貧困削減の政策とは ―SDGsの達成に向けて―

貧困削減の政策とは ―SDGsの達成に向けて―

2019年11月14日

はじめに

 世界銀行が2000年に発行した年次報告『世界開発報告』(World Development Report)は、貧困について特集した。このとき、貧困に対する見方に大きな転換が起きた。もちろん世界銀行の報告書における転換であり、どの程度に世銀その他の方針に反映されたかは別の話だが、少なくとも研究者のあいだではこの報告書をきっかけとして世界中で様々な議論が交わされることになった。
 もう少し遡れば、『世界開発報告』はその10年前の1990年に初めて貧困をテーマに取り上げた。そのときの表紙は黒色の背景に白字で「Poverty」(貧困)と書かれていて、非常に印象が強かった。そして当時打ち出された貧困に対する発想が、現在でも基本の考え方として引き継がれている。
 「貧困削減」という言葉は、例えば誰かが貧困の全体像を客観視して「貧困状態の人が何%いるから、これだけ減らさなければいけない」といった見方を反映している。しかし、それを当事者の視点で見ると「どうすれば貧困から脱出できるか」という見方に変わる。そこに焦点を当て、当事者が所得を増やすために広い意味での「資産」(人的資産なども含めて)がどれだけ収益を生むかという視点から初めて貧困問題を定式化したのが、90年の『世界開発報告』であった。
 そして収益をどれだけ高められるかというとき、ビジネスや雇用の機会がどれだけ提供されるかという観点から、「経済全体の状況が良くなることが貧困の克服にも貢献する。したがって経済成長が重要だ」というストーリーが90年の時点で成立した。おそらくこれが世界の主流派の理解となり、それ以降、現在に至るまで定着している。主体としての当事者の視点で捉えることは容易ではなく、環境条件のみに注意を向け「経済成長により貧困を削減する」といった発想が取られがちである。
 近年になって、現在も貧困状態にある人がどうすればそこから脱却できるのかという問題に焦点を当てない限り貧困削減の全体像を語る術がない、という認識が広がりつつある。潮が満ちればすべてのボートが高いところに浮かぶという比喩のように、経済成長すれば貧しい人でも豊かになりうるのは事実だ。ただし、現在でも残されたままの貧しい人たちは、実際にそれが起きないために未だに貧しいままなのだという認識が重要である。

 

1. 貧困率の推移と予測

1.1 長期の趨勢
 図1は、1820年~2015年までの貧困の長期的趨勢を示したグラフである。世界全体の全人口に対して1日2ドル未満で生活している人の割合を黄色、1日1ドル未満で生活している人の割合を赤色で表している。貧困に関わる専門家のあいだではこれが最善のデータとして受け入れられている。
 当初、世界全体の貧困推計が出された頃は1日1ドル未満が基準としてもっともよく用いられていた。それが1980年頃から黒色で示した1日1.9ドル未満という基準が用いられるようになった。これらの推計はどの年を基準に計算するかによってズレが生じるが、歴史上の大きな趨勢としてこのような「貧困の削減」が起きていて、特に近年はそれが急速になっていることがわかる。


 イギリスで近代の経済成長が始まったのち、それに続いて豊かになった国々で貧困がどのように推移したかを表したのが図2である。現在は貧困のない先進国であっても、歴史を遡ればかなり貧困率が高かったことがわかる。その限りでは、現在は豊かである先進国と途上国が異なるという根拠はないともいえる。

1.2 近年の推移
 図3は、途上国や先進国を含め、全世界の人口がどのくらいの生活水準にあるのかを五つの区分で表したものである。一番下の青で示された部分が、現時点で用いられている貧困基準である1日1.9ドル以下(2011年の購買力平価(PPP)に基づく)で生活する人の割合である。これは、図1の黒線で示された部分に相当する。


