アタッチメントと非認知的な心の発達 ―親子・家族関係の再構築と養育環境改善への提言―

アタッチメントと非認知的な心の発達 ―親子・家族関係の再構築と養育環境改善への提言―

2020年3月18日

はじめに

 子どもの発達に関して近年注目されているのが「アタッチメント(愛着)」である。アタッチメントの原義は「くっつく」ということだが、子どもが恐怖や不安を感じた時に、親をはじめ特定の大人にくっついて「大丈夫だ」という安心感に浸り、保護してもらえるという確かな見通しを持つ経験だと言える。
 子どもはアタッチメントを繰り返し経験することにより、自己と社会性の力を身につけていく。その結果、子どもはだんだん自立し、自然に一人で様々なことに挑戦できるようになっていく。親や周囲の大人はそうした自然な成長を見守ることが重要である。
 多数の人々を一人ひとり数十年にわたって追跡調査する縦断研究により、幼少期に十分なアタッチメントを経験することが後の幸福に決定的に重要だということがわかってきている。

 

1.アタッチメント剥奪の影響

 アタッチメントの重要性は、アタッチメントを十分に経験できなかった子どもの発達を見ると分かりやすい。いわゆる家庭的に恵まれなかった子どもたちの発達である。縦断研究のうち、通常経験できるものを失った場合の影響を見る研究を剥奪研究というが、十分なアタッチメントを経験できなかった子どもたちは、身体も心も健康に成長できないことがわかっている。

一人ひとりの感情のケア

 代表的な剥奪研究に『ルーマニアの棄てられた子どもたち』というショッキングな研究がある。この研究では、子ども一人ひとりの感情のケア不足がアタッチメントの剥奪を引き起こすことが示された。
 2000年、ルーマニアではチャウシェスク政権崩壊後に増加していた国際養子縁組が禁止され、国内で児童の社会的養護が提供されることになった。チャウシェスク時代への反省から、政府は児童養護施設の物理環境を整えるように努力した。しかし、子どもたちの発達には身体的・精神的に著しい遅れと歪みが生じたという。
 施設では基本的衣食住は満たすことができた。設備は衛生的に保たれ、栄養管理された食事と温かい寝床が提供された。また、おもちゃも絵本もあった。少なくとも生きるために必要な生理的欲求は充足できた。
 一方、施設に欠点があったとすれば、人の手による温かいケアが欠けていたことである。子どもの数に対して大人が足りず、約20人の乳児をたった一人の大人がケアをする場合もあった。十数人の子どもが入浴するときに見守る大人が一人しかおらず、危険極まりない状況も見られた。また、入浴以上に強い違和感を覚える場面は排泄の世話である。便器を一列に並べて、一斉のタイミングで用を足させることが行われた。そうして、子どもたちは個別の欲求をことごとく無視されたのである。

身体へのダメージ

 結果、子どもたちにはアタッチメントの剥奪が起こった。小さい子どもなので容易に怖がり、不安がる。少し暗くなるだけでも「ギャーッ」と声を上げて泣く。しかし、この子どもたちは恐怖や不安を感じたときに抱っこされたり、慰められたりする機会が非常に少なかった。
 そうして感情を立て直せず、恐怖を感じたままでいることは身体に大きな負担となる。恐怖心は身体に身を守るための緊急反応を呼び起こし、心臓・血管・内臓・脳神経に大きな負荷をかける。そのため、恐怖心が常態化すれば形成途上の脳や身体の発達にダメージを与えることになる。
 実際、十分なアタッチメントを経験できなかった子どもたちの身体には、普通はみられないダメージが残っていた。通常、脳は小学校に上がる前の5、6年で大人の90%まで大きく、重たく成長する。しかし、施設で育った子どもの中には、大脳皮質の萎縮がすでに始まっている子どももおり、体細胞に含まれるテロメア(DNA中の構造物)が短縮を始めている子どももいた。テロメアの長さは細胞が分裂できる回数に関係しており、その短縮は老化の兆候である。乳児に起こるはずのない現象が観察されたことは問題の深刻さを表している。
 このように、衣食住が整っていても、幼少期に十分なアタッチメントを経験できなかった子どもたちは、感情を立て直す機会を得られず、身体的な発達に支障をきたしていた。

