プーチンの世界戦略と日露関係の展望

プーチンの世界戦略と日露関係の展望

2020年4月15日

はじめに

 ロシアはグローバルな戦略を展開し、近年は特に中東で存在感を高めている。米中対立が本格化する中、今後のロシアの動きも注目される。本稿では、ロシアが外交・安全保障政策を実行する上で重視する価値観を紹介し、米露関係やロシアの拡大ユーラシア戦略などを概観した上で、日露関係を展望したい。

 

1.ロシアとは

(1)ロシアの自己認識

 ロシアの外交・安全保障政策の土台には「ロシアは大国でなければならない」という自己認識がある。歴史的にみれば、ロシアは世界の秩序を作る側にいた。モスクワ公国は15世紀末から400年間領土を拡大し続けた。ピョートル一世はバルト海を確保し、エカチェリーナ二世はクリミア半島から黒海への入り口を手にして、ロシアは欧州の大国として歴史の舞台に登場する。19世紀にはナポレオンに、20世紀にはヒトラーに攻められたものの最終的には勝利した。「大国」という自己認識は歴史的に形成された。
 一方、ロシアを取り巻く地理的環境には山などの大きな障害物がなく、絶えず近隣諸国からの脅威に晒されてきた。13世紀にはモンゴルによる侵略で多大な犠牲を被った。15世紀後半にはイヴァン三世が現在に続くロシアの土台を造ったが、その後もポーランド・リトアニア共和国やナポレオン、ヒトラーがモスクワやその近郊まで攻めてきた。「ロシアの大国性を国際社会に広く知らしめることで、自国の安全保障を確保できる」との考えを、自己認識とともに強く持つに至っている。
 「大国としての自己認識」と密接に繋がっているのが、「主権」への強いこだわりである。ここでの主権とは「他国政府や国際機関からの制限を受けることなく、独立した立場から対外政策を自由に決めることができる国家の権利」を意味する。注目すべきは、プーチン大統領が2014年以降、主権に対するこだわりを繰り返し言及している。プーチンはある国家の「主権」の度合いを、その国家が何らかの軍事・政治同盟に加入しているかどうかで判断する。たとえば、ドイツはNATOの一員であるので、ドイツはロシアからすれば、完全な主権国家ではない。米国との関係に依存する日本においては尚更である。
 ソ連崩壊後の急激な国力の衰えと歴史的なアイデンティティとのギャップは、特にロシアのエリートたちを苦しめた。そこで登場したのが「大国としてのロシアの復活」をアジェンダに掲げたプーチンだった。
 「プーチンが変わればロシアは変わる」という米専門家もいるが、それはおそらく期待できない。ロシアには、「米国と対等な関係を築き、旧ソ連諸国をロシアのジュニア・パートナーに位置づけたい」との考えがある。エリツィン政権は米国との関係改善を図ったが、その前提には中央アジアにおけるロシアの権益を米国が認めてこそ、との考えがあった。極端に言えば、プーチンはロシアのエリートがもつアイデンティティの象徴である。

(2)中長期的な戦略目標

 ロシアの戦略目標については、2011年10月のプーチンの発言が参考になる。「西側のパートナーたちは中国の脅威を言い立てて露を脅そうとするが、中国の野心は隣接領土の天然資源なんかではなく、グローバルな指導的地位を獲得することである。我々はこれについて中国と争うつもりはない。中国にはこの分野で別の競争相手がいるので、彼らの間で白黒つけさせれば良い」。
 「ロシアは大国でなければならない」という世界観の一方で、プーチンはロシアの国力の限界も理解している。米中という二大大国と世界の覇権を争う野心など毛頭ない。
 ロシアの中長期的な戦略目標は、米国や中国から政治的軍事的に独立した「真の主権国家」の立場を維持することである。そして、柔軟かつ臨機応変な外交・安全保障政策を展開することで、グローバルな大国としての地位を確保することにある。これはグローバルで指導的な立場、つまり覇権国家になるつもりはないが、「ロシアなりの大国」として存続し続けることを意味する。
 ロシアはしばしば「多極世界」を強調するが、その究極の目的は防衛である。ロシアが米国や中国との関係においてジュニア・パートナーの地位に甘んじさせられないためである。特に米国が一国主義的な振る舞いをすることで、ロシアの安全保障上の利益を損なうようなことがないように、米国一極の世界秩序の形成に抵抗するためである。近年では中央アジアへ進出する中国に対しての牽制も意図している。