 それに対して、図4は世界人口を絶対数で示している。2015年時点で、比率としては世界人口の10%が1日1.9ドル以下で暮らす貧困層である。1日1.9ドル以下というのは非常に厳しい貧困基準であり、SDGsなどにおいてはこの層を「極度の貧困」(extreme poverty)と呼んでいる。
 ただし、その上の赤色の層の1日1.9~3.2ドル以下もかなりの貧困状態である。どのくらいの生活水準を貧困とみなすかは議論の余地のあるところだが、日本語の「貧困」という言葉と比べて、英語の「poverty」には「あってはならない状態、何とかしなければならない状態」という含意が強く伴っている、と思われる。いずれにせよ、世界人口に対する割合でも、あるいは絶対数においても、貧困は削減されてきたことがわかる。


 図5は、1990年と2013年の全世界の所得分布を比較したものである。1日あたりの所得1.9ドル未満を比べてみると、明らかに減少していることがわかる。1.9ドル未満の貧困層が三段階に分けられているが、どの段階でも絶対数は減っている。逆に増えているのは、1.9ドル以上の二つの柱(1.9ドル~4ドルおよび4ドル~10ドル)で示された部分である。さらに所得の高い層でも緩やかに増えている。
 これらのデータの趨勢をみると、極度の貧困を根絶するのは可能ではないかと思えてくるだろう。しかし、実際にはそれほどうまくいかない。確かに、絶対数では図3に示されるように1日1.9ドル未満で暮らす人の数は1990年の19億人から2013年には7億6900万人にまで減っている。顕著な減少と言ってよい。したがって、次の段階でこの残された7億6900万人が同じように減っていけば極度の貧困の根絶が達成される、ということだ。そのように期待してよいであろうか、この点については後述する。


 図6は、消費水準の低い層の人々が1日あたり何ドルで生活しているかを推計したものである。一番上の線は途上国のすべての人の平均値だが、2000年以降、急激に上昇していることがわかる。それに対して、上から2番目の線は2005年価格を基準として1日あたり1.25ドル以下で生活する人々すべての平均値であり、ほとんど水平に近い。一番下の線は、その中でも最下層の貧困状態にある人々の1日あたりの消費水準である。
 要するに、本当に貧しい人々はきわめて厳しい環境に置かれていて、1日0.5ドル程度で暮らしている。1.25ドル以下という基準でも本来「あってはならない」レベルの貧困である。しかし実際には貧しい人々はさらにその下のレベルにいて、しかもその中でも最低レベルにいる人々は30年以上たっても生活水準がほとんど変わっていないのだ。絶対数としては減っているが、最貧層の生活水準は変わっていない。そのように考えると、現在の基準でいう1.9ドル以下で暮らす人々が、本当にこれから全体の趨勢とともに減っていくのか疑問である。

1.3 地域別の推移と予測
 その問いに対するひとつの答えが図7である。1981年~2015年にかけて1日1.90ドル以下(2011年価格基準)で生活する人口の推移を地域ごとに表している。黒色が世界全体で、極めて大きな変化が見られるのが赤色の東アジア・太平洋地域である。その中でも中国の存在が大きい。80年代初頭には極度の貧困が80%を超えていたが、2015年には数%にまで減少している。
 次に大きな変化が見られるのが黄緑色の南アジアで、1981年の56%から2015年の17%程度にまで減少した。南アジアには、近年、貧困削減が加速しているインドが含まれる。
 それに対してサハラ以南アフリカはどうか。比率としては下がっているともいえるが、2015年の時点で40%を上回る水準にある。単純に時を追っての趨勢を図で見ると、かつてインドがそうであったように、貧困削減が急に加速することがないとは言えない。


