SDGs時代における日本の国際教育協力 ―理念・政策の歴史を踏まえて―

SDGs時代における日本の国際教育協力 ―理念・政策の歴史を踏まえて―

2020年8月25日
グローバルイシュー・平和構築
1. 世界の教育開発の現状

 2015年に持続的な開発目標(SDGs)が国連で採択され、5年が過ぎた。世界の教育開発の進捗はどのようになっているのだろうか。
 2000年から2015年までのMDGs(ミレニアム開発目標)は初等教育の完全普及を目標としたが、SDGsのもとでは、「すべての人に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」(SDG 4)ことを目指して、基礎教育から高等教育までをカバーする包括的な教育目標が掲げられた。具体的には、公平で質の高い無償の初等教育や中等教育の完全修了、良質の幼児教育や高等教育への公平なアクセスの確保、さらに、職業スキルや識字能力やESD(Education for Sustainable Development: ESD)などが含まれる。
 これらの目標の進捗を世界全体の就学率から見ると、初等教育90%、前期中等教育84%、後期中等教育65%、高等教育38%であり(2018年)1、前世紀から比べると全般的に就学率は伸びて、教育の量的普及が進んでいることがわかる。しかし、こうした状況の中でも特に問題となっているのが初等教育の質と格差である。多くの途上国は長い間、初等教育の完全普及を目指して、教育の量的な普及に努めてきた。その結果、初等教育の就学率は向上したものの、一方で、小学校を卒業しても約半分の子どもたちは最低限の読み書き計算能力を習得できていないことや、教育の質や環境が十分でないために、学校に通うこと(schooling)が学ぶこと(learning)につながっていないことなどが指摘されている。さらに全般的な就学率は向上したが、サブサハラ・アフリカや南アジアを中心に約2.6億人の初等・中等教育不就学児がまだ残されており、貧困、障がい、マイノリティ、紛争などが原因で学校に通うことができない子どもたちが依然として存在するなどの教育格差も重要な課題となっている。

図1 教育段階別の就学率(2018年)

 こうした教育格差は、初等教育から中等教育、さらに高等教育と段階があがるにつれて拡大する。初等教育の就学率は、低所得国・中所得国・高所得国のそれぞれで80%:92%:96%であるのに対し、後期中等教育では39%:65%:92%、高等教育では9%:36%:75%である(図1)。たとえば、ブラジルやマレーシアでは高等教育の就学率はすでに50%前後に達しているが、サブサハラ・アフリカでは10%以下の国が多い。SDGsのもとでは途上国各国における高等教育の発展に加えて、必要に応じて留学による高等教育機会の提供も求められている。グローバル化が進展するSDGsの時代においては、高等教育の国際化をつうじて途上国の人材育成に貢献することも重要な方策である。
 初等教育の質や格差、幼児教育や中等教育の普及、質をともなった高等教育の発展と国際化、職につながる教育、健全な市民社会や国際性をはぐくむ教育などのSDGsの教育課題に、先進国と途上国を含む国際社会は協力して取り組んできたが、今年の3月以降、世界はCOVID-19の感染拡大により未曽有の教育危機に直面している。4月初めには、パンデミックにより全国規模の学校閉鎖をおこなった国は190ヶ国を超え、世界の初等・中等・高等教育機関にかよう児童・生徒の約90%にあたる16億人が影響を受けた2。本稿執筆の7月末時点でもまだ10億人あまりの子どもや若者が学校に行くことができない。この点については、本稿の最後に再度触れたい。

