日本に人権外交は無縁か

日本に人権外交は無縁か

2019年9月11日
平和外交・安全保障

 慰安婦、徴用工、南京虐殺など、前世紀の日本による人権侵害が、相当の歪曲を加えられ再提起、再批判され続ける一方、日本の周辺のアジア諸国内の大規模な人権侵害への日本からの批判は殆ど皆無である。第二次世界大戦後の日本国内では、唯一、沖縄への差別を除けば、国内の一定の相当多数の集団に対して、大規模な人権侵害が意図的に行われたとは言いにくい。その結果、こと戦後に関しては国内の人権面で一定の成果を上げてきた日本が、前世紀半ばの大規模な人権侵害について問われ続け、その批判をする側は、自身の人権政策においては誇りえず、自国民や他国民に対しかつての日本に比肩する加害者となった近過去や現在がある。このような他国に対して日本は、国益を主張をすることはある。だが内政に干渉するな、お前の過去はどうなのだと言われるのが怖いのか、人権という公益に日本は原則として沈黙を守っている。このバランスを欠く不文律は、アジアにとり良いことなのだろうか。
 例えば、北朝鮮の核およびミサイルの開発問題に加え、拉致問題も日本にはある、という言い方がされてきた。しかし本来、核およびミサイルなどの軍事的問題と比較できるカテゴリーは、北朝鮮国内の強制収容所を筆頭とした世界最大級の人権問題であり、その中に帰国者、日本人妻、脱北者の悲惨も含まれ、拉致問題もこの北朝鮮の巨大な非人道の、疑いない一部として認識されるべきである。北朝鮮の人権問題について、一貫して優しい中国、政権によっては感情的にまで優しい韓国、イラク・イランなどのイスラエルに関係しうる軍事および人権問題に対しては誇張を含めながら攻撃的で、北朝鮮のそれに対しては比較的優しく、常に結局は妥協的な、グローバルダブルスタンダードのアメリカ、が存在する中で、北朝鮮の体制としての非人道性を指摘し続ける役割は、日本が引き受けるべきではなかったか。核とミサイルで人権のブラックホールを隠蔽する北朝鮮を総合的に捉えよと、日本はなぜ言えないでいるのか。
 対中関係では、米中貿易戦争や、日本との領土紛争に関心が高まるのは当然であるが、これらと比肩しうる人権問題が中国内にも、西蔵、新疆等に持続し、近年では連続する西蔵の抗議焼身自殺にも、あるいは新疆における鎮圧や収容所の実態にも、日本は国家として十分な関心と懸念を表明しているとは言えない。
 対緬関係では2010年以後の改革の兆しの中で、日本政府と実業界は、大規模なODAと投資へと走り出し、その決断は、ミャンマーにおける軍政から民政への移行、民主主義の安定的確立という本来の理想の実現の見通しからすると、拙速の極みであり、

12013年のミャンマーと日本との間の交換公文では、日本側は、「ベンガル系」住民という言葉でロヒンギャを迫害者の望むがままの言葉で呼び、しかもラカイン州その他に「無国籍者」がいるという判断にも、ミャンマーと合意している。これはロヒンギャに対する様々な暴力、国内避難民キャンプの創設とその中への強制移動、移動の自由を含めた自由の更なる制限、の新しい波が2012年に始まった後に行われた日緬合意であり、加害者である国家の側を責めず、むしろその差別と暴力を肯定する力である。

2)その後、国連におけるミャンマー批判決議や、国連の事実調査委員会の設置について日本は不賛成に回っている。

320178月以後、日本は、ラカイン州でミャンマー軍などの人権侵害について「懸念」を超えるものを提出していない。数千人の虐殺が報道された後に、それに言及しないどころか、ミャンマー政府と「共に考える」姿勢を強調し、日本のミャンマーの国造りに対する支援は変わらない、と慰撫する。

4)自国に対して圧倒的に不利な状況報告となった2018年の国連事実調査団報告書についてミャンマーはそれを事実無根として否定し、独自の調査委員会を設けたが、そのミャンマーに協力し、その方向性を高く評価したのも、かつて国際連盟のリットン報告書に反対した日本である。

5)日本を含め世界で最近注目されつつある概念は国連のSDGsSustainable Development Goals)であるが、この共通する前提は、地球上から「誰一人取り残さない」である。ロヒンギャを追い出し、隔離し、教育を与えず、彼らを取り残すことを前提として開発を進めているミャンマーを「支援する」そしてそれと「共に考える」のが、国際社会で名誉ある地位を占めたいと思う、国連中心主義の現在の日本であることを、日本人は知るべきである。

 先の2例が、公益のために行うべき当然の批判の欠落であるのに対して、後者は不作為を越え、巨悪への積極的弁護と隠蔽と支援である。第二次世界大戦後のアジアに現れた奇妙なシステムでは、外国の支配から独立した新国家による現在の人権侵害は黙認され、重大とはいえ過去の人権問題は蒸し返され続ける。現在は遠く、過去は近い。過去日本に苦しめられた者と同様、現在post-colonial stateに苦しめられる者の状況を世界に知らしめ、改善することこそ日本の贖罪であるはずだが、逆にgenocideと呼べる状況を「開発」「国造り」の陳腐な美名でカモフラージュする協力者と日本はなった。ある意味で過去の通俗史を囮としながら進行する現代日本の国際的人権侵害加担は、日本国民には見えず、韓国も、中国も、アジアの他の多くの国々は、程度の差はあれ、日本と同じ穴の貉である。

 

ロヒンギャについての著者による最近の論考として、「20178月以後のミャンマーの「物語」と日本」(http://chikyuza.net/archives/91798)があるので参照のこと。

政策オピニオン
村主 道美 学習院大学教授
著者プロフィール
1982年東京大学法学部卒。91年米・イェール大学大学院政治学研究科修了。Ph.D. 現在、学習院大学法学部教授。専門は、政治学、国際関係論、安全保障、ジェノサイド研究。読売新聞論壇新人賞優秀賞受賞(1995年)。主な著書に『朝青龍の災難 斜陽に照り映える日本の「品格」』『論日米安保関係和沖縄問題』(臧宇世俊訳 香港天馬出版有限公司)ほか。

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