変容する韓国社会と日韓関係 ―「ウェット」な関係から「ドライ」な関係へ―

変容する韓国社会と日韓関係 ―「ウェット」な関係から「ドライ」な関係へ―

平和外交・安全保障
はじめに

 コロナ禍の中の今年4月15日、韓国第21代総選挙が行われ、「共に民主党」など政権与党勢力が圧勝した。韓国に関する日本での議論を見てみると、自らの関心が日本を中心とする対外関係に偏っているために、あたかも韓国国内における実際の議論においても、対日関係が中心となっているかのように錯覚している時が多い。重要な事は、韓国も外国である以上、我々と異なる前提で社会が動いている、という事である。例えば、コロナ対策で成功した韓国は、その成果を世界に誇ろうとしているが、その独特の方法を可能にした背景には、日本とは異質な韓国の民主主義がある。そうした両国の基本的な違いを認識しないままに、「ウェット」に議論していては、これからの日韓関係をうまく展開することができない。韓国の人々は我々とは異なる現実の上に生きており、だからこそその現実を直視した「ドライ」な姿勢が求められている。そこで昨今の状況を分析しながら、今後の韓国社会の変貌と日韓関係について考えてみたい。

1.韓国政治の現状と構造変化

(1)総選挙の結果

 韓国総選挙に向けた今年初めの事前世論調査では、与党優位が報じられていたが、2月以降コロナ感染拡大が深刻さを増していく中で、与党の苦戦を予測するものから、一転しての野党勝利を予測するものまで錯綜した状況が続いていた。ところが3月に入り、政府のコロナ対策がうまくいき感染状況が大幅に改善すると、総選挙における与党優勢の状況が明らかになっていった。さらに4月以降、文政権の支持率は政権後半期には例を見ない水準にまで上昇し、与党は歴史的大勝を収めることになった。そして進んでは5月初めには政権支持率が70%にまで達する事になった。
 こうして見れば、コロナ禍が恰も「神風」のように文政権を後押しした事がわかる。つまりコロナ対策が功を奏して、最も事態が収束した「絶妙なタイミング」で、文政権の5年間で最も重要な総選挙を迎える事になったのである。そして、この様な政権後半期の状況は、1987年の民主化以後の歴代大統領には見られなかったものだった。残り2年の任期となった大統領が、国会の三分の二の議席を押さえ、支持率でも6割程度を維持するということはこれまでなかった事だったからである。よく知られている様に、これまでの大統領は、任期後半になるとレイムダック化し、支持率が低下するのが通常だった。
 それでは総選挙で圧勝した文政権の今後の政治運営はどの様になるのだろうか。この点については、政権自身の政策の展開以上に、韓国の野党を巡る厳しい現実を考えなければならない。そもそも現在の韓国の野党(保守系)は指導部の構成にすら苦慮する状況にある。例えば、今回の選挙で未来統合党の共同選挙対策委員長を担い、現在、事実上の党首である非常対策委員長を務める金鐘仁議員は、前選挙(2016年)ではよりによって与党(共に民主党)のこれまた事実上の党首である非常対策委員長を務めた齢80歳の高齢の人物だ。これはいかに保守系に人材がいないかを如実に物語っている。
 いずれにせよ、今回の総選挙の結果、進歩派勢力には、これまでとは全く異なる有利な状況が生まれており、彼らの一部は自らを「(韓国社会の)新主流」とさえ呼ぶようになっている。つまり大統領が任期後半に国会で多数の基盤を持つ大きな権力をもったことは、これまでの韓国政治では考えられない状況である。

