政策オピニオン

2020年1月6日

日韓中の文化の違いをどう乗り越えるか―歴史問題へのアプローチ―

広島文化学園大学特任教授 金文学
1962年中国瀋陽で韓国三世として生まれ、85年東北師範大学卒。91年来日、同志社大学大学院修士課程修了、広島大学大学院博士課程修了。専門は比較文化・文学。現在、広島文化学園大学特任教授、上海大学兼任教授、中日韓国際文化研究院院長。文明評論家。日本に帰化し広島を拠点に、日中韓3カ国で執筆・講演活動を展開。主な著書に、『日中比較優劣論』『韓国民に告ぐ!』『中国人民に告ぐ!』『日本国民に告ぐ!』『島国根性、大陸根性、半島根性』『知性人伊藤博文・思想家安重根』他多数。

はじめに

 私は来日以来、(中国・瀋陽生まれの韓国3世で3カ国に縁のある者として)日韓中の文化の違いについて長年研究してきた。ただ文化は非常に複合不合理的なものであるので、それを理性的・分析的に研究してもなかなかすっきり割り切れるものではないことも確かである。
 文化と政治の関係について私は、「文化は青空、政治は雲」とよく表現している。中国や韓国では文化より政治の方が上だとよく言われるが、私はそれとは逆で文化の方が上だと考えている。つまりこの言葉の意味は、雲(政治)がときどき青空(文化)を見えなく覆ってしまうが、雲は流れるものだから雲が流れて晴れれば空が見えてくるということである。現在、日韓中の間でさまざまな葛藤やぎくしゃくがあるのは、雲(政治)が空を覆って青空(文化)を見えなくしているからだ。
 東洋史学の泰斗・内藤湖南(1866-1934年)は、文化と政治の関係について、人間の歴史は文化の歴史でもあるから、政治など表層だけを見ても本質は見えてこないと指摘した。さらに、次のような趣旨のことも述べている。
 東北アジアの一国の文化を知るためには、一国だけの様相をいくら見てもムダである。文化には文化圏が存在するため、東北アジア文化圏のなかで、日本や中国、朝鮮の文化をトータル的に、合わせ鏡のようにしてとらえなければならない、と。
 それでは文化とは何か。文化とは「鏡」である。人は朝起きると鏡で自分の顔を見るように、鏡を通して相手国の異文化を理解するのみならず、自国の文化についても理解するのである。比較文化論、比較文明論は、この「鏡」の役割であり、文化の魔法の「鏡」である。とくに日本人は、他国と国境を接していないために、中国や韓国と比べるとこうした異文化に対する認識がやや薄いのではないかと思う。
 また歴史学という学問が、これまで果たして「真」の研究をしてきたのか、疑問に思っている。言い換えれば、「知的欺瞞」ということでもある。昨今の日韓歴史認識問題では、どちらかというと韓国側に歴史の「真」について、知的欺瞞があるように感じる。また中国の学問的傾向として、体制に迎合するという側面があるために、ことに人文学・社会科学系の分野では、本当のこと(真)を言うのは非常に難しい。日本でも戦前には同様ことがよく見られた。
 真・善・美とよく言われるが、その前提が「真」であって、真があってこそ、善も美も現れることができる。この意味で、東アジア地域における学問や歴史認識問題において、「真」の意味が非常に重要である。

 

