解を深め、最終体には、どちらの体制が良いのかと総選挙で民意を問い、統一へと向かうしかない。
 北朝鮮の経済レベルがどこまで行ったら、統一は可能であろうか? 現在、韓国の一人当たりGDPは35000ドルくらいだが、そこまで行く必要はない。現在は2千ドル以下(1316ドル、2019年)だが、韓国の中間層の下あたり、数字で言えば1万ドル程度まで行けば可能だろう。北朝鮮としては韓国の中間層に向かってどちらが良いのかと体制競争に持ち込むことが出来る。30代の金正恩が合理的に判断するとしたら、その選択肢しかないだろう。

6.北朝鮮はどうして核開発に踏み切ったのか?

 その答えは「ソ連が南朝鮮(韓国)と国交を結ぶのなら、我々は核を開発しなければならない」(金永南外相)の一言に凝縮されている。1989年のブッシュ米大統領とのマルタ会談で冷戦終結を宣言したゴルバチョフ・ソ連大統領は1990年9月、韓国との国交正常化の事前承認を求めるために北朝鮮にシュワルナゼ外相を派遣した。それに対して金日成は「裏切者!」と激怒して会談を拒絶し、代わって応じたキム・ヨンナム外相が放ったのが、その一言であった。北朝鮮が核開発を公言した最初の一言であった。
 私はたまたま同じころ、ピョンヤンとそう遠くないウラジオストクでのシンポジウムに参加していたが、金外相とシュワルナゼ外相の激しいやり取りをシンポジウムを主催したソ連共産党地区関係者から聞いていた。当時、北朝鮮は朝ソ友好協力相互援助条約によってソ連の傘に入り、韓米安保条約で米国の核の傘に入っていた韓国と厳しく対峙していた。金日成はソ連が韓国と国交正常化することで事実上、「核の傘」が失われると危機感を募らせたのである。金永南・シュワルナゼ会談から一カ月もたたない同年10月3日、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)にドイツ民主共和国(東ドイツ)が編入され、金日成は体制の危機すら覚えた。その後、北朝鮮はソ連邦崩壊で行き場を失ったウクライナの核技術者を大量に雇い入れ、核開発に拍車をかけた。
 北朝鮮にとって核とは、一つは、韓米同盟の核に対抗する意味があり、もう一つは、韓国に対する軍事的優位を保障する担保である。現在では、通常戦力の劣勢をカバーする強力な手段となっている。北朝鮮は建国以来、最大の障害とみなす米国に対抗して武力も辞さない統一路線を標榜し、自立的民族経済建設、国際社会との連携、韓国内の反政府勢力を兼ね合わせる戦略をとってきた。近年それが揺らぎ、その分、核戦力への依存度が高まっている側面もある。
 金正恩は核問題をどう考えているのか。冷戦時代を知らない世代だけに、金日成、金正日時代のような武力統一路線への執着はなく、それとの関連性で核を考えてはいないと思われる。核を交渉のテーブルにつかせる切り札と考え、トランプとの三回の会談でも有利な着地点を見つけることに腐心していた。そのスタンスはバイデン新大統領に対しても変わらないが、ウクライナ危機によって中露が見方になったとの認識を」強め、強気になっている。金日成、金正日は大義名分にこだわるが、金正恩はメリットとデメリットを斟酌して判断する。

7.拉致問題にどうアプローチするか?

 拉致問題には大いなる誤解があり、今やこじれにこじれた状態だ。日本政府が認定した拉致事案は12件、拉致被害者は17人であり、そのうち13人(男性6人、女性7人)について金正日総書記は小泉純一郎首相に対して拉致を認め、5人を日本に帰国させ、残り12人については「8人死亡、4人は入境せず」と通告した。だが、日本政府は「全員が生存しているとの前提で対処する」として交渉は膠着状態に陥っている。
 その突破口を開くには、先入観や誤解を捨て、事実に基づいて判断することが重要である。北朝鮮は体制の特殊性から、最高指導者が「死亡」と公言したことが覆ることがない。実際、北朝鮮では拉致問題は事実上終わったとみなされ、担当部署は解体され、関心もない。それだけに、「全員生存、帰還」という条件を突きつけられると、北朝鮮としては動きが取れない。
 後に拉致問題が明らかになった際、叔母の言葉が鮮烈に蘇った。蓮池薫氏が「横田めぐみさんが精神病院に行くのを見送った」と証言していたが、その病院である。北朝鮮の精神病院は日本のそれとは異なり、精神治療の施設ではなく、反体制的な人がそれに準じる人を隔離する場なのである。それがそのまま横田めぐみさんのケースに当てはまるとは言わないが、日本では嘘で片付けられることでも北朝鮮ではまかり通っている現実を踏まえる必要はある。その詳細については拙書「証言『北』ビジネス裏外交」に書いておいたので、参考にしていただきたい。
 それでも、北朝鮮は「話し合いには応じる」と言っている。どうすればいいのか。膠着状態を打破し、交渉を進めるには、選択肢を広げるしかない。「生存」を前提とするのではなく、「生存もあるし、そうでない場合もある」とするのである。その代わり、日本人専門家の現地調査など事実を確認する場を増やし、真相を究明するしかないと思われる。
 最後に、金正恩の日本への思慕みたいなものについても言及したい。母親の高英姫が金正日から日本風に「아유미(あゆみ)」と呼ばれたエピソードは知られているが、金正恩も小さい頃から折りにつけ母親から日本語を聞いて育った。それを裏付けるように。彼は現地指導で「パケチュ(バケツ)」という言葉を用いたことが労働新聞に報じられていた。母親の故郷である大阪・鶴橋への郷愁もあろう。日朝外交の意外な突破口になる可能性が否定できない。
 地政学的には当然とも言えるが、日本と北朝鮮のつながりは一般に考えられている以上に強いものがある。前掲書で紹介した秘話中の秘話であるが、金日成時代の1970年代に、韓国の浦項製鉄所に対抗して近代的な製鉄所を北朝鮮南浦に建設する「Dプラン」という3000億円規模の投資計画があった。新日鉄が全面協力するはずであった画期的な計画は、実現直前で米国の反対で中止となった。だが、日本と北朝鮮が経済協力すればウインウインの巨大な果実が得られることは間違いない。大局的な観点からの外交を期待したいものである。