2. 日本の国際教育協力の展開

 世界の教育協力は第二次世界大戦後に新興独立国への援助として開始され、すでに半世紀以上が過ぎた。この間に日本はどのような国際教育協力をおこない、そして、SDGsに代表される教育開発のグローバル・ガバナンスのもとで、現在どのような支援をおこなっているのだろうか。
 日本の国際教育協力はODAの初期の頃から実施されてきた。その約65年にわたる歴史は、1990年頃を境に大きく二つの時期に分けることができる。1950年代から1980年代までの前半の時期は、ODAの仕組みや実施体制が徐々に整備されODAが量的に拡大した時期であるが、こうしたODA全体の成長とともに、職業技術教育・訓練(Technical and Vocational Training and Education: TVET)分野や高等教育分野を中心とした教育協力が拡大した。まず1950年代に文部省の国費外国人留学生招致制度が始まり、1960年代には職業訓練や技術教育、さらに医学教育分野の技術協力プロジェクトが開始し、1970年代には工学部や農学部を対象とした協力が増加した。これらの協力は、今ではTVET分野や高等教育分野として教育協力の一部に数えられるが、当時は産業人材育成、農業協力、医療協力などに分類されて、教育協力と認識されることはほとんどなかった。1980年代には、人づくりが日本のODAの重点としてたびたび言及されるようになり、TVET分野の協力は代表的な人づくり協力として一層推進された。図2〜4は、1960年代以降のJICA(JICAの前身の機関を含む)・外務省の国際教育協力の推移を示したものである。これらからわかるとおり、1980年代までは技術協力、無償資金協力、有償資金協力のいずれにおいても、基礎教育分野の協力は少なく、TVETや高等教育が中心であった。
 こうした状況を変えたのは、1990年にタイのジョムティエンで開催された万人のための世界教育会議(World Conference on Education for All:WCEFA)であった。WCEFAは、教育はすべての人に保障されるべき基本的な人権であり、生きていくために必要な知識や技術を学ぶための基礎教育(初等教育、前期中等教育、就学前教育、ノンフォーマル教育など)がすべての人に提供されるべきと強く訴えた。WCEFAは、世界の教育開発思潮に大きな影響を与え、先進援助国、国際機関、途上国政府のほとんどが基礎教育重視へと大きく舵をきった。一方、当時の日本では、初等教育は各国の文化や価値観を形成するもので国の根幹にかかわる分野であるから海外援助が立ち入るべきではないという考え方が一般的で、こうした基礎教育重視の世界的な援助潮流には反発が大きかった。しかし、1990年代には徐々に基礎教育重視の考え方が浸透し、日本でも基礎教育協力が開始された。日本が基礎教育分野でまず取り組んだのは、小中学校の校舎建設、理数科教育や教員研修の改善、学校運営改善、地方教育行政官の能力向上などであった。さらに、2002年に日本政府は『成長のための基礎教育イニシアティブ(BEGIN)』を発表し4、日本の基礎教育協力重視はゆるぎないものになった。図2〜4からも、1990年代以降、基礎教育分野の事業が技術協力・無償資金協力・有償資金協力のいずれにおいても急速に拡大していることがわかる。このように、日本の教育協力の歴史は、1980年代までは産業人材や専門人材の育成を目的とした職業技術教育・訓練(TVET)や高等教育分野の協力がほとんどであったのに対し、WCEFAを契機として、1990年代以降はこれらに加えて基礎教育協力も重要な位置を占めるようになったのである。

図2.3.4  JICA/外務省の国際教育協力(5年毎の累計額)