1.「非同一文化圏」という再認識

 一般的に、東アジアの日本・韓国・中国には、「漢字文化圏」「儒教文化圏」という共通文化があるとよく言われる。しかし最初から似ているところばかりに目を奪われてしまうと、現実を見たときに、そのギャップからくるカルチャーショックは強くなる。欧米やアフリカなどの国については、外貌も違うために最初から他者として認識しているので、それほどのことはない。東アジア諸国相互においても、「他者」「異文化」として初めから取り掛かることが大切で、相手国を互いに「他者」として認識するところからスタートすることが、はるかに相手を理解しやすくなる。
 そこでまず、共通文化とされる内容を「解体」してみたい。
 「漢字文化圏」についていうと、イメージ的には、3カ国とも同じ漢字を言語や文章の中に(混ぜて)使用しているから、一見「漢字文化圏」のように見えるが、しかしそれは表層的な見方でしかない。
 中国は漢字だけの文化、つまり「漢字専用文化」であるが、日本は漢字のほかにカナを使い、韓国はハングルを使うので、「漢字借用文化」だ。その上、共通する漢字一つを取ってみても、それに対するイメージや意味は、日韓中で違っている。例えば、「山」という字のイメージは、日本人には森のある「富士山」、中国人には巨大な「泰山」、韓国人には山というより「峠(コゲ)」であろう。朝鮮半島には高い山があまりないので、山のイメージは低い丘陵にある峠で、民謡にも「アリラン峠」として歌われている。
 「愛人」という漢字語を例として取り上げてみよう。日本や韓国は、配偶者以外の第三者を意味しているが、中国では配偶者の意味である。このように同じ漢字を使っても、そのイメージや内容はそれぞれの国で違っている。それは文化に属する問題だからである。
 もう一つの共通文化が「儒教文化圏」である。これを解体してみると、国によって(儒教受容の)濃度に違いがあることがわかる。中国は儒教の発祥の地であるが、つねに道教と並存する形で今日まで展開されてきたので、理念・思想は儒教、実生活は道教であった。また時には反儒教運動も起きて、今日の儒教は形態のみ残り、ミイラ化してしまったといえよう。現代中国に残る儒教思想は、せいぜい「孝」の観念くらいである。
 東北アジアで儒教(とくに朱子学)が最も浸透し、今日においても残っているのは韓国であり、本質的な意味での儒教文化圏で濃度が一番濃いのは韓国だけであると言っても過言ではないだろう。
 一方、日本は江戸時代から儒教や朱子学を「教養」として受け入れた。中国や韓国が絶対的な理念であったのに比べると、日本は水割りのようなもので、ずいぶんいい加減な様相を呈している。
 また儒教には身分制や封建制的な要素があり過去志向が強いために、近代化を阻害する面があった。逆に言えば、日本が東アジアで最初に近代化を受け入れられたのは、儒教濃度が最も薄かったからかもしれない。
 東京大学名誉教授で社会人類学者の中根千枝は、かつて『タテ社会の人間関係』(1967年)の中で、(欧米社会と比べて)「日本は家族を中心としたタテ社会」だと規定した。しかし私は、若干異論がある。というのも、東アジアの中で中国・韓国が儒教の家族・血縁関係を重んじる「タテ社会」であるのに比べると、日本はむしろ「ヨコ社会」的だ。例えば、家や会社などの組織の後継者を定めるとき、日本では血統をそれほど重視しておらず、能力をみて時には第三者を後継者に据えることもあるが、中国や韓国は必ずオーナーの血統(せいぜい同じ宗族内の親戚)でないと後継者にはなれない。
 また日本の武士についてどうみるかにも、認識の差が現れてくる。中国や韓国では、日本の武士を「人殺しをする野蛮な人」と見るが、武士は江戸時代において支配層を形成した一種の知識階級だった。社会の支配層を、中国では「士大夫」あるいは「読書人」といい、韓国では「ソンビ」と呼んでいるが、彼らは基本的に本(古典)を読んで議論をすることを生業とし、その象徴が「筆」である。日本の武士の象徴は「刀」だ。
 近代化の過程をみても違いが出てくる。日本の明治維新において、高杉晋作や坂本龍馬などの志士たちは、19世紀中ごろに清朝が英国に敗れたのを見て次は日本だとの危機意識を持ち、万国公法と西洋の武器などを整備して対応しようとした。ところが清朝は、西欧の武器を導入して武装強化するよりも、本を読んで議論をして対応を考えた。革命の本質論からみたときに、日本が真の近代革命を行い、中国や韓国は近代革命することができなかったといえる。つまり日本の武士階級は脱儒教の知識人であったからこそ、真の近代革命に成功したとみることができるのではないか。

 

