日韓の戦略的関係再構築への提言 —自由で開かれた北東アジア経済圏にむけて—

日韓の戦略的関係再構築への提言 —自由で開かれた北東アジア経済圏にむけて—

2022年3月29日
はじめに

 近年、米国の国力の相対的な低下と社会主義強国を標榜する中国の台頭により、本格的な米中対立時代に突入した。現在の米中対立の最前線は台湾海峡と南シナ海だが、北朝鮮の動向次第では、中長期的には朝鮮半島が米中対立の最前線となる可能性がある。韓国との険悪な関係を改善できないまま、中国の勢力圏が朝鮮半島にまで拡大すれば、日本にとって最悪のシナリオとなる。戦略的敗北と言わざるを得ない。
 昨今の日韓は外交・安保における共通の戦略目標を見失って久しい。また、日韓経済は双方にとって重要度が低下し、主要市場における競合度も高まっている。そして過去10年間を通して、日韓は相互不信を募らせてきた。
 一方で、日韓両国は共通点も少なくない。ともに北東アジアの平和と安定を願う立場であり、外交と安保の前提を共有できるはずである。また、日韓経済はともに成長率が鈍化しており、今後は少子高齢化による深刻な影響を避けられない。「日韓はお互いに“違い”を意識しあっているが、国際的に見れば “違い”はほとんど誤差の範囲でしかない」(深川2022)。「日韓は協力すれば繁栄するが、対立すれば共倒れする」(小此木2015)との指摘は、日韓の現実を的確に言い表している。
 東アジアで戦争が発生した場合、地理的に東シナ海と隣接海域に限定されたとしても、世界経済は弱体化し、金融システムは混乱、サプライチェーンは崩壊せざるをえない。日本は、こうした東アジア、とくに北東アジアの潜在的な高リスクを直視して、長期的な外交戦略の中で一貫性のある対韓国政策をとり、日米韓の連携を主導的に推進していくべきである。
 本稿では、まず戦後の日韓関係を概観し、構造的変化を確認する。日韓関係は韓国の民主化と冷戦終結を契機に大きく変化したが、構造的変化が確認できるのは今世紀に入って、とくに2010年代からである。次に、冷戦後のわが国の戦略なき対韓外交を振り返り、日米韓が強固な連携を再構築するための戦略的目標として「自由で開かれた北東アジア経済圏」構築を提唱したい。

1.冷戦終結前後の日韓関係

(1)冷戦期における相互補完関係(1960〜1980年代)

 冷戦期、朝鮮半島は東西対立の戦略的要衝で、日本にとって韓国は「反共の防波堤」であった。共産勢力に対抗する必要性から、日韓は戦略目標を共有しやすかった。
 当初、南北関係は軍事・経済面で北朝鮮が優位にあり、韓国は李承晩大統領が1960年に亡命するなど、政治的に不安定であった。政治的安定には、安全保障の確立と経済発展が不可欠である。安保の枠組みは朝鮮戦争休戦後、米韓同盟と日米同盟により速やかに確立した。
 経済に関しては、米国は日本の役割に期待したが、日韓の経済協力が本格的に始動するのは1965年の国交正常化以降である。李承晩大統領は反日色が強く、日韓が実質的な連携を取れなかったからである。
 朴正煕大統領は経済発展を加速させるため、日韓の国交を正常化させ、日本からの経済支援を最大限利用する戦略をとった。日本による経済協力は、韓国における60年代後半からの高度成長、70年代以降の重工業化に大きく寄与した。
 冷戦期の韓国政府(朴正煕政権や全斗煥政権)にとって、日韓の経済協力関係は国家の生存に関わる問題であり、歴史問題で日韓関係をこじれさせたくなかった。また、当時の韓国は独裁政権だったため、国民の反発を強権的に封じることができた。
 冷戦期の特徴としては、日韓の圧倒的な国力差をあげることができる。1968年時点で、日本はGNP世界第二の経済大国で、軍事力や国際社会におけるプレゼンスにおいても、日韓の差は歴然としていた。同時に、当時の二国間関係は政界と財界に限定されていた。特に日本国民は韓国に対する関心はほとんどなく、韓国に対して期待や失望などを抱くこともなかった。