 一方、ロシアに利があるのはユーラシアにおける地政戦略である。ロシアは三つの戦略的空間に面している (図1)。一つは冷戦以来、西側との戦略的な対立地域であった欧州。そして近年ロシアの影響力が高まっている中東アフリカ地域。さらに、同じく近年日米が強調するインド太平洋、あるいはアジア太平洋や南アジアなどの地域。ユーラシア地域において戦略的な展開をする上では、ロシアは米中よりも有利なポジションにある。米国はそもそもユーラシアの国ではない。中国の外交レベルはロシアほど広範囲に展開できる程度に至っていない。

 

2.米一極秩序の終焉とロシアの動向

 米国の一極支配終焉の引き金になったのは、ブッシュ政権の外交政策の失敗である。武力によるフセイン政権打倒はすでに核開発に着手していたイランの存在感を高めた。またNATOの東方拡大政策はロシアとの戦略的な衝突を招き、のちのジョージア紛争の要因となった。さらにリーマン・ショック以降、中国の積極的な対外政策があからさまになった。ここでは、ブッシュ政権以降の米国の外交政策(一部)と、それに対するロシアの動きを概観する。

(1)ブッシュ政権の欧州政策

①NATO拡大が引き起こしたジョージア紛争
 ジョージア紛争のきっかけは、2008年4月のブカレストNATOサミットにある。ウクライナとジョージアをNATOに加盟させるべく、ブッシュ政権は二カ国へのメンバーシップ・アクション・プラン(MAP)の付与を提案した。しかし、自国に内戦を抱えている国はNATOに加盟できないという不文律を理由に、ドイツは反対した。最終的に「MAPを付与しないが、将来的なNATO加盟を支持する」という玉虫色の結論に至った。その数カ月後に起きたのがジョージア紛争である。
 ジョージアはアブハジア南オセチアで内戦を抱えていた。ドイツに反対されたことで、ジョージアのサーカシビリ大統領は内戦終結に向けて実力行使を決断したという説がある。様々な回顧録を参照すれば、サーカシビリを煽った存在が米国関係者も含めて複数いたようだ。当時ロシアはジョージアとの国境付近で軍事演習を行い、サイバー攻撃を仕掛けるなどの挑発を繰り返していた。ライス米国務長官はロシアの挑発にならないように、サーカシビリへ念を押していたという。
 ライスやゲーツ米国防長官はロシアの専門家でもあり、ウクライナとジョージアにMAPを与えることにも反対だった。一方、チェーニー副大統領らは積極的だったが、最終的にはブッシュ大統領がMAP付与を決断した。ジョージア紛争はNATO拡大プロセスを止めただけでなく、その後のロシア台頭のきっかけになった。

②ロシアは対米協調から対立へ
 9・11テロ発生後、ロシアはいち早く米国に協力を申し出た。プーチンは米国との準同盟関係を目指したが、対テロ戦争における協力の条件として「旧ソ連諸国におけるロシアの特別な地位」を米国に要求した。これはブッシュ政権時にロシア大使を務め、オバマ政権時に国務副長官だったウィリアム・バーンズが回顧録に記している。
 ネオコン色が強いブッシュ政権がロシアの条件を飲むはずはなかった。むしろ米国の対露政策は、ロシアの思惑とは真逆に展開された。米国はウクライナやジョージアにおける民主化運動(カラー革命)を積極的に支持し、上述のNATO東方拡大を推進した。ジョージア紛争後、米露関係は難しさを抱えたままである。