2.日本・韓国・中国の比較文化

(1)地政学的視点

 地政学的な特徴からくる違いを見てみよう。中国は大陸国で、朝鮮(韓国)は半島国、そして日本は島国だ。その中で半島国家は、大陸国と島国の間で非常に苦労の多い歴史を経験してきた。韓国の歴史家は「これまで朝鮮半島は999回の外勢による侵略を受けた」とよくいう。
 譬えてみれば、新幹線の三人席の真ん中は、左右の人に挟まれて落ち着かず、行動するにも気を使う一番不便な席である。このような大陸国と島国に挟まれた韓国人の位置は、歴史的「宿命」であり、ある面で悲しい歴史の連続でもあった。それゆえ韓国の歌は哀愁を帯びたものが多い。
 大陸文化と海洋文化のせめぎあいは、通常半島を挟んで行われる。韓国には「鯨のけんかでエビの背が裂ける」(強いもの同士の争いに弱いものが巻き添えを食らって被害を受けるの意)という俗諺を用いて、半島国の苦痛を表現する。自己を守るためには、いつも左右両者のバランスを読み、力の強い者に依存しなければならなかった。世界史的に見ても、バルカン半島やイタリア半島など、半島国家は宿命的に苦痛に満ちている。戦争の火薬庫になることも多く、分断国家も少なくない。
 譬え話をひとつ紹介しよう。忍耐力を試すために、日韓中3カ国の人を汚いブタ小屋に入れた。最初にブタ小屋を飛び出したのは日本人だった。次が韓国人だった。その次に出てきたのは、(中国人ではなく)ブダだった。最後に残ったのは中国人であった。中国人ブタより忍耐力があったというわけだ。
 中国では江南地方(長江以南)を除き、黄色い大地といわれる華北地方は、基本的に乾燥した気候で劣悪な環境にある。風が吹くと黄色い埃が満天に飛び交う荒い景観で、顔は埃まみれになってしまうほどだ。そのような劣悪な環境の中で忍耐しないと生き抜いていけない。
 川を考察しても3カ国の違いが見えてくる。日本の川は短く、一番澄んでいて底が見えるほどで、日本では川を「清流」とよく形容される。清流の日本と比べると、韓国は半清流で、中国は濁流である。黄河はその名の如く黄色の濁流で、長江もウーロン茶色ないしはコーヒー色をしている。上流は多少澄んでいるとしても、中・下流は濁流で、その他の川もほぼ濁流である。中国では「水清ければ魚棲まず」というように、あまりきれい過ぎると人間も生活しにくいと考える。
 中国の河は洪水がしばしば起きるので、治水は国の重要な事業であり、悠々たる治水に対して息の長い対応(「慢慢的」)をしてきた。ところが日本の川は「滝の川」と表現されるように、急流で短いから、その対応はせっかちになる。このように地理性がその地域の人々の精神性にまで影響を及ぼしている。
 こうした地理性に基づいて考えてみると、日本は農耕文化を基本とし、中国や韓国は農耕文化プラス牧畜文化だ。日本人と韓国人は、外見上は非常に似ているのにも関わらず、発想・思考様式・行動様式はかなり違っているのは、そうした文化の違いによるものだ。
 日本の農耕は、基本的に自分の所有する土地(一所)を命がけで守る(懸命)。しかも(島国だから)逃げるところがない。他方、昔から中国では「狡兎三窟」(『戦国策』:賢いウサギが生き延びられるのは、逃げ道である穴が三つあるからだの意)というように、一つのところにずっといたら、いつ何があるか分からないので、居場所を三つ用意すると発想する。
 韓国人は生活が苦しくなると移動する「引越し民族」である。韓国では、激しく愛国主義を叫びながら、米国など海外に多くの人が移民している。今日までに形成された600万人の海外同胞が「引越し民族」のパワーを立証している。しかし日本人はほとんど外国に移民しようとしない。それは国内環境がいいからだけではなくて、DNA的にそのような性質をもっているからだろうと思う。
 もう一つの違いとして、農耕民族は温和・鷹揚だが、牧畜民族は激しい気性を持つ。牧畜文化は家畜を飼うこと、言葉を換えて言えば家畜を殺す(屠殺/虐殺)ことでもある。中国では日常的に動物(ブタやニワトリ)を屠殺する場面を見かけるが、日本の学生に聞いても見たことのある人はまずいない。中国では動物の頸動脈に刃を刺して血を抜き、生肉を食べる長老を見ることがよくある。世界的に見ても遊牧民族も同様で、彼らは生き物を殺すことに長けている。しかし日本人はそうではない。
 ノーベル文学賞を受賞(2012年)した中国人作家・莫言の作品の中に、中国を侵略した日本の軍隊がいかに残虐だったかを具体的に表現している場面が出てくる。つまり日本軍が中国人捕虜の人皮をむくシーンがあるが、恐らく、(一部真実はあるかもしれないが)文化論から見た場合、中国人の莫言のイメージと日本の軍隊とを重ね合わせてしまっているのではないかと思われる。
 ちなみに罵倒語について、日本語・韓国語・中国語を比較してみると、日本語の罵倒語の語彙数は最も少ない。ところが中国や韓国は、牧畜文化(屠殺)を継承してきているために、人を罵る、貶める言葉が非常に発達してきたので、罵倒語の語彙が非常に多い。