(2022年3月16日、IPP政策研究会における発題内容を整理して掲載)

 

<参考>

〇1974年制定の「十大原則」

第1条 偉大な首領金日成同志の革命思想によって全社会を赤化するために身を捧げて闘うべきである。

第2条 偉大な首領金日成同志を忠誠をもって仰ぎ奉じるべきである。

第3条 偉大な首領金日成同志の権威を絶対化するべきである。

第4条 偉大な首領金日成同志の革命思想を信念とし、首領の教示を信条化するべきである。

第5条 偉大な首領金日成同志の教示を執行するにおいて、無条件性の原則を徹底して守るべきである。

第6条 偉大な首領金日成同志を中心とする全党の思想意志的統一と革命的団結を強化するべきである。

第7条 偉大な首領金日成同志に学び、共産主義的風貌と革命的活動方法、人民的活動作風を持つべきである。

第8条 偉大な首領金日成同志から授かった政治的生命を大切に守り、首領の大きな政治的信任と配慮に対して高い政治的自覚と技術による忠誠をもって報いるべきである。

第9条 偉大な首領金日成同志の唯一的領導のもとに、全党、全国家、全軍が一つとなって動く、強い組織規律を打ち立てるべきである。

第10条 偉大な首領金日成同志が開拓された革命偉業を、代を継いで最後まで継承し完成するべきである。

〇2013年の改訂「十大原則」

第1条 全社会を金日成・金正日主義化するために命をささげて闘争するべきである。

第2条 偉大な金日成同志と金正日同志を我が党と人民の永遠の首領、主体の太陽として高く奉じるべきである。

第3条 偉大な金日成同志と金正日同志の権威、党の権威を絶対化し、決死擁護すべきである。

第4条 偉大な金日成同志と金正日同志の革命思想とその具現である党の路線と政策で徹底的に武装すべきである。

第5条 偉大な金日成同志と金正日同志の遺訓、党の路線と方針貫徹で無条件性の原則を徹底的に守るべきである。

第6条 領導者(金正恩)を中心とする全党の思想意志的統一と革命的団結をあらゆる面から強化すべきである。

第7条 偉大な金日成同志と金正日同志に倣い、高尚な精神道徳的風貌と革命的事業方法、人民的事業作風を備えるべきである。

第8条 党と首領が抱かせてくれた政治的生命を大切に刻み、党の信任と配慮に高い政治的自覚と事業実績で応えるべきである。

第9条 党の唯一的領導の下に全党、全国、全軍が一つとなって動く強い組織規律を打ち立てるべきである。

第10条 偉大な金日成同志が開拓し、金日成同志と金正日同志が導いて来た主体革命偉業、先軍革命偉業を代を継いで最後まで継承・完成すべきである。

政策オピニオン
河信基 元朝鮮大学校教授
著者プロフィール
兵庫県姫路市生まれ。中央大学法学部卒。「朝鮮新報」記者、朝鮮大学校政治経済学部教員(教授)、同経営学部講座長を経て、現在、国際政治評論家。主な著書に、『朝鮮が統一する日―盧泰愚大統領の挑戦』『酒鬼薔薇聖斗の告白―悪魔に憑かれたとき』『韓国IT革命の勝利』『韓国を強国に変えた男 朴正熙』『金正日の後継者は「在日」の息子』他。
ウクライナ危機は、朝鮮半島の地政学的位置づけについて新たに認識させる機会となった。北朝鮮はどのような論理で対外政策を行っているのか分析する。

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