平和の概念再考:平和学における和解の位置付け

平和の概念再考:平和学における和解の位置付け

2019年9月5日

1.平和学の学問的背景

 平和学は、冷戦以降に生まれた学問領域だが、実際には平和を追求する思想や、紛争のない状態をいかに構築するかについての考え方としての平和思想は、歴史的にさまざまな形で存在してきた。アベ・ド・サンピエール(Abbe de Saint-Pierre、1658-1743年)、フーゴー・グロティウス(Hugo Grotius、1583-1645年)、イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724-1804年)などは、様々な平和構想を提示した代表的な学者である。
 ルイ14世の時代のフランスの神学者サンピエールは、ルイ14世の専制政治と対外戦争に懸念を示し、平和を利己的な領土の取り合いではなく話し合いで決めるべきだと提案した。論争や紛争が生じた際に、当事者または地域の関係諸国が直接集まり議論をし、その議決をもって今後の対応を決めていくというサンピエールのアイディアは、その後の国際連盟・国際連合の基礎となるものであった。
 次に、国際法の分野において特に有名な学者であるフーゴー・グロティウスは、30年戦争を契機に、国家間に適用される戦争の防止、抑制の国際法を唱えた。それは正戦論にも拠っていた。
 『永遠平和のために』(1795年)を著したイマヌエル・カントは、ナポレオン戦争の時期に常備軍の保持に反対し、戦争のための借金を批判するなど、今日の視点においても進歩的な考え方を展開した。また、国々が共和制(Republicanism)になることで戦争を起こす傾向がなくなるという、今日の民主的平和論の基礎となる議論を提示した。
 なお、クラウゼヴィッツ(Carl von Clausewitz、1780-1831年)の『戦争論』(初版1832年)や、18~19世紀の西ヨーロッパで盛んであった「外交史」、第二次世界大戦後に米国で確立された「国際関係論」などは、国家や政治的主体間の競合や協調についての学問分野である。国際関係論は、国家は国益を追求するという考え方を前提に、いかに国家同士の国益を調整するか、国益に基づく力の衝突を解決するかを追求し、 第二次世界大戦後に研究として活発になる。さらに、第二次世界大戦を契機とする原子力爆弾の登場、さらに遡れば19世紀以降の近代化に伴い武器の高度化が進み、戦争の被害の規模と程度が広がったことを背景に「軍縮論」も登場する。
 「平和学」は第二次世界大戦後の1950~60年代から発展し、大学の専攻の名称となったり、紛争解決や平和に特化した学術雑誌などが発行されるなど、学問として成立するようになった。具体的には、The Journal of Conflict Resolutionが1957年に発行され、1964年にはヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung)がThe Journal of Peace Researchを立ち上げた。第二次世界大戦後、平和学が国際関係学とは別に重要視された理由としては、第二次大戦での大量の戦闘員、非戦闘員の犠牲、ナチスの大量虐殺等の前例にない人間の組織的殺戮に対する教訓や、同様の悲劇を繰り返さないことへの意思、 原子力爆弾の登場、 また第二次世界大戦後に創設された国際連合が冷戦の下で麻痺していたことなどがあった。
 国際関係論は主に米国を中心に、第二次大戦後覇権国としての米国の戦後国際秩序の管理の必要性を背景に、科学的方法論を軸に理論的に発展してきた一方で、平和学は米国のみならず欧州で包括的な意味での社会科学、哲学などとも関連して発展してきた。今日平和学はさらに細分化され、紛争解決、平和構築、和解などが、学問領域となり、また政策用語として使われるようになっている。

 

2.マハトマ・ガンディーの非暴力・不服従

 サンピエールやカントの他、マハトマ・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi、1869-1948年)も20世紀以降の平和学において特筆すべき人物である。彼はイギリス植民地下のインド農村部の貧困問題に目を向けながら、非暴力(アヒンサー)と不服従(真実への闘争、サティアグラハ)の二つの概念を唱えた。

(1)非暴力(アヒンサー)