(2)自然観・宇宙観

 中国人の自然観はピラミッド型の構造で、頂点に人間がいて、順に動物、植物、微生物となる。中国人の頭の中では、動物はひたすら人のための「食肉」と「家畜」に二分される資源としてみなされてきた。もちろん中国の農村でも、家畜として扱われたウシ・ウマなどを「牲口」「半人間」として大切にした伝統もあった。しかしあくまでも人間のための利用価値を大切にしただけで、ましてや家畜に人間と同格の魂があるなどとは考えなかった。
 しかし日本人の自然観は、マンダラ的でサークルの中で人間も動物も植物もみな平等という考え方だ。そのため動物や魚、さらには針供養のようにモノを拝むこともあり、食べた後や使用後にそれらに感謝を表わすのである。そのような信仰は中国人にとっては理解しがたいことである。

 中国の文献をみれば、中国人は天に対する信仰心があるように見えるが、実際の中国人に宗教心があるといえば、神や仏から何か恩賜をもらいたいという「取り引き」の信仰といえる。そのため中国人にとって自然は、人間のために存在するという理念を根底におくので、もし自然から何の利益も得られない場合、自然はもはや崇拝や畏怖の対象ではなく、むしろ改造の対象でしかあり得ない。「愚公移山」の寓話(『列子』:昔、愚公という老人が自宅の近くの山が邪魔に思い家族総出で崩し始めた。ある人がそれを批判しても黙々とやり続けると、天帝が姱娥氏の子にその山を背負わせ動かしたという寓話)はそれを象徴している。もちろん自然を大切にする心もあるのだが、あくまでも人間中心となっているところにその特徴がある。
 韓国人は、中国の北方民族、とくに満洲にいた民族に似た考え方を持っている。中国の中でも、南方の江南文化はむしろ日本人に風俗習慣、考え方が似ているといってもいい。
 日本は、古代から中国文化を受け入れてきたが、中国伝統文化の中で受け入れなかったものがいくつかある。その一つが科挙で、あとは宦官、纏足である。後者二つは人体改造だが、これはまさに牧畜文化由来の文化である。日本はそうした牧畜文化的背景がないために、選択原理が働いて取り入れなかったのだと思う。しかし韓国は選択原理が働かず、中国の文化をそのまま受け入れたので、上記三つの文化を受け入れた。
 また中国・韓国にはないが、日本にだけある文化として、「敵味方霊魂平等」という考え方(「怨親平等」)がある。日本の伝統的観念では、人は(敵でも味方でも)死んだら仏になると考えられている。しかし中国や韓国では、敵と味方は(死後においても)永遠に「不倶戴天」の関係だ。
 また中国の国民性について私は、「食民性」、すなわち食べることに執着心を持つ国民だと理解している。中国人は、ご飯さえまともに食べさせてくれれば、統治者/支配階級が誰であっても構わない。それゆえ「民以食為天」(民は食を以って天となす)というわけだ。
 中国人と韓国人は、基本的に過去志向で未来のことを考えるよりは、現世志向が非常に強い。かつて孔子は「人は死んだらどうなるか」と弟子・季路に聞かれて「いまだ生について十分理解していないのに、どうして死のことが分かるだろうか」と答えた(原文:季路問事鬼神、子曰、未能事人、焉能事鬼、曰敢問死、曰未知生、焉知死)。現代中国において共産党指導者たちが私腹を肥やしているのは、生きている間にお金を貯めこんでおきたいという現世志向の表れである。中国古典の『三国志』や『水滸伝』を読んでも、当時の人たちも現代人と同じように賄賂をもらって私腹を肥やしていた。
 中国人は身体志向文化をもち、身体(肉体)への関心が強いせいで、魂や来世、あの世的観念はほとんど存在しない。中国人の観念では、不死の肉体こそ人生の理想であり、それを求めて道教的養生観、漢方医学が多様に発達した。
 一方、日本人は、宗教心が薄いとか信仰心はないとよくいわれるけれども、肉体への愛着よりは、肉体を超えた魂・神・あの世への憧憬が強い。そして常に現世とあの世が連続している。そのため仏教・神道的考えをベースにして未来志向の生き方が強く見られる。過去のことは「水に流して」執着しない。
 しかし中国と韓国は「過去記憶型文化」なので、過去のことにこだわる傾向が強い。韓国の大統領の多くが、就任当初は(日韓関係は)「未来志向でいこう」というのだが、任期半ばを過ぎると歴史問題を取り上げてくるのは、政治の問題もあるが、文化的な思考の問題に起因する現象(習慣)でもある。