心の根幹の傷

 アタッチメントの剥奪は子供の身体にダメージを残す。その上、人間の心を支える根幹にも深い傷をつける。
 最も深く傷つくのは、自己と社会性という心の領域である。自己に関わる心の力とは、自律性や自己肯定感など、自分を律して高めようとする力である。一方、社会性は共感や協調性、決まりを守る規範意識など、集団の中に溶け込んで人間関係を構築・維持する力である。どちらも人間の幸福を支える力であり、周囲の大人との関係によって育まれる。
 自己と社会性の領域に傷がつく理由は、それぞれの領域の根底にあるものを考えると理解できる。自己に関わる心の力の根底にあるものは、「自分は人からちゃんと愛してもらえるんだ」という素朴な感覚である。どれほど激しく泣き叫んでも決して見捨てられたりしない。いつでも受け入れてもらえ、無条件に愛してもらえる。その連続が、自分は親や周りの大人にとって大切にしてもらえる価値があるという感覚につながる。
 そして、社会性の前提になるのは、「人は信じてもいいんだな」という信頼感である。ルーマニアの施設にいた子どもたちは、怖くて不安で「ギャーッ」と声を上げても何もしてもらえない。小さい子どもが声を上げるのは「助けて」と言っているのと同じである。何回「助けて」と泣き叫んでも誰からも助けてはもらえない。そういう経験の蓄積の中で「自分には愛される価値、助けてもらえる価値がない」という絶望感を幼少期の段階で心の奥底に固めてしまう。すると、「助けてと叫んでも助けてくれないのが人なんだ」という、人に対する不信感がやはり幼少期の段階で心に固まってしまう。
 そのように、十分なアタッチメントを経験できないと自分を価値視できず、人を信頼する意欲が失われるのである。
 アタッチメントの形成という一生涯の心身の健康、幸せの形成において最も重要なことが、人生の出発点において起こっている。幼少期に安定したアタッチメントを経験できなければ、確率的に多くの子どもが人生の様々な場面で問題を生じたり、心身の病を抱えたりすることになる。

 

2.アタッチメントの効果

 十分なアタッチメントを経験できないことは子供の心身に看過できないダメージを与える。一方で、幼少期に僅かな期間でも一貫したアタッチメントを経験できれば、人生に大きなプラスとなることもわかっている。

ペリー就学前計画

 剥奪研究とは対照的に、人々に通常経験できない特別な事柄を経験させ、結果を追跡調査する研究を介入研究という。近年、介入研究の中ではペリー就学前計画が注目を浴びている。
 ペリー就学前計画は、2000年にノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマンが中心となり、アメリカのミシガン州ペリー地区で1960年代初頭から行われている。
 ヘックマンは元々、教育に公的資金を投資するなら、どの時期の子どもに投資することが最も効果的かということを研究テーマにしていた。そして、生涯一律に同額を投資し続けるよりも、乳幼児期の教育に投資をした方がはるかに効果的だと結論付けた。ペリー就学前計画の背景にも、こうしたヘックマンの研究知見が存在する。
 ペリー就学前計画の対象となったミシガン州ペリー地区は、アフリカ系アメリカ人を中心に貧困層の家庭が非常に多い。貧困層の家庭はお金がないので、就学前の子どもを保育園・幼稚園に通わせることができない。そのため、子どもたちは大抵小学校に入って初めて文字や数を教わる。
 教師達は懸命に勉強を教えるが、効果は芳しくない。それどころか、ドロップアウトして学校に来なくなる子どもが後を絶たない状況が続いていた。
 そこで、普通であれば幼稚園に通えない子どもたちを、3歳から2年間ペリー小学校の付属幼稚園に通わせるという介入が行われることになった。効果を検証するために、かわいそうではあるが、同じ貧困層の中から幼稚園に通わない子どものグループも設けられた。ペリー就学前計画では、この二つのグループを2019年現在まで比べ続けており、50歳までのデータが収集され、分析が進められている。