(2)自信を深めた韓国

 政府のコロナ対策が取りあえずの功を奏したかに見えた4月頃の韓国は、(K-POPにあやかったブランディングとして)「K防疫」を高らかに宣言するなど、高揚感に包まれた時期だった。ただしここで注意しなければならないのは、その主語が「文政権」ではなく、「韓国」だった事である。つまり、彼らは世界各国がコロナ感染爆発で苦慮している中で、「世界に先駆けてコロナ対策を成功させた国=韓国」という自己認識を持つようになったわけである。
 当時、コロナ対応でPCR検査を積極的に進めて防疫を図る韓国と、検査の拡大に躊躇する日本のコロナ対応の結果は明確に分かれ、結果、韓国の人々は自らの対策が日本よりも優れている、と感じるようになった。しかし重要なのはそこではない。同じ頃、欧米でも感染が急速に拡大し、彼らはこれに対しても自らの優位を実感するようになったからである。
 これまで韓国は、(日本を含めた)欧米先進国を「学ぶべき国々」と考えて、自らのロールモデルとしてきた。しかしコロナ対策に関しては、「韓国型が世界一だ」との認識が生まれ、その高揚感が4月から5月ごろにはあふれることとなった。
 折しもトランプ大統領が、今秋のG7に韓国を招待することを表明した(2020年5月末)。(これまでの経緯から見て)韓国ではこれを歓迎する声が広がるであろうと思われたが、事態は必ずしもそう運ばなかった。かつて2008年の洞爺湖サミット(G8)の拡大会議に李明博大統領が招待されたときは、同大統領は福田康夫首相に大きな感謝を表わしている。2010年秋にG20首脳会議が韓国で開催されたときは、これに合わせてテーマソングが作られ、オリンピック開催を思わせるような「お祭り騒ぎ」も繰り広げられた。しかし、今回のトランプ大統領のサミット招待においては、その真意が必ずしも不明確な事もあり、必ずしもこれを歓迎しない雰囲気が流れている。
 韓国はこれまで「先進国クラブ」に入ることを目指してきた国だ。1996年にOECDに加入、2010年にはOECD傘下の開発援助委員会(DAC)に入り、被援助国から援助国に転換した。1988年にソウル五輪を開催し、1992年に大田万博を開催したように、甞て日本が歩んだのと同じ道筋を歩んできた訳で、その道筋は、多くの新興諸国がその経済的成功にも拘わらず異なる道を歩もうとしているのとは対照的なものとなっている。
 その様な「古い先進国モデル」を追求してきた韓国にとって、本来なら、トランプ大統領によるG7招請提案は、ありうべきゴールの一つであり、国民が拍手喝采でこれを迎えても不思議ではなかった。しかし、そうならなかった事に今の「韓国の現実」が存在する。
 例えていうなら、現在の韓国の立ち位置は、80年代前半、バブル景気直前の頃の日本のそれに近い。つまり、自らが先進国の隊列に加わった事には、多くの人が確信を持つ様になり、国民はある程度の自信を持つ様になった。しかし、だからこそ、今後どのような方向に進むべきか、そして進む為にはどうすべきなのかは、彼らには次第にわからなくなっている。甞ての日本の歩みと比べると、その過程は更に圧縮して進行しており、その事が彼らの直面する問題を更に複雑なものとしている。