 アヒンサーとは、非暴力で相手と向き合うことによって相手の心を変化させ、健全な関係を築き上げていこうという非常に前向きな概念である。相手が暴力を用いて抑圧してきたとしても、非暴力と自己犠牲で相手に働きかけるのである。例えば、イギリスの国旗に敬礼しないが、侮辱もしないというのがガンディーの非暴力の意味である。ガンディーは、非暴力は臆病さではないとし、臆病と暴力であれば暴力の方が受け入れられるとも語っている。

(2)不服従(サティアグラハ)

 不服従については、そのシンボルとしてガンディーが糸車の前に座り糸を紡ぐ姿が代表的である。この姿は、産業革命を経てイギリス綿製品が大量生産されるようになり、植民地であるインドの綿工業が大打撃を受けたことへの抵抗を意味する。また植民地下であっても自分たちは自分たちの方法で糸を紡ぐことを止めないという意味も含まれている。同時に、自分に必要なものは自ら生産し、無駄なものはもたないという物質主義への批判でもあった。糸を紡ぎ続ける行為に表れるガンディーが説く不服従とは、敵を倒すのではなく、真実を把握した自分の精神と行動を通して敵の考え方を変えていくという態度を示している。
 ガンディーの唱える非暴力や不服従は、自分が平和であれば周りも良くしてくれるという概念ではなく、自分の信念を理解して相手に向き合い働きかけるという能動的な概念である。
 
 それでは次に、近年のよりモデル化、理論化された平和学を見てゆく。

 

3.紛争と紛争解決

(1)「砂時計モデル」による紛争(処理)の動的把握

 平和を理解するためには紛争を理解しなければいけないように、平和と紛争は表裏一体の関係である。紛争とは、少なくとも二人以上の当事者もしくは団体が限られた資源(物質的、非物質的)を同時に得ようとしている状況である。武力紛争は、資源を二者が同時に得ようとする時に武力を行使することによって起こる。紛争が起こる最大の原因は、「不一致の存在」(incompatibility=お互いの態度や目標が両立不可の状態)である。
 例えば、国家間紛争の場合、二つのパターンがある。一つは、政府の支配をめぐる不一致である。大統領や首相など、政府の支配をめぐり誰が統治するかを争う場合に起こる。内戦における不一致の状態がこのケースに該当する。二つ目は、領土・領域の支配をめぐる不一致である。これはナポレオン戦争や第一次・第二次世界大戦など、領土をめぐるお互いの利害や目標が国家間で一致せずに両立不可となる場合である。
 紛争解決は、不一致や両立不可の状態が解消されることを意味する。また、不一致が存在したとしても、お互いが共存し合うことが可能な状態も含まれる。オリバー・ラムズボサム(Oliver Ramsbotham)が提示した「砂時計モデル」(図1)は、不一致の生成とそれに伴う紛争の生成・抑制・解決過程を図式化した。図は紛争発生から和解までの流れを、①相違(Difference)②矛盾(Contradiction)③両極化(Polarization)④暴力(Violence)⑤戦争(War)⑥停戦(Ceasefire)⑦合意(Agreement)⑧正常化(Normalization)⑨和解(Reconciliation)の順で表している。これらは必ずしも時系列に沿って進むのではなく、時には後退する場合もある。この砂時計モデルの中心部分が狭い理由は、図1の横幅が交渉の余地の大きさを表しているためである。幅が広いほど相互で交渉の余地があり、幅が狭くなるほど交渉が難しくなる。①相違の段階では幅が広く、⑤戦争で狭くなり、⑨和解に向かう過程で再び幅が広くなる。
 「砂時計モデル」を使用して紛争の原因である「不一致」が生じる過程から、紛争処理までを段階別に把握してみたい。まず始めに、国・民族・部族がお互いの文化、宗教、容姿、言語、食事等に対して①相違を見出すようになる。そしてお互いの違いを受け入れ認めることが出来ない場合、②矛盾が生じるようになる。相違する人々は互いを矛盾するものとみなし、同質なもの同士でグループ化する。そして③対立的に両極化するようになる。例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナはサラエボオリンピック開催を旧ユーゴ連邦の一共和国として経験したが、次第にムスリムであるボスニア人、カトリックのクロアチア人、正教会のセルビア人が互いに敵対的な他者として認識するようになり、グループ化された。これが認識だけでなく、行為に発展し④暴力となった。突発的に起こる日常的な暴力もあれば、コミュニティ・レベルで組織を排斥しようといった暴力もあった。それがさらにエスカレートし⑤戦争となった。戦争は、組織的に軍隊が指揮系統を通じて敵を倒すために武力を行使する状態である。次の段階である⑥停戦は、直接的な暴力を一時的に停止する段階であり、いわばバンドエード効果である。つまり、傷自体の処置よりも傷の悪化を防ぐのが停戦である。その後、⑦合意の段階では国家間で、誰に責任があり、誰がどのように賠償し、どのような関係を築くかについてなどの合意が成される。国家間で合意が成立すると、国交の⑧正常化が外交・民間レベルで始まる。国家間レベルであれば政府が、内戦の場合は指導者同士が正常化を決定する。正常化への意識が国民や民族レベルまで確立されるようになると、⑨和解となる。つまり和解は、当事者間の相互理解が確立し、個人・社会レベルでも信頼が構築された状態である。「砂時計モデル」では、紛争を領土の争いや政府間の関係から説明するだけではなく、当事者一人一人の意識にまで目を向け、紛争をより広い視点で捉えている。
 ⑤戦争の状態を抜け出し⑨和解へと向かうために、⑥停戦と⑦合意の段階で行われるのが各々「平和維持」(Peacekeeping)と「平和創造」(Peacemaking)である。「平和維持」とは、停戦の際に停戦監視、信頼醸成、武装解除、兵士たちの動員解除・社会復帰、予防外交などを通して紛争の再発を防ぎ、平和を維持することである。「平和創造」は、「平和維持」の次の段階であり、選挙法や憲法の改正、内戦における紛争当事者間の権力の共有・分散化、インフラの再建等、より広い意味での平和構築作業である。また「平和創造」では、戦争により政府が崩壊し国として機能しなくなった場合、国連のような第三者が介入し、政府の機能を肩代わりして国家再建を行う場合もある。

