北韓の核実験と韓国の対応

北韓の核実験と韓国の対応

2016年4月30日

1.北韓の「水爆実験」

 

(1)水爆実験の意味 2016年1月6日、北側は水爆実験に成功したと発表した。日本では「本当に水爆なのか?」という議論ばかりが目立ったが、正直に言って的外れの議論といわざるをえない。今回の実験は北側が「水爆のための実験」をしたのだから、技術的に見たら水爆実験と見るべきである。そして、ことの本質は、「水爆かどうか」「爆発力がどれほどか」ということではなく、「北側がおそらく核弾頭の小型化・軽量化に成功している」ということだ。 原爆だろうと水爆だろうと、ミサイルに搭載できるかどうかが重要である。原爆であれ水爆であれ、爆弾を落とされれば、その結果は同じである。小型化・軽量化してミサイルに搭載できるのであれば、韓国はもちろん、日本や米国、中国に対しても核兵器体系を完成させたことになる。 もちろん北側が、まだ核ミサイルの実戦配備を宣言する状況ではないと思う。もし正式に宣言すれば、国際社会からもっと厳しく制裁されるのは目に見える。そして、北韓の核ミサイルの実戦配備の真の完成はSLBMが実戦配備される時とみるべきだろう。 北側が核爆弾を何発持っているのか、という問題も重要である。国際的に多くの専門家たちが10~20発と予測している。中国側は約20発とみているようだ。しかし、盧武鉉政権の元国家安保室筋は「少なくとも42発、最大90発」と言った。 これらの中で、プロトニウム爆弾が 約10発、残りはウラン爆弾と見られている。北側が確保できたプロトニウムの量からすれば、10発という計算になるというが、ウラン爆弾に対しては計算されていない。北側のウラン濃縮能力に対して、誰も正確に把握できていないからだ。2020年までにはインドとパキスタン水準の核保有を実現させ、「200発は保有できるのでは」という予想すらある。危機管理の立場では最悪の状況を想定しなければならない。 それでは、金正恩は今、核兵器開発の最終目標をどこに設定しているだろうか。「水爆を越えて中性子爆弾、EMP(電磁パルス)爆弾まで目指している」と韓国の一部の専門家たちは見ている。仮に、EMP爆弾を韓・米・日の上空で爆発させれば、これらの先進国を石器時代に戻してしまうともいわれており、北側はそういう能力を持つことを目標にしていると分析される。いずれにせよ、今回の実験が水爆かどうかという議論に意味はない。「小型化・軽量化できたか。実戦配備までどの段階なのか」を見極めるのがもっと重要といえる。 一方、金正恩は核とミサイルを放棄するだろうか。これまで六者協議は北韓の核放棄を目標としてきたが、金正恩が核を放棄することはまずありえない。 2016年5月に7回目の朝鮮労働党大会が開催される。最後の党大会が1980年だったから、実に36年ぶりの開催だ。日本の植民地35年間よりも長く時間が経ったわけだが、北側はこの36年間をどう評価し正当化するだろうか。1945年以降の35年間に、韓半島では6・25戦争(韓国戦争)をはじめ、夥しい血が流れた。しかし、北韓で最後の党大会(第6次党大会)が開かれた1980年以降の35年間に、北韓の世襲独裁体制のための死者は、1945年からの35年間の死者数よりもっと多いといわれる。 1980年から金日成・金正日・金正恩による暗黒の個人独裁体制の36年間を、金正恩はどう総括するだろうか。近年、入営する北韓兵士の身長は150cmどころか140cm台も多い。とくに最近入隊する若者は、住民の10~15%が餓死した悲惨な時代(1990年代後半のいわゆる「苦難の行軍」)に生まれた世代だ。北韓当局は「これらすべては米帝国主義のせいだ」といい、「その手先である南がわれわれを抹殺しようとしている」と宣伝している。そう宣伝しなければ、この悲惨な現状を弁明できない。 そして「それ(米帝国主義と南朝鮮)に立ち向かうために、われわれは核大国になった」と主張し、2年前の憲法改正で、北韓の憲法に「核保有国」と明記した。憲法に「核保有国」と入れたのは歴史上金正恩政権だけだ。もし核がなければ、何を持って権力の正統性を誇示できるだろうか。 韓国政府は「北韓はまだ核ミサイルを実戦配備していない。その証拠がない」という。私は個人的には、おそらく実戦配備は終わったと思っているが、この点は検証が必要だ。いずれにせよ、実戦配備が終われば、北側の挑発があっても韓米連合軍は反撃ができなくなる。北側がICBMの開発に必死なのは、米国を射程に入れることで米国からの武力制裁を抑止するためだ。北側は2020年までには米国に届くICBMを10基は確保できるはずだといわれている。米国が自国に飛んでくる北側の核ミサイル迎撃に失敗したら、ロサンゼルスやシアトルなどが灰になる。北側はそれで米国の韓国支援を牽制できると考える。 一方、日本に対しては、すでにノドンが実戦配備されている。100基とも200基とも言われるノドンの一部には核弾道が搭載されていると想定せねばならない。「ノドンで東京を撃つ」となれば、日本も北韓に対する軍事行動などはできなくなる。

