日韓慰安婦問題合意の背景とその評価

日韓慰安婦問題合意の背景とその評価

2016年5月31日

1.反韓・嫌韓ムードはどう形成されたのか

 まず慰安婦問題に関して、私個人の体験的なかかわりから話を始めたい。 私は1995年から97年まで毎日新聞のソウル支局長を務めたが、韓国に赴任したときに、前任者や前々任者から「日本大使館前で元慰安婦や支持者を中心に毎週『水曜集会』が開かれているが、彼らとはかかわらない方がいい。(とくに挺対協のメンバーなどは)慰安婦という名を借りて日本を攻撃しようとしている左翼(従北)の連中なので、なにか言えば噛みつかれるだけだ」などの助言を受けた。それで在任期間中、彼らを取材することはなかった。 赴任後しばらくして社会党のある衆議院議員が私を訪ねてきて、「韓国の事情はどうか、政権交代はありうるのか、対日政策はどうなっているのか、今後歴史問題にどれくらい踏み込んでくるのか」などと聞いてきた。当時は、自民・社会・さきがけ連立政権の時代で村山富市首相や側近たちは東アジア共同体や中国、韓国に関心をもっていた。 また、在任中は、日韓マスコミの政治部長が定期的に懇談する機会や、金泳三大統領(当時)を訪問する機会もあって、そこで私たちは日韓の歴史認識の違いを痛感させられた。例えば、われわれが「1965年の日韓基本条約で過去の問題は全部ケリがついたでしょう」といえば、「そんなことはない」と反応した。また「韓国は一時期、日本の植民地でしたね」といえば、「あれは日本帝国による強制的な占領(=日帝強占)であり、1910年の日韓併合条約は不当かつ不法に結んだのだから当時から無効だった」とまったく噛み合わなかった。 やがて、ネット環境が発達すると、韓国の主な新聞の日本語版がネットで読めるようになり、韓国人の歴史認識を日本国内でも容易に知ることができるようになった。それに呼応するかのように、それに対抗する動き、いわゆる「ネトウヨ(ネット右翼)」と呼ばれる人々の韓国の主張に反発する動きが活発化し始めた。実は、「2ちゃんねる」以前から反韓・嫌韓の動きは始動していたのである。 その後、日本では「韓流ブーム」が起こったが、それを嫌うようにネトウヨは反韓の雰囲気を盛り上げていった。2012年の李明博大統領の竹島上陸、天皇謝罪発言で頂点に達し、その後の朴槿恵大統領の「告げ口外交」なども相まって、ここ数年、反韓・嫌韓ムードは加速する一方だった。そして2014年に、朝日新聞が吉田清治証言は虚偽だったと謝罪会見を行ってネトウヨの動きにますます火がつき、彼らは河野・村山談話の全否定まで要求するようになった。 一方、韓国でも日本の反韓・嫌韓ムードの高まりと比例するかのように、反日感情が高まった。欧米では韓国人・中国人による積極的な反日ロビー活動が展開され、その結果、米国で従軍慰安婦を象徴する「少女像」の建立が行われ、「安倍首相の考え方は歴史修正主義だ」という批判が欧米の進歩的識者から提起されるようになった。 日本の国内世論も完全に分裂してしまった。右派勢力の中では「強制連行はなかった」「慰安婦は売春婦だ」「慰安婦は存在しなかった」などと主張する勢力の声が高くなり、一方の左派勢力は「日本がまず謝罪しないと何も始まらない」と主張して平行線を保ったまま、誰も収拾できないところにまできてしまった。 このような状況の中で打開の糸口を探って新しい方向を提示しようとしたのが世宗大学校の朴裕河(パク・ユハ)教授だった。彼女は慰安婦問題に、これまでと違った角度から切り込み『帝国の慰安婦』を出版した。同教授は、日本文学に出てきた慰安婦、特に朝鮮人慰安婦がどのように描かれているか、当時の日本人男性が朝鮮人慰安婦にどのようなイメージを抱いていたのか、そして、慰安婦たちはどんな思いを持っていたのかなどについて地道な研究を進めたのであった。この本は、アジア・太平洋賞特別賞、第15回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞して日韓で話題になった。 彼女の主張の中で重要な点は、「慰安婦として全ての元慰安婦を一括りにしてはいけない」というものだ。「日本人、韓国人、台湾人は味方の女性として、兵士たちを慰めたり、故郷を思い出させる存在でもあった。男女関係だけではなく、精神的な支えにもなっていた。一方で、中国人、インドネシアにいたオランダ人、フィリピン人などの慰安婦は敵側の女性であり、連続強姦に象徴される戦場での性被害者である。これらを一括りに慰安婦とするのはおかしい。女性が被害を受けたのは同じとしても、分けて考えるべきだ」と。こうした論調・主張に対して、挺対協は「元慰安婦への侮辱である」と噛み付き訴訟にまで発展した。