(2)オバマ政権の米露リセット政策

①外交の最優先はイラン核問題解決
 米露関係はジョージア紛争以降悪化していたが、オバマ政権は発足とともに米露リセット政策を掲げた。オバマは顕在化し始めた中国の台頭を警戒し、戦略資源をアジアへシフトすることを望んだ。ブッシュ前政権が深入りした中東の泥沼から手を引くためには、イランの核開発問題を解決する必要があり、「ロシアの協力が不可欠」というのがオバマ政権内のコンセンサスだった。米露リセット政策はあくまで、イラン核問題を解決する手段だった。
 他方、欧州関係ではウクライナやジョージアへのNATO拡大問題に、オバマは一切関与しない政策をとった。
 2015年にオバマ政権を始めとするP5+1はイランとJCPOAを締結した。米国の中東政策はイスラエルやサウジに偏ってきたため、「イランも含めた中東地域諸国との関係性をバランスよくしたい」との考えがオバマにあった。複雑なイラン問題では、まず核問題に着手し、その後信頼関係を構築しながらミサイルやテロなどの問題も解決していくのがオバマのシナリオだった。

②多方面に展開するロシア外交
欧州安全保障ニューアキテクチャー提案
 2008年ジョージア紛争が起こる直前、メドベージェフ大統領(当時)が欧州安全保障ニューアキテクチャー提案を行った。NATOを中心とした欧州の安全保障システムはロシアを排除しており、「冷戦期のOSCEのように、ロシアも含めたシステムを作るべき」というロシアの主張だった。NATO諸国からは「NATO弱体化を意図したロシアの思惑」と相手にされなかった。ロシアの本音はNATO拡大阻止というあくまで防衛である。ロシアと欧州の利害関係は冷戦後も一致点を見出しにくい。

東方リバランス政策
 並行して、ロシアは東方リバランス政策を開始する。2011年末のプーチンの年次教書演説が公式宣言とされるが、初期のプロセスは2009年から始まった。同年1月、ロスネフチ(ロシア石油)とパイプライン管理会社トランスネフはCNPC(中国石油集団)と大型契約を交わした。欧州に依存していたロシア経済はリーマン・ショックで困窮していた。この契約は中国に有利な条件だったが、ロシアでは東方リバランスの初期プロセスだったとされる。

ウクライナ危機
 ブカレストNATOサミットの一ヶ月後にEUの外相会議が行われ、ポーランドがEU東方パートナーシップを提案した。ウクライナの地政学的位置は東のロシアだけでなく西のポーランドにとっても重要であり、ウクライナをロシアから引き離す戦略はポーランドの地政学的なDNAのようなものである。EUの東方拡大プロセスは2009年から始まり、ロシアの地政戦略とぶつかった。これがウクライナ危機発生の最大の原因である。

JCPOA
 2014年ウクライナ問題でロシアと欧米は決裂したが、2015年米国とイランの合意においては、ロシアは米外交を妨害しなかった。オバマ自身がニューヨーク・タイムズのインタビューで「ロシアの助けがなければ、合意はできなかった」と応えている。
 私の仮説だが、ロシアは米国の全てに反対するわけではない。米国の政策がロシアの世界観や戦略に合致すれば、協力の余地がある。JCPOAのような多国間合意は米国の中東政策をマルチのフレームワークに閉じ込め、ブッシュ政権のような暴走を防ぐことができる。さらにJCPOAが中東における米国のプレゼンスを低下させていくプロセスであれば、ロシアはむしろ歓迎できる。イラン問題における米露協力の延長で、複雑化したウクライナ問題をソフトランディングさせたい思惑も、ロシアには少なからずあっただろう。

シリア内戦への本格的な軍事関与
 JCPOA締結の二ヶ月後、ロシアはシリアへの軍事介入を始めた。アサド政権の崩壊を懸念したイランが、ロシアの介入を要請したのが発端である。ただ、このタイミングでロシアが一歩前に出たのは、中東における米国のプレゼンス低下を踏まえていた。当初ロシアの考えでは、米露協力でシリア問題を解決し、大国としてのプレゼンスを示すというものだった。