(2)北韓の核能力についての評価 金日成が核開発を始めたのは1950年代からだが、本格化するのは1970年の第5回朝鮮労働党大会の前後と専門家たちは見ている。同党大会は、国民経済発展のための六カ年計画を採択した大会だったが、「放射線同位元素と放射能の利用に対する研究を発展させる」という指針が含まれたため核問題に対する党の決定があったと見られる。そして1986年には、労働党軍需工業部に原子力総局が設けられ、政務院にも原子力工業部が設置される。国際情勢の変化を睨みながら核開発に拍車をかける。 北韓の核能力の評価するとき、「核爆発装置を造ったのはいつか」「プルトニウムの保有量はどのくらいか」という問題は特に重要なポイントである。 パキスタンが1998年、核実験したとき、中国の深い支援があったと米専門家たちは判断している。そして、その中の少なくとも一発は北側の核爆弾を代行したものとみられている。パキスタンの核爆弾は基本的にウラン弾だったのに、核実験の一発はプルトニウム爆弾だった。北側が提供した爆発装置でパキスタンが核実験を行ったと言われる理由だ。そもそもパキスタンの原爆設計図は中国が提供したものと米国専門家たちは指摘する。 当初から「北韓の科学技術能力から考えて、この種の実験は不可能だ」と専門家たちは言っていた。だが、中国も米国のステルス技術を盗んだように、盗めるなら盗むのが兵器開発の基本で、ゼロから自前でやる必要もない。北韓も世の中の悪のネットワークを利用して原爆を手に入れたことになる。 パキスタンのカーン博士が1999年、平壌を訪問したとき、少なくとも3発のプルトニウム爆弾を確認できたという。核起爆装置が64個の精巧な爆弾で、それらは1時間以内に組み立ててミサイルに搭載できるレベルだったと言い、パキスタンよりも北韓の技術が進んでいたとカーン博士は証言する。 原爆を爆発させるためには高性能火薬を使う起爆装置が必要だが、北側がこの種の実験をやったのは1988年から2年間だった。つまり、1990年頃には原爆の起爆装置実験はもう終わったことになる。 2010年、米国のヘッカ-博士が寧辺で遠心分離器2000個を目撃した。専門家たちは「プルトニウム型を止めても、ウラン濃縮でいくらでも核爆弾が生産できる」ことを博士に見せるため集めたものとみている。ただ、他に何個あるかは確認、公表されたことがない。 国際社会が一般的に北韓の核能力をずっと過小評価してきたのは否定できない事実である。米国の太平洋軍司令官や在韓米軍司令官などは「北韓はすでに小型化に成功した」と言った。国防長官や政治家たちは「まだ断言できない」というが、冷静に評価すれば、40発以上を保有していると判断するのが妥当だ。