(2)国際紛争の分析レベル

 紛争を和解へと導くためには、まず紛争を分析する必要がある。国際紛争は、①「国家的特性」、②「国際システム・国際構造」、③「グローバルシステム」の三つのレベルから分析することができる。

①国家的特性
 国家的特性は、政治体制、国内安定性、経済発展、そして指導者の特徴などから分析することができる。民主制、独裁制等の政治体制を分析することによって、その国の政治体制が紛争にどのように影響しているかを理解することができきる。また国内安定性は、政治的動向、そして民族構成や社会格差などの影響の可能性の存否からみることが可能である。そして、発展途上国なのか先進国なのかという、その国の経済発展状態も国家的特性の一つである。戦闘資源、武器、資金や周辺国の協力の度合いなども含まれる。さらに、金正日、ヒトラー、アイゼンハワーなどといった国家指導者自身の特徴を個別に調べ、その個性から国家の行動を読み取る分析方法もある。

②国際システム・国際構造
 二つ目は、国際システムと国際構造から紛争を分析する方法である。「国際システム」の分析は、国際社会において国家が置かれている状態に注目する方法である。例えば、現在日本が置かれている国際システムは、国連が中心となった領土保全、武力不行使、人権の尊重などの規範からなるシステムである。
 また過去と現在では国際システムが異なるため、歴史的に紛争を分析する場合に、該当する時期の国際システムを把握することはとても重要である。例えば19世紀のオスマン帝国や日本は、ヨーロッパと同じ国際システムにあると考えられていなかった。そのため、当時の国際システムを分析することにより、オスマントルコや日本に対するヨーロッパの認識や姿勢を理解することができる。
 「国際構造」の分析は、国際社会の相対的な力関係とその影響を分析する方法である。例えば、米国一国ヘゲモニーのような一極なのか、それとも冷戦時のような二極なのか、または19世紀ヨーロッパのように二つ以上の主要な国々がバランスを保ち、そのバランスが崩れた時に戦争が起こるという多極構造なのかというような、国際社会における力の関係性を分析する。