(3)和・義・情

 日韓中の文化の違いを漢字一文字で表わそうとすれば、日本は「和」、中国は「義」、韓国は「情」となるだろう。


 日本の「和」は、言うまでもなく、聖徳太子の「憲法十七条」にある「和を以て貴しとなす」に象徴されるように、日本文化の核心である。和の考え方では、同じ組織内においては自分と相手が意見の違いがあってもむやみに対立させず、できるだけ(集団の利益に)合わせていこうとする。「和」の考え方は、世界平和につながる一つの文化のポイントになるのではないかと思う。
 中国の「義」の字を分解すると、上の部分は「羊」だ。中国文化を理解するには、「羊」と「貝」をおさえておく必要がある。羊は「物理的利益(物利)」であり、貝は「資産・財産」である。お金にかかわる字には、貝が含まれている(「財」「資」など)。大きな羊は「美」しい。「義」の字は、「羊」の下に「我」があるが、これは羊(物利⇒利益)が私(我)に与えられるときに「義理(人情)」が発生するという意味だ。利益が自分に回帰しないと意味がないと考える。それゆえ中国人は、自分の家族・親族(宗族)などの身内に対しては非常に暖かい対応をするが、その枠外の人に対しては非常に冷たい。これは道徳心の問題というよりは、文化からくる習慣的思考といえる。
 中国人は、韓国人の純血縁的な家族中心の人情圏よりは少し広い「幇」と呼ばれる義理的共同体で繋がっている。華僑・華人が世界の中で大きなチャイナタウンを作り、結束力が高いのは、このような血縁を拡大した義理の働きがあるからである。
 韓国は「情」。韓国人の日常は「情」を分かち合い、「情」を確認することの繰り返しである。「中国人は食べるために生き」、「日本人はモノを作るために生きる」とすれば、韓国人は、「情のために生きる」のである。韓国人は、感情を発散させることを美徳とする。しかし日本人は、反対に感情を抑制することを美徳とする。
 儒教社会は血統を重視するタテ社会で、韓国人は内(ウリ)と外(ナム)をはっきり区別するために、他人には非常に冷たい。日本人は、初めから「情」という接着剤がないから、一応ウチとソトの区別はあるのだが、ウチとソトの溝を特別に意識することはなく、ウチに対してもソトに対しても迷惑をかけないように気をつける。しかし中国人や韓国人は、まず自分の主張を相手に投げかけて納得させようとする。恋愛関係も似ていて、男性は女性に対して積極的にアプローチする。日本の男性は、むしろあっさりしていて、女性に断られるとそれであきらめてしまう。
 韓国の詩人・徐廷柱(1915-2000年)が「もし情にラベルを貼るとすれば、必ずメイド・イン・コリアだ」と謳ったように、情は韓国人の一つの世界観・価値観である。韓国人の間では、情がない(薄い)人は価値が低いと見られ、情に厚い人・面倒見のいい人が価値が高い。
 韓国人は、「情」の世界を中心に、つまり家族・身内、さらには会社の同僚の関係の中で生きている。韓国ではキリスト教徒が非常に多い一つの理由として、キリスト教の教義に惹かれたというよりは、産業化の過程で地方からソウルなど都会に上ってきた人たちが、情の交わりのできる「ウリ」の世界を求めた時にキリスト教会がそれを提供したからだった。教会に入ると、その教会の人たちは「兄弟・姉妹」と呼び合いながら、あたたかく迎えてくれ、ときには一緒にご飯を食べて情を分かち合う。キリスト教の教理を信じで入信するというよりは、教会が一種の仲間(ウリ)になっていて、出会いの場、社交の場となっているので、韓国人は惹かれていくのだろうと思う。しかも韓国人は、そうした内容を宣伝するのが非常にうまい。しかし仏教の世界にはそのような人間関係はない。
 さらに韓国の伝統的考え方は一神教に近いので、キリスト教と折り合いがいいので信仰するのに抵抗感がないこともあるだろう。
 世界の標準は、中国・韓国人と同じように自己主張をすることであり、日本のように遠慮するのは例外だ。
 次の同心円は「義理」で、これは中国人の世界。日本人は、その外延にあたる「公共圏」を含めて生きている。日本人は外の世界(公共圏)において、迷惑をかけない、大声を上げないなどの配慮をして生きている。中国人が列に割り込むのは、生きている世界が「公共圏」より狭い世界だからである。公共の場で大声をあげて言い合いする姿は、まるで喧嘩しているようであるが、公共圏に生きるという観念がないために起こる現象なのである。
 中国人がいま世界中に出かけて行って、そのマナーなどが問題になっている背景には、このような文化的な習慣がある。韓国は、かつては中国と似ていたが、今では公共圏に生きることを学んできたように思う。
 日本の「和」、中国の「義」、韓国の「情」の見方を敷衍させると、日本人は「美の民族」、中国人は「利の民族」、韓国人は「文の民族」となる。
 日本は、「和」だから調和を保つことに価値を置く。正しいか正しくないかという価値よりも、美しいかどうかにより高い価値を置いて考える。日本でわび・さびの美が発達したのには、そのような世界観があった。
 中国は「利」(利益)を最も重要視している。孫文の右腕とも言われた戴季陶(1891-1949年)は、『日本論』(1928年)を著したが、その中で次のようなことを述べた。日本人は美を重んじる民族であり、中国人は利益を重んじる民族だ。
 その例として、日本人は寺や神社に行って素直に神仏を拝むが、中国人はそうではない。ニワトリを盗んだ人が寺に行って「今度はウシを盗めますように。今日盗んだニワトリの足を差し上げますからよろしくお願いします」と祈る。中国人は、神様ともやりとり(交渉)をするのだ。ちなみに昨今の中国では、寺が非常に流行っているが、お願いするのに拝観料は非常に高価になっているようだ。これは信仰というよりは金儲けだ。
 韓国は、儒教を大切にしてきた社会なので「文」を重んじる。両班といっても、武官よりも文官の方が上に置かれている。それゆえ韓国(朝鮮)では、歴史的に軍を重要視してこなかった。