2.北側の核兵器開発の歴史

 1954年、人民軍の改編のとき核兵器防護部門が設置され、翌年4月には原子および核物理学研究所が設置された。ちなみに、同年1月に米国・合同参謀議長が韓国で「北が南を侵略してきたら、核兵器を使う」と言及している。2年後、同議長が「韓国に米国の新兵器を配備した」といったが、それは誰が見ても原爆のことを意味していた。 その動きに金日成も黙ってはいなかった。1959年、朝ソ原子力協定が結ばれ、モスクワのドゥブナ合同原子核研究所に30人の研究者が送られる。ソ連解体までの30年間で、延べ250人ほどが公式的に研修へ行き、彼らが北韓の核兵器開発の中核になる。 1962年、寧辺に原子力研究所が造られ、1965年にはソ連から導入された研究用の原子炉が完成し、1967年から稼働する。ソ連は他国の原爆保有に非常に慎重だった。毛沢東が原爆を造りたいといってきても、ソ連は許さなかった。これが中ソ対立の一因にもなる。ソ連だけが原爆を独占することに反発した中国は、1964年10月の東京オリンピックのとき最初の核実験に成功する。 金日成は「米国が原爆を使えば、われわれも使えるようになる」と1967年に発言している。1959年の朝ソ原子力協定の段階では、ソ連の協力はあくまでも核物理学のためだったが、金日成は最初から原爆製造が目的だった。 1974年に北韓はIAEAに加入し、1979年に現在も稼働している寧辺原子炉が着工され、7年後に正常稼働する。原子炉稼働のために1985年にはNPTにも加入し、1988年にはIAEAの理事国も務めた。この地位を利用して膨大な原子力情報への接近が可能となった。北側は1985年、使用済み核燃料再処理施設を建設し始めた。労働党軍需工業部に原子力総局を、政務院に原子力工業部を設置したのがこの頃だ。1988年から高性能爆薬実験を始め、翌年には再処理施設が稼働する。寧辺で使用済み核燃料を8000個、約50トンの再処理が始まった。 つまり、北韓が国家的に核製造に動き出したのは遅くみても、労働党軍需工業部に原子力総局ができた1986年からと判断できる。1992年の韓中修交のとき、金正日総書記は「信じられるものは核だけ」と話していた。 ソ連崩壊時に、ソ連国内の核弾頭、核物質がたくさん消えた。その量は数百発分とも言われている。一方、北韓の労働党軍需工業部責任者は「もうプルトニウムを心配する必要はない」と話していた。ロシアマフィアなどを通じて十分な量を確保したと推測できる。多数の専門家たちは北側が闇のネットワークを通じて核物質を確保した部分には触れない。 さらに、ソ連で失業者になった核科学者など200人ほどを、北側がリクルートしようとした。ミサイル分野では、潜水艦発射ミサイル技術に北側は最も関心があった模様だ。一部の技術者はソ連が出国を止める前に平壌に渡ってしまい、当時のロシア外務次官が平壌に行って連れ戻したと報道された。しかし、全員戻ったのかどうかはわかっていない。 同じ頃、米朝のジュネーブ合意の直後から北側は遠心分離器を作るための高強度のアルミニウム150トンを確保することにも成功する。1999年にカーン博士が遠心分離器の設計図などを北側に伝えて以降、遠心分離器も製造することになる。 現在、北韓側が保有する弾道ミサイルは 1000発以上、その中でノドンが200発ほどといわれているが、古いものも多い。ただ、ここ2年間、北側はミサイル発射を頻繁に行っている。「政治的に見せるため」という解説者も多く、とんでもない間違った解釈をしている。韓国の専門家は、ミサイルの「精度や搭載能力を高めるため」とみている。 原爆ができれば、次は運搬手段の改良が技術的な問題となる。たとえ小型化に多少の限界があったとしても、運搬能力を向上させることで問題を解決できる。弾道ミサイルは高く飛行して迎撃の機会を与えるため、破壊的威力を持ちつつも弾道ミサイルではない、長距離多連装ロケットなどの開発も進めている。北側が着実に運搬体開発を進めていることを、「ミサイル発射は日・米への政治的示威」などと評価するのは的外れだ。 今になって振り返って見ると、2006年の最初の原爆実験も当初から小型化のための実験だったのではないかとの反省が増えている。韓国に亡命してきたある要人は、平壌で核爆発装置を見ていた。カーン博士は北側の最初の核実験の7年も前にパキスタンよりも進んだ核弾頭を見せられたのである。