 極度の貧困状態にある世界人口の絶対数を地域別に見たのが図8である。2015年以降、2030年までの予測も示している。東アジア・太平洋は2015年ですでに極度の貧困は終息している。南アジアにはまだ極貧層が多いが、2030年までにほぼなくなると予測されている。
 それに対して、前述のサハラ以南アフリカは比率としては低下しているが、人口増加率が高いため絶対数ではこれまで増加傾向にあり、今後も減少しないと予測されている。図ではSDGsの目標年である2030年になっても世界で5億人が極度の貧困状態に置かれたままだが、事実上そのほぼすべてがサハラ以南アフリカで占められている。2030年の世界人口推計値は85億人程度であり、比率としては約6%が極度の貧困ということになる。


 国連は2030年までに極度の貧困を根絶(eradicate)することを目標にしている。それに対して、世界銀行は3%にまで削減することを目標値に掲げている。そこには2つの配慮がある。ひとつには、いま貧困者として残されている人々を実際に貧困から脱出させていくのはきわめて困難な取り組みだ、という実態認識がある。もうひとつは統計誤差である。実際に貧困がゼロになっても、統計誤差で3%という数字が出てくることがありうる。国連の目標値にどこまでこだわるかという問題だが、目標数字自体よりも、このような現実を直視して最大限の努力をすることが肝要であろう。

1.4 観察と考察
 上に見た2015年までの貧困率低下の趨勢は今後も続くであろう。現在の貧困率は10%程度である。ただし、貧困削減のペースは弱まると思われ、すでに2013年以降はその兆しも見られる。現在の人口は中国が約14億人、インドが約13億人であるに対して、サハラ以南アフリカは現在すでに約15億人、それが2030年には約40億人に達すると見込まれている。サハラ以南アフリカでも貧困層の中で状況の良い人々は貧困を脱出し貧困率の低下は起こると見られるが、人口の絶対数がこれから相当な勢いで増加するため、極度の貧困状態の人々は増え続けるであろう。
 インドや中国、あるいは南アジアや東アジアという広い地域についても同様に言えることだが、現象としてみれば成長が加速する中で貧困削減が起きている。そしてそれがかなり厳しい貧困状態にあった人々にまで及んでいる。しかし、果たしてサハラ以南アフリカでも同じ現象が起きるだろうか。どの程度の経済成長が見通せるのか、そしてそれによって極貧層がどこまで貧困から脱出する機会を得られるのか。その両方とも起きそうにないというのが図8の予測の背景にあるシナリオ、あるいはシナリオ不在なのである。
 一般に、成長が起きれば貧困削減が起きるという言い方をよく聞くが、それは論理上は正しい表現ではない。なぜなら、成長は図5で示された分布の平均値がどれだけ右に移動したかによって測られ、貧困削減はそのうち1.9ドル以下で生活する人々がどれだけ減ったかで測られる。同じ分布の変化をどのような見方で捉えるかによって、平均値の移動は成長とされ、ある基準以下の人々の割合の低下は貧困削減とされる。したがって、これを因果関係として捉えるのは間違いなのだが、経済成長によって貧困削減がもたらされるという考え方論じ方が広く行われている。
 世界銀行では、「Fragile and Conflict-affected Situations」(FCS、脆弱かつ紛争の影響を受ける状態)という表現を用い、この状態にある人々の貧困率の統計を発表している。それによると、FCSにある人々の間では貧困率が36%(2015年)という高さである。また、FCSにある人々は、全人口中の7%、全貧困者中の27%を占め、FCSにある人々の54%がサハラ以南アフリカに住んでいるとされる。現在のような状況が続く限り、FCSにある人々、特にサハラ以南アフリカでFSCにある人々、の貧困はなくならないと見られる。
 一人のひとが一世代で継続して貧困状態にある場合(「世代内慢性貧困」)もあれば、それが世代を超えて再生産される場合(「世代間貧困連鎖」)もある。貧困削減の政策を考える際には、そのどちらに焦点を当てるかによって違いが生じる。
 根深い貧困に陥るのは、以下のような要因が考えられる。