 日本の約65年の教育協力の歴史には、1990年代からの基礎教育協力の開始という協力分野に関する変化に加えて、2000年頃を境にもうひとつの大きな変化がある。このふたつ目の変化は、だれのための教育開発か、何のための教育開発かという教育開発の理念に関する変化である。1970年代末頃から、首相や外務大臣のODAに関するスピーチのなかで人づくりの重要性が語られることが増え、やがて人づくり重視は日本のODAの特徴のひとつとみなされるようになっていった。たとえば、ODA50周年を特集した2004年版ODA白書5では、「人づくりは国づくりの基本です。この考え方は、日本自身の開発の経験、そして東アジアでの国際協力を通じての経験に根ざした日本の信念とも言えるものです。途上国の開発問題の解決はその国の自助努力なくしては成果を上げることはできません。また、途上国の開発を担う人材がいなければ、自助努力を期待することもできません。途上国の国づくりの担い手となる優れた人材を育成し、開発に動員可能な人的資源を確保することは、途上国の統治能力の向上を通じて、途上国自身による中長期的な開発努力の成否を左右する重要な要素です」として(外務省 2004)、日本のODAが人づくりを重視し、人材育成により途上国の経済社会発展に貢献してきたと述べている。こうした考え方のもとで主に取り組まれてきた教育協力は、経済成長に必要な産業人材を育成するための工学教育やTVET、農業開発を人材育成と研究開発の両面で支える農学部の設立や強化、保健医療の普及に必須の医学部の設立などであった。当時よく言われた「人づくりは国づくりの礎」の表現通り、これらの高等教育協力やTVET協力の目的は国家や社会に有用な人材を育成することであった。国づくりのための教育開発のもとでは、教育の最終的な目的は国家開発や経済成長であり、教育を受ける子どもや若者ひとりひとりの教育ニーズへの関心は小さかった。筆者は1980年代から国際協力事業団(現国際協力機構)で教育協力に携わってきたが、当時は、途上国のトップレベルの高等教育機関や技術訓練機関を支援することが最も効果的で効率的だといわれることが多かった。こうした協力相手機関の選定にも「国家のための教育」の教育観があらわれている。
 1990年のWCEFAが、日本や世界の教育協力に大きな影響を及ぼしたことは先に述べたとおりであるが、そこで謳われた基礎教育の理念は、人づくりのための教育理念とはやや異なる。WCEFAで採択されたジョムティエン宣言文6は、冒頭で教育は万人の基本的権利であることを述べた後に、全ての人がそれぞれの能力を発展させ、尊厳をもって暮らし、尊厳をもって働き、社会的な活動に十二分に参加し、自らの暮らしを豊かにするために基礎教育の機会が与えられるべきであることを説いている。さらに女子教育の必要性が強調され、あわせて、貧困層、マイノリティ、障がい者などへの配慮も求めている。そこに示されているのは、国家建設や経済開発のための教育—国づくりのための人づくり−というよりはむしろ個人の成長や福利のための教育であった。こうした「個人のための教育」が重視されるようになった背景には、1980年代終わりから1990年代にかけて、世界の開発思潮全般が経済成長から人間開発へと変化していたことがあげられるだろう。たとえば、1990年にUNDPの『人間開発報告』が発刊され、1995年にはコペンハーゲンで世界社会開発サミットが開催されたりした。こうした人間重視の教育開発の考え方はその後のMDGs(2000-2015年)やSDGs(2015-2030年)にも、基本的に引き継がれている。
 日本では、WCEFA直後には反発があったものの、1990年代を通して基礎教育協力が増加し、2002年には『成長のための基礎教育イニシアティブ(BEGIN)』が発表された。BEGINではどのような教育観が示されているのだろうか。BEGINは、山本有三の戯曲『米百俵』から引用した「国がおこるのも、まちが栄えるのも、ことごとく人にある。