(3)米中対立の中の韓国

 さて、日本の言論では、国際関係の中の韓国について、「米中対立の激化によって韓国は(どちらにつくのかの選択を迫られるような)厳しい状況にある」との論調が多い。もちろん韓国の保守論壇の中にはそのような主張も見られるが、とはいえ、実際の韓国の状況は日本で言われるほどせっぱ詰まっている訳ではない。何故なら、彼らの多くはそもそも現在の米国は国内問題で手いっぱいで、トランプが再選されるかどうかもわからない。だから現段階で一喜一憂する必要はない、と考えているからだ。
 その一例が、今年2月ごろから再度登場した(昨年秋に一旦収まった)日韓GSOMIA破棄論である。そもそも韓国が韓国がこれを昨年秋に破棄にまで踏み切れなかったのは、米国の立場への配慮のためだった筈だ。にも拘わらず、再度この主張が登場する、という事は彼らが現在の米国からの圧力を、昨年秋よりも小さなものだと考えている事を意味している。同様の事は中国についても言える。中国もまた香港問題や対米関係で手いっぱいだから、韓国に対して積極的な手は打てない、という訳だ。
 重要なのは、日本では米中対立が激化して今後どう展開していくのかといった議論ばかりが取り上げられがちだが、世界は必ずしもその様な方向でのみ動いている訳ではない、という事だ。例えば、韓国のみならず、多くの東南アジア諸国は現在の状況の中、洞ヶ峠を決め込んでいるように見える。そもそも米中対立の中で、全ての国がどちらの陣営に付くべきなのかを決定しないといけない訳ではない。「米中のどちらを選ぶのだ」という視点自身が、常に日本社会の大きなバイアスの産物なのである。
 日本における「米中対立の中の韓国」に関する論調にはそれ以外のバイアスも大きい。例えば「文政権は左派だから中国寄りだ」という論調もその一つである。その事は、先立つ保守の朴槿恵政権がどの様な政策を取っていたかを想起すればわかる。この政権は、とりわけ支持率の高かった前半期に明確な中国重視政策を取っていた。背景にあったのは、中国経済に多くを依存する韓国財界の意向であり、朴槿恵政権は財界と近い保守派政権だからこそ、中国重視政策を取っていた事になる。逆に進歩派の文在寅政権は財界と敵対的な関係にあり、その圧力から自由に対中国政策を決める事ができる。そして、だからこそ実際、早期に華々しい中国訪問を果たした朴槿恵とは異なり、文在寅は中国に対する活発な外交を未だ行ってはいない。つまり、韓国の対中政策を左派だから中国に好意的、右派だから敵対的、と見るのは、日本国内のバイアスに歪められ、彼らの国内事情を無視した議論だ、という他はない。
 そもそも考えてみれば、ロシア、インド、オーストラリアという他の顔ぶれを見て明らかな様に、トランプ大統領が今秋開催予定のG7に韓国を含む4カ国(その後ブラジルが加わって5カ国)を追加招待することを表明した背景には、対中政策で自分の側につく国を少しでも多くしたいという思惑があった。何故なら、会議の主催者が自らに反対するかも知れない国家をわざわざ追加的に招請する筈はないからだ。米中対立において「踏み絵を踏ませる」為に韓国を呼び寄せた、という観測も流れているが、であれば、文在寅を単独で呼び寄せればいいだけである。ただでさえ新型コロナ禍により議題満載のG7にそれだけの理由で呼び寄せる程のアメリカにとっての大きな重要性が、韓国にあるとも思えず、それでは逆に韓国に対する過大評価になってしまっている。
 さて、米中対立以外に、韓国外交において重要なポイントがある。それはコロナ禍の蔓延により、韓国国内のみならず、国際社会においても、人々の関心がコロナ対策とその住民の健康管理に向かい、逆に対外政策の優先度が極端に低下している事である。つまり、文政権としては、コロナ対策さえを無難にやっていけば、残りの任期も乗り切れる状況が生まれている。そして当然の事ながらそこにおいて対外政策が、優先度の高いイシューとなっている筈がない。
 一般に我々は、他国の対外関係については、自国との関係を中心に考える傾向があり、故に恰も問題となっている他国の外交政策において自らとの関係が大きな比重を持っているかのように錯覚しやすい。しかし、相手国の事情を正確に把握しないと、誤まった認識に陥りかねない。我が国の韓国に対する見方のずれは、このメカニズムを典型的に示している事例だという事が出来る。

(4)新たな外交の展開

 さて、この様な状況下に置かれた文政権の対外関係の基本的関心は、よく知られている様に何はともあれ北朝鮮に向けられている。しかしながら、現段階では北朝鮮との早期の関係改善は難しく、状況は寧ろ悪化を続けている。だからこそ、文在寅政権はできるならこの対外政策においても、異なる部分で突破口を見出したい。ここで注目される動きを見せているのが東南アジア諸国との関係である。
 もちろんこれまでも文政権は「新南方外交」と称して、文在寅大統領が東南アジア諸国を歴訪するなどアプローチを進めてきた。しかし、昨年までの段階ではその名実は掛け声倒れに終わっており、政府に近い人物からすら「当面の目標は大統領がアセアン全加盟国を訪問する事だけだ」とする、些か皮肉な声すら上がっていた。
 しかしながら、コロナ対策での相対的な成功の自認は、文在寅政権をしてこの成功を世界にアピールする事で自らの存在感を発揮しようとする動きに繋がる事となっている。その典型的な表れは、コロナ対策のノウハウの援助を、AIIBを通じて行うとした表明である。そこには中国を中心としたAIIBを利用して、自ら自身の存在感をこの地域において強めようとするしたたかな計算が存在する。
 重要な事は、この様な状況下で、韓国政府の外交的視野がこれまでよりも、少しずつ広くなっている事だ。文在寅政権を含むこれまでの韓国の歴代政権の外交は、主として朝鮮半島を中心とする北東アジアの狭い範囲にのみ、その主たる関心が限られており、それこそが東南アジアからさらにインド洋やペルシャ湾をも視野に入れた日本外交との大きな違いの一つとなってきた。しかしながら、新型コロナ禍を巡る状況下、米中の圧迫から相対的に自由になった韓国の外交は少しずつその視野を広げようとしている。
 そして、この様に韓国の関心領域が広がっていくことは、彼らにとっての日本への関心が相対的に減少する事を意味しており、歴史認識問題で対立する我々にとって必ずしも悪い事ではない。何故なら、それにより彼らの日韓問題に対する考え方が、他国の反応をも視野に入れた柔軟にものになる可能性があるからだ。
 さて、その様な文在寅政権の対外政策を考える上で、もう一つ重要なのはそもそもの韓国の進歩派の性格である。よく知られている様に、今の韓国の進歩派の中核を占めるのは「86世代」と呼ばれる、1960年代生まれで80年代に学生運動に従事した世代である。よく知られている様に彼らは、当時韓国に急速に流入した北朝鮮の「主体主義」や、当時の世界経済を巡る議論において重きを占めていた「従属理論」の洗礼を受けた世代であり、そこにおいて強調されるのは、未だ続いていた米ソ両超大国間の冷戦の中で、東西どちらかの陣営に付くのではなく、「主体性」或いは自らの「独立的地位」を保つべき事であった。
 だからこそ重要なのは、その様な考え方を基礎とする、彼等、韓国の進歩派は、今日の米中両国の対立においても、同様の志向を有している事である。即ち、彼らが甞て影響を受けた北朝鮮自身がそうであるように、韓国は米国からも中国からも距離を置き、独自の立場を維持するべきだ、というのが、その考えの基盤になっている。そこには社会主義的要素より、はるかに民族主義的要素が多く、この様な彼らの考え方は、保守派が米国の庇護を安全保障上必要と考え、強い民族主義的主張を打ち出しにくくなっているのとは、好対照になっている。