○不利な地勢・地理要因(僻地農村)
○不利な気候・生態要因
○不利な主体(体力・知力・態度)要因
○不利な社会(民族・文化・言語・差別)要因
○多産の傾向
○情報へのアクセスの欠如
○社会サービス(教育・保健)へのアクセスの欠如
○金融サービス(融資・保険)へのアクセスの欠如

 「不利な主体」の中に「態度」とあるのは英語では「agency」という言葉に対応する。一般の表現では「生きる力」を、固い表現を使えば「自己決定」「自己管理」などを、意味する。単に技術面の能力ではなく、自己決定や自己管理をしようとする精神面も含めた姿勢・能力を言う言葉である。主体として貧困を脱出する意欲を持ち得るかどうかが鍵であり、そしてそれを外部からどのように支援できるかが重要である。
 その他、国によっては民族・人種の面で少数派であることや、カーストなどの制度による差別が不利に働いている場合もある。これらは周囲の環境との関係に関する要因である。
 また貧困状態の人には多産の傾向がみられ、アフリカでも貧しい人ほど子供が多い。かつては乳幼児の死亡率が高いことも多産の一因であった。乳幼児死亡率は近年低下しつつあるが、出生数が減っていないために人口が増加している。
 いずれにしても、こうした多数の不利な要因が同時に存在し、貧困であるがゆえに貧困から抜け出せない“貧困の罠”が存在する。一つ、二つの問題であれば外部からの働きかけで何とかなるかもしれないが、これだけ不利な要因が重なってしまうと悪循環に陥って容易には貧困から抜け出せない。

 

2.貧困脱出支援のための政策

2.1 経済成長政策によるTrickle-down
 貧困脱出支援のための政策として、まず挙げられるのが経済成長政策によるトリクルダウン(Trickle-down)である。富裕層が豊かになれば、水が滴り落ちるようにやがて貧困層も恩恵を受けるという考え方だ。

2.2 条件付き現金供与 (Conditional Cash Transfer: CCT)
 近年主流になりつつある政策が「条件付き現金供与」(Conditional Cash Transfer: CCT)である。CCTは、子供を学校に通わせること、健康診断を受けさせること、あるいは母親が栄養についての知識を学んで子供の食事を改善すること、などを条件として現金を支給するという制度である。ただし、実際には家庭できちんと食事をとっているかは確認できないため、適切な食事について学ぶコースに出席するといったことが条件とされる。
 CCTは次世代に焦点を当てた政策である。現世代に現金収入があれば生活が良くなるのは確かだが、それが必ずしも貧困脱出につながるとは限らない。この政策が意図しているのは、現世代の貧困脱出ではない。
 中南米で大規模に導入されたCCTは、現在ではすべての途上国に拡がっている。条件をどれだけ厳しく設定するか、あるいは金額はどの程度にするか、など実際の運用は国ごとにかなり異なる。例えば、メキシコはCCTを大規模に導入しており、全人口の4分の1が対象とされている。国によっては、政治上の支持を得る目的で、その国の基準で貧困とは見なされない人々までもCCTの対象としている。

2.3 マイクロファイナンス
 マイクロファイナンスとしてはグラミン銀行が有名だが、小規模なものも含めて様々なサービスがある。ただ、現世代を対象にしたマイクロファイナンスで成功できる人は、実際には限られている。平均値で見れば成功といえるが、分布の平均は極端な成功事例があるとそれに引っ張られてしまう。まったく成功していない人が多数いても統計上ではかなりの成果を上げたと判断される。根深い貧困については、マイクロファイナンスにたどり着く以前の段階こそ重要だという認識が広がっている。

2.4 主体要因改善への支援
 主体要因の改善のための支援については、次世代を対象とする「条件付き現金供与」も一部それに該当する。主体要因の中でも、特に「体力」と「知力」の面での改善につながると期待されている。「態度」については後述する。