3.北韓の核・ミサイル開発を助けた国際ネットワーク

 北韓が核とミサイルを開発できたのはソ連と中国が存在したためだ。ミサイル開発の場合、初期段階で慣性航法装置の開発が非常に難しいわけだが、そういう必要なすべてを中国側が提供してくれた。北韓が自力で生産できるようになるまで中国が提供した証拠はたくさんある。とくに、朝鮮族の科学技術者たちにとって北韓は「第二の祖国」なので、「社会主義兄弟国を助ける同志的行為」として北韓を支援してきたと言われる。 そして、北韓の核・ミサイル開発には、日本にもたくさんの協力者がいた。有名なのは朝総連の在日朝鮮人科学技術協会(科協)だ。1998年8月、テポドンが日本列島の上空を通過した翌年、平壌でミサイル開発者たちをねぎらう科学技術者大会があった。そこに在日の科協代表団も参加したが、「在日の科協が愛国的な貢献をしてくれた」と讃えられていた。北韓が直接輸入できない装置や部品を朝総連系の企業がヨーロッパから輸入する。この場合、ヨーロッパでは日本に輸出しているつもりで、まさか北韓に送られるとは思わない。 北側への密輸を阻止するため日韓米当局の協力もあった。韓米は友邦と協力して、核兵器や関連する物質がいろんな経路や形で北韓へ入るのを阻止した。実際に、ソ連邦の崩壊後、ロシアはもちろん、ウクライナやベラルーシ、カザフスタンなどから多くの核兵器が密輸の対象になった。先進国がこれを阻止するために努力し多くを阻止することはできたというが、逆にどれくらい密輸されたのかはわかっていない。おそらく、結構な数が北韓に入ったのでは、と見られている。科協など朝総連系が日本当局に捕まる事件もあったが、摘発されたのは氷山の一角に過ぎなかったはずだ。 平壌でミサイル開発や輸出に携わり韓国に亡命した人の証言では、いろいろな企業が北側と取引をしている。北韓には民間企業はないため、その企業がどこの所属で何を目的として活動しているのかなどは、北韓にいてもよくわからないという。しかし、いろんな亡命・脱北者の証言を総合してみると、人民軍系の会社、社会安全部系の会社、第二経済部系のミサイル開発部門の会社など、正体が徐々に浮かんでくる。さらに、北韓のそういう企業と取引する中国の会社、日本の会社なども明らかになり、このように蓄積された情報知識が今日に、北韓に対する国際的な制裁措置ができる土台になっている。 その中でもとくに長期間放置されてきたのが日本国内の朝総連だった。韓・米当局は度々日本当局へ警告してきたが、日本政府は1980年ごろまで平壌体制にとっての朝総連の戦略的重要性について真剣に考えてこなかった。日本は、日本人の拉致問題さえも当初はまったく深刻に受け止めず、金正日自身が認めてはじめて大騒ぎになった。自国民の遭難に対しても鈍感なので、朝総連の危険性に対しても一種の放心か油断状態だったかも知れない。北側が日本から輸入する物資のほとんどが軍用か対南工作に使われるという警告にも、日本当局は耳を貸そうとしなかった。朝総連所属の科学者が年間三カ月は平壌でミサイルなどの共同研究を行っていることが公然として言われても、個人の「学問や研究の自由」程度に見做された。日本が東西冷戦という現実に気づき始めたのは1980年代の中曽根政権以降ではないかとも思われる。 北韓の核兵器技術やミサイル拡散には平壌自身の意志や事情だけではなく、背後に中国の大戦略もある。