2.慰安婦問題合意に至る経緯

 日韓の政府間で慰安婦問題が協議され始めたのは1990年代後半からだった。1998年に行われた小渕恵三首相と金大中(キム・デジュン)大統領の首脳会談で採択された日韓パートナーシップ宣言では、小渕首相の韓国への植民地支配に対する謝罪を受けて、「両国は未来志向でやっていこう」と合意した。村山談話では植民地支配を謝っていたが、「韓国に対して」との明記がなかったので、小渕首相の謝罪を前進と受け止めた形だった。金大中の後継者である盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領も最初はそれを継承していたが、途中から完全に路線が変わってしまった。 大きな変化のきっかけとなったのが、2005年に行われた日韓国交正常化文書の公開による歴史の見直しであった。韓国政府は、日韓国交正常化交渉に関連する公文書を一方的に公開し、歴史学者、法律学者、政府の役人で委員会をつくりそれを分析した。その最終報告書では、1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定で、国家間も個人も「完全かつ最終的に解決されたことを確認する」と書かれてはいるが、「旧日本軍慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者問題については一度も日韓で協議されていないし、議題に上っていないので、これらの問題まで全て解決されたとはいえない」との結論が出された。これが韓国政府見解となり、韓国の憲法裁判所もこれに基づいて判決を下すようになった。 2011年8月の韓国憲法裁判所による「慰安婦が賠償請求を得られるように政府が行動しないのは憲法違反である」との判決を受けて焦った李明博(イ・ミョンバク)大統領は、同年12月、野田首相との京都首脳会談で、終始慰安婦問題に言及し続けた。もちろん、野田首相は「日韓基本条約ですべて解決済み」という政府見解に即した回答を繰り返すだけだった。そして翌2012年8月10日、李明博大統領は竹島に上陸した。さらに地元でのオフレコ会合で、「天皇が韓国に来たければ、独立運動家に謝罪せよ」などというあまりにもいき過ぎた発言をしてしまった。オフレコだったがそれはどんどん広がり、これが反韓・嫌韓の動きに油を注いで、最大の引き金となってしまった。それまで韓国を味方していた日本の文化人さえも、大統領の発言にあきれて、韓国を見限るようになった。 もちろん、憲法裁判所の判決は朴槿恵(パク・クネ)大統領に対しても拘束力を持つ。朴槿恵氏は歴代の韓国大統領としては初めて、最初の訪米後に中国を訪問し、あからさまに日本と距離をおくようになった。政治における日韓関係は戦後最悪と言われるほどとなり、政府間でも手がつけられないかのように見られていた。 表面的に日韓関係は最悪の状態だったが、日本政府は外務省アジア大洋州局長を通して、事務レベルで慰安婦問題解決に向けて日韓協議を進めていた。そこには米国からの圧力も大きかった。とくに2015年9月の北京天安門広場での「抗日戦勝70周年式典」に朴槿恵大統領が参加し、習近平国家主席、プーチン大統領と並んで軍事パレードを見る映像が繰り返し流されたことで、米政権内にも「中韓蜜月」への懸念が急速に広がったことを韓国が深刻に受け止めたことが大きい。とくに米国の安全保障関係者が韓国に圧力をかけ始めていたので、韓国もさすがにまずいと思ったのだろう。 さらに、朴政権を日韓関係修復へと後押ししたのは中国経済の悪化だった。韓国の輸出入における中国への依存度は、「中国がくしゃみをすると韓国は風邪をひく」というほどに高い。日本との通貨スワップ協定は2015年2月に終了したが、韓国政府は日本の代わりに中国と通貨スワップ協定を結び、通貨危機が起きた時には即座に人民元を融通してもらうことにした。しかし、中国経済が悪化し、事実上融通が不可能になれば、1997年の通貨危機(IMF危機)の悪夢が再来するかもしれない。これは韓国財閥がとくに心配していたことだった。朴政権も、できれば日本との通貨スワップ協定を再開したいと思っていた。 余談だが、韓国は金融分野がとても脆弱で、口の悪い専門家は「開発途上国並みじゃないか」とまで言う。だから例えば、サムソンもみずほ銀行からお金を借りている。韓国の大手銀行は一皮むくと英米資本や日本資本に支配されており、経済危機に自力で対応する体力はない。 2015年11月に日韓首脳会談が行われた。どんな話が出たのか詳しい内容は公表されていないが、随分突っ込んだ話がなされたと聞いている。慰安婦問題での合意ができてもできなくても、実は日本にはそれほど大きな影響はないという見方が一般的だ。しかし、韓国の事情はそうではない。中国の経済が不調になった直接的影響で「ウォン危機」まで想定される中、日本との通貨スワップ協定復活や経済協力をできれば取り付けたい、というのが韓国政府の本音だった。 木村幹・神戸大学教授がいうように、今回の合意にあたっての日本側の負担は小さい。一方で、韓国側にとっては元慰安婦や支持団体を説得しなければならないという巨大な負担を抱えるものだった。しかも、今回の合意内容には肝心の日韓通貨スワップ協議をめぐる話が入っているわけでもない。それでも韓国政府は日韓関係修復の一歩を踏み出したかった。この辺りの韓国側の心理や両国を取り巻く客観的な国際情勢を安倍首相や側近の谷内正太郎・国家安全保障局長は十分読んでいたのではなかろうか。 さらに韓国側では経済面だけでなく、安全保障面でも事が急がれていた。北朝鮮が年明けに核実験を行うとの情報が米高官から韓国政府に伝えられていたらしい。米国は実験2週間前には把握できていたようで、日韓それぞれの政権に情報が提供されたようだ。これが年内合意を加速させる一因にもなったとみられる。 北朝鮮が軍事的に威嚇してきた時、普段経済的に頼りにしている中国は決して韓国を守ってくれたりはしない。中国にとっては南も北も大事であり、北を殺すわけにはいかない。万が一、南主導の統一がなされれば、在韓米軍が中国と統一朝鮮との国境線に接近することになる。いざとなれば米軍がすぐに中国国境まで接近できるという事態は、中国にとって絶対に容認できることではない。朴政権がいくら懇願しても、中国は北朝鮮が崩壊するリスクがある強硬措置など取りっこない。 当面は米軍の核抑止力で北を抑えるしかない、と朴政権は判断したのだろう。日韓で従軍慰安婦問題に合意すれば、米国にも「韓国は変わってきた」と認めてもらうことができる。今回の合意にはそのような経済的、安全保障的要因が大きく関わっていたとみられる。