2.5 貧困世帯への多面にわたる支援パッケージの提供
 多数の不利に直面している場合には、資金提供など1つの支援だけでは「焼け石に水」になりかねない。「パッケージ」として支援を提供することが重要だ。もっとも大規模に成功していると評価されている事例として、バングラデシュのNGOであるBRACの「最貧層プログラム」がある。

2.6 移動への支援
 最後に、国内あるいは国境を越えた移動に関する支援である。移動するためには資金や情報が必要である。つてがあればそれをたどって移動できるが、なければ移動できない。そしてもうひとつ必要なのが雇われるための条件、すなわち知力、体力も含めた「employability」(雇用適格)である。結局のところ、移動できる人はそれほど悪い状態には置かれてないとも考えられる。日本で問題になっている技能実習生もブローカーに数十万円を支払って来日したりしている。逆に言えば、それだけのお金を払える人でなければ来日できない。
 移動できた人に関する統計をみる限り、移動した方がはるかに現金収入は増える。そしてその結果として家族や近隣への送金がなされる。国内でもそのような傾向があるし、海外に移動した場合はそれがケタ違いの規模で起きている。いずれにしても、移動によって極貧状態の人が直接に受益者になることは起きにくいといえる。
 近隣が潤うということに関しては、たとえば中米の国からアメリカに移住した人たちはアメリカで同じ国の出身者とコミュニティを形成し、母国のコミュニティを様々な形で支援する。その時の受け手のコミュニティがどの程度の規模かによって、どれだけの層がその受益者になれるかが決まる。「同郷」というとき、貧しさがそれほどではない人たちの範囲で閉じるのか、あるいは移民したくてもできない人たちまで受益者になるのか。
 なお、2.4主体要因改善への支援と2.5貧困世帯への多面にわたる支援パッケージの提供は極貧層の現世代に関わる政策であり、2.2 条件付き現金供与は極貧層の次世代の主体条件に関わる政策である。

 

3. 貧困緩和のための政策

 貧困脱出支援のための政策と同様に重要なのが、たとえ貧困を脱出できなくても少しでも貧困を緩和するための政策である。

3.1 アウトリーチによるサービス提供
 アウトリーチは、サービス提供という文脈でいえば、放っておけばサービスに自らアクセスすることのない人たちのもとに出かけてサービスを提供することである。出かけるという場合、相手の居所に行くこともあれば、役所での様々な手続きに同伴してやり方を教え、次回からは自分でできるようにすることも含まれる。これは支援として重要である。

3.2 条件なしの現金供与(Unconditional Cash Transfer: UCT)
 現金供与の目的を貧困からの脱出とするか、貧困の緩和とするかを明確に分けるのは難しい。現金供与に条件を付けなければ子供を学校に通わせようとしない親がいる。だから現金を供与する代わりに条件を付ける。これはある意味で取引きである。それに対して、現状のままでも貧困が緩和されるなら無条件で現金を供与するという考え方もある。
 アフリカのいくつかの国では実際にそれが行われている。条件を付けたとしても、実際に親がその条件に従っているかどうかを見守るのが容易ではないというのもひとつの理由である。そこに手間暇をかけるよりも、まず現金を与えてみる、多少の余裕ができると子供の将来のために投資しようという家庭が出てくるかもしれない、という考え方である。

3.3 雇用機会提供(Workfare)
 雇用機会提供には2種類ある。非常事態が起きた時に当面の所得保障として雇用機会を提供する場合もある。また平常の状態が悪い人に常に雇用機会を提供する場合もある。後者を行っている国のひとつがインドである。いくつかの州の憲法にはそれが規定されていて、ある条件を満たす貧困者には雇用機会を提供しなければならないとされている。また、いくつかの州ではベーシック・インカム制度を導入する動きもある。

3. 4 生活状態改善への支援
 政策として大規模に行われているものではないが、経済面での貧困を前提としたうえで少しでも生活状態を改善していこうという支援もある。個々にみれば非常にささやかな取り組みが行われている。一般に「政策」という言葉を狭く捉えれば、政策主体は「政府」である。しかし、ここではもう少し広く捉えていて、外部から関わる様々な機関・団体の方針を指している。

 

4.SDGs ゴール1は達成できるか?