北京とモスクワのヘゲモニー争いで共産圏が真二つになった後、中ソの間で綱渡りをした金日成はやがて「主体」を標榜するが、中国の改革開放に対して激しく批判する。鄧小平の「改革・開放」に対しては世界中が鄧小平を立派だと称えたが、それは鄧小平の一面だけを見た反応だ。彼は赤の中の赤で、「人民を食わせないと人民が爆発する」ことを恐れて市場経済を借りただけだ。鄧小平の別の顔は、米国の手足を縛るために第3世界への核ミサイルを拡散させた張本人だ。国連安保理が金正日体制に対して制裁措置を決議しても、中国領空を北側に開放してきたのはわれわれの記憶に新しい。実は、核武器を拡散させるため原爆の設計図をパキスタンに提供したのも中国で、パキスタンのため核実験を代行したこともあると米国の専門家は指摘している。 北韓の軍事同盟国は普通中国とソ連があげられるが、特に、毛沢東は中国の建国を宣言する半年前に、「南進すれば支援する」と金日成に約束している。蒋介石を最終的に敗北させた毛沢東軍隊の先鋒は満洲の朝鮮族師団だったが、毛沢東はこの部隊を金日成の南侵戦争にも先頭に立たせた。この戦争で23万人の韓国軍犠牲者のほとんどは韓半島を侵略した中共軍によるもので、韓国軍は金日成とは4カ月、残りの2年9カ月は中共軍と闘った。休戦の後、共産側が送還しなかった韓国軍捕虜6万人は北朝鮮で奴隷として死ぬのだが、送還しないよう命令したのも毛沢東だった。中共軍捕虜の一部が国連軍を通じて台湾へいってしまったことへの報復だった。 鄧小平の戦略だった核兵器やミサイル拡散を、北側は積極的に利用した。北韓と軍事同盟を結んだ国としては、キューバ、リビア、モザンビークなどが知られている。北韓がアフリカなど第3世界の国々と同盟を結んだのは世界的規模の対米戦略だった。ソ連や中国の代わりに第三世界を管理する役割をなしたのだ。軍事顧問団を送り、武器を売り、独裁者たちの軍隊を訓練させた。とくに、1960年以降に独立したアフリカを抗米陣営に固めるための努力だった。ちなみに、東西冷戦のとき北韓外務省の一番重要な地域課長はアフリカ課長だったという。 北韓には隠れ軍事同盟がある。他国の戦争に参戦するなどということは、軍事同盟でなければできないのが普通だ。北側の公式文書によれば、中国の国共内戦、ベトナム戦争、中東戦争、レバノン内戦など4つの革命戦争を支援した。その他にも、核とミサイルで緊密な関係を築いてきたイラン、シリア、リビアをはじめ秘密の軍事同盟を結んだ国家やテロ団体等がある。北側のミサイル発射の実験場に中国やイランなどの技術者が立ち会ったが、パキスタンやイランなどのミサイル開発や実験には北韓の技術者たちが立ち会った。パキスタンの「ガウリ」ミサイルやイランの「シャハブ」ミサイルはノドンの技術で、ペンキを塗って外装が違うだけともいわれている。 北側との協力でシリアに建設されていた、寧辺原子炉そっくりの原子炉は2007年イスラエル軍が破壊した。金正恩が権力を承継してから2010年11月に行った延坪島砲撃の主役でもあった第4軍団長の金格植は駐シリア武官として10年間も勤務した経歴がある。中国を頭とした複雑な核・ミサイル拡散のネットワークの中で、北側は自分の役割を忠実に果たし、実利を取ってきた。それが外貨稼ぎの重要な手段だったのは言うまでもない。