③グローバルシステム
 三つ目は、グローバルシステムの理解を通して紛争を分析する方法である。グローバルシステムのなかで、NGO、多国籍企業、テロリスト、越境犯罪組織、人身麻薬取引などがどのように国の行動及び統制能力に影響を与えているかを具体的に把握する。膨大な資金や情報が瞬時に国境を越えて行き来する状況は、経済金融の混乱を生みテロリストに資金源を提供し、また扇動的なメッセージが過激派を増長させる。そのためグローバルシステムの分析は紛争の理解とも繋がるのである。さらには、国家を超えたグローバルネットワークが紛争の予防や解決にどのように資するかも分析することができる。21世紀の平和と紛争を理解するには、グローバルシステムの理解が不可欠である。

(3)紛争分析の視点

 紛争をよりミクロの視点で分析するには、まず国家を始めとする主当事者を分析する。国家の他の主当事者としては反政府組織、ゲリラ、テロリスト、部族等がある。同時に、彼らがどのような歴史やイデオロギーをもって紛争を起こしているのか、戦闘集団内の権力関係、集団が一枚岩であるのかも理解する必要がある。
 次に、紛争当事者の間で何が不一致しているのかを検討する。ニーズ、価値観、または利益に不一致があるのか。その内容によって紛争解決の難易度も変化する。またそれらをエスカレートさせる動機も分析視点の一つとされる。
 戦争の場合、暴力の継続性、形態、戦闘規模、継続性、同盟を含む組織的連携、支援体制も調べる必要がある。
 最後に、紛争にかかるコスト、死傷者、国内避難民、難民などの人的コストや紛争によって破壊されたインフラのコストも紛争理解の重要な視点である。

 

4.ガルトゥングの平和理論

(1)暴力の三類型

 このように、紛争は武力行使による紛争だけでなく、非常に広い意味で捉えることができるが、同様に「暴力」についても広い意味での理解が可能である。ノルウェーの学者ヨハン・ガルトゥングは、暴力を「満足させられるべきニーズを満足できないよう攻撃を加えること」と広く定義した。またガルトゥングは、暴力には三つの側面があると説明した。一つは、銃やナイフ、さらには原爆などで直接相手に危害を与える「直接的暴力」、貧困や抑圧、差別を放置あるいは助長する制度を表す「構造的暴力」、そしてそのような状態を正当化そして助長する考え方やものの見方を表す「文化的暴力」である。
 これら三つの暴力の中で、特に人々に影響力があり深く浸透するのが「文化的暴力」である。宗教において、ある民族を抑圧するような考え方やプロパガンダは「文化的暴力」である。例えば、ナチスがユダヤ人に対して黄色いバッジをつけるよう強制したり、ドイツ語でユダヤ人を「ウンターメンシュ(劣等人種)」と表現したことがその例である。
 他には、スリランカで20年以上続いた内戦の原因であった言語政策である。スリランカには仏教徒のシンハラ族とヒンズー教徒のタミール族がいる。二つの民族は異なる宗教を信じているだけでなく、異なる言語を使っている。シンハラ族はスリランカの多数を占め、政府を動かしてきた。1960年代にはシンハラ語が公用化され、タミール語の禁止までには及ばなかったが、公務員となるためにはシンハラ語が必要とされ、実質的な差別政策が実施された。この言語政策によって、タミール族は生涯にわたり構造的・社会的・経済的差別を受けるようになる。このような言語政策も文化的暴力となりうる。
 文化的暴力は学問においても存在する。ナチス政権下では、優生学としてアーリア人はユダヤ人よりも優れているという研究が進められていた。このような差別的研究も文化的暴力であった。
 文化的暴力は、武力でも制度や社会的構造でもない、シンボル・宗教・イデオロギー等の「物の見方」や「考え方」であるが、文化的暴力の蔓延は直接的暴力への正当化にもなり得る。そうなると人々は暴力や差別に対する疑いさえももたなくなるという点で、文化的暴力は非常に強力な暴力である。