(4)人間関係と空間意識

 日韓中の人間関係をダイズで譬えれば次のようになるだろう。日本社会は納豆のような形をしており、一粒一粒が独立はしているが、ねばねばした糸で仲良く繋がっている。中国人は、たらいの中のダイズのように、たらいという統一理念・規律から離れるとバラバラに散らばってしまう。しかし韓国人は、みそ玉のように、その中で固まってすっかり個人の姿が見えなくなっている。人情によるつながりは、みそ玉のダイズのように個人が見えないほどに塊として固まっている。韓国人の情は、一種の密着度の強いスキンシップである。それゆえ韓国人は、親子同士、兄弟同士、あるいは同級生、同僚同士でも(同性でも)手を繋いだり、肩を組んだりすることに抵抗がない。
 またある中国人学生の話がある。出かけた時に急に雨が降ってきたが傘を持っていなかった。ちょうど通りがかりの民家の家の前に傘があったので、その傘をさして帰ろうとして、その家の主人に追いかけられて捕まった。彼の言い分は、誰もいない空間に持ち主がないように見えたので、持って行ったのだという。そこには盗んだという罪意識はなかった。
 領土問題もそれと似たところがある。尖閣諸島にしても、かつてはほとんど関心がなかったのに、その近海で油田・ガス田があること(利)がわかった途端、自分の所有物だと主張し始めた。このような空間意識がある。しかし日本人は、遠慮する。中国や韓国は、自分のものでなくても、先に手をつければ自分のものという観念があって、積極的に動いている。
 日本は島国に長く生きてきたので、国境が変わらず、その閉鎖社会の中でほぼ同一民族が生きてきたために、そのような和の観念が発達した(自然国家)。ところが、中国や韓国は、歴史的にさまざまな民族が出入りして、領土も奪い奪われながら伸縮してきた(人工国家)。そのため指導者は、理念を主張して人々をまとめようとしてきたのである。

 