3.慰安婦問題合意に対する評価

(1)韓国政府が「慰安婦問題は請求権協定で解決済み」という日本の主張に暗黙の了解を与えたと解釈できる 盧武鉉大統領時代の2005年から韓国政府が主張していた「旧日本軍慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者問題は日韓請求権協定で解決済みとはいえず、日本政府の法的責任が残っている」という政府見解の事実上の撤回、修正となりうる点で、今回の合意は画期的な内容といえる。 日本政府は10億円程度の資金を韓国政府が創設する財団に一括拠出するが、岸田外相はこの10億円について「日韓で協力をして事業を行うものであり、賠償ではない」と強調した。しかし、日本の従来の主張である「道義的責任」という言葉も使われず、その部分は曖昧にされている。尹炳世・韓国外交通商相は最終的に「法的責任」という言葉のない合意をのみ、共同発表では岸田外相も尹炳世氏も「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明した。

(2)「少女像撤去、韓国政府が解決に努力」はあくまで努力規定にすぎない これは安倍政権から朴政権への「助け舟」ではないかと思われる。 朴政権としては、「少女像は撤去しない」と決めれば、挺対協などの日韓合意反対勢力に配慮した形になり、市民団体の顔を立てることができる。安倍政権は支持母体の中の「右寄り」の声に気を遣って韓国政府に「撤去実現を」と表面上は言ってはいるものの、この問題に固執することはないだろう。安倍政権としては韓国世論が反日ナショナリズムで凝り固まるのを防ぎ、今回の合意の本筋を守らせることこそが日本の国益にかなうと判断しているように思われる。