学校を建て、人物を養成するのだ」の有名なフレーズで始まり、「基礎教育は社会の一員である一人ひとりが人間としてふさわしい生き方をし、自らの手で自らの未来を選び取るために必要な知恵と能力を身につける(エンパワメント)という『人間開発(human development)』の観点から重要であるのみならず、『米百俵の精神』に象徴される国造りのための人造りという点で、途上国の開発にとり不可欠の要素」であると述べている(日本政府 2002)。ここでは個人の成長や福利のための基礎教育と、国家開発や経済成長のための基礎教育の両面が謳われているのである。同様に、2003年のODA大綱や2015年の開発協力大綱でも人間開発としての基礎教育と国づくりのための人づくりは併存している。WCEFAジョムティエン宣言やその後の「万人のための教育」(Education for All: EFA)の一連の国際会議、さらにMDGsやSDGsでの教育開発の目標など、1990年代以降の国際場裏での教育開発の議論は常に人間開発としての教育に軸足がおかれていることとやや対照的である。
 では、日本の教育協力事業は、実際には、どのように変化したのだろうか。1980年代までの教育協力は、前述したとおり、国づくり・人づくりのための職業技術教育・訓練(TVET)協力や高等教育協力が多かった。1990年代になると徐々に基礎教育分野の協力が始まったが、90年代の代表的な基礎教育協力は初等・中等レベルの理数科教育の改善であり、多くの途上国で理数科改善プロジェクトが実施された。理数科目が特に協力対象に選ばれたのは、日本の得意科目という面もあるが、これらが科学技術の発展や産業人材育成の基礎となる科目であることも理由のひとつであった。基礎教育協力においても、人づくりの側面は重視されたのである。しかし2000年代になると、全く新しいタイプの教育協力がおこなわれるようになった。それらは、たとえば、学校に行くことができなかった女性や女児に対すノンフォーマル教育、障がい児教育のカリキュラム作成や教員養成、紛争後の地域社会での基礎教育の保障、除隊兵士の社会復帰のための職業訓練、ストリート・チルドレンの社会復帰のための教育支援、自然災害からの教育分野の復興などである。もちろん、理数科教育改善は依然として重点分野であり、「国をおこし、まちを栄えさせる」ための基礎教育プロジェクトも引き続き実施されているが、教育開発から取り残された脆弱な人々のニーズに応えるための基礎教育プロジェクトがおこなわれるようになったことは、日本の教育開発の理念が変化したという点で画期的なことであったと思う。「国家のための教育」に加えて「個人のための教育」を視野においた協力へと日本の教育協力が質的に変化するのは、WCEFAの影響が強かった1990年代よりはやや遅れて2000年代に始まったというのが、教育協力に携わってきた筆者自身の実感である。
 2000年代前半は、人間の安全保障が日本のODAの中心的な理念に据えられた時期でもある。2003年のODA大綱では、人間の安全保障の視点が基本方針のひとつに取りあげられた7。さらに、2015年に新たに採択された開発協力大綱は、「個人の保護と能力強化により,恐怖と欠乏からの自由,そして,一人ひとりが幸福と尊厳を持って生存する権利を追求する人間の安全保障の考え方は,我が国の開発協力の根本にある指導理念である。この観点から,我が国の開発協力においては,人間一人ひとり,特に脆弱な立場に置かれやすい子ども,女性,障害者,高齢者,難民・国内避難民,少数民族・先住民族等に焦点を当て,その保護と能力強化を通じて,人間の安全保障の実現に向けた協力を行う」と述べている(日本政府 2015)8。日本において、国家や社会よりも個人に焦点をあてた教育協力が開始するのは2000年代であり、人間の安全保障が日本の国際協力の中心理念になっていくのと軌を一にしていた。
 以上に述べた変遷を経て、日本の今の教育協力は、基礎教育と職業技術教育・訓練(TVET)と高等教育の3つのサブセクターをほぼバランスよくカバーし、国家や社会のための人づくりを目的とするものから、脆弱な人々を対象に人間の安全保障の実現を目指すものまで多様化している。教育の果たすべき役割はひとつではなく、途上国の教育開発の状況もさまざまであるので、多様化したニーズに応える必要がある。途上国の成長を支えるための教育開発とともに、取り残された脆弱な人々の教育を改善することも、同様に重要であることを忘れてはならない。