通園による差

 既に発表されている40歳までの分析結果によれば、通園の有無により、その後の人生にかなり明確な違いがあった。
 まず、通園した人のほうが経済的に安定している傾向にある。通園した人と通園していない人を40歳時点で比較すると、1カ月に2000ドル以上の所得がある人の割合、持ち家がある人の割合、生活保護を受けていない人の割合は、いずれも通園した人のほうが高かった。また、40歳までの間にどれだけ警察のお世話になったかという項目もあり、通園した人のほうが罪を犯す割合が少なかった。
 そのように、3歳から2年間通園したことが、ある程度しっかり働いて経済的に安定し、犯罪にも手を染めず、健全な大人になる可能性を高めていた。
 経済的安定と犯罪歴の少なさを幸福度とするならば、なぜ通園した人のほうが40歳の段階で幸福度が高いのだろうか。ヘックマンは、通園した人の40歳における幸福度が高い理由は、いわゆる頭の良さとされる認知能力以外の何かを身につけたことだと結論づけた。
 その根拠になっているのがIQの推移である。確かに通園中の子どもたちのIQは、通園前と比べて10ほど上昇している。しかし、幼稚園に通わなくなると再び低下し、8、9歳頃には通園していない子どもとほとんど違いがなくなっている。一方、40歳時点の幸福度は通園した人のほうが高い。そのため、IQによっては40歳時点の幸福度の差を説明できない。
 ヘックマンはその認知能力以外の力を「非認知」と呼んだ。非認知の概念は、爆発的に世界に広まり、心理学者や教育学者によって先述の自己と社会性の力を指すと考えられるようになった。

非認知向上の背景

 通園した子どもが自己と社会性の力を身につけることができた一番の理由はとても素朴である。家庭では経験できなかったアタッチメントを、園の保育者との間である程度補い、経験できたことが大きな影響を与えたのである。
 調査対象となっている子どもたちの家庭環境は複雑で、子どもが育つための環境が整っていない。父親が誰かわからない、あるいは家族を捨てて失踪していることもある。加えて、母親が10代で年若いことも多い。その場合、母親が自分の意思で出産し、育てたいと考えて子育てしているケースは少なく、意図せず妊娠・出産してしまい、やむを得ず育てていることが多い。
 このような家庭環境にある子どもたちの中には、ネグレクトに近い状態で育てられている子どももいる。家庭では泣き叫んでも放っておかれ、誰かにくっついて安心感に浸ることは容易ではない。
 一方、幼稚園では良識と温かい感情を持った大人がいて、一貫した関わりを持つことができた。多くの保育者は、目の前でしくしく泣いている子どもがいれば、放っておかず声をかけた。当たり前のように抱っこしたり、慰めたりする。そうして子どもの感情を立て直し、楽しく遊ばせる。そのような保育者が毎朝登園すれば必ずいたのである。幼稚園のような集団状況では、保育者が必ずしも母親の代わりになるとは言えないが、家庭では経験できないアタッチメントを、ある程度経験しなおすことができた。
 これが子どもたちの「人は信じられる、自分は愛してもらえる価値がある」という感覚の発達を助けた。それが通園した子どもが40歳の時にある程度幸福だった理由である。

「誰にくっつけばいいのか」の見通し

 このように、幼少期に一貫してアタッチメントを経験することが非認知を発達させ、後の幸福度に影響する。また、幼少期に非認知の土台がしっかり形成されていると、その後の認知能力が発達することもわかっている。そのため、世界中で乳幼児期の重要性が認識されるようになっている。
 付け加えると、保育・幼児教育では、家庭と園とのコミュニケーション・連携・相互信頼が極めて大切である。もちろん、子どもにとって園は家庭とは異質なところであり、集団状況で機能するケアは親子二者間で機能するケアとは異なるが、保育者がもう一人の主要なアタッチメント対象になり得ると考える。
 子どもにとって最も混乱が大きいのは、「今、誰にくっつけばいいのか」の見通しが立たない時である。「いつでも誰かが」よりは徹底して「今はこの人が」ケアするという体制を築くことがアタッチメントを経験するためには有効である。

 

3.親、周囲の大人の関わり方

 子どもはアタッチメントを繰り返し経験することにより、自己と社会性の力を身につけていく。その結果、子どもはだんだん自立し、自然に一人で様々なことに挑戦できるようになっていく。親や周囲の大人はそうした自然な成長を見守ることが重要である。

「安心感の輪」

 子どもがアタッチメントの経験を積み上げる過程において、親などアタッチメントの対象となる大人には二つの役割がある。一つは避難所の役割で、もう一つは基地の役割である。子どもはいつも楽しく遊んでいられるわけではない。時には転んで泣く、あるいは夢中で遊んでいたら辺りが暗くなってきて怖くなる。そのようなとき、泣きながら駆け込んでくる子どもを慰めて安心させる役割が避難所である。そして、安心感を得た子どもが元気よくとびだしていくのを見守るのが基地の役割である。
 子どもの日常はこのような「安心感の輪」の上をぐるぐる回ることである。避難所となっている大人に慰められて安心感を得れば、その大人を基地にして再び好奇心のまま冒険や探索にふける。しかし、また転んで痛い、怖い、不安だとなればベクトルを反転させて避難所に駆け込む。このサイクルを安定して経験できていることが子どもの健康な発達の一番のカギである。