 最後にSDGsについて述べる。SDGsのゴール1は「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」(End poverty in all its forms everywhere)である。では「あらゆる形態の貧困」とはどういうことか。これは1.1~1.5の5つのターゲットから推測するしかない。


 これらのターゲットのうち、1.1は世界全体の目標である。2015年の時点では、2008年を基準とした1.25ドル以下を極度の貧困としていたが、その後、世界銀行が2011年を基準とした1.90ドル以下を極度の貧困としたため、1.90ドル以下と語られるようになった。1.2のターゲットには「各国定義によるあらゆる次元の貧困状態・・・を半減させる」という表現があるが、これについては実際にはほとんど議論されていない。
 1.3では社会保障に関わることが挙げられている。貧困状態の悪化を防ぎ、また貧困脱出の支えとなる、ことが期待されている。1.4の基礎サービスや金融サービスも同様である。また1.5では「強靱さ」(レジリエンス)への言及がある。しかし総じて1.1のみが注目が集まりされ、それ以外は十分に語られないまま現在に至っており、このまま2030年に至るのかと思われる。
 ただ、最後の1.bは言葉としては「貧困撲滅のための行動」に対してきちんと投資すると書かれている。本来、「行動」(actions)は現実の世界での実際の行動を表す言葉だが、計画を立てただけでも行動であるかのように表現されていることがあり、文書上の行動計画が適切に実施されるとは限らない。貧困削減のためには、「行動」が現実世界での実際行動として実現されることが肝要である。
 SDGsには個別の目標に先立って前文があり、宣言がある。宣言4を外務省訳で引用する。

4.(誰一人取り残さない)この偉大な共同の旅に乗り出すにあたり、我々は誰も取り残されないことを誓う。人々の尊厳は基本的なものであるとの認識の下に、目標とターゲットがすべての国、すべての人々及び社会のすべての部分で満たされることを望む。そして我々は、最も遅れているところに第一に手を伸ばすべく努力する。

 ここに、SDGsのビジョンとミッションにかかわる文言がある。

ビジョン:誰一人取り残されない(no one will be left behind)
ミッション:最も遅れているところに第一に手を伸ばすべく努力する(endeavor to reach the furthest behind first)

 2015年から4年が経過した今、先進国であれ途上国であれ、SDGsに署名をした各国政府は実際にどこまでこのような「努力」(endeavor)しているだろうか。このビジョンを真に実現しようとすれば、最後まで取り残されそうな人々に本気でアプローチしなければならない。そのような努力が強められることを望む。先に言及したBRACの「最貧層プログラム」など、参考にしうる成功例は存在している。

(本稿は、2019年7月9日に開催した政策研究会における発題を整理してまとめたものである。)

政策オピニオン
柳原 透 拓殖大学名誉教授・国際協力学研究科客員教授
著者プロフィール
1948年生まれ。1971年東京大学教養学部卒業、1976年イェール大学大学院博士課程修了。アジア経済研究所研究員、法政大学経済学部教授、アジア開発銀行研究所特別顧問、拓殖大学国際学部教授を経て、2018年より現職。この間、政府・国際機関の国際協力に関わる調査研究に数多く携わる。専門は、開発経済学、開発援助論、中南米経済。主な著作に“Challenges to Japan’s ODA under the Changing Climate of International Cooperation: A Case Study on Bolivia”『国際開発学研究』(2009年)、「「開発援助レジーム」の形成とその意義」『海外事情』(2008年)、『ボリビア国別援助研究報告書』(編著)国際協力機構(2004年)、『現代開発経済学』(共著)ミネルヴァ書房(2014年)、訳書に『貧困の経済学』(上・下)(2018年)など。

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