(2)冷戦終結による葛藤の顕在化

日韓の戦略目標の消滅
 冷戦の終結は、南北の体制間競争において韓国の優位が確固たるものとなり、日韓協力の目標が達成されたことを意味した。それは同時に、日韓の戦略目標の消滅を意味した。ただ、北朝鮮の核ミサイル問題は依然として継続したため、相互協力の必要性を維持することは比較的容易であった。
 冷戦終結に先立つ1989年、韓国は政治的民主化を実現。民主化を成し遂げた運動家の一部は挺対協(現・正義連)などの市民団体をつくり、日韓歴史問題に精力的に取り組むようになった。韓国政府は国民感情を無視できず、市民団体の声を権力であからさまに押さえつけることもできなくなった。こうして90年代以降、日韓の間で対立争点が顕在化するようになった。慰安婦問題でも、韓国政府は挺対協の意向を無視することができず、外交の決定権は事実上韓国政府にはなかった。
 しかし、日韓の国力差は依然として大きく、90年代の韓国政府は歴史問題によって日韓関係が極端に険悪化しないよう、できる限り管理に努めていた。

政界の世代交代
 2000年代になると、大きな変化が生まれた。その一つは政界における世代交代である。世代交代は、2000年から2010年頃にかけて日韓それぞれで起こった。日本では2001年4月に小泉政権が発足。直前までの橋本・小渕・森はともに1937年生まれで、幼少期に経験した戦争の悲惨さを記憶する最後の戦前世代だった。しかし、1942年生まれの小泉は戦争の記憶をほとんど持っていない。小泉は、それまでの前任者と違い、総裁選で終戦記念日の靖国神社参拝を公約にするなど、歴史認識問題に関して一線を画するものがあった。
 一方、韓国で2003年2月に発足した盧武鉉政権は、「古い政治の清算」をスローガンとした。盧武鉉以前に政界をリードしてきた金大中、金泳三、金鍾泌らは権威主義的な要素を残し、地域基盤に依存していた。しかし、盧武鉉は権威主義体制の遺産や確固たる地域基盤、民主化闘争を指導したカリスマ性もない最初の大統領であった。彼の支持者は386世代(当時30代、1980年代に学生時代を過ごした1960年代生まれの進歩派)と呼ばれ、盧武鉉に改革を期待した。
 日韓ともに、主要人物の政界引退も重なった。とくに日韓議員連盟会長を務め、李明博大統領から2010年に修交勲章光化大章を授与されるなど、良好な日韓関係構築に努めた森喜朗が、2012年に政界を引退。韓日議員連盟会長を務め、同じく良好な両国関係に努めた李明博大統領の兄である李相得は、2012年に逮捕された。

国力差の縮小と中国の台頭
 2000年代に入ると、日韓の国力差縮小と中国の台頭により、北東アジアの勢力図が変化しはじめ、それが韓国の外交政策に反映されるようになった。
 2004年前後、盧武鉉政権は日韓の竹島問題だけでなく、中韓間でも高句麗の帰属という歴史問題を抱えていた。盧政権は、高句麗問題については波風を立てず、竹島問題に集中することを選択。そこには外交的かつ経済的な理由があった。
 当時、盧政権にとって最大の外交課題は南北融和であったが、米国ブッシュ政権は対北強硬政策をとっていた。日本でも、北朝鮮が拉致問題を認めて以降、国内世論が硬化、第二次訪朝直前には経済制裁にむけた法改正が行われた。他方、中国は六者協議の議長国で、北朝鮮に融和的な姿勢を見せていた。盧政権は中国との関係悪化を避けたかったのである。
 経済面でも、日本の重要性は90年代ほどではなくなっていた。経済成長とグロ−バル化の進展により、韓国企業は取引先の多角化を実現。とくに成長著しい中国は、すでに日本以上に重要な存在になっており、中国での自動車の売上実績は日本での売り上げとは比較にならなかった1

対北朝鮮外交の乖離
 北朝鮮の核ミサイル問題に対処するために、日本・米国・韓国・中国・北朝鮮・ロシアによる六者協議が結成された。日韓はともに北朝鮮の核ミサイルによる軍事的脅威に直面していたが、六者協議で協力関係を結ぶことはなかった。
 協議を通して日韓は、むしろ不信感を強めることになった。日本からは、盧政権は北朝鮮の非核化が検証可能な形で実現される保証がないにもかかわらず、北朝鮮への関与政策に前のめりすぎていように見えた。韓国には、日本は拉致問題という核問題と直接関係のない二国間問題を取り上げ、六者協議の合意を阻害していると映った。
 以上のように2000年代、日韓の国内外の環境に大きな変化が生まれるようになった。それでも韓国政府は90年代同様、両国の関係管理にできるだけ努め、歴史問題で日韓関係がこじれないように、関係を管理する意思が少なからずあった。事実、盧武鉉政権は前半期において、李明博政権も末期を迎えるまで、良好な日韓関係を目指していた。