(2)消極的平和と積極的平和

 さらにガルトゥングは、直接的暴力がない状態を「消極的平和」とする考え方に対して、構造的暴力及び文化的暴力さえも克服した平和を「積極的平和」と区別した。「砂時計モデル」に当てはめると、⑤戦争や暴力がない状態が「消極的平和」であり、⑥停戦から⑦合意⑧正常化を経て⑨和解に至った状態が「積極的平和」である。

(3)構造的平和構築と文化的平和構築

 「構造的平和構築(Structural Peacebuilding)」は、「構造的暴力」を排除する平和構築手段であり、集団的安全保障を通して不可侵の原則を徹底したり、国家間経済協力によって信頼を高め、暴力のシステムを排除する方法である。内戦の場合、政府側と反政府勢力の間の相互不信を取り除く必要がある。反政府勢力側の指導者の身柄の安全・地位・経済的立場を保障することによって、政府が反政府勢力を再度抑圧するのでないかという不安を解消することができる。
 「文化的平和構築(Cultural Peacebuilding)」は、「文化的暴力」を排除する平和構築手段である。また住民レベルでの信頼醸成であり、「砂時計モデル」の最終段階で行う平和構築手段である。その方法は、平和教育を通して寛容性や多様性を学んだり、真相究明委員会を立ち上げ、被害者に対して真相を明らかにし、被害者を癒し、時に加害者に恩赦の機会を与える。真相究明委員会の有名な例は、南アフリカにおけるアパルトヘイト廃止後に、黒人と白人が和解するために行った真実和解委員会である。抑圧をした事実を白人自ら委員会で証言することによって、証言を聞いた遺族がそれを受け止め、委員会が恩赦を決める作業を行った。
 また、メディア報道を通じて文化的平和構築を行うことも可能である。しかしメディアがもたらす影響力は非常に大きいため、紛争を緩和することも出来るが、和解を難しくする場合もある。1990年代の旧ユーゴスラビア紛争では、セルビアによるボスニア人の追放、殺戮という「民族浄化(Ethnic cleansing)」という言葉が使われていた。この表現を最初に使用したのはNew York Newsday紙といわれている。「民族浄化」という言葉は非常にインパクトがあり、その後国連を始めとした国際社会や学界などでも使われるようになる。ただ、この用語はセルビア人のみを加害者、クロアチア人、ボスニア人を被害者という極端に単純化したイメージを流布し、固定化した。同様の問題は被害者の数の報道においてもみられる。被害者数について十分な裏付けが難しい場合の報道は、その旨を明らかにしたり、両論併記にすることが大切である。敵対していた者同士の信頼回復には、単純化された善悪ではなく事象の複雑さを真摯に受け止める必要がある。
 文化的平和構築においては、平和啓発運動を通じて平和の大切さを訴え、国家間のみならず、超国家レベルでも市民・学生・ジャーナリスト・研究者等を含めた交流を促進してゆくことも重要である。

(4)平和的手段による平和:トランセンド法

 ガルトゥングは、直接的暴力が生じても平和は平和的手段によって解決でき、上記のような「積極的平和」を構築しうると考えた。彼は、紛争は限られた資源を二者以上の当事者が争うことによって起こることを前提に、紛争からどう平和を構築するかを「不一致の分析」を通して説明した。この表の縦軸をA、横軸をBとする時、AとBは限られた資源を同時に求めている状態である。縦軸の数値が高く横軸の数値が低いと「Aの勝利・Bの敗北」となり、反対に縦軸が低く横軸が高いと「Aの敗北・Bの勝利」となる。また紛争中、お互いの利益を分け合う「妥協」という選択も可能である。