3.歴史問題へのアプローチ:忘却と和解

(1)過去記憶型文化と過去忘却型文化

 日本と中国・韓国は、過去の歴史問題で揉めてこじれた関係になっている。そこには日本の「和」の世界と、中国・韓国の「自己主張」の世界の対立がある。しかも中国・韓国は、歴史問題を政治の材料として利用するところがある。
 歴史の問題は、基本的には歴史学者が「真実」を追求して解決していくのが妥当だと思う。歴史の問題(=過去)で、現実の経済や文化社会の交流(=現在)がこじれるのは、非常に愚かなことだ。
 歴史問題では、韓国人の「恨」と中国人の「仇文化」を理解しておく必要がある。
 韓国人の情緒原理や精神文化、国民性を理解するためには、「恨(ハン)」は大切なファクターである。「恨」は情緒や感情の中に潜む「痛み」「願望」ととらえることができる。このような痛みをすぐ断念して他の方向に転換させることができれば、怨恨とはならないが、断念したり転換できず現状に戻そうとしたり、もとの願望を達成したいとする欲求が激しいと、怨みの「恨」に昇華するという(金烈圭)。また、この「恨」を解くプロセスの中で、韓国人はパワフルな力を発揮する。「恨」は韓国人のエネルギー源なのだ。
 次に中国の「仇文化」であるが、「仇」とは、「讐」の簡体字で、恨み、怨恨を意味する。韓国の「恨」と似ているが、恨は情と表裏の素直な感情であるのに対して、仇はもっと攻撃的でなおかつ狡猾さをも漂う。中国には、「有仇必報」という言い方があるが、恨みがあれば必ず報復するとした。中国の古典小説や文学は、報仇するストーリーで一貫し、有名な武侠小説などは、もし報仇のテーマが欠けていたら、武侠小説としての生命力を失ってしまう。中国で武侠小説が受け入れられる背景には、このような基盤となる価値観があるからなのである。
 このように韓国や中国は、「執着+過去記憶型」の文化である。しかし日本は、たとえ相手のやられてできた深い痛みでも別の方向に転換させて、癒され、慰められる。ゆえに過去を容認し、執念を燃やさないあっさりとした、「容認+過去忘却型」の文化である。日本人の思考は、現在重視、現実性に富んでおり、未来志向となる。韓国・中国は、過去記憶型文化なので、他者から被った傷を容認しないし、絶対忘れようとしない。このような違いをまず理解しておく必要がある。

(2)和解の意義

 歴史とは、「宿命」だ。運命であれば、運は変わることがあるが、宿命はそうにはならない。避けることができない。宿命として受け止めるしかない。ヨーロッパ諸国では、長年恩讐関係にあったドイツとフランスは、過去の問題を「和解」によって解決した。
 祖父同士が争って喧嘩したとしても、その孫までも争う必要はない。そのためにも和解を進めることが大切だと思う。思考の転向をして、忘却の哲学に基づいて進める。神様は人間に「記憶」と「忘却」の能力を与えたのだから、歴史問題はもっと忘却の能力を活用すべきではないか。具体的に言えば、政治の場面では歴史を語らないことである。歴史は学者に任せて研究させ、「真実」を明らかにさせて、それを知ることから始めるべきだ。
 最近韓国では、『反日種族主義』(李栄薫編著)という本がベストセラーになったが、韓国の「反日」はナショナリズム以下の感情で、未熟なものだ。
 私は国際安重根協会会長を務めているが、最近『韓国人が知らない安重根と伊藤博文の真実』という本を出した(祥伝社新書、2017年)。安重根の偉大さがどこにあったのか。いろいろな視点があるが、ここで提起したい点は、安重根が殺した相手(伊藤博文)が偉い人だったからこそ、安重根は英雄になれたということである。もし彼が普通の名もない一日本人兵士を殺したのだったら、これほどの英雄にはなれなかった。歴史認識は、相対的であることを知るべきだ。
 安重根は、刑務所に入ってから日本人の厚遇に感動し判決確定後に、「我は果たして大罪人なり。我が罪は他にあらず、我が仁をなす弱きは、韓国人の罪なり」と心境を吐露したという。そして看守の千葉十七に対して、「やむにやまれぬ心から、伊藤さんの命を奪ってしまいました。・・・いつの日にか、韓国に、日本に、そして東洋に本当の平和がやってきてほしいのです。・・・伊藤公にはまったく私怨はなく、公にも家族にも深くおわび申しあげたいのです」と述べたというのである。
 最後に言いたいことは、「脱争点化」である。日本と韓国が仲良くするには、和解の道しかない。歴史の問題を論じるとぎくしゃくするだけなので、それは置いておき、まず和解することである。歴史の問題は忘却して語らないことだ。それについては学者がしっかりと真実を明らかにする。日本側にも問題はある。
 外交の「交」の意味は、交戦、戦いである。内藤湖南は、「大陸と付き合うときには、繰り返し、繰り返し自己主張をしなさい」といった。自分の主張・気持ちを伝えるには、繰り返し、繰り返しすることが必要だ。嫌韓派や反韓派の人たちのように相手を見下すのではなく、冷静な議論を展開すべきである。
 かつて伊藤博文の子(伊藤文吉)と安重根の次男(安俊生)が、1937年9月、ソウルにおいて二人握手をして和解した。安俊生が「父に代わり、心より深くお詫び申し上げます」と言うと、伊藤文吉は「私の父も君の父もいまは、仏になって空に帰しているのだから、お詫びの言葉は要りません」と答えたのである。
 21世紀の人々が過去の問題で、永年積み上げてきた市民による民間交流を妨げたり、関係をこじれさせるのは愚かなことだと思う。基本的に和解の思考に立っていくことが必要だ。もちろん(過去記憶型文化の)韓国人に、和解の思考は難しい面があることも承知しているが、過去のことは学者に任せて「真」を明らかにしてもらい、市民は相互に和解をアピールして過去の問題でこじれないようにする。そこからこそ未来志向が生まれるのだと思う。