2.日韓関係の構造的変化と戦略なき日本の対韓外交

(1)競争の日韓関係へ(2010年代)

日韓両国内で党派対立が進行
 日本では2012年12月に安倍政権が発足、韓国では2013年2月に朴槿恵政権が発足した。両政権の支持率は安定していたが、これは、日韓両国とも国内で政治的分断が進み、政権の支持基盤が安定したためと考えられる。この傾向は、2017年5月に発足した文在寅政権でも同様で、文政権の支持率は朴政権よりも若干上まっていた。これは文政権の支持基盤が、保守派より少し多かったことに起因する(木村2021)。
 韓国だけでなく、日本でも党派対立が進んでいたことは、小泉政権と安倍政権を比較したデータから明らかである2。小泉政権は世代や性別を超えて、無党派層からも支持される傾向があった。しかし、安倍政権では支持層の世代や性別に偏りが見られ、無党派層からの支持も小泉政権に比べ明らかに低かった。
 日韓の双方で進行した党派対立は、日韓関係に少なからず影響を与えた。韓国の進歩派の中には、「韓国は日本を追い抜いたすばらしい先進国である。もはや日本と協力関係を結ぶ必要はない」と豪語するものがあり、彼らは国内外で一定の存在感をもっている。
 一方、日本にも経済大国だった昔を強く懐古する古い世代が存在する。彼らの多くは、「日本は素晴らしい技術を持った大国である。日本は国内市場だけで十分生きていける」と考え、嫌韓である。日本の嫌韓派と韓国の運動圏出身者は、ともに現実から遊離した大国志向という点で合致しており、それによって日韓関係はますます感情的にこじれている。

中国の大国化と韓国の日本軽視
 中国の大国化の加速と日本の国力の相対的低下により、北東アジアの国際関係は大きく変動した。中国は、名目GDPで2010年に日本を追い抜いたが、2021年には日本に3倍もの開きをつけている。
 世界のGVCs(グローバル・バリューチェーンズ)について、2000年と2017年を比較した研究がある。それによれば、東アジアのGVCsに劇的な変化があったことが確認できる3。2000年時点では、日本が東アジアにおける貿易やサプライチェーンのハブになっていた。中国の存在感はまだ小さく、日本の傘下に韓国・台湾・ASEANの主要国が位置していた。日韓間にも米国を通じてであるが、GVCsが相当程度にあった。
 しかし2017年になると、中国が東アジアにおける圧倒的なハブとしてセンターに君臨し、ほぼすべての国がその傘下に入るようになった。韓国や台湾は中国と双方向の供給構造をなし、中国を介して米国やEUに連なっている。日本は、中国から一方的に供給を受ける立場になり、世界のGVCsから孤立している。計算上でいえば、17年間で日韓のGVCsは完全に切り離されてしまった(深川2022)。
 韓国では、2010年頃から米中G2時代の到来といわれはじめ、その頃から韓国外交における日本の立ち位置は十分に定まっていない。韓国外交における日本軽視は、朴槿恵政権と文在寅政権に共通していた。
 朴槿恵政権は発足後、悪化していた中国との関係改善に取り組む一方、李明博政権末期に破綻した日韓関係の改善には関心を示さなかった。憲法裁判所の慰安婦問題に関する決定(2011年8月)が、対日外交の選択肢を狭めたという国内事情もあったが、朴政権にはそもそも、日韓関係を改善させる意思が見られなかった。慰安婦問題解決を日韓関係改善の前提条件にしたことで、日韓関係は完全に膠着してしまった。(後に米国の圧力によって、日韓慰安婦合意を締結)
 文在寅政権は、安倍・朴政権による慰安婦合意にもとづいて設立された「和解・癒やし財団」を、2018年11月に一方的に解散させた。これは、朴政権の業績を否定する国内政治闘争を、対日外交より優先させた結果である。2018年10月に大法院が出した徴用工判決でも、日本政府は何度も韓国政府へ抗議を行ったが、文在寅政権は実質的に無視し続けた。