 図2は、 ガルトゥングの「トランセンド法 (Transcend Approach)」に基づいて、 ウォーレンスティーンが示した不一致の分析図である。「トランセンド法」とは、平和創造のために、対話と創造性に基づき紛争を持続可能かつ非暴力的に解決する方法である。AとBによる限られた資源の取り合いという競争の概念を超えて、自己と相手の理解を深め、既存の利益概念の考えを超える方法で争いを終結する方法を強調した。
 「トランセンド法」をスリランカでの言語政策による争いと当てはめると、例えばシンハラ語/タミール語のどちらでもない言語を公用語とする方法が「トランセンド法」である。
 ガルトゥングは「トランセンド法」を実践するにおいて、究極的には紛争当事者一人一人に視点を向けることを強調した。相手に視点を向けるだけではなく、それぞれの当事者が、内面を自問する作業も行う必要があるのである。そこでは、時に仲裁者がかかわることもある。
 ウォーレンスティーンはトランセンド法によって紛争のダイナミズムの管理ができると考える。緊張緩和のために第三者を交えて対話の場を設けることによって対立の悪化を防ぎ、信頼をまず醸成するアプローチである。紛争に関連する直接的な話題を持ち出すのでなく、共通意識から交渉を進める紛争管理方法である。それは既存の要求を妥協するだけではなく、それを超えて両者の納得するいわゆる「トランセンド」に帰結する可能性も含む。
 ウォーレンスティーンはさらに、当事者に注目するその他のアプローチとして、ニーズや費用・利益に基づいたアプローチを提唱する。ニーズのアプローチとしては、例えば、内戦中の国であれば、反政府勢力側に対して政治的意見の発信の場を設けたり、経済政策を樹立し格差を撤廃する等の方法を通して、当事者のニーズを満たし解決の糸口を提示することができる。この際に、反政府側を含めた当事者たちの意見を慎重に聞く必要がある。従って、この方法は当事者のニーズを満たしながら、自由と民主主義を保障し、公正な社会をつくって行くアプローチともいえる。
 また、当事者の費用・利益に基づいたアプローチとして、紛争に関わる費用と利益を紛争当事者がどのように考えているかを理解し、平和的解決を目指すアプローチである。戦闘継続のコスト、負傷者・難民・国内避難民や破壊されたインフラによって生じる費用、そしてこのような費用が発生してでも戦争を続ける利益等を考慮し、紛争解決方法を見出す。一般的な方法としては、経済制裁を通して紛争当事者の費用・利益計算に影響を与え、紛争を停止せざるをえないように導く方法である。または、双方の紛争当事者が、これ以上紛争を継続する事は近い将来の勝利を生み出さず、損害を生むばかりであるという手詰まり状態をつくり出し、紛争解決へと導く事も可能である。

(5)7つの紛争処理方法

 上記のアプローチは全て平和的に紛争を解決するアプローチである。それでは、このような平和的紛争解決の視点から、実際に外交レベルではどのような紛争処理を提案できるだろうか。ウォーレンスティーンは、紛争処理方法として以下の7つを提唱する。①優先順位・アジェンダの変更、②資源の分割、③駆け引き/取り引き(Horse trading)、④共有・共同管理統治、⑤第三者へ管理・統治を委託、⑥制度的紛争手続き、⑦将来世代に紛争解決を託す・忘却・許しの7つの方法である。以下、具体的事例と共に紹介する。