(3)トランプ政権の米国ファースト政策

①マルチのフレームワークを破壊
 トランプ政権はオバマ前政権が締結したTPPやJCPOAから離脱した。トランプはマルチのフレームワークを壊し、力ずくでイランや中国をねじ伏せようとしている。オバマには「米国一国で世界秩序を維持できる時代は終わった」との基本認識があり、「米国主導でマルチのフレームワークを構築して、イランや中国問題に対処する」と試みた。米国ファーストのトランプ外交は本質的な国力回復に裏付けられているわけでもなく、十分な成果を上げているとは言い難い。

②中東地域で高まるロシアの存在感
中東政策はロシア外交のモデルケース
 トランプ政権の外交政策が迷走する一方で、ロシアは積極的な東方政策を展開している。東方とは欧州以外を指し、中東やアフリカも含まれる。特に中東地域でロシアの存在感が顕著に高まっている。
 シリア和平では、イランやトルコとともにアスタナ・フォーマットをロシアが主導し、イスラエル・イラン問題では、米国やヨルダンとともにシリア南部に緩衝地帯の設置を主導している。サウジはロシアと「OPECプラス」の協力強化に関する合意を交わし、NATO加盟国のトルコはロシア製の地対空ミサイルS-400の購入を決定した。
 中東地域には、イスラエルとイラン、トルコとクルド、スンニ派とシーア派など、複雑な対立軸が存在する。ロシアはその敵味方のどちらにも与することなく、すべての関係諸国との対話チャンネルを維持しながら、自国の利害を追求する。これはロシアが目指す「柔軟かつ臨機応変な外交・安全保障政策」のモデルケースである。
 この中東外交は米国には真似できない。オバマ政権はそれを試みてイランとのパイプを作ろうとしたが、トランプ政権が反故にした。米国の中東政策は、米国内問題と密接にリンクしており、ときに理性的なレールを逸脱する。これはロシアにおけるウクライナ政策と似ている。
 中東諸国は戦争勃発の危機感を抱いているが、米国が頼りにならない。冷戦時代のOSCEをモデルに、イランも含めたすべての関係諸国による対話をロシアが提案し、中東情勢を主導しようとしている。2008年ロシアの同種の提案は欧州で相手にされなかったが、昨今の中東では現実味を持って受け止められている。

シリアは諸刃の剣
 一方で、ロシアだけでシリア問題を管理できるのかという疑問がある。シリア地域の北部や西部はロシアの制空権だが、東部はイラク・米国空軍の制空権である。2019年11月にトルコがシリアに進軍したが、トルコと交渉したのはシリアではなくロシアだった。ロシアの役割が期待される一方で、シリアを取り巻く問題は複雑である。シリアの治安や政治の安定も含めて、ロシアがどこまで管理できるかは未知数であり、ロシア外交の行末を大きく左右しかねない。

中長期的には中国
 現状は米国が中東におけるプレゼンスを低下させ、ロシアが戦略的空白を埋めているが、中長期的には中国が主導権を握る可能性が高い。ただし、中東では露中間に利害の対立は少ない。中東で中国が欲するのは資源だが、ロシアがほしいのは「大国としての国際的なステータス」である。ロシアは中東で覇権を取ろうなど思っていない。

 

3.ロシアの拡大ユーラシア戦略

(1)対米・欧州関係

 対米関係では、トランプが再選するか否かに関係なく、米露対立は長期化するというのがロシアの基本認識である。不必要な軍事衝突を避けるために、核やサイバーなど軍備管理の問題では対話を歓迎するが、それ以上の関係改善をロシアは期待していない。
 ウクライナに誕生したゼレンスキー大統領は東部に政治基盤を持ち、ロシアとの対話に前向きである。ウクライナ東部問題が妥結されれば、欧州諸国との関係改善に道が拓ける。マクロン仏大統領もロシアとの関係改善に積極的であるため、欧州との関係改善にはかすかな期待を抱いている。ただし、ウクライナの国内事情は複雑で、対露政策がまとまりにくい。対露融和の動きを阻止するデモは盛んで、予断を許さない。