北朝鮮外交をめぐる日韓外交の乖離
 2018年には南北首脳会談、および初の米朝首脳会談が行われた。文在寅政権は南北の関係改善を目指し、米朝の橋渡し役を担った。安倍政権は、韓国の対北朝鮮関与政策に警鐘を鳴らしたが、三カ国の融和ムードに取り残される形になった。文政権や韓国与党は、米韓の対北外交に同調しない日本をみて、ジャパンパッシング(無視)を公然と叫ぶようになった。
 しかし、2019年2月のベトナム・ハノイにおける米朝首脳会談が決裂して以降、米朝交渉は停滞し、あわせて南北関係も停滞した。2018年から2019年に至る朝鮮半島の動向に関して、木宮(2021)は以下のように述べている。
 「この一連の過程を通して、日本政府は、文在寅政権が北朝鮮の非核化よりも南北関係改善の方に軸足を置いているのではないかという疑念を抱くことになった。逆に韓国は、米朝関係の進展に米国がブレーキを踏んだ背後には、安倍政権の影響力があったのではないかと疑念を持った。このように対北朝鮮政策をめぐり、あたかも日韓が逆方向の政策を先行しているのではないかと互いに警戒するようになった」。

米中対立下での日韓外交の乖離
 日韓外交の差異は、米中対立の下でさらに目立つようになった。日本はトランプ政権が戦略とした「自由で開かられたインド太平洋戦略」の提唱国で、日米同盟を戦略の基軸に置いている。しかし、経済面でいえば、良好な日中経済関係は不可欠である。中国から見ても、米国と対立するからこそ、良好な日中関係を維持しておきたい。日本は明確に米国側に立ちながらも、経済面では中国とも良好な関係を実現している。
 一方韓国は、「安保は米国、経済は中国」を大前提と考え、「どちらかの側につく」という選択肢をできるだけ避けたいと考えている。韓国の安保は米韓同盟を基軸とするため、米国との関係は不可欠である。一方、北朝鮮と隣接する韓国は進歩・保守に関わらず、韓国主導による南北の関係改善を目指さざるをえない。そのためには、良好な韓中関係が必要と考える。
 特に、韓国主導の南北統一を実現するためには、中国の理解は不可欠である。このように韓国は、経済面と外交面で中国との良好な関係を必要とする立場にあり、米中が対立する構造の下では日本以上に舵取りが難しい。
 以上のような日韓の立場や考え方の違いが、お互いに対する疑念や不満をますます深めることとなった。日本からは、日韓はともに米国との同盟を基軸としているにもかかわらず、韓国は米中の狭間で立ち位置がはっきりしないように見える。韓国からすると、日本は外交・安保面で米中対立を煽りながら、経済面では日中関係で利益を得ている。その一方で、韓国外交をますます難しい局面に追いやっているようにみえる。

(2)冷戦後の戦略なき日本の対韓外交

冷戦後の良好な日韓関係、二つのパターン
 以上のように、日韓関係は冷戦後、構造的に大きく変化し、韓国政府は国際関係の変化にあわせて対日外交を変容させた。一方、日本は、冷戦後の日韓関係を戦略的に位置づけることができず、受動的だったといわざるをえない。
 冷戦後の日韓外交史を概観すれば、良好な日韓関係は主に二つのパターンで成立した。一つは、米国が良好な日韓関係を戦略的に意図した場合である。最近では、日韓慰安婦合意やGSOMIA締結などは、米国の意向が大きく働いた。オバマ政権が中国の膨張主義への対抗策を講じていた中で、朴槿恵大統領は2015年9月の中国人民解放軍の軍事パレードに西側諸国で唯一参加した。オバマ政権はこれに激怒、韓国に大きな圧力をかけた結果、韓国は日本に歩み寄り、2015年末に日韓慰安婦合意が締結された。
 もう一つのパターンは、韓国が良好な日韓関係を重視し、それを優先した外交を展開したケースである。ただしこの場合、韓国が日韓関係を軽視し、国内の政治状況等を優先するようになると、日韓関係は悪化した。

状況対応型の日本の対韓外交
 盧武鉉大統領は発足以来、歴史問題を任期中に取り上げないことを対日外交の基本方針としていた。しかし、2002年から続いた竹島問題を受け、韓国内で対日批判の声が高まると、盧武鉉大統領は新たな対日ドクトリンを発表(2005年3月)、歴史問題に精力的に取り組むことを決定した。以来、盧政権中に日韓関係が改善されることはなかった。
 続く李明博大統領は良好な日韓関係を目指し、事実日韓関係はある程度良好であった。しかし、政権末期にレイムダック化が進行する中、竹島上陸と天皇謝罪発言(2012年8月)を決定打として日韓関係は一気に険悪化した。
 朴槿恵大統領は、当初から日韓関係改善に対する優先度は低く、日韓関係は冷え切ったままであった。しかし、2015年末から米国の圧力もあって、日韓関係は比較的良好になった。
 文在寅大統領は就任当初、核ミサイル実験を繰り返す北朝鮮に対応するため、ある程度良好な日韓関係が必要と考え、2017年の日韓関係は比較的良好だった。しかし、上述のように対北朝鮮など日韓外交が乖離して以降、文政権や与党は公然とジャパンパッシングを叫ぶようになった。
 良好な対日関係を目指す韓国外交が、良好な日韓関係をもたらすパターンは、2020年以降は通用しなくなっている。文在寅大統領は2020年に入って、日韓関係改善に前向きの発言をするようになった4。同年9月の菅政権発足直後には、与党代表などの主要人物が相次いで訪日したが、日本政府は文政権の行き過ぎた日本軽視を目の当たりにして、韓国に対する強烈な不信感を抱き、日韓の政府間対話がかみ合うことはなかった。
 以上のように、日本は冷戦後、日韓関係を戦略的に位置づけることができていない。長らく状況対応型の外交に終始してきたといえる。第二次安倍政権では、積極的に先手を打つ外交を展開したものの、結果的に日韓関係はますます膠着し、日韓の外交関係について議論することさえ行われなくなった。