①優先順位・アジェンダの変更とは、各当事者の複数あるニーズの優先順位を把握し、その順位を交代したり、妥協できるニーズを見極る方法である。例えば、以前日本は、北方領土における経済活動をロシア支配を容認することになるとして認めていなかったが、国境画定よりも先に日ロ共同経済活動を認めることによって日露間の平和条約に向けての優先順位を変更した。
②資源の分割とは、限られた資源をめぐり争うのでなく、資源を分割又は共有する方法である。東シナ海の天然ガス田を日中共同で開発することへの合意は、この方法の例である。③駆け引き/取り引きとは、紛争当事国がお互いに譲歩可能な部分を見出し交換する方法である。例えば、捕虜の交換や米朝間での北朝鮮の体制保証と朝鮮半島非核化の取り引きは、この方法による紛争処理である。
③共有・共同管理統治とは、共同市場などを創設し、争いに成り得る資源や土地等を共有し共同管理する方法である。1948年に設定された欧州石炭鉄鋼共同体は、フランスとドイツなど調印国間で石炭と鉄鋼の共同市場を創設することが企図され、その後欧州連合の基礎となった。
④第三者への管理・統治の委託は、国連などの第三者に管理・統治を委託し、紛争当事国、当事者間の摩擦を防ぐ方法である。特殊な方法として、1991年カンボジアは近隣諸国であるタイ・ベトナム・中国と同盟を結ばないことを表明し、三カ国と中立を保つことによって内政干渉や近隣諸国間の対立を防いだという例も、当事者間に緩衝的存在を作る方法を利用した例といえる。
⑤制度的紛争手続きは、国際司法裁判所・国際刑事裁判所・国連憲章第6章に基づく平和的紛争解決手段、さらに国連が設置活用してきた紛争当事者間の橋渡し、周旋(Good Offices)など、紛争処理の手続きが紛争当事者から独立して存在し制度化されているものを利用する方法である。
⑥将来世代に紛争解決を託す、または忘却・赦しの方法は、紛争解決を将来世代に託すことによって、一時的に衝突を防ぐ方法である。この方法によって、エルサレムは1947年、国連決議によって国際的な管轄下に置かれるようになり、イスラエルまたはパレスチナのどちらの管轄下でないことが決定された。

 

5.和解プロセス

 最後の段階である和解とは、相互信頼が醸成され文化的暴力が排除された状態である。また、和解は英語でReconciliationというが、それは「Conciliate(なだめる、信頼を得る、調整する)を二回行う」、つまりまず生じたことについて自己内で受け止め、その後に紛争相手との信頼を築くという二段階のプロセスがあるという意味である。ガンディーやガルトゥングの考え方のように、平和はまず自己に向き合うことによって始まるという考えは、和解の理解に大きな示唆を与える。またガルトゥングは、被害者だけでなく加害者も癒しが必要だと説く。被害者への攻撃によって加害者も傷ついているため、加害者が慰労されない限り被害者への攻撃を止めないということである。
 実際に和解へと進むためには、まず加害者と被害者がお互いに加害・被害責任を認知する必要がある。加害者は、加害責任を取るその証として、謝罪をする。この時、謝罪は何回も行うわけではなく、言い訳や弁明の余地がない状態で行われるべきであるため、本来は一回で終わるはずである。また謝罪が被害者に受け入れられた場合にのみ、加害者は赦しを受けることが出来る。赦しは、被害者が怒りや恨みを克服し、加害者を受け入れた状態である。その後、相互が信頼を醸成しながら、協力して補償や記念碑、歴史教育などの和解策を行っていくのである。

 

6.おわりに

 学問的発達と精緻化を続ける平和学は、実に多様な平和的紛争解決手段を提示しており、近年の世界における力の外交の興隆の中で、理想論にとどまらずに平和外交の現実的可能性を広げうるといえよう。さらに多様な形での暴力が蔓延し、和解の重要性と困難性が諸事例で露呈している今日において、相手のみにだけではなく自己理解も含むガンディやガルトゥングの平和論からは、和解政策を創造的に発展・実施させる余地があると考えられる。

(本稿は2019年4月18日に開催された政策研究会における発題内容を整理してまとめたものである)

 

参考文献:
Galtung, J. Peace by Peaceful Means: Peace and conflict, Development and Civilization, Oslo: International Peace Research Institute, 1996.
O. Ramsbotham, et al eds., Contemporary Conflict Resolution, Third edition, 2011.
Wallensteen, Peter, Understanding Conflict Resolution, fourth edition, London: SAGE Publications, 2015.

政策オピニオン
熊谷 奈緒子 国際大学准教授
著者プロフィール
1997年国際基督教大学大学院修士課程修了(行政学)。2009年米国・ニューヨーク市立大学大学院博士課程修了。政治学博士。専門は、国際機構論、国際政治学、国際紛争処理論、戦後日本外交。著書に『慰安婦問題』。

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