(3)梅花文化圏の提唱

 歴史問題で関係がこじれているからと言って、東アジアの日韓中3カ国は、別のところに引越しするわけにはいかないので、今後も付き合っていかざるを得ない。そのためには異なった文化を理解し、まず認め合うことが大前提となる。異なったままでも共存できる。異なった思考や行動様式を相手に無理やり合わせるような迎合は、かえって理解の壁を作る。
 つぎにお互いに理解するためには、欧州の例に見られる如く、ある種の統合の理念が必要である。最初に述べたように、漢字文化圏や儒教文化圏は不十分であるので、ここで新しい東北アジアの理念を提唱したい。
 それは「梅花文化圏」である。これは以前、韓国の「知的巨人」といわれる文芸評論家・李御寧氏と対談したときに氏の発想に基づくものでもある。漢字の代わりに「梅花」で東北アジアの文化コードを解読するのである。李御寧氏は、次のように述べている。
 「中国、韓国、日本の東北アジアの三国は、西洋を知る以前から三千年の間、互いに分かち合ってきた文化を持っている。にもかかわらず、中国の中華思想や日本の大東亜共栄圏のような一国中心支配理論により、東北アジアの文化的価値は偏向、歪曲されたのが事実である。ゆえに東北アジアが共有する地域文化の同質性と特性を再びあらためて問わなければならない重大な文明史的使命の前にわれわれは立たされているのだ・・・。
 そしてそれは従来のような一国中心的覇権や理念を通してではなく、中立的立場で接近しないとならないのだ。そのためにわれわれは梅や竹のような歴史的に共有してきた具体的対象物の象徴とイメージを比較してその差異と共通点を明らかにする方法を選んだのである」。
 梅は、原産地が中国大陸で、中国から朝鮮半島、日本列島へと伝播し、土着しながら3カ国の文化を連結する多様で特徴的な「梅花文化圏」を形成してきた。梅は日韓中東北アジアしか生息しない植物として、「松竹梅」の熟語のように吉祥の象徴として、また節操高い高雅な精神の象徴として常に3カ国の人々の心の中に共存してきた。
 政治経済の利害関係では日韓中3カ国は反目や敵対してきたが、雪の中でも古木でも新芽が芽生え、美しい花を咲かせる梅から共通した生き方や価値観を悟ることができるかもしれない。大陸、半島、島国。これらを繋ぐのは、政治や経済、ある種のイデオロギーを超える文化の香りでなければならない。将来、この地域に共同体が形成されるときには、そのシンボルは「梅花」にしたいものである。
 当面、東北アジアの文化の違いに起因する無理解の繰り返しは、「通過儀礼」として長期間続くと思われる。必要不可欠な通過儀礼を通しながらも、上手にけんかをし、上手に理解する。それなりに時間はかかるだろうが、前途は明るいと見通している。これこそが東北アジアの文化の異質性を乗り越える唯一の道だと思う。中国の表現で言えば、「道路は曲折だが、前途は光明」だからである。

 

(本稿は、2019年11月15日に開催された政策研究会における発題内容を整理してまとめたものである。)