(3)「半導体に関する輸出管理措置」の問題点

 政策立案にあたっては、日韓関係の現実を直視する必要がある。日韓のGVCsはほぼ切れており、韓国は経済的にも政治的にも日本を重要視していない。対日外交政策に最も影響を与えているのは為政者個人の思想や感情よりも、国内における政治闘争や世論である。
 戦略なき日本の対韓外交について、最近、問題点を如実に表したのは、2019年の半導体に関する輸出管理措置であった。日本政府は2019年7月に安全保障上の理由から、韓国向けの軍事転用可能な一部の半導体関連物品(3品目)を包括輸出許可制度の対象から外し、個別に輸出許可申請を求める制度に切り替えた。日本の輸出管理措置は韓国内に大きな衝撃を与えたが、日本では与党のみならず、野党支持者さえこの政策を歓迎した。この政策の問題点を三つあげることができる。
 一点目は、韓国に対する無理解である。発表当初、日本政府は「韓国をホワイト国から外す」と発表した。後に、ホワイト国という表現を使わなくなったが、知韓派の日本人であれば、韓国の反応はある程度予想できたはずである。政府発表は韓国人のプライドを傷つけ、挙国的な不買運動につながった。もちろん、その過程で韓国政府が国民を扇動したが、発端となったのは日本政府である。日本への観光客も激減したことで、地方では少なからず経済的損失を被った。
 また、日本政府の発表を聞いた韓国人の多くは、いよいよ日本が攻撃を仕掛けてきたと捉えた。一般の韓国人は、徴用工判決の問題で日韓関係がこじれていることを知らなかったのである。韓国は世論調査5で、「日本の社会・政治体制は軍国主義」と半数以上の国民が応える国である。韓国国民を敵に回す可能性について、政府は十分に想定していたのだろうか。
 二点目は、説明責任の欠如である。日本政府は輸出管理措置について「安全保障上の理由」としているが、国内のほとんどの有識者さえ「徴用工問題への報復措置」と理解している。現状の説明責任では日韓対立を是として、日本国民を「嫌韓」へ誘導しているといわざるをえない。
 三点目は、政策そのものの有効性である。仮に「安全保障上の理由」が本音だったとしても、長期的な管理措置は国益に適っていなかった。日本の半導体関連企業の立場からいえば、企業戦略として一時的な輸出規制をやったとしても、長期に規制することはないという6。長期的に輸出規制を行えば、韓国側が半導体開発や調達先の多角化を進めるため、規制解除後も日本製品を輸入しなくなる可能性が高くなるからだ。

3.提言

(1)北東アジアの潜在的高リスクを直視し、韓国を「北東アジアの平和と安定」のための戦略的パートナーとして位置付ける

 マーク・エスパー前米国国防長官は、北東アジアで有事が起こった場合、国際的インパクトは壊滅的だと警鐘を鳴らしている。北朝鮮との戦争の危険性や台湾海峡をめぐる紛争の可能性だけでなく、地政学上の不安定さの震源地として、以下の四点をあげている。
 ①核能力を保有する国が四か国ある。②世界の経済大国のトップ三か国、および上位12位までにランクされる経済強国が五か国ある。③世界で最大または最強の軍隊を保有する国が六か国ある。④世界で最高のハイテク国家が六か国ある。
 北東アジアで戦争が発生した場合、地理的に東シナ海と隣接海域に限定されたとしても、世界経済は弱体化し、金融システムは混乱、サプライチェーンは崩壊せざるをえない。こうした東アジアの高リスクを直視すれば、日米韓が戦略的協力関係を深めていくのは当然の選択であろう。
 北朝鮮問題でも、米国は軍事オプションを現実的な選択肢として考えることができる。しかし、たとえ局所的な軍事作戦だとしても、それを引き金に北朝鮮が暴発した場合、日韓は甚大な被害をこうむる可能性が高い。最終的に、対話による外交的解決を目指すしか選択肢がないという点で、日韓は一致している。
 北東アジア戦略の中で、韓国は戦略的利益を共有する最も重要なパートナーであり、それを日韓関係の前提とすべきである。