2.今後の日韓関係:「ウェット」から「ドライ」へ

(1)険しい関係修復の道

 さて、次に日韓関係に話を移してみよう。近年の日韓関係の悪化を説明する際、筆者はこれまで悪化の背景には、グローバル化の進展により、両国にとっての日韓関係の重要性が低下している事があり、その結果として両国間に潜在していた歴史認識問題が頻発しやすい状況が生まれているのだ、と指摘してきた。つまり、重要性の低下位により、歴史認識問題を巡る複雑なイシューをコントロールしようという意思が失われ、結果として紛争が起こりやすくなる、という説明である。
 とはいえ、ここで一つ興味深い現象が起こっている。両者の重要性が低下しているなら、互いへの関心もこれにつれて低下するのが当然である。しかしながら、昨年夏の日本政府による輸出管理強化措置発動以後、一時期、日韓両国では互いの非難のヒートアップと、異常なまでの関心の高まりがみられる事となっている。
 とはいえ、それはこの様な状況を齎した日本政府による輸出管理強化措置が、大きな経済的効果を持っていたからではなかった。輸出管理強化措置発表から1年経った今日既に明白になっているように、この措置は韓国経済に殆ど何の影響も与えなかった。サムスンやLG等の半導体産業の生産がこれにより遅滞する事はなかったし、韓国経済全体に統計的に観測可能な程のマイナスの影響も見られなかった。
 にも拘わらず、日本国内では一時期、主として韓国に対して否定的な人々の間から、これにより歴史認識問題で韓国を屈服させられるのではないか、という期待が広がり、逆に韓国の側では「日本が輸出管理規制=経済制裁によって韓国を危機に陥れようとしている」という懸念が広がった。そして言うまでもなく、この様な懸念は、韓国における「日本製品ボイコット」へと連結した。つまり、韓国の人々は韓国の人々で、このボイコット運動により日本に対して圧力をかけ、その政策を変更させようとした訳である。
 しかしながら、韓国側の「日本製品ボイコット」も日本社会に大きな影響を与えなかった。否、こちらの方は西日本を中心とする地域の韓国人観光客が激減するなど、経済的には目に見える効果は存在した。とはいえ、それにより韓国に対する強硬な日本の世論が変化する事はなく、結果として日本政府もまた韓国への措置を継続した。つまり、両国は互いの影響力に期待をかけ、それに裏切られた。それが昨年夏以降の状況だと言えた。
 そして今年はコロナ禍が、更に関係を悪化させる効果を齎している。ウイルスの蔓延を恐れて両国政府は互いの行き来を大きく制限し、当然の事ながらその中で、互いに対するビザ免除措置も停止された。そもそも日本側の韓国に対するビザ免除措置は、愛知万博開催に合わせて、本来2005年3月から9月まで期間限定で実施されたものであり、その後、翌06年2月まで延長、翌3月から無期限、という形で段階的に拡大されてきたものだった。そしてだからこそ、これを何時どの段階で、そしてそもそも元に戻すべきかは決して容易な議論ではない。日韓関係が悪化し、人々が関係改善への期待を失う中、つい最近まで当たり前に存在した交流すら失われた。我々はまずはこの当たり前の交流を回復できるか否かの瀬戸際にすら立たされているのである。