「見通し」と自立の力

 そして、「安心感の輪」のサイクルを繰り返すごとに、子どもは「見通し」の感覚を得ていく。「見通し」とは、何かあっても親などの信頼できる大人が助けてくれるという感覚である。
 子どもは好奇心の塊だが、同時に不安と恐怖心の塊でもある。未知の場所へ行ってみたいが、怖いものがいるかもしれない。怖くて行けないが見てみたい。そのように、恐怖心と好奇心の間を行ったり来たりするのが子どもである。
 そこで見通しの感覚を持っていれば、ある時子どもは思い切ることができる。お化けは怖いが、泣けば親や先生が助けに来てくれる、守ってくれると考える。そうすると、今まで踏み込めなかったエリアに勇気をもって踏み出していくようになる。
 子どもが成長・発達するということは、この「見通し」への確信が強まり、「安心感の輪」が少しずつ拡張していくことである。0、1歳の輪はすごく小さく、すぐに怖くなって母親の膝の上にべったり乗ろうとするかもしれない。それが、5歳、10歳、中学生、高校生、大人へと成長するにつれ、どんどん広がっていく。そして、十分に輪が広がると一人でいられる能力をしっかり身につけ、一人でいられる時間が長くなっていくのである。
 時として、大人は逆のことを考える。なんでも一人でできるように、少々泣くくらいなら放っておくほうが良い、放っておくことによって子どもは一人でいることに耐えられるようになる、そう考えるかもしれない。
 しかし、実際にそれをやると、むしろ子どもは一人でいられなくなる。くっつきたいときにくっつけない子どもは、くっつくことに執着し、後追いとしがみつきが激しくなる。幼少期に十分アタッチメントを経験しておくことが、かえって自立して生きる力を育むのである。

 

おわりに

 アタッチメントは「Autonomy/ Relatedness」という言葉で表されることがある。Autonomyは自律性、Relatednessは関係を持っていることである。別の言い方をすれば一人でいることと二人でいることである。本来この二つは両立しないが、表裏一体であることを表している。いざとなったら必ず二人になれる、その確信に支えられて、人間は生涯を健康に、自律的に生活できるようになる。
 幼少期にアタッチメントを十分に経験することは自己と社会性を育て、そうした表裏一体性を機能させる。
 一方で、一人でいられる時間が長くなっても避難所や基地がいらなくなるわけではない。「見通し」が深まって、めったに避難所に戻る必要がなくなっても、避難所・基地はなくなってはいけない。いざとなったらいつでもくっつける、助けてもらえるという感覚を持つことが重要である。
 そのようにしてこそ、子どもたちが生涯、心と体の健康を保ち、幸せに生活できるということが縦断研究から見えてきたのである。

(本稿は、2019年12月12日に行われた政策研究会の内容を整理してまとめたものである。)

政策オピニオン
遠藤 利彦 東京大学大学院教授
著者プロフィール
山形県生まれ。東京大学教育学部卒。同大学院教育学研究科博士課程に学ぶ。心理学博士。聖心女子大学専任講師、九州大学助教授、京都大学准教授等を経て、2013年より現職。東京大学発達保育実践政策学センター長。専門は発達心理学、感情心理学。著書に『喜怒哀楽の起源 情動の進化論・文化論』『「情の理」論 情動の合理性をめぐる心理学的考察』『乳幼児のこころ 子育ち・子育ての発達心理学』『赤ちゃんの発達とアタッチメント 乳児保育で大切にしたいこと』他。

関連記事

  • 2019年6月18日 家庭基盤充実

    トランプ政権が推進する性的自己抑制教育

  • 2016年6月3日 家庭基盤充実

    いじめを防ぐ「ピア・メディエーション」の試み ―学校・家庭・地域の連携と人格教育―

  • 2018年10月1日 家庭基盤充実

    「成育基本法」による結婚・妊娠・子育て支援を ―子どもの養育環境改善の提言―

  • 2018年4月16日 家庭基盤充実

    「人格の完成」の思想的含意 ―何が「パーソン」と呼ばれるのか―

  • 2017年6月8日 家庭基盤充実

    家族論の思想的系譜と家族機能を補完する社会福祉政策の考察 ―トッド『家族システムの起源』を手掛かりに―

  • 2019年9月10日 家庭基盤充実

    虐待予防に必要な家族支援の視点