(2)「ルールベースの通商維持」を日韓の共通の戦略目標とする

 米中経済対立についても、日韓の立場は共通している。米中は自国の市場パワーを武器に競争を展開しているが、米中対立が長期化すれば、ルールベースの通商がますます蔑ろになるだろう。また、かねてから問題視されているデジタル・ルールの不在は日韓にとって大きなリスクだが、米中対立によりルール形成の目処は立っていない。
 深川(2022)は、米中対立時代において日韓の共通利害は拡大しているという。たとえば、日韓はともにハイテク産業に注力してきたため、技術覇権をめぐる米中対立に巻き込まれざるをえない。
 半導体エンジニア数でいえば、米中に全く太刀打ちができないため、日韓は人的資源で連携すべきである。予算面でも、米中ほど充実していないため、日韓は基礎研究で協力関係を強化していくしかない。日中韓の投資協定においても、日韓は互恵関係にある。サイバー攻撃に対しても、日韓は企業間で濃密な情報交換を行い、ともに対策をとるべきである。

(3)「自由で開かれた北東アジア経済圏」構築を提唱し、日米韓の戦略的連携を推進する。

 中国の膨張主義に警鐘を鳴らす意味で、安倍総理(当時)は2016年に「自由で開かれたインド太平洋戦略」を発表した。後にトランプ政権が米国の戦略に採用し、クワッド(日米豪印の4カ国協力)の成立につながった。
 自由で開かれたインド太平洋のビジョンや戦略は、冷戦構造が今なお残っている北東アジアにこそ必要である。ただし、「自由で開かれたインド太平洋」では、安全保障が主要なテーマだが、北東アジアで安保を全面に出すのは得策ではない。安保を主要テーマとすれば、中国・ロシア・北朝鮮が結束するだけでなく、日米韓の結束は容易ではない。韓国は、安保で中国と対立することを強く懸念しているからだ。
 したがって、わが国は「自由で開かれた北東アジア経済圏構想」を提唱し、経済を全面に立てるべきである。日韓は、ルールベースの通商の重要性を共有している。また、投資などを通して、米国の積極的関与を促すことで、「自由で開かれた北東アジア経済圏構想」は日米韓の戦略的連携をはかる新たなビジョンになりうるであろう。
 大矢野(2020)は、日本経済の構造改革策として「物流新幹線構想」を提唱し、環日本海経済圏の構築について触れている。北海道から樺太・シベリア、そして、東北三省(旧満州)から北朝鮮を経由し、韓国から九州に繋がる環状の経済交流圏構想は、極東経済圏の発展のためには重要な経済圏構想となると述べ、人口では約3億3千万人を抱えるEUと同規模の経済圏を見込むことができるという。
 大矢野によれば、日本海を囲むように物流新幹線を一周させることで、日本(技術)、韓国(技術)、ロシア(資源)、東北三省(労働力)、北朝鮮(資源)というそれぞれの特性をいかして、相互に利益を得ることができる。さらに、米国やドイツなどの域外大国を巻き込むことで、ともに利益になる経済圏を構築できれば、米国などから敵視されることもない。
 日本が「自由で開かれた北東アジア経済圏構想」を提唱すれば、日本外交のプレゼンスを高めることにもなる。「ルールベースの通商を重視するCPTPP」「自由で開かれたインド太平洋」「自由で開かれた北東アジア経済圏」には一貫性があるからだ。
(※北東アジア経済圏は一般的に、日本、ロシアの極東、中国東北地区、北朝鮮、韓国、台湾を結ぶ経済圏をさす。ここでは、米国の積極的な関与を前提とする意味で、「自由で開かれた北東アジア経済圏」としている)