(2)歴史認識問題も日本抜きで議論

 さて、この様な日韓関係の衰退、ともいえる状況は、韓国における歴史認識問題の展開にも影響を与えている。典型的な現象は、慰安婦問題に関連して、韓国内でその運動をリードしてきた正義連(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯、旧挺対協)をめぐる状況であろう。この正義連と一部の元慰安婦との間の対立は、仮に韓国社会が日本に対して一致団結しなければならない状況下では、まず出現不可能であったものである。にも拘わらず、彼らが対立し、分裂するのは彼らが、日本からの圧力を重要なものとして感じていないからに他ならない。つまり、焦点は韓国内の主導権争いであり、日本との間の対立への配慮は二の次になっている。
 だからこそ文政権もまたこの問題に積極的に介入しようとしない。何故なら正義連を巡る対立が、彼らの対日政策への大きな障害となるとは考えられていないからだ。そしてこの様な状況は同時に、甞ては圧倒的な力をもって歴史認識問題をリードしてきた運動団体の顕著な勢力低下をも意味している。甞てなら、これらの運動団体に異議を唱えれば、彼らは運動団体側に「日本を有利にする裏切者だ」というレッテルを貼られかねなかった。しかしながら、今の韓国ではこの様な運動団体側のレッテル貼りは大きな効果を持たなくなっている。何故なら、韓国国内での日本の影響力が小さくなり、この様なレッテル貼り自体の説得力が失われるに至っているからである。

(3)過渡期世代から民主化世代へ

 文在寅大統領は、今日の北朝鮮が支配する領域から、朝鮮戦争中に無一文の状態で韓国側に渡り、その後苦労した父親の体験を、自らのものであるかのようにして育った特殊な経歴を持っている。そうしてみた時、朴槿恵大統領と文在寅大統領は、ともに父親の経験にこだわりがあり、また朝鮮戦争後の焼け跡の記憶がある「過渡期世代」だと言う事が出来る。父親への姿勢に対する違いはあるにせよ、彼らは共に反共主義色強い教育を受けた「李承晩の子どもたち」といってもいい人々である。その意味では彼らは共に民族主義的であり、その点において彼等以前の日本統治下で教育を受けた世代とは大きく異なっている。
 しかしここから続く次の大統領達は、必然的にそこから更に後の、朝鮮戦争の記憶の薄れた世代に属する人々によって争われる事になる。当然の事ながら彼らにとって、朝鮮戦争後の廃墟や北朝鮮の話は「親から間接的に聞いたもの」でしかなく、北朝鮮問題の比重は下がっていく。逆に彼らにとって重要なのは、幼い頃の朴正熙政権、とりわけその後半の維新政権下の記憶であり、また1980年の光州事件から1987年の民主化に至るまでの、長い民主化運動の記憶である。同時に彼らは冷戦後に社会に出た人々であり、その中には海外留学経験のある人も多い。必然的にその視野が朝鮮半島に狭く限られた世代とは、その対外関係への視野はより広いものとなるだろう。他方、民主化運動に対する愛着の強い彼らは同時にイデオロギー的性格が強く、対外関係でも違った色が出てくるだろう。国内政治では、民主化運動への愛着の強い彼らの世代では、より激しいイデオロギー的対決が見られることになるも知れない。