(2)対中国関係

深化する露中関係
 欧米関係を改善できなければ、ロシアは中国との関係を強化する。露中は4000km以上もの国境線を接しており、双方が根底で不信感をもっているため本質的に相容れない。「同盟はもちろん、協力関係を築くことさえ容易ではない」というのが日米中露における多くの専門家の見解だった。しかし2019年、特に安全保障分野における露中協力が新段階へ移行したと見受けられる。
 露中両国の戦略爆撃機が2019年7月に日本海上空で共同パトロールのオペレーションをとった。これは冷戦期も含めて史上初だった。
 2019年9月末から数日間、恒例のヴァルダイ会議がソチで行われた。主題は「東方の夜明けと世界政治秩序」。最終日のプーチン演説を世界が毎年注目するが、2019年は「中国における早期ミサイル警戒システムの構築をロシアが支援している」ことを明らかにして、世界の一大ニュースとなった。
 SLBMなど弾道弾ミサイルの発射を常に監視し、即座に対抗するためには早期レーダー網の設置が不可欠となる。核ミサイルと早期ミサイル警戒システムを揃えることで核抑止力が成立するが、これを確立させているのは米露だけである。
 中国における同システム構築のためにロシアがどの程度支援し、完成後にどのレベルで協力関係を築くかについて、プーチンは明かしていない。ロシア国内の同システムは北極海から発射される米国のSLBMを想定して、基本的に北方をカバーしている。仮に中国の同システムが南方をカバーし、南シナ海からインド洋に至る米国のSLBMを抑止できれば、ロシアの安全保障にもプラスである。露中双方が対米政策として情報を交換し合えば、これは限りなく同盟関係に近い。
 露中が従来と別次元の協力関係を築くようになった最大の要因は、本格化した米中対立にある。ロシアはウクライナ問題以降、中国へ様々な秋波を送ってきた。しかし中国は対米関係が悪くなく、ロシアの要求を受け止めつつも本質的な中露協力には踏み込まずにいた。米中対立が本格化したことで、中国は2019年国防白書にロシアとの軍事協力を初めて明記した。

対中国政策の基本コンセプト
 どんなに深化が進んでも、露中の協力関係に難しさはつきまとう。ロシアが中国の早期警戒システムを構築させたとしても、双方を攻撃しあうという手段は保持したままである。2018年の年次教書演説で、プーチンは原子力推進巡航ミサイルの発射成功を明らかにした。直前に発表された米国家安全保障戦略は露中を「戦略的競争国」と明記しており、それへの対抗だった。加えて、中国を牽制するメッセージも含んでいた。
 ロシアの対中政策のコンセプトは、マルチのフレームワークに中国を取り込むことで、中国の動きを規制することである。ユーラシア経済同盟や上海協力機構、さらには露中印というフレームワークなどもこれに当たる。ユーラシア経済同盟と上海協力機構は戦略的空間が重なっているが、両国はこれらを「接合」することで、中長期的な関係を深めると表現する。真に協力関係を結べるわけではないので「統合」できないが、利害関係が対立しないように「接合」という表現を使っている。ロシアの裏庭である中央アジアにおいて、中国の経済進出を止めることはできないが、ロシアは、マルチのフレームワークに中国を組み込むことで、その動きを抑制するという戦略である。

(3)パートナーシップ関係の多角化

 米露関係の改善が期待できなければ、露中関係の強化は避けられない。しかし全てを中国に依存すれば、中国のジュニアパートナーに甘んじることになりかねない。ロシアは「拡大ユーラシア」戦略の枠内でインド、パキスタン、トルコ、イラン、サウジ、イスラエル、ASEAN諸国など、中国以外の国々とのパートナーシップ関係の多角化を目指す。ロシアにとっては、日本も潜在的なパートナー国という位置づけである。

 

4.日露関係と国際情勢

(1)米露対立の延長にある現在の日露関係

 安倍総理は2012年末に政権復帰して以来、ロシアとの平和条約交渉に注力してきた。プーチンが「引き分け発言」をしたのも2012年である。当時はウクライナ問題以前で、日露関係の改善が米露関係改善に資するとロシアでも戦略的に捉えることができた。そのため「引き分け発言」は日本を騙すためではなかったと考えられる。
 一定の条件が整えば、プーチンにとって二島返還は切れるカードの材料である。しかし現状の米露関係に鑑みると、領土問題解決を伴った日露平和条約の締結は、少なくとも安倍政権の任期中には難しいだろう。