(4)韓国主導の朝鮮半島の平和的統一を支持し、韓国と戦略目標として共有する

 朝鮮半島の分断構造は、日本の外交・安保にとって不安定要素とならざるをえない。韓国・北朝鮮は1948年、米ソ対立に翻弄されながら独立を成し遂げた。その際、日本への抵抗は愛国の象徴であったため、両国とも建国の理念に日帝支配への抵抗を掲げるしかなかった。韓国・北朝鮮は、建国の経緯から見て反日的であることは避けられないということだ。このような国家が隣国に存在することは、わが国の外交・安保にとって少なからずリスクとなっている。
 現状では、南北の分断構造が早急に解消されそうにはみえない。しかし、将来南北が統一される場合、日本は蚊帳の外という状況は避けるべきである。「統一コリア」が反日的要素を継承すれば、日本にとって朝鮮半島全体が脅威となる。
 一方、日本が南北の平和的統一に積極的に関与していれば、「統一コリア」は日本と友好的な国となるであろう。新たに立てられる「統一コリア」の建国の理念は、反日に囚われる必要もない。
 わが国は近視眼的な思考に陥ることなく、南北の平和的統一を支援する立場を表明しておくべきである。南北統一に対するわが国の立場を表明することで、韓国はわが国を「戦略的利益を共有する最も重要なパートナー」として受け入れやすくなるであろう。

(5)「自由で開かれた北東アジア経済圏構築」「朝鮮半島の平和的統一」のための具体的インフラとして、日韓トンネル建設を日米韓で連携して推進する

 現況の北東アジア情勢が長期的に続くのであれば、日本と朝鮮半島を結ぶトンネル建設にメリットは少ない。しかし、わが国が国内の閉塞感を打破し、北東アジアの平和と安定と繁栄にリーダーシップを発揮する覚悟があれば、日韓トンネル建設は国家を上げて取り組む価値のあるプロジェクトである。
 東西冷戦の終結から30年経ったが、北東アジアの冷戦構造は継続したままである。「自由で開かれた北東アジア経済圏」が軌道に乗れば、北東アジアの冷戦構造に大きな風穴をあけることができよう。日本は長期的な戦略を持って、米国・韓国と連携していくべきである。
 国内に目を向ければ、日韓トンネル建設は雇用の創出や地域の活性化にとどまらず、日本社会に強力なインパクトを与えることができる。日本はバブル崩壊から30年間、GDPはほぼ横ばいである。わが国に漂う閉塞感と経済活動の停滞は、もはや経済政策だけでどうにかなる問題ではない。日韓トンネル建設は、国民に新たな夢とビジョンを提示することができる。
 もちろん、トンネルの建設費(約15兆円)や維持費は莫大である。しかし大矢野によれば、環日本海を物流新幹線で一周させることで日本・韓国・北朝鮮・中国(東北三省)・ロシア(シベリア)のそれぞれに利益が生じる構造をつくることができれば、コストを補って余りある経済圏を創出することができるという。(※このためには日韓トンネルだけでなく、北海道・樺太トンネルの建設も必要となる。)
 また、トンネルの建設にあたっては国際関係に十分配慮すべきである。とくに、日本主導で大陸とつながるとなれば米国に余計な不信感を与えることになる。そこで大矢野は、米英独仏などがトンネル建設費を出資することでトンネルの所有者になり、通行料などで域外大国にも利益が出る仕組みをつくることも強調する。わが国は米国の多大な関与のもとで、トンネル建設を進めていくべきである。

(6)大局的見地に立って、対北朝鮮外交の戦略的転換を図る

 わが国の対北朝鮮外交は完全に行き詰まっている。北朝鮮との間で、Win-Winの関係を見いだせていないからである。現状では、日本独自で北朝鮮を変化させることは困難であり、米韓と協調し、北朝鮮との対話の窓口を確保していくしかない。対話ができる外交関係を築いた上で、拉致問題の解決を目指すべきである。拉致問題解決を「入口論」から「出口論」へと、現実的に転換させるということである。
 北朝鮮は米国を敵視し、経済的には中国に依存してきた。中朝は血の同盟を演出するが、北朝鮮は中国への警戒心も強い。中露が戦略的パートナーシップをどれだけ演じても、ロシアが中国に対して強い警戒心をもっているのと同様である。
 北朝鮮の念願は、米国との関係改善もさることながら、中国からの経済的自立である。北朝鮮は経済の9割を中国に依存しており、完全に中国に首根っこを押さえられている。日米韓の連携のもとで「自由で開かれた北東アジア経済圏」構想を推進し、北朝鮮をその枠組みに入れることで、中長期的に北朝鮮を中国の影響圏から引き抜くことができよう。