(4)民意を基礎におく韓国の直接民主主義

 さて、話を文政権に戻す事にしよう。総選挙で基盤を固めた文政権は、今後状況さえ許せば、更に彼らの目指す「改革」へと舵を切っていく事になるだろう。これまで文政権は、これまでの韓国の民主化を阻んできたのは、甞ての日本植民地支配への協力者の流れを引く「親日派」の末裔であり、軍事政権を支えた勢力である、としてこの「親日残滓」の清算を求めて来た。そして彼らによればこの「親日残滓」の最後の砦が検察であり、だからこそこの検察の改革こそが、極めて重要なものとなっている。
 とはいえ、この様な韓国の「改革」の在り方は、政治や社会の仕組みが異なる日本から見れば異質に見える。例えば、日本の検察制度では、人事や捜査等において、政治が関与することも望ましくないものとされて来た。例えば、法務大臣には検察に対する指揮権が法律上与えられているが、その権限の行使はわが国では慎むべきものとされている。
 一方、韓国では、民主主義においてはそこで示された国民の意思に、国家機構が従うのは当然だ、という考えが主流を占めている。だからこそ、検察の人事が国民によって選ばれた政府により動かされるのは当然であり、また、その捜査にも国民の意思が反映されるべきだとされる。結果、韓国では政府が検察の人事や捜査に頻繁に介入し、これに抵抗する検察と厳しく対立する、という図式が出現する。
 そして、韓国においてはこの様な状況がICT革命と同時進行する事になっている。新型コロナ禍への対策に見られた様に、韓国では依然から住民登録番号(日本のマイナンバーに相当)を通じて、組織的な住民管理が行われている。だからこそ、保守であれ、進歩であれ、政府を握る勢力は、この巨大な力を手にする事になる。
 そして、この様な状況を人々の声が後押しする。例えば、朴槿恵大統領弾劾の時に叫ばれたのは、「国民の要求だから、朴槿恵は辞任せよ」というスローガンだった。これは法律論ではなく、国民の要求は貫徹されなければならない、とする彼らの考え方が直截に表れたものである。文政権はこの運動の直後に生まれた政権であり、ある意味で、この声に忠実に自らの政治を行っている。彼らが時にプライバシーにかかわるかのような新型コロナ患者に関わる情報を積極的に公開し、それが許されるのも、究極的にはそれを国民が望んでいるから、なのである。

(5)日本とは「異質な」民主主義の国=韓国

 重要な事は、以上の様に同じ民主主義国であっても韓国と日本は多くの点で、その前提を異にしている事である。とはいえそこで「韓国はおかしい」「日本と同じであるべきだ」と考えるなら、我々はそこで大きな間違いを犯す事になる。例えば、我々は中国やサウジアラビアに対しては、その社会制度や法律、更にはものの考え方が我々と大きく異なっていても、彼等が我々と同じであるべきだとは考えない。しかしながら、我々は韓国に対しては同じように考えない。つまり、我々は韓国に対してだけは、彼らが日本と同じ様に政治を行い、社会を運営し、外交を展開「すべきだ」と考える。そこには韓国に対する強いバイアスがあり、同時にそのバイアスは我々の韓国に対する「甘え」を意味している。
 実際の韓国は我々とは異なる前提の上に立つ社会であり、彼らがそれらの前提を持つに至った背景には、彼らがこれまで辿って来た道のりがある。そしてだからこそ、彼らは日本からこれに異議を唱えられようと、また時には圧力をかけられようと、今さらこれを簡単に変えることはない。それは我々の社会の前提が、韓国の人々が日本製品をボイコットし、観光客を引き上げられても変わらないのと同じ事である。
 日本がアジアにおいて圧倒的な経済力を持ち、その巨大な力により、彼らの社会の前提にまで圧力をかけ得る時代は、確かに過去には存在したかも知れない。しかし、グローバル化が進み、甞ての先進国と途上国の間の国力差が大きく減少した今日では、その様な状況は影を潜めてしまっている。強大なアメリカが圧力をかけても、小さな北朝鮮に核兵器を放棄させる事すら難しい時代、30年にも及ぶ経済的低迷と人口減少に苦しむ日本が、G20の一角にまで上り詰めた韓国社会の前提を、自らのみの力で変えさせる事など不可能なのは明らかである。
 だからこそ、我々は他の多くの国に対して行っている様に、韓国に対してもこれを我々と異なる前提の上に立つ存在である事を率直に認め、その理解の上に改めてその対策を考えなければならない。自らの力とそれが与える影響への過剰な期待は、外交的判断を誤らせるだけの意味しかない。ドライに突き放した上で自らに何ができるか、から考える事が重要になのである。

(2020年6月4日、インタビュー内容を整理して掲載)

政策オピニオン
木村 幹 神戸大学大学院教授
著者プロフィール
1966年生まれ。90年京都大学法学部卒。同大学院法学研究科修士課程修了。その後、愛媛大学講師、神戸大学大学院国際協力研究科教授を経て、2017年より同大学アジア学術総合センター長を兼務。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。この間、オーストラリア国立大学客員研究員、ワシントン大学客員研究員、高麗大学校国際大学院招聘教授、第1次・第2次日韓歴史共同研究委員会研究協力者・委員等を歴任。NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。主な書著に『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識 朝貢国から国民国家へ』『朝鮮半島をどう見るか』『民主化の韓国政治 朴正煕と野党政治家たち』『日韓歴史認識問題とは何か』他多数。
韓国の人々は我々とは異なる現実の上に生きており、だからこそその現実を直視した「ドライ」な姿勢が求められる。

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