(3)存命元慰安婦46人中、相当数が合意に賛成と韓国政府が分析 支援団体の施設「ナヌムの家」に住む14人は厳しい反応だった。しかし、残る32人に関して、韓国に住んでいる28人のうち18人に直接説明したところ、14人が肯定的に評価したという。今のところ反発は広がってはいない。

(4)韓国世論は必ずしも「合意反対」一色ではない 浅羽祐樹・新潟県立大学教授の読売オンライン記事(2016年1月26日)によると、韓国ギャラップの世論調査(1月第1週)で、今回の合意を「評価する」は26%、「評価しない」は54%。少女像を「移転していい」が17%、「移転すべきでない」が72%と圧倒的だった。また、「日本と再交渉すべきだ」も58%だった。 だが、年代別で見るとはっきりとした傾向が現れている。19歳と20代では「日韓合意を評価する」はわずか9%だが、年代とともに数値は上がり、60歳以上では54%となって、「評価しない」を上回るのだ。 また、与党セヌリ党の支持者では50%が合意を評価しているのに、「再交渉すべき」と主張している最大野党「共に民主党」支持者の中では、合意評価は7%にとどまる。これは政権評価でも同じことが言える。朴政権に肯定的な人では54%が合意を評価している反面、政権に否定的な人の中では7%しか評価されていない。 年代、支持政党、政権評価によって政策争点に対する評価が割れる現象は対日外交政策だけではなく、朴政権では一般的に見られるという。浅羽教授は他の韓国調査も参考にしながら「反日一色に見える韓国世論だが、慰安婦合意そのものに対する評価というよりも、支持政党や政権評価の違いがそのまま投影されている可能性が高い。自分が支持する(しない)政党(政権)のやることだから何でも賛成(反対)という傾向は否定できない」と注目すべき分析をしている。 その傍証として、「評価しない」理由として「元慰安婦の女性の意見を聞かなかった」(34%)が「謝罪が不十分/明確でない」(12%)、「カネで解決しようとした」(9%)、「『不可逆的』とされた」(1%)などを圧倒していることがあげられている。これは朴政権に対して就任以来言われ続けている最大の批判「国民との意思不通」と全く同じ内容なのだ、と浅羽教授は説明している。

4.最後に

 12月28日という切羽詰まった日程で岸田外相をソウルに派遣した安倍首相には勝算があったのだろう。裏の動きとして、米高官が朴槿恵政権に北朝鮮の核実験やミサイル発射という不穏な動きについて情報を提供し、日韓合意を側面援助したという話もある(朝日新聞2016年2月8日付、「米、2週間前から察知か」の記事は、韓国などとの事前協議には触れていないが、一つの傍証足りうる)。 今回の合意は、日本側の負担は小さいのに、韓国側の負担は慰安婦や支持団体を説得するという巨大な負担を抱え込むものだった。これほどまでに大きな負担を抱えながら合意を飲んだ朴槿恵政権は、日本との関係を見ていたのではなく、米国との関係をにらんで決断したのではないか(木村幹・神戸大学教授)。いずれにしても、今回の慰安婦問題合意は、韓国が米国の北東アジア戦略の中核、「日米韓3カ国協調」に最大限配慮していることを示したものと見ることができよう。

(2016年2月10日に開催された政策研究会における発題を整理してまとめた)

政策オピニオン
長田 達治 一般社団法人日本外交協会常務理事、元毎日新聞ソウル支局長
著者プロフィール
1973年、早稲田大学第一法学部卒業。同年、毎日新聞社入社。地方支局、編集記者などを経て85年から政治部。野党、自民党(平河)、首相官邸各記者クラブキャップ。政治部デスク。外信部編集委員を経て95年から97年までソウル支局長。その後、学生新聞編集部長、紙面審査委員会委員など。2009年に毎日新聞社を早期退職し、一般社団法人アジア調査会常務理事兼事務局長。2011年、同専務理事。2015年5月、アジア調査会理事。同6月、一般社団法人日本外交協会常務理事。

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