(7)日韓の戦略的関係再構築に当たり、植民地支配の複雑性を理解する

 最後に、日韓関係の戦略的関係再構築に当たって、これまであまり認識されてこなかった植民地支配に対する文化人類学の視点を紹介したい。(詳細は伊藤亜人・東大名誉教授の著書などを参考のこと)
 日韓のような支配・被支配という歴史を持つ二国間関係は複雑だが、とくに日韓関係は世界史の中でも例外的という。その一つは、植民地化された韓国に統治機構が存在していたことである。当時、植民地化されたほとんどの地域には王朝などの複雑な社会システムがなく、例外は朝鮮とベトナムであった。求心的で安定した権威を有する社会では、「被支配の記憶がより鮮明である」(伊藤2021)という。
 もう一つは、朝鮮王朝以来の儒教国家として、当時の韓国には儒教文化が根ざしていたことである。伊藤(2019)によれば、儒教が追求した自由な精神あるいは“聖人の道”とは、普遍的な価値による理念を共有することであった。それは、東アジアの文明に限らず、地域や民族の枠を超えて高度な社会統合を志した文明社会に共通するものである。当時の韓国には高度な精神文化が存在したということだ。
 東アジアの文人社会は、共同体の規範に拘束されることを嫌い、普遍的価値にもとづく自由な精神と行動に価値を置いたという。これは、近代化を成し遂げた欧米のキリスト教社会と類似している。欧米では共同体からの脱皮こそが近代化における課題であった。
 一方、日本の近代化は共同体の規範を重視しており、欧米の近代化とは異質であった。日本が韓国で行った植民地政策も、共同体の導入であった。共同体の規範を重視する日本独特の近代化は、韓国の伝統文化を徹底して否定し、創氏改名や神社参拝強要などはその顕著な例であった。これは、韓国の文人社会にとって決して受け入れられるものではなく、韓国の人々にとって日本に刻み込まれた屈辱は消し難いものだったという(伊藤2021)。
 こうした植民地支配の複雑性について、支配者側であった日本人は理解しておくべきであろう。1965年の日韓請求権協定や河野談話などにより外交的な進展や解決があったとしても、心理的な問題まで解決されるわけではない。
 特に、日本の為政者は発言に気をつけるべきである。「日本の統治は悪いことばかりではなかった」「創氏改名は朝鮮人が望んだ」などの発言は、日本に対する根深い不信感を植え付けてきたからだ。植民地支配についての見方には、多様な視点・声があることを踏まえ、バランスの取れた立場から発言することが重要であろう。

 

1 木村ら(2020:189)参照。

2 NHK政治マガジン「安倍政権は、なぜ続くのか」(2019年11月19日)
 
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/25957.html

3 Xin Li, Bo Meng, and Zhi Wang., 2020, Recent patterns of global production and GVC participation, in Global Value Chain Development Report 2019, WTO.

4 日本経済新聞『韓国大統領、新型コロナ「日本とともに危機克服を」』(2020年3月1日)
   https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56248090R00C20A3000000/ など参照。

5 言論NPO「第9回日韓共同世論調査 日韓世論比較結果」(2021年9月28日)
   https://www.genron-npo.net/world/archives/11348-2.html

6 ILC特別懇談会(2021年8月)におけるディスカッションより。

 

<参考文献>

伊藤亜人、2019、『日本社会の周縁性』青灯社。

伊藤亜人、2021、「日韓における文化の違いをどう考えるか?—文化人類学のアプローチ—」『世界平和研究』2021年夏季号、p63−72。

伊藤亜人、2021、「植民地近代をめぐって—文化人類学から見た朝鮮半島支配の問題点—」、平和政策研究所。

伊東順子、2020、『韓国 現地からの報告』ちくま新書。

大矢野栄次他、2020、『九州発「国のかたち」を問う〜日韓トンネル構想への期待〜』三岳出版社。

小倉和夫、小倉紀蔵、小此木政夫など、2014、『日韓関係の争点』藤原書店。

木宮正史、2021、『日韓関係史』岩波新書。

木村幹、2021、「変化する朝鮮半島と日本の対応—古い対韓国認識からの脱却と新たな日韓関係に向けて—」、平和政策研究所。

木村幹、田中悟、金容民編、2020、『平成時代の日韓関係:楽観から悲観への30年』ミネルヴァ書房。

澤田克己、2020、『反日韓国という幻想』毎日新聞出版。

深川由紀子、2022、「米中対立時代と日韓経済関係」、平和政策研究所。

平和政策研究所、2021、「韓国『反日』政治の背景と日本の対応—日韓の政治的葛藤をどう管理するか—」。

マーク・エスパー、2022、「不透明さを増す東アジア情勢と朝鮮半島統一のビジョン—米日韓パートナーシップ強化の重要性—」、平和政策研究所。

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