(2)米中対立を踏まえたロシアの動き

 上述のように、米中の本格的な対立が安全保障における露中の関係強化を後押しした。他方、ロシアはASEAN諸国に急接近している。
 2010年の東アジアサミットにおいて、開催国だったベトナムは米国とロシアを正式メンバーに迎えるイニシアティブをとった。これは中国とのバランシングを考慮したベトナムの政治的判断である。2011年から米露は正式メンバーとなったが、プーチンは一度も同サミットに出席していない。ところが2018年11月に、プーチンが初めて同サミットに出席した。
 プーチンは戦略的に無駄な行動をほとんどしないので、初出席には戦略的な意味があるとみることができる。以下は私論になるが、ASEAN諸国は本格化する米中対立に巻き込まれたくない立場であり、困惑するASEAN諸国に対して、ロシアが米中に代わる大国としてのプレゼンスを示し始めた。同サミット開催は、ペンス副大統領がハドソン研究所で対中強硬演説を行った翌月だったこともあり、タイミングも絶妙だった。

(3)アジアの多極化を見据えたインドの動き

 米中対立を踏まえて、インドはロシアと似た動きをしている。2019年9月ロシアで行われた東方経済フォーラムに、モディ首相が初参加した。日本では、インド太平洋戦略の日米豪印という文脈でインドを捉えがちだが、露中印の首脳会談も同時に進行している。2018年G20サミットで日米印の首脳会談が初めて行われたが、露中印の首脳会談も並行して行われた。2019年のG20大阪サミットでも同様であり、今年の露中印首脳会談のイニシアティブはモディ首相がとった。インドは中国との国境問題を抱えているが、良好な関係維持に努めている。
 大阪サミットでは、モディ首相が内々で日露印による三者首脳会談を提案していたという。これはインド流のバランシング外交であるが、アジアでも多極化のプロセスが始まったとの理解に基づく。インドは米中対立に巻き込まれたくない立場だが、露中接近も警戒している。
 日本としては日露印というインドの提案をすんなり受け入れにくい。日本の外交戦略は日米豪印の流れがメインであり、両者に整合性をつける必要がある。あるいは、日本の対露政策のフェーズを、日露印に移していくという戦略もありうる。

 

5.さいごに-自己認識と現実のギャップ-

 ロシアは核を保有する国連安保理常任理事国であり、大国として振る舞えるポジションにいる。しかしロシアの現状として、GDPは中国の8分の1、軍事費は中国の4分の1、人口規模は中国の10分の1である。対外的には、ウクライナやベラルーシなどをロシアのジュニア・パートナーにできているわけでもない。「大国とは言い難い現実」と「大国という自己認識」のギャップをいかに解消していくのか、これはロシアにおける中長期的な課題である。ミドルパワー論などがロシア国内でもすでに出始めている。
 今後ある程度の時間をかけて、ロシア人自身が「大国の定義」を変えていくことになるのだろう。ロシアの国力としてはミドルパワーだが、各地域に一定のステークを持ち、一定の役割を果たすことができることから、「グローバルパワーを持つ大国」というプライドを維持していくことになるのではないか。もちろん、ミドルパワーでも政治・軍事的な独立を重視し、柔軟かつ臨機応変な外交・安全保障政策の展開を目指すことに変わりはない。

(本稿は,2019年10月24日に開催した「IPP政策研究会」における発題内容を整理して掲載、文責は事務局)

政策オピニオン
畔蒜 泰助 笹川平和財団シニア・リサーチ・フェロー
著者プロフィール
1969年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。モスクワ国立国際関係大学国際関係学部修士課程修了。東京財団研究員兼政策プロデューサー、国際協力銀行モスクワ駐在員事務所上席駐在員を経て、2019年9月より現職。2010年からヴァルダイ会議に参加。主な著書は『「今のロシア」がわかる本』(2008.3、三笠書房知的生きかた文庫)など。また、『プーチンの世界』(2016.12 、新潮社)を翻訳監修・解説。

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