4.韓国の選択

 国家(政府)には国民と国家機能を護る義務がある。ゆえに昨今の差し迫った北側の脅威にさらされている韓国政府は、敵の核攻撃から国民を護らねばならない。韓国軍のミサイル防御体制ではノドンなど防御できないため、まず終末高高度防衛ミサイル(THAAD)の配備が必要で、核シェルターなども大急ぎで建設せねばならない。ところが、40発ほどのTHAAD砲隊一個には約2千億円かかると言われ、仮に北側が同時に数百発を奇襲的に撃ってきたら、全部撃ち落とすのは不可能だ。このように、韓国のような条件でのミサイル防御は費用面だけでなく、技術的にも困難が多い。とくに、攻撃地点からあまりにも近いソウルは物理的に迎撃が非常に難しい。敵の攻撃を探知してから対応まで数分かかり、撃ち落せるチャンスは一回許されるほどだ。韓国は一発または数発の原爆攻撃で、国家機能が破壊され滅びるのが現実だ。 現実的な対応としては、北側の非対称戦略に対抗して、韓国も北側の弱点を突く非対称戦略を駆使するしかない。いま南北の間で展開されている心理戦は韓国側に有利だが、北側はサイバー戦に出るはずだ。サイバー戦になれば、開放社会の先進国が圧倒的に不利だ。それで、米国は国家中枢に対するサイバー攻撃は戦争行為であると規定している。 軍事的抑止力を作る観点からいえば、韓国にいま必要な戦力の一つが原子力潜水艦である。70隻以上の潜水艦をもつ北韓側がSLBMの開発に猛烈に取り組んでいるためだ。北側のSLBMを完璧に封鎖、破壊するためには、韓国も原子力潜水艦4、5隻が必要になる。 北側の核武装の意志が確認されてから25年も経ったが、国連など国際社会は韓国を裏切った。今まで、アジアの平和と安定が守られてきたのは韓国のおかげだ。韓国がこんなに致命的な安保危機に直面しながらも核武装をしなかったため、アジアの核のドミノは止まっていた。もし韓国がNPTの10条が認めている正当な権利を主張してNPTから脱退すれば、そして核開発に出れば、アジアはあっという間に皆核武装するようになる。 もしこのまま5年も経てば、北韓はインド・パキスタンを上回る核保有国になる。北韓のウラン埋蔵量は世界一だ。現在、ウランを最も輸出しているのはオーストラリアだが、北韓の埋蔵量とは比較にならない。北側が持っていると推測される遠心分離器7000個を稼働すれば、年間30発以上の核弾頭が生産できる。なのに、国際社会や多くのメディアは今でも「韓半島の非核化」ばかりをと叫んでいる。 「北韓は核をやめて六者協議に戻れ」との主張が少なくない。六者協議は一種の「外交詐欺」だったのに、ほとんどのメディアは中国のプロパガンダに洗脳され乗せられてきた。韓国国民は、危険極まりない金正恩体制を庇護する中国・中国共産党を見て、誰が韓国の敵で、誰が韓国の友なのかが改めて確認できた。 かつて朴正煕大統領は、「われわれは(大陸に対する)反共の防波堤ではなく、自由の波になる」と演説した。韓国が韓半島の自由統一に反対する共産党独裁体制・全体主義独裁と戦略的関係を結ぶのは不可能だ。韓国は米国、日本と同盟関係を築き、「自由の波」となって共産主義体制をさらう存在にならねばならない。韓国には自由を拡散する使命があると私は思う。 金正恩暴圧体制の核問題の解決は、1910年から100年以上も奴隷状態におかれている北韓同胞を解放することでもある。金正恩の挑発は、2000万以上の奴隷の解放に無関心だった韓国人たちを奮起させる神様の摂理なのかも知れない。

(2016年1月19日に開催された政策研究会における発題を整理してまとめた)

政策レポート
洪 熒 統一日報論説主幹
著者プロフィール
1948年、韓国ソウル出身。陸軍士官学校卒。野戦部隊に服務した後、国防部や外務部に勤務。駐日韓国大使館一等書記官、参事官、公使を歴任し、03年に退官。早稲田大学客員研究員、桜美林大学客員教授を歴任。現在、週刊「統一日報」論説主幹。

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