3. これからの日本の教育協力

 現在、世界は新型コロナウィルス感染症の蔓延により未曽有の教育危機に直面している。そこで、最後に、これからの日本の教育協力に関し、コロナによる教育危機にテーマを絞って以下の2点を述べたい。

表1 ICTや水・衛生関連のインフラストラクチャーを備えた学校の割合

 一つ目は、教育格差への対応である。パンデミックは先進国、新興国、途上国の差なく、すべての国を同様に襲った。しかし、そのインパクトの大きさは、国力や経済力によって一様ではなく、またすでにあった教育格差をさらに拡大する結果を招いている。今年4月には190ヶ国以上が全国規模の学校閉鎖に踏み切り、現在もまだ10億人以上の児童・生徒が学校に通うことができていない。このように物理的な通学ができないなかで、インターネットやその他の通信手段(テレビ、ラジオなど)を使った遠隔教育は最も有効な代替手段であり、またさまざまな国での取り組みが報じられている。しかし、遠隔教育の基礎になる電気やインターネットやコンピューターの普及度は、高所得国と中・低所得国との間で大きな差があり(表1)、さらに各国のなかでも地域間や世帯間で格差がある。COVID-19による教育危機は、基礎的なICTインフラが未整備の国や家庭の子どもたちにより甚大な影響を与えているのである。現在(2020年7月末)、徐々に学校再開が図られているが、教育と感染防止の両立が必須である。しかしながら、中・低所得国では感染予防に必要な衛生施設(手洗いやトイレなど)が十分に整備されていない学校も多い(表1)。日本の学校教育もCOVID-19により甚大な被害を受けまだ出口の見えない状況であるが、一方で、脆弱な教育システムがより大きな影響を受けていること、世界の教育格差はパンデミックによってさらに拡大していることを忘れてはならない。日本は、それらの国で、学校閉鎖下での遠隔教育を支援し、学校再開後の安全な教育環境と十分な質の教育の提供に貢献する必要がある。
 二つ目はグローバルな教育の重要性である。パンデミックは世界に物理的なそして心理的な分断をうみだした。人の往来が遮断されて、高等教育レベルの教育交流が大きく阻害されているが、こうした物理的な分断のみならず、各国の社会や経済が疲弊するなかで人々の心の中にも自国中心主義にみられるような内向きな心情が芽生えている。だが、その一方で、人の行き来が途絶えても、人々が相互依存の世界に暮らしていることに変わりはない。分断を生み出したパンデミックそのものの収束のためにも、国際社会のグローバルな協調と協力が必須である。グローバル化のもとで、国境を越えて連帯と協力を模索する社会が必要だ。したがって、各国の学校教育は、遠隔教育や再開後の教育において、心の分断が進む時代であるからこそ、子どもたちにグローバルな教育を提供してほしいと思う。基礎教育と高等教育の両方で、自国のことだけでなく、他国の文化や風習について学び、他者や異文化への相互理解を深めるような教育、知識の習得にとどまらず、異なる国や人々への関心と共感を育むような教育を進める必要がある。COVID-19によって物理的な人の交流が遮断されても、子どもたちにとって学校が世界への窓であり続けることを期待したい。
 日本の国際教育協力は、国家建設や経済成長のための教育協力から、それに加えて人間開発のための教育協力へと変化してきた。そしてそれは、「個人の保護と能力強化により,恐怖と欠乏からの自由,そして,一人ひとりが幸福と尊厳を持って生存する」ことを追求する人間の安全保障の実現に貢献するものでもある。コロナ禍の嵐が世界中で吹き荒れる今こそ、脆弱な環境におかれた子どもや若者の教育や、国際社会の連帯と協力につながるようなグローバル教育を支援していくことが重要である。

(なお、本稿の内容は、筆者個人の意見であり、筆者の所属する組織の見解を示すものではない。)

 

1 UNESCO. 2020. Global Education Monitoring Report 2020
  (https://en.unesco.org/gem-report/report/2020/inclusion)

2 UNESCO. 2020. COVID-19 Impact on Education 
  (https://en.unesco.org/covid19/educationresponse)

3 図2〜4にはJICAの前身の機関(OTCA, OECF, JBIC等)により実施された教育協力実績を含む。対象案件の詳細等については、次のサイトを参照されたい。
  https://www.jica.go.jp/jica-ri/ja/publication/booksandreports/20191008_01.html

4 日本政府. 2002. 成長のための基礎教育イニシアティブ(BEGIN)
  (https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/bunya/archive/edu_initiative.html)

5 外務省. 2004. 政府開発援助(ODA)白書2004年版—日本のODA50年の成果と歩み.
  (https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/04_hakusho/index.htm)

6 UNESCO. 1990. Final Report World Conference on Education for All – Meeting Basic Learning Needs.
  (https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000097551)

7 日本政府. 2003. 政府開発援助(ODA)大綱.
  (https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/seisaku/taikou.html)

8 日本政府. 2015. 開発協力大綱.
  (https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/seisaku/taikou_201502.html)

 

政策オピニオン
萱島 信子 国際協力機構 理事、緒方貞子平和開発研究所 シニア・リサーチ・アドバイザー
著者プロフィール
京都大学文学部卒。パリ第5(ルネ・デカルト)大学教育学部3ème cycle DEA課程修了。UNESCO国際教育計画研究所教育計画行政研修コース終了。名古屋大学国際開発研究科 博士(国際開発学)。1982年国際協力機構(JICA)入構。人間開発部基礎教育グループ長、バングラデシュ事務所長、人間開発部長、研究副所長、研究所長、上級審議役を経て、現職。研究・関心領域は開発途上国の教育開発、大学の国際協力、高等教育の国際化。著書に『日本の国際教育協力—歴史と展望』(共著、東京大学出版会、2019年)など多数。
日本の国際教育協力は、国家建設や経済成長に加えて、人間開発を重視する教育協力へと変化してきた。世界がコロナ禍におかれた今、どのような